寒くなる季節、肌をくすぐるような寒さが体を締め付けた。
身も震えるような凍える空気は、実はそこまで嫌いじゃない。砂漠地帯でもあるこのアビドスの自治区では夜になれば極寒。この環境で暮らす生徒や住民にとっては、レッドウィンターほどではないけれど寒さに対して苦を感じない。
ただ、慣れているのであって寒いものは寒い。身をすくめたくなる空気から逃れたくなって体を寄せる。自分で自分を抱きしめていると、寒い物から守ってくれる。私自身が学んだことだ。
慣れることは、大事なことだ。過酷な状況下に置かれて、追い詰められた戦場の中で、自分を奮い立たせて立ち向かうためにはいつだって一人で立つしかない。
いつも、そうだった。昔から、そうだった。
『あの人』を失ったあの日から、ずっとそうだった。
貫く寒さがジッと体を追い詰めて来ても、心を蝕む痛みよりずっと楽だった。苛まれる肌の痛みが、自分を許してくれる気がしていた。
なのに、あぁ、なのに。私は楽しむことを教えられてしまった。教えてくる人が出て来てしまった。
「先生」
夜のアビドス、ふらつく足で歩きながら私は誰もいない彼の名前を呼んでしまう。
ここにはいないのに、言えばすぐにでも返事を返してくれる。そんなことありえないのに、私はそれを期待してしまう。
あの人はいつもそうだった。寒さに慣れてたたずんでいた自分に温かさを教えてくれて、ジッと見下ろして見守るだけでいいと思っていた自分に触れることの、温かみの溺れる弱さをとんと沈めてきたのだから。独り言をつぶやいて、来てくれないなんてありえないなんて、考えてしまう。
眺めるように見つめていた視線が、見つめ返してくれることがうれしかった。
手を伸ばしたら握り返してくれることが何よりもうれしかった。
揺蕩う海の世界を共に歩いてくれたことが、いっそ怖く感じて、消えてしまいたくなるくらいに幸せだった。
自分の歩く道にあの人がいて、わがままを受け入れてずぶずぶと放り込まれるようなうれしさに胸が締め付けられる。
ほんとうに、もっといっしょにいていいの、と。いいたくなる。
「……あいたいな」
ふいに湧き上がる気持ちが、ふつふつとしてくる。こんな突発的な想いは、いつも突然クる。
先生のせいだ。先生が、甘えようとしたら受け入れてくれるから。顔に胸をうずめ、指を絡ませて、止まらなくなった少女を女として受け入れてくれるくらいに。
だから、これも先生のせいなんだ。いつのまにか走っていて、シャーレとの距離なんて関係ないって思っちゃうくらいに、私は寂しさで冷たい肌を温めるあの人の影を追おうとして――
スマホが、鳴った。
「……! 先生……!」
モモトークからの着信。あの人からのメッセージ。
百人にも満たない、シャーレに就く生徒たち。その中でメッセージを私だけに寄越してくれた。
うれしい、心の底から、飛び跳ねちゃうくらいに。
あいたい、あいたいよ。あって、誰よりもわがままになって、冷たさに慣れなくなっちゃって温もりにおぼれた肌の責任を取ってよ。
だから、先生――
『ホシノ先輩でしょうか。これを読んだら、すぐに来てください。先生が――』
※
瞼の裏には幸せの未来が描かれるなんて、少し前の私には考えられない事だった。
寒さに晒された私は、きっと誰にも胸中を打ち明けることがないままこの荒野を守り続けるんだと打ちひしがれていた。
それで構わないとも思っていた。それで、みんなを守れるのなら、それで、それで……
だから、手を差し伸べてくれたあなたの、先生のぬくもりが、とても怖かった。
自分が幸せになっていいのかな。みんなのことを考えなくちゃなのにって、何度も頭の中でループすることを止められなかった。
でもね先生、先生がそれを止めてくれたんだ。私に、わがままになることを先生が教えてくれたんだ。
胸中のシアワセを、体のぬくもりを、先生を悦ばせてあげられる女の子としても知っちゃったんだ。
ねぇ、先生。私ね、たまに頭の中で思い浮かべちゃうんだ。
将来はね、アビドスの問題も解決されて、たくさんの人たちがこの街に暮らしてるの。活気のある学園にはたくさんの生徒たちが来て、対策委員会の子たちも充実した生活を送れている。それを、私は卒業してたくさんの人の見おくられながら社会人になって後輩たちを見守る大人になるんだ。
そしてね、そしてね、これは恥ずかしくって言えなかったんだけど、先生の横にはね――
私が、いるんだ。
たくさんの人に祝福される結婚式を挙げてね、アビドスにあるオアシスの近くで挙式をあげるの。それで、ハネムーンは権利的にも問題もなくなってクリーンなアビドスリゾート。先生と私の家も建てて、子供もたくさんできて、そして……
綺麗でにぎやかなアビドスに、子供たちを通わせてあげたい。そこには、いつだって先生がとなりにいてくれるの。
ねぇ、信じられないよね先生。私ね、そう考えちゃうくらいに先生に毒されちゃったんだ。
だからさ、これからもずっと一緒にいようよ。これからも、みんなのための先生でいてよ。
ねぇ、先生、ねぇ。
なんで、おきないの。
※
「……ボクが来たときにはもう、こうなっていました……」
シャーレのオフィスの中で、うなだれるようにしている少年……おそらく、後輩であろう子が残念そうにしゃべっている。
どこかであった気がする。でも、記憶の片隅を探っていられるほど今の私には余裕がない。
「銃は……先生が所持している護身用のモノのようで……あの、つまり……この状況は、だから、その……」
うそだ、うそだ、そんな、なんで。
だって、だって少し前まであれだけ元気で、モモトークや会話なんかでも、どこにも、なんの問題もなかったはずなのに。
襲撃や暗殺ならまだ『理解』はできる。でも、どうして、自分の手で、自分を。
おしえて、せんせぇ、おしえて……
「せ、んせ、だめ、だめだよ」
「おきて、おきて、ねぇ」
「おきて……おき、て……」
手に力が入らない。目の前に横たわる体は、確かに大人の男の人で、目の前に存在しているのに息が、命が、空気がない。
ただの、横たわる血だまりを産むだけのモノ。
私が、ずっと好きだった人。
「ぅ、あ……ぁ、あぁ……?」
声が出ない、舌が回らない、視界がぼやける。
頭の中で何度も描いては恥ずかしくて枕にうずめていた妄想の数々が、もうどこの世界にも実現しない、霞となって消えた。砂粒すら、残らない。
「あの、先輩……ちょっと、よろしいでしょうか」
声をかけてくる後輩に気づけない。
情報処理をするための頭のキャパを超えて、どうすればいいのか何度も考えた。
夢なら覚めて。はやく、起きて学校に、先生に合わなきゃ――
「これ、先生からのメッセージだと思うんです」
泣く暇を与えない後輩の声、ようやくになって私を、すこしだけ現実に戻した。
先生からのメッセージ。あの人の、最後の言葉……
手渡されたそれは、ちいさなUSBメモリ。近所にあるコンビニでさえ変える安物低用量のやつだ。
「……先生のPCにこれが使用されていたんです。その、中にはテキストデータだけが入っていて……その、各生徒たちに対するメッセージらしいんですが」
言い淀んでいる彼の言葉を無視して、すぐさまにPCに挿し込み、私は中のデータを覗き見た。
パスワードやロックもかけていない。すぐにでも中を見れる代物。だけど、こんな時間帯になってまでこのメモリで何をしていたのだろうか。
先生の業務上、こんな安物のUSBメモリを使うわけがない。むしろデジタル化できるデータならば、わざわざメモリよりもクラウドを利用したほうがいいはずだ。このデータが持ち運びするための目的か、もしくは――
誰にも見せたくなかった……?
「! 開いた……」
入っていたデータは一つだけ。50KBにも満たないテキストデータ。『無題』と書かれているだけのものだ。
この中にあの人の、隠していた真意が入っている……
なんでもいい、とにかく知りたかった。死んだ人間が生き返らないならば、せめて納得できるものを、せめて生きていたときの軌跡を少しでも追いたい。
意を決し、私はデータを開いた。
――これは、私が普段からため込み、隠しこんでいる本音を書き記しておくためのモノである
――本当を言えば、こんなものは誰にも見られたくない。それこそ、生徒の誰にも
――だから、吐き出したいものをここに記す
痛くなるほどに胸の内側が叩いてくる。
やっぱり、これは先生の本音だ。あの人は、ずっとため込んでいたモノを抱えすぎて……潰れてしまったんだ。
実際、シャーレの執務作業は膨大だろう。各学校とのやり取りに、訪問、さらには各生徒の個人個人に対する相談。これを、この人はずっと一人で成し遂げていたのだ。尊敬に値する。
あの人はずっと笑顔だった。誰よりも子供っぽいところもあったけど、誰よりも責任感があって、私たちを支えてくれる素敵な大人だった。
なのに、あの人を潰してしまう何かがあった。
それを、ずっとそばにいた私は気づけなかった……っ
悔しい、悲しい、だけれど知らなければ。せめて、せめて私だけでも知らなければ。
あの人を苦しめたのは誰、あの人を追い詰めたのは誰、あの人を死に追いやったのは誰だ――
――小鳥遊ホシノと呼ばれる生徒に、私はもうついていけなかった。
鋭い針が心臓を突きさすような痛みが襲う。
身構えた頭は凍り付き、息が止まりかける。
元凶、黒幕、諸悪の権現。その相手を見つけようとした私が目にしたのは――私自身の名前。
――この生徒の相手については以前からほとほと疲れ果てていた
――自分は何でもないと言いまわっておきながらかわいそぶるようにふるまう、自分は年長者だからなどと言いながらその中身は誰とも変わらない
――そのくせ、弱みを勝手に見せつけてきて、見苦しくも寄りかかってくる。邪魔くさいことこの上ない、ヘルメット団と何も変わらない生徒だ
――こんなのに好かれるなんて、私にとっての人生最大の不幸だ。コイツさえいなければ、私の負担も減ったのに。
なにそれ
なにそれなにそれ
なに、これ、なん……なんなの、え、これ……?
――体の発達も止まり、異様なオッドアイ、なんら可愛らしさもなければ愛らしさもない、女らしさのかけらもない体
――年を重ねたことが自慢だと言ってるが、中身が成熟してるだけで結局は子供だ。体と心が釣り合ってない
――こんなのよりもっと魅力的な女性はいる。本当だったら、こんな奴に付きまとってこられなければ、私は同世代の女性と付き合いたいのだ
――相談事を受けてやっただけで弱みをわざわざ見せつけてきたのだから迷惑この上ない
息が荒くなる、鼓動が速まる。
ぐじゅぐじゅの視界は、目じりに涙が溜まってることを理解させた。
それなのに、読み進める手が止まらない。
――水族館や海の趣味の時だってそうだ。私にはこんな趣味ありはしないのに、あのバカはチラチラと行きたそうにこっちを見ていた
――こっちだって本当はいきたくない。貴重な休日をこんなやつに潰されるなんて、屈辱だ
――楽し気にこっちを見ているのが憎たらしかった。あからさまな可哀そうアピールが憎たらしかった
――だけど、それでもこっちとしてはこんな惨めったらしいやつの機嫌を取らなければ任務に支障が出てしまうのだから
――……いい加減、気づいてほしいものだ。お前にしてやってることも、かけてる言葉も単に戦う上での利用価値があるからだということに
頭の中で浮かぶ水族館の思い出。
いろんな魚を眺めて、怖いくらいに幸せな気分になって、また行こうねって思い出を作って。
ほんとうは、いやだったの? ほんとうは、私なんかと、いきたくなかったの?
あの時かけた言葉も、一緒に行ったことも、ぜんぶぜんぶいやでいやでいやでいやでいやで……
でも、私を気遣ってくれたからなの? 任務のために、大人だから私を気遣っていたの?
――そして、忘れられないのが、こいつが自分の胸中を吐露したときのことだ
ねぇ、先生、私、先生のことすきだよ。
――女としてのなんら価値もない体、誰も何も守れてないくせに年長者ぶる無能
――そんなやつが、抱かれてほしいと言いながら股を開きやがった
私、先生のおかげで、自分が幸せになっていいんだって、思えたんだよ
――貧相な体つきで魅力的価値皆無のバカが、何を勘違いしたのか思い上がってしまったのだろう
だからね、だからなんだろうね。
こんなに酷いことを言われても、私先生のことを恨めないや
でもさ、大人なんだもんしょうがないよね。嫌なことがあったら我慢しなきゃだもんね。
お仕事のために、本当は付き合いたくもない私のわがままに付き合ってくれたんだよね。
――抱き心地の悪い体、粗末な女としての顔、惨めで卑しくてのうのうとアビドスに残り続ける無能
ごめんね、先生ごめんね。
お仕事増やしちゃってごめんね。
めんどくさくて、貧弱な体で、何の魅力もない無能女が幸せになっていいなんて思い上がっちゃってごめんね。
――聞くに堪えない声、惚けた顔も気色悪い。仕事のためとはいえ、こいつを抱いてご機嫌取りなんて、私は惨めだ
――もう、いやだ。私は、消えてしまいたい
ごめんね。
――こんなバカなグズに愛されるくらいなら、死んで楽になったほうがマシだ
ごめんね。
――せめてあのピンク頭も、自分と同年代のモノと付き合えばいいのに
ごめんね。
――ほんとうに、ほんとうに……
――ホシノと出会ったことが、私の人生にとって無意味で空虚な時間だった。
※
渇いた空気音が深夜のシャーレに木霊した。
血濡れの遺体は地を舐めて、モノを言う事も出来ずに乾いた血だまりでシミをつくるだけだ。無能な大人の末路と言えるだろう。
だけど、ボクは違う。ボクは、やっと大切なヒトと結ばれることが出来たんだ。
「先輩っ、先輩っ……!! どうですか……! どうですか、ボクの……!」
近くにあった休憩用のソファに寝そべったままのあこがれの人。例の文章を目にしてから、放心状態になって横たわってしまった。
頬を叩いても何も言わない、言葉も返してくれない。ただうわごとのように「ごめんなさい、ごめんなさい……」とつぶやくだけ。
心を失ったような態度で、先輩はなんのリアクションも返してくれない。ボクが彼女の子供のようなパンツを放り捨て、そこに無防備な彼女の穢れたつぼみを清浄するために――ボクのモノを侵入しても先輩は何も言い返してこなかった。ボクを、受け入れてくれたんだ。
虚空を見つめながら涙を流す先輩は、どこまでもボクに従順だった。ぎしぎしと力任せに彼女の穴の中を犯しても反発してこない。
「はぁ、うぅう……っ! きつっ、きついっ……! いいですね、先輩……! ボクと一つになれて、うれしいですよね……!」
ちっちゃな蜜穴にきゅうきゅうに締め付けられて、こんなものを独り占めしていたアイツが余計に憎たらしかった。
でも、もう心配する必要はないんだ。だって、もう先輩はボクのモノなんだから。
「せ、んせ……っ、せんせ……」
壊れたおもちゃのように、か細い声が鳴る。
反応がなくとも抱き心地の良い体は、質も良くボクを満足させてくれた。
本当に素直で従順だ。こうでもしなきゃ、彼女はボクのモノになってくれなかっただろう。
それもこれも、機転を利かせて『メモ』を用意しておいたおかげだ。
死人に口なしとはよくいったモノだ。死んでしまえば何も言い返してこないし、今こうして生きてるボクだけが証人になる。なにより、こうして「実はメモを残していました」と言えば、絶対に信じる。
「先輩……先輩……! これから、ボクが守りますからね……! あんな、先輩のことを見ようともしない無能な大人のかわりに……!!」
昏い瞳を浮かべながら、彼女は何も答えなかった。