友人以上、セフレ未満 作:ナナナ
「う……おえぇ……」
トイレに向かって吐き出した吐瀉物は、何も混じっていない透明の液体だった。
吐き過ぎて、胃の中に何も入っていないらしい。
「円香。大丈夫なの?」
「大丈夫……」
母さんの心配そうな声が、ドアの向こう側から私の背中に突き刺さる。
ちっとも大丈夫なんかじゃない。熱はないのに具合は悪いし、吐き気が酷い。
「薬飲む?何か食べた方が良いし……おかゆでも準備しよっか?」
「大丈夫……独りにさせて……」
いつまでもトイレを独占するわけにもいかず、尻もちをついたまま這うようにトイレから抜け出す。
そして口を軽くゆすいで手を洗うと、自室に転がり込んだ。
「はぁ……頭痛い……」
顔からベッドに倒れ込み、ゴロンと仰向けになる。
腹の辺りに手を置くと、筋肉や内臓がビクビクと痙攣していた。
その痙攣ですら、気持ち悪く感じられてしまう。
「気持ち悪いのは私、か……」
この不快感の理由なんて、とっくに分かりきっている。
軽率に思い出すことすら、憚られる。
「……はぁ」
昼過ぎに瑞樹の家で目を覚ました私は、その時点で、自分自身に対して強烈な嫌悪感を感じてしまっていた。
理由までは分からないにしろ、朝まで抱かれたことへの不快感はなかった。
それどころか、理由の分からないちょっとした高揚感まで感じていた。
私はベッドに組み伏せられ、瑞樹は本能の赴くままに腰を振る。
さながら動物の交尾のような性行為。
傍から見れば、私は気色の悪いマゾヒストに映るかもしれない。
それでも、普段よりも本能剥き出しの瑞樹と交われたのが、私は嬉しかった。
私という存在が求められているようで。
「……でも」
思わず次いで出た呟き。
そう。でも、なのだ。だからこそ、と言うべきなのかもしれない。
私はあくまで、透の代わりでしかないのだ。汚い言葉を使うのならば、ラブドールと言っても良いだろう。
それなのに、私は、瑞樹との事後の会話を愉しんでしまった。
悲しくなることが分かっていたからこれまで敢えて避けてきたピロートーク。
しかしあの時の私は、舞い上がっていた。
瑞樹から私を見た時、ただの性欲の捌け口でしかない。
だが私は、そんな性欲の捌け口という立場であるのにも関わらず、まるで恋人のようなやり取りを愉しんだ。
そんな、私と瑞樹の認識の差が、あまりにも悲しくて、寂しくて、やりきれなくって。
幼児の描く絵のようなグシャグシャ加減のそんな感情が、私はたまらなく嫌だった。
「あ……」
窓の外を見ると、今の私を嘲笑うかのように、空は綺麗な夕焼け色に染まっていた。
私と瑞樹がこんな歪んだ関係になった日も、こんな空だった。
☆
「……振られたの?」
「はは……まぁ、そうかな」
それは、中学二年に進級したばかりの、四月の出来事だった。
窓から差し込むやけに強い西日に背を向けるように瑞樹は床に座り込み、小さく笑っていた。
「まぁそもそも勝負になってなかったというか……透は多分、告白されたことにも気づいてなかったんじゃないかな。『好き』も、ラブじゃなくてライクと思い込んでそうだし」
「……何となく想像はつくけど」
「だろ?俺からすると、結構勝負仕掛けたんだけどな」
瑞樹はそう言って、自嘲気味に口角を上げる。
「……もう一度、浅倉に言ってみれば?ライクとラブの違いを説明してさ」
「何が悲しくて説明しなくちゃならないんだよ。伝わらなかった時点で俺の負けだ」
「……そう」
これ以上迫って関係壊すのも嫌だしな、と言いながら瑞樹は両手を挙げて腰を伸ばす。
そしてため息をつくと、真っ直ぐに私の方を向いた。
「悪かったな。愚痴吐いて」
寂しそうに笑う瑞樹の姿が……不謹慎にも、格好良く見えてしまった。
テレビアニメの主人公のような格好良さともまた違う、触れば壊れてしまいそうな、硝子細工のような儚さ。
「はぁ……沢村のやつも童貞卒業したって言ってたし、俺もしてぇなぁ……」
「……する?」
それは、私自身、考えるより先に出た言葉だった。
言った自分が一番驚いた。
「……お前、冗談でもやめとけって。俺の部屋で二人きりなんだから、襲われた時誰も助けてくれねぇぞ?振られた直後の今の俺に失うものはねぇぞ?」
窘めるように言う瑞樹。
ただ、長く付き合ってきたからこそ分かってしまう。
私を心配する言葉と声色の裏に潜む、期待の影が。
私は何も言わずにベッドに寝転がると、目を閉じ股を開いた。
真っ暗な視界の中、ごくりと生唾を飲む音の後に、瑞樹の気配が近づいてくる。
パンツがずり下ろされ、指が尿道に触れた。
「うわ……マジで濡れるんだ……」
「言わなくていいから……あと、避妊」
「わ、分かってる……じゃあ、挿れるぞ、円香……」
名前を呼ばれ、私の胸はズキンと痛んだ。
私は、私の欲望のために瑞樹を利用している。
自分から胸の内を告白する気もない私。
断られるのがたまらなく怖くて。でも、愛し合いたくて。
膣穴に押し付けられた肉棒を、私は軽く手で触れて止める。
「……約束。名前を呼ばない。キスをしない。あくまで、身体だけの関係」
もう一度でも名前を呼ばれたら、キスのひとつでもされたら。瑞樹は、責任を取ってくれるだろう。
私のエゴに、これ以上瑞樹を巻き込むわけにはいかなかった。
「……セフレですら名前は呼ぶし、キスくらいするんじゃねぇのか?」
「……じゃあ、私達はセフレ未満」
「……分かった」
瑞樹が頷くと同時に、私は肉棒から手を離した。
血が出ると聞いていたが、血は出なかった。
ただ、内臓を下から押し上げられるような鈍痛だけは今も覚えている。