ようこそエロMODが導入された教室へ 作:さんかく
次の日の朝。
昨晩の予期せぬイベントによる僅かな混乱と、いつも通りの睡眠不足による気怠さを抱えながら、Dクラスの教室の扉を開けた。
その瞬間、教室内の全ての会話が止まった。
数十の視線が一斉に俺へと突き刺さる。
好奇、嫉妬、驚愕、羨望。様々な感情が入り混じった、騒がしい視線だ。
――速攻でバレてんじゃん。
一瞬で理由を悟る。
内心でげんなりし――追い打ちをかけるように沈黙を破ったのは、やはりこの男だった。
「おい斉藤ッ! マジかよお前!!」
山内が椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、バタバタと大きな足音を立てて俺に詰め寄ってきた。その騒がしい声は教室中に響き渡り、視線はさらに俺に集中する。
「うるさいなー、何?」
「とぼけんじゃねえ! 一之瀬だよ、Bクラスの一之瀬! お前、マジであいつと付き合ってんのかよ!?」
まあ、その事だよな。
白波が誰かに相談して伝わったか、あるいは、一之瀬側から何らかの形で情報が漏れたか。
別に今更隠し通せるとも思っていなかったから、一之瀬に強く口止めもしなかったが、保ったのは一晩だけか。
「付き合ってるよ」
「「「はあああ!?」」」
俺が肯定した瞬間、山内の背後にいた男子生徒たちから、地響きのような絶叫が上がった。
「嘘だろ!? なんで斉藤が!?」
「Bクラスのリーダーだぞ!? あの、一之瀬だぞ!?」
「どうやってオトしたんだよ、斉藤! 教えろ!」
山内を筆頭に野郎どもが俺を取り囲み、やいのやいのと騒ぎ出す。
鬱陶しい、くさい、眠い。
どうせ取り囲んでくるなら女子が囲めや。
というか、どうやってと言われても、俺が一番理解していない。
今回、一之瀬の好感度を上げるようなイベントは一切こなしていない。考えられるものとしては、ストーカー事件のあれこれがよほどクリティカルヒットしたとしか思えないが、ちょっと前例が無さすぎて推測にしかならない。
「くっそー! 抜け駆けしやがって…!」
「あーあー、可愛くて胸大きい子はどんどん取られていくよなあ…」
野郎どもが煩い。
こういう嫉妬と詮索が、Dクラススタートで誰かと付き合った時の一番面倒な部分だ。
というか単純に発言に品がない。
いや、俺が品とか言うのはちゃんちゃらおかしいか。
「で、おい! どこまでヤったんだよ!?」
山内がニヤニヤと下品な笑みを浮かべながら、胸の前で両手をわしわしと揉むようなジェスチャーで囁いてくる。
いくら男子達での会話とは言え、別に完全に女子に聞こえないわけでも、ましてや見えない訳でもないんだぞ。
心の底から俺が言えた言葉ではないが、他の者の目もある以上、流石に呆れもまじえて山内に返す。
「……山内。お前、女子をそんな景品みたいな表現してる限り、彼女とか一生無理だと思うぞ」
「うわっ、出た! 彼女持ちの余裕かよ、くそっ! ムカつくー!!」
山内は俺からの言葉を単なる嫌味と捉えたようで、悔しそうに地団駄を踏んでいる。
まあ、こいつは放っておこう。
俺は野次馬の壁をかき分け、自分の席に向かおうとする。だが途中、須藤にガシッと肩を掴まれた。お前もかよ。
「おい斉藤、マジなのか。やるじゃねえか」
「……どうも」
「で、どうなんだよ……実際よ、なんつーか……どう射止めたんだ?」
やや話しづらそうにしつつも、興味津々といった様子で須藤が聞いてくる。チラチラと気にしている彼の視線の先は――堀北か。
ああ、元の原作の流れとは割と変わったが、結局コイツはもう堀北が好きになったのか。まあ原作より勉強会だので関わりも増えているし、そもそもの好みもあるしな。
須藤自体は別に可愛いもんだが、今絡まれるのはそれはそれとして煩わしい。視線の先の堀北に俺も目を遣り、須藤に視線を戻して口を開いた。
「知らん。そもそも堀北に対して参考になるとは思えないぞ」
「ぬわっ!?な、なんでおまっ…!?」
名指しで返された事で顔を赤くしてビビっている須藤を押し除ける。野郎の赤面に価値は無い。すっこんでろ。
そして他の男子からの質問も適当にあしらい、ようやく自分の席にたどり着く。
ふと視線を向けると、教室の隅で池が男子達の怨嗟の声を必死に仲裁しているのが聞こえた。
「ま、まあまあ、落ち着けよお前ら! 斉藤だって、色々あるんだろ!」
「うるせえ! お前も同罪だろ、池! 桔梗ちゃんと付き合っててさあ!あーあ、いいよな!色々美味しい思いもしてんだろー?」
山内からそう怒鳴られ、池は「いや……俺は別に…」と、どこか勢いのない声で反論している。
それを少し興味深く見ていたが、この場において、俺にそんな自由時間は存在していないようだ。
騒ぎは男子だけではなかった。
「ねえねえ、斉藤くん! 一之瀬さんと仲良かったの?」
「どっちから告白したの? ねぇ、どっち!?」
男子から逃れた先に待ち受けていたのは、女子だ。
男子たちの嫉妬に塗れたものとは異なり、女子たちは純粋な恋バナとして、目を輝かせながらキャッキャと騒いでいる。
これもこれで十二分に鬱陶しい。
「なんでもいいでしょ」
「よくないよ!ビッグニュースだもん!」
俺が生返事で答えていると、それまでの浮ついた空気とは明らかに異なる、"明るい"声がかかった。
「へえ、本当に付き合ってるんだね!知らなかったなあ」
声の方を見ると、そこに立っていたのは――櫛田だ。
完璧な、非の打ち所がない笑顔。クラスのアイドルとしての"よそ行き"の顔だ。
だが、流石に俺には分かる。
くっそキレてんじゃん。
何にキレているのかは、まあ、何となく分かるけど。
「すごいね、斉藤くん。一之瀬さん、すっごく可愛いもんね。お似合いだよ」
その言葉には、祝福の響きなど一切ない。
言外にこう言っているのだ。
『自分にはあの池と無理やり付き合わせておいて、テメェは学年トップクラスの美少女と付き合うなんて良いご身分だな』と。
そのおかげで今やお前がクラスの女子代表の立ち位置を確立できたんだが、それでも不満か。
まあ不満だろうな。相手が平田とかならまだしも池だし。
今の櫛田は原作より高いポジションを得てはいるものの、彼女の中の理想の自分像とは大きくズレているのだろう。
だからこそ彼女は憤り――同時にそれが、彼女を縛る"枷"となってくれている。
「あー、どうも」
皮肉を適当に受け流し、荷物を机の横にかける。
横目で池の方をチラッと見ると、山内たちとの会話の途中でありながら、こちらを――櫛田の様子を不安げに見つめていた。
ふむ。
ボチボチ"限界"が来たか。
少なくとも、櫛田はかなりキている。
放っておけば一之瀬にアクションを仕掛けて俺との関係を崩壊させるとか、何かしらの動きは見せ始めそうだ。
関係が崩壊するだけなら別にいいけど、多分その頃には俺の社会的な立場も粉砕されている。それはめっぽうよくない。
仕方ない。
櫛田桔梗というキャラクターは、どこまでいっても獅子身中の虫だ。
"交際システム"と、脅迫用のデータを揃えた今の俺であっても、彼女の行動を完全に制御することはできない。
彼女の最大の強みはそのコミュニケーション能力だ。人の口に戸は立てられないのと同じで、彼女の行動を縛るには限界がある。
有効となるのは、完全な懐柔や完膚なきまでに心をへし折るか。
だがどちらも現実的ではない。メンタルの頑強さ――というより、粘り強さは作中でも屈指のものだ。
ヘイト分散、そしてデートによる時間的拘束による物理的な"悪巧み"の抑制。
そしてクラスの代表という陽性の足枷。
これらの"制御弁"としても池は機能してくれたが、そろそろ部品の替え時かもしれない。
まあ、坂柳確保までに変な妨害をされなかっただけ良しとしよう。
だが、そろそろ警戒しておかないと駄目かな。
時期的に櫛田が何かを仕掛けてくるなら、夏休みの間――早くても無人島試験になるか。
そんな分析を頭の中で行いながら、櫛田の笑顔に視線を返した。
互いにしか分からない一瞬の火花が散る。
その冷たい視線の交換は、「ねえ、それでさー!」という、別の女子からの能天気な声によって、再びクラスメイトの野次馬の喧騒の中へと持っていかれた。
---
「ご、ごめんね。付き合いだしたのを言っちゃったの、私です……」
向かいの席で、一之瀬が眉をしなしなとさせながら、小さな声で謝ってきた。
「別にいいよ。どうせ時間の問題だったろ」
俺はそう答え、コーヒーカップを口元に運ぶ。
試しにオリジナルブレンドとやらを注文してみたが、軽い口当たりの、香りは目立つがやや酸味のある味。ちょっと好みじゃないが、女子向けの店だからニーズに合わせた形か。
放課後、俺と一之瀬はカフェにいた。
ワイワイと学生達で賑わい、俺たち以外の全ての席は埋まっている。
確かにこのカフェは、原作でもよく使われていたように学生達の憩いの場だ。だがポイント需要が激しいこの環境では、多少人足は遠ざかっていた筈。
こんなに繁盛しているのは、他人事ではない理由があった。
「……あれから千尋ちゃんと話したんだけど、やっぱり君の言う通りだった。私が何を言っても、傷つけるばっかりで……」
一之瀬は少し表情を暗くして打ち明ける。
彼女はあの後、白波のケアのために友人に事情を説明し、協力をお願いしたらしい。
そしてその過程で、必然的に俺との交際を話すこととなった訳だ。
順当な流れではあるが、白波の心に受けた傷がそれで癒えることはない。ここから白波に逆恨みされないかは心配だが、もしされるなら標的はまず俺だろう。
想定と真逆の関わり方にはなるが、一晩経って俺も割り切った。そもそも彼女は特別重要だった訳じゃない、回収出来るならしておく程度の存在だ。
意気消沈という様子の一之瀬へ、少し酷な質問をする。
「嫌われた?」
「うーん……そうなっても当然だとは思うけど、まだ、避けられてるだけ、かな……。それに、今日はそれどころじゃなかったしね」
一之瀬は苦笑をし、チラリと周囲を見る。
その視線を追うと、確かに、見覚えのある顔がちらほらと見えた。
多くは普通に会話をしながらも、明らかに俺と一之瀬が向き合って座るこのテーブルへ、好奇の視線を向けているのが分かる。
まるで見世物だが、これも当然の話だ。
Bクラスのリーダーと、Dクラスの謎の不良。成立したばかりの学年で一番ホットなカップル()だ。
そんなのがこんな人目に付く場所で一緒に茶をしばいていたら、そりゃあ衆目も集まるというもの。
「みんな、すごくびっくりしてたなあ。私の方がびっくりしちゃった」
「こっちもヤバかったぞ。お前の影響力だな」
「ごめんね。うーん、やっぱりクラスのリーダーみたいな役回りをしてる分、注目はされちゃうみたいだね」
俺の若干本気で辟易とした様子に、一之瀬は分かっているんだか分かっていないんだか微妙な反応で苦笑する。
今朝の騒動は、"人気者"の一之瀬帆波が付き合い出したから生じたものだ。
それはクラスのリーダーだからではなく、単純な彼女個人の魅力による影響。変な話、Aクラスの葛城が誰かと付き合っても、あそこまで騒ぎにはならないだろう。
ちなみに俺の扱いは「ノーマークだった馬の骨」だ。
まあ、顔は良いけどな。俺がデザインしたんだ、そこは自信がある。
「一之瀬」
「ん?なにかな?」
俺からの呼び掛けに、一之瀬は反応する。
が、どこか心ここに在らず、という様に見える。
それはきっと、白波のことがずっと気に掛かっているからだろう。頭の中のもやもやが晴れない様子は、ずっと曇ったままの表情からもよく分かる。
だがそれは、俺にとっては関係の無い話だ。
「好きだぞ」
「……ひぇ!?」
一之瀬は素っ頓狂な声を上げ、びくりと肩を跳ねさせた。
その目は大きく見開かれ、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。
「な、ななな、なに!? 急に、どうしたの斉藤くん!?」
明らかに動揺し、わたわたと視線を彷徨わせている。
ようやく意識が目の前の俺に戻ってきたらしい。先程と打って変わって顔を赤くして慌てている一之瀬を眺めながら、コーヒーを一口すする。
「変な事言った?」
「ええ!?変だよ!?そんな、急にっ……す、すすす」
「好き?」
「わーっ!?」
一之瀬はより顔を赤くし、悲鳴を上げながら両手で顔を覆って隠そうとする。
だが、綺麗なピンクブロンドの長髪の隙間に見える耳は、しっかりと赤く染まっているのが分かる。全然隠せていない。
面白。
惚けた様子で続けた。
「普通でしょ。俺らは付き合ってんだから」
「うぅ……そ!そう…だけど!」
「そうなんだよ。というか……"それっぽく"しないと駄目なんだろ」
「……え、えーと…?」
俺の真意を測りかねたのか、彼女はまだ頬を赤くしたまま指の隙間から此方を覗いてくる。
「周り」
俺が言葉だけで周囲のテーブルを示すと、一之瀬は指の隙間から恐る恐る周りを見る。
「隠れようとはしてるみたいだけど、Bクラスの顔が見える」
「……あ、あはは。ばれちゃった?え、えっとね?」
「責めてないよ。むしろ俺の為だろ、ありがとな」
一之瀬が途端にバツが悪そうにし出したのを見て、先んじて謝罪を封じておく。
一之瀬は目を丸くして口をつぐみ、こくこくと頷いた。
「大方、本当に付き合ってるのか、とか……俺に脅されてるんじゃないかとか、心配されたんだろ」
「う、うん。……なんで分かったの?」
「まあ」
ーー逆の立場なら俺でもそう思うからだな。
とは、露程も想像していなさそうな彼女に言うのも憚られる。
今俺たちがこうしてカフェに居るのは、一之瀬に誘われたからだった。
放課後になり、さっさとクラスメイトからの好奇の視線から逃れたくて席を立ったところへ、唐突に一之瀬が現れた。
ーーデートしよう、彼氏くん、と。
少し恥ずかしそうにそんな台詞を言い放ち、俺を連れ出して外へ遊びに出かけることになった。
他のクラスへの乱入に、且つそれが人気者の一之瀬で、加えて今の俺との関係に注目されているタイミング。それはもう注目されたがーーその違和感が、彼女の裏の意図を推測する助けとなったと言える。
"一之瀬が不良みたいな輩と付き合い出した"。
これで、変な関わり方を想像しない方が難しい。彼女を慕う者ほど、俺の事を警戒して然るべきだ。
「放っておけばいいのに」
「そんな訳にいかないよ。君のことを悪く言う人もいたよ?」
一之瀬は真剣な顔で訴えてくる。
彼女からすると、確かに嫌な気持ちになるのだろう。何故か俺の事好きらしいし。ーーいやほんとに、何故か。
そして彼女は知る由もないが、実際俺は悪いヤツだ。アイツはワルだぜ、とかそんな話ではなく、ガチの犯罪である。多分周りの奴らが想定するよりも上をいっている自信だけはあるな。
だがお優しい一之瀬は、俺に対してかかった嫌疑を晴らそうと、こうして人目に付くところで俺と会うことにしたのだろう。
俺と普通に仲良く話すところを見せて、安心させようといった狙いだ。
長引けば悪い噂が俺の耳に届く可能性があるから、その日の放課後から、且つ俺には何も言わずにこうしてデートを誘ってきた。
「……ほんとに良いやつだな、お前」
「えっ!?……ううん、そんな事ないよ」
俺からの率直な賞賛に、彼女は一瞬嬉しそうに頬を綻ばせたが、直ぐに言葉を詰ませ、気まずそうにわずかに視線を逸らした。
それは、彼女の中での自身の評価が低いから――白波のことはもちろん、彼女が心の奥底に抱える"過去"にまつわる罪悪感の為だろう。
一之瀬帆波というキャラクターは、間違いなく善人だ。
だが、そんな彼女にも後ろ暗い過去はある。それは彼女の心にずっと棘として残り続け、いつか坂柳によって最悪の形で引っ掻き回されることになる。
それは原作では綾小路によって解消される予定だが――ゲームにおいて、タイミングにもよるが、一之瀬と付き合うことになった者は、その役目を代わりに担うことが多い。
ただ、それは、そこまでで別れていれば別の話となる。
だが、誰かと付き合うということ以上に、別れるというのは難しい。納得出来る理屈と互いの合意が揃わなければ、それは遺恨となる。一之瀬帆波が善人であり学年でも屈指の人気者であることは、その正の要素が強すぎるが故に、別れの際には反転して牙を剥く。
だから俺は、一晩掛けて悩み、そして決意した。
彼女と付き合うというデメリットを最小限にした上で、そのメリットを享受しよう。
その為に、まずは一之瀬と――"ちゃんと"付き合うのだ。
「俺からすると、それだけ他の奴らの為に考えてるだけで凄いと思うけどな」
「そうかな…ありがとう」
俺から再度、普通に本心を込めた賞賛を送ると、一之瀬ははにかみながら感謝を述べる。
だが、どうにも"仮面"を感じる。
きっとこうした賞賛は何度もされているのだろう。自身の中の"自分像"と他者からの"一之瀬像"の乖離は、口で言って伝わるものではない。
このままフォローしても、きっと彼女の心には響かない。
一之瀬と"ちゃんと付き合う"にあたり、何を行うべきか。
これは、これからの一之瀬の"運用"を考えるにあたって重要な話だ。
否応なく、これからの俺の動きには一之瀬が関わることになる。その上で――この女をどう使うにしても、重要なのはクラスとの関係だ。
元々は、彼女を上級生からのヘイトタンクにして、Dクラスはある程度守りつつ、学園全体の風紀の悪化を狙うつもりだった。
このMOD環境に於いても、普通に過ごしてきた女子達の頭の中に「身体を許す」という選択肢をゼロから生み出すことは難しい。
だが時間の問題で、どこかである程度許容しなくてはならなくなる。心の準備が出来ないままそうなると、学級崩壊だ。
だからその前に"前向きな売春"を提示したい。
プロテクト費用を稼ぐための手段や、俺の「商売」という土壌。
また櫛田という前例も、女である事を利用した守り方として、他の生徒の脳に選択肢として刻まれただろう。
そして上手くやれば、一之瀬には特別試験で退学回避のために学校の性奴隷あたりにでもなってもらおうと思っていたが――この"交際"ルートに入ってしまった以上、流石に現実的ではなくなった。
まあ、別にいい。試走でも一度見た光景だし、またどうしても見たいという程のものでもない。別の形でも楽しめるだろう。
それならそれで別の形で使っていくだけだ。
目の前の学年でも類稀な美貌の女を見る。
俺はこれから、この女を彼氏という立場から"使える"ようにしないといけない。
俺は、おそらく再び負の方向へ傾いているであろう彼女の思考を、遮るように口を開いた。
「なあ、一之瀬」
「ん…なにかな?」
「お前、自分のこと、あんまり良い奴だと思ってないだろ」
「えっ…!?」
彼女が、図星を突かれたように目を見開く。
彼女に必要なのは、表面的な肯定ではない。
一之瀬を蝕むのは"罪の意識"だ。
それを癒すためには、まずそれに向き合い、きちんと認めた上で、自分の中の落とし所を見つけることだ。
「あはは……そんなこと…」
言葉を濁す彼女に、明確な否定をさせる前に、俺は口を挟んだ。
「"実際"のお前がどうかなんて俺は知らない。けどな」
俺は彼女の目を真っ直ぐに見つめる。
「俺は、今、目の前にいるお前を好きだと思ってるよ」
「…………っ!」
俺からのストレートな物言いに、彼女は顔を真っ赤にすると、ただこくりと小さく頷いた。
よし、手応えは悪くない。
もう少し一芝居打つか。
俺は、彼女の思考を中断させるため、何の予告もなくテーブルの向かい側にある彼女のケーキセットに手を伸ばした。
「え…?」
一之瀬が不思議そうな顔で俺を見る。
俺は彼女のフォークを勝手に手に取ると、彼女の皿にあるショートケーキの端っこに当て、一口サイズに切り分けた。
「白波のこととか、クラスのこととか」
俺は呟きながら、切り分けたケーキをフォークで突き刺す。
「あと、お前が誰にも言えずに抱えてる悩みとかもあるのかもしれないけど」
独り言のように語りかけながら、そのケーキが乗ったフォークを、戸惑う彼女の口元へとすっと突きつけた。
「……え?」
一之瀬は目の前に差し出されたフォークを不思議そうに見るが――直ぐに俺が何をしたいのかを理解して、再び頬が赤く染まった。
「な、ななな……き、今日は積極的だね…?」
恥ずかしそうに動揺し、わたわたと視線を彷徨わせている。
無意識にか、屋内のBクラスの同級生の方へ視線をやっていた。俺もそちらを確認すると、この付き合いたてのカップル然とした様相に、二極化した反応に分かれている。
女子は目をキラキラさせ、男子は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
会話までは聞こえていないだろうから、想像以上にバカップルみたいな行為に驚いているようだ。後で一之瀬を問い詰める様が目に浮かぶな。
俺は何も言わず、無言でフォークを差し出し続ける。
一之瀬は、俺の顔と、目の前に突きつけられたケーキとを交互に見た。
周囲の野次馬たちの反応にも気付いているのだろう、彼女はこの行動が"ショー"の一環であり、カップルとしてのアピールに必要だと判断したようだ。
「う……あ、あーん…」
いや、そもそも彼女自身"こういう"行為は嫌いな訳ではない。
人目のある場所で恥ずかしそうにしながらも、彼女は観念したように小さな口をおずおずと開けた。
俺はその口の中にフォークを差し込み、ケーキを置いてやる。
一之瀬はそれをぱくりと食べ、フォークを引き抜くともぐもぐと噛み始める。
恥ずかしそうにしながら、こちらを窺うように見つめてくる彼女に、俺はゆっくりと告げた。
「――全部、後で"一緒に"考えよう」
「……え?」
「今は、デートを楽しめばいい」
そう告げると、一之瀬は大きく目を見開いた。口の中のケーキを、こくりと飲み込む。
一之瀬が自身の"罪"と向き合い、それを飲み込んで前を向く。
その過程に、俺という異物を混入させる。"俺という存在"を、彼女の中で増幅させる。
俺はこれから、彼女の"逃げ場"になる。
困った時、辛い時、最初の相談相手になる。彼女に寄り添い、手助けし、一緒にこれからを考え頭を悩ませる。
そうして、彼女の自立心を少しずつ削いでやる。
依存までさせられるとは思わない。だが、俺という存在に逆らえないようにする。真綿のように首を締め上げていこう。
そんな俺の内心を知る由もない彼女は――表情から悩みや戸惑いといった翳りが消え、ふっと、心の底から漏れ出たように笑顔が咲いた。
「…ぷっ、あはは! なにそれ! 斉藤くん、ずるいよ、そういうの!」
彼女は、まだ頬を赤らめたまま、楽しそうに笑う。
「でも……そっか。そうだよね。ありがとう、君の言う通りだ。うじうじしてても、仕方ないよね!」
彼女はそう言うと、パン、と自分の両頬を軽く叩いた。
そして、いつもの太陽のような笑顔を俺に向ける。
「……よ、よしっ! それじゃあ、まずは"彼女"としての第一歩!」
彼女はそう言って、自分の端末を取り出した。
「斉藤くん、連絡先、交換してください!」
一之瀬は両手で端末を俺に向けて差し出して、少し顔を赤らめながらお願いしてきた。
なんだか、「やっと言えた」というような表情をしている。
――あれ、まだ交換してなかったっけ。
彼女なりに勇気を振り絞っての発言だったのだろうが、交換していない事を気付いていなかった。
もしかして、昨日の夜も俺に連絡を取ろうと悶々としていたのだろうか。
「……もちろん」
少し申し訳ない気持ちになりながら、俺も自分の携帯を取り出し画面を開く。一之瀬の連絡先は俺としても確保しておきたい。
むしろこちらから、是非とも交換させて欲しい。
だが、メッセージアプリを開いたところで、俺は動きを止めた。
一件、未読のメッセージが届いている。
「どうしたの?」
俺が固まっているのを、一之瀬が不思議そうに覗き込む。
「……悪い、一之瀬。ちょっと、急ぎの返信だけさせてもらってもいいか」
「あ、うん! もちろんいいよ!」
一之瀬は快くそれを受け入れる。
だが、すぐにいたずらっぽく笑い、俺をからかうように続けた。
「もうっ、彼女を待たせて別の人へ連絡なんて、いけないんだよー?」
「……」
「……もしかして、女の子だったりする?」
「いや……」
――龍園だよ。