※この作品はR-18です。

異界の性奴隷   作:Henon

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間話 第七師団 ※エロなし

 

第七師団。

 

それは単なる師団名ではなかった。

 

かつて帝国陸軍時代、『北鎮部隊』と呼ばれた伝統を受け継ぎ、北海道防衛の最後の砦として、恐れられ、畏敬された存在だった。

 

北からの侵攻を阻止するため、地上火力に特化し、徹底的な寒冷地運用を追求した。

 

その系譜は、現在も脈々と続いている。

 

事実、第七師団は日本陸上自衛隊の中で――

最大の砲兵戦力、最大の装甲戦力を保有していた。

 

普通科連隊、戦車連隊、特科連隊(砲兵)、偵察隊、施設隊――

重厚な構成要素は、単なる防衛ではなく、『敵の進撃を粉砕し、撃退する』ために組まれていた。

 

北方防衛、対侵略抑止。

 

それが第七師団に課せられた、使命。

 

そして今――

 

異世界への転移により、

旧来の「国家間戦争」という概念は崩壊した。

 

だが、それでも、第七師団の存在意義は変わらなかった。

この北海道は、依然として最前線だった。

 

ただ、『敵』が変わっただけだ。

 

ロシア軍でも、中国軍でもない。

今や異世界から流れ込んだ異種生物たち――

ハーピー、獣人、セイレーンなどの異種族たち…

 

彼女たちは、雪原を越え、森林を抜け、じわじわと人間の支配領域へと侵食を始めていた。

 

そしてその侵食を、真正面から叩き潰す――

そのためだけに、この第七師団は存在する。

 

『日本最大の火力部隊』

 

それはもはや比喩ではない。

文字通りの意味であった。

 

百数十両の主力戦車。

榴弾砲群、長射程ミサイル。

迫撃砲、対空ミサイル、機関砲、地雷、塹壕、偽装陣地。

ありとあらゆる戦術兵器が、この凍てつく大地に配置されている。

 

師団単位で、侵攻軍を「殺す」ための組織。

 

ここに存在する全ては、戦うために鍛え上げられたものだった。

 

そして、彼らが背負う重みは一つ。

 

――絶対に、『北海道』を明け渡さない。

 

それが、第七師団の存在理由だった。

 

 

《北海道・東千歳駐屯地》

 

ストーブの熱も届かない、コンクリート打ちっぱなしの食堂裏。

 

スチール製ベンチに、数名の隊員たちが腰を下ろしていた。

 

OD色の防寒服は雪解け水を吸って重く、足元には泥混じりの水たまりが広がっている。

 

壁にもたれ、缶コーヒーを指で転がす者。

両手をこすり合わせて息を吹きかける者。

タバコを吹かす者。

 

言葉少なに、だが確かに、ぼそぼそと会話が交わされていた。

 

「……結局、またパトロール増えるって話らしいですよ」

 

一人が、乾いた声で呟く。

 

「ま、新大陸からの物資で、車両が動かせるだけマシだろ。燃料が尽きてたら、今ごろスノーシュー担いで雪原歩いてたぜ」

 

別の隊員が応じる。

 

「ははっ、それ最悪ですね」

 

乾いた笑いが、白い息とともに夜空へ消えた。

だが、その声に心からの明るさはなかった。

 

今ここにいる全員が、知っていた。

 

――笑っていなければ、やってられない。

 

OD服の裾には黒ずんだ雪解けのシミが広がり、かじかんだ指先は、グローブ越しにでも凍える。

仮設ストーブは休憩所の入り口付近に据えられていたが、その頼りない熱は、ほとんどここまで届かない。

 

コンクリートは体温を容赦なく奪い、背中から腿へとじわじわ冷気が染み込んでくる。

 

夜勤明けの体に、それは酷く堪えた。

 

――そんな中で、ふいに。

 

若い隊員が、不意に声を上げた。

 

「……でも、なんで俺たち、第七師団だけ、新大陸に派遣されないんでしょうか?」

 

言葉は、夜の冷気よりも鋭く、休憩所の空気を刺した。

 

誰もすぐには答えなかった。

 

缶を傾けていた手が止まる。

タバコの先がわずかに揺れる。

 

若い隊員は、気まずそうに続けた。

 

「……北の第二師団は、一部部隊が派遣されたって聞いたんですけど」

 

半ば言い訳のような口調だった。

 

事実、北海道旭川に本拠を置く第二師団は、偵察部隊や工兵部隊を中心に、限定的ながら新大陸への抽出派遣が始まっていた。

それなのに、第七師団だけは――師団丸ごと、鉄の塊のように、ここ東千歳に留め置かれている。

 

それが、若者たちには納得できなかった。

 

――なぜ、俺たちだけが置き去りなんだ。

 

そんな空気が、白い吐息の隙間に滲んでいた。

 

数秒の沈黙。

誰もが心当たりを持ちつつ、わざわざ口にはしてこなかった問い。

その沈黙を破ったのは、古参の陸曹だった。

 

「……決まってんだろ」

 

その言葉に、空気がわずかに変わった。

火の点いた煙草が、誰の指先でも一瞬止まる。

古参の陸曹が、ゆっくりと顔を上げた。

 

「ここが、どういう土地か、忘れたか?」

 

冷えた声だった。くしゃくしゃになった缶コーヒーの空き缶を指で弾く。

若い隊員が、言葉を詰まらせる。

 

ベテラン陸曹は、吐き捨てるように続けた。

 

「北海道だぞ?昔から北からの侵攻を防ぐために、ここは『盾』だった。日露戦争の時も、冷戦の時も。……今もだ」

 

「でも……異世界じゃ、もう国境線もへったくれもないっしょ?」

 

別の若い隊員が、半ば冗談めかして言った。

だが、陸曹は笑わなかった。

 

「変わらねえよ」

 

静かに、だが確実に言い放った。

 

「相手が人間か、異世界の獣か。それだけだ。ここが抜かれりゃ、次は本州だ。青森から、東北一帯が『戦場』になる」

 

その言葉に、若手たちは黙り込んだ。

 

頭では理解している。

だが、現実の重みは、想像を超えていた。

 

さらに、陸曹が続ける。

 

「……それにな」

 

焚き火の火ばさみを弄びながら、低く言う。

 

「北海道は今や、“異世界生物の定住地”だ。放っときゃ、森にも川にも、あの異種族どもが巣を作りやがる。人間の街にも、じわじわ慣れてきてんだ」

 

陸曹は缶コーヒーを傾け、ぬるくなった中身を一息に飲み干した。

 

「ハーピーも、獣人も、ありゃあ群れる性質を持ってる。単独なら威嚇で追い払えるが……集団化すりゃ、話は別だ」

 

若い隊員は、きゅっと拳を握り込んだ。

 

「……でも、新大陸の方が重要じゃないんですか?資源も……開拓も……国の未来も……」

 

その声に、別の中堅隊員がぼそりと応じた。

 

「わかってねぇな」

 

吐き捨てるような口調。

 

「未来も大事だが、『今』を捨てたら意味がねぇ。ここを抜かれりゃ、日本は詰みだ」

 

「北方防衛の要――それが変わったわけじゃねぇ」

 

寒さが、靴底から這い上がってくる。

だがそれ以上に、言葉の重みが、胸にじわりと沈み込んだ。

 

若い隊員は、俯いたまま、呟いた。

 

「……それじゃ……俺たちは、ずっとここで……」

 

その先の言葉は出なかった。

 

永遠に、ただ待つだけ。

闇の中、吹雪の中、侵略者が来るその瞬間を――。

 

「そうだ」

 

古参陸曹が断言した。

 

「ここを捨てたら、日本は死ぬ。それだけだ」

 

その声には、誇りでも希望でもない、もっと硬質で、無骨なものが宿っていた。

 

それは『覚悟』だった。

 

若い隊員たちは、誰も続かなかった。

 

ただ、それぞれに缶を握り締めた。

 

冷えた金属が掌を刺す。

それが、現実だった。

 

外では風が唸り、どこかで鉄条網がギィ、と鳴った。

 

「……焦んなよ」

 

古参陸曹の声は、重く、乾いていた。

 

凍えた空気のなか、彼はゆっくりと腰を上げる。

スチール製のベンチが、きぃ、と耳障りな金属音を引き裂いた。

 

防寒ジャケットの襟を無造作に引き上げると、肩をぐるりと回し、凝り固まった関節を鳴らす。指先からは、ほんの微かに白い息が立ち上っていた。

 

その仕草一つひとつが、苛酷な環境と長年の勤務で擦り減った肉体を物語っている。

だが、彼の背筋は、まだ曲がっていなかった。

 

無言で座る若い隊員たちを見下ろす。

その視線に、優しさも、慰めもなかった。

ただ、戦場という現実を知る者の、無感情な冷たさだけがあった。

 

「――嫌でも、すぐに出番は来るだろうよ」

 

吐き捨てるような口調だった。

慰める気など、はじめからない。

 

防寒服の裾がかすかに鳴る。

足元のコンクリートには、雪解けのしずくが黒い染みを作っていた。

 

若者たちは俯いたまま、誰一人として言葉を返さない。

かじかんだ手を膝の上で握り締める者、トレイの残り物を無心に弄る者。

それぞれが、息を潜めるようにして、じっと陸曹の言葉を待っていた。

 

「そのとき、命があるかどうかは……」

 

一拍、間を置く。

食堂裏に張りつめた沈黙が、耳を軋ませるように痛い。

 

「――運と、腕次第だ」

 

短く、酷薄な宣告だった。

 

それが、この場にいる全員の未来だった。

助かる者も、死ぬ者も、誰もまだわからない。

 

ただ一つ、確かなことは――

この先、必ず『何か』が起きるということだ。

 

冷え切った休憩所。

吹き込む夜風は、僅かに硝煙の匂いを運んできたような気がした。

気のせいかもしれない。

だが、隊員たちの本能はそれを否定できなかった。

 

戦いの足音は、もうすぐそこまで来ていた。

 

まだ引き金にも指をかけていない。

だが――すでに彼らは、戦場に半身を踏み入れている。

 

第七師団。

その名はかつて、北からの侵攻を防ぐ最後の壁と恐れられた。

そして今、再び――

 

人ならざる侵略者を迎え撃つ、最前線へと変貌しつつあった。

 

鉄条網の向こう。

雪原の闇のなかで、見えないものたちが、こちらを見ている。

 

静かに、だが確実に。

 

次の戦いの気配が――

吹きすさぶ風のなかに、微かに、じっとりと匂っていた。

 

 

 

 

重苦しい沈黙が、いつしか場を支配していた。

誰もが無言だった。

ただそれぞれ、行き場のない不安と、どうにもならない現実に思考を絡め取られていた。

 

そんな空気を、古参陸曹が乾いた声で破った。

 

「……しけた話しちまったな」

 

ぼそりと、わざとらしいほど気だるい声。

 

彼はベンチの背にもたれ、ぐっと頭を仰け反らせた。

首筋を伸ばし、天井を睨むようにしながら、さらに続ける。

 

「おい、誰かテレビつけろ。……気分でも変えようぜ」

 

無理に明るさを装った声音だった。

だが、その意図は誰の耳にも明らかだった。

この空気を、沈黙を――砕かねばならない。

士気とは、言葉にならないこうした“間”から崩れるものだ。

 

若い隊員の一人が、わずかに苦笑し、肩をすくめた。

 

「……了解であります、陸曹殿」

 

OD色の防寒ジャケットを羽織ったまま、彼は立ち上がる。

 

テント脇、補給資材と工具箱の間に据え付けられた、

傷だらけの小型液晶テレビに歩み寄った。

 

スイッチを押す。

 

――機械音。

――ぼんやりと滲む液晶画面の光。

 

だが、すぐに映像が流れるわけではなかった。

 

ざっ……

 

しばらく、砂嵐に似たホワイトノイズが続く。

 

「……チッ、やっぱりな」

 

誰かが舌打ちする。

 

異世界転移によって、日本の人工衛星群はほぼすべて喪失している。

地球圏にあった通信インフラは、――跡形もなく消えた。

 

衛星放送は途絶えた。

国営ニュースも、24時間速報も、かつて当たり前だった情報網は崩壊していた。

 

今、受信できるのは、限られた地元局――

それも、地上波の簡易中継所だけだ。

 

「……地元局ぐらいは、拾えるだろ」

 

古参陸曹が、ぶっきらぼうに言う。

 

若手はリモコンを操作する。

チャンネルを切り替え、周波数を合わせる。

 

一拍遅れて、ぼそりと音声が流れ始めた。

 

画面には、地方ニュース番組のスタジオセット。

テロップも、照明も、やや貧弱だった。

だが、それでも『動いているテレビ』というだけで、隊員たちの目がわずかに向いた。

ぼそぼそと流れる地方ニュース。

 

テレビが点いた途端、休憩所に漂っていた重苦しい空気が、わずかに緩んだ。

 

それは、映し出された映像の内容とは無関係だった。

ただ、無音と沈黙を破る「何か」がそこに現れたというだけで――

隊員たちの張りつめていた神経が、ふっと弛緩した。

 

「……やっぱ地元局は映るんすね」

 

若い隊員が、肩を回しながら苦笑いする。

 

「衛星がなくなったっつっても、地上波なら生きてるもんな……ありがてえよ、ほんと」

 

別の隊員がカップ麺をかき混ぜながらぼやいた。

スチール製のベンチに腰を掛けたまま、皆が、それぞれ勝手に口を開き始める。堰を切ったように。

 

「……ラジオも最近やっとマシになってきたよな。昔の歌とか、やたら流してるけど」

 

「情報番組も半分くらい、昭和みたいになってねえか?」

 

「いいじゃん、賑やかで」

 

乾いた笑い声が漏れる。

 

それは心からのものではなかった。

だが、誰も指摘はしない。

 

――わかっているのだ。

 

本当は、楽しいわけではない。

ニュースは暗く、世界は沈み、

明日はもっと酷くなっているかもしれない。

 

それでも。

 

今、ここで口を開かなければ、沈黙のなかで、じわじわと心が冷えてしまう。誰もが本能で、それを知っていた。

 

冷えきった空気の中、隊員たちはテレビから流れる地元ニュースもろくに聞かず、

それぞれ缶コーヒーを啜りながら、ぼそぼそと無駄話を続けていた。

 

そして、ふと――

 

「……そういや、ハーピーって美人なんだろ?」

 

若い隊員の一人が、唐突に口を開いた。

 

一瞬、場が微かにざわつく。

 

「……マジで? 実物、見たのか?」

 

誰かが前のめりに問いかける。

声には興奮が滲んでいた。

目を輝かせながら、もう一人が勢いよく乗っかる。

 

「俺はちゃんと姿見れてねえよ。あいつらすぐ逃げるからな。陸曹はどうなんすか?」

 

ベンチに腰を落とし、少し猫背気味に座る古参の陸曹は、火のついたタバコをくわえたまま、苦笑を漏らした。

 

「……ああ。見たことあるぞ」

 

吸い込んだ紫煙を、わざとらしく長く吐き出しながら続ける。

 

「双眼鏡越しだったけどな」

 

一同がぐっと耳を傾ける。

 

陸曹は、火種が赤く染まるタバコの先を指先で弾きながら、どこか芝居がかった溜息をついた。

 

「顔だけじゃねえ。背も高えし、胸もな――」

 

右手を大きく弧を描く。

それも、両手をいっぱいに広げるような、誇張すら交えた仕草だった。

 

「……すげぇぞ。あいつら。普通の女じゃ、ありえねえレベルだ」

 

「マジですかッ!?」

 

たまらず若い隊員たちが前のめりになる。

硬いベンチが、ぎしぎしと微かに軋んだ。

 

「背ぇ高いって、どのくらいです?」

 

別の隊員がたまらず聞き返す。

陸曹は指を折りながら、冷静に答えた。

 

「目測で……百八十近くはあったな」

 

「百八十!?でけえ……」

 

思わず顔を見合わせる若い隊員たち。

ぽつりと漏れる呟き。

だが、その声には恐怖よりも、どこか浮ついた憧れにも似た響きが混じっていた。

 

「そんで、胸は……?」

 

「……ありゃあ、Gカップだな」

 

タバコをくわえ直しながら、陸曹は淡々とした口調で告げた。

 

「G……カップ……」

 

誰かが空気を震わせるように呟く。

 

「……マジ、すか」

 

声にならない驚嘆が、テント内に漂った。

隊員たちは完全に食いついていた。

 

話題は完全にハーピーの容姿へと流れ込み、若い連中はそれぞれ、思い思いに想像を膨らませていた。

そんな中、お調子者で知られる一人の隊員が、仰々しく両手を広げながら言った。

 

「いいなぁ〜〜……俺もパトロール任務に行きてぇ〜〜!!そんな美人拝まなきゃ損だろ!」

 

わざとらしく体をくねらせ、ベンチの上で大袈裟に嘆く。

 

その様子に、周囲から呆れたような笑いが漏れた。

 

「……そんな動機でパトロールすんのかよ」

 

別の隊員が、煙たそうに肩をすくめる。

言葉の端に、苦笑いすら滲んでいる。

 

お調子者の隊員は、悪びれもせず胸を張った。

 

「バカ言え。こんな世の中だからこそ、美人を拝むんだよ!」

 

くだらない冗談に、何人かが吹き出す。

ストーブもない休憩所。白い息が交じり、肩を揺らして笑う男たちの群れ。

 

そんな隊員たちを見て、陸曹は、にやりと口元を吊り上げた。

 

「ま、ナンパもほどほどにしとけよ?」

 

わざとらしく渋い顔を作り、年若い隊員たちに視線を投げる。

その刹那、間髪を入れずに若い隊員が茶々を入れた。

 

「――陸曹も、最近風俗行けてないから溜まってんじゃないすか?」

 

「ばっ……この馬鹿野郎ッ!」

 

陸曹はタバコを咥えたまま、肩越しに拳を振り上げ、笑いながらその隊員を小突く。

拳に力はない。ただ軽く、じゃれるようなものだった。

 

テント内は一気に爆発するような笑い声に包まれる。

 

乾いた、男たちだけの笑い。

それは虚勢ではない。だが、どこか無理にでも日常を取り戻そうとする、必死な「人間らしさ」だった。

 

「……まったくよ」

 

苦笑交じりに吐き捨てる陸曹。

その顔には、どこか年長者らしい柔らかさと、裏腹の疲労の影が滲んでいた。

 

若手たちも、さらに笑い声を重ねる。

 

肩を叩き合いながら、くだらない冗談を繰り返す。

そんな光景は、最前線の兵士にとって――

疲弊した精神をかろうじて繋ぎ止めるための、無意識の儀式だった。

 

笑う。

息を吐く。

くだらない話をする。

 

そうでもしなければ、この異様な日常に押し潰されてしまう。

陸曹も、それをわかっていた。わかっているからこそ、冗談を飛ばし、笑いを誘い、若い者たちをほぐす。

 

だが。

 

その裏に、誰も口に出さない重い現実が確かに横たわっていることを――

誰よりも、陸曹自身が知っていた。

 

だから、あえて。

 

だから、わざと。

 

軽口を叩き、笑わせ、空気を作る。

 

そんな中。

 

『――続いてのニュースです』

 

それは、隊員たちの笑い声の隙間に、紛れ込むようにして届いた。

テレビのスピーカーから漏れたアナウンサーの淡々とした声。

冗談と笑いのリズムのなかで、かすかに、しかし確かに、陸曹の耳だけに届いた。

 

(……?)

 

陸曹はタバコをくわえたまま、ちらりと画面に目を向ける。

 

笑い声はまだ続いている。

若い隊員たちは、冗談を続け、顔を紅潮させている。

缶コーヒーを傾け、誰かが背中を叩き、肩を揺すって笑い合っている。

だが、陸曹だけは――

その笑いの中で、確かに違和感を感じ取っていた。

 

テレビの画面には、見慣れない政党名を告げるテロップ。

 

『――新たに結成された「大和連盟党」が、都内で初の大規模街頭演説を実施。主催者発表では、集まった聴衆は三万人を超えた模様です。』

 

カメラが切り替わる。

 

そこに映ったのは、東京だった。

かつて世界に誇った煌めきは失われたままだったが、それでもなお、この国最大の都市は、灰色に脈動を続けていた。

 

無数のプラカードが、人工灯に照らされ、白く浮かび上がっていた。

 

「異種族追放」

「日本人のための国を」

 

シュプレヒコールが、群衆の中から湧き上がる。

画面は聴衆のを映した。

若者や年配の者たち、母親に手を引かれた子供たちまでもが埋めていた。

 

陸曹の目が、細くなる。

手元では、若い隊員たちが、まだふざけた声をあげている。

 

「陸曹~、次のパトロールんとき、ハーピーにナンパ成功したら教えてくださいよ!」

 

「まずは俺が連れて帰りますから!」

 

わはは、と笑う声。

 

その背後で。

 

『――大和連盟党は、異種族に対する強硬措置を主張。ハーピーをはじめとする侵入種族の強制排除を訴えています。また、転移事件による被災者支援、新大陸資源開発への国民徴用、自衛隊・土木・農業部門の拡充を主要政策に掲げ、現政権に対しては「対応が軟弱である」と厳しく批判しました。』

 

場面が切り替わる。

演台の前、スポットライトを浴びた男が、両手を広げて群衆を煽る。

 

『――かつての経済を取り戻しましょう!そして、日本に侵入する異種族たちには、断固たる手段をもって対処するべきです!』

 

壇上の代表が拳を突き上げると、広場に集まった群衆が、一斉に歓声と拍手を上げた。国旗を模した旗が、冬の空気の中で無数に翻る。

 

その光景を、テレビカメラは無機質に映し続けていた。

だが、陸曹の目は、その熱狂そのものよりも、別のものを捉えていた。

 

――かつての日本ならば、こんな街頭演説など、誰も足を止めず、無視して通り過ぎたはずだ。

 

選挙カーの声に見向きもしない、スマホの画面しか見ない、

静かで、無関心な国だった。

 

それが今――

 

淡々とした無関心の国民は消え、街には怒声と排斥の旗が目立ち始めていた。誰もが静かに苛立ち、誰もが誰かを憎む理由を探し始めていた。

 

不安と憎悪――それだけが、確実に社会を動かしつつあった。

 

異世界への転移と引き換えに、この国の『空気』は、確実に変わってしまった。

 

『なお、大和連盟党は、今後も全国各地での街頭演説と支持拡大運動を予定しており……』

 

ニュースキャスターの平板な声が続く。

 

しかし、休憩所の中では、その声を聞いている者は――陸曹ひとりだけだった。

若い隊員たちは、まだ冗談を飛ばし合い、笑っている。

肩を叩き合い、拳を小突き合い、束の間の若さを謳歌している。

 

だが。

 

陸曹の視線は、テレビ画面に釘付けになったままだった。

 

『何か』が、変わりつつある。

 

今までは、国民も、隊員たちも、どこか遠い目で「異世界」を眺めていた。ハーピーも、獣人も、ドラゴニュートも、すべて「別世界の話」だった。

 

だが、今は違う。

 

「敵意」を現実のものとし、

「排除」を正義にすり替え、

「強硬」を当然と叫んでいる。

 

その熱が、いずれ――

 

この隊舎にも、

この若い兵士たちにも、

容赦なく押し寄せる日が来るだろう。

 

陸曹は、ぼそりとタバコを噛み潰すようにくわえ直した。

 

「……ったく、時代ってのは、どうしようもねぇな」

 

誰にも聞こえない声で、呟く。

 

怒りと恐怖と混乱。

それらが渦巻くとき、最初に選ばれるのは――敵を作ることだ。

 

異種族。

侵略者。

排除対象。

 

その流れが、あまりにも自然な顔をして、街に浸透し始めている。

 

若い隊員たちは、まだ笑っていた。

笑いながら、明日も、明後日も、いつもと同じ訓練とパトロールが続くと思っている。

 

だが――

 

本当に危ないのは、ハーピーでも、獣人でも、異種族でもない。

           俺たち

「……一番怖ぇのは――人間かもしれねえな」

 

自分自身も、兵士であり、その『恐ろしい側』に立つかもしれない存在であることを知りながら。

 

陸曹は、静かに目を閉じた。

 

冷たい空気が、頬を撫でた。

 

休憩所の薄闇には、まだ乾いた笑い声だけが、絶え間なく漂っていた。

 

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