マキノス帝国の落日 ~スラム街の片隅、ワケあり王女との同居生活~ 作:松木ユキ
……暗い。自らの住処――家とはとても呼べない――から見える景色はいつも真っ暗だ。ここには日の光など差し込みやしない。飯も満足に買えない貧乏人には、朝日を拝む権利すら与えられないということだ。
「……」
硬い床から身を起こし、周りを見回してみる。廃材をかき集め、スラム街の片隅に辛うじてあつらえた屋根と壁。置いてあるのは、ボロボロの毛布と小石を袋に詰めて作った枕だけ。貧相という言葉では言い表せないくらいの酷い生活だった。
のみのせいで痒い頭を掻きながら、お手製の戸を開いて細道に出た。文字通り、ここは国の底辺だ。上では商人や貴族たちが豊かに暮らしているが、俺たちのような貧民はそのおこぼれに縋って生きていくしかない。
「おはようヒロ、今日も目つきが悪いの」
「うるせえジジイ」
横から声を掛けてきたのは、俺の隣に住んでいる爺さんだ。背は低く、腰も曲がっていていかにも年寄り。普段はごみを拾って歩きまわり、売れそうな物を金に換えて生活しているらしい。
「随分とお寝坊じゃの。若者はもっと元気にせんか」
「年寄りと違って、眠りが浅くないんでね。悪いな」
「ほっほ、口だけは達者じゃの」
「うっせんだよ。さっさと今日の分!」
このジジイはここに住んで長く、いろいろと伝手があるらしい。俺はコイツに日雇いの仕事を紹介してもらうことが多いのだ。だがその大半が非合法で、給料が少ないうえに危ない目に遭うことも少なくない。
「二○番地の配管掃除に人手が足らんのじゃ。晩飯代にはなるじゃろ」
「晩飯代しか稼げない、の間違いだろ」
「ほっほっほ、やっぱり減らず口じゃ」
「そう言うならまともな仕事を紹介しろ」
「無理じゃ。それが出来るならワシが働いとるわい」
「使えねえジジイだな」
「そんな言葉遣いを教えたつもりはないのお。ヒロ、気をつけて行くんじゃぞ」
「ふん、よくそんな台詞が言えたもんだ」
ジジイを尻目に、二○番地に向かって歩き出した。気をつけて、などと言うくらいならマシな仕事を持って来いと言いたい。
毎日生きていけるのはジジイのおかげだから、恩がないといえば嘘になる。しかし、死が隣り合わせの現場に送り込んでおいて、父親面をするのが気に食わないのだ。
***
二○番地が近づくにつれ、ガーンガーンという重低音が大きくなる。ここの辺りにはこの国を支える機械仕掛け――名をクロノヴァルクという――の配管やら何やらが多く通っている。
通常、クロノヴァルクの整備は帝国雇われの労働者たちが行うはずだが――こんなスラム街に仕事が来るということは、ワケありということだろうな。おそらく、配管をいじくって水やら魔力やらをくすねている連中からの依頼だろう。
「おい、そこのお前!」
「あ?」
「止まれ! 何をしてる!」
野太い声で呼び止められ、足を止めた。振り返ってみると、そこにいたのは帽子を被った労働者風の大柄の男。
「何の用だ!?」
「銭稼ぎだ。話はそれだけか?」
「駄目だ駄目だ! ここは立ち入り禁止! 私有地だぞ!」
男はこちらに近寄ってくる。やけに必死だな。そもそもこんなスラム街に私有地もクソもないと思うのだが。
「俺は仕事に行く途中なんだ。道を教えてくれたら出て行ってやるよ」
「下水のどぶさらいはもっと下だぞ? それとも残飯拾いか?」
「ちげえよ、配管掃除に来たんだ」
その言葉を出した途端、男がハッと目を見開いた。どうやらコイツが雇い主のようだな。
「一九番地の爺さんか?」
「ああ、そのジジイの紹介で来た」
「ったく、それなら先に言えってんだ。現場に行くから、さっさと来い」
男に言われるがまま、俺は暗い道を歩いていく。ふと上を見上げると、帝国の象徴たる塔が――雲を突き抜けそうなほど、高く高く空に向かって伸びていた。