ようこそエロMODが導入された教室へ 作:さんかく
6月に入って既に1週間が経過した。
今月の原作で起こるはずだったイベントは、主に須藤の暴力事件だ。
しかし、俺が裏で糸を引いたことにより、その火種は既に鎮火し、後始末まで終わっている。本来であれば、クラスが崩壊しかねない大事件の渦中にいるべきこの時期に、俺たちの教室には奇妙なほどの平穏が漂っていた。
だが、物事には必ず作用と反作用がある。一つの流れを変えれば、当然、別の流れにも影響が出る。今回の件で言えば、スポットライトが当たるはずだったもう一人のキャラクター。
佐倉愛里。
原作の流れでは、須藤の無実を証明する唯一の目撃者として、彼女が物語のキーパーソンとなるはずだった。そして、ストーカーに絡まれたところを綾小路が救い、彼女との間に確かな絆、俗に言う“フラグ”が立つ。
しかし、俺が事件そのものを前倒しにし、全く別の形で解決したことで、その流れは半ば強制的に断ち切られた。綾小路清隆という男が、佐倉愛里という少女の内面に深く踏み込むきっかけは、生まれる前に消滅したのだ。
何もしなければ、このまま彼女は誰にも助けを求められず、内向的な性格も相まって孤立を深めていくだろう。そして、ただでさえ生徒の貞操観念が希薄になっているこのゲーム環境。ほぼ間違いなく、あのストーカーに捕捉され、心身ともに深い傷を負うことになる。それは原作の流れを知る者として、そしてこのMOD導入下で何度も試走を行った者として、あまりにも明白な未来予測だった。
そして、その絶望的な未来こそが、俺にとっては最高の舞台装置となる。
誰もが彼女を見捨て、あるいはその窮状に気づきすらせず、暗闇の底でただ怯える少女。そこへ颯爽と現れ、悪を討ち、彼女の手を取って光の中へと導く。
そう、俺がまるでヒーローのように、彼女を救いあげるって訳だ。
ちゃんちゃらおかしいぜ。
佐倉愛里というキャラクターは、原作でもそうなのだろうが、あまりにもプレイヤーにとって都合の良い造形をしている。
救出劇を演じやすい受動的な性格、ストーカーという明確な“悪”の存在、そして何より、グラビアアイドル“雫”としての過去が保証する、圧倒的なビジュアルの高さ。彼女を手に入れることで得られるメリットは計り知れない。
ただ、彼女の攻略難易度は意外に高い。臆病な小動物のような性質上、相手が自分にとって「怖い」かどうかが、その後の関係に決定的な影響を与える。特に、俺のような不良じみた外見と常に他人を突き放すような態度は、彼女にとって恐怖の対象以外の何物でもないだろう。普通にアプローチすれば、まともに会話すらできずに終わるのが関の山だ。
だが、今回はその点について問題はない。
そもそも、俺は佐倉と純粋な恋愛関係を築くつもりなど毛頭ないのだから。俺が彼女に求めているのは、信頼や愛情といった曖昧なものではない。もっと実利的で、一方的な関係だ。
用があるのは、彼女のその肉体と、彼女が持つ“商品価値”、そしてそもそも欲しいのは彼女というより――
「……んぁ?」
思考を巡らせているうちに、いつの間にか放課後の喧騒の中にいた。
俺はのそのそと荷物を纏め、椅子から立ち上がって教室を見回す。ふいと後ろを見て、そこに既に佐倉が居ないことを確認する。家に帰ったのか、どこかへ行っているのか。それは知らないがーーまあ、別に今日彼女に用は無い。
教室を出た。
そして目的の場所へ向かうため、昇降口を抜けて校舎の外へ出る。
夕暮れにはまだ早い時間帯だが、太陽は既に西へと傾き始め、地面には生徒たちの長い影が伸びていた。部活へ向かう者、友人と連れ立って寮へ帰る者。様々な生徒たちの声が、初夏の気怠い空気の中を漂っている。
「ーーでも…」
そんなありふれた日常の風景の中、ふと聞き覚えのある声が俺の耳に届いた。
視線を向けると、少し開けた中庭の通路脇で、二人の男女が深刻な顔つきで立ち話をしている。
片方は、その人当たりの良さとカリスマ性でBクラスをまとめるリーダー、一之瀬帆波。もう片方は、同じくBクラスで、彼女の右腕として冷静にクラスを支える実力者、神崎隆二だ。
何やら言い争うーーというほど険悪ではないが、明らかに意見が対立している様子だ。
一之瀬が何かを訴え、神崎は腕を組んで、厳しい表情でそれに耳を傾けている。
うーん、気になる。
ほぼ間違いなく、Bクラスの内情についての話だ。まあ内容はほぼ予測がつくが、一応聞いておきたいところではある。
自然と足がそちらへ向き、彼らに気づかれないよう距離を詰め、会話の内容に耳を澄ませようとしーー
「……斉藤か」
ふと、神崎がこちらを振り返り、俺の存在に気がついた。その鋭い視線が、まるで曲者を咎めるように俺を射抜く。
あちゃあ。
少し近づきすぎたか。
神崎の声に反応し、一之瀬も驚いたようにこちらを振り返った。彼女は俺の顔を見ると、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、何かを考える素振りを見せーーすぐにいつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
「斉藤くん。こんにちは! 今帰りかな?」
「まあ、そんなとこ。邪魔したね」
立ち去ろうとする素振りを見せると、一之瀬は慌てて「ううん、そんなことないよ!」と手を振った。
彼女は隣の神崎と視線を交わし、何かを問うように頷きかける。神崎は僅かに眉をひそめ、ため息を一つ吐いたが、小さく頷き返した。
どうやら、俺をこの話に加えることを許可したらしい。
どうしようか。
一之瀬と異なり、神崎は俺のような奴への警戒をちゃんと保ってくる。バレてしまった以上、ここで俺が留まり話を聞くことで警戒を強める可能性はあるが…
彼らの悩みの中身は、今後の俺の計画にも関わってくる可能性がある。リスクを踏まえても、ここで情報を得ておく方がいいだろう。
俺は立ち去ろうとしていた足を止め、彼らに向き直った。
「実は、ちょっとクラスのことで話し合ってたんだ。もしよかったら、斉藤くんの意見も聞かせてもらえないかな?」
一之瀬が俺にお願いをしてくる。
まあ、そういう話だよな。
「俺の意見? 参考になるとは思えないけど」
「そんなことないよ! 斉藤くんの考え方、この前の事件の時もすごく頼りになったから」
一之瀬は真っ直ぐな瞳で俺を見る。その瞳には、打算や裏表のない、純粋な信頼の色が浮かんでいた。うーん、少し居心地が悪いな。
彼女は一つ深呼吸をすると、真剣な表情で口火を切った。
「来月から、私たち一年生へのプロテクトが解除されることは知ってるよね? 私、あの……ポイントで人が買えるなんて制度は、絶対におかしいと思うんだ。誰もそんな目に遭うべきじゃない。だから、みんなを守りたいの」
熱のこもった言葉だった。彼女の正義感と優しさが、ひしひしと伝わってくる。
「そのために、クラスの垣根を越えて、みんなでポイントを補い合えるような仕組み……相互扶助のシステムを作れないか、神崎くんと相談してたんだ。プロテクト費用が足りない子がいたら、みんなで少しずつ出し合って助けてあげる。そうすれば、誰も傷つかなくて済む筈だから」
実に一之瀬らしい、性善説に基づいた理想論だ。だが、その理想がいかに現実からかけ離れているか、彼女の隣に立つ男の表情がーーそして何より一之瀬自身の表情が物語っていた。
俺が一言も発さずにいると、一之瀬は不安そうな顔で問いかけてきた。
「……どう、思うかな?」
俺はわざとらしく数秒考え込むふりをしてから、口を開いた。
「まあ、考え方としては悪くないんじゃない? 俺にはそんな面倒なこと、思いつきもしないけど」
「本当!? そう言ってもらえて嬉しいよ」
「ただ、どうやってやるの? そのシステムとやらを」
俺の問いに、一之瀬は「えっとね」と考えていた計画を語り始める。
有志から寄付を募る、クラスの共有ポイントの一部を基金として運用する、貸し付けたポイントは分割で返済してもらう……。
そして現実的に全員分のプロテクト費用を集める事が難しい為、次善の策として「実際に行われた申請に対してキャンセル料を肩代わりする」という手段も考えていると。
次から次へと出てくるアイデアは、現実的に行う為の思索に満ちた彼女の知性と、そして彼女の優しさに満ちていたが、同時に根本的な甘さが否定出来ない内容だった。
「……そんだけ考えてるなら、俺に聞く意味ないんじゃない?」
一通り聞いた後でそう返すと、一之瀬は少しだけ微笑んだ。だが、その笑みはすぐに曇る。
「うん、それだけ考えて……どう計算しても、やっぱりポイントは足りないんだよね。勿論、本当に皆が協力してくれるなら話は違うんだけど…」
彼女は俯き、肩を落とした。
そうだろうな。
Dクラスでも櫛田に同じようなことを提案させて、資金不足で頓挫している。Bクラスといえど実現は困難だしーーましてや全学年の女子を救うことなど土台無理な話だ。
そもそもこのシステムには決定的な見落としがある。
「あと、悪いんだけどひとついい?」
「うん、大丈夫だよ。何でも言って欲しいかな」
「あー、じゃあ男子から言わせてもらうと……そのシステム、男子からしてメリットが無さすぎる」
「……それは………うん、そうだね。わかるよ」
俺の言葉に、一之瀬は目を瞑って頷く。神崎も隣で渋い顔をして、しかしゆっくりと頷いている。
痛いところをつかれたという様子ではあるが、当然彼女も分かっていたのだろう。ただそれを互いに言い出しにくく、話題に上げられていなかっただけで。
そこに畳み掛けるように、俺は一之瀬へ口を開いた。
「まだあるよ。奇跡的にポイントが集まったとして、でもプロテクトする程じゃない時。申請に対して適宜払うのを助けるって言ってたけど……それは絶対成立しない」
「それは……どうしてかな?」
「プロテクトは防御策だから一定値だし、申請する側は無駄金になるから良い。だけど申請への対応なら……申請する側にはメリットしかない」
俺はシステムの最も致命的な欠陥を指摘する。
「その善意に付け込む輩は必ず出てくる。申請を拒否するには、支払われるポイントの1.5倍が必要なんだろ? つまり、拒否させればさせるほど、申請した側は儲かる。そんな美味しい話があれば、面白半分で申請を乱発する奴らが腐るほど現れるぞ。お前たちの基金は、そいつらのためのATMになるだけだ」
俺の言葉に、一之瀬はハッと息を呑んだ。その可能性にーーその悪意に思い至っていなかったのだろう。
やはり一之瀬は、賢さに対してこうした思考が弱い。
隣で黙って聞いていた神崎が、重々しく口を開いた。
「……そうだろうな。人の善意を食い物にする輩は、どこにでもいる。特に、この学校ではな」
神崎の肯定が、追い打ちをかける。一之瀬の顔から血の気が引いていくのが分かった。彼女が築き上げようとしていた理想の城が、現実という無慈悲な鉄槌によって、音を立てて崩れ落ちていく。
全員分のプロテクト費用を用意するなんて不可能と考え、申請への補填の線で想定していたのだろう。
だがこのシステムは、性善説に立つ限り、絶対に成立しない。
「……じゃあ、どうすれば……」
「さあ……そもそも俺には無理としか思えないけど。でももし本気でやるなら、少なくとも公然と旗を揚げるのは悪手だね。信頼できる仲間内だけで、誰にも知られずに、ひっそりとやるしかないんじゃない?まあ、そしたら今度はポイントが集まらないと思うけど」
俺の言葉は事実上の死刑宣告だった。大規模な救済など不可能だ、と。
一之瀬は唇をきつく結び、俯いてしまった。沈黙が場を支配する。
だが、数秒後。彼女はゆっくりと顔を上げた。その瞳は潤んでいたが、光は消えていなかった。
「……そっか。……うん、ありがとう、斉藤くん。すごく、参考になった。もっと、考えなきゃいけないことがたくさんあるって、わかったから」
苦悩はしている。だが、諦めてはいない。その強い意志が、彼女の表情から見て取れた。
いいね。
俺はそれ以上何も言わず、「じゃ、また」と短く告げて、その場を後にした。
Bクラスも、櫛田にやらせようとしたことと同じ轍を踏んでいる。クラス内で自助グループを立ち上げ、仲間を救おうともがいている。
だが、決定的に違うのはその規模と理想の高さだ。一之瀬は、クラスメイトだけでなく全ての生徒を救おうとしている。そんなお人好しの理想が、この実力至上主義の教室で通用するはずもない。男子生徒たちが、何のメリットもなく自分たちのポイントを差し出すわけがないのだから。
彼女の苦悩していた姿を思い浮かべると、自然と口元が緩んだ。きっと彼女はこれから理想の前に苦しみ、そして7月になって実際に制度が始まる事で更に悩まされることだろう。
その時が楽しみだ。
俺は高揚する気分を胸に、本来の目的地へと足を向けた。
一之瀬は、必死にみんなを救おうと頑張っている。
ならば俺も、俺なりのやり方で“人助け”をするとしようか。
ポケットに手を入れる。薄い手袋の越しに、一枚の写真の硬い感触を確かめた。先日櫛田に頼んで手に入れた、とある内気なグラビアアイドルの着替え中の写真。
前方に見慣れた家電量販店の大きなネオンサインが見えてきた。
それじゃあ、ヒーローの登場に必要な舞台の準備を始めよう。