※この作品はR-18です。

ようこそエロMODが導入された教室へ   作:さんかく

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(……頭が、重い……)

 

 まるで冷たい水底から意識が引き上げられるような、不快な浮遊感。

 一之瀬帆波の思考にまず最初に訪れたのは、鈍い頭痛と全身の倦怠感だった。まとわりつくようなカビと鉄の匂いが鼻をつく。

 

「……あれ?……なんだ、もうコイツも起きたのか……」

 

 不意に、少し離れた場所からねっとりとした男の声が聞こえた。

 知らない声。

 一之瀬の記憶にある、どの人物とも一致しない。

 

 何が起きている、ここはどこだろう。

 暗くて何も見えない。夜なのだろうか。

 一之瀬は現状を確かめるべく、男に返事をしようと口を開きかけーー声が出ないことに気づいて息を呑んだ。

 

「んむ!?」

 

 何かで口を塞がれているのか、呼吸すらままならない。

 得体の知れない状況に、急速に不安が心を蝕んでいく。体を起こそうと身じろぎした瞬間、彼女は更に自分の現状を悟った。

 

 手首に固い縄が食い込み、びくともしない。

 足も同様に自由を奪われ、動こうとすればするほど、拘束はきつく肌に擦れてじりじりとした痛みを主張してきた。

 

 そしてーー視界が真っ暗なのは、夜だからではない。布のようなものが固く巻かれているせいだ。

 そして口の異物感と息苦しさは、口枷によるもの。

 

 これはただ事ではない。

 誘拐、監禁――最悪の単語が脳裏を駆け巡り、心臓が氷水に浸されたように冷たくなっていく。

 

 そこで、変な音が聞こえ始めた。

 パシャ、パシャ、と無機質な機械音が、薄暗いであろう空間に響き始める。

ーーカメラのシャッター音?

 

「いいねぇ、その怯えた感じ。目隠しされてる方がそそるよ。これからどうなっちゃうんだろうって、身体の奥が疼いてるんじゃない?」

 

 背筋が粟立つような気持ちの悪い言葉。

 そこで一之瀬は気がつく。今男は、拘束され身動きの取れない彼女を撮影しているのだ。

 

 一之瀬は嫌悪感に身を震わせ、精一杯の抵抗としてくぐもった声を漏らした。

 

「んー! んむーっ!」

「あーあー、うるさいな。……いや、むしろ……」

 

 男は何かに思い至ったように呟くと、今度は脅すように続けた。

 

「…よし、外してあげるよ。でも、大声で叫んだりしたら……その時は、もっと酷い目にあってもらうからね?分かった?」

 

 確認する口調だが、有無を言わさぬ物言いに、一之瀬は小さく頷くしかなかった。

 ベリッ、と粘着テープが乱暴に剥がされる。

 その痛みに続いて、男の指が遠慮なく彼女の口の中に差し込まれ、奥で何か柔らかいものを掴んだ。

 ぐ、と強い力で引きずり出されようとするそれに、一之瀬はえずきそうになる。

 そして抵抗感と共に湿った音を立てて、にゅるんとそれが口から抜き放たれた。

 

「げほっ、ごほっ…!」

 

 激しく咳き込み、必死に呼吸を整える一之瀬。

 一体何を詰められていたのか。その疑問を確かめる手段はないがーーそれ以上に悍ましい音に、思考は奪われる。

 

「うわっ、甘い!それにいい匂いだ…」

 

ーーピチャピチャ

 

 その言葉と、水の音。

 一之瀬は、すぐに男が何をしているか悟った。

 男は、一之瀬の口から引き抜いたものを、舐めている。

 

 一之瀬には目隠しで見えていないが、男が手に持っているのは、彼女自身の下着だった。

 長時間口内にあったせいで、大量の唾液を吸って重く垂れ下がり、ドロドロに濡れそぼっている。男がそれを顔の前に掲げると、透明な粘液が糸を引き、ぼたぼた、と音を立てて床に滴り落ちた。

 それを口を開けて舐め取り、下着本体もピチャピチャ舐める。

 

「はぁ……最高だ…。君の匂いと味で、もうぐっしょりだよ…」

 

 男はうっとりと呟きながら、その唾液まみれの下着をゆっくりと自らの鼻先に近づけ、変質的なほど深く、その匂いを吸い込んだ。その目に浮かぶのは、疑いようのない狂的な光。

 あまりに悍ましい光景がそこにあった。

 

 一之瀬は、今の自分の状態が非常に危険である事を、改めて再認識していた。

 この男の変態性は常軌を逸している。

 自分の口から出たもので、見ず知らずの男が興奮している。詰められていたものの正体は分からない。しかし、その行為は一之瀬の本能に直接的な恐怖を叩きつけた。

 理解を拒む脳とは裏腹に、背筋に氷を注ぎ込まれたような強烈な怖気が走り、全身の産毛が総毛立つ。

 この男は危険だ。本物の異常者だ。

 

 一之瀬は喉元までせり上がってくる吐き気を必死に飲み込み、思考を巡らせる。

 下手に刺激すれば、何をされるか分からない。今は徹底して、情報を引き出すことに専念すべきだ。

 彼女は努めて落ち着いた、震えを押し殺した声で問いかけた。

 

「……き、君は誰、かな…? ごめんね、声だけじゃわからなくて……」

「うるさいな」

 

 あんなに興奮していたのに、一之瀬の問い掛けに男は急にスンと冷める。

 男は唾液塗れの下着を名残惜しそうにポケットにしまい込むと、ファインダーを覗きながら面倒くさそうに吐き捨てた。

 

「僕も君のことなんて知らないよ。たまたまそこにいただけの、運の悪いお姫様ってとこだ」

 

 男はそう吐き捨てながらも、その指は恍惚とシャッターを切り続けていた。

 ファインダー越しに見える少女は、疑いようもなく一級品だ。

 目隠しで半分が見えなくても分かる整った顔立ち、そして制服の上からでも分かる圧倒的な胸の量感。その類稀な美しさが、男の興奮を際限なく煽っていく。

 

 短慮と性欲に突き動かされ、ストーカーなどという愚行に及んでいる男。

 だが、そんな男でも理解していることがあった。それは、今ここの天国のような状況は、あの"協力者"が用意してくれたものだということだ。

 だから、その指示を盲目的に信じていた。

 

 ――まずは写真を撮れ。相手を支配し続けるための、強力な脅迫の道具になる。

 

 指示は的確だった。

 佐倉愛里だけでなく、この予想外に転がり込んできた極上の獲物に対しても、まずはその指示を遂行する。

 犯している最中の写真もいいが、恐怖と羞恥に歪んだ顔の写真は、それだけで極上のコレクションになりーー彼女を脅す武器になるだろう。

 

 そんな事を考えて写真を撮る男と対照的に、一之瀬は考える事を止めていなかった。

 撮られ続けながらも、一之瀬は慎重に言葉を選び、男の神経を逆撫でしないよう細心の注意を払いながら、状況を探るための質問を続ける。

 

「……ここは、どこなのかな」

「さあ?どうせ言っても分からないよ」

「君は……あなたは、何でこんなことを……」

「なに?なんでもいいじゃん」

 

 男はファインダーから目を離さず、生返事を繰り返す。その声には、次第に苛立ちの色が滲み始めていた。

 

 一之瀬の態度は、確かに男の逆鱗に触れないよう配慮されたものだった。

 だが、それが逆に男の神経をささくれ立たせた。

 男が期待していたのは、もっと無様で、惨めで、命乞いをしながら媚びてくる少女の姿だ。目の前の少女は、恐怖に染まりながらも、その瞳の奥の冷静な光を失っていない。

 まるで自分を分析し、試しているかのようなその態度が、男の心の奥底にある劣等感を刺激した。

 

 無意識のうちに、この女を心身ともに屈服させてやりたい、というどす黒い欲望が鎌首をもたげる。

 その空気が張り詰めた瞬間だった。

 

――ひっ、ひっく…

 

 一之瀬の耳に、これまで他の物音に紛れていた、か細く怯えた息遣いが届いた。

 

 それは、すぐ近くで必死に声を殺して泣いている少女の気配。

 その声を聞いた瞬間、一之瀬の脳裏に、途切れていた記憶がフラッシュバックのように鮮烈に蘇った。

 

 憔悴しきった佐倉愛里の顔。ストーカー被害の話。自分が一緒に向かった路地裏。

 一之瀬の頭の中で情報が繋がる。

 そうだ、この男は佐倉さんのストーカーで、ここはあの場所の近く。そして、この声は――!

 

 状況の全てを悟った一之瀬は、恐怖よりも友人への心配が勝り、佐倉と思われる声の主へ声を掛けた。

 

「佐倉さん?佐倉さん、だよね?……大丈夫だよ」

 

 その声に、男の顔から表情が消えた。

 自分を無視し、こんな状況下でまだ他者を気遣うその姿は、男にとって耐え難い侮辱であり、己の惨めさを突きつける鏡のように感じられた。

 

「ごめんね、気を失ってて……でも、もうーー」

「――うるっさいなあ!!」

 

 男が獣のように吼えた。

 一之瀬は予想外の怒号に身体を跳ねさせ、佐倉は短い悲鳴を上げる。

 

「なに、友達想いってやつ?あーうざいうざい、いいってそういうの。っていうか……そもそも僕らは愛し合ってるんだよ、部外者が……あーうざい」

 

 苛々と男はブツブツ呟く。

 だが少しして、男は急に歪んだ笑みを浮かべて一之瀬ににじり寄った。

 

「いや、勘違いしてるみたいだけど、そんな君にサービスしてあげるよ。友達を助ける大チャンス!ーー君が僕に従う限り、愛里と愛し合うのは後にしてあげる」

 

 「やる?」と、男は問い掛ける。

 男の豹変に、一之瀬は直ぐに言葉を返すことができない。言葉を理解し、最適な反応を考え、どうにか男の意識を逸らそうと口を開こうとする。

 

 が、男は一之瀬の言葉を聞く気はさらさら無かった。

 男は下卑た視線で一之瀬の全身を舐め回しながら命令する。

 

「じゃ、まずはセクシーなポーズを取ってみようか!自分が『雌』だって自覚した、いやらしいポーズ。どうせそのでっかい胸に栄養吸われて、頭ん中なんて空っぽでしょ?ほら、直ぐやって。今やって!」

 

 あまりに直接的で、人間扱いしない侮辱。

 人生で初めての可能性すらある暴言に、一之瀬は呆気に取られて言葉を失った。

 辛うじて口を開き、男に返す。

 

「待って、ください。話を聞いて…こんなことをしても、何も…」

「黙ってやれって言ってんだよ!!」

 

 耳元で怒鳴られ、びくりと肩が跳ねた。

 抵抗は、許されていない。

 それがいやでも理解できる、一方的な押し付けだった。

 

 一之瀬は唇を噛み締め、羞恥に顔を真っ赤に染めながら、ゆっくりと身体を動かした。

 言われるがままに腰を捻り、胸をぐっと突き出す。制服のブラウスのボタンがパシッと張り詰め、豊かな双丘の輪郭が生々しく浮かび上がる。

 彼女に出来る限りでの、胸を強調するポーズだった。

 

 パシャ! パシャ! パシャ!

 無慈悲なフラッシュとシャッター音が、彼女の屈辱を切り取っていく。

 どうやら男のお気に召したらしい。

 息を整える間もなく、男は鼻息を荒くしながら次の要求を口にした。

 

「はぁ…はぁ…いいねぇ…。じゃあ、次は足だ。股、開けよ」

 

 ……股?

 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

 あまりに直接的で、下劣な響きに、全身の血が逆流するような感覚を覚える。

 一之瀬はギョッとして動きを止めたが、男はそれを許さない。

 

「早くしろよ!」

「ッ!?……や、やる、やるから」

 

 急かされ、彼女は震える足にゆっくりと力を込めた。

 スカートの裾が広がり、生ぬるい空気が太ももの内側を撫でていく。

 

 そこで一之瀬は奇妙な違和感に気づいた。

 妙に、スースーする。まるで、何も履いていないみたいに――。

 

 その考えに至った瞬間、彼女は「ひゃっ…!?」と、可愛らしい悲鳴を上げた。

 

「な、なんで…!? 私の、下着は…!?」

 

 パニックに陥る一之瀬に、男は嗤いながら先ほどポケットにしまった湿った布の塊を取り出す。

 

「なんでって、ここにあるからだよ」

 

 目隠しで見えない彼女の耳元で、男はニチャニチャと囁いた。

 

「さっき、君の口ん中に突っ込んでたやつだよ。君のだらしないよだれでビチャビチャだ」

 

 その一言で、悍ましい事実を知る。

 意識を失っている間に、この男に下着を脱がされた。

 それを口枷として使われ、引き抜かれた後は、唾液まみれのそれを玩具にしてあの異常な行為に及んでいたのだ。

 

 あまりの嫌悪感と悍ましさに、一之瀬はくらりと眩暈がした。

 恐怖に全身が支配され、腰から下の力が完全に抜けて、その場にへたり込みそうになる。

 

「おい、座り込むなよ。足開けって言ってんだ。写真が撮れないだろ」

 

 男はそんな一之瀬に文句を言い、無慈悲に命令を繰り返す。

 もはや、抵抗する気力は残っていなかった。

 恥ずかしさと情けなさでぐちゃぐちゃになった表情のまま、一之瀬は固く目を瞑り、俯く。

 そして言われるがままに、ゆっくりと両足を開いていった。

 

 当然、隠すものが何もない彼女の無防備な場所が、男のカメラの前に晒される。

 パシャ! パシャパシャ!

 連続するフラッシュが、彼女の羞恥と絶望を白く残酷に照らし出した。

 

 一之瀬はついに耐えきれなくなり、涙声で呟く。

 

「なんで…私が、こんな…」

 

 その言葉を待っていたかのように、男はせせら笑う。

 

「だから、知らないって言ってるだろ………あ、そうだ」

 

 男は何かを閃いたように、興奮した声で言った。

 

「自己紹介してよ。僕へのアピールタイムだ!」

 

 力なく、一之瀬はおうむ返しする。

 

「自己紹介…?」

「知らないのか? AVであるやつだよ、AV!それをやってよ!」

 

 楽しそうに要求してくる男に、一之瀬は困惑しながら首を振る。

 

「え……ご、ごめんね?見たことなくて……」

「は?そんなわけないだろ。見たことくらいあるよね?」

「う、ううん…」

 

 一之瀬は、所在なさげに首を振る。

それは誤魔化すような様子ではなくーー男は不思議そうにしたあと、得意げに説明を始めた。

 

「AVってのはね、本番の前に女優がカメラに向かって自己紹介するんだよ。『〇〇です。〇歳。スリーサイズは上から〇、〇、〇。趣味は映画鑑賞です。今日は初めての撮影ですけど、いっぱい気持ちよくなりたいです♡』みたいな感じ。じゃ、分かったらやってみて」

 

 その内容の下品さに、一之瀬は絶句した。

 だが、男は拒絶を許さない。間髪入れずに催促する。

 

「ほらやって。まずは名前からだよ」

 

 観念した一之瀬は、震える声で、その屈辱的な儀式を始めた。

 

「……名前は、一之瀬…帆波、です…」

「年齢は?」

「…16、です」

「スリーサイズは?」

「……上から、90…60…90、くらい、だったと思います…」

 

 男の質問は、次第に彼女のプライベートを侵食していく。

 

「好きな男のタイプは?」

「…優しい人、です」

「へえ。じゃあ、初体験はいつ?」

「……っ! ?け、経験…ありません…」

「一番感じるところはどこ? 耳? 首筋? ……あっわかった!そのデカい胸でしょ?それとも乳首?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される、あまりにも度が過ぎたセクハラの数々。

 一之瀬は顔を真っ赤に染め、言葉に詰まる。

 男はその反応を心底楽しむように、ねっとりとした視線を彼女の身体に這わせた。

 

「分からないの?じゃあ、僕が順番に触って、確かめてあげようか」

「えっ……!?や、やめて…!」

 

 嫌がる彼女の悲鳴を無視して、男の汗ばんだ手が伸びてくる。

 指先が頬を撫で、首筋を這い、そして制服のブラウスの上から躊躇なく豊かな胸の膨らみを鷲掴みにした。

 ぐに、と不快な感触が伝わる。

 

「どう?感じてる?」

 

 感じるのは、不快感と嫌悪感だけだった。

 一之瀬はただ固く目を瞑り、この陵辱が終わるのを耐える他ない。

 

「……一之瀬、さん…」

 

 その時、隅の方からか細い声が聞こえた。自分を案じる、震える声。

 佐倉の声だった。

 

 男はそれに気づくと、一之瀬に向けていた獣のような表情から一転し、甘ったるい猫撫で声で応える。

 

「大丈夫だよ愛里ちゃん。僕の一番は、もちろん君だけだからね。こいつはただの前菜だって。すぐに二人で愛し合おうね」

 

 その言葉に、一之瀬ははっとした。

 

 そうだ、この男の最終目的は佐倉さんなのだ。私がここで時間を稼がなければーー彼女が本当に危ない。

 恐怖に支配されていた心に、誰かを守りたいという強い意志が灯る。一之瀬の瞳に、再び鋭い光が戻った。

 

 それは一之瀬の善性と強さを示すもの。

 尊く称賛されるべきものだったがーーそう思わない者も、世の中には存在する。

 男は、その中の一人だった。

 

 男はそれを目ざとく一之瀬の変化を見抜いた。

 学校で、仕事で、常に虐げられる側だった彼が、皮肉にも生きるために鍛え上げた危機察知能力だ。

 

「……なんだよその目」

 

 男は一之瀬の身体から手を離し、面白くなさそうに呟いた。

 

「また、友達想い、ってやつ? あー、イラつくイラつく。そういう優等生ぶったのが一番ムカつくんだよ」

 

 男はぶつぶつと呟きながら立ち上がる。

 声には明らかな苛立ちが滲み、ガシガシと髪を掻きむしる音が倉庫に響いた。

 

 一之瀬は気がつく。

 何か、彼の地雷を踏んでしまったのだと。

 

 男は唐突に、冷たい声で一之瀬に命令した。

 

 

「お前、そこでしょんべんしろ」

 

「……え」

 

 あまりにも唐突な、聞き慣れない単語の羅列。

 一之瀬も、そして佐倉も、その命令の言葉自体を咄嗟に理解できなかった。

 

 だが、男が何も言わず、ただじっと待っていることで、その沈黙が言葉の意味をじわじわと二人の脳に浸透させていく。

 そこでしょんべんしろ。

 つまりーー一之瀬に、その場で放尿しろと、そう言っているのか。

 

 理解した瞬間、奮い立たせたばかりの勇気が脆くも崩れ去った。

 

「そ、そんっ……そんなこと、…できるわけ……っ!?」

 

 今までで一番激しく感情を見せる一之瀬に、男は歪な笑みを浮かべる。

 男の瞳は、今や彼女を徹底的に辱めたいという暗い欲望だけで満たされていた。彼女が心底嫌がる姿を見せることは、男に倒錯した悦びを与えるだけにすぎない。

 

「へえ、できないんだ」

 

 男はこれ見よがしに、佐倉のいる方へ視線を移す。

 

「じゃあ、すぐにでも佐倉ちゃんと愛し合おうかな。君、友達想いなんだよね? 彼女を守りたいんだよね?なら、すぐ出来る筈だよね?」

 

 その脅迫は、あまりにも的確に一之瀬の心を抉った。

 佐倉を、守らないと。

 恥ずかしさと、現実を受け入れられない気持ちを必死に押し殺し、彼女はかすれる声で答えるしかなかった。

 

「……はい。…やる、から…」

 

 あまりにも屈辱的な要求。

 それでも一之瀬は、それを行う事を受け入れる。

 

 一之瀬は足を僅かに開き、準備をした。

 今からここで、こんな気持ち悪い男の前で、佐倉の前で、はしたなく放尿する。

 

 一之瀬は恥ずかしさで死んでしまいそうだった。

 せめてもの抵抗で顔を俯かせ、真っ赤に染まった耳だけが男から見えるようになる。そして身体を羞恥に震わせ、下腹部に力を入れて、それを出すーー

 

 出そうとした。

 が、いざ出そうとしても、身体は言うことを聞かなかった。

 

「え…なんで…」

 

 それは、ある意味当然の事だった。

 人前で用を足すなんて、やっちゃいけない事だ。

 あまりにも当然の価値観が、彼女の尿道の筋肉が緩む事を許さない。

 ましてや、羞恥によって最大限に緊張した状態なら尚更だ。

 

 だが、それで困るのは一之瀬自身だ。

 困惑し、焦る一之瀬に、追い打ちをかけるように男はカウントダウンを始めた。

 

「いーち、にーい。じゅうになったら、佐倉ちゃんを犯しまーす。さーん。あれ、まだ? 子供でも出来るよ?」

「ま、待って…! で、でて…お願いだから…!」

 

 顔を真っ赤にして必死にいきむが、焦れば焦るほど、身体は固くこわばっていく。

 

「しーい、ごーう。へえ、友達想いなフリして、結局は見捨てる気なんだ。最低だね」

 

 男は嬉々として煽る。

 焦りが最高潮に達した一之瀬は、なんとか出そうと試みる。

 いきみ、足を開いて腰を揺らしてみたり。

 だが、どれだけ出そうとしてもーー彼女の尿道から液体が出てくる事はなかった。

 出さないと、佐倉が犯されるのに。

 

 もう、恥ずかしさと情けなさ、佐倉への申し訳なさで、一之瀬の頭は爆発しそうだった。

 目隠しの布の上からでも分かるほど、ぽたぽたと大粒の涙が溢れ始める。

 その涙を見て、男の興奮は最高潮に達した。

 

「ろくしちはち!」

 

 急に早口でカウントが進む。

 

「な、え!? まっ…!」

 

 焦る一之瀬を嘲笑うかのように、男は叫んだ。

 

「きゅーう!」

 

 言いながら、男は自らのズボンのチャックを下ろす。

 一之瀬には見えていないその悍ましい光景に、佐倉が悲鳴を上げた。

 

「待って! やめて!!」

 

 その悲鳴を聞いて、一之瀬は更に焦る。

 自分がおしっこを出来ないせいで、佐倉が犯されようとしていると、そう察した。

 一之瀬は必死に男を静止しーーそれを無視して、男は歓喜の声を張り上げた。

 

「じゅう!!」

 

 間に合わなかった。

 

 そう、後悔と申し訳なさに頭がいっぱいになるがーーパンクしそうな頭で、どうにかして佐倉を犯そうとしているだろう男を止めないとと考える。

 そして身体で少しでも押し留めようと、一之瀬は拘束されたまま必死に身体を乗り出し――

 

 そんな彼女の覚悟を、男は嘲笑った。

 

 ジョロロロロ……

 

 そんな気の抜けるような水音と共に、自分の胸に熱い液体がジョボジョボと掛けられるのが分かった。

 ぴたり、と一之瀬の動きが止まる。

 

 いま、何が起きている?

 思考も、感情も、全てが停止する。

 

「お手本だよ」

 

 ニチャニチャと粘つく笑い声が、フリーズした彼女の耳に届く。

 

「こうやって、おしっこすればいいんだよ」

 

 理解した一之瀬は、最早言葉を失った。

 

 他人の――ましてや、こんな最悪の男に、尿をかけられている、ということ?

 

 そのあまりの衝撃は、彼女の心の許容量を、たやすく打ち砕いた。

 

「――あっ」

 

 一之瀬の口から、間の抜けた声が漏れた。

 ちょろちょろ、と、彼女の股から、か細い水音が聞こえ始める。

 

(あ、なんで、止まらな…)

 

 必死に下腹部に力を込めるが、一度決壊したダムはもう止まらない。

 先ほどまで必死に願っても出せなかったものが、最悪のタイミングで、無様に流れ出していた。

 

「ぶはははははっ! 漏らしたの!?」

 

 男の爆笑が、倉庫に響き渡る。

 

 その声で、一之瀬はついに泣き出した。

 もう、耐えられなかった。

 

 尻もちをつくようにへたり込み、全身の力が抜けていく。

 ぐすぐすと嗚咽を漏らす彼女の身体に、なおも男の尿がジョロジョロとかかり続けていた。アンモニアの酷い匂いが、一之瀬の鼻腔を犯す。

 

 男はその征服感と解放感に恍惚としながら、最後の一滴まで絞り出す。そして締めとばかりに、心が完全に折れた一之瀬へ、最後の命令を下した。

 

「最後の慈悲だよ。佐倉ちゃんを守りたいなら、床のおしっこ、全部舐めとって綺麗にしろ」

 

 あまりに人間扱いしない、非道な命令。

 それは一之瀬の尊厳を徹底的に陵辱しーー

 

 それでも。

 それでも、彼女の心の奥底で、佐倉を守らないとという願いが、善性が、かろうじてその心を繋ぎとめた。

 

 彼女は涙を流し続け、全身をわなわなと震わせながら、ゆっくりと身体を前に倒す。

 顔を床に近づけると、目隠し越しでも、尿のツンとした刺激臭が目の前にあることを悟らせた。

 

 最悪だ。

 女として、いや人間として、こんな屈辱に耐えられるはずがない。

 だが、そうしなければ、佐倉は、この男に何をされるか分からない。たとえそれが、ほんの数分の時間稼ぎにしかならなくても、そうしないという選択肢は彼女の中にはなかった。

 

「ぇあ……」

 

 彼女はゆっくりと口を開け、震える舌を出す。

 それをぷるぷると震わせながら伸ばし、今にも床の黄色い液体――男のものと、そして自分のものが混ざり合った無惨な水たまりに、彼女の赤い舌先が触れそうになり――

 

 

 その瞬間だった。

 

 

ーーガシャン!

 

 突如として響き渡った激しい金属音が、一之瀬の今にも尿に触れそうだった舌の動きを、ぴたりと止めた。  

 

「ーー!?」

 

 男も、一之瀬も、そして嗚咽を漏らしていた佐倉も、弾かれたように音のした方へ顔を向ける。

 音源は倉庫の入り口。

 その鉄の扉の向こうから、焦ったような男の声が聞こえてきた。

 

「は!? なんだこれ、開かな――あ、鍵か」

 

 どこか聞き覚えのある声が独り言を呟く。果たして誰の声だったかーーそんな事を考える間もなく、次の瞬間にはガチャリと鍵が開く音が響いた。

 そして間髪入れず、扉が内側へ向かって勢いよく開け放たれる。

 

「なっ」

 

 ストーカーの男があまりにも遅い反応を見せたが、彼が何かをするよりも早く、扉の向こうから飛び込んできた人影がその胴体に強烈な体当たりを喰らわせた。

 

「グエッ!」

 

 潰れたカエルのような呻き声を上げ、男は吹き飛ばされる。

 ビシャッ、と床の尿の水たまりが汚い音を立て、ストーカーは背中から無様に倒れ込んだ。

 そこへ、入ってきた人影がさらにのしかかり、完全なマウントポジションを取った。男の首を片手で押さえつけ、またもや口から醜い声が漏れる。

 

 そこでようやく、その人影が後ろを振り向いた。

 

「大丈夫か!?」

 

 余裕のない、切羽詰まった声が一之瀬と佐倉に向けられる。

 

 薄暗い倉庫の中、開け放たれた扉から差し込む外の光が、その乱入者の姿を照らし出した。

 それを見て、佐倉は思わぬ人物の登場に目を丸くし、呆然とその名前を呟く。

 

「さ、斉藤、くん……?」

 

 その名を聞いて、一之瀬もどうして声に聞き覚えがあったのかを悟った。

 

 斉藤くんーー斉藤景だ。

 

 普段の気だるげな様子とは違う、焦燥に駆られた声色だったのですぐには繋がらなかった。

 だが、あの謎が多く、何を考えているか分からないながらも、時に鋭い視点で助言をくれた同級生。確かにその声だと、気付いた今なら分かる。

ーーだが、なぜここに。

 

 佐倉も一之瀬も同じ疑問を抱いたが、事態は彼女らを置いて先に進む。

 斉藤はバッと佐倉と一之瀬の状態を目視で確認し、その無惨な有様から、ここで何が行われていたのかをおおよそ把握した。

 そして彼の額に、青筋がくっきりと浮かび上がる。

 

「ひっ…!」

 

 佐倉はその斉藤の表情を見て、小さく悲鳴を上げた。助けてくれたのは明白だが、彼の怒りの形相は、それを差し置いても恐怖を抱かせるものだったらしい。

 斉藤は足元のストーカー男を見下ろし、どすの利いた声で尋ねる。

 

「随分やってくれたな。人の嫌がる事をしろってママにでも教わったのか? クズ」

 

 その口元は呆れたように笑っているが、瞳の奥には紛れもない怒りが滲んでいた。

 斉藤は首元を締め上げる左手に、さらに力を込める。

 

「ぎっ…! な、なんだよお前! 部外者が、僕と愛里ちゃんの邪魔をするなぁっ!」

 

 ストーカーは悲鳴を上げるだけでなく、怒りを見せて喚いた。

 それを聞きーー斉藤は半ば怒りが削がれたように呆れた表情になる。

 尚も男は喚き続けていたが、斉藤はそれを少し困ったように眺めた。

 

 だが、佐倉がその剣幕に再び恐怖する素振りを見せたことに気づくと、少し悩む素振りを見せた後、何でもない動作で右手の拳を男の腹に叩き込んだ。

 

「ゲェッ!」

 

 男は短い悲鳴を上げ、腹を抱えてうずくまる。

 再び痛みでわめき散らすが、斉藤が無言で右手を振り上げたのを見て、今度は打って変わって媚びたように謝り出した。

 

「わ、悪かった! びっくりしただけで…! でも本当に愛里ちゃんも――そう、そこの一之瀬?も、僕と仲が良くて、一緒に過ごしてただけなんだ!」

 

 そのふざけた言葉を聞いて。

 だんだんと思考が現実に追いついてきた一之瀬は、なにそれ、と心の中で呟いた。

 私とこの男が、仲がいい? あんなことをさせておいて、合意の上だったとでも言いたいのか。

 あまりにも都合の良い発言に、一之瀬は呆然とする。

 信じられないものを見るように男の方へ顔を向けーーその思考が徐々に怒りへと変わり始めた。

 

 が、ドスッと鈍い音がして、男の悲鳴が響いた事で、その思考が打ち切られた。

 どうやら斉藤が、また殴って言葉を中断させたらしい。

 

 斉藤はぶっきらぼうに言う。

 

「悪い、俺、日本語しかわかんないんだよね」

 

 ストーカーは痛みに悶えながら再び謝り出すが、「静かにしないとまた殴るぞ」という短い脅しに、ぴたりと口をつぐんだ。

 

 斉藤が立ち上がる音がする。今度は落ち着いた静かな声色で、佐倉に話しかけた。

 

「大丈夫?」

「……は、はい…!」

 

 佐倉はこくこくと何度も頷いた。

 その様子を確認し、斉藤は納得したように一つ頷く。

 そして今度は一之瀬の方へ歩いて近寄ってきた。

 

 一之瀬のパンクした頭は、まだ急展開に追いついていなかった。

 足音を頼りに斉藤へ顔を向ける。何かを口にしようとするが、安堵か、恐怖か、それとも別の感情かーー出そうとしても、言葉が何も出てこない。

 それに一之瀬は焦るが、斉藤はそんな一之瀬の様子を気にしないように、被せるように話し掛けてくる。

 

「目隠しとっていい?」

 

 あまり想定していなかった言葉に、一之瀬は戸惑いながらも「う、うん」と頷く。

 すると、斉藤が自分の顔の方へゆっくりと腕を伸ばしてくる気配がした。

 そして、目隠しが外される。

 

 

 ずっと真っ暗だった世界。

 光の入らない暗闇に慣れた瞳に、外の光が戻ってきた。

 

「…っ」

 

 眩しさに、思わず目を固く瞑った。

 外の様子を確認する為に目を開けないと、と思うがーーなかなか開けられない。

 そんな一之瀬に、斉藤が安心させるように静かに語りかけた。

 

「ごめん、遅くなった。でも、もう大丈夫だから」

 

 その声を聞きーーそこで一之瀬は気がついた。目を開けられなかったのは、眩しさだけではないのだと。

 目を開けて、周りを見るのが怖かったのだ。

 

 斉藤の声かけを経て、おそるおそる一之瀬は目を開ける。

 眩しい光の中、久しぶりに映された外の世界。

 埃っぽい倉庫の中、汚い床の上に自分は座り、奥には半裸となった佐倉が座っている。そして少し離れた場所には、痛みに呻きながら床で悶える男の姿。

 

 色々と確認しなくてはならない情報はあったがーーそんな中で最初に目に飛び込んできたのは、それらのどれでもなかった。

 

 それは、目の前でしゃがみ込む一つの人影。

 いつもはぶっきらぼうで、何を考えているのかよく分からない同級生の、斉藤景。

 ――それが、誰の目にもわかるくらい心底心配そうに、そして気遣うようにこちらを窺っている姿だった。

 

「頑張ったな」

「ーーあ…」

 

 声が漏れた。

 そこで一之瀬は、ようやく心の底から理解した。

 

 自分は、助かったのだと。

 

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