珍しいどころじゃない。軽く事件かと思った。
「私に休日をくれませんか?」
一日が終わり、そろそろ作業場の電気を消して小屋に戻ろうかというタイミングで、アルラが願い出た。
まさかの要望に俺だけでなくマキナまで「え?」と固まる。
「休みが欲しいってことだよな?」
「はい。数日だけどうかお願いします。それとできればビークルも貸してください」
真剣な表情でアルラは頭を下げた。
休日。今まで彼女から要求されたことのないもので、俺は見事に豆鉄砲を喰らったような顔になってしまった。
「俺の世話が嫌になった?」
恐る恐る訊ねるとアルラはすぐさま首を横に振って否定した。
「そんなことは間違ってもありません。むしろ自らマスターの元を離れるのは身を裂かれる思いです」
「ならどうして休日? 単純に疲れたとか?」
「理由についてはまだ秘密にさせてください。本当に申し訳ございません」
またもアルラが頭を下げる。何度も腰を折られるとこっちが悪いことをしている気分ですぐに頭を上げさせた。
常に真面目に働いてくれてるし、そういう日もあるのかもしれない。俺はそんな風に無理やり結論付けて「分かった。明日から休みでいい」と返した。
「でもどこで何するんだ? わざわざビークルまで借りるなんて。一人でどっか行きたいってことだよな」
「それについても言えません。危険な場所に行くようなことはないので、安心してくださいとしか……」
何も教えてくれない。はっきりと目的はあるようだが。
マキナの顔も見てみたが、向こうも心当たりすらないようで肩をすくめた。
「なんかよく分かんないけど、ナオを独り占めできるってことね。ラッキー」
わざとらしく煽ったマキナにアルラは目を細めて釘を刺す。
「……あまり羽目を外さないでくださいね」
そして作業場の電気を消した。
マキナが余計なことを言ったせいか、その日の夜はやたらアルラに搾り取られた。
◆
翌日。アルラは朝早くに作業場を離れ、とある喫茶店の窓際の席で人を待っていた。昼過ぎの店内にはまばらに客が入っている。レトロな内装からも分かる通り、年季の入った店のようで、若者はおらずマダムかそれ以上の年配客がほとんどだった。店主は背の曲がった老人で、足腰が弱いのかずっとカウンターの向こうで座っている。
食事を必要としないアルラは何も注文せず、お冷すら断ってじっと待ち人を待っていた。
暫くして店の扉が開いた。長い銀髪を揺らした少女が店に入ると同時、アルラと目が合う。そして少女はゆっくりとアルラの席まで来ると「ん」とだけ言ってテーブルを挟んで向かいに座った。
バッグを肩から下ろして自分の膝の上に大切そうに乗せたシュリに、アルラは「こんにちは」と表情を変えずに言った。
「昼食は食べましたか? まだなら私が払います」
「食べてきたからいい。それで? 相談って何?」
シュリはやや鋭い目つきをしながら余計な言葉も交わさずに本題を切り出した。
この喫茶店はシュリの通うアダラ高校の付近にあった。ナオの作業場からはビークルで半日かかる。そんな場所を待ち合わせ地点に指定してまで呼び出されたのだから、シュリが警戒するのも無理はなかった。
アルラもそれには気づいており、素直にその理由を打ち明けることにした。
「それです」
アルラがシュリの膝に乗るバッグに視線を送って言った。
シアンの少し大きめのバッグ。まだ卸したてのそのバッグにシュリ自身も目を落とした。
「これがどうしたの?」
「マスターから聞きました。シュリ様にプレゼントしたと」
「うん。学校に広告出してくれたお礼にって買ってくれた」
説明しながらシュリは優しくバッグを撫でた。我が子のような愛でられ方のそのバッグをアルラは見つめて滔々と語った。
「それを聞いて思ったのです。私の方はマスターから様々な物を与えてもらっているのに、私は一度もマスターに形になるものを贈っていないと。服やこの身体もそう」
今日のアルラの服装は黒のニットにワインレッドのフレアスカート。主人が大変気に入ってくれたコーディネートだった。
初めてこの服を着て見せた時のナオの顔を思い出しながら、アルラはスカートのポケットから小さなプラスチックスプーンを取り出す。
出店でアイスを買えば付いてくるような安っぽいスプーン。何故そんな物を持ち歩いているのかシュリは不思議そうに見ていたが、アルラの大事な物であることは察したようで、彼女は何も聞かなかった。
ギュッとスプーンを握りながらアルラは言う。
「お礼がしたいのです。マスターが喜ぶ物をプレゼントしたい。ですが今までこんな気持ちが芽生えたことがない私にはどうすればいいか分からず……。一緒にプレゼントを考えるのを手伝ってくれませんか?」
「いいよ。前に兄さんとのデート許可してくれた借りもあるし。でもなんで私? 一番近くにマキナがいるのに」
当然の疑問。同性で付き合いも決して短くないマキナに相談するのが自然な流れであることはアルラも分かっている。しかし今回ばかりは彼女を頼るわけにもいかなかった。
アルラはスッとシュリから視線を逸らす。
「なんとなくです」
「……なんか怪しいけど」
「大した理由ではないので気にしないでください」
どうしても理由を明かそうとしないアルラにシュリは諦めて、「候補はあるの? これをあげたい、みたいな」と訊ねた。
「喜ぶ物です」
「そうだろうけど。もっと具体的に」
アルラは少し考えてみたが、何も思いつかなかった。
「シュリ様ならどうしますか?」
「私なら普段使ってくれる物かな。日常的に使ってるのを見れたら嬉しい。限られたシチュエーションでしか使えない物だと愛着も湧かないだろうし」
「なるほど。下着とかですか」
「ごめん。それは違うと思う」
「そうなのですか? 日常的に使いますし、マキナ様が買い与えられて喜んでいるところをよく見るので悪くないと思ったのですが」
「まあ、嬉しい人もいるだろうけど男の人はそうでもないと思う。少なくとも兄さんはいきなり下着渡されても喜びはしない」
「そうですか。良い案だと思ったのですが」
「とりあえず外に出てみる? 街を歩いていたらこれって思えるものが見つかるかも」
「そうですね」
シュリの提案にアルラが頷くと、二人は喫茶店を後にした。
巨大な商業施設が立ち並ぶ商業地域を練り歩きながら、アルラとシュリはナオへのプレゼントを探した。アパレルショップや雑貨屋、花屋や本屋など、すでに十件近く店を見て回っているがどれもしっくりこなかった。
既に時刻はおやつ時に差し掛かっている。
「今日一日で見つかるの?」
人の多い大通りを歩きながらシュリが言った。アルラもここまで難航するとは思っていなかった。だが妥協するわけにもいかない。
「わかりません。ですが見つかるまで探します。今日で見つからないなら明日。それでもダメなら明後日です」
「私はいつでも付き合えるわけじゃない」
「分かっています。しかし適当な物を準備するわけにはいきません。シュリ様もマスターが好きなら気持ちは分かるでしょう?」
「そうだけど……。普段から兄さんに気持ちぶつけてるんじゃないの? 兄さんもそれで十分だと思うよ。これ以上何か欲しいなんて思ってないと思う」
「抱きしめるだけが愛情表現ではないはずです。私はシュリ様と違って、肉体的接触だけが全てだとは考えてないんですよ」
「人のことなんだと思ってるの?」
「違うのですか? キスやらセックスに拘られているのでそれ以外に愛情表現を知らないのだと」
「悲しい人間みたいな扱いしないで。私だって兄さんと色んな形で繋がりたいと思ってるよ」
「体位の話ですか?」
「精神的にも、って話! 言っとくけど私はごくごく普通の恋愛脳を持った高校生だから!」
「普通の恋愛脳を持った高校生は兄とまぐわおうとは考えないはずですが」
アルラの冷静な指摘にシュリはうっ、と狼狽えた。
「ぎ、義理の兄だからセーフ」
「一般の倫理的にはアウトだと思います。……ところで前から気になっていたのですが」
「何?」
「シュリ様はマスターを男性として好きなのですか? それとも兄として好きなのですか?」
「難しい質問だけど……兄として好きの方が気持ち的には強いと思う。きっと兄妹じゃなかったからこんなに好きにならなかった」
「つまりずっと兄として見ていて兄として好きで、妹として愛されたいと?」
「そう、かな? 自分でもよく分からないけど。例えば今、兄さんの妹じゃなくなって、周りのことなんか考えずに恋人とか夫婦になれるって言われても私はそれを断ると思う。兄さんの妹であることは手放したくないから」
少しアルラにも共感できる意見だった。アルラもナオのアンドロイドとして側にいられることが嬉しい。
「でもそれはそれとして恋人みたいに甘えたいし、甘えられたい時もある」
「難儀ですね」
「アルラだってそういう時ないの? 普段とは違う関係性になりたいって思うタイミング」
メモリを遡りながら自分と主人の日々を振り返る。
「まあ、分かります。マスターと兄妹プレイをしている時は妹になりたいと思ってしまいます」
「私の前でよく言えるね」
「スタイルのいい妹は新鮮なんでしょう。反応がすこぶる良くて困ります」
「私の前でよく言えるね‼︎」
遠吠えのようなシュリの叫びが街中に響いて、アルラは愉快な気分になった。
と、そこでアルラの目にとあるお店が留まった。車道を挟んだ向こう。ビルとビルの間にひっそりと建つ、二階建ての建物。
一階はショーウィンドウが設けられていて、小さくキラキラとした物が飾られている。指輪、ネックレス、ピアスにイヤリング。シルバーや宝石を使ったアクセサリー達だった。
店先には電子看板が立っていて、『金の星』と店名が表示されていた。
アルラは何故かその店が気になって足を止めた。シュリもアルラの視線を追ってそのお店に気づいた。
「アクセサリーショップだ。メンズの物も扱ってるかも。入ってみる?」
「はい」
アルラはすぐに頷き、誘われるように店へと向かった。
入店すると店の奥から若い女性の店員が出てきた。歳は二十代前後だろうか。緩く巻いた金髪をポニーテールにしており、フリルの付いたブラウスに、やけに短い紺のスカートを履いていた。
店員はニコニコと笑顔を見せて二人を出迎えた。
「はーい。いらっしゃいませー。『金の星』へようこそ。垢抜けしたい方の背伸びアイテムから、大切な人への贈り物まであらゆる人に最適な物を取り揃えてますよー……って、あれれ?」
緊張感のない喋り方の店員はシュリの顔を見て何かに気づいたように固まった。一方のシュリも目を細めて店員の顔をじっと見ていた。
「シュリ様?」
アルラがシュリに声を掛けるが、シュリはアルラを無視して店員に訊ねた。
「あの……どこかで会ったことありますか?」
「んー、どうですかねー。ま、初めましてってことにしましょう、そうしましょう」
そう言って店員は二人の手を引っ張って無理やり店の真ん中まで連れくる。そして棚に並べられた数々のアクセサリーを自慢するように腕を広げた。
「さあさあ、私の作品を見てってください。クールな女の子におすすめなのはー、このへんです! きっとアンドロイドのお姉さんにも合いますよお」
「すみません。今日は男性への贈り物を探しているのです」
「あらあら。もしかして大切な人だったりー?」
「はい。何よりも大切な方です」
「やーん、ピュア♡ アンドロイドでそんなに愛に溢れてる子初めて見ましたあ。そういうことなら私にお任せくださーい。ちょっと裏から持ってきますねー」
テンションを一段上げた店員は店の奥へと消えていく。
出てきたと思ったらすぐにいなくなった店員にやや困惑しながら、アルラは黙ってその場に佇み、彼女が帰ってくるのを待っていた。すると不意に隣のシュリのひとりごとが耳に入る。
「あの妙に馴れ馴れしい感じ。確かに会ったことあるはずなんだけど……」
「よく分かりませんが、今はマスターへのプレゼントを考えてくれませんか」
「ん、ごめん」
シュリは腕組みを解いて考え事をやめた。
間もなくして店員が戻ってくる。手には黒いトレイを持っており、その上にはいくつかのシルバーアクセサリーが乗せられていた。
「その方の好みがわかんないのでえ、派手目なやつからシンプルな物までおすすめのを持ってきましたー。こっちが指輪。これはネックレス。これはイヤーカフですけど指輪としても使えて便利ですよお」
並んだアクセサリーを見てシュリがシンプルなデザインの物を指差す。
「こういう物なら兄さんも使いやすいんじゃない? 普段の服装にも合うだろうし」
「そうですね……」
アルラもシュリの言葉に概ね賛成だった。アクセサリー。贈り物としてはちょうどいいかもしれない。
だが、どうにも物足りない気がする。今勧められた物を買って、渡す。ただそれだけでいいのだろうか。
そんなアルラの顔を見て店員は見透かしたように言った。
「ふむふむ。確かに味気なく感じちゃうかもですー」
「……何も言っていませんが」
「顔に書いてありましたよー。誰かさんにそっくりです。それでしたらー、お客さんが自分で作ってみるっていうのはどうですか?」
「私が、ですか?」
「はいー。二階が工房になってるんですけど、たまにアクセサリーの手作り体験とかやってるんですよ。今日はお客さんあんま入らなくて暇ですし、特別に作り方教えてあげますよお」
店員の提案にアルラは迷った。
自分で作るというのは完全に盲点だった。悪くない案だとは思う。自分の想いを伝えるなら、自ら形にする方がきっといい。
しかし同時に不安もあった。自分が作った物でナオが喜んでくれるのか。プロが作った物の方が満足してくれるのでは……そんな風に考えてしまう。
天秤のように揺れるアルラを、シュリがそっと後押しする。
「アルラが作ったって知ったら兄さん、一生大切にするよ」
そんなことを言われると、自分が作った物を大切にされたいと思ってしまう。
「……やってみます」
アルラはやる気に満ちた目で言うと、店員はニコリと笑って二階に二人を招いた。
工房と呼ばれたそこは縦長の空間で壁際に長い机が置いてあり、反対側には作業で使うであろう道具がまとめられた棚が並んでいた。棚の上や机の端にもアクセサリーが飾られており、賑やかな印象を受ける。
長机の真ん中に座るようアルラは言われ、ピンと背筋を伸ばした状態で座った。その右隣にシュリも座る。左には店員が座ってマンツーマンで指導してくれる。
「使う素材はシルバーです。加工しやすいうえに素人が作っても安っぽい印象を受けないですからね〜」
アルラの前に材料や道具を並べながら店員は緩い口調で説明する。
幾つかの候補の中、どれを作ろうか散々悩んだアルラは指輪を選んだ。シンプルな輪っか形状に、草花のレリーフが施された見本を目標に作業の手を進めていく。
アンドロイドということもあって道具の使い方は正確、かつ丁寧だった。初めての作業にも関わらずテンポよく進めていくアルラにシュリも感心して魅入っていた。
本来短くても二時間はかかるらしい制作工程をアルラは一時間ほどでやってのける。
「出来ました」
無駄な会話もなく真剣に制作した指輪を持ち上げて、アルラは二人に見せた。
そして、しばらく沈黙が続いたのち。
「アンドロイドに苦手な事とかあるんだ」
「どこかでウイルスでも貰いましたー?」
その出来の悪さに二人は容赦なく言い放った。
アルラも自分で作った指輪を見て、酷い出来だと感じた。
まるで子供が描いた落書きのよう。見本と何度も見比べながら作ったはずで、大きなミスもなかったのに、何故か完成した作品のレリーフはほつれた糸が輪っかを一周しているように見える。これを見て草花を表現していると見抜ける人間は皆無だろう。
珍しく彼女は大きく肩を落とした。自分が不器用だと思ったことは一度もない。言われたことは大抵出来ると思い込んでいたし、事実そうだった。
なのに何故、今回に限ってこうなるのか。
「手際は良かったはずなんですけどねえ。でもこれも味と思えばアリです。あとは綺麗に磨いてあげればオッケー」
「ダメです! こんな物をマスターに渡すわけにはいきません! もう一度やらせてください」
深々と頭を下げるアルラに店員は困ったように眉をハの字に曲げた。そしてシュリと顔を見合わせる。
「本人がそう言ってるから、やらせてあげてください」
「そうですねえ……。分かりました! 再チャレンジといきましょう!」
店員は元気に声を出して空気を入れ替えると、新しい材料を取り出した。アルラも心を入れ替えてまた一から取り掛かる。
先程と同じ工程をより慎重に、より丁寧に行う。
今度は二時間かけてゆっくりと作り……やっぱりダメだった。
「どうして……」
二個目のガラクタにまた肩を落として、三度目のトライへ。
そうして何度も挑戦するがどれもこれも上手くいかない。
間違いなく上達はしていて、最初の落書きよりは花と分かる模様になっている。だが本人は決して納得できない様子で。
「これもダメ……。もう一度最初から」
「あのー、もう夜なんですけどお……。いつまでやるんですかー?」
アルラも言われて気がついた。時刻はもう二十時を超えている。この店は本来十八時までの営業らしく、テンションの高かった店員も今は疲れ果てた顔をしていた。
「今までで一番良い出来だよ。これで十分じゃない?」
シュリがそう言ってアルラを納得させようとした。恐らくそれはお世辞でもなんでもなく、シュリの目には立派な出来に見えたのだろう。
しかしアルラは自分の作品に目を落としたまま、グッとスカートを握った。
「嫌なんです。しっかりした物を渡したいんです。見本と同じぐらい綺麗な物を」
「どうして」
純粋な目で聞いてくるシュリにアルラは小さく口を開く。
「……だって」
「だって?」
「だって恥ずかしいじゃないですか! マスターは手先が器用で様々な物を直せるし、作れます! そんな方に不恰好なアクセサリーを渡すなんて、プロの料理人に丸焦げのチキンを提供するようなもの! こんなに恥ずかしいこと、他にありません!」
「そこまで酷い出来じゃないって。ちょっと表面が焦げたぐらいで収まってる」
「……焦げてはいるんですか?」
「うん」
「シュリ様のノンデリ!」
「失敬な。自分でも自覚あるから妥協できてないんでしょ」
まんまと言い返されてアルラは言葉に詰まった。
分かってはいる。このちょっと焦げた程度の物でも主人が喜んでくれることは。だが渡した時に綺麗だと思われたかった。目を輝かせて手に取ってもらいたかった。
そんな気持ちがいつの間にかアルラの胸中に生まれていた。
初めての感情に自分でも困惑している。考えれば考えるほどこの気持ちは醜いもののように思う。
人間のシュリであれば妥協するところを、自分は妥協すら上手くできていない。
どうすればいいのか分からないままアルラは俯き、固まってしまった。
ピタリと音が止んだ空間で、暫く黙っていた店員がそっと優しく言葉をかけた。
「そんなに難しい顔で作ったら何百個作っても上手くいかないですよ。もっと自然体で、バーっとやりましょ」
「……それではあなたが作ったような出来の物は」
「見本なんてあくまで見本。その通りにしなきゃいけないなんてないですよー。特に相手を想う気持ちが強いときは見本なんか無視して、勘に頼った方が良かったりするもんですですー」
そう言われてもこの気持ちに折り合いはつかない。
心の中で吐き捨てるように呟いた次の瞬間。
「形にばかり固執して、相手の顔を忘れてませんか?」
「マスターの顔? そんなの忘れるはずが」
ないでしょう、と言うつもりが言えなかった。
「あ……」
そうだ。気づけば自分のことばかり。
自分の格好悪いところを見せたくないという見栄で動いていた。『あの人に喜んで欲しい』という大前提をいつの間にか忘れてしまっている。考えるべきはただそれだけなのに。
「もう一度……。もう一度、作らせてください」
今度はちゃんと忘れないようにナオの顔を思い浮かべながらアルラは最後の指輪を作り始めた。
早く会いたい一心で、完成には一時間も掛からなかった。
◆
「もう仕事を始めている頃でしょうか」
ビークルから降りてアルラは誰に言うでもなく呟いた。
『金の星』で指輪を完成させてシュリを家まで送った後、夜通し帰路を走ってようやく家に着いたのは午前十時過ぎ。いつもならすでにナオ達は起きて仕事を始めている時間だ。
作業場の建物の前。一日ぶりでしかないのに久しぶりに帰省したような気分だった。
ドアを開けようとした手をアルラは止めた。
もう片方の腕にはぬいぐるみのように抱えられた紙袋があり、アルラはその中を見つめた。
気に入ってもらえるだろうか。
ここまで来てそんな不安が浮かぶ。
だが、彼なら。自分の愛するマスターならきっと喜んだ顔を見せてくれる。自然とそんな風に思えた。
「……よし」
小さく声を出して勇気を出すと、アルラはドアを開けた。
「ただいま戻りました」
普段の綺麗な発音と落ち着いたトーンで言って、ナオが作業しているであろう台に目をやる。
しかし、そこにあったのは散らかった道具だけ。
「……マスター?」
部屋を見回しても主人の姿はどこにもなかった。