とんっ、とんっ、とんっ…。
長い廊下を少女が歩く。
差し込む月明かり。陰る黒髪は尚暗い。
少女の足取りは軽やかに。白いスカートの端を遊ばせながら、黒い靴底が床を叩く。
とんっ、たんっ、とんっ…。
否。
知るものが聞けば、その足音には不満が満ちていただろう。
軽い足取りは、単に彼女の体重に拠るものだ。
女として、成長の始まったばかりの体。大人とも、子どもとも言い切れない少女は、その顔に不満を隠さない。
むすっと、膨らませた頬は あどけないままに。
ぎゅっと、ぬいぐるみを抱いた腕は幼いままに。
とんっ、とんっ、とんっ…。
長い廊下を少女が歩く。
深い黒髪と、真白い衣装(ワンピース)を揺らしながら、少女は廊下を歩いていた。
「ユーレリアーっ。ユーレリアったら…もうっ!」
呼ぶ。ただ名前を呼び続ける。寂しいと、その声音で訴える。膨らませた頬が作る輪郭は、見た目以上に少女を幼く見せた。
「もうっ! 何処に行ったっていうの。呼んだらにすぐに来てって、そんな事っ。あのバカデュラハン。ええ、そうよ。筋肉を付ける前にもっと頭をさ…」
ぶつくさと、呟いていた声がふと止まる。
不貞腐れていた顔を一転させて、クスリ…と、なにかに気づいたように少女は微笑んだ。
「あはっ♪ そうねっ、そうだわっ、それはそう。だって鍛える頭が無いじゃない。でも困ったわ。こんなに呼んでも来ないなんて、ユーレリアったら、一体どこに頭を忘れてきたのかしら?」
ガシャリ…。
首を傾げた少女は、その細い指で唇を撫でる。同時に、響く足音。
とんっと、転がる少女の何倍も、何十倍にしたって物足りない。薄い金属を踏にじるような、それを足音と言うには余りに重たく、不快な響きだ。
重厚、威圧。少女の背後に立つ彼女。その存在感はあまりに大きい。
あるいは、少女の存在の方こそが、薄っぺらいのだと錯覚するには十分に過ぎた。
「こらっ」
「あいたっ!」
叱責か。その偉丈夫から、どれほどの怒声が鳴るものかと思えば、声音は優しい。親から子へ、姉から妹へと向かうような慈愛があった。頭を小突く指先にさえも、愛情が通って見える。
「いけませんよ、雫。私の事を どう詰ろうと構いませんが、淑女(れでぃ)が その様な言葉遣いをするものではありません」
「なによ? 貴女が淑女を語るっていうの? ふふっ…可笑しいのだわ、すっかりと退屈も晴れてしまいそうよ?」
当然だ。その愛情こそを当然だと少女も受け入れる。
叱られた事など意にも返さない。振り返り、見上げる偉丈夫を前にしても、怯えるどころか、反省の色さえ浮かべてはいなかった。
「私とて、夢を見た こともあります」
「白馬に乗った王子様?」
「ええ。誰も敵いはしませんでしたが。結局、私の首を取ったのは貴女だ」
鎧の擦れる音がする。
おもむろに、彼女は自らの首に手を掛けた。それはまるで、兜を脱ぐようだ。
首が取れる。音もなく。ユーレリアと呼ばれた女性。首無しの騎士。デュラハン。
残された偉丈夫、その鎧姿は、一般的な男性と比べても尚逞しい。それこそ、男性の体に、女性の頭を括り付けたような不気味さがある。
自身の頭を抱え下ろしたユーレリアは、その偉丈夫を屈めることもなく、少女と視線を合わせてみせた。
「それで? 貴女の騎士に何のようか?」
「いいえ、ユーレリア。呼んだけよ? イケないこと?」
「いいえ、雫。けれど、そうではないでしょう?」
ぽとり…。
少女の、雫の抱えていた ぬいぐるみが床へと落ちた。
一度と弾んだ ぬいぐるみは、しかし、二度とは見向きもされない。
差し出されたユーレリアの首。
それを両手で受け取った雫は、捨てた ぬいぐるみの代わりに、ぎゅぅと抱きしめた。
「そんな事はないわ? 暇だった、退屈だっただけ。それに、なんだか騒がしくって。貴女の方こそよ? ユーレリア。あれだけ呼んだっていうのに、一体何処で何をしていたの?」
「何? とは困りましたね…」
ユーレリアの首を抱えた雫を、残された偉丈夫が抱え上げる。
恭しく抱え上げられた雫もまた、自然と腕に擦り寄うと、ブランコに跨る子どものように足を遊ばせた。
抱え上げられた雫の視線が、ぐっと、高くなる。
窓の下、ギリギリ外が見えるかどうかだった視界は広がって、天辺から、窓辺に広がる眼下へ移り変わっていく。
「あれは、なに?」
窓の外。広がる夜の森に、その火はよく見えた。
火の手、喧騒、ぶつかり合う金属音。悲鳴と怨嗟の声。正義を叫んで殉死する人の声は、静かな夜の森には、あんまりにも耳障りだ。
「人、ですね? どうやら攻められているようですよ、我々は」
「まぁ、大変。こんな所で油を売っていて良いのかしら? ユーレリア?」
「呼びつけたのは貴女でしょう? 雫」
肩を落とす偉丈夫は呆れたように。けれど、その声音に非難の色はない。
「そうだったかしら? ふふっ…。いいえ、そうだったわね」
からかうような雫の吐息が、ユーレリアの耳をくすぐった。
叶うならば、肩を揺すって身を捩りたいものではあったが、甘んじてそれを受け入れる。少女を抱えている手前、変に身動きも取れなければ、ただの首にはどうする事も出来なかった。
「ここまで、来るかしら?」
「二人…。いいえ、一人はそうでしょう」
「そう。じゃあ、行きましょう。ええ、そうしましょう」
ガシャリ…。
肩を竦めた偉丈夫は、音を立てて歩き出す。
その腕には少女と生首。なんともアンバランスな彼女たちは、廊下の奥、その暗がりへと消えていった。