総耶を脅かした吸血鬼事件は、遠い地からやってきたお姫様と代行者、そして一人の少年の手によって解決を迎えた。
それから、いくつかの事件があって。
二人の来訪者は、まだ、総耶の街に留まっていた。
早朝の街並み。
コンビニに荷物を積み込むトラック、店を後にするホスト、新聞配達の子供。
街はまだ眠っているけども、行き来する者はいる。街の正常な新陳代謝の一角。
その様子を横目に、遠野志貴は道を急いでいた。
ドタン、バタンと慌ただしく走り去っていくトラックから距離を取りながら、戻ってきた朝の風景に目を細める。
つい最近まで、街を脅かす吸血鬼事件の余波もあって、早朝の営みは控えられていた。今こうして朝から街が騒がしいのは、平和が戻ってきた証でもある。
「ま、俺はそんな早起きした事、最近までなかったんだけど」
貧血持ちの志貴の朝は遅い。そんな彼が早起きするようになったのは、事件解決後の事だ。
それでも、毎朝という訳ではなく、ある特定の日だけなのだが……。
「っと、いけないいけない。先輩を待たせちゃ悪い」
反対の歩道を走っていく朝練中の学生たちに触発されたように、志貴は足早にその場を去った。
目指すのは、いつもの公園だ。
かつては毎晩夜遅くに待ち合わせに使っていた公園は、早朝だとまた違った景色が見える。
草木は瑞々しく朝露に濡れ、空気はしっとりと湿っている。空は澄んでいて、吸い込む空気には清涼な香りがした。
平和が戻ってもホームレスはなかなか戻ってこず、ベンチは冷たく冷え切っている。その中で一人、ベンチを人肌で温める事に専念している人影があった。
「先輩!」
「おはようございます、遠野君」
慌てて駆け寄る志貴に、ベンチの主……上級生の女生徒は、遅刻を咎めるでもなくにっこりと笑って身を起こした。
まあ実際の所、彼女は志貴の先輩でもなんでもないのだが。
シエル。この町に、実際の所吸血鬼事件とは無関係に訪れた、教会の代行者である。実は埋葬機関という結構物騒な所属なのだが、志貴はそのあたり詳しい事は知らない。
彼女は公園の時計を指さして、志貴の早合点を示した。
「まだ約束の時間までは早いですよ。私が早く来すぎただけです」
「いえ、それでも待たせたのは事実ですから。寒かったでしょう?」
「んー……そうですね。じゃあ、ちょっと温めてもらいましょうか?」
え? と困惑する志貴に、シエルはそっと両手を差し出す。
「ほら。冷えちゃいましたから。ぎゅーっと」
「えっと……」
志貴は頬をちょいとかいて困惑した後、周囲を確認してそっとシエルを抱きしめた。
と、途端に彼女が不満げな顔をする。
志貴は慌てて、ちょっと強いぐらいに抱きしめる。シエルは満足そうに笑顔を浮かべた。
「ん、合格です。それじゃ、行きましょうか」
抱きしめる腕の中から、細い体がするりと抜け出す。あれ? と手をわきわきさせる志貴にくすりと笑って、シエルは先導するように先に進んだ。後を追って、志貴も慌てて走り出した。
追いついた志貴に歩調を合わせ、二人は駅へと続く道をいく。
休日の早朝、利用者もあまりいない改札をぬけ、ホームへ。ちょうどやってきた電車へと乗り込む。
ぱっと見は、学生の休日デートといった風情。だが、二人が電車を降りたのは繁華街などがある街の中心部ではなく、少し外れた高級住宅街の一角だ。
かつて火事やガス爆発に見舞われ、倒壊した建物が出たこのあたりだが、住んでいる人間の資本力の差か、あるいは別の力が働いたのか、廃屋は速やかに片づけられ、今は静かに家屋が軒を連ねている。だが過去の事件は確実に人の出入りに影響を与えたようで、ここに住んでいた人間の大半はすでに居を変えておりほぼ無人の区画になっているという話だ。
その一角に、出来たばかりの高級アパートがある。
タワーマンションとは言わないものの、それなりに高さのある建物の入り口近くまでやってくると、志貴は手をかざして仰ぎ見るようにアパートを見上げた。
「何度来ても、豪勢なアパートですね。これの4階から上を買い占めてるなんて信じられないですね。あいつ、金持ちだとは聞いてるけど……支払いは先輩の上司なんでしたっけ?」
「そうですね。全く、主は清貧を美徳とされたのに、全く。とはいえ、この程度の出費で彼女を大人しくさせられるのであれば、むしろ破格の値段といえます。不本意ですけど。ええ」
苦々しい顔で愚痴るシエルに、志貴は思わず苦笑い。
どうにも、シエルは共通の知り合いについて印象がよろしくない。向こうは、むしろシエルの事をかなり好いているのだが。
できれば仲良くしてほしい、とは思う。それに、本当に心の底から嫌っているはずではないはずだ、とも。
そうでなければ、大人しくここに来るはずがない。
「そ、それに……こんなところで、あんな事……」
「?」
「い、いえ。何でもありません。いきましょう」
あ、まってくださいって、と声を上げる志貴を置き去りにして、シエルは足早にホールへと向かった。その歩幅は少し狭く足早で、ふとももを妙によせた違和感のある仕草だったが、志貴は残念ながらそこに気が付くことはなかった。
「いらっしゃーい!!」
アパートの四階。空の部屋が並ぶドアを通り抜け、目的の部屋を訪れると、快活な声が二人を出迎えた。
とととと、と軽い足音が近づいてきて、玄関に続くドアが開け放たれる。
続いて飛び出してきた金髪の美女が、とびかかるように抱き着いてくるのを、志貴は少し腰が引けながらも正面から受け止めた。
「よ、よお、アルクェイド。おまたせ。あととびかかってくるな」
「だってー。志貴が来るのが待ち遠しかったんだもん」
「言っておくが時間通りだからな、1秒だって遅刻してない」
抱き合ったまま軽口をたたく二人。シエルに対するそれと違い、アルクェイドと呼ばれた美女に対する志貴の口調はつっけんどんで愛想がない。
だが、それをアルクェイドは気にした様子もなく、むしろ愛の言葉を囁かれたようににへへとだらしなく笑い、そっと志貴に唇を寄せた。
「んー。キスしてー」
「おい、もう少し待てないのか、玄関だぞ」
「えー? いいじゃん、玄関っていっても、誰も来ないよ?」
いいじゃんいいじゃん、と口を不満そうに尖らせるアルクェイドに、志貴は気まずそうに視線を逸らした。その視線の先では、シエルが半眼でじとりとした視線を志貴に向けている。
「ほ、ほら、先輩がいるじゃん。な」
「だったら余計にいいじゃない。もう、あんなとこもそんなとこも見せあった仲だし。ねえ、チュー?」
「……遠野君。私の事はいいから、彼女の要望に応えてあげてください。私は上がって荷物を降ろしてるので」
「あっ、先輩」
伸ばした志貴の手を避けるようにして、シエルは部屋の奥へと勝手に上がり込んでいってしまう。その冷たい後ろ姿に、志貴は顔をしかめながら肩を落とした。
「おい、どうするんだよアルクェイド、先輩怒っちゃったぞ」
「んー? あんなのポーズよポーズ、ここに居るのは不本意ですー、って振りよ。本当はシエルだって期待してるんだから」
「そうかあー?」
訝しむ志貴に、アルクェイドはそうよ、と頷き、首だけでリビングを振り返る。一瞬だけ目が細まり、冷徹な捕食者のような笑みを浮かべる。
「……水音がしたもの」
「?」
「ふふ。それより、キスしよ、キス。ねー」
振り返った時には淫靡な笑みは消え去り、ひたすら無邪気に恋人に接吻を求める姿があった。志貴は相手の裏に気が付くことなく、しょうがないなあ、とため息をついて唇を重ねた。
「ん……」
「っ……」
最初は唇の形をあわせるだけの優しいキス。それはやがて違いの粘膜を押し付けるようなものへと変化し、互いの手が相手の背中に回り、強く求めあうように抱きしめ合う。志貴のごつごつとした指が白いセーターの上からアルクェイドの肌を撫でまわし、アルクェイドは志貴の肩甲骨に手を回して、自分の豊かな胸を押し当てた。
貪る男と、それを悦びとする女。
たっぷりと接吻を楽しみ、名残惜しく離れていく二人の間に、つぅ、と銀色の糸がつながり、切れた。
「……ふふ。続きは、奥で、ね」
「あ、ああ……」
踵を返し、るんるん、と鼻歌を歌いながらリビングに向かうアルクェイドの背に、志貴は少しだけ躊躇ってから靴を脱いだ。
玄関先に三人の靴が並んでいるのを見て、ぼんやりと夢想する。指先は、知らず感触の残る唇にあてられていた。
「……なんでこんな事になったんだっけな」
初めてではないにも関わらず、だからこそ、そう思う。
「まあ、いっか」
考えてもしょうがない。楽しみにしているのは、志貴もなのだから。彼は気持ちを切り替えてリビングに向かった。
「じゃあ私達、先にシャワー浴びてくるねー」
「ちょ、ちょっと、アルクェイド……!」
その言葉と共に、二人の女は浴室へと姿を消した。
後ろからぐいぐいアルクェイドに背を押されるシエルは困惑しながらも抵抗はしない。二人で脱衣所に入ると、それぞれ服を脱ぐ。
てややや、と服を脱ぎ捨てるアルクェイドに対し、シエルははあ、とため息を付きながら脱いだ服を丁寧にたたんでいく。皴がつくと返りに困る。
高級アパートだけあって、浴室も大きく広い。すでに準備万端、湯舟も張ってある浴室にアルクェイドが飛び込んでいくのを見て、シエルは心底嫌そうにしつつも、彼女の脱ぎ捨てた服を畳んで後に続いた。
「♪~~」
「……はあ。私、ここで何やってるんでしょう……」
二人して、身を清める。鼻歌を歌いながら体を念入りにきれいにするアルクェイドの横で、シエルはスポンジを握った手を止めて、小さくぼやいた。
聞きとがめたアルクェイドが、首だけで振り返って宣う。
「何って……ナニ?」
「……アルクェイド。仮にもあなたは真祖の姫でしょう。どこでそんな言葉覚えてくるんですか」
最近急速に言動が俗っぽくなっていくアルクェイドに、シエルは別の意味で頭痛を覚えて頭を押さえた。現状、アルクェイドの監視役のようなポジションに収まっているシエルとしては、彼女の言動の原因が自分にあると思われたりしたらとても困る。
「ネットでー。面白いよね、あれ。ちょっと顔や名前が隠れてるだけで、なんであんなに羞恥心を喪っちゃうのかね? 死徒の方がよっぽどお上品な事もあるわよ」
「後見人が泣きますよ、あまり下品な事をいってると」
「それを言ったら、現状を知ったら失神しちゃうかも」
その場合は志貴を守らないとね、と本気か冗談か分からない事をのたまうアルクェイドにシエルはげんなりとした顔だ。
彼女の後見人といえば、かの魔法使いだ。いくらなんでも勘弁してほしい。
最悪の想像に頭を押さえているシエルの背後に、するり、とアルクェイドが回り込んだ。シエルが気が付いた時にはすでに遅く、完全に背後を取った彼女はシエルの胸へ手を伸ばした。
むにゅり。
「ぁっ……ちょ、何するんですか、アルクェイド!?」
「んー。いや、ちょっと気になって。他人のはシエルしか触ってないけど、柔らかいわねー。他の人もこれぐらい柔らかいのかしら」
「んぁ……っ! ん……っ、ちょ、触り方が、いやらし……っ。お、怒りますよアルクェイド……!」
振り払おうとシエルが藻掻くが、アルクェイドの指は外れない。無駄に高度で無駄に苛烈な攻防戦が二人の間で繰り広げられている。どれぐらい無駄かというと、下手な死徒ではこの場に紛れ込んだ瞬間に滅殺されるぐらいだろうか。
「……ん? これって……」
「んぅっ!?」
不意にアルクェイドが眉を顰め、シエルの胸を揉む指に力を入れた。先ほどまでの弄ぶようなそれと違い、力強く揉みしだく動きにたちまち性感を高められ、シエルの口から本気の嬌声が零れた。
「あっ、んぁっ、まって、あ……っ!!」
「やっぱり! 胸、ちょっとおっきくなってる! 理屈ではロアの呪縛は解かれたってのは分かってたけど、こうして実物に顕れると感無量ね! そう思わないシエル!? ……シエル??」
「はぁ……はあ……ん……っ」
一人盛り上がっていたアルクェイドは、相手からの反応が無い事に気が付いて首を傾げた。一方のシエルは、浴室の床にへたりこんで胸を両手で抱きしめるようにして洗い息を吐いている。
「あ……ご、ごめん。でもこれぐらいで達しちゃうとは思わなくって……今日の事、そんなに楽しみにしてた……?」
「……っ!!!」
真っ赤な顔でアルクェイドを睨みつけるシエル。だが、実際にたやすくいかされてしまった事実と、今も股間を愛液でしとどに濡らしているのでは何も言えない。
無言でひたすら子供のように睨みつけてくる彼女の視線に、アルクェイドもさすがにバツが悪そうに視線を逸らした。
「……そ、その。志貴をあんまり待たせてもあれだから、もうあがりましょうか……」
「ええ……。そう、です、ね」
「ごめんなさーい……」