ようこそエロMODが導入された教室へ 作:さんかく
今日は入学初日。俺はバスの中にいた。
当然ただのバスではない。東京都高度育成高等学校へ向かう、そして原作で最初のイベントが起こるバスだ。
だが、ゲームで何度もこのシーンを経験していた俺は、まだその時間ではない事は知っていた。
ここ数日で何度も反芻した事とはいえ、これから遂に学校生活ーーゲームの本番が始まると考えると、少しばかり緊張するものがある。
窓の外を眺めながら、肩の力を抜くように軽く息を吐いた。
状況整理しよう。
まず、俺は“ようこそ実力至上主義の教室へ”という作品ーーそのゲームの世界にいる。
しかも、これはただの観賞用ではない。肌の感触、空気の流れ、周囲の喧騒――全てがリアルそのもののゲームの世界だ。
何故こんなことになったのかは分からないし、これからの事も何も分からない。
どうすれば元の世界に出られるのか、そもそも本来の俺は今頃どうなっているのか。既に死んでいるかもしれないし、実は普通に暮らしているかもしれない。はたまた元の世界では時間が経過していないのかも。
というか、そもそも今の俺は本当に元の俺なのか。この斉藤景というキャラクターが、唐突に俺という記憶を得ただけに過ぎないのかもしれない。だとすると、ここで死ねば俺は普通に死ぬだけなのだろうか。
「……ま、いいや」
考えても仕方ない事だ。ただ、うだうだ考えるのは暇潰しにはなる。
俺はゆっくりと車内を見回した。
そこには、原作で見知った顔ぶれが揃っていた。
バスの後方の座席には、綾小路清隆――原作主人公であり、無表情を装ってはいるが底知れぬ実力を持つ男が座っている。ゲームの遊び方によってはよくラスボスとして立ちはだかる事になる。
そしてその隣には、黒髪ロングの美少女、堀北鈴音が座っている。初期はツンケンした社交性ゼロの頭でっかちキャラである。ただ、これからは俺のクラスメイトであり、原作を知っている身としては兄に認められるために努力している彼女は現時点でも好感が持てるな。
「……マジでよう実の世界だな」
そんな彼らを生で確認した俺は、改めてその事を実感する。
今は普通の学生のように見えるが、これから謀略渦巻く学校生活へ身を投じることになるのだ。
まあ、他人事のように言っているが当然我が身に降り掛かる問題でもある。俺自身、どうやって学校生活を生き抜いていくかを考える必要がある。
とは言え、もともとはゲームとして遊ぶつもりだったのだ。当然方策は考えてある。イージーゲーム。
かつて偉い人は言った。ルールを知り、支配するのが勝者だ。
そして今、このバスの中で、最初のイベントが起ころうとしている。まずはこれを制してみせよう。
俺は腕を組み、どっしりと周囲を観察する。
バスの中はまだ和やかな空気が流れていた。
とはいえ、所詮は初対面の連中ばかり。物音といえば、車の音とスマホを弄る音が聞こえる程度だ。
そんな中、俺はある人物の動きを注視していた。
OLの格好をした女性。
こいつが最初のイベントのトリガーになる。優先席にどっかりとふてぶてしく座る金髪の男ーー高円寺六助に、おばあさんに席を譲れと話しかけてイベントが始まるのだ。
「席を譲ってあげようって思わないの?」
「……お」
動きあり。
定刻通りにOLは高円寺の前に立つ。高円寺はOLと隣に立つおばあさんを一瞥したが、興味も無さそうに見て見ぬふりを決め込んだ。
「そこの君、お婆さんが困っているのが見えないの?」
静かな車内にOLの声が良く通り、周囲の人達からの注目が集まる。それらの視線の先、金髪の学生服を着た青年ーー高円寺は、不適な笑みを浮かべながら口を開く。
「実にクレイジーな質問だね、レディー。何故この私が、老婆に席を譲らなければならないんだい? どこにも理由はないが」
大胆不敵。腹が立つほど自信たっぷりな返答だ。OLは少し鼻白みかけているが、毅然と言い返した。
「君が座っている席は優先席よ。お年寄りに譲るのは当然でしょう?」
「理解できないねぇ。優先席は優先席であって、法的な義務はどこにも存在しない。この場を動くかどうか、それは今現在この席を有している私が判断することなのだよ。若者だから席を譲る? ははは、実にナンセンスな考え方だ」
間髪入れずに高円寺も言い返す。しかし、確かに高校生らしくない喋り方だ。髪も金髪で体格もよく、こう改めて見ると学生には見えない。じゃあ何だと言われても困るけど。
「私は健全な若者だ。確かに、立つことに然程の不自由は感じない。しかし、座っている時よりも体力を消耗することは明らかだ。意味もなく無益なことをするつもりにはなれないねぇ。それとも、チップを弾んでくれるとでも言うのかな?」
「そ、それが目上の人に対する態度!?」
「目上? 君や老婆が私よりも長い人生を送っていることは一目瞭然だ。疑問の余地もない。だが、目上とは立場が上の人間を指して言うのだよ。それに君にも問題がある。歳の差があるとしても、生意気極まりない実にふてぶてしい態度ではないか」
「なっ……! あなたは高校生でしょう!? 大人の言うことを素直に聞きなさい!」
「も、もういいですから……」
老婆は申し訳なさそうに怒り心頭のOLを宥める。しかし、年下の男に屁理屈で言いくるめられ、しかも糾弾までされた彼女の怒りは冷める気配は無い。その怒りのまま更に言いつのろうとする。
ーーそろそろだな。
俺は立ち上がり、今にもヒートアップしそうなOLの肩をトントンと叩き、高円寺との間に入った。
「悪いな、ちょっと話してもいいか?」
「…っえ、あなた…」
OLが意表をつかれて目を丸くしているのを横目に、俺は高円寺の前に立って向き直る。
高円寺が俺を見上げた。
「今度はヤンキーボーイか。さて、君は私に何の用かな?」
「んー、まあちょっと社会貢献でもしようかなと」
周囲が俺に注目する中、俺は高円寺のみに聞こえるよう、静かに言葉を紡いだ。
「俺はそこの席が欲しい。でもお前はそこに座りたい。だから交渉させてくれ」
「ほう。話してみたまえ」
「3万出すからその席くれ」
高円寺の眉がピクリと動き、口が弧を描いた。
「なかなか面白い事を言うね、ヤンキーボーイ」
「お前の言い分は分かるよ。ただ、俺にもお前の権利を買う選択肢はあると思ってる。それにほら、俺らはぼちぼち学校着くんだし、別に悪い条件じゃないだろ?」
高円寺は数秒、俺の顔を見つめた後、ゆっくりと微笑んだ。
「……フフ、君、なかなか愉快な男だね。名前を覚えておくよ」
そして高円寺はすっと立ち上がり、俺にウインクをした。
「君の顔に免じて譲ろう。取引成立だ」
俺は周囲から見えないように財布から3万円を取り出し、サッと高円寺のポケットに突っ込んだ。これまでの生活で培った手癖の悪さは、一連の動きをほぼ違和感を悟らせる事なくスムーズに進ませる。普通の学生ーー綾小路のような超人を除き、俺達が何を取引したのかは全く分かっていないだろう。
事実、周囲の生徒たちはまるで何が起こったのか分からないといった表情をしていた。急にしゃしゃり出てきた俺と、素直に立ち上がった高円寺を不思議そうに見ている。
「どうぞ、席をお使いください」
俺は老婆にそう告げると、彼女は困惑した顔をしつつも、やがて「ありがとう」と微笑んで席に座った。 OLも狐につままれたような顔付きで俺を見ていたが、どうやら俺が解決してくれたらしいと遅れて状況を悟り、「あ、ありがとうございます」と頭を下げてきた。
社会貢献をして気分がいいぜ。
「えっ……?」
小さく声が聞こえた。
少し離れた場所で、櫛田桔梗が目を見開いて俺を見つめている。
櫛田は、仲裁に入ろうとしていたのを俺に先回りされ、完全に機を逃す形となっていた。そう、本来ならこの場で仲裁するのは櫛田の役目なのだ。
だが俺がその役割を奪い、全く違う形で解決した。
これにより、周囲の人間に俺の第一印象が刻まれるだろう。一癖も二癖もありそうな高円寺を説き伏せ、穏便に場を納め老婆へ席を渡した者として。
そしてイベントに介入して解決したことで、ボーナス経験値が俺に入る。まあそれはゲームの話だけど。
そもそもゲーム主人公として原作からすると異物なのだが、更に介入する事で原作の流れを若干崩したことの影響だ。こうした介入を行う事で、ゲーム主人公はストーリーへと関わっていく事になる。
「なにそれ……?」
櫛田がぽつりと呟いたのが聞こえてきた。
呆然と、そして僅かなーー恐怖、敵意か。
視界の端で捉えた彼女は、まるでそこに“いるはずのない人間”を見るような表情を浮かべていた。
その視線に俺は身に覚えがあった。
というより、敢えてそのような経歴に設定したのだ。
俺は、櫛田が学級崩壊させたクラスの一員だった。
俺は櫛田を無視して席を譲った老婆に軽く会釈すると、そのまま元の場所に戻った。
バスの中は再び静寂を取り戻す。
だが、その場にいた者達ーーそして櫛田の中に、俺という存在が確実に刻み込まれたのを感じた。
「いい滑り出しだな」
俺は胸の中に小さな達成感を感じながら、バスの揺れに身を預けた。