「ふぅ、さてこちらはコレでよかろう……
向こうは片付いた頃……っなにィっ!?」
ヴァイデンの街を監視させていた華に
視界を同調させると異変が起きていた。
中央広場に横たわるのは二体の巨躯
——混沌竜(カオスドラゴン)と震電竜(プロトンサウルス)。
どちらも全長20メートルを超す超弩級の邪龍だ。
前者は瘴気を纏う鱗が腐食した岩のように爛れ落ち、
後者は稲妻状の角が粉砕されて無惨な姿を晒している。
「バカな……」
低く掠れた声が虚空に零れた。
シャルヴィルトの喉から洩れた怨嗟であった。
彼の右目が青白い燐光を放つ——
監視用の月下草(ムーンフラワー)との視界共有だ。
その幻想的な光景は蠱惑的とも言える美麗さだが、
(余の最高傑作が……)
心中には怒涛の激情が渦巻く。
混沌竜は魂なき邪悪として蘇生させた改造生物であり
——呪毒(カース)を用いて霊体すら蝕む厄災の具現化。
震電竜に至っては半自律型の生体兵器として設計した意欲作。
「誰があれを屠ったというのだ……」「私ですよ」
「───つ!?」
シャルヴィルトの右目から青白い燐光が消え、異能の感知を中断する。
月下草を通じて見た惨状が現実だと理解した瞬間、砦内の空気が凝結した。
カランディーニが影から湧き出るように現れる。
漆黒の外套が月光を呑み込む漆黒の翼のように広がり、
その裾は暗紫色の闇の粒子をまとっている。
シルクハットの庇下では血のような紅の瞳が妖しく煌めき、
その視線だけでシャルヴィルトの皮膚が粟立つ。
(何故ここに……)
思考を巡らせる暇もなくカランディーニが薄く嗤う。
「随分と慌てた顔ですね。余程大切な“ペット”だったのかな」
その声は蜂蜜のように甘美で毒蛇のように鋭い。
指先が無造作に空をなぞると虚空に赤黒い亀裂が生まれ、
そこから滴る闇が砦の石畳に禍々しい模様を描く。
シャルヴィルトは即座に精神を立て直した。
数千年以上生き延びてきた吸血鬼の矜持が屈辱に震える。
「くだらぬ戯言だ。貴様こそ私の領域に踏み込む理由を聞こうか」
紅蓮の炎が掌に灯る。
だがカランディーニは微塵も動じない。
むしろ楽しげに目を細め、優雅に帽子を傾けた。
「そう急がないでくださいよ」
彼の指が優美に円を描く。
次の瞬間、砦中に施された術式が消し去られた。
綺麗さっぱり、最初から何もなかったかのように……
存在意思の高度かつ局地的な制御による時間逆行─────────
かつての宿敵たちの力すら己がモノにしたという明らかな誇示。
あからさまな挑発に屈辱のあまり牙が砕けるほど食い縛るが……
「スバラシイ……みごとだナ……」
平坦な口調で称賛し、己を抑える。
─────────勝ち目がない。全く。完全に。
カランディーニが優雅に小首を傾げる。
その動作ひとつで、砦全体が震えるほどの魅惑が波及した。
虚空に咲いた赤黒い亀裂から零れ落ちる闇が、
まるで彼の寵愛を求めるかのごとく蠢く。
それは情念の奔流のようでもあり、
禁断の媚薬が滴る酒杯のようでもあった。
月光は、つい先ほどまで砦を銀色に照らしていたはずなのに、
今はカランディーニの黒い外套と髪に吸い寄せられ、
一点の光耀となって彼のみを神々しく浮かび上がらせる。
星々さえも恥じらい、その姿を見ることができずに薄雲の裏に隠れていく。
月はといえば、もはや太陽への敬虔な従属など忘れ去ったかのように、
その全ての光と熱をカランディーニ一人へ捧げていた。
夜というキャンバスに、彼ただ一人を描き出すために。
「───つ!?」
シャルヴィルトの右目から青白い燐光が消え、異能の感知を中断する。
月下草を通じて見た惨状が現実だと理解した瞬間、砦内の空気が凝結した。
冷や汗が背中を伝う。この吸血鬼は……危険すぎる。
「そう邪険にしなくてもいいじゃありませんか……哀しいです」
暗紫色の闇の粒子が舞い踊り、
甘い腐臭と共にシャルヴィルトの鼻腔を擽った。
シルクハットの庇下で揺らめく血のような紅の瞳は、まるで煮え滾る情念の湖。
その視線だけでシャルヴィルトの皮膚が粟立ち、全身の血が騒めく。
彼はかつて無いほどの危機感を感じていた。
目の前にいるのはただの同胞ではない。上位の捕食者そのものだ!
「フフ……」
カランディーニの紅の瞳がさらに深く輝きを増す。
獲物を見つけた毒蛇のように冷酷で危険だ。
漆黒の外套が翻り、闇の粒子が蝶のように舞う。
その美しさは狂気に等しかった。
シルクハットの庇が少し上がり、その完璧な美貌が露になる。
シャルヴィルトは心臓が高鳴るのを感じた。
恐怖か? あるいは別の感情なのか?
「数千年ぶりの再開でしょう? 世間話でも、と思ったのですが……」
カランディーニの声は蜂蜜のように甘美で毒蛇のように鋭い。
カランディーニの紅の瞳が、ふと背後へと滑った。
その視線は、まるで蜜のように粘稠な情念をまとったまま、
シャルヴィルトの後ろでぐったりと身を預けるタオの上に留まった。
──―!
刹那。シャルヴィルト自身も意識せぬうちに、彼の腕が伸びていた。
優美な仕草とはかけ離れた、荒々しいほどの動作で、
タオの矮躯を自分の黒衣の影に深く深く押し込めている。
(私は……何をしている?)
自問の声が内側で響く。
これまでシャルヴィルトにとって他者は駒か玩具だった。
支配対象であり、消費すべき資材だった。
彼女──タオも例外ではない。
肉体を作り変え、子宮を占有し、
魂すら縛り付けた末に到達したのは所有感と征服欲のはずだった。
それが今、カランディーニのあの
情念を煮詰めたような視線から庇うように背を向けている。
吸血鬼にとって最も重要なものは永劫なる自己保存と享楽。
他者の介入などあり得ない。
ましてや庇護などという弱々しい感情が
己の中に芽生えていることなど──あり得ない。
だが確かに、シャルヴィルトの五指はタオの肩を掴んでいた。
その手には微かな震えがあった。
それは畏怖か? それとも、未知の何かへの困惑か?
「ほう……」
カランディーニの吐息交じりの声が砦の大気を震わせた。
まるで極上の音楽のように艶やかで、それでいて刃のように鋭い。
シルクハットの庇がわずかに上がり、
その下に潜む双眸が更に深く色を湛えた。
紅──深淵の深紅だ。
シャルヴィルトが初めて見る同胞の一面だった。
それは好奇心に似ていた。しかしより重く、より粘着質で、
まるで獲物を見定めた捕食者が舌なめずりをするような色だ。
(この女に……何を見ている?)
シャルヴィルトの警戒心が急速に尖る。
タオは単なる「苗床」だ。
稀有な器ではあったが、所詮は有限の肉体。
魂の枷は既に打ち込んである。
カランディーニが彼女に目をつける理由など……
カランディーニの視線が再び動いた。
今度はシャルヴィルトへと。
その紅は、タオに向けていた時と同じ──
否、より強い何かを含んでいた。
それは愉悦だった。
目の前の同類が見せた予想外の反応に対する深い愉悦と、
それをさらに愉しもうとする嗜虐心だった。
「ふふ……」
甘美な笑みが零れ落ちる。
「面白いものですねぇ……シャルヴィルト殿?」
カランディーニはゆっくりと、
わざとらしいほど緩慢な仕草で首を傾げた。
漆黒の外套の裾が僅かに翻り、
闇の粒子が蛍のように辺りを漂い始める。
それは芳香であり、毒であり、麻薬だった。
シャルヴィルトの鼓膜が、喉の奥が、そしてもっと深いところで疼いた。
久しく忘れていた──他者の術式に絡め取られるかもしれないという、
原始的な戦慄に近い感覚だった。
「まさか貴方が……そんな顔をするとは……」
カランディーニの言葉は歌うように続く。
「それほどの“作品”ですか? あの娘は?」
「……」
シャルヴィルトの眉がわずかに動いた。
返答ではない。
否定したい衝動と、
肯定できない焦燥がない交ぜになった歪みがそこにはあった。
カランディーニはそれを読み取ったかのように、
さらに笑みを深くした。月光を浴びたその顔は、
罪悪と美を溶かし合わせた芸術品のようだ。
「ならば尚のこと……惜しい」
ぽつりと落とされた言葉に含まれた意味を、
シャルヴィルトはすぐに察した。
カランディーニの視線が再びタオに向けられる。
しかし今度は探るような視線ではなかった。
それは狩人が獲物を選ぶ時の冷徹な分析だった。
(狙いは……彼女の潜在的な器か? それとも──)
シャルヴィルトの脳裏を様々な可能性が駆け巡る。
カランディーニの行動原理は複雑怪奇だ。
享楽と探究心と独占欲と……様々な色が入り混じる。
だが一つだけ確かなことがある。
彼は「奪うこと」を好む。
他者が執着するものをこそ。
「──やめておけ」
シャルヴィルトの口から、
自ら意図せず低い警告が漏れていた。
それは命令というよりも、懇願に近かった。
彼自身が驚愕するほどに。
カランディーニはそれを聞いて、
シルクハットの庇の下で目を細めた。
その表情は満ち足りていた。
「勿論……まだ手は出しませんよ」
彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ですが……いずれね?」
それは甘い死刑宣告だった。
シャルヴィルトの腕の中で、
タオが微かに身じろぎした。
痛みか、快楽か、
あるいは別の何かによって浅い眠りを妨げられたのだろうか。
その小さな動きにさえシャルヴィルトの神経は過敏に反応した。
(私が……守る……? いや、コレは稀有な素材、失うには惜しい)
愉悦を覚えた絶対者に世界が陶酔し、悍ましき讃美歌が響き渡る。
シャルヴィルトは己を盾にタオを護り、
微かに漏れ出た破滅の波動に耐え忍んだ。
砦全体がその波動に共振し、
まるで巨大な生き物のように震え始める。
カランディーニの笑みが深くなるにつれ、彼の周りの闇が密度を増した。
それは単なる暗がりではない。情念と狂気が練り込まれた漆黒の霧。
触れれば魂を溶かし、見れば思考を狂わせる劇薬だ。
彼が軽く指を振るだけで、その霧が砦の石壁を這い上がり、
壁龕に据えられた朽ちた女神像の唇を淫靡な微笑に歪ませる。
「あぁ……堪りませんねぇ」
その囁きは風に乗って砦の隅々まで拡散した。
鉄錆びた古い水桶が独りでに軋み、床に散らばった瓦礫の影が蠢く。
柱に巻き付いていた蔦の蔓が蛇のように躍動し、
萎びた枯葉が宙に舞い上がって花弁のように揺れた。
シャルヴィルトの影が長く伸びて壁に映り込み、
その輪郭が歪んだかと思うと、不吉な蜘蛛の紋様を形成する。
「この空気……この震え……」
カランディーニは恍惚と呟いた。
彼の靴が砕けた大理石の欠片を踏みしめるたびに、
そこから新たな闇の粒子が虹色に輝いて蒸発する。
月光すらも彼の醸し出す気配に色を変え、
銀色から濃密な菫色へと堕ちていく。
「貴方がそんな顔をするということは……」
カランディーニの視線が再びタオに注がれた。
まるで芳醇な葡萄酒を熟成させるように吟味する眼差し。
「彼女は貴方に……今までにない刺激を与えたのですね?」
その言葉は毒のようにシャルヴィルトの意識を侵蝕した。
守るように抱きかかえたタオの体温。汗ばんだ肌の香り。
支配ではなく保護を選んだ己の矛盾。
それは数千年の歳月を経て培われた
吸血鬼の哲学そのものへの冒涜だった。
砦の奥底から重い扉が軋む音が響き渡る。
封印されていた地下牢の入口がひとりでに開き、
冷たく淀んだ空気が地上へと流れ出してきた。
そこから湧き上がるのは屍肉の腐臭と怨嗟の呻き声。
「おや……?」
カランディーニは愉悦に浸ったまま首を傾げる。
その動作ひとつで、扉の隙間から亡者たちの骸骨の手が
幾つも伸び上がり、互いに絡み合って塔のように積み上がり始めた。
月は泣いていた。
涙雨は硝子の刃となって降り注ぎ、砦の壁面を斬り裂いていく。
地下牢から這い出る死者の群れは互いに繋がり合って螺旋となり、
巨塔の如く天空へと伸びた。
その塔頂にはカランディーニが佇み、
月光を浴びて黄金の冠を戴いているようだった。
「ああ……なんと美しい絶叫……!」
彼の声は旋律となり、死者たちの喉から放たれる怨嗟の合唱と交響した。
指が軽く一振りすると死者の塔が突如砕け散り、
数千の髑髏が乱舞しながら砦中に四散する。
それぞれが開いた口腔から血の煙を噴き上げつつ。
(狂気だ……これが貴公の本性か……!)
シャルヴィルトは己の歯が軋むほどの憤怒と恐怖を噛み殺し、
タオを更に強く抱き締めた。彼女の華奢な身体が微かに震えている。
死の舞踏の中心に囚われながらも意識を取り戻したのか?
いや違う。
震えは彼女の奥底から沸き上がるものだった。
子宮に植え込まれた忌まわしき因子が
カランディーニの狂乱と共鳴して蠢いているのだ。
「おや……どうしました?」
カランディーニの紅い瞳が慈しむように細まりながらも、
その奥底で熔鉱炉のような狂気が煮え滾っている。
「私の……ちょっとした遊びで怯えるとは……可愛らしい」
彼の影が液体金属のように砦の床を這いずり、
シャルヴィルトたちの足元で妖しく渦巻いた。
渦の中心からは黒い薔薇の茎が無数に突き出し、
棘だらけの蔦が鞭のように襲いかかる。
「──ッ!」
シャルヴィルトは咄嗟に翼を広げて跳躍した。
漆黒の羽が一枚一枚鋭利な刃となり、
薔薇の鞭を切り払いつつ空中へ逃れる。
だが薔薇は不死鳥の如く再生し続け、追跡の手を緩めない。
「フフッ……そう逃げなくても……」
カランディーニの声が下方から風に乗って届く。
「私も貴方が大切にしている“それ”をもっと見たいのですから」
彼の足元からは巨大な墓碑が無数に生え出て、
それらが互いに組み合わさって空中へと伸び上がる階段となった。
一段一段が罪人の断末魔を刻んだ彫刻で飾られている。
タオの呼吸が浅くなっていることに気づいた。
シャルヴィルトの胸板に押しつけられた額から脂汗が滲み出ている。
「……まだ……」
囁くような声が彼女の唇から漏れた。
朦朧とした意識の中で抵抗しようとしている。
「まだ……終わりたくないアル……」
それは懇願だった。
生命への執着ではなく、“今”を終わらせたくないという純粋な意志。
シャルヴィルトの血潮が沸騰した。
苛立ちと歓喜が同時に込み上げる。
この小娘は自らの運命を諦めていない!
ならばこそ価値がある!
「ならば……生き延びて見せよ!」
咆哮と共に彼の翼が真紅の炎に包まれた。
それは自己犠牲の炎ではなく、奪う者としての焔だ。
追ってきた薔薇の鞭を逆に包み込んで燃やし尽くす。
「カランディーニ……!」
空中で彼は標的を見下ろし宣言する。
「貴様は我々の遊戯を邪魔するな!!」
「邪魔……?」
カランディーニのシルクハットが微妙に傾いた。
そこに宿るのは嘲笑と、それに倍する興奮だ。
「おもしろいことを言うではありませんか……
貴方が……誰かを護るために牙を剥くなんて……!」
墓碑の階段を悠然と昇ってきたカランディーニの手には、
いつの間にか蒼白い光を放つ一輪の月下草が握られていた。
シャルヴィルトが遠隔監視に使っていた幻覚媒だ。
それを無造作に口元へ運ぶと──
「いただきます♡」
一口齧った刹那。
月下草が膨張し、炸裂した。
蒼白い閃光と共に砦全体を覆っていた
カランディーニの術式が一斉に解き放たれる!
世界が反転した。
重力が消失し、上下が入れ替わり、
物理法則そのものが溶解していく錯覚。
シャルヴィルトの翼が機能を失い、二人は虚空へと墜ちていった。
落下しながら彼は理解した。
カランディーニは月下草を通じて
シャルヴィルトの“意識”を強制的に媒介として利用し、
自らの術式を拡散させたのだ。
砦の現実構造そのものを一度“書き換え”た!
結果として──
彼らは突然出現した柔らかい地面に激突した。
それは土ではなかった。
蠢く無数の人皮の集合体だった!
「うっ……!?」
タオが悲鳴を押し殺した。
シャルヴィルトが反射的に彼女を抱き起こすと、
眼前に広がるのは絶望的な光景だった。
四方を取り囲む肉壁は剥製の女性たちが組み合わさっており、
そのどれもが虚ろな瞳で二人を見つめている。
天上からは滴り落ちる血の雨が彼女たちの唇を濡らし、
それぞれの胸元では不自然に脈打つ宝石が嵌め込まれていた。
「美しいでしょう?」
頭上から甘美な声が響く。
見上げると肉壁の頂に王座が設えられ、
カランディーニが優雅に腰掛けていた。
「これが私の最新作です。“嘆きの薔薇園”」
シルクハットの下で紅い瞳が残酷な悦びに染まる。
「シャルヴィルト殿とその娘のために特別に用意した舞台ですよ」
肉壁の一部が蠕動し始め、
埋め込まれた女性たちの口が一斉に喘ぎ始めた。
それは苦悶であり官能であり絶望であり狂気だ。
彼女たちは生きているのか? それとも贋物か?
どちらであっても最悪だった。
タオが小さく呻いて身を捩った。
腹部を押さえている。
子宮に巣食うカランディーニの因子が共鳴を開始しているのだ。
「う……くっ……」
彼女の額に脂汗が珠となり浮かぶ。
それは苦痛だが、同時に違和感のある熱さを帯びている。
まるで種子が急速に芽吹くかのような内部からの胎動。
(まずい……!)
シャルヴィルトは悟った。
カランディーニの術式変動により因子が活性化した!
ここで発芽すれば彼女の肉体は内側から蹂躙される!
「静まれ……!」
本能的に手を伸ばしたとき、
カランディーニの嘲笑が空気を斬った。
「おっと? お邪魔虫はそこまでにしていただきましょうか」
王座の周囲に七つの宝珠が浮かび上がった。
それぞれ異なる色彩を放ちながら回転する。
「ご覧ください。“七情鏡”」
宝珠が一斉に破裂し──
感情の大洪水が襲ってきた。
憤怒・悲哀・欲望・絶望・羨望・喜悦・憎悪。
すべての情念が固体化した刃となり降り注ぐ。
その一つ一つに怨嗟の声が籠もり、
命中した対象の精神を内部から抉り取ろうとする!
タオを庇ったシャルヴィルトの左翼が千切れ飛んだ。
彼の苦悶の叫びが薔薇園に谺する。
鮮血が薔薇の色をした人皮たちを潤した。
「ああ……! 素晴らしい……!」
カランディーニが嬌声を上げた。
その拍手が薔薇園全体を共鳴させ、
埋め込まれた女性たちの胸の宝石が同期して明滅する。
「貴方の苦悶こそ至高の演目!」
タオが苦悶の絶頂で遂に崩れ落ちた。
腹を抱えて呻く彼女の全身から微細な血管が浮き上がり、
その皮膚を通して妖しい緑色の光が脈動する。
カランディーニの因子が急速に成長し、
彼女の全身を侵食し始めていた。
(ここまでか……?)
シャルヴィルトの思考が刹那に過ぎる。
この状況下でタオの体内で発芽を止めるのは不可能だ。
かといってカランディーニに対抗する術もない。
絶望が彼の内面を蝕み始めた──その瞬間。
タオの呻き声に変化が生じた。
苦悶から解放されつつあるような解放感。
そして次の瞬間、
「おおっ……?」
カランディーニすら驚嘆の声を漏らした。
タオの額に埋め込まれた花の模様から
突如眩いばかりの黄金の光が迸り出たのだ!
その光は瞬時に彼女の全身を巡り、細胞を賦活させる。
苦悶の呼吸はいつの間にか、独特のものへと変わっていた。
黄金の光が奔流となって砦の虚空を駆け抜けた。
それはタオの額の花模様を起点とし、四肢へと放射状に広がっていく。
まるで体内に太陽を宿したかのような灼熱の輝きが、
薄暗い薔薇園に一条の希望を灯した。
埋め込まれた女性たちの宝石が共鳴するように瞬き、
悲痛な喘ぎは一瞬だけ鎮まる。
(なんだ……これは?)
シャルヴィルトの驚愕は肉体的な傷の痛みを凌駕していた。
タオが苦悶から解放されつつあるのを感じる。
その呼気は浅く速いままだが、
かつてのように生命力を搾り取られるような絶望は消えていた。
代わりに──何か奇妙な安定感が生まれている。
光はさらに強まり、ついに彼女の瞼が重く持ち上がった。
最初に見えたのは血走った瞳だった。赤ではない。
琥珀色に煌めく金色の瞳だ。
それは徐々に焦点を結び、シャルヴィルトの狼狽えた顔を捉えた。
彼女の唇が微かに動き、かすれた声を紡ぐ。
「あた……たかい……」
それは苦痛ではなく恍惚に近い呟きだった。
子宮に巣食う吸血鬼の因子が急速に変容しているのが分かる。
もはや侵略者ではない。共生者だ。
タオ自身の意思と生命力が、異物を吸収し消化しつつあるのだ!
「ば……馬鹿な……!」
シャルヴィルトの声が掠れる。
これはあり得ないことだった。
吸血鬼の因子は一度植え付けられれば宿主を蝕み尽くす宿業。
それが拒絶されることはあるが、
共存できるなど聞いたこともなかった。
ましてや──
タオの呼気が深くなった。
それは苦痛に喘ぐものではない。
ゆっくりと腹の底から空気を吸い込む動作。
まるで嵐の前の静寂を楽しむかのように穏やかだ。
「……気は内にあり……」
彼女の囁きは風にさらわれる寸前の柳絮のように儚い。
だがその内容はシャルヴィルトの血流を逆流させるのに十分だった。
(気の呼吸だと!? こんな状態で……!?)
次の瞬間、タオの全身に刻まれた血管が浮き上がった。
ただし今度は苦痛のためではない。活力の奔流だ。
黄金の光が皮膚の下で脈打ちながら旋回し、
背骨を中心軸として螺旋を描き始める。
「おおぉっ……!」
カランディーニの驚愕が薔薇園の頂から降り注いだ。
その声音には純粋な好奇心と微かな畏怖が混在している。
「見事な適応力! まさに奇蹟!」
タオがゆっくりと起き上がる。
その動きは水面を滑る睡蓮のごとく滑らかだった。
彼女の右手がそっと腹部に添えられる。
そこにはシャルヴィルトの因子が脈動しているはずだが──
「ここにある……」
彼女の囁きには確信があった。
掌の温もりが因子と融和し、共鳴する。
カランディーニが嘲笑とも感嘆ともつかぬ息を洩らす。
「まさか……我が因子を己の“気”と同一視するとは……!」
シャルヴィルトの胸中を悔恨と昂揚が交錯した。
確かに彼が施したのは単なる侵食ではない。
“気”の源泉となるべき種子だった。
それをタオは無意識のうちに──
「ならば……こうするしかないでしょう!」
カランディーニの宣告と共に、薔薇園全体が震撼した。
肉壁から突出した女性たちが一斉に悲鳴をあげる。
その全ての胸に埋め込まれた宝石が共鳴し合い、
青紫色の光の鎖となってタオへと殺到する!
シャルヴィルトが動くよりも早く──
タオが右手を水平に払った。
たったそれだけの動作だった。
だが黄金の光が掌から渦を巻いて放たれ、
迫り来る光の鎖を次々と粉砕する!
砕けた破片は星屑のように舞い散り、
その一片一片が接触した肉壁を浄化するように溶解させた。
「嘘だ……!」
シャルヴィルトの驚愕は臨界を超えた。
目の前にいるのは彼が弄んだ少女ではない。
吸血鬼の因子すら糧にし、新たな領域へ踏み出した生命体だ!
タオの首筋に刻まれた刻印が黄金に輝く。
彼女の呼気が一段と深まり、その呼吸法が変わる。
それは空気だけでなく──
空間そのものを吸い込むかのような奥行きを持つ。
「吸って……吐く……」
彼女の声は澄んでいた。
腹の底から溢れる気の濁流が全身を駆け巡り、
末端の細胞ひとつひとつに活力を与える。
かつてシャルヴィルトが感じた“ただの苗床”としての
脆弱さは影も形もなく消え去っていた。
彼女の両足が地面(といっても蠢く人皮の集合体だが)を踏みしめる。
その踵の接地から黄金の波紋が同心円状に広がり、
薔薇園の汚泥を祓い清める。
カランディーニの笑みが深くなった。
それはもはや嘲笑ではない。賞賛だった。
「素晴らしい! なんと素晴らしい意思!」
彼はゆっくりと立ち上がり、肉壁の頂から飛び降りた。
シルクハットを軽く直しながら降り立つ様は優雅そのもの。
「しかしそれだけでは足りません!」
指を鳴らした。
薔薇園の中央部が裂け、そこから現れたのは──
巨大な黒曜石の棺だった。
蓋が自然に開くと、
内部には夥しい数の蝶が閉じ込められており、
翅を擦り合わせて共鳴する金属音を奏でる。
「これを以って……試しましょう!」
棺がタオへ向かって飛翔した!
蝶たちは一斉に解放され、真空波のように舞い散る。
その一羽一羽が微細な刃物を内包していることは明白だった!
タオが深く息を吸う。
呼気とともに右腕を前方へ突き出す。
掌から迸る黄金の光が凝縮され、
一本の光条となって飛翔する棺を迎え撃つ!
衝突!
鈍い衝撃音と共に、棺の表面が蜘蛛の巣状にひび割れた。
その隙間から漏れ出た蝶たちが瞬時に炭化し、灰となって砕け散る。
シャルヴィルトが見たのは、タオの掌から放たれた“光の矢”が
吸収どころか因子を活性化させた証であった。
カランディーニの目が輝いた。
「ふむ……まさかここまでとは!」
彼の左手が虚空へ伸びる。
その五指が複雑に絡み合うと──
突如として虚空に亀裂が入り、その隙間から無数の“針”が噴出した!
「だがまだまだ序盤ですよ!」
針の束がタオを目掛け流星雨の如く殺到する。
今度は回避不能な面の攻撃だ!
タオが咄嗟に両腕を交差させた。
防御の構えか?
否。
交差した肘の接点から黄金の光が迸り、
彼女の周囲を包み込むように展開した。
それは球状の障壁だ。
無数の針が障壁に触れるなり霧散する様は、
砂糖菓子を舐める舌のようだった。
(防衛障壁だと!? あの短時間で!?)
シャルヴィルトの認識は混乱を極めた。
気の運用において最も難易度が高いのは集中と持続だ。
それを初の実践で防御に転用するとは──
これはもう偶然や奇跡ではない。才能だ!
カランディーニが満足気に唸る。
「見事……! ではこの程度では不足でしょうね!」
彼が大きく両腕を開いた瞬間、
砦全体が軋みをあげた。
肉壁から女性たちの絶叫が交響曲となり、
天井から吊り下げられた水晶の槍が一斉に傾ぐ。
「お別れです!」
数十本の槍が鏃となってタオを狙う!
同時に足元の人皮が蠢き、鋭い爪を突き出す!
タオの呼気が一段と深くなる。
両膝を軽く折り、重心を低く落とした。
その姿勢から繰り出されるであろう“次の一手”に
シャルヴィルトの背筋が凍りついた。
(まさか……迎撃するつもりなのか?)
虚空を貫く無数の槍衾が降り注ぐ。
足元から突き上げる皮膚の爪牙が地表を串刺しにする──その刹那。
タオの呼気が天地を逆転せしめるほどに深く沈んだ。
「呼──!」
大地と水平になるほどの腰の捻り。
彼女の足裏が蠢く人皮の集合体を踏み砕く。
その一点から黄金の光が炸裂した。
まるで地下深くに眠っていたマグマが噴火したかのように。
足元の犠牲者たちを形作っていた人皮は灼熱の輝きに溶解し、
液化した血液は虹色の泡と化して蒸発する。
「おおぉ……!?」
カランディーニの驚愕の叫びが空間を裂いた。
降り注ぐ水晶の槍が黄金の光柱に触れると同時、
それらは水晶の透明度を保ったまま、
内部から金色の脈絡に浸食されていった。
まるで古代王朝の金細工職人が命をかけて鍛錬したかのような荘厳さで。
一本一本の槍が金細工と化しながら地面へ突き刺さる様は、
どこか神殿建築における柱の建立にも似ていた。
しかし──
「なんと……美しき暴虐!」
カランディーニの紅い瞳が爛々と輝く。
その言葉通り、破壊と創造が同時進行している光景だった。
タオの周囲三尺以内の地面が黄金に染まっている一方で、
その円周外では依然として蠢く肉壁が女性たちを拘束している。
タオは黄金の領域を踏み越えようとしない。
いや──できないのだ。
彼女の力はまだ完全に制御されておらず、
一歩踏み出せばこの均衡が崩れる危険性を孕んでいた。
その緊張を破ったのはタオ自身だった。
「ふぅ……!」
彼女の吐息が微かな金剛石の粒子を含んでいる。
踏みしめる右足に体重がかかった瞬間、
足下から垂直に伸びていた黄金の光柱が急激に収縮した。
光は一点へと還流し──彼女の掌中で渦巻くエネルギー塊と化す!
シャルヴィルトの鼓動が狂ったように打つ。
あの小さな拳の中に詰め込まれたものは、
間違いなく彼の知るどんな魔法体系にも属さない力だ。
タオの視線がカランディーニを捉える。
黄金の光芒に彩られた横顔は、既に戦士のそれとなっていた。
「……行くよ」
宣告は風に浚われそうなほど静かだった。
だがその重みは砦の基礎を揺るがせた。
タオの拳が前方へと突き出される。
たったそれだけの動作で──
渦巻いていた黄金のエネルギー塊が光条となって射出された!
「うわぁっ!?」
カランディーニが嬉しそうな驚きを見せた。
薔薇園の主人でありながら、彼は咄嗟に跳躍した。
その足下を光条が通過すると、彼が立っていた地点が黄金の湖と化した。
波紋は肉壁へと拡大し、触れた女性たちの胸元の宝石を蒸発させる。
苦しむ喘ぎ声が一瞬にして安らぎの寝息に変わる皮肉!
「これは……想定外だ!」
カランディーニが空中で体勢を立て直しながら嗤う。
その唇の端から紫煙のようなものが立ち上る。
彼はすでに新たな詠唱を開始していた。
「このような副産物が……!」
彼の全身から毒蛇の群れのような影が溢れ出す。
影は幾筋もの流線となり、地面を這いながらタオへ向かう。
しかし!
「穿け……!」
タオの第二撃が放たれた。
今度は掌でなく拳全体から放射状に光が迸る。
それは扇状に広がる無数の光刃となり、
接近してきた影の群れを片っ端から斬り裂いた。
斬られた影は金色の火花と化し夜空に舞い散る。
「美しい……!」
カランディーニの恍惚の声が虚空に響く。
彼はさらに高度を上げた。
「まるで星の涙のようだ!」
そして彼の左手が宙に浮かぶ肉壁を指す。
「ならば……これならどうだ!?」
指先から細い銀の糸が流れ出た。
その糸は肉壁の内側に入り込み──次の瞬間、
十数人の女性たちが人形のように浮遊する!
彼女たちは手足を痙攣させながら
カランディーニの意志のままに操られていた。
「盾か!?」
シャルヴィルトが思わず叫ぶ。
だがカランディーニの笑みはさらに深まる。
「盾? 違う……芸術品だ!」
操られた女性たちの口腔が一斉に開く。
その喉奥から放たれたのは──
無数の紫色の花弁だった。
それらはタオへ向かって雪崩れ込むように落下する!
「ぐっ!」
タオの顔に焦燥が走る。
彼女の黄金の光条は直線的な貫通力に優れている。
この密度と範囲の花弁全てを払い除けることは難しい!
「終わりだ!」
カランディーニの宣告と共に、最後の一人が口を開いた。
彼女の中から現れたのは一輪の巨大な黒薔薇。
それは花芯に異様なまでの密度を持つ影のエネルギーを蓄えていた!
「おおっ……!」
タオの背筋を冷たい恐怖が走り抜ける。
黒薔薇が花弁を全開にするその直前──
「諦めるな!」
シャルヴィルトの咆哮が雷鳴のように響いた。
彼の残された翼が空間を裂くように翻る。
「お前ならできる……!」
その翼がタオの上空へ差し出される。
タオが見上げた。
シャルヴィルトの翼の付け根からは血が滴っている。
それでも彼は微動だにせず翼を掲げ続けた。
「……ありがとう」
短い感謝の言葉とともにタオの全身が再び黄金の炎に包まれた。
今度は彼女自身の輪郭そのものが融解するほどの輝きだった。
そして──
「はあああああっ!」
彼女の全身が螺旋状に回転する。
その中心から放たれたのはもはや光条ではなかった。
空間そのものを刳り抜くような金色の竜巻だ!
それは上方へと昇り詰め、シャルヴィルトの翼を避けて天井を貫く。
落下中の花弁も黒薔薇も竜巻に触れるなり分子レベルで分解され
純粋な輝きの粒子と化して竜巻を飾り立てた。
「なっ……!」
カランディーニの絶句は一瞬だけだった。
彼の周囲には既に何枚もの防御幕が形成されていた。
金色の竜巻はそれらを次々と引き剥がし
カランディーニのすぐ鼻先をかすめて天井を突破した!
轟音と共に砦の屋根が消失した。
夜空へ噴き上げる金色の竜巻が月光を飲み込み
一時的に砦全体を昼間のように照らし出す。
操られていた女性たちが次々と解放され地面に崩れ落ちる。
肉壁は金色の輝きの中で朽ち果てる老木の如く崩壊していく。
カランディーニが空中で後方に飛び退る。
彼の黒い外套が金色の粒子に晒され部分的に燻るように燃えていた。
「見事……! まさしく逸材!」
彼の顔には怒りも憎しみもない。
純然たる賞賛と──惜別の情が浮かんでいる。
タオがゆっくりと立ち上がった。
黄金の輝きはすでに彼女の内側へ収束しつつあった。
彼女はまだ荒い息を吐きながらも、カランディーニを見据えている。
その瞳には揺るがない闘志が宿っていた。
「もう逃げれないね」
それは単なる宣言ではない。
タオの体内で練り上げられた気の流れが空間を閉鎖し
空間転移を阻害して消して逃さぬように固定している。
吸血鬼の矜持が牙を剥く。
カランディーニの紅玉の双眸に狂おしい喜悦の炎が灯った。
まるで最良の晩餐に出逢った美食家のような歓喜が彼の指先まで震わせる。
「素晴らしき哉! 凡百の眷属ならば我が薔薇園で萎れ枯れるのみ……
だが君は咲いた! この漆黒の地獄に黄金の猛り花を咲かせたのだ!」
空間そのものが彼の喝采に酔う。
シャルヴィルトが警戒を深めた。
カランディーニの吐息一つで砦の石材が砂塵へと溶け始めている。
重力の感覚がねじ曲がり、
上下の区別が曖昧になる異界が生まれつつあった。
「我が母よ……!」
シャルヴィルトの嗄れた叫びがタオの背筋を貫く。
彼女の黄金の輝きが残滓と化したその刹那を待っていたかのように―
「―堕ちてくるぞ!」
カランディーニの指が虚空を撫ぜた。
ただそれだけで宇宙の法則が泣き崩れた。
天上から無数の闇の触手が降り注ぐ。
それは影ではない。物質化した虚無そのものだ。
掴まれれば存在が削ぎ落とされる暗黒の刃。
「受け止めろ!」
シャルヴィルトが全身全霊を込めて本格的に参戦する。
左腕から突き出た鋭利な爪が弧を描く。
斬撃は触手を断つが即座に再生する。タオは歯を食い縛り呼吸を整えた。
気の奔流はまだ胎内に蠢いている。だが今の消耗で一度吐き出す力は……
「ハハッ! イイぞっ!」
カランディーニの哄笑が空間を劈く。
閃光が走った。
シャルヴィルトが吸血鬼の俊敏さでタオを抱き寄せ離脱。
触手の餌食は肉壁に囚われていた女性たち。
悲鳴が耳朶を裂く前に絶命した。
屍骸ごと薔薇園の一部が虚無に呑まれていく。
「貴様……!?」
シャルヴィルトの怒号にカランディーニは眉一つ動かさない。
「舞台装置が不要になったのだ。主役を際立たせるためにね……」
彼は右手を差し伸べた。
「さぁタオ=ユイファ! 君が私の薔薇園を否定するのなら―
この地獄こそが真実だということを示そう!」
足下の地面が沸騰した。
砦が形骸化した残骸の底から噴き上がる紫紺の光柱。
それは大地を司る古の闇の根源だった。
重力が十倍に増幅され膝を突く二人へ容赦ない追撃―
無限に湧き出る虚無の触手が網のように覆い被さる!
「ああぁ……!」
タオの絶叫は苦悶ではない。それは覚醒の咆哮だった。
虚無に包まれた寸前―
彼女の体内で眠っていた気の本流が突然火山のように噴出した。
黄金の大瀑布が二人の周囲に聖域を築く。
触手たちが黄金の粒子に触れるや否や蒸発した。
「ほう……これが真価か!」
カランディーニが心底愉しみ、外套が漆黒の焔に包まれる。
闇と光が真正面から激突する超越的衝突!
シャルヴィルトはその圧迫で視界が歪む中叫ぶ。
「タオ! こっちにもよこせ!」
タオは瞬時に理解した。黄金の気がシャルヴィルトへ流れ込む。
吸収した気によって急速成長した樹木が絡み合い、木竜が顕現する。
木竜は咆哮と共に虚無の触手を噛み千切っていく!
「素晴らしい連携だ!」
カランディーニの陶酔が頂点に達した。
彼の背後に九つの門が出現した。
それぞれ異なる地獄の門だ。
門ごとに異なる死の匂いを放つ。
一つ目の門からは亡者の呻き。
二つ目からは鉄錆の雨。
三つ目からは盲目の悪鬼どもの咀嚼音―
次第に砦そのものが地獄の門へと変容していく。
「逃げ場はない……」
シャルヴィルトの警告が虚しく響く。
「ここは……もうカランディーニの腹の中だ!」
黄金の聖域が急速に侵食されていく。
タオは額から珠のような汗を垂らす。
「諦めるわけにはいかない……!」
気の消耗は激しい。しかしその疲労感は同時に全能感を伴う。
なぜならば―
「まだ……もっと奥に!」
シャルヴィルトの声が鞭となり彼女を導く。
タオは初めて感じる自分の可能性の扉を押し開ける。
肉体の境界が溶解する。気は血となり骨となった。
魂そのものが太陽となって膨張していく!
「ほう……?」
カランディーニの愉悦が驚愕へ変わりかけるその一瞬―
タオの全身が黄金の太陽と化した。
シャルヴィルトの木竜も一体化し巨大な黄金木竜へと昇華する。
聖域が反転し砦を包み込む巨大な輝きとなる。
黄金の煌めきが砦を内側から食い破ろうとする刹那──
「愚かなる天使たちよ」
カランディーニの指先が虚空を撫でた。その軌跡が黒く歪む。
歪みは瞬く間に肥大し、巨大な肉腫となって実体化した。
**ズモッ……**
不気味な水音と共に、それは分裂した。
数千匹の異形の怪物群だ。
第一の兵は──**黒檀の骨格標本**
肋骨が鎌状の刃となり、脊椎から棘が生えている。
骸骨なのに筋肉が蠢き、滑らかに動き回る。
第二の兵は──**血塗れの童子**
愛らしい丸顔には目玉が埋没し、
口だけが巨大な黒洞のように広がっている。
その手足は朽ちた蔦で出来ている。
第三の兵は──**硝子の骸**
透明な骨格を透かして見えるのは
煮えたぎるマグマのような内臓だった。
ガラスの欠片が飛び散る度に硫黄臭が漂う。
幾千幾万の怪物たちが一斉に咆哮した。
**■■■■■■■■ッ!!! **
声帯ではなく、裂けた肉体そのものが発する異様な共鳴だ。
砦の石材が共振し砂粒へ崩れ落ちる。
「我が薔薇園は墓場より生まれしもの……」
カランディーニの哄笑が砕けた天井から零れ落ちる月光を乱反射させた。
彼の背後から現れた無数の門がそれぞれ地獄の一端を具現化している。
**──冥府の宴が始まる──**
タオは黄金木竜の胎内で息を潜めていた。
気は彼女の血潮となり血管を巡っている。
過剰な流入に全身の毛穴から光が漏れ出ていた。
「耐えろ!」
シャルヴィルトの叱咤が鼓膜を震わせる。
「お前の核が輝き過ぎている……!」
確かに痛痒い。筋肉組織が黄金に熔けていくような感覚だ。
視界が黄金一色に染まりかける。意識が遠のく。
だが彼女は瞼を強く閉じた。
闇の中で甦るのはカランディーニに蹂躙された女性たちの嘆き。
そして──つい最近自分を振ったイケメンの嘲笑。
「所詮、田舎娘だろ」
怒りが沸騰点を超えた。
タオの気脈が再編成される。奔流が逆向きに回転し始めた。
「……燃え上がれ」
彼女の詠唱と同期するように黄金木竜が吠えた!
幹は更に太くなり枝葉は数百倍へ繁茂する。
その葉一枚一枚が太陽の欠片の如く輝く!
**──応答せよ 地獄の庭園よ──**
「ほおおっ!?」
カランディーニの愉悦が最高潮に達した。
彼の眼前で黄金木竜が七つの太陽へ分化したのだ!
**一つ目** ― 緑翠色に変色。無数の蔓が伸びる。
触れれば植物に還る「生命変換」の業火。
**二つ目** ― 水鏡のごとく澄んだ蒼穹。
触れた万物を氷漬けにする「永久凍土」の寒波。
**三つ目** ― 朱殷に染まる。大地を焦がす灼熱で全てを溶解炉へと変貌。
**四つ目** ― 紫紺の渦動。幻覚毒を散布する「催眠霧」。
**五つ目** ― 黄玉色の閃光。衝撃波で分子結合を破壊する「原子破裂」。
**六つ目** ― 沈むような藍碧色。重力を操作する「引力渦」。
**七つ目** ― 光沢を放つ真紅。生命の根源を奪う「栄養吸収」。
これら七つの太陽は自由自在に軌道を変え、地上を蹂躙する怪物群を迎え撃つ!
骨格標本たちが鎌で斬りかかる!
しかし蒼穹太陽が接触した途端──
鎌の骨は霜柱と化し砕け散った。
童子の黒洞が膨張する!
そこから放たれる無属性の吸引光線!
黄玉太陽がこれを真正面から受け止める。
光線が触れると同時に黄色い閃光が炸裂!
童子は骨格まで分子分解され微粒子となって消滅。
ガラスの骸が高温マグマを放出!
真紅太陽がそれを吸い込む!
灼熱の液体はまるで餓えた巨人の胃袋へ飲まれるが如く吸収され……
骸自体が干涸びて脆いガラス片となった!
地上の怪物たちが一掃されていく傍ら、
カランディーニは天空を翔けている。
彼の黒外套が幾重にも分離し蝙蝠の大群と化した。
その翅脈からは漆黒の瘴気が噴き出す!
「あぁァあああアっ……スばら死いぃぃっ、やはr、人間は素敵だぁ……」
愉悦が度を過ぎて情緒不安定となった主に呼応するように
狂った世界は異常さを増していく。門の一つが大開する!
**──そこは赤子たちの泣き声が満ちる空間──**
無数の嬰児が黒い羊水のような液体の中を漂っている。
彼らは口々に訴える。
「お腹すいた……」「おっぱい欲しい……」「ママはどこ……?」
そんな哀願とは裏腹に、
子供たちの体から伸びる触手が蠢く!
「ひひっ……」
タオは歯を食いしばる。気を乱さないよう必死だ。
だが感情の起伏が直接七つの太陽へ影響を与える。
例えば怒りが膨れれば真紅太陽が凶暴化し
悲しみが募れば緑翠太陽が狂った成長を見せるのだ。
そこに突如現れた──
巨大な哺乳瓶を咥えた半人半馬。
下半身は黒馬。上半身は白衣の乳母。
哺乳瓶の乳首が歪に尖り触手状に変形している。
「お飲ませしなさい!」
乳首触手が数十本の赤子へ突き刺さる!
注入されているのは──
「魂を貪る泥濘だ!」
シャルヴィルトが絶叫した。
「触れるなタオ!」
青ざめたタオの意志が反映されたように
蒼穹太陽が駆けつけ凍結させる!
触手の先端が凍てつき折れる。しかし乳母は怯まず
「お残しは許しません!」
哺乳瓶ごと蒼穹太陽へ突撃!
接触した瞬間──
液体窒素のような低温と泥濘の汚穢が混ざり合い
周囲一帯が異質な灰色の沼地と化した!
黄金木竜の七太陽もその影響を受けた。
色褪せた翡翠の沼底から不吉な苔が繁殖し始める。
「あっ……ダメッ!」
タオの悲鳴は届かない。
灰色の沼が木竜の根本へ浸潤する。
腐食菌が樹脂状の気脈を食い荒らすのだ!
「くそっ……!」
シャルヴィルトが最後の抵抗とばかりに残存魔力を注ぎ込む。
右腕が巨大な樹根へ変貌し沼を堰き止めようと試みるが──
「きゃわいぃいいいぁあっ!」
カランディーニの瘴気蝙蝠が群れて襲いかかる!
羽毛が鋭利な剃刀と化し木竜の幹を切り刻む!
タオの意識が混乱し七太陽の制御が瓦解し始めた。
──崩壊寸前──
ふと、視界の隅で奇妙なものを見た。
灰色の沼地の一角だけが澄んだ碧水に変わっている。
そこで一匹の魚が跳ねた。
その鱗は七色に輝く。
「あ……」
唐突に思い出した。
幼い頃故郷の川で見た蛍烏賊(ホタルイカ)。
夜になると水面を漂いながら柔らかな光を放つ小魚たち。
懐かしさが胸に温もりを灯す
同時にタオは気付いた。
この腐敗した沼地を浄化するために必要なのは
力任せの排除ではなく──
共生と共鳴だ。
七色の魚を見つめる。
それがきっかけとなって沼地全体に変化が起きる。
苔の隙間から黄金の稲穂が芽吹き始めた!
「しゅごい……しゅごしゅぎりゅのぉぉっ!!」
カランディーニの愉悦が歪んだ。
灰色の汚穢が清浄な黄金に還元されていく!
タオの体内で気脈が劇的に変質した。
これまで暴力的だった黄金の流れが
今や柔らかく包容する河の流れとなる。
「母なる流れよ──」
詠唱ではなく祈りのような呼びかけだった。
彼女の腹部から膨大な気が黄金の母川として溢れ出した!
黄金木竜がその奔流に呑まれる。
幹は大きく膨張し葉は黄金の蓮の花弁と化す。
そして枝葉の全てが巨大な花托へ集合し始めた。
完成したのは──
【黄金無垢大樹(ゴールデン・エデンツリー)】
七つの太陽がそれぞれの実として鎮座する。
それぞれの果実は神々しい光を放ちながら
互いを補完しあうように輝く。
「─────────……っ! ……」
カランディーニは興奮のあまり言葉すら出ない。
大樹から発せられる波動は「浄化」を超えた領域だ。
生物を構成する元素そのものを善なる方向へ還流させる。
つまり──
「全てを原初へ帰すのね」
タオは静かに告げた。
大樹の根が大地へ深く穿たれる。
地中に埋もれた怪物たちの残骸から怨念まで
根が吸収し清浄な氣へ転化させる。
カランディーニの瘴気蝙蝠たちも例外ではない。
接触した個体から順番に純白の羽毛へ変容し
天へ舞い上がっていった。
「いきゅぅぅぅっ!!」
カランディーニの喘ぎが砦全体を震わせた。
漆黒の槍斧──その刃は虚空を抉る絶望の権化。
異形の鎌──死神さえ恐れる死の執行官。
召喚された死の使いが黄金無垢大樹へ吶喊!
だが──
タオは動じない。眼を閉じて佇むのみ。
彼女の唇が小さく動く。
**慈恵(じけい)なる旋律よ**
**狂奔せし刃を沈静へと誘え**
**罪深き魂へ安寧の裁きを──**
歌声とも呼べぬ儚い韻律。
しかしそれは空間を満たす清涼な香気に変わり
鎌と槍斧は次第に重みを失う。
最終的には──
漆黒の槍斧は水晶の如き透明感のある長槍へ。
異形の鎌は華麗な銀線が織り成す扇へと変貌していた。
「おぎゃぁっ、いぎゃぁあああああっ!」
その慟哭が引き金となった。
主の絶望に呼応し門が更に多数開放する!
新たな地獄の住人たちが続々と現れる。
しかし彼らは既に遅すぎた。
黄金無垢大樹から黄金の雨が降り注いでいる。
砦の石材も泥土も悉く清浄な黄金色に染まっていく。
その中で怪物たちは泡のように溶けていった。
門より無尽蔵の虚無が噴出する。
黄金の雨も無垢大樹も例外なく吸引範囲に入っていた!
だが──
タオは静かに歩み出た。
その裸足の足跡が黄金の蓮池と化す。
「終わりにするね」
骸骨主へ向かって手を差し伸べる。
掌から淡い光の糸が放射状に広がった。
光の糸はカランディーニの周囲を包囲する。
それ自体が捕獲網であることに彼は気付いていない。
「にゃぁぁぁぁっ!?」
主のエクスタシーが臨界に達した。
虚無の吸引力が最大値に達する!
しかしタオは微笑んだ。
「あなたも一緒に浄化しちゃうアル」
光の網が虚無の中心へ収縮。
カランディーニごと虚無の深淵を包み込む!
その刹那──
黄金無垢大樹が開花した。
全花弁が一斉に展開し巨大な黄金の傘となる。
その中央部に七つの果実が浮遊する。
そしてタオ自身もまた変身を遂げる。
彼女の皮膚が半透明の薄膜に覆われていく。
内部で黄金の流動が胎動し虹彩を形成する。
完成したのは──
黄金の蛹である。
内部で孵化する何かを感じながら
蛹は静かに七つの果実を取り込む。
結果として現れたのは──
【黄金の蝶】
翅を畳んだまま宙に浮かぶ。
その体躯は砦全体を凌駕する大きさだ。
開翼。
黄金の鱗粉が砦全域へ舞い散る。
粉塵一つひとつが小さな太陽である。
虚無の深淵も無残だ。
黄金の鱗粉により無限の飢えが満たされていく。
真空さえ黄金の星雲へ変貌し
カランディーニ自身も黄金の胎児となっていた。
「あぁ……おぎゃぁ……」
産声と断末魔が融和する音色が響く。
全ての門が収束していく。煉獄のエネルギーが
黄金の蝶へ捧げられる儀式。
最後に残ったのは──
純粋な光の塊となったカランディーニだった。
シャルヴィルトは呆然と呟いた。
「奇蹟なんて甘い言葉じゃ表現できない」
蝶はゆっくりと下降し
その頭上で巨大な金色の卵を産み落とした。
落下地点は砦の中心地だった場所。
卵殻が孵り中から現れたのは──
無数の赤子たち。
しかし彼らは健康な肌と純真な眼差しを持っている。
皆幸せそうな表情でタオの周りに集まってきた。
黄金の蝶は静かに羽を畳む。
すると蝶自体が輝く光輪へ収縮し
タオの身体へ吸い込まれていった。
「これは……新たな種族なのか」
シャルヴィルトの問いに答えはない。
タオは嬉しそうに赤子たちを撫でている。
その仕草には母親の慈愛があった。
一方で彼女の背後では
黄金無垢大樹の根が深層に到達し
地下に眠っていた死者たちを解放している。
亡者たちの魂が天へ昇華し大地に命を与え始めた。
砦そのものが巨大な生命体となりつつある。
廃墟であったはずの場所から新緑の若葉が萌え出す。
岩肌には苔が這い石壁には葡萄棚が絡み始めた。
タオの周囲では赤子たちが笑い
遠くでは解放された亡者が感謝を告げている。
全てが祝福の合唱に聞こえた。
その時ふと気づく。
タオの瞳の色が変化していた。
黒曜石のような漆黒だった瞳が
今は七色に輝いているのだ。
それは彼女の体内で渦巻く七種の氣の証だった。
「あの……ね?」
幼い声音で赤子の一人が言う。
「ママのおっぱい……ほしいの」
タオは微笑んで乳房を開く。
授乳が始まった。赤子たちが次々と群がる。
シャルヴィルトは咳払いをして顔を逸らした。
カランディーニは感動のあまりハンカチで溢れ出る涙を拭う。
………………?
「─────────ナニをしている」
──カランディーニがゆっくりと振り返った瞬間、
シャルヴィルトの本能が警鐘を打ち鳴らした。
黒檀の骨格標本も硝子の骸も血塗れの童子も全てが消失していた。
砦には彼らとカランディーニだけ。虚無の深淵すら閉じられている。
舞台は整ったというべきか。あるいは──
「素晴らしいひとときをありがとう」
カランディーニの声には蜂蜜のごとき甘さが含まれていた。
「少々……惜しいけれど」
爪先が軽く地面を叩く。
「『本気の一端』をご覧に入れよう」
その宣告と同時だった。タオの視界が歪んだ。
最初の異変は光。
カランディーニの周囲を縁取る黒い輪郭が揺らぐように波打ったかと思うと
次の瞬間には無数の針が放射状に噴出してきたのだ!
「っ!」
タオは咄嗟に両腕を十字に交差し守りに入る。しかし衝撃は想像以上だった。
針一本一本が鋼鉄の槍の鋭さを有し
しかもそれぞれが独立した意思を持つかのように軌道を変える。
袖布が紙のように裂け腕の皮膚から血が噴き出す。
防御態勢など意味を成さなかった。
「まだまだこれからだよ?」
愉悦を滲ませた嗤い声とともに第二波。今度は触手だ。
カランディーニの影から生えた触手は蛇のごとく蠢きタオの四肢に絡みつく。
ヌルリとした冷たい感触が肌に食い込み骨が軋む音が耳朶を叩いた。
「ぐあっ……!」
苦悶の声を漏らすタオ。しかし触手の真の脅威はそこではなかった。
表面に浮かぶ無数の微細な棘から滴る紫の粘液。
それが肌に触れると同時に焼けるような痛みと痺れが走る。
神経そのものが侵蝕されていく感覚だ。
「ほぅ……なかなか耐えるじゃないか」
カランディーニは芝居がかった拍手を送った。
そして指先を軽く翻す。すると触手がさらに分裂し数倍の密度となった。
今やタオの全身は紫の茨の檻に囚われている。
一方でシャルヴィルトも苦境に立たされていた。
カランディーニの放つ瘴気の靄が彼の四肢を重く蝕んでいる。
木竜を召喚しようとするも魔力経路を遮断される。
指一本動かすだけで全身に亀裂が走るような錯覚に襲われる。
「どうだい? 私の『恩寵』は」
カランディーニの笑みが深くなる。
「抵抗すればするほど苦しみが増す。美しいだろう?」
その言葉通りだった。タオが必死に気を練り防御しようとするほど
紫の粘液は活性化し焼け爛れた肌から白煙が上がる。
呼吸すら困難な濃密な瘴気が喉奥に絡みつき嘔吐感がこみ上げる。
視界が徐々に霞み焦点が合わなくなっていく。
「もう……これ以上は……」
掠れたタオの声は希望ではなく諦めに近かった。
黄金無垢大樹の力を以てしても今のカランディーニには通用しない。
その事実が彼女を蝕んでいた。
「君たちには感謝しているよ」
カランディーニは優雅に一歩前へ進み出た。
漆黒の外套が風もないのに揺らめく。そこから現れたのは
鈍く光る銀色の鎖。
「だからこそ……」
彼の双眸が妖しく輝く。
「最高の形で終幕としたい」
銀鎖が空中で絡め取ったのは産まれ落ちたばかりの無数の赤子たち。
「イヤッ、ヤメっ……ダメあるぅぅッ!!」
ナニが起きるか察したタオが絶叫するも現実は容赦なく牙を剥く。
カランディーニが指を弾いた刹那、銀鎖に囚われた赤子たちの肌が粟立った。
「ひっ……や……」
最初に異変を訴えたのは最も小さな男児だった。
無垢な泣き声が喉奥で途切れる。
ぷっくりと膨らんでいた桃色の頬が
急速に乾燥し灰褐色に変色していくのが見えた。
「ママ……?」
タオの方へ手を伸ばす少女の掌から鱗のような黒い斑点が浮かび上がる。
爪先が針のように鋭く伸び皮膚を突き破った瞬間、鮮血が弧を描いて飛び散った。
「やめろ……お前……ッ!」
シャルヴィルトの怒号は瘴気に阻まれ届かない。
カランディーニは愉しげに踵を鳴らす。
「美しいだろう? 新たなる生命の誕生というべきかな?」
赤子たちの変異は加速した。
純粋だった瞳孔が垂直に裂け爬虫類のような縦長の瞳に変わる。
口唇が縦横無尽に裂け鋭い牙列が剥き出しとなった。
衣服を押し上げる筋肉が隆起し矮躯の割に不自然な剛腕を形成していく。
「これは……まさか……」
タオが絶句する。
目の前で展開する光景は転化どころではない。
赤子たちは肉体的にすら大人の吸血鬼を超越する怪物と化しつつあった。
「違う、タオ……」
シャルヴィルトがかすれた声で否定する。
「コイツらは『生まれ直している』だけじゃない。
『進化した生命』という前提を挿入された異なる時間軸・別の世界線そのものだ」
その言葉を証明するように変貌は最終局面を迎えた。
少年の背中を突き破って蝙蝠の翼が生える。
少女の下半身が蛇のように伸びる。
赤子たちの群れが瞬時に異なる種別の吸血鬼へと昇華したのだ。
「さて……」
カランディーニが恍惚と瞳を細める。
「宴を始めようじゃないか」
彼の命令一つで赤子たち——
否、新生した吸血鬼たちが一斉に行動を開始した。
変異を終えたばかりの醜悪な肉塊がタオの肢体へ躍り掛かる。
吸血鬼としては生まれたての最下等の低級眷属だがその力は異常だった。
「くぅ……っ」
タオが身を捩って抵抗するも意味を成さない。
新生眷属の牙が鎖骨に噛みつくと
鋭い牙先から分泌される唾液が彼女の体内で劇的な反応を起こす。
心臓の鼓動が狂ったように跳ね上がり思考が白く霞んだ。
「いやっ……こんな……こんなの……」
拒絶の呻きもすぐさま嬌声へ変わる。
カランディーニの魔術がタオの神経回路を直接歪曲させているのだ。
恐怖や嫌悪の情動が即座に快楽へ転換される。
「お前たちが守ろうとした者たちに犯される気分はどうだい?」
シャルヴィルトの眼前でタオの肢体が弄ばれている。
眷属のひとりが股間から伸びる管状の器官を強引に挿入する。
タオは反射的に悲鳴を上げたが、その声すら淫らに蕩けていた。
「ああっ……だめぇ……やめて……ああっ!」
羞恥と屈辱で涙が溢れる。
それでも肉体は勝手に反応してしまう。
眷属の生殖器から放出される媚毒が血管を巡り中枢神経を麻痺させる。
理性の楔が砕け散るのがわかる。
「シャル……ト…………」
助けを求める声もすぐに鼻にかかる甘い喘ぎに変わる。
彼女は自分から腰を浮かせてしまう己に戦慄した。
その惨状を前にシャルヴィルトは拳を固く握るしかない。
瘴気によって四肢が萎え視界は砂嵐のように歪んでいる。
かつての仲間たちの怨念が彼の魔力回路を縛り付けていた。
「……何も出来ないのか……」
悔恨と共に零れた言葉。
シャルヴィルトの視線の先で惨状が進行する。
カランディーニの嗤笑が谺する砦内でタオの肢体は完全に蹂躙されていた。
「もっと……もっとぉ……」
最初に反応を見せたのは乳児型の眷属だった。
その稚拙な五指がタオの乳房に吸い付く。
肌が千切れそうなほど強く掴み肉が指の合間に溢れ出す。
痛みが神経を逆撫でするも媚毒に侵された身体はそれを快楽と誤認する。
「ひぐっ……! 痛いのに……なんで……!」
乳暈が腫れぼったく膨らみ乳輪が充血して勃起する。
母乳を求め吸啜を続ける眷属の口腔内では唾液が粘稠な糸を引きながら
牙が肉豆を挟み込み転がすように刺激する。
乳頭の先端部は出血し朱殷が伝うも
その鉄臭さがさらに眷属の食欲を煽る結果となる。
「やめ……それ以上は……あ゛あ゛っ!」
悲鳴じみた喘ぎもやがて甘ったるい熱を帯びていく。
赤子の無邪気な欲望がタオの女性機能を目覚めさせてしまった。
乳輪の表面を舐め上げる舌先が巧みに焦らすように動く。
まるで性具のような扱いに彼女の膝が震えた。
「皆、正気に戻って……お願い……」
懇願は虚空へ消える。
シャルヴィルトの視界には彼女の痴態だけでなく
周囲を取り囲む眷属たちの変容ぶりも映る。
少年体型の者は下半身を異様に肥大化させ
醜悪な肉塊を猛り立たせている。
「ママのおっぱい……もっとちょうらいよぉ……」
涎を垂らしながら迫る少女型の眷属。
その掌は明らかに異形の形状へ変化していた。
爪が五センチも伸びて剣のように湾曲し
掌全体が触手状の襞を生やしている。
タオの腹部に貼り付けられた触手群が蠕動し始める。
皮膚の下を探るように蠢く感覚が胃袋を掻き乱す。
「お腹……中……くるしっ……!」
内部で暴れる触手の動きに合わせて下腹部が不規則に膨れ上がる。
子宮口へ直接触手が潜り込む衝撃で膣内が痙攣する。
排泄欲にも似た圧迫感が脳髄を直撃した。
「ひぎっ……! やっ……中で動いて……!」
触手は子宮壁を舐めるように滑りながら愛液を啜る。
吸盤状の先端がポルチオを捉え何度も吸引する。
快楽の奔流があまりに激しすぎて目眩がした。
タオの膝から力が抜け地べたへ崩れそうになるも
待ち構えていた雄型の眷属たちが彼女の脚を割り開く。
「おい……そんな乱暴に……!」
シャルヴィルトが怒りを露わにするが拘束は解けない。
彼の首筋に絡む影から伸びた蜘蛛の糸が気道を締め上げる。
「ぐふっ……!」
視界が暗転しそうになる寸前でカランディーニの指が止まる。
「見届ける義務があるだろう?」
嘲るような口調の裏には明らかな嗜虐心。
タオの秘唇へ雄型の肉竿が押し当てられる。
先端から滲み出る粘液が陰唇に触れると
火傷のような灼熱感が走った。
「入れちゃ……だめぇぇっ!!」
拒絶の叫びも虚しく巨大な亀頭がめり込む。
メリッ……ミシッ……
隘路が無慈悲に押し拡げられ肉が裂ける。
しかし痛みも媚毒の影響で性感へ変換された。
「はあんっ……! 痛いぃ……けど気持ちい……おかしくなるぅっ!」
内腿に添えられた掌の指が食い込む。
柔肉を掴みながら抽挿が始まるとタオの背中が弓なりに反り返った。
蜜壺を満たす液体が泡立つほど激しい注挿。
「お゛ぉ……お゛く゛っ……あたってりゅっ……!」
子宮頸部をノックされる度に目の前に火花が散る。
タオは知らずうち己から腰を振り始めていた。
もっと深く抉って欲しい──
禁忌と欲望が葛藤する脳髄の中で
肉体だけが正直に反応を示す。
シャルヴィルトの喉奥が震えた。
力を合わせ共闘した盟友の堕落した姿。
「タオ……!」
名を呼ぶ声はかすれて届かない。
タオの嬌声だけが砦内に響き渡る。
「赤ちゃんたち……ごめんなさい……なのに……こんなぁぁっ!」
謝罪の言葉とは裏腹に彼女の臀部は積極的に上下運動を繰り返す。
膣内の襞が男根に絡み付き射精を促すように締め付ける。
タオ自身が気づかぬうちに娼婦のような動きを覚えてしまっていた。
「さすがだねぇ……」
カランディーニが感心したように呟く。
「無垢な赤子の純真な性欲と堕落した女の欲望が
ここまで混ざり合うとは予想以上だよ」
その言葉通りだった。
周りを取り囲む眷属たちはそれぞれ独自のやり方でタオを貪っていく。
右胸に食らいつく者と左乳房を揉みしだく者
尻穴を弄ぶ者と口唇を奪おうとする者。
あらゆる角度からの責めにタオの神経が過剰反応する。
「ひゃあんっ! 全部……ダメぇぇ……壊れちゃうぅぅっ!」
タオの体内で絶頂が重複する。
膣内での脈動と乳房への吸引
腸壁越しの子宮揉みと口腔内の蹂躙。
四点同時責めに頭蓋骨の中で何かが弾けた。
「イグゥゥゥゥゥ──―ッ!!!」
全身が硬直し膣襞が収縮する。
雄型の眷属が歓喜の声と共に大量の白濁を放出した。
子宮内に流れ込む温もりが彼女の精神を溶かしていく。
「まだ終わっていないぞ?」
シャルヴィルトの耳元で囁く声。
カランディーニが新たな触媒を投げた。
それは地面に落ちると青紫色の蕾を開き
催淫芳香を撒き散らす。
「もう……許して……もう……ダメ……」
涙と汗と粘液で塗れた顔が哀願する。
だが眷属たちの欲望は飽きることを知らない。
さらに別の雄型の眷属がタオの四肢を抱え上げる。
「いやっ! まだっ……敏感になってるからぁぁっ!」
休む間もなく新しいペニスが侵入する。
先程の雄型より一回り太く
カリ首に刺状の瘤が浮き出ている凶悪な形状。
抽挿するたび膣壁のGスポットを無作為に引っ掻く。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛──―ッ!!」
絶叫と痙攣が連続する。
タオの瞳孔は完全に拡大し
意識の境界線は溶解していた。
「くそ……っ……」
シャルヴィルトは無力さに歯軋りする。
「お前のせいだ……全部……お前のせいで……っ!」
憎悪の矛先をカランディーニに向けるも
吸血公爵は悠然とワイングラスを傾けるのみ。
「責任転嫁かい? 哀れなものだ。そもそも君が始めた物語だろうに」
彼はタオを指さした。
「見たまえ。彼女こそが『創造主』なのだよ?
ならば当然……彼女には『製造物』を愛でる責任がある」
シャルヴィルトの眼が見開く。
タオの腕の中で新しい命が蠢くのが見えた。
「嘘だ……まさか……本当に妊娠を……!」
眷属たちは既にタオの子宮に精液を注入し続けている。
しかも普通の精子ではない。
吸血鬼の因子を帯びた異種の遺伝情報が
人間の卵子へ侵入を試みる。
「おめでとう」
カランディーニが恭しく一礼する。
「新たなハイブリッド種族の誕生だ。母体が君なら
きっと素晴らしい『作品』ができるだろう」
シャルヴィルトの叫びが空しく谺する。
タオはもう己の胎内で育ち始めた生命の胎動を感じ取っている。
それが彼女の子供なのか怪物なのか判別不能なまま──
「生まれてくるよぉ……わたしの中に……たくさん……」
甘い絶望の囁きが砦に木霊した。