「マスター。そろそろ切り上げませんか?」
アルラに言われて作業の手を止め、スマホを手に取った。
「もうそんな時間か」
時刻は十九時過ぎ。台の上を片付けて晩御飯の準備に入る時間帯だ。作業に没頭するといつも時間を忘れてしまう。依頼品のコーヒーメーカーはまだ四割程度しか直せていないが、渋々切り上げることにした。
マキナにも手伝ってもらいながら散らばった道具を片していく。
「今日のディナーは何かしら?」
「ラムのステーキです」
「ずいぶん豪華じゃない。なんかあった?」
「特別な理由はありません。最近は金銭的に余裕があるのでこういった食事も増えるかと。……だからといって暴食はしないように」
「人を食いしん坊みたいに言わないで。最近は自重してる」
「それでもマスターの倍は食費が掛かっているのですが」
「十分抑えてるじゃない」
「…………」
アルラは諦めて口を閉ざした。俺もマキナに言いたいことがないこともないが、食事を楽しめなかった時間のことを考えると、おかわりするなとも言えない。それにアルラの手料理を笑顔で頬張るマキナはあまりに眩しい。それが見れただけで仕事が増えたのは良かったと思えるのだから、やっぱり俺は単純な男だった。
仕事道具を棚に戻し、頻繁に使う物は壁のボードに掛けておく。
ある程度、作業場が綺麗になったところで、アルラが食事をキッチンから持ってこようとした。しかし、キッチンへ向かう途中、コンコンコンッと急かすようなノックの音が聞こえて彼女は足を止めた。
俺とマキナもドアに目をやって、互いの顔を見合わせた。
「ありゃ。お客さん?」
「もう片付けた後なんだけどな。依頼なら聞くだけ聞くか」
無視するわけにもいかない。俺はドアまで駆け寄ってガチャリと開けた。
ドアの前には一人の老爺がいた。
身長は俺の胸元までしかなく、背中は極端な猫背。ボサボサに伸びた髪はほとんどが白髪で所々に黒髪が混じっている。白い口髭や顎髭も伸び切っており、ヨボヨボの爺さんとしか表現できないほど、老いぼれた爺さんだった。
爺さんは背中にリュックを背負っているだけでなく、隣には古びたキャリーケースが飼い犬のように寄り添っていた。遠方から来たのだろうか。
爺さんは曲がった背中でなんとか俺の顔を見上げ、しゃがれた声で訊ねた。
「お前さんか。何でも屋とやらは」
「そうだけど、はじめましてだな。仕事の依頼か?」
「おう。完成させてほしい物があるのじゃが……ちょいと失礼」
俺を細い手で押しのけ、爺さんは勝手に作業場へと踏み入った。横にあったキャリーケースもひとりでに動き出して、爺さんの後を付いていく。
突然現れた年寄りに三人とも怪訝な表情を浮かべるが、爺さんはそのまま作業場をぐるりと一周して、今しがた俺達が片付けた道具や、修理して隅に飾ってあった機械なんかを眺めた。
そして俺の前まで戻ってくると、最後にアルラとマキナを見て大きく頷く。
「よし! 合格じゃ!」
突然、大きな声を上げると爺さんはキャリーケースを開き、中から小脇に抱えられるほどのサイズのリング型の機械を取り出した。
リングはシルバーのボディで出来ていて、小さなボタンがリングの外周に何個か付いていた。ボディの隙間からはコードやセンサーが見え、お世辞にも整えられた見た目とは言えなかった。
手作り感満載のそれが一体なんなのか、俺には見当もつかない。
「なんだこれ?」
「分からんか? そうじゃろうとも。なんせワシが長年研究を重ねてこのサイズまで落とし込んだものじゃからな」
ずいぶん勿体ぶった言い方で爺さんはリングを見せびらかすように持ち上げた。
「聞いて驚け。これはな、テレポート装置じゃ」
自信満々に言った爺さんとは反対に、俺は眉間に皺を寄せた。
「テレポートぉ? これが?」
「うむ! コレに市販のタブレットを接続するだけで己を好きな場所へと転送することができる。まだ実験段階で限界は調べきれておらんが、少なくともこの星の上なら端から端まで自由に跳べるじゃろう」
小さな歩幅で俺に近づくと、「ほれ」とリングを渡してきた。
俺は困惑しながら受け取り、そのリングをじっくりと見た。
ひんやりとした金属の手触り。円盤型のラジコンと言われたらそっちの方がしっくりくる。少なくとも手で触れただけでは爺さんの言っていることは信用できない代物だ。俺だけじゃない。アルラだって怪しいセールスを見る目を爺さんに向けている。
興味が湧いたのか、一人だけ前のめりになったマキナが俺に訊いた。
「テレポートってこの時代でも出来ないの?」
「一応最先端の研究所なんかは実用化に成功してて、物資を運ぶのに使っていたりはする。それも大陸間を行き来できるぐらいの性能は持ってたはずだ。ただ、このサイズってのがありえない。実在するテレポート装置はこの作業場に収まりきらないほどデカい扉型の装置だ。こんな取って投げれそうなサイズにまで圧縮された物は聞いたことがない。……マキナ。調べてみてくれ」
「ほーい」
初対面の年寄りを疑いたくはないが、眉唾物の可能性の方がずっと高い。マキナに分析してもらうことにした。
マキナはリングを手に取り、ペタペタと触る。そして顔を上げて俺を見るとニヤリと笑った。
「未完成ではあるけど、確かに瞬時に物体を移動させる機能を持ってるわ」
神のお墨付きになってしまった。マジで本物らしい。流石のアルラも目を丸くして、爺さんを見る目が変わった。
当の爺さんは「誰か知らんが見る目があるのお」とマキナの分析結果に気を良くした。
「そこの若い子ちゃんが言うとおり」
「若くないぞ」
「む? 若作りか? まあ、よい。そこの赤毛っ子が言うようにそれはまだ未完成での。このままだと完成させる前にワシが死んでしまう。じゃからお前さんに急ピッチで仕上げてもらいたいのじゃ。出来るか?」
出来るかと問われても、急に高次元な代物を持ってこられて返答に困る。だが、無理と突っぱねるのも躊躇った。こんなに面白そうな物、弄り倒せるなら弄り倒したい。
しかし、いきなりそんな本音を言うのもはしたない故、ビジネスライクな反応で返す。
「報酬は? いくら払えるんだ」
「金はない」
「おい」
「代わりにソイツをやろう」
そう言って爺さんはマキナの持つテレポート装置を指差した。
「いやいやいや。そう簡単に人にあげていい物でもないだろ。長年研究してたって言ってたし、相当な思いでここまでやってきたんだろう?」
「ああ、そうとも」
大きく頷くと、爺さんは遠い目で語り出した。
「大昔のSFアニメを見てからの夢じゃった。どこへでも行けるドアを使って、女の子のお風呂へ突入するのが」
意外としょうもない理由で作り始めたらしく、反応に困る。
「子供がひとり立ちしてから暇になってのう。幼い頃の夢を思い出して、本気で叶えてみようと仕事も辞めて研究に打ち込んだのじゃ。いつの間にか妻も家を出ていって、ワシはひとりぼっちになって……それでも研究に心血を注いだ。そうして数十年。ようやく終わりが見えてきたというのに、ワシは枯れてしまった……」
床に手をつき大粒の涙を溢す。哀愁漂うその姿に同情の目を向ける者はこの場に一人もいなかった。
「今のワシが女子風呂に突入したところで何もできんわい。じゃからずっと探していた。この装置を完成させられる技術を持ち、きちんと使ってくれる若い男を。そしてようやく見つけた! ワシの夢の結晶を託せるのはお前さんしかおらん!」
「なんで俺なんだ。今、会ったばかりの若造だぞ」
「ワシの目にはわかる! お前さん、身内の
「慧眼ですね」
ボソリとアルラが呟いた。余計なことを言いよってからに。
「この装置を使ってお前さんがワシの分まで遊び倒すのじゃ!」
「未完成とはいえ革命と呼べる技術だぞ。公開すれば世界がひっくり返る。世のために使おうとは思わないのか?」
「バカもん! 革命とも呼べるからこそ独り占めするべきじゃろうが! 有象無象に夢のマシンを使わせるでない!」
鬼気迫る顔で放たれたその言葉は、俺の中で強く響いた。
俺自身、世のため人のため、なんて崇高な考えでこの仕事をしているわけではない。ただ好きでやっているだけだ。この爺さんも自分の好きなことをひたむきに追い続けただけなのだろう。
動機は不純かもしれないが、その熱意と魂に心が共鳴する感覚を覚えた。
「……わかった。やれるだけやってみる」
「そうか! やはりお前さんも女風呂に興味があるのか!」
「そういうことじゃない」
熱くなった心が瞬時に冷める。
後ろのアルラからの視線も氷点下まで下がった気がしてならない。怖い。
爺さんは装置を託せる者をずっと探していたようで、多くの技術者の元を訪れては
金も宿のあてもないという老人をその辺に放り投げるわけにもいかず、装置が完成するまでの間はうちの倉庫で寝泊まりするよう勧めたが、「ワシがおってはお前さん、夜更かしできんじゃろ」と、爺さんは外にテントを張って野宿することを選んだ。理解あるのが微妙に腹立つが、おかげで
そうして次の日。溜まっていた依頼品の修理を午前中に片付けると、爺さん立ち合いの元、装置を実際に動かしてみることにした。
「えーっと、これをこうで、こうするじゃろ……? んで、ここの数値を……これで合ってるか?」
「知らん」
コードでリングに接続したタブレットを弄りながら俺に訊いてくる。俺が知っているはずもなく、必死に記憶を掘り起こす小さな背中を見守ることしかできなかった。
三十分ほどかけて準備を終えると、爺さんはコードを外し、リングをアルラに持たせた。
「とりあえずこの家の倉庫に座標を設定した。あとはボタンを押すだけで瞬時に移動できるぞ」
爺さんはそう言ってアルラに操作方法を説明するが、アルラはやはり半信半疑といった顔を隠せていない。昨日、マキナが本物と証言したとはいえ実際に作動させるまでは懐疑的な目で見てしまうのも無理はない。
俺も期待半分、疑心半分な気持ちでアルラを見守る。
「では……行きます」
アルラはキリッとした目で告げると、リングに取り付けられた小さな青いボタンを押す。
途端、リングが浮かび上がり、アルラの頭上で高速回転した。天使の輪が光り輝くような、荘厳な光景に俺とマキナは固唾を飲む。
次第にアルラの体はリングから溢れた光の粒に包まれていく。
そして。
ヒュンッ――!
風を切るような静かな音と同時に。
「あ。すまんすまん。調整ミスで首だけ移動してもうた」
「ジジイ! 俺だったら即死してたぞ⁉︎」
「そうカリカリするでない。まったく。最近の若いもんは短気でいかん」
洒落にならないミス。
流石に爺さんに掴み掛かったが、爺さんは悠長にタブレットを弄って再調整を始めた。
急いで倉庫へ向かうと、倉庫の中心でアルラの頭が横に倒れて転がっていた。アルラはいつもの真顔のまま、冷静に口を開く。
「……どうやらちゃんとテレポートは出来るそうです」
それ以外が致命的だ。安全を確保する機能はマストで付けなくては。
その後も何度か物を転送させ、装置の機能を細かくチェックした。設定さえミスらなければ、生活が一変するほど便利なアイテムだ。設定さえミスらなければ。
しかし、爺さんやマキナも言っていたとおり、このリングは未完成だった。
「送信はできる。問題は帰りだ。装置が一個しかない今、元の場所へ帰ってくる方法がない」
爺さんが書いた設計図や操作マニュアルを作業台に並べて確認しながら、俺は腕を組んだ。隣で少し高めの椅子に座る爺さんが、「うむ。どうしてもそれが出来ん」と深く頷く。
向かいに座るマキナがそっか、と頷いた。
「この子はここにしかないから帰ってくる時はこの子がいない場所から戻る必要があるものね」
「ああ。装置から離れている状態でも使用者を認識して戻す動作をしなきゃいけないんだが、その方法が思いつかない」
「研究所とやらにあるテレポート装置はどうやってるの?」
「あれは各地に同じ装置を置いてるんだ。装置AからBへ。BからAへ。そうやって送信だけ行うことで元の場所へ戻ることを実現させてる。一つの装置だけで完結させてるわけじゃない」
「送り合うキャッチボールってわけね。で、今苦戦してるのはボールを投げて、それをどうやって回収するかってこと」
マキナの要約に頷き、唸り声を上げながら考える。
ちなみに言うと、ただ一方向へ送信するだけでも画期的であることに変わりはない。配達は一瞬で済ませられるし、爆弾を直接送りつける、なんていうテロ運用までこなせるのだ。ゾッとするほど便利ではある。
だが、平和的な使い方を考えると、どうしても帰ってくる機能は欲しかった。例えば遠方の旅行先に跳んだとしたら、帰りも瞬時に家に戻りたい。怠惰極まりないし、旅行の面白さを殺している気もするが、それでもやっぱりストレスフリーを求めてしまう。
「これをもう一つ作るというのは?」
アルラが提案するが、俺は首を横に振った。
「考えてはみたけど数十年かけて作られただけあって、複製するにも金と時間がかかる。仮にボタンに土下座して金を工面してもらったとしても、完成する頃には爺さんが死んでそうだ」
「いかんぞ⁉︎ ワシが死ぬ前に作らんか! せめて一度でいいから完成した装置でテレポートを体験したいんじゃ!」
「わかってるよ。だからこんなに悩んでるんだ」
幾らでも時間をかけられるのであれば、ほんの少しの思いつきを片っ端から試せる。だが、時間も金もシビアだ。
画期的なアイディアを絞り出そうと、爺さんも交えて俺達は議論した。あっという間に三時間、四時間と時間は過ぎていき、脳の疲労感だけが蓄積されていく。
ジッと考えるだけというのも辛くなってきて、目下、手を加えられそうなところからやってみることにした。
「とりあえず、人の首が吹っ飛ぶことがないように調整しよう。でないと試運転のたびに冷や汗が止まらない」
「こうしとる間にもワシの寿命は……」
「焦らせないでくれ。というか爺さん、何歳なんだ」
「今年で九十五じゃ」
見た目からすると妥当な年齢にも思えるが、エネルギッシュな言動からすると、大分若く見える。アルラも「お元気ですね」と感嘆の言葉を漏らす。
「ほっほっほ。そりゃあ、毎日ロマンを追い求めておるからのう。人間、夢を忘れた時が老いる時よ」
髭を撫でるその姿に、仙人のような威厳を感じた。
昨日からハッとさせられる言葉ばかり聞かされている。年の功というやつだろうか。
「本当は自分一人で完成させたかった。じゃが、もう死に際が見えてきた以上、誰かに頼らねばならんのが悔しくて悔しくて……じゃからこそ、何としても完成したコイツの姿は拝まなくてはならん。中途半端な終わり方だけは死んでも嫌じゃ」
「いつから研究し始めたんだ?」
「四十過ぎた頃……いや五十手前か? 忘れたわい。とにかく人生の折り返しでスタートした。元々ワシはド田舎出身で機械に疎くての。何もわからんところから独学で始めたんじゃ。パソコンでプログラミングを学んで、同時に物理学や板金なんかも始めた」
「…………」
「家庭のことも考えず打ち込んだせいで妻は出ていった。妻には悪いことをしたと思うとる。でも後悔はなかった。自分で選んだ道じゃからな。じゃが、唯一後悔していることがある」
爺さんはグッと残り少ない本数の歯を噛み締める。苦しみに歪む表情に「それは?」と、訊ねた。
「夢を思い出すのが遅すぎた。『何かを始めるのに遅すぎる、なんてことはない』と聞くが、ワシは明らかに遅かった。もう十年早く始めていれば、一人でコイツを完成させられたと思うのじゃ。……良いか、若いの」
爺さんはおもむろに俺の顔を見上げて、まっすぐに目を合わせてくる。
「今のうちに夢を持て。どんなふざけた夢でも良い。今から追い始めれば、死ぬまでには間に合う」
「あいにく、爺さんみたいに熱量持てる夢はない。今みたいにのんびり暮らせれば、それでいい」
「けっ、お前さんも枯れてるのう」
「一緒にするな。潤ってるよ」
昨日の夜だって、そこの二人に五発は持ってかれたんだぞ。