作業台の上に銀色の物体が置かれている。青白く光る幾何学線が入ったそれは、メカメカしい見た目で俺たちの前に立っていた。
「忘れてたな、これ」
「いつになったら調べるのだろうと、思ってました」
「思った時点で言ってくれ……」
俺と同じようにジッと銀の物体を見つめるアルラに、ため息混じりに言った。
空き地で謎のタンブラーを拾ってから数日が経っていた。散歩の帰りに酔い潰れて倒れた俺の代わりに、アルラはきちんと家まで持って帰ってくれたようで作業場の壁際の棚にポツンと置いてあった。ただ酔い潰れたせいでその存在を忘れていた俺は、棚の前を通って何度か目にしていたはずなのに、無意識にスルーしていた。
思い出したのはついさっき。ふと棚の上に目をやって気づいて、ようやく手に取った。
改めて見ても、謎の装置だ。捻ると中から全裸の女の子が出てくるなんて見たことも聞いたこともない。アルラも目の前の物体に心当たりがないと言うし、どこからどう調べようか手の付け所に困った。
とりあえず、もう一度あの女の子を出すことにした。彼女に聞くのが最も簡単で早い方法だ。
タンブラーを持ち上げて、ヒンヤリとした金属の冷たさを感じながら、先日と同じく右に捻ってみる。
当然のように眩い光を放つと、作業台の上にあの女の子が現れた。もちろん全裸で。
「で、出れた……おい、こら。そこのバカップル」
現れるや否や、赤毛の女の子は台の上で胡座をかいて俺とアルラを睨みつけた。ぷるんと胸が揺れて目のやり場に非常に困る。
「なんで数日放置してやがった」
「悪い。完全に忘れてた」
「こんにゃろー、こちとら神だぞ? 信仰心もねえ上に倫理観も死んでんのかよ現代人は。普通、人の見た目してる物体が吸い込まれたらすぐに元に戻すもんだろ」
「悪かったって。とりあえず話をーー」
「これだから最近の若者は〜とか言う老人がなくならねえんだよ。普通のことを普通にしてれば偉いのに、その普通が出来ねえ奴ばっか」
「ちょっと落ち着いてーー」
「あ。あれか? 『まず普通の定義ってなんですか? あなたの普通と私の普通って違いますよね? 私は私なりに普通に生きてますけど』とか言っちゃう感じですか? 普通は普通じゃろ。普段、定義も定理も停止も考えないくせにこういう時だけ一丁前に難しい言葉使いやがって。これだから最近の若者はーー」
悪いスイッチが入ったのか女の子は一方的に言葉を浴びせてくる。さすがに話が進まないのでタンブラーを捻った。スポンっ、と女の子が吸い込まれて数秒経った後、もう一度出す。
今度は床に正座した状態出てくると、シュンと縮こまって女の子は頭を下げた。
「すいません調子乗りましたごめんさい……」
「はい。謝れて偉い」
◆
やっと落ち着いた女の子にとりあえず俺のシャツを渡して着てもらうと、彼女は淑女のようなお淑やかさで椅子に座って咳払いをした。
「コホンっ、まずは自己紹介からね。私の名前はマキナ。正真正銘、神よ」
「神?」
「そ。機械を司る任を与えられ、その役割に生きる神様です」
マキナは優しく微笑みながら胸を張って主張するが、俺とアルラは顔を見合わせて、お互い訝しんだ。
「機械の神なんていきなり言われてもな」
「ま、信じきれないのも無理はないわ。今の時代、そういう超常の存在を信じる人間なんていないもの」
「仮に君が言っていることが本当だとして……なんで神様がこのタンブラーに入ってたんだ? というかこれはどういう代物なんだ」
「タンブラーって……せめてカプセルとかケースとか言いなさいよ。それは私の信仰者が造った仮の神座。その中に私を降ろして祭壇に祀っていたの。御神体とか依代みたいなイメージね」
「……もしかして結構とんでもない物拾った?」
「とんでもない物拾ったわね。もし私の信者に知られたら、今すぐにでもすっ飛んできて、あなたは殺されて神座を奪われるわ。信者ですら選ばれた人間にしか触れることは許されないのに、信仰のないあなたが持ち帰ったなんて大事件だもの」
ニヤリと不適な笑みを浮かべるマキナに冷や汗がどっと噴き出る。急にのしかかる命の危機に冷静さを欠いてマキナに叫んだ。
「そ、そもそもそんな大事な物、なんであんな所に落ちてんだよ! こんな流れで殺されても納得できるか!」
「安心しなさい。さっきも言ったけど神を信じる人なんて、もういないわ。私の信者も時代と共にいなくなっちゃった。神座があの空き地にあったのは、教会にあった神像とか教典とかと共に処分されて、流れに流れた結果、あの場に行き着いたからよ」
「……ならこれはどうしたらいい? そんな曰く付きの代物、君の宗教がもう無いとしても扱いに困る」
「捨てれば?」
「そんな軽いノリで……一応、信者が造ってくれた大切な神座なんだろう?」
すると俺の言葉にマキナはカッと目を見開いて立ち上がり、髪の毛を逆立てて吠え始めた。
「はあ⁉︎ なーにが大切な神座だこのヤロー! こっちはね、四百年近くその中に監禁されてたんだよ‼︎ 頼んでもねえのに『マキちゃん。明日もおいで』とか呼ばれて教会行ったらいきなり見たことねえ機械に抗う術もなく吸い込まれて、そのまま四百年だぞ? 捨てちまえよそんな非人道マシン‼︎」
四百年。確かにいきなり閉じ込められてその年数一人きりというのは恐ろしいでは済まない話だ。自分がその身だったらと考えるとゾッとする。とはいえ――。
「それは可哀想だけど……。でもそんな分かりやすい誘拐犯の常套句みたいな言葉に神様が釣られるなよ」
「神座に閉じ込められる前は人間だったんだよ」
「……どういうことですか?」
それまで黙っていたアルラが思わず口を挟んだ。
マキナはもう一度椅子に腰を下ろすと、苦々しい表情でその過去を明かした。
「私は純粋な神じゃない。元々はこの見た目の通り十七歳まで生きた普通の……本当に普通の人間だったんだ。優しい両親がいて、可愛い妹がいて、生意気な弟もいた。学校にはムカつく教師と仲の良い友人と、ちょっと気になる男子がいて、毎日なんの不自由もなく楽しく暮らしてたんだ。でもある日、私の見た目がたまたま『機械の神に似てる』って理由で叔母さんに教会に連れられてさ。それでなんか偉そうな人たちと会って、明日もおいでって言われたんだ。普通に優しそうな人達だったし、無理に勧誘とかしてくるわけでもなかったから、ちょっと喋るぐらいならいいかと思って次の日も教会に行ったら……男の人たちに身包み剥がされて『神は穢れも受け入れてくれる』だのなんだの言われてレイプされて、そのまま神座に閉じ込められて、気づけば四百年だ」
言葉を失った。
俯いて翳るマキナの顔には神聖さのかけらも感じられず、普通の女の子の苦しむ姿にしか見えない。その姿が余計に俺の心を痛ませた。
「神座に入った時はまだ普通の人間だったけど、毎日色んな人が私に祈りを捧げて、感謝を述べて……そうやって信仰されることで私は本当に神になった。不老不死の体と神力を手に入れたってわけさ。純粋な神じゃないから力は大したことないけど」
そう言ってマキナはアルラの手を取った。重なった二人の手が淡い光に包まれる。そして数秒するとマキナは手を離した。
「……なるほど。あんたも捨てられたんだな」
「分かるのですか?」
「力の一部だよ。機械の記憶を探れる。……良かったな。大切に扱ってくれるマスターに出会えて」
マキナはまるで姉のように柔らかい微笑みをアルラに向けた。アルラは少し驚きながら「そうですね……」と自分に言い聞かせるように呟いた。
「…………」
シン……と静まり返る作業場。マキナの話がひと通り終わると話の重さもあって、三人(というより一人と一機と一柱?)の間には喋りづらい空気が流れていた。あまりにも気まずい空気に俺は流れを変えようと、わざとらしく咳き込む。
「こ、コホンっ。とりあえず、もうお昼だし昼食にしよう。マキナも食べるか?」
「いいの? 何も食べなくても生きていけるけど」
「豪華な食事は出せないけど、うちのアルラの料理は美味いぞ。四百年ぶりに食べるだけの価値はある」
「た、食べる!」
マキナは涎を垂らしながら目を輝かせた。
◆
マキナはレアに焼かれたステーキを驚くほどの早さで食い尽くした。
アルラの手料理を彼女は気に入ってくれたようで、二人前じゃ足らず俺の分まで半分ほど食べてしまった。食事の楽しさを四百年ぶりに思い出したのだから、この食べっぷりにも納得だ。……無断で俺の皿に手をつけたのはいかがなものかと思うけれど。
付け合わせのトーストをコーヒーと共に味わいながらマキナは優雅に足を組んで俺に視線向けた。
「ナオ。あなた修理屋してるんでしょう?」
「そうだけど……なんで知ってるんだ? 名前も教えたっけ?」
「アルラの記憶で見たわ」
「そっか。便利だなその力」
「私も初めて使ったわ。結構エグいわねこの能力。間接的にあなたの男性器まで見る羽目になった」
「ごほっ、ごほっ! ど、どこまで見えてんだよそれ」
「全部よ。胸に擦り付けるのが好きなんてとんだ変態ね」
ニヤニヤと笑いながらマキナはトーストの最後の一欠片を口に投げ入れて飲み込む。
俺は自分でも分かるほど顔を赤く染めると、彼女の目から顔を背けて平心を取り戻そうとした。
「ま、気にしなくていいわ。こっちは四百歳越えのお婆ちゃんだもの。今更、人のセックスぐらいでどうこう思わない。なんなら罰当たりな信者が神座の前でヤってたこともあるしね。そいつらには性病にかかる呪いかけておいた。そんな力ないけど」
「……てっきりレイプ云々の話が出たからそういうのを嫌ってるかと思ってた」
「所詮は大昔の話よ。時間が経てばトラウマは消える。……もちろん根に持ってはいるわよ? 数年で外に出てたら真っ先にあの連中ぶっ殺しに行ってたのに。残念」
世間話ぐらいのトーンで語ってはいるが明確な殺意が感じられた。そう思うのも仕方ない、なんて他人事ながらに思ってふと気になった。
「これからどうするんだ」
「どうって?」
「やっと外に出れたんだ。自由の身だろう?」
「そうね……あんま考えてなかったわ。神座が何もなくて退屈だったからとにかく外に出たいとしか思わなかった」
マキナの言う『あの連中』は当然とっくの昔に死んでいる。もしかするとその末裔とかに殺意の矛先が向くのかもなんて思ってしまったが、どうやらそんなことはないらしい。
口元に指を当てて彼女は少し考える。ウェイターよろしく俺のコップに水を注ぐアルラをチラリと見て、マキナは言った。
「しばらくこの家に泊めてくれないかしら。美味しい料理も出るし、色んな機械とも会える。悪くない宿で気に入ったわ。私が居たらあなたも助かるでしょう? こんなに機械修理に便利な助手も居ないもの」
「居住スペースは狭いぞ。ベッドだって一つしかない」
そう言うと、マキナは突然宙に浮いて空中で横たわった。
「その辺で寝るから心配無用」
「……さすが神様」
全てを疑っていたわけではないが、この時初めて超常の存在なんだなと実感した。
◆
時刻が二十三時を回った頃だった。ナオが完全に眠りに入ったことを確認して、アルラは音も立てずに小屋から出た。
真っ暗な作業場にはふよふよと浮いている神が一柱。修理された犬のロボットを手に取ってジッと眺めていた女神は、無音で近づくアルラに気づいて振り返った。
「彼の側に居ないの? いつもじーっと寝てるの眺めてるのに」
「すぐに戻ります。……本当の目的はなんですか?」
アルラが鋭い目を向けて神に問う。マキナはキョトンと首を傾げて聞き返した。
「目的?」
「こんな所に滞在する理由が分かりません。悪くない宿と言っていましたが、神様がただの修理屋の家にわざわざ留まるものでしょうか」
主人の身を守るためか、分かりやすいほど警戒的なアルラにマキナも真剣な目で返した。
「……目的、というほどのものじゃないわ。ただ単にあなたがこれからどうなるか、見届けたくなっただけ。記憶を見て勝手に親近感覚えちゃったから」
「……そうですか」
「何よ。これじゃまだ納得できない?」
「神様のお戯れということで飲み込んでおきます」
飲み込んでおく、とは言うもののアルラは相変わらず姿勢を崩さなかった。「この女神は真意を隠している」と、顔にそう書いてある。
そんなアルラに嫌気が差したのかマキナは観念したように深々と息を吐いた。
「……はあ。分かった分かった。教えるっての。本当の理由」
宙で胡座をかいて頭を掻きむしるマキナにアルラはより一層、警戒を強くした。答えによっては例え神が相手であろうと、事を起こすのも辞さない覚悟だった。
「実は……」
二人の間に緊張感が漂う中、マキナがゆっくりと口を開く。
「ナオ、めちゃくちゃ好みの見た目してんのよね……」
「……は?」
予想外の回答に、思わずアルラが声を漏らした。
ポカンと疑問符を浮かべて固まるアルラ。そんな彼女をよそに、マキナは顔を蕩けさせながら一人で捲し立てる。
「いや、私もビックリしてる。四百年間、セックスどころかひとりエッチもしてなかったからか、生身の男にちょー興奮してる! しかもさあ、あんたの記憶でプレイの数々見ちゃったもんだからもう、心のおまんこ潮吹きーって感じ! 分かる? ねえ、分かる⁉︎ このトキメキが! 私の声を聞いて、会話してくれて、体に触れられる若い男が四百年ぶりに現れたんだぞ? しかもナオってまだ童貞なんでしょ? 余計に興奮する! なんかの間違いで挿れてくんないかなあ……。はあ♡ 脳みそシビれてメスのフェロモン溢れちゃう♡」
「…………」
「あ、そうだ。そのうち三人でセックーー」
「結構です」
馬鹿馬鹿しくなったアルラは会話を打ち切って、早足で小屋に戻った。