俺はこの露出願望女子を守りたい 作:尾籠ころち
俺たちは、何も変わらないようでいて、その実、見えないガラス一枚を挟んだみたいにぎこちない。
学校の廊下ですれ違っても、叶夜は気まずそうに目を伏せる。
(嫌われた、かな。いや、考えすぎ……か?)
俺も、どんな顔をしていいかわからず、無言で通り過ぎるだけ。だが、お互いの意識の端に、常に相手の存在があるのは確か。
「……少なくとも、俺はせめぎ合ってんな」
どんな感じだったかな、って授業中とか、遊んでる時とか、家にいる時とか、唐突にぼうっと思い出そうとしてしまう。
――忘れてないかを、確認する無駄な時間。
馬鹿だな、俺。
あんなこと、するんじゃなかった。怯えた瞳を思い出しては、自己嫌悪に陥りながらも、その体験を己に刻もうとする行為。
今までの妄想に、感触や温かさ、吐息、匂いが追加されて。濃厚になった。
罪悪感もあるが、やはり曖昧になっていく部分も多くて。
ただ、ひたすらに勿体なかった。
寝付く前に睨みつけるのは、イーゼルに立てかけられたキャンバス。ああ、ずっと気になってる。
これは、もう描けないからじゃなくて。
「でも……許されんのか?」
今ある、このモヤモヤを“カタチにする行為”は――はたして悪いことなんだろうか?
****
週末の夜。
俺の思考を断ち切ったのは、枕元にあるスマホの震え。作業を中断して、覗く。
画面に灯った名前は、やはり薄原 叶夜。
『今、大丈夫かな』
時間は夕飯を食べて、そんなに経ってない。そんな時間に送るには、あまりに普通で、遠慮深いメッセージ。
「なんでもない要件なら、前置きするタイプじゃねえよな」
思ったより、落ち着いている自分。
たぶん、そう遠くないうちに連絡が来ると思ってたから、だ。無意識に。
メッセージを送る指は、軽やかだ。
『メシ、食ったばかりでわりとヒマ。どうした?』
いつも通りの、素っ気ないフリ。
なるべく平常の方が良いだろうと思った。
すぐに既読の印がつく。そこから、ながい沈黙。まず、10分。
でも、予想通りだった。画面の向こう側、きっと叶夜が紡いでは消し、また別の言葉を探している、そんな葛藤が透けて見える。
(なんなら、最初の一行の送るのも、時間掛けてたんかな)
それでも、焦れてはくる。余裕がなくてカッコ悪いが、俺は気が長くない。
意識しないようにしようとしても無駄なのはわかってるんで、いっそ、コーヒーでも淹れて来るかな、と思った。
ピコン。新たな通知が画面を揺らす。
『今、また、ちょっと……ダメかも……』
三点リーダーに込められた躊躇と、切実さ。ここに、なんて返す?
そこに追い打ちをかけるような、短い一文。
『苦しい』
SNSに載せた写真の挑発的な姿。体育倉庫での怯えた顔。
てめえが自分で望んでやってることじゃねえのかよ、とも思う。ここの機微が理解できない。
ああ、そうか。俺は……理解したいのかもしれない。
なら、これもやっぱり、俺の欲なんだろうなあ。ハマる納得感に、指は勝手に動く。
『外、出たいなら付き添うか?』
ちょっと夜の散歩に行こう、くらいの気さくさ。
『いいの?』
今度の返事は早い。驚きが先に立ったのかな、と感じて思わず吹き出しそうになった。
待ち合わせ場所を送ろうか悩む。いや、違うな。道中も危ないか。まだ、そんなに遅くないけど。
『アパートの前まで行くから、待ってて。ついたら教える』
有無を言わさぬ指示。聞いたら、遠慮されるかもしれないから。
でも、たぶん。本当に嫌だったら、「それはちょっと」くらいは言えると思う。少なくとも、この間のアイツだったら。
真夏の夜、生ぬるい風が肌を撫でる。
Tシャツ一枚に履き慣れたジーンズ、財布とスマホだけをポケットに突っ込んで。昼間の熱気がまだアスファルトに残っているのか、むわりとした
叶夜のアパートまでの道のり、迷うことがない。
(なんでだろう。なんで、俺はこんな……)
自然と歩調が早まった。早く会いたい。
着くまでの時間が長く感じた。アパートの前、街灯が届かない、程よい暗がりに身を隠す。
『着いた』と、送る短いメッセージ。
返事は、なかった。
だが、数分と立たないうちに、アパートのドアが、ぎぃ、と開く。現れたのは、やはりあの時の姿。
フードを目深にかぶった、ぶかぶかのパーカーワンピ。スニーカー。夜の闇に溶けてしまいそうな、危ういシルエット。
「えっと……?」
階段を下りながら、きょろきょろと辺りを見回している。迷子の子猫みたいな仕草。
ゆっくりと俺が物陰から、姿を表せば駆け寄って来た。
「よう」
「……一誠くん」
ほっと安堵、申し訳なさそうな気まずさ、後ろ暗い負い目。混ぜこぜにされた顏。
「どこ行く?」
掛ける言葉が思いつかなくて口にしたのは、やっぱり夜歩きの誘いめいていた。不安げに瞳がわずかに揺れて、迷いが見えた。
「わからない、けど」
「けど?」
「人が、誰か……いるかもしれなくて、いないところ。あんまり近所なのも……やだ」
ああ、だからこの時間なのか。という納得感と。でも、なぜ? という気持ち。どちらも、言葉には出来なかったから。
「じゃ、行くか」と告げて歩き出す。
俺がほんの少し前を、叶夜がその後ろを。数歩の間隔をあけてついてくる。奇妙な距離感。
時折すれ違う車のヘッドライトが、二人の影を長く引き伸ばしては、すぐに闇へと戻る。
「この辺、とか」
自然と着いた場所。賑やかな大通りから、住宅街への路地を選んだ。すぐちょっと言ったところの人通りに気配を感じる。
なるほど、遅いながらも帰り道を歩く誰かが入って来るかもしれない。
「離れて見てたらいいか?」
「う。あー……」
叶夜は、しばらくの間、ただ俯いて、足元を見つめた。やがて、意を決したように、深く息を吸う。そして。
――ゆっくりと、パーカーのフードを脱いだ。
茶色の髪が、夜風にさらさらと揺れる。
「ちょ、ちょっとだけ、ね。……離れてて、後ろから」
二歩、三歩、俺より先行。
震える手で、パーカーのファスナーに触れる。躊躇いがちに、でも決意は早く。……ジジジ、と無機質な響き。
開かれた布の隙間から、夜風が、叶夜の素肌へと忍び込むのだろう。小さく、その肩が震え「んうっ」と呻いた。