ようこそエロMODが導入された教室へ 作:さんかく
クルーズ船のデッキ、その少し高い場所から、俺は眼下ではしゃぐ同級生たちを見下ろしていた。
潮風が顔を撫で、陸上では馴染みのない、塩気を含んだ独特の香りが漂ってくる。
しかしその目新しさよりも、中身が学生というほどの若さでもない俺にとっては、じりじりと肌を焼く日差しとまとわりつくような湿った暑さの不快感の方が、よほど気になってしまっていた。
そんな中でも、やはり元気の有り余る学生たちの多くは外で羽を伸ばしていた。
その様子は普段の教室で見るよりも明らかに元気で、且つどこか開放感も感じられる。
それは、待ちに待った夏休みということもあるが、何より――あの忌わしい"制度"のプレッシャーから、一時的にではあるが解放されたからだろう。
休みに入る前、7月の終わりに茶柱先生から通達があった。
制度の特性の説明。
曰く、申請は現実的にその行為が実現可能な場所でなければ通らない、と。
つまり、この海上のクルーズ船という閉鎖空間においては、ここにいる俺たちの間でしか申請は行われない。
そして幸いなことに、未だ、同級生の女子に申請を行ったという前例はこの学年では確認されていない。
時間の問題ではある。
だが、これまでなかったことはこの先もないだろうと、人はそう考えてしまうものだ。
正常性バイアス。
それが今は良い方向に作用し、男女共に、久しぶりに純粋なバカンスを楽しんでいるようだった。
そんな者たちの中には、一際目立つ存在もちらほらといる。
うちのクラスなら平田や櫛田。Bクラスなら、やはり学年屈指の人気を誇る一之瀬。
そして――休みの前に一部で話題になっていた、坂柳有栖。
そう、坂柳は今回、この試験に参加している。
運動を医者から禁止されている彼女は、本来ならこの旅行ごと不参加を選ぶ。
だが今の彼女にとっては、慣れない環境で身体に負荷をかける事よりも、一人であの学園に残ることの方がよっぽど危険だと判断したのだろう。
まあ、理由なんて語るべくもない。
そして実際のところ、クルーズ船で過ごす分には家よりむしろ快適だ。無人島については――どうするんだかな。
その選択によっては、彼女の中での"警戒"の輪郭が多少推測出来るか。
俺は端末で時計を見る。
そして顔を上げて、見晴らしの良いこの立ち位置から水平線の方向へ――そこに小さく見え始めた一つの島を見る。
あれが、俺たちがこれから上陸する島だ。
さて、上陸する前に少しだけやっておきたい
事がある。
それはトイレ――という本心の籠った冗談は置いておいて、他にもあった。その為に、一度自室に戻ることにする。
腰を浮かして、バルコニーから部屋へ続く廊下へ進む。
そして俺に割り当てられた部屋へ着き、扉を開けて――そこで、部屋の中に他の者も居る事に気付いた。
「……あ」
池だ。
俺と同じ部屋に割り当てられた池は、自身の端末を弄りながら休んでいたようだった。
彼は姿勢を崩してフカフカの椅子に深く腰掛けながら、扉を開けた俺に視線を向け――思わず、といった様子で声を出す。
あまり会いたくないやつにバッタリ会ってしまった、とでも言いたげな気まずい反応だ。
俺の視線を避けるようにふいと顔を逸らし、下手な口笛を吹きながらイヤホンを耳に着け始めた。
――分かりやすい奴だな。
俺はそんな池を気にせず、自分のベッドに向かって荷物の整理を始める。必要な物品を取り出して、自身の私物を中に入れる。
そんな作業をしていたところ――不意に、背中から声がかけられた。
「あ、あのさ!」
俺が振り向くと、池がこちらに向き直していた。
そして、まだ気まずそうではあるが――意を決したように、俺に向かって深々と頭を下げてきた。
「先月は、その……マジで助かった! ありがとな!」
「……ん、先月?」
俺はぽかんと口を開け、頭を下げる池を見つめる。
何の話をしてるんだ、と言いかけ――すぐに思い出した。
―― ああ、6月末に櫛田のプロテクト用のポイントを、俺が立て替えて貸してやった件か。
「無事守れたみたいだな。良かったじゃん」
「へ?……あ、ああ」
俺がそう言うと、池は何故か驚いたように顔を上げ、それからなぜか少し浮かない顔で頷いた。
そして今度は再び気まずそうな表情で、「えーっと……その…」と何かを言い淀みだす。
その様子を見て、俺は先回りして口を挟んだ。
「ポイントはまだ返さなくていいよ。そんな余裕は今無いだろ。いつか、同じだけ返してくれればそれでいい」
「えっ、いいのか!? 3万だぞ!?」
池は、ばっと顔を上げて驚いた表情を見せる。
「前にも言ったろ。逃げやしないなら、また後でいいって」
「うおお…! 斉藤、お前、マジで良い奴だな!」
池は途端に表情を明るくすると、調子よく近づいてきて俺の肩を組んできた。
俺は、その腕を鬱陶しそうに振り払う――が、そこでふと気になった事を聞いてみた。
「そういえば、お前、櫛田とはどうなんだよ」
俺がそう尋ねた瞬間、ピシリ、と池の動きが固まった。
「あー…いや、まあ、その…」
答えにくそうに、池は目を泳がせる。
そのまま誤魔化すように「まあまあ…」と言いかけ――ふと、何かに気がついたように口をつぐんだ。
そして俺に振り返り、神妙な顔で聞いてきた。
「なあ、斉藤。お前、一之瀬と付き合ってるんだよな」
「あ?」
唐突な質問に、俺は間抜けな声で返す。
だが、池は真剣な調子で続けてきた。
「なあ、お前……どこまで、いったんだ?」
「……ええ………」
その質問、この前山内にも全く同じことを聞かれたぞ。
内心で呆れる、が――今の池は、山内のような純粋に下世話な好奇心から聞いているのではなさそうに見える。質問内容は兎も角、表情は真剣そのものだ。
そこで、俺は何となく池の内心を悟った。
おそらく櫛田は、今尚池に殆ど何も許していないのだろう。
付き合っているとは名ばかりの、プラトニックな関係。池もそれに同意した上で付き合ったのだろうが、彼自身、本当にそれがそのまま続くとも思っていなかったのかもしれない。付き合っていればいずれなし崩し的に――というのは、ごく自然な思考でもある。
だが、その気配が感じられない。まだ、櫛田が望むならと従順に従ってはいるのだろうが――内心ではかなりの不満と、何より性欲が溜まっているはずだ。
加えて、先月俺に借金をしてまでプロテクト分のポイントを用意した。
その"献身"にも関わらず、多分、ほぼ進展が無いのだろう。
そうした葛藤と、何も出来ないことへの不満や不安。そのモヤモヤが、同じ「彼女持ち」である俺に対しての、下世話な質問への結びついたと考えられる。
「一之瀬とは何もないけど」
俺がそう返すと、池は「マジで……?」と、信じられないものを見るような目でこちらを見てくる。いや、お前もそうだろうが。
「え、一之瀬だぞ?何もさ、こう……触ったりとかもないの?」
「無い」
「ええ……お前おかしいって」
池は変な生き物でも見るような目で見てくる。
少しムカついたから額をデコピンしたら、「あだっ」と頭を押さえて蹲った。
実際、一之瀬とは何もしていない。
というかまともなデート自体、あの後週末に一度した程度だ。
学生カップルにありがちな、登下校を一緒にする約束だとか、決めた時間に電話するとかいう決め事すらしていない。
学生のお付き合いにしても希薄――何なら少し仲の良い友人、程度の関わりしか持っていない。
が、仕方ない。最初は俺の家に坂柳がいたから無理だったし。
そもそも、ちゃんと付き合うとは決めたが、まだそこまでガチのカップルを演じる気はない。
多少希薄な状態でキープしておかないと、俺の"仕事"の方が出来なくなってしまう。
メジャーな彼女ルートでベタベタしていると、どうやってもこれまでのペースでのデリヘル提供は不可能だ。
なんて事を考えている俺の前で、池は深刻な顔で悩み込んでいた。
「…でも、桔梗ちゃんは…」などと聞こえてくるあたり、俺の推測通りの悩みを抱えているのだろう。
今の池の様子。
俺の見立て通りなら、池と櫛田はそろそろ限界が近い。
池はかなりの不満と葛藤を抱え――しかし、そのみっともなさと男のプライドから、須藤や山内にも相談出来ていないのだろう。
そうした溜め込まれた鬱憤は、どこかで無理が来て破裂する。それこそ中学時代の櫛田のように。
――俺が一肌脱いでやるか。
今の池は、謂わば俺の被害者だ。
一方的な俺の人選で、櫛田を縛るための"枷"と"当てつけ"になってもらった。それによるストレスを、俺が癒やし――その爆発の向きとタイミングを、こちらで調整させてもらおう。
俺は池の肩に手を乗せ、安心させるように言った。
「お前の心配は分かる。櫛田との関係を、進められないんだろう」
「なっ……! 斉藤、なんで、それを…!?」
「分かるさ。俺も、一之瀬との関係で――ちょっと悩んだからな」
――悩み方のベクトルは180度くらい違うけど。
という要らない補足は心の中でしつつ、俺の言葉に「マジかよ……」と感動したように目を丸くしている池に、さらに語りかける。
「安心しろ、池。その悩みは、きっとこの旅行が解決してくれる。今から島でバカンスだ。櫛田だって、少しは開放的な気持ちになるだろ。その時に――"アプローチ"すればいい」
「――えっ、"アプローチ"って……そ、そういうこと、だよな?」
「ああ」
「マジで!? こんなところで、そんな…いいのか…!?」
池は驚愕している。
「ああ、間違いない」
俺は深く頷く。
当然、全然良いわけがない。
そんな事したら櫛田から軽蔑されるだけだ。
だが池は、俺からの助言という形で自身の欲望を後押しされた事で、それが間違っているとは薄々分かってはいても、心の弱さが都合よく解釈してしまう。
別に俺は「ヤれ」だの「迫れ」だの、過激なことを言ったわけではない。
もし池が勘違いして何かやらかしたとしても、どうとでも言い逃れはできる。
――そして実のところ、俺は池に"やらかす"事を期待している。
予測でしかないが、それがきっと、俺の身を守る事に繋がるはずだ。
なんていう邪な俺の本心を知らない池は、大袈裟に泣きながら俺の手を握り、ブンブンと振り始めた。
「ありがとう、斉藤……! お前、マジで頼りになるな!」
「そうでもない」
本当にそうでもない。
今の所、関わる人間に害しか及ぼしていない自信はある。
百害あって一利なし。百害の王とは俺のことだ。
「いや、本当だって! 最近まじ辛くてさ…。なんか、別に惚気とかじゃなくって、最近どんどん桔梗ちゃんが可愛く思えてきてて……なんかすげー良い匂いするし、どんどんエロ…ああ違くて、デカ……あっ、じゃなくて…」
池はボロボロと女子の敵になりそうな失言を繰り返している。
――が、それは多分、池の勘違いじゃないな。
俺の"開発"の影響で、櫛田の外見と女性らしさ、フェロモンには確実に磨きがかかってきている。
比較的近くで彼女を見る機会が多い池だからこそ、その影響をモロに受け、より性欲を刺激され――生殺しにされているのだろう。
どんまい。
と、そこで部屋にアナウンスが鳴り響いた。
『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。間もなく島が見えて参ります。暫くの間、非常に意義ある景色をご覧頂けるでしょう』
来たか。
例のアナウンスだ。
「なんだこれ?」
「そろそろ降りるんだろ。行くか」
不思議そうにしている池に声をかける。
「おー、そうするか」
池は素直に頷いて、俺の後をついてくる。
「俺、実はアウトドア結構好きでさー!」などと、すっかり元気を取り戻した池が俺に話しかけてくる。それに生返事をしながら廊下を歩き――途中で、俺が用事のある部屋を横切った。
そこで俺は池に声をかける。
「悪い、少し忘れ物があるから、先行っててくれ」
「お? おう、分かった。さっさと来いよ!」
そう言って、池は一人でデッキの方へ走って行った。
それを見届けてから来た道を引き返し――少しだけ、用事を済ませておく事にした。
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用事を数分で済ませ、俺は再び甲板の方へと向かう。
廊下を抜けた先、デッキへと続く扉の向こう側から、わいわいとした学生たちの喧騒が聞こえる。
そこへ向かおうとして――手前で視線が止まる。
その少し手前の廊下側に、見覚えのある人影がポツンと立っているのが見えた。
距離はまだ少しあるが、その夕暮れ時の光を浴びて輝くピンクブロンドの長髪は、特に一年生しかいないこの船上では一人しかいない。
一之瀬だ。
彼女は何かを探すようにきょろきょろと辺りを見回していたように見えたが、その視線が廊下を歩く俺の方を向き――彼女の動きが、ぴたりと止まった。
そして若干慌てたように、何食わぬそぶりで視線を外に向ける。
一応その位置からでも、これから向かう島が見えるのだろう。だがその挙動はかなり不自然であり――彼女が"島を見る"以外の意図でここに居るのは明白だった。
俺はその不自然な様子に内心で苦笑しながらも、彼女の近くまで歩いていく。
その足音が聞こえているのか、一之瀬は視線を外の方に向けていながらも、どこかそわそわとした様子を隠しきれていない。
「一之瀬?」
俺がそう声を掛けると、彼女は「待ってました」と言わんばかりに、大袈裟にこちらを振り返った。
「あっ、斉藤くん! ぐ、偶然だね!」
演技臭さを滲ませながら、何食わぬ顔で、にこにこと人の良さそうな笑みを向けてくる。
――俺を待っていたのか。
そう察し、気付いていないフリで頷いてみせる。
「まあな。一之瀬も島を見に来たのか?」
「えっ……あ、うん。……やっぱり、斉藤くんも変だと思った?」
「そりゃあね。この学校で『意義ある』とか言われたら、普通は警戒するでしょ」
「あはは、そうだね」
一之瀬は小さく笑って俺の言葉に同意する。
俺がそのまま彼女の横を通り過ぎ、甲板のバルコニーに向けて歩いていくと、一之瀬は少し遅れてとたとたと軽い足音で追いかけてきた。
外に出て、手すりに寄りかかり、少し高い位置から島を眺める。
一之瀬も俺のすぐ横に並び、一緒にその景色を見始めた。
視線の先には、これからの試験の舞台となる緑豊かな島が、その全貌を現しつつあった。
その構造を確認する――それが、学校側から提供するこの試験のヒントだ。
まあ、この島は何回周回しても変わることのない固定マップだ。流石に、俺にとっては今更地形を確認する意味なんて無い。
だがゲーム的には、ここで島の構造を確認する素振りを見せることは、その後のフラグ発生の為に重要にもなっていた。
そして今の俺にとっては、少し違う意味で確認しておきたいことがあった。
丁度、船はビーチの前を通り過ぎるタイミングだった。
――あの辺りかな。
船の現在位置と島の構造を頭の中で照らし合わせる。
ビーチは一つではない。これから試験の説明を受けるであろうメインの砂浜とは別に、今の船から最も近い、小規模な入り江にも砂浜が存在していた。
これなら、次善のパターンでも問題なく実行できそうだ。
そう頭の中で算段を立てながら視線をブラブラとさせていると、一之瀬が隣でぽつりと呟いた。
「やっぱり、試験……なのかな」
横を見ると、眉を下げて、どこか憂うような一之瀬の横顔が視界に入る。
「嫌なの?」
「わっ…き、聞こえてた?」
俺がそう尋ねると、一之瀬は少し慌てた様子でこちらへ顔を向けた。頬を指でかき、苦笑している。
「まあ、試験だとは思うけど……心配しなくても、一之瀬とBクラスなら大丈夫だろ」
「あ、うん。私もそう思うよ。みんな優秀だもん」
俺からの励ましに、一之瀬はごく自然に、絶対の信頼を込めて頷いてみせる。逆に俺の方が拍子抜けしながら、首を傾げた。
「……じゃあ、他に何か気になる事でもあるのか?」
「えーっと…」
彼女は、答えにくそうに言葉を詰まらせている。が、その表情は何かを嫌がっているというより、どこか恥ずかしそうにしている感じだ。
俺は再び首を傾げながらも、取り敢えず声をかけておく。
「話しにくいなら、また話せそうになったらでいいよ」
「……うん。ありがとう」
俺からの言葉に、一之瀬は少し顔を和らげる。しかし、何かを悩むように目を閉じると、無言で首を振った。
そして俺に向き直り、「実はね」と切り出した。
「さっきのアナウンスで、やっぱり試験なのかなって思って。…そしたら、また、斉藤くんとこうして話せる機会も、減っちゃうのかなって……それで、つい、ここで待ってたんだ」
一之瀬は少し頬を赤くしながら、そんな可愛らしいことを白状してくる。
しかし、彼女はすぐに「でも、駄目だね」と続けた。
「ちゃんと切り替えないと。…だから、試験が終わったら、また相談させてもらってもいいかな」
「そっか。分かった」
吹っ切れたように笑う一之瀬に、俺は頷く。
視線を島に向けると、既に船は一周を回り終えようとしていた。
無人島試験。
原作ではかなりの盛り上がりを見せる章だが、正直――今の俺にとっては、大してやる事のない退屈な試験だ。
例の制度も大して意味はないし、エロい事も見込みにくい。布石と回収程度の、半ば作業のような章。
特に、この現実としか思えない環境では単なる苦行でしかない。暑いし怠いし、良いとこなしだ。
なんか俺も楽しめる展開になれば、多少はやる気も出てくるのだが。
そうこうしていると、船内に最後の――そして本番のアナウンスが流れた。
『これより、当学校が所有する孤島に上陸いたします。生徒たちは30分後、全員ジャージに着替え、所定の鞄と荷物をしっかりと確認した後、携帯を忘れず持ちデッキに集合してください。それ以外の私物は全て部屋に置いてくるようお願いします。また暫くお手洗いに行けない可能性がありますので、きちんと済ませておいてください』
「…これから、降りるみたいだね」
「らしいな」
呟く一之瀬に、俺は頷き返す。
周りの生徒たちも、わいわい騒ぎながら船室へと戻っていく。廊下を出て直ぐのバルコニーに居た俺達は、ちょうど彼らの動線の傍に位置している。
そんな生徒の流れは、自然と俺たちの元へとやってくる。
さっき行ったばかりだが、その流れに乗って指示通りに着替えに戻るとしよう。
「じゃあ……私、こっちだから…」
と考えたところで、おそらく同様に考えたであろう一之瀬が――しかし、気のせいでなければ、少し寂しそうに俺に声を掛けてきた。
俺はそれに、軽く手を挙げて別れようとし――少し考えて、足を止めた。
そして自分の手のひらを、彼女に向かって少し分かりやすく掲げてみせた。
「ん」
それを一之瀬に突き出すと、彼女は「え?」と不思議そうに、俺の手と俺の顔を見比べている。
そして数秒した後、俺の意図に気づいたようで、慌てて彼女自身の手を掲げた。
俺は、その小さな手のひらに軽く勢いをつけて自分の手のひらを当てる。
ぱちん、と。手と手が触れ合い、乾いた音が響く。
ハイタッチだ。
「じゃ、お互い頑張ろう」
俺がそう言うと、一之瀬は一瞬きょとんとした顔をし、それから笑い出した。
「あははっ、斎藤くんもこういう事するんだね」
「するでしょ」
「したねー」
一之瀬は機嫌良さそうに笑いながら、ハイタッチした後の自身の手のひらを見つめている。
そして何かに気付いたように俺を見上げる。
「私、男の人とハイタッチしたの、初めてかも!」
「気合い入ったか?」
「うん、ばっちり!」
そりゃ良かった。
一之瀬には、この試験で少しだけ頑張って欲しいこともあるからな。
上機嫌で手を振る一之瀬を見届け、一連の様子を見ていた周囲の生徒何人かの好奇の視線を無視して、俺も船室に戻る流れに乗ることにした。