――善人は報われるべきだ。正直者はバカを見ちゃいけないんだ。
赤い水がとくとくとボクの足元を流れてゆく。
さっきまで人の体の中に流れていたのモノ、ヒトの命を命たらしめる原動力。それを、ボク自身が足元にある命を終わらせてやったのだ。
よこたわる死体はもう何も言わない。忌々しく、憎たらしい、愚か者はもう二度と目を覚まさない。
これでキヴォトスの平和は守られたのだ。もう、この悪しき悪魔に彼女たちが穢されることはもうないんだ。
※
「んー、キミ大丈夫? ここら辺は迷いやすいからねぇ。スマホのアプリにはちゃんと地図が載ってるんでしょ? ちゃんと使わなきゃダメだよー?」
休日にばったりと出くわした桃色髪の少女。かつてはマンモス高として知られたアビドスに通う三年生が、道に迷っている僕を助けてくれた。
救出といっても大げさな話じゃない。キヴォトスの治安は悪いのだから、銃はしっかりと携帯しているし、避難した際の非常食や道具もしっかりと用意している。それでもここへ来たのは、実は目の前にあるあなたに一目でもあってみたかったから、とは口が裂けても言えなかった。
「いやー、キミも運がいいねぇ。おじさん、普段はのんびり屋でこの道もあんまり歩かないんだよねぇ。今日はみんなと待ち合わせの場所に行って、町でショッピングをって思ってたんだけどさぁ」
聞いても居ない言葉を、のんべんだらりと語る彼女の声色がとても耳に心地よい。
まず、彼女はボクのひとめぼれの相手だった。だいぶ前にブラックマーケットで流通している販売中止となったゲームを購入しようとし、その際にヘルメット団に絡まれ……たまたまそこに居合わせた彼女の、ホシノさんに助けてもらったことが始まりだったのだ。
「あ、あのっ、ボクなら大丈夫です。あとはもう、一人でいけるんで……」
「そう? うへ、男の子は強いねぇ。じゃ、おじさんはもう行っちゃうけど……迷わずに帰るんだよ~」
聞いてるだけで心地よい言葉が耳をくすぐらせながら、彼女は去っていった。
ホシノ先輩、ボクはあなたと違う学園の男子だけど、本当はずっと前から好きだったんですよ。あのアビドスって学園がほぼ廃校同然であることを知りながら、それでもアソコに留まり続けて健気にも残った後輩同士で守り続けるその姿……
それより昔の姿は見たことはないけど、それがボクの知っているホシノ先輩だった。あの人のそばに居たい、彼女を支えたい、ボクが、ボクが、ボクこそが……
なのに、あいつが、あの『シャーレの先生』が来てから全部狂ったんだ。
「――あっ、あっ……せ、せんせっっ……。ぅああぁっ……」
シャーレの先生は、自分のところの任務を担当させるために、各学園に実力のある生徒に募集をかけている。選ばれた男子、女子生徒たち。ボクも、その中の一人だった(ただ、シャーレ基準でいえばボクの強さのランク付けは星1個らしい)。
そうなれば、盗聴器をしかけるのなんて容易い。中で何が起きているのかなんて、わかる。
自室でPCをいじりながら、現在シャーレのオフィス内にて拾い上げている声がボクの耳に届く。それは、オフィス内で行われている真実を暴いていた。
あいつは、生徒に手を出していた。『ボクのホシノ先輩』に手を出してやがったんだ。
盗聴器の向こうから聞こえる声は、今まで聞いたこともないくらいに甘ったるい声を響かせていた。のんびりとした声色のホシノ先輩は、心から甘えるように大人である先生に心も体も預けている。披裂の中をかき乱される快感をこれ以上ないくらいに、感じまくってるんだ。
あいつが、あいつさえ来なかったら、本当はボクが手に入れられた憧れの人の純潔を、こいつが奪いやがったんだ。
「……っ、ホシノ……、今日はやたら甘えてくるね……」
落ち着いた、静けさを感じさせる大人の声。このキヴォトスの中で唯一先生と呼ばれる者が、『ボクのホシノ先輩』に甘い声をかけている。
「……怖い夢でも、みたの?」
声だけで部屋の中を調べようもない。それでも、あの人の穏やかな顔つきが、見たこともないくらいに乱れている濡れた髪と瞳をアイツに向けていることはいやでもわかった。
「……あ、の……そうじゃ、ないんだけど、さ……」
「おじさんさ、不安になる時があるんだ。みんな大変で、何とかしなくちゃって時に……一人で楽しんでいいのかなって……ずっと、思っててさ」
「幸せで、楽しくて、なのに知れば知るほど怖くて、おじさ、ん……おじ……っ、わたしっ……」
震えるような旋律が、音の向こうで聞こえてくる。怯えるように身をすくめた態度が、聞く者の心を震わせてしまう。
なんで、なんでだ。なんでその気持ちや想いがボクに向けてくれないんだ。ボクならこの人の心を救える。金のツテならばこっちにだってある。ボク個人には資産がある。それがあれば、アビドスも救えるしホシノ先輩の心を救えたのだ。なのに、その直前にアイツが来たんだ。
本当だったら、そこにいるのはボクのはずだったのに。
あいつは、生徒の自主性を尊重するだなんていって根本的に解決してくれないじゃないか。
ふざけるな、何が先生だ。
「……ホシノ、おいで。泣きたかったら、いくらでも受け入れてあげるから」
「……ぅあ、ぁああぁん゛……っ、うわぁ゛っ……っ゛」
泣いてる、ホシノ先輩が泣いている。本当だったら、本当だったらそこにいるのはボクなのに、あとから全部かっさらっていったあいつが、ボクより弱いアイツなんかが、ホシノ先輩の涙を拭っている。
「おね、おねが、ぃ゛、だからっ……っ、せ、せんせぇ、は……し、死なないで、っ゛……わ、わだしっ、ず、ずっど、っ……いっしょにっ゛……」
しゃくりあげる声が、ずっとずっと響いている。寄り添う彼女の心は、ずしりと先生だけを乗せている。
――ふざけるな……
あんなのが、あんなのがボクの先輩を奪っていくのか。
あいつがどんな奴なのかボクは知っている。ぼやっとしていて気まぐれで、そのくせ力なんてキヴォトスの生徒の中では誰にも勝てない。金の扱いだってだらしないからと生徒に説教されているのを何度か見たことがある。
一体コイツが何を成し遂げたと言うんだ、何が出来るっていうんだ。
※
「……それで○○。どうしたのかな、こんな時間に」
次の日の深夜、ボクは手土産のシュークリームと共にシャーレに訪れた。
煮えたぎるばかりの怒りの炎。それを一つとして悟られず、ボクはここに来れた。
なんせ、おやさしい先生のことだ。悩みがあると言えば深夜作業であろうと聞いてくれるのだから。
「……先生、それってスケジュール表ですか?」
「あぁ、当番表だよ」
見せてください。そういったら、先生は驚くほどに素直に見せてくれた。
そこに書かれていたのは、ボクでも聞き知っている名前の数々だった。有名校であるトリニティのトップ、ゲヘナの風紀委員、ミレニアム最強の掃除屋チームにセミナー、百鬼、レッドウィンター、山海経、そしてあの七囚人……そんな上に立つものたちすら、この当番表の名前につらねている。
それは、つまり、こいつは……この人たちも……
「先生って、人気あるんですね」
「あははは……そういわれると照れちゃうね」
大したことはしてないと言わんばかりに頭をかりかりとかきながら、デスクの上のコーヒーを飲みほしている。
だぼっとした印象を受ける、もさい大人だ。資料の束の数々は山のように積み重なり、これを全部処理しなきゃいけないなんて大人は大変だ。
なんと非効率かと鼻で笑いそうになる。デジタル化によってペーパーレスが進められるこの時代、いまだにこんなアナログなやり方しかできないのだから頭の固い大人はイヤになる。
「……先生、この世は理不尽ですね」
つぶやいた言葉の意図を察せられず、困惑している。
それでいい、お前みたいなのがボクの気持ちなんて一生分かりっこないだろう。
「マジメに勉強して、誠実な人付き合いをして、資産を持ち合わせていても決して恵まれるわけではない。正直者ほど馬鹿を見る、それが世の中の真理なんでしょうね」
この言葉に嘘はない。
ボクはずっと真面目にやってきた。勉学においても、将来においても、すべてに妥協をしたことがない。
だけど、意中の人は事故も同然の出来事に合い、その心を無常に奪われた。こんな無価値な大人に。
「それは違うよ」
大人が、ボクの考えを否定した。
「真面目だから報われるわけではない。それは本当のことだ。でも、真面目で居続けるという気持ちだけは、絶対に失っちゃいけない事なんだ」
反吐が出るほどの優し気な言葉に、穏やかな笑みと共にボクに向けてきた。
「心配事、あるんだよね。言ってみて。聞いてあげ――」
「じゃあ、死ねよ」
――ぱんっ……
渇いた発砲音と共に、彼の端正な顔、それも瞳をかすめた。
「生徒の悩みを聞いてくれるんですよね。ボクの悩みを晴らしてくれるんですよね」
「じゃあ死ねよ。お前みたいなぐうたらで不真面目な奴が、キヴォトスの生徒に好かれていいはずがないんだ。分部不相応な身分のくせに、ボクより弱いくせに出しゃばるな」
「誰よりも真面目で、報われるべきのボクを苦しめやがって。血を流しながら悶えるのがお似合いだよ、お前は」
悶えてる、片目を抑えながら床を転がっている。痛みに苦しみながらあえいでいる。
いいざまだった。溜飲が下がる。この光景を、ずっと前から見ていたかった。
……ふいに、ボクの足元に何かが落ちた。
「……水族館のキーホルダー?」
それだけじゃない、いくつものお土産や、思い出の品物の数々がデスクの中から出てきた。そのどれもこれもが、生徒の想いでの数々だろう。
「やめ、やめ――」
這いつくばりながら、ずるずると近づいてくる。
もはやただの芋虫だ。こいつにはなんら価値がない。顔だけで見ていたであろう生徒も、こいつに幻滅するはずだ。
さぁ、聞かせろよ命乞いをさ。みっともなく助けてくれって言えば考えてやらないぞ。
「な、んで……ど、したの……」
優しい声が、言葉を紡いでる。
「おね、が……だか、ら……きか、せて……き、ぃて……あげ、るから……」
「も、こんな……こと……しちゃ、だめ……」
「いま、なら……もど、れ――」
「死ね、うざいんだよお前」
――ぱんっ……
ずるずると血か涙かわからないものをまき散らしながら、這いずって足を掴んでこようとしていた。さいごまで惨めったらしく、もがくことをやめなかった。
最後まで、生きぎたなく気持ちの悪い奴だった。あんな時まで先生面しやがって聖人君子のつもりか。
これじゃあ、女子生徒を守るためにここに来たボクが悪者じゃないか。
血が、広がる。
命だったものが、こと切れる。
もう、このキヴォトスに先生はいない。
「……あぁ、よかった。これで、みんなも目が覚める。あぁ、そうだ。正直者がバカを見ちゃいけないんだ……ボクみたいな善人は報われるべきなんだ……」
安寧、安堵、安心……ボクの胸が満たされていく。これで、これで汚らしい奴は消えてなくなった。
もうキヴォトスの女子生徒を穢す奴はどこにもいない。ボクが、ちゃんと正したんだから。
大丈夫、きっとみんなから感謝されるさ。