ツポレフ学院はそこまで雪の深い地域には位置しておらず、装軌車両でなくても充分に走破できる位置にあるという。
「寒いね、マリーナ。」
「うん。久しぶりだよ、この寒さは。ほら、おいで。」
「うん。」
トラックを降りてからは手を繋いで……というより、ピトッとくっついて、比翼の鳥のように一緒になって除雪された道路を歩いていく。建物に隠れていてようやく見えてきた格納庫は想像以上に大きくて、重力を無視しているのではないかと思うほどのサイズであった。僅かに開いたシャッターから覗くとそこは翼竜達の共同営巣地のようである。
「人間用の飛行機もあるからね。ほら、あれとか。」
格納庫で翼を休める巨大な金属の翼竜がそこには居た。
「大きい……。」
「あれはTu-119。原子力飛行機計画で作られた試作機だよ。まあ、ここではDOLLSと物資の運搬用として現役みたいだけど。」
「こっちは?」
高足蟹のように脚がスラリと伸びた無骨でほっそりとした巨体が目に入る。(作者より補足:ツポレフ風ダイムラー・ベンツ プロジェクトCといった調子。そのうち描きます……多分)
「こっちはね……えー……言って良いのかな……。」
「マリーナ代理人。」
知らない声が背後から聞こえた。
「ラ、ライカ隊長……!」
振り返る。巨体に似合うスラリとした長身の女性が口元を隠して敬礼していた。思わず私も敬礼してしまう。
「直れ。」
敬礼を解除する。
「君が八九式中戦車か?」
この人がライカ隊長……。
「粗茶ですまないが……。」
「いえ、ありがとうございます。」
「ありがとうございます……少佐。」
格納庫の隅の小さな2F事務所のストーブで暖を取る。桃のカンポットはとても温かく、凍えた身に染み入るお味。
「美味しい……。」
「そうかい。それはよかった。こうやって人にウズワルを出すのも久しぶりでね。」
「少佐、レナ大尉はお元気ですか?」
「彼女なら今は……。」
座ったまま事務所のカレンダーを凝視する少佐。顔の下半分は未だスカーフで隠されている。
「……訓練中だね。」
「そうですか……。」
「要件があって来たのだろう?」
「そっ、それはそうなのですが……。」
マリーナの口が止まる。ゆっくり……ゆっくり……。
「結婚の挨拶、とかそのあたりか?」
「えっ、えぇ……。」
なぜ、わかったのだろう。
「おめでとう、マリーナ。八九式中戦車さん、マリーナ・クズネツォヴァ大尉……じゃなかったマリーナ代理人を頼むよ。私はもう見ての通りロートルも良いところだからね。」
「い、いえ、そんな、ロートルだなんて!」
マリーナは俯いてしまって何も言えないみたい。
「ハハハ……。はぁ……すまない。実は私から君たちに伝えておくか迷っていたことがあって。」
少佐がスカーフを取ると……!?
「くくく、口がっ……!」
「少佐……!?」
口が裂けている!?リアル口裂け女!?
「あー……君たちもやっぱりこうなるか。話せば長くなるんだがな……。」
かつて御息女のレナ大尉に誤射されて裂けた口をそのままにしているのだという。
「これで私の口が裂けてしまった事、はもう説明したな。あとは……(少佐が事務所の窓を開ける)フェンリア、あれを持ってきてくれ!あれ!」
「わかった!」
事務所の外から声が聞こえた。
「この声はアンナ大尉……。」
「一部DOLLSのコードネームと被ってしまってね。ARMSの識別名で呼び合うことにしているんだ。だから……例えば私はフィドラーになる。」
「ふぃどらぁ……?」
「F.I.D.D.L.E.R……少佐のコードネームだよ、八九式。」
「意味はバイオリン弾き、または詐欺師になる。」
「おぉ……。」
なるほど……。
「ということはフェンリアは北欧神話の……。」
「そう。オオカミさ。」
ドアを優しく叩く音。
「失礼します。」
少佐よりは幾分か若く見えるウルフカットに狼耳の少女が布に包まれた長物を携えて入ってくる。少佐も少佐で若く見えるのだけれど……。
「フェンリア、ありがとう。」
彼女がフェンリアことアンナ大尉……。
「さて、マリーナ代理人、八九式中戦車殿……貴殿らにはこれを授けよう。」
布に包まれた長物を2人で受け取る。軽いけれど、同時にずっしりと重い。
「この重さ……。」
「察しが良いなマリーナ代理人。私からの餞別だ。」
事務所を出て階段を降りていく。本来の目的を忘れていた。
「マリーナ、盗撮被害について話さなくて良いの?」
「あっ……。」
「ん?盗撮被害?」
「?」
急遽、4人で事務所に戻って扉と窓を閉めてブラインドを下ろす。
「フィドラー少佐、最近、どうにも私の私室に盗撮器が仕掛けられているようなんです。」
「ふむ……?」
フィドラー少佐の眼光が鋭くなる。フェンリア大尉は表情一つ変わってない。
「なぜそのように思う?」
「実は、TB-3さんにクマのぬいぐるみを頂いてから……。」
その瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。空気が凍る。フィドラー少佐は鋭い眼光のままで、フェンリア大尉は変わらない。
「フィドラー少佐、いらっしゃるかしら?」
TB-3さんのような声がする。
「ベアか、モスは居るかい?」
「……? 居るけど?」
「入って良いよ。」
「失礼するわ。」
扉を開けて入ってきたのは民間機の機長の制服を着たTB-3さん……にそっくりの人物2人。片方は目の色が右目だけ赤く、もう片方はより背が高くてやや胸が小さい。
「紹介しよう。こっちはTu-95……ここでは"ベア"と呼ばれている。」
オッドアイの人物がベアさん……。
「ベア、こちらはマリーナ代理人と、その副官の八九式中戦車。」
「どうも。」
「よろしくお願いします。」
よろしくお願いしますと伝える。
「そして……こっちがTu-126"モス"。彼女はベアの妹だな。」
「ど、どうも……。」
妹さんの方は少し内気らしい。
「二人は普段、輸送機の操縦手と設計技師をしていてね。一応要請があれば電子戦やら爆撃任務やらに動くけれど……まあ、違う指揮系統だからあまり当てにしないでくれ。それで……ベア、私になにか用だったかい?」
「これを確認して頂きたく。」
「どれどれ……。」
渡されたファイルを開いてフィドラー少佐が長考すること一分。
「……却下。ここの構造はこの素材に変えたほうが強度も強く出来るし、もっと軽量化できるはず。再提出を命じる。」
「……了解。」
ファイルを閉じて返して2人を追い出すフィドラー少佐。
「一応もう一回言っておくが、マリーナ代理人、貴官の部下のTB-3とベア、モスは学院が一緒なだけで関係ないからな。」
ぬいぐるみの盗聴器、隠しカメラについて説明する。フェンリア大尉の顔も遂に険しくなった。不思議とTB-3さんの顔がちらつく。
「もしかしたら……ツポレフの家系はそういった変態になりやすいのかも……。」
ふとフィドラー少佐が呟く。
「えっ……?」
「実はベアもそういうところがあって……。」
このCityには"代理人"と呼ばれる指揮官が複数居て、その正体は真人間だったり、DOLLSだったり、ロボットだったり……ベアさんの旦那さんも"代理人"なんだとか。そして、ベアさんは代理人と同僚の性行為を窃視していたという。えぇ……。
「マリーナ、やっぱり……。」
「帰りは送らせよう。ベア以外に。」
「八九式、ここは素直に。」
少佐が内線に手を伸ばす。
「エカテリーナ、送迎をお願い。」
しばらくしてエカテリーナと呼ばれた長身の女性が事務所に入ってくる。
「ど、どうも……。」
この人も内気だった。
マリーナに代わってエカテリーナさんがトラックを運転してくれていて、私は荷台で後方を警戒している。かつて、赤色十月の人間は運転が荒いという偏見をなぜか持っていたけれどそれは本当にただの偏見だったのかもしれない。とてもスムーズに運転していて、気配りも上手。話を聞くと……。
「実は……私は重戦車型DOLLSのObject289と言います。」
他の重戦車型DOLLSのARMSよりも大きなARMSを普段から乗りこなしていて、私たちが乗ってきたような比較的小さなトラック程度ならそう難しくないという。
「Object289……聞いたことのない名前ね。」
「うぐっ……。」
「マ、マリーナ……。」
「資料上は私は存在しない筈の戦車です……おそらくベア教官とスチュアート代理人に引き取って貰っていただけなければ私は……。」
「ま、前!」
「ひっ……!」
前方の車を間一髪で減速して避け、尚も走る。少し速度が落ちた。
「ごめんね。嫌なこと聞いちゃったね……。」
「いえ、そんな……。」
「あっ、そうだ。obj289(略称)、重爆撃機の寮を紹介してくれない?」
「えっ?良いですけど……。」
「ありがとうね。」
寮主さんの許可を得て(代理人の地位は非常に高いらしく、顔を見た瞬間に通行を許可してくれた)1FのTB-3さんの部屋の前に来た。建物の外から窓を見た時、カーテンが降りていて何も見えなかった。
「TB-3、居る?」
「おかしいですね……だいたいこの時間は講義もなくて居るはずなのに。」
「マリーナさん。」
「……八九式。」
「えっ、えっ、えっ……?」
破壊鎚……は無いけれどマスターキー(解錠用散弾銃)はある。
「ちょっと……!マリーナ代理人!」
バン!
「突入!」
「あわわ……!」
「マリーナ!待って!」
部屋の廊下に設けられたワイヤーに気がついた。
「ブービートラップか……。」
冷静にワイヤーの先を廊下を跨ぐように設置されていて……見えない。
「私が……行きます。」
「待って!」
マリーナが叫ぶもobj289さんが一足早く突っ込んでしまった。その瞬間、強烈な閃光と大音響が部屋に響く。何も見えず、ただ姿勢を低くするしかなかった。
目眩と視力低下が落ち着いた頃、再度部屋に入るとマリーナと私の写真が壁一面どころか天井、床にまでびっしりと貼られていることに気がついた。床は床でしっかりと動線は確保されているあたり、器用に避けていたらしい。
「……TB-3の行方を調べないと。」
「マリーナ代理人、これ……もしかして……。」
「録画データか。obj289、少佐のところへ。」
「は、はい……!」
ハンガーにとんぼ返りしたところ、煙がシャッターの隙間から漏れ出るハンガーを背にフィドラー少佐が頭を抱えていた。
「参ったなぁ……。」
「し、少佐……。」
「ん?あ、あぁ……すまない。エカテリーナ、マリーナ代理人、八九式中戦車、おかえり。何か収穫はあったかい?」
「え、えぇ……かなり……。」
「となると……ハンガーに火を放ったのは追撃を阻止するため、か。これだから人間もDOLLSも嫌いだ……。」
スプリンクラーと特殊消火機材で消火した後で事の荒巻を伝えると妙に納得できたらしい。TB-3が火を放って逃亡、追撃に上がれる機体は政治的な理由が絡まって……直すまで無い。
「話は聞いたわよ、フィドラー少佐。」
「……ベア?モス?」
私たちの後ろからベア姉妹が現れた。
「そうか、わかった。」
「どうなりました!?」
「5分で非武装の予備機が来る。当該DOLLSは到着後に降機して地上待機するそうだ。」
「そうですか……。」
「モス、君のレーダーでTB-3を探して欲しい。」
「えっ、私が、ですか?」
「警戒機は君だけなんだ。頼むよ。」
「ベア、君はモスの護衛だ。」
「了解。モス、私がついてるからね。」
私たちは地上で待機することになる。フィドラー少佐のボディカメラとテレビジョンを中継で繋いで、指示を出すのがマリーナの役目となった。
フィドラー少佐のボディカメラからの映像がテレビに映る。
「フェンリア、ソラノカケラを取り戻してくるよ。」
「……お姉ちゃん、生きて帰ってね。」
「お母さん、ご飯作って待ってるから。」
「レ、レナ!?訓練は!?」
「レナ大尉……ご無事だったんですね……。」
マリーナが泣いている……。
「あー……おっほん。諸君、この
フィドラー少佐機がARMSを確認する。右手には零戦の20mm機銃、左手には何やら警棒のようなものを持っている。
「後方良し……スロットル開放、脚部ブレーキ維持、武装選択モードを解除。レーダーは捜索モードに……よし。」
「ブレーキ解除。」
ジェットエンジンの轟音と共に少佐が急加速する。よくあんなに加速できるものだと思う。
「着陸脚を格納、フラップ解除。ベア、モス、聞こえる?」
「こちらベア、感度良好。ターゲットを発見せり。」
「確認。」
「ターゲットは
「無理しないように。」
「了解。」
加速して地上付近まで降りていく少佐機。凍った運河の上を加速しながら滑るように飛んでいく。うわっ!橋の下を潜った!
「一度上がるか……。」
橋を潜った直後に急上昇して、まっすぐに昇る少佐。
「……見えた。ベア、ターゲットは子機を連れている!子機がそっちに向かっているぞ!」
「何……!モス!下だ!突き上げてくるぞ!右に回避だ!」
「きゃあっ!」
ベア姉妹を下から奇襲する正体不明の敵性DOLLSを少佐機のカメラが捉えた。
「あ、あれは……。」
「八九式、何か知ってるの?」
双発のジェットエンジン……そんな……まさか……。
「橘花!来ます!」
「何!橘花だと!」
「はい!」
「ベア!速度で振り切れ!もうすぐ着く!」
「このぉ……!喰らえ!」
橘花の右翼を20mm徹甲曳光弾で叩き折る少佐。
「フィドラー少佐!助かった!当機は損傷軽微なれどモスが中破!戦闘の継続は困難と判断する!」
「了解……上だ!来るぞ!」
ジェット戦闘機に蹂躙されるベア達を私達は黙ってみているしかなかった。フィドラー少佐がある程度奮闘しているとは言え多勢に無勢で、残りの橘花や秋水、景雲に追い回されて疲労しているように見えた。
「きりがない……!」
「フィドラー少佐!こちらには構わず追跡して!」
「だがしかし!」
「腐っても私達はもう十数年は戦ってるの!その程度でやられる様なDOLLSではないわ!」
「わかった……!」
突き上げてくる別の橘花の右エンジンを機銃でもぎ取ったフィドラー少佐が急降下していく。マガジンを運河の上で捨てて交換した。
「空襲警報!方位120!高度10m!早く行って!」
「後は頼む!」
「レーダー反応……目視…………居た。」
少佐がゴマ粒の様な点に向けて加速する。あっという間に追いついた。
「よくわかったわね。」
「生憎、私は鼻が良いのでな。」
フンッ、と少佐がわざとらしく鼻を鳴らす。
「ただでは投降しないわよ。」
「それは残念だ、TB-3。修理費を払ってもらおうと思ったのに。」
互いに機銃を向けあう。刹那、何かが急降下する音が聞こえる。
「少佐!」
マリーナが叫ぶと同時に少佐はすぐに反転して突っ込んできた秋水をいなし、撃ち落とした。
「まだ生き残ってたか。」
「残念ね。私をまだ邪魔するなんて。」
「あれか?恋愛相談が君にも必要か?」
"恋愛相談"の4文字を少佐が口に出した瞬間、TB-3の表情が変わった。
「あ、貴女に何がわかると……!」
ARMSごと突進してくるTB-3を少佐が左に奇妙な回避(この時、機体が横を向いているのに前に進んでいた)をして、左翼の銃座を撃って回避した。
「何にもわからんよ。だがな……。」
「実らない恋の辛さはわかる。」
その瞬間、TB-3が武装を取り落とした。
「まだ殺し合うか?相談なら聞いてやれるが。どっちでも君の満足いくまで私は付き合うぞ。」
聞いている私たちもTB-3も混乱していた。困惑、というよりは錯乱、その言葉の方が近い。
「TB-3、早まるな。まだ引き返せる。」
わけもわからずARMSを運河の岸にぶつけながら飛行するTB-3を少佐が追いかけ続け、しまいにはトンネルの中へと入っていった。
トンネルの中で歯抜けの水車が回る。TB-3は歯の隙間をくぐって行く。
少佐も水車の隙間を次々と通り、上下に動く歯も、左右に動く歯も通り抜けていった。
「運河にこんなところがあったとは……うん?」
「このマーク……A、T、L、A、S……アトラス……アトラーント……そうか。アトラス……。」
「マリーナ!そこは機密レベルが1番高いところ!」
かつて整備会の切り札とされた特殊部隊"ATLAS隊"がかつて根城にしたとされる衛星基地の一つがここ、赤色十月の運河の一部である……という噂がある。実際、地図には何も描かれていなかった。
「もう駄目かも、フィドラー先生。」
「包囲されたなら……生きて帰るしか無いだろう、TB-3。」
途中の広くなったところで少佐がホバリングするTB-3と背中合わせで周囲を囲む燻し銀のDOLLS達と対峙している。
「TB-3、初心を思い出せ。かつて君は先代の後を継いだ新米の教官だった。」
「君が変わってしまったのはマインプラウ作戦の初撃で、引率した部隊が壊滅、君も絶体絶命だった。」
八九式中戦車視点→TB-3視点
「Yak-1!早く逃げなさい!離脱!離脱!」
「もう駄目です!逃げられません!」
「LaGG-3!被弾!ひっ……!こっち来ないで!嫌!いやぁぁ!(ノイズ、無線機が破壊される音)」
「LaGGが喰われた!このっ!」
「MiG-3!もう間に合わない!ここは危ないから貴女だけでも逃げて!」
「……指揮官機を失った僚機に意味は無い。この命に賭けてでも守りますよ、教官様。」
ピピピッ!
「はぁはぁ……!」
雨の日は私にとって嫌な天気である。もっとも、雨が多いだけならまだ良い。雲の上を飛べばいいから。
朝日が部屋に差し込む。いや、もう朝日と呼べる時間は過ぎてしまっている。授業に行けなくなって……2週間。その間の出張授業は先代のベア教官に代わって貰っている。申し訳ないなとは思うけれど、頭の中に、瞼の裏に、この手の中にあの日が残っていて教壇どころかこの寮から出ることすら叶いそうにない。
「先生。」
LaGG-3が呼んでいる。あぁ……私のせいだ……。
「恨んでなんかないですよ、先生。」
左腕と左脚を火傷したYak-1が呼んでいる。
「いつ教壇に帰りますかね、教官様。」
帰れなかったMiG-3が私を呼んでいる。
「先生。」
皆が呼んでいる。私を。地獄に一緒に落ちてほしくて。
「うぅ……。」
お前のせいだ、と皆は優しいから一言も言わなかった。皆、私が悪いのに実力不足だった、と諦めて死んでいった。それが逆に辛かった。あの日、私も一緒に墜ちていたのなら、死んでいたなら、どんなに良かったか。
トントントン。部屋にノックの音が広がる。
「……はい。」
「TB-3。」
スコープを覗くと代理人様だった。
「今は……誰とも会いたくないの。」
「……そうか。」
「ええ。」
帰って頂戴。
あれから何も食べず、何も飲まず、ただ日が落ちるのを待っていた。何をする気にもなれず、ただ、あの時に判断を間違えていなければ、引くタイミングを間違えていなければ、そう思った。
トントントン。部屋にノックの音がまた広がる。
「……はい……。」
「TB-3。」
代理人様がドアスコープを覗いていた。
「……何か用ですか。」
「そうだよ。君の弱みを聞きに来た。」
「私からお話できることはありません、お引き取りください。」
夜。お腹が空かない。もう2週間は食べていない。DOLLSはそう簡単には死なない。少なくとも餓死では。
またあの作戦だ。
「Yak-1!離脱!離脱!」
「逃げられません!」
「ひっ……!こっち来ないで!嫌!嫌っ!痛い!たすけて!いや!いやぁぁ!(ノイズ、無線機が破壊される音)」
「LaGG!」
「MiG-3!もう間に合わない!」
「教官様……貴女は守ります。この命に賭けてでも。」
ピピピッ。
「……また守れなかった。」
「先生。」
今日は背後から冷たい殺気を感じる。
「私、恨んでます。先生。助けてくれなかったこと、恨んでも恨みきれません。」
「教壇に帰らなくても良いんじゃない?教官様。」
あぁ……殺してくれるのだろうか。
「そんな、悲しい顔しないでください。私達は殺したりなんかしません。自分で死んでください。さあ。」
振り返った。左半身のないYak-1。肉塊になったLaGG-3。無傷のMiG-3。いや、無傷ではない。彼女は……血だらけで、傷だらけで、腕も脚も左右逆だ。
トントントン。部屋にノックが響き渡る。
「はい……。」
「僕は君を助けに来た。開けてくれとは言わない。」
明確に身体がぐちゃぐちゃになった代理人様だった。反射的に目を離してしまう。
「貴女は……私を殺してくれますか?」
「……僕は君を殺したりなんかしない。助けたいんだ。このドアを開けてくれなくても良い。話を聞かせてくれ。」
もう一度ドアスコープを覗き込む。今度は代理人様の目が映る。引き込まれていく。代理人も私もきっと吐息がかかる距離だっただろう。
ただ私は代理人様をドアスコープ越しに見ていた。観察していた。彼女が私を殺してくれるとは思えない。罰して晒して、殺してくれるとは思えない。
日が落ちて真っ暗な廊下を私は見ていた。代理人様も真っ暗闇の中から私の目を見ていた。虚無の中に私を見ていた。
「教官、もしかして……恋ですか?」
MiG-3が笑顔で私を見る。違うの。そんな顔で見ないで。私を罰して。お願い。
「私は応援しますよ。おめでとうございます。」
「君が一人“涙”してるの知ってるよ。TB-3。」
「代理人様……。」
「相当好かれてるんじゃないですか?」
違う。代理人様がそんな感情を私に向けるはずが無い。私は教官失格だ。
「君の“痛い”感じていたい。」
はっきりと聞こえた。暗闇の中でも。
「ドアを開けないんですか?先生。」
Yak-1が私の右腕を掴む。ドアノブへ手を伸ばそうとする。LaGG-3が私の足に絡む。ドアの反対方向に向けて引き摺ろうとする。
ガタン。私はうつ伏せに倒れていた。
「私は君が好きだ。」
嘘でもその言葉が支えになった。
「きゃーっ、だ、い、た、んっ!」
「両思い、おめでとうございます、先生。」
「式のときは呼んでください、今度は五体満足でいきますから。」
私はドアを開けた。五体満足な代理人様に泣きついて縋って秘書として動きながら職場復帰に向けて動いた。今思えばきっと両思いだと思い込んでいたのだろう。
告白するか悩む八九式中戦車にこんな言葉をかけた。どうせ上手くいくとは思えない。そう考えていた。
「やらずに後悔するよりやって後悔したら?」
「でも……。」
「大丈夫、何とかなるわ。八九式、頑張って。」
そして今、代理人様が八九式中戦車と交際するようになってから私は危機を感じていた。この秘書の座を降ろされること自体は構わない。もう会ってもらえなくなるとしたら。私が存在できるのは代理人様が居るから。
私は……代理人様に依存している。私には代理人様しかいなかった。代理人様が私を見てくれなくなったのは……。
TB-3視点→八九式中戦車視点
「君が変わってしまったのはマインプラウ作戦の初撃で、引率した部隊が壊滅、君も絶体絶命だった。」
TB-3の呼吸が異様に早くなった。
「まだだ……まだ来るなよ……。」
にじり寄ってくるDOLLSを機銃を向けることで威嚇する少佐。
「おっと。」
後ろから機銃で殴り掛かられるのを寸手で避ける少佐。
「やっぱり駄目か。この問題は根深そうだ。」
「殺す!」
「今はそれどころじゃないんだけどなー。」
TB-3の機銃を20mm機銃で押し上げて無理やり撃てなくする少佐。そのまま器用にARMSを避けてTB-3本体を抱擁する。
「心の傷はいつかは癒やされる。いつかは、ね。それまで私達が支えてあげよう。」
「殺す!ころ……!うぅ……うわぁぁん!」
「大丈夫、TB-3、私と……私の家族が付いている。よしよし……。空気を読めるんだなお前ら。」
銀色のDOLLSが銃口を下げて観察している。
「フィドラー少佐……。」
「まだ殺したいかい?」
「……ありがとう。」
「殺すのとお礼なら後にしてくれ。今は……それどころじゃあない。」
「ええ。わかってる。」
「私にできるのは戦闘だけだ。指揮は頼む、"先生"。それと……レナ、夕飯は一人分多めに頼む。」
後ろで「えぇ……今、言いますか?」という声が聞こえた。聞いていたんだ。
「さて……どうするか。」
DOLLS達が銃口をまた上げる。
「フィドラー少佐、聞いて。」
TB-3が耳元で囁くと、フィドラー少佐が頷いた。
「わかった。」
TB-3とフィドラー少佐が互いに銃口を向け合う。
「さあ……やろっか。」
連射。お互いわざとずらして背後の敵を排除していく。少佐は何故か本体ではなくARMSを撃っているように見える。
「遅い遅い遅い!」
パララララ。
数十秒後には全て居なくなっていた。
「さて……と。TB-3、一つ言わないといけない事があるのだけど。」
「何かしら?」
「あと10秒でエンジンが止まる。」
「え。」
姿勢を保てなくなって前に傾き、倒れそうになり、TB-3が何とか負ぶさる。
「ちょっと……!お、重い……!」
「ARMSをパージする。あでっ。」
急に軽くなって少佐が天井に頭をぶつける。そのおかげで水飛沫が2人の足元にかからずに済んだ。
少佐を抱えて引き返そうとするTB-3。
「TB-3、引き返さずに来た道を道なりに進んだほうが良い。」
暗い道を進むと水門が見えてくる。
「上昇できる?」
「ええ。」
緩い角度で水門を駆け登り、上の階層へ。少しずつ水位が上がってきているような……。
「……水位上昇!」
「急ぐ!」
上昇する水位に追われて天井スレスレを比較的高速で駆け抜けて、また水門を時々脚を着けながら駆け登る。そして……。
「地底湖だ、帰れるよTB-3。」
血のように赤い水を湛えた日の差し込む巨大な地底湖に浮かぶ巨体の空母に着艦するTB-3。少佐がTB-3の背中から降りる。
「ありがとう、TB-3。こっちから帰れるよ。」
「フィドラー少佐、どうして道を知ってるの?」
「さぁ……なんでかな。こっちだよ。あっ、それとARMSは解除したほうが良い。念の為に、ね。」
とぼけながら甲板上を先導する少佐。さっき見えたマークが映る。
「ほら、こっちこっち。」
"A-2"と書かれた金属製の扉を開けて入っていく。
「我が家……厳密には此処そのものはお隣さんなんだが……ようこそ、TB-3。お邪魔するよ、塵肺症の中佐(ニューマコーニオシス)。」
少佐が扉を閉めると映像がプツンと途絶えた。
「え?」
「え?」
「本気……?」
「いらっしゃーい。」
背後に追加で誰かが居た。振り返って見ると交換留学で来た実績がある(当時の新聞を読んだ)F4U-1に幾分か似ている気がする人が……。
TB-3
:今回の勘違いヤンデレ枠。心配になって様子を見に来たマリーナ代理人に対して恐怖を抱いたり、恋情を抱いたり忙しい女。ただ、本気で好きになったというよりは一緒に居て欲しい、の方が大きいらしく(本当か?)……今回の事件後にマリーナ代理人達に謝罪に行ったときは素直に謝っていた。更に教え子達の墓に、生まれ変わった教え子達と墓参りに行く姿を後に目撃されている。
※TB-3と代理人が事件直後に面会したのかはよくわかっていない。一説によると……幻覚だったのでは?とすら言われている。
塵肺症の中佐
:別名「ニューマコーニオシス中佐」。対DOLLSを主目的として整備会が開発した次世代型DOLLS。詳しいことは分かっていないが飛行空母型のARMSを運用しており、既に戦死していることが分かっている。
(作者より:彼の登場する作品はほぼ処女作なので後で"整理"しないとですね……)
フィドラー少佐
:Cityとは別の世界線の某世界的軍事組織の元兵士であり、Tu−128M2 "Fiddler C"に適合した2人のDOLLSの片割れ。なお非武装状態の機体であれば動かすこと自体は一部のDOLLSでも可能であるが多大な負荷が装着者にかかる為推奨はされていない。
マリーナ代理人の元想い人であり、本人も好意を向けられている事は知っていたが少佐自身が貞操観念の堅い既婚者であること、そして異性愛者であることから友人関係であり続けた。妹にフェンリア大尉、娘にレナ、"義理の子供たち"(誰かが言いだした通称)にエノス以下多数の部下が居る。夫は東洋人であるが、かつて孤児であったところを彼女の両親が婿養子として受け入れた為、アンドレイ(Mr.Tの元の名前に因んで両親により命名された)と呼ばれている。
本名はライカ・リューリカ(※)。口が裂けていて銀髪のウルフカットである。本当はTB-3に負けず劣らずのヤンデレではあるが、殆ど外部に漏らさず夫の連れてきた部下達にもニコニコしていた為、夫しか本性を知らない。
※ライカはソ連の宇宙犬、リューリカは旧ソ連のエンジン技師に由来する。が、両親が死んでから自分で付けた名前の為、本来は違う名前であった可能性がある。ミドルネームは存在しない。
直近のライカ少佐の画像(2025年4月現在)
【挿絵表示】
Object289
:史実には存在しない"とされる"大型重主力戦車。T-10及びObject277,Object268/V5の行く先のDOLLSであり、装甲と火力の面でありとあらゆる主力戦車を凌駕する。あまりにも高いコスト及び装甲の大重量、重戦車としても大柄(車体サイズはオイ車に匹敵し、主砲を含めると全長は更に長くなる)である(※)等の難点から主力戦車としての運用には困難があり、DOLLS用の試作車及びARMSの使用者は元T-10であった1台1名のみであった。
武装として152mm"2A83M"滑腔砲(滑腔砲:溝の無い砲。現代戦車の砲としてはメジャー)が用いられているが、本人の主張する名称から他の152.4mm砲を搭載したObject292やObject490等よりも前の車両と推測されている。
※:赤色十月の主力戦車は小型化により軽量化と被弾率の低減化、被発見率の低下、装甲強化の容易化を目指していた。
※:Object292,Object490はどちらも152.4mm砲を搭載した試作及び計画車。
注釈:ここから先は機密情報
Object214
:Object289の本当の名前。Object292よりも後に開発され、適合するDOLLS"Object730"(T-10の試作車)をレトロフィットさせることで運用可能となった。遺伝子情報上はベア教官とスチュアート代理人の娘であるが、二人とも身に覚えが無いため遺伝子情報を誰かが持ち出したと思われる。
※ソラノカケラ
:宇宙から飛来した巨大な隕石を整備会が灰燼教会と共同で列車砲を稼働させて破壊し、Cityを救った事件が過去に発生していた。"ソラノカケラ"はその事件をメディアが報じた際に付けられた事件の愛称である。尚、その実行部隊は既に他の事件によって壊滅しており生存者は居ないとされている。
そして……フィドラー少佐がかつて居た別の世界線の地球でも、宇宙から侵略にやってきた"未来の人類"とフィドラー少佐を含む某世界的軍事組織が交戦し、辛くも"ソラノカケラ"を取り戻したという。