※この作品はR-18です。

家族なんだから   作:KKS

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一話

 練習が終わり、いざ家路へ。

 緊張から解放され、明日に向けた英気を養う貴重大切な時間。普通なら、そうなんだろうけど。

 

「よーし、いくぞ……」

 

 なるべく音を出さないように、居候をさせてもらっている加護家の玄関を司はくぐる。

 ここで一時停止して周囲を確認。奇襲の気配は……なし。夜の時間帯らしく、いまのところ静かなものだ。

 羊さんはすでにベッドに入っていて、加護さんはデスクワークでもしているのかもしれない。誰とも帰宅の挨拶ができないことにはちょっと寂しさを感じてしまうけど、それが贅沢な悩みであることくらいわかっている。加護さんには、ほんとうにどれだけ感謝してもしきれない。

 横浜から名古屋に場所を移して、再びこの家でお世話になるようになってから、随分時間も経過した。

 いのりさんと同じく、羊さんだって着実に大人への道を進んでいるんだ。極度に人見知りなところだったり、食べ残したりするのは相変わらずだったりするのだけれど。

 それにしたって、最近の過剰なスキンシップは何事なんだろう、と思い悩んでしまう。

 寝床に潜り込んでくることは日常茶飯事。家でくつろいでいるときでも、懐に入る隙を常に窺われている。それを、父親である耕一さんがちっとも咎めないから、余計にややこしくなっている気がするんだけど。

 羊さんがなついてくれていることは理解しているし、なにも迷惑な話じゃない。これから思春期を迎えるにあたり、突然汚物扱いされたりなんかしたら、たぶん数日立ち直れないだろうし。だけど、現実としていまの状態は……。

 

「さて、お風呂の準備して……っと」

 

 一度気持ちをさっぱりさせてから、考えたいことがいくつかある。

 シーズンに向けて、いのりさんの演技構成をしっかり練っておく必要があるし、そのための研究は欠かせない。それこそ、眠っている時間が惜しいくらいだった。

 

「羊さん、今日もビデオ見ていたのかな」

 

 リビングを通り過ぎたとき、気づいたことがある。テーブル上に置かれたケース入りのディスク。録画しておいたフィギュアの試合映像を、羊さんは何度も見返しているらしい。

 どうせ試合を観戦するんだったら、自分でジャンプやステップの種類をしっかり把握できるようになっておきたい。しっかり熱中しているところは、きっと母である芽衣子さん譲り。加護さんがしみじみと話していたことだけど、羊さんがフィギュアを好きになってくれたことは、俺だって素直に嬉しかった。

 

「お湯、いただきます」

 

 脱衣籠に服をリズムよく投げ入れ、いざお風呂場へ。誰が聞いているわけでもないが、感謝の心は忘れないでおく。

 シャワーで軽く汗を流してから、椅子に腰かけスタンバイ。さくっと全身を洗ってしまって、お湯にゆっくり浸かるつもりだった。

 なにをするにも、気持ちのオンとオフは大事。

 シャンプーの液を手にとり、無心で髪を泡立てていった。脱衣所の方から一瞬物音がした気がしたけど、たぶん空耳なのだろう。目を閉じているから確認することもできないし、熱いシャワーを浴びればそんな不安はどこかに飛んでいく。

 

「はあ、あったまるぅ……」

 

 少々足を縮めることにはなるけど、全力でリラックスできる加護家の浴槽は自分にとってのオアシスだ。

 ぼーっとできる時間ほど貴重なものはない。大人になり、誰かの人生を預かっているとなれば、なおのこと。いのりさんに弱った姿を見せないためにも、充分な休息をとるんだぞ、俺。

 目を閉じて、肩や腕を揉んでいく。なにもしていないと、本気で寝落ちしてしまいそうだ。

 

「あっ、司くんおかえりー」

「はーい、ただいま……」

 

 完全に油断しきっていた脳内を、羊さんの声が通り過ぎていく。

 返事をしたっていう自覚はない。いつもしていることだから、口が反射的にただいまと言っただけなのだ。

 どぼん。お湯の乱れる音がしたのと同時に、足の上にずっしりと重みが……。

 

「って、うぇえええええええええ!?」

「司くん、声おっきい。近所迷惑になるって、知ってる?」

「えっ? あっ、ごめんなさい……」

 

 ぱちっと開けた視界いっぱいに、羊さんの不機嫌フェイスがひろがっている。

 立場の弱さを普段から実感しているせいで、いまみたいな緊急事態でも強くでられない。というか、この光景にあまりにも現実味がなさすぎるのだろう。

 あっ、いやっ、ちょっと。ごめん、羊さん。あんまり身体の上で、もぞもぞするのは遠慮してもらえないかな……。

 

「んっ。もうちょっとこっちに、ふう」

 

 羊さんのもふもふ天然ヘアが、いまは湿気でしんなりしている。無造作にお湯につけてしまって、せめてまとめておくとかした方が……。

 

「緊張してる、司くん。さっきから、全然目が合わないんだもん」

「ほ、ほんもの。俺の見ている羊さんは、ほんとうに現実のものなんだよね?」

「なに言ってるの。のぼせて、変になっちゃった?」

「うえっ!? あ、ああっ……」

 

 俺の身体の上で、羊さんが器用に体勢を変化させる。

 しんなりヘアーから水滴がしたたる。いや、ほんとにダメだってば。肌という肌。薄い胸。それに、しばらくお尻で刺激をされていたせいで、男のアレが元気になりかけていて。

 

「鎮まれ鎮まれ鎮まれ鎮まれ……」

「今日の司くん、やっぱり変。小さい頃は、普通にお風呂入れてくれたのに」

「うぐっ……。そ、それはね、羊さん。俺は大人で、羊さんだって中学生になったでしょう? そのくらいの男女が、一緒に入浴なんてしていいわけ……」

 

 そこまで言ったところで、真正面から抱きつかれた。

 どうやら、羊さんの不機嫌ポイントを的確に突いてしまったらしい。普段から減点評価を積み重ねた結果が、もしかしてこれだったりするのか。

 や、やわらかい。

 仕事柄絶対に意識しないようにしているけど、かなりスレンダーに見える羊さんでも、こんなにやわらかいものなのか。

 

「司くんと私は、家族なんだもん。だから、そんな寂しくなるような言葉聞きたくない」

「よ、羊さん。あ、うあっ……」

 

 金縛りにでもあったかのように、手足が動かない。

 動け。どうにかしろ、明浦路司。こんなところ、加護さんにだけは見せられないんだ。倫理観とかそういう上っ面のこと以上に、人生最大の恩人を悲しませるわけにはいかないだろ。

 

「私だって、子供だけど子供じゃないもん。司くんが好きって気持ちくらい、普通にあるし。本気で……。本気で考えたんだからね。だけど、何回悩んだって答えは同じ。浮かんでくるのは、いつも司くんの顔だったから。……それとも、いのりちゃんじゃなきゃダメ?」

「羊さん。それだけは……、それだけは絶対にありえないよ。いのりさんは大切な選手で、俺は夢を支えるコーチなんだ」

「よかった。いのりちゃんのことは好きだし、ちゃんと応援したいもん。司くんが嘘ついてないことくらい、ずっと一緒だからわかる」

 

 羊さんが笑顔になる。

 ずっと一緒だったから、余計にまずいんじゃないか。過剰なスキンシップの裏に隠されていた感情。それを知ってしまったから、心が揺れに揺れている。すぐに跳ねのけられなかったのは、羊さんを大切に思う気持ちが誰よりも強いから。

 大恩人の娘さん。ちょっと病弱だったりで心配になることもあるけど、いつも変わらない笑顔で他人であるはずの俺にあたたかさをくれる人。

 真剣に考えるほどに、所詮子供の思うことだから、なんて雑に扱うことはできなくなってくる。いのりさんだけじゃない。いつも接しているみんなは、一分一秒すら無駄にしないために命を燃やしている。

 そこに年齢の壁なんてものが存在しないことを知っているだけに、胸が苦しかった。

 

「好き。司くんのことが、ずっと前から。いまだって家族だけど、もっと近くにいてほしい。ダメ、司くん?」

 

 羊さんの眼は、言うまでもなく本気だ。

 そんなこと、できない。絶対無理だって返事ができれば、どんなに楽なのか。肩に置かれた羊さんの手が、小さくふるえている。あっけらかんとしていたけど、勇気を振りしぼっての行動だったはずだ。

 だったら、だったら俺は。

 

「んっ、あっ……。つかさ……くん」

 

 羊さんのかすかな吐息を、唇で感じる。

 これでもう、どんな言い訳だってできやしない。だけど、後悔の気持ちは生まれなかった。一瞬の間に起きたこと。その感触を確かめるために、羊さんが自分の唇に指でふれている。

 訪れるはずのなかった未来。この日、俺は禁断の領域に足を踏み入れた。

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