※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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※2026.06.08文章を一部修正しました


第十三話 とある少年冒険者グループ”金獅子団”の短すぎる英雄譚①

 イングラジア魔導国の南部辺境に位置する地方都市カヴェナ。

 背後に控える未踏ダンジョン群『深淵の魔窟』へ挑むための、唯一の陸路の玄関口だ。

 この街は今日も、富と冒険、そして死の匂いをない交ぜにしながら脈打っていた。

 

 喧騒の只中、冒険者ギルドの重厚な扉が軋みを上げて開く。

 足を踏み入れたのは、場違いなほど新品の装備を輝かせた三人の少年たち。

 その名は『金獅子団(ゴールデン・ライオンズ)』。結成から日も浅く、薬草採取と下水溝のドブネズミ退治で小銭を稼いだ程度の、最下級――ブロンズランクのひよっこパーティーである。

 

「いいか、貴様ら! 今日こそ薄汚い大ネズミ退治とはおさらばだ! 特大の依頼をぶん獲って、俺様の武名をギルド中に轟かせてやる!」

 

 ギルドの空気を切り裂くような甲高い声で宣言し、先頭を闊歩するのはリーダーのフェリクス・フォン・シュタイナー。

 “金満”と揶揄されるカヴェナの有力貴族、シュタイナー子爵家の嫡男にして、このパーティーの絶対君主だ。

 手入れの行き届いた栗色の髪を揺らし、その瞳は根拠のない自信と野心でぎらついている。

 

「ふふっ、さすがはフェリクス様! その慧眼、恐れ入ります。やはり、あなた様のような傑物にネズミ退治など、役不足もいいところ!」

 

 主君の影にへばりつくように、前衛剣士のリックが揉み手をしながら追従する。

 平民出身ながら、強者に媚びへつらう嗅覚だけは異様に発達した少年だ。

 フェリクスに取り入って手に入れた、細腕には不釣り合いな白銀の長剣を、これみよがしに鳴らしている。

 

 そんな二人の背中を、まるで処刑台へ向かう罪人のように俯いて歩くのは、聖魔法士のノエルだった。

 敬虔なヴァルクリア神聖国の神官を両親に持ち、その教義のまま育った気弱な少年。

 だがその優しさは、このパーティーでは「弱さ」と呼ばれ、鬱憤を晴らすための格好の標的にされていた。

 今日も彼の小さな肩は、これから降りかかるであろう理不尽を予感してか、小刻みに震えている。

 

 ギルドホールは、男たちの汗と脂、安酒、そして微かに鉄錆と血の匂いが混じり合った、むせ返るような空気に満ちていた。

 歴戦の猛者たちが武勇伝を肴にエールを呷り、屈強な傭兵たちが依頼掲示板の前で唸り声を上げる。

 そんな淀んだ空間を、金獅子団は傷ひとつない磨き立てのブーツで踏みしめ、まっすぐ受付カウンターへ向かった。

 

 カウンターの向こうで、一人の女性が業務的でありながら柔和な笑みを浮かべて三人を迎える。

 ギルドの主任受付嬢、リシア・フローレン。

 陽光を編んだようなセピア色の髪と、すべてを見透かすような理知的な翠の瞳。荒くれ者たちの集うこのギルドに咲く、一輪の野花だった。

 

「こんにちは、フェリクス様。本日はどのようなご依頼を?」

 

「ふん」

 

 誰に対しても崩さないリシアのプロフェッショナルな物腰を、フェリクスは鼻で笑い飛ばした。

 

「今日は、俺様たち『金獅子団』の格にふさわしい、骨のある依頼をもらいに来た。薬草摘みだのネズミ退治だの、あんな子供の使いはもう御免だ」

 

「左様でございますか。でしたら、こちらのブロンズランク向け、洞窟スライム討伐の依頼などは――」

 

「違うな」

 

 リシアの提案を、フェリクスは氷を含んだ声で遮った。

 そして、白手袋に包まれた指先で掲示板の一角――アイアンランク以上の手練れにのみ許された、高難易度依頼が並ぶ『赤紙』の区画を傲然と指さす。

 

「――オークの巣の掃討。場所は『嘆きの森』。推奨ランクはアイアン、推奨人数は六名以上。……これを、俺様たち三人に回せ」

 

 その一言が落ちた瞬間、ギルドホールの喧騒がぴたりと止んだ。

 次いで漏れたのは、呆れと嘲りの入り混じったざわめきだった。

 

「おいおい、正気かよ。あいつら、まだ最下級のブロンズだろ」

「また始まったぞ。お貴族様の無茶振りだ」

「言ってやるな。実力じゃ上に行けねえから、家名でねじ込むしかないんだろ」

 

 リシアの顔から、営業用の笑みがすっと消える。

 

「……フェリクス様。その依頼は受理できません」

 

「なに?」

 

「オークの巣は、ブロンズランク三名で挑める依頼ではございません。規定以前に、無謀です。命を落とします」

 

 フェリクスは鼻で笑った。

 

「命を落とす? 誰にものを言っている。俺様はシュタイナー子爵家の嫡男、フェリクス・フォン・シュタイナーだぞ。ただの受付嬢風情が、この俺様の力量を量ったつもりか?」

 

「量っているのではありません。止めているのです」

 

 リシアは一歩も引かなかった。

 その翠の瞳が、まっすぐフェリクスを射抜く。

 

「ギルドは、身分ではなく実績で依頼を割り振ります。そして私は、あなたが貴族であろうと平民であろうと、死地へ送り出す許可は出しません」

 

「……ほう」

 

 フェリクスの口元が、ひくりと歪んだ。

 

「平民の受付嬢風情が、この俺様に説教するつもりか」

 

「説教ではありません。拒否です」

 

 ぴしゃりと言い切る。

 その一言で、フェリクスの額に青筋が浮いた。

 

「もう一度だけ言う。依頼を寄越せ」

 

「お断りします」

 

 次の瞬間だった。

 

「黙れッ!」

 

 バンッ! と叩きつけられた手のひらが、カウンターを大きく震わせる。

 ノエルがびくりと肩を跳ねさせ、リックが慌ててフェリクスの横顔をうかがった。

 

「平民の分際で、誰に逆らっているのか分かっているのか? 俺様はシュタイナー子爵家の嫡男だ。父上の名でギルドマスターに話を通せば、お前ひとりの首など明日には飛ぶ」

 

 フェリクスはカウンターに身を乗り出し、ぞっとするほど低い声で続ける。

 

「『下賤な受付嬢が独断で、貴族の顔に泥を塗った』――そう訴えれば、この街でお前がどうなるかくらい想像できるだろう? 職を失うだけで済むと思うなよ」

 

「…………っ」

 

 一瞬だけ、リシアの喉が詰まった。

 それでも彼女は視線を逸らさない。

 カウンターの下で震えそうになる指を強く握りしめ、きっぱりと言い返す。

 

「脅しで規則は変わりません、フェリクス様」

 

「……まだ吠えるか」

 

 フェリクスの目が冷たく細められる。

 

 その時だった。

 今まで空気のように気配を消していたノエルが、震える声を絞り出した。

 

「ま、待ってください、フェリクス様! やっぱり無謀です! 僕たちの実力じゃ、まだオークの巣なんて――」

 

「あぁ?」

 

 フェリクスが、ゆっくりと振り返る。

 そこにあったのは仲間を見る目ではない。逆らった犬を見る目だった。

 

「ノエル。貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか? この俺様の晴れ舞台に、水を差すつもりか」

 

「で、でも……推奨人数にも全然足りませんし、この依頼は――」

 

「そうだぜ、ノエル」

 

 間髪入れず、リックが粘つくような声で割って入った。

 

「フェリクス様が直々にお決めになったんだ。お前ごときが口を挟む話じゃねえだろ? それとも何か? 自分だけ怖じ気づいたからって、フェリクス様の顔に泥でも塗るつもりか?」

 

「ち、違……僕は、ただ……」

 

「ただ、なんだ?」

 

 リックは口元だけで笑った。

 

「お前が着てるその上等なローブも、胸の聖印も、全部フェリクス様のおかげだろ。恩を受けておいて、いざって時だけ腰が引けるなんて、ずいぶん立派な神官様だよなぁ?」

 

「っ……」

 

 ノエルは息を呑み、唇を噛んで黙り込む。

 高価な聖職者のローブも、胸元の輝く聖印も、今の彼には誇りではなく、逃げ場を塞ぐ枷でしかなかった。

 

「……見苦しい茶番は終わったか?」

 

 フェリクスは再びリシアへ向き直り、唇の端を吊り上げる。

 

「最後に聞いてやる。依頼を渡すか、渡さないか」

 

「渡しません」

 

 即答だった。

 

 その瞬間、フェリクスの顔から薄ら笑いが消えた。

 

「この……分をわきまえろ、平民女がァッ!」

 

 激昂したフェリクスが杖を振り上げた、その刹那。

 

「――騒がしいな。どうした、リシア」

 

 奥の執務室から、野太い声が響いた。

 その声ひとつで、張り詰めていた空気の質が変わる。

 

 のっそりと姿を現したのは、カヴェナ冒険者ギルドの長、グレゴール・サリヴァン。

 つるりと禿げ上がった頭とは裏腹に、シャツ越しにもわかる筋肉は岩のように隆起し、巨岩じみた体躯を支えている。

 かつて高ランク冒険者として名を馳せた『鋼の肉体』。

 引退した今なお、その威圧感は少しも錆びついていなかった。

 

「ギルドマスター……」

 

 グレゴールはまずリシアを、次にフェリクスを見た。

 少年の胸元で輝くシュタイナー家の家紋を認めた瞬間、その口元に愛想のいい笑みが浮かぶ。

 

「これはこれは……どなたかと思えば、シュタイナー子爵家のご子息でしたか。先日はお父上より、当ギルドへ多大なご支援を賜りましてな。いやはや、ありがたい限りです。ようこそお越しくださいました、フェリクス様」

 

「ふん」

 

 フェリクスは顎を反らし、露骨に鼻を鳴らした。

 

「貴様が長か。どういう教育をしている。この女、平民のくせに貴族である俺様へ説教を垂れたぞ」

 

「それはそれは、失礼をいたしました」

 

 グレゴールは頭を掻きながら、ひどく気のいい中年男のように笑う。

 

「田舎町のギルドゆえ、多少融通の利かぬ者もおりましてな。……それで、本日はどのようなご用件で?」

 

「決まっている。依頼だ」

 

 フェリクスは受付の掲示板を顎でしゃくった。

 

「オークの巣の掃討。場所は『嘆きの森』。あれを俺様たちに回せ」

 

「ほほう……オークの巣、ですか」

 

 グレゴールの目が、ほんのわずかに細まった。

 その奥に、冒険者だった男だけが持つ冷たい計算がよぎる。

 未熟な子供がそこへ踏み込めばどうなるかなど、彼には手に取るようにわかっているはずだった。

 

 だが次の瞬間、彼はにんまりと笑った。

 

「それは結構なことですな。さすがはシュタイナー家のご嫡男。危険から民を守ろうという、その高潔なお志――まことに貴族の鑑にございます」

 

「ふふん、ようやく話の通じる男が出てきたか」

 

 フェリクスは満足げに胸を張る。

 

「本来なら、あの程度の豚面退治など下々に任せておけばよいのだがな。今回は特別に、俺様が片づけてやる」

 

「なんと頼もしいお言葉。カヴェナの民も、さぞ喜びましょう」

 

 グレゴールは大げさなくらい感心したように頷き、それから何でもない調子で言った。

 

「では、すぐに手続きを進めましょう。……リシア、受領印を」

 

「っ、マスター!」

 

 リシアが思わず声を上げる。

 

「彼らはまだブロンズです! 三人でオークの巣など、自殺行為です! そんな依頼、通せるはずが――」

 

「控えろ」

 

 低い一言だった。

 だが、その声には歴戦の冒険者だけが纏う、濃密な圧が滲んでいた。

 

 空気が、ドン、と重くなる。

 

 リシアの喉がひきつった。

 肺に入るはずの息が、一瞬止まる。

 目に見えぬ殺気に叩かれ、抗議の言葉が舌の上で凍りついた。

 

 グレゴールは笑っていた。笑っているのに、その眼だけはまったく笑っていない。

 

「ギルドマスターとして命じる。――リシア・フローレン、依頼の手続きをしろ」

 

「…………かしこまりました」

 

 絞り出すような声だった。

 リシアは唇を噛みしめ、今にも血が滲みそうなほど強く力を込めながら、震える手で依頼書を差し出す。

 

 一介の受付嬢にすぎない自分では、もう止められない。

 組織の長が、自らの権限で「許可」を下したのだ。

 

「はっ。最初からそうしていればいいものを」

 

 フェリクスは勝ち誇ったように鼻を鳴らし、羽ペンをひったくった。

 インクを吸ったペン先が羊皮紙を走り、『金獅子団』の名が記される。

 まるで、自分たちの墓標に署名するかのように。

 

 その隣で、リックは卑屈な笑みを浮かべていた。

 ノエルは血の気の引いた顔のまま、床の一点を見つめている。

 誰ひとり、これが栄光への第一歩ではなく、破滅への片道切符であることを口にできなかった。

 

 そしてグレゴールは、そんな三人を眺めながら、なおも愛想のいい笑みを崩さなかった。

 

「どうかご武運を、フェリクス様。あなた様の英雄譚、楽しみにしておりますぞ」

 

 その言葉だけが、やけに冷たく響いた。

 

 

◆

 

 三人を乗せた馬車は南へと進む。

 鈍い車輪の音を響かせながら向かう先は、『嘆きの森』。

 南国アレクスティア剣王国との国境沿いに広がる、瘴気に満ちた危険地帯だった。

 

 かつては豊かな恵みをもたらしたその森も、今では強力な魔物の気配に侵され、枯れ木が亡者の群れのように立ち尽くしている。

 オークやゴブリンといった魔物が巣食い、近隣の村々を脅かす場所――それが今の『嘆きの森』である。

 

 ギルドを出てからというもの、馬車の中の空気はずっと重かった。

 

 御者台で手綱を握るノエルは、青ざめた顔のまま、ただ黙々と前を見つめている。

 指先には力が入りすぎていて、革の手綱がきしむたびに、その緊張がありありと伝わってきた。

 

 そんな彼の重苦しさとは対照的に、荷台ではフェリクスとリックが、すっかり“勝利後の祝賀会”を始めていた。

 

「へへっ、フェリクス様! オークの巣の掃討なんざ、うまくいきゃシルバー級の大手柄ですよ!」

 

 リックは身を乗り出し、鼻息荒くまくし立てる。

 

「近隣の村々も大助かりでしょうし、帰ったらもう大騒ぎですぜ? 『金獅子団が森の怪物どもを一掃した!』ってなもんで! 村の連中は総出で俺たちを出迎えて、若い娘たちは涙ぐみながら花束を抱えてくるに決まってますって!」

 

「ふん。下々の者どもが英雄を目の当たりにして感激するのは、自然の摂理だからな」

 

 フェリクスは馬車の揺れなど意にも介さず、尊大に顎を上げた。

 

「この俺様ほどの傑物が、直々に魔物退治へ赴くのだ。感謝と称賛で迎えられて当然。村人どもは道の両脇に平伏し、村長あたりが震える声で『どうか我らの救世主として、この村に名を残してください……!』などと言い出すだろうよ」

 

「うわぁ、目に浮かびますぜフェリクス様!」

 

 リックはぱんっと膝を叩いた。

 

「そんで村長が、若くて可愛い娘を何人も連れてきて言うんです。『どうかお礼に、うちの村の自慢の娘たちの中からお好きな方を……!』って!」

 

「……ほう」

 

 フェリクスの眉がぴくりと上がる。

 

「まあ、民がそこまで言うなら、断るのも酷というものだな。英雄とは、とかく周囲を熱狂させてしまうものだ」

 

「ですよねぇ!」

 

 リックはさらに勢いづいた。

 

「娘たちは娘たちで、『きゃあっ、フェリクス様ってなんて高貴で勇敢なの!』『あの隣の剣士様も素敵……!』なんて騒ぎ出して、俺なんか腕の一本や二本、引っ張られてもおかしくねえですぜ!」

 

「当然だ。俺様の隣に立つ以上、貴様も多少は箔がつく」

 

 フェリクスは鷹揚に頷き、すっかりその光景を脳内で完成させていた。

 

「帰還後はギルド前にも人だかりができるな。『フェリクス様、万歳!』『カヴェナの若き守護者!』……いや、待て。“若き”では少し軽いか。“救国の英雄”くらいが妥当だろう」

 

「うおお、でっけえ! 肩書きまで一気に跳ね上がった!」

 

 リックは感極まったように身を乗り出す。

 

「そしたら俺ぁその横で、『いやいや、俺なんざフェリクス様の剣にすぎませんよ』とか言いながら、さりげなく村娘から果物とか手編みのマフラーとかもらうんです! あわよくば『お怪我はありませんか……?』なんて、しなだれかかられて――ぐふふふ……」

 

「貴様は本当に俗物だな」

 

 フェリクスは呆れたように鼻を鳴らした。

 だが、その口元はわずかに緩んでいる。

 

「まあ、下々の娘どもが浮かれるのも無理はない。なにせ、真の英雄を目の前にする機会など、そうそうあるものではないからな」

 

「いやぁ、さすがはフェリクス様! 器が違う! 俺なんか村娘にちやほやされるとこまでしか想像してませんでしたけど、フェリクス様はもう“伝説”になった後のことまで見えてるんですねぇ!」

 

「当たり前だ。凡俗と英雄では、見えている景色が違う」

 

 フェリクスは前髪をかき上げ、満更でもなさそうに微笑んだ。

 その顔には、すでに喝采を浴びる英雄の笑みが貼りついている。

 軽薄で浮ついたそのやり取りを、ノエルは御者台から黙って聞いていた。

 笑い声が弾むたび、胸の奥がじわじわと冷えていく。

 

(……人を助ける聖魔法士に、なりたかっただけなのに)

 

 ヴァルクリアの教えを胸に、ささやかな理想を抱いて冒険者になった。

 困っている誰かを癒やし、救える人間になりたかった。

 それなのに現実は、あまりにも冷たい。

 

 傲慢な絶対君主。

 その威を借りて吠える腰巾着。

 そして、怯えて笑い、機嫌を損ねないように振る舞うことしかできない自分。

 

 与えられた豪奢な装備は、誇りではなかった。

 善性を縛り、良心を軋ませる、見栄えのいい鎖にすぎない。

 

 やがて馬車は森の入口で止まり、三人は薄暗い木々の奥へと踏み込んだ。

 

 湿った腐葉土の匂いに、どこか腐敗した甘ったるさが混じっている。

 空気は妙に生ぬるく、肌にまとわりつくようだった。

 

 不気味な静寂の中をしばらく進む。

 やがて視界が開け、その先に岩壁をくり抜いたような洞窟の入口がぽっかりと口を開けていた。

 周囲には獣の骨が散乱し、糞尿と腐肉が混ざり合った悪臭が、胃の底を掻き回すように漂っている。

 

 ――間違いない。オークの巣だ。

 

「よし。ここからは作戦だ」

 

 フェリクスは苔むした岩に腰を下ろし、いかにも名将めいた顔で二人を見下ろした。

 

「洞窟は奴らの庭だ。あの図体と馬鹿力を、狭い場所で真正面から受けるのは三流のやること。だからこそ――頭を使う」

 

 そう言って鞄から取り出したのは、小さなガラス瓶だった。

 中で深紅の液体が妖しく揺れ、瓶肌には精緻な魔法陣が刻まれている。

 見ただけで分かる。これは道具ではない。兵器だ。

 

「『サラマンダーの吐息』。平民の家が一軒建つほどの値がつくであろう、最高級攻撃用ポーションだ。これを洞窟の中に投げ込む。巣ごと火の海にしてやる」

 

「……っ!」

 

 ノエルの喉がひくりと鳴った。

 ブロンズランクの駆け出しが持ち歩いていい代物ではない。

 そもそも、こんなものを森で使うこと自体が正気ではない。

 

「炎に炙られれば、豚どもは慌てて飛び出してくる。焼け残っていても半死半生だ。そこを俺様の魔法とリックの剣で一匹ずつ確実に仕留める。ノエル、貴様は後方で回復と支援に専念しろ。――簡単な話だ」

 

 あまりに一方的で、あまりに楽観的。

 命のやり取りを盤上遊戯のように語る、危うい作戦だった。

 

「いやぁ、さすがフェリクス様! 真正面から泥くさく殴り合うんじゃなく、知恵と財力で勝ち筋を作る! これぞ貴族の戦いってやつですな!」

 

 リックは感極まったように拳を握りしめる。

 その顔には、すでに勝利の祝杯をあげる自分の姿が映っているようだった。

 

 だが、ノエルの背筋を走る悪寒だけは消えなかった。

 

「ま、待ってください……! 危険すぎます!」

 

「あぁ?」

 

 フェリクスの眉がぴくりと動く。

 

「何がだ」

 

「もし、火力が想定より足りなかったらどうするんですか!? オークが怯まずにそのまま突っ込んできたら、僕たち三人じゃ抑えきれません! それに、出口が一つとは限らない! 裏道や通気口みたいな別の抜け道があったら、逆に回り込まれて挟まれます!」

 

 ノエルは声を震わせながらも、必死に危険を並べ立てる。

 これはアイアンランク推奨の依頼だ。

 本来なら、何重にも確認を重ね、退路まで確保してようやく検討に値する相手なのである。

 

「口を挟むな、ノエル」

 

 フェリクスは冷たく言い放った。

 

「貴様のそれは慎重さではない。ただの腰抜けだ。これはそこらの安物とは違う。誰の作か分かっているのか? “爆炎の貴公子”――ニーシャ・オブライエンの試作品のポーションだぞ。豚ごときが小賢しく生き残れるような代物ではない」

 

「そうそう」

 

 リックがにやつきながら口を挟む。

 

「お前は黙って後ろで祈ってりゃいいんだよ。俺たちが怪我したら、ありがたーい聖魔法で治してくれりゃそれで十分だろ? その立派な杖だって、誰のお慈悲で持ててると思ってんだ?」

 

「で、でも……」

 

「でももへったくれもねえよ」

 

 リックの声がねっとりと絡みつく。

 

「フェリクス様が勝つって言ってんだ。だったら勝つんだよ。お前みてえな弱虫が、いっちょ前に作戦へ口出ししてんじゃねえ」

 

 二人の言葉が刃のようにノエルの胸へ突き刺さる。

 正論は臆病者の戯言として踏みにじられ、良心は恩知らずと罵られる。

 

 このパーティーにあるのは、絶対君主の命令と、それに従う者だけだ。

 

「……っ」

 

 ノエルは血がにじむほど唇を噛み、俯いた。

 もう言い返す言葉は出てこない。

 彼にできるのは、ヴァルクリアの神に、自分たちの無事を祈ることだけだった。

 

「ふん。話は終わりだ」

 

 フェリクスは立ち上がり、小瓶を手の中で弄ぶ。

 

「リック、右へ回れ。ノエル、左だ。身を隠して待機しろ。俺様の合図で飛び出してきた豚どもを一匹残らず始末する」

 

「了解ですぜ、フェリクス様!」

 

 リックは長剣を抜き放ち、獰猛な笑みを浮かべたまま岩陰へ滑り込んだ。

 ノエルも震える手で杖を握りしめ、言われるまま茂みへ身を潜める。

 

 心臓が破裂しそうなほど鳴っていた。

 警鐘が、全身で打ち鳴らされている。

 嫌な予感しかしない。

 

 洞窟の入口で、フェリクスが足を止めた。

 勝利を疑ってもいない顔で、たった一度だけ二人を振り返る。

 そして親指で、瓶のコルクを弾き飛ばした。

 

 途端に空気が陽炎のように揺らぎ、灼けるような熱がノエルの頬を刺した。

 

「喰らえ、醜き豚ども! 我がシュタイナー家の財力と、この俺様の栄光の礎となれ!」

 

 絶叫とともに、フェリクスの腕がしなる。

 深紅の凶星は絶望的な軌跡を描き、漆黒の獣の顎へと吸い込まれていった。

 

 一瞬の静寂。

 

 次の瞬間――洞窟の奥から、世界が裂けたかのような轟音が響き渡った。

 

 ゴオオオオオオッ!!

 

 凄まじい爆風が洞窟から噴き出し、周囲の草を薙ぎ倒す。

 闇に閉ざされていたはずの洞窟が、地獄の釜が開いたように内側から真紅に染まり、灼熱の炎が奔流となってあふれ出した。

 岩肌が、瞬く間に赤く焼けていく。

 

「なっ……!?」

 

 想定をはるかに超える威力に、作戦の立案者であるフェリクス自身が目を見開いた。

 洞窟の奥から、耳を塞ぎたくなるような断末魔が幾重にも木霊する。肉の焼ける音。骨の爆ぜる音。何かが崩れ落ちる鈍い音。

 噴き出した熱波は、離れて身を潜めていたノエルたちの頬まで容赦なく叩き、ひりつく痛みを残していった。

 

「は、ははっ……見たか! 見たか、下郎ども! これぞシュタイナー子爵家の財と知恵の力だ! 豚どもなど、灰に変わるのがお似合いよ!」

 

 フェリクスは洞窟を舐め尽くす炎を前に、頬を上気させて笑った。

 その目には恐怖ではなく、破壊を成し遂げた快感だけが宿っている。

 

 やがて炎の勢いは少しずつ収まり、洞窟の入口からは黒煙がもうもうと立ちのぼるばかりとなった。

 森は、ふいに不気味な静けさへ沈む。

 

「……や、やったのか?」

 

 リックが岩陰から半身を出し、おそるおそる呟いた。

 これだけの爆炎だ。生き残りなどいるはずがない――そう思いたくなるほど、圧倒的な破壊だった。

 

 だが、ノエルだけは杖を握る手にさらに力を込めていた。

 聖魔法士としての勘が告げている。まだ終わっていない、と。

 むしろ最悪は、ここから始まるのだと。

 

 煙の向こう。

 洞窟の闇の、そのさらに奥。

 真紅に染まる揺らめきの中で、何かが動いた。

 

 一つではない。

 二つ。

 

 それは先ほどまでの断末魔とは違う。

 憎悪と憤怒だけを燃料に立ち上がる、二つの巨大な影だった。

 

「グ……ルルルルォオオオオ……!!」

 

 地の底から響くような咆哮が、黒煙を震わせる。

 

 現れたのは二体のオーク。

 片腕は炭化し、顔の半分は焼け爛れ、皮膚は赤黒く裂けている。

 それでも、残った瞳だけは爛々と輝き、侵入者たちへの純粋な殺意を滾らせていた。

 

「ちっ、しぶとい豚め……!」

 

 一瞬だけ、フェリクスの頬が引きつる。

 だが次の瞬間には、すぐさま尊大な笑みに塗り替えた。

 

「――いや、好都合だ! リック、見せ場ができたぞ! 死に損ないを仕留めて、武勇伝に花を添えてやれ!」

 

「へっ、望むところですぜ! 火傷で半分焼けた豚なんざ、もう獲物ですらねえ!」

 

 フェリクスとリックが武器を構える。

 功名心が、恐怖を上塗りしていた。

 

「待ってください! まだです! 油断しないで、もっと距離を――!」

 

 ノエルの悲鳴じみた制止を、二人は聞かない。

 

 フェリクスが放った火球が一直線に飛ぶ。

 だがオークの一体は、燃え盛る腕でそれを正面から叩き潰した。

 

 火花と熱風が弾ける。

 

「なっ――!?」

 

 驚愕の声を上げた、その直後。

 地面が揺れた。

 

 焼け爛れた巨体が、なお衰えぬ脚力で突進してくる。

 

「うおおおっ!」

 

 リックが迎え撃つように飛び出した。

 脇腹を狙った斬撃――しかし刃は、分厚い脂肪と筋肉に食い込んだだけで止まる。

 

 浅い。

 致命傷には程遠い。

 

「は、硬ぇっ!?」

 

 体勢を崩したリックへ、もう一体のオークの拳が唸りを上げて迫った。

 

「危ないっ!」

 

 ノエルは反射的に祈りの言葉を噛み、杖を突き出した。

 淡い光の障壁がリックの眼前に展開する。

 

 ――直後、拳が叩きつけられた。

 

 障壁は一撃で砕け、光がガラス片のように飛び散る。

 破片がリックの頬を裂き、血が散った。

 

 それでも、間に合った。

 

 リックは転がるように後退しながら、ほとんど反射でオークの脚を薙ぐ。

 巨体がぐらりとよろめいたところへ、フェリクスの氷の矢が突き刺さり、動きを鈍らせた。

 

「今だ! 今だリック、仕留めろ!」

 

「言われなくても――ッ!」

 

 フェリクスの魔法に注意を奪われた一瞬を縫い、リックが背後へ回り込む。

 心臓めがけた渾身の一突き。

 

 刃が根元まで沈み、巨体が地響きを立てて崩れ落ちた。

 

「よっしゃああっ!!」

 

 だが、残る一体は味方を討たれた怒りで我を忘れていた。

 突進は荒く、しかし速い。

 フェリクスの魔法で足を止め、リックが深追いを避けて削る。危ういながらも、戦いの形だけはでき始める。

 

「右だ、右を止めろノエル!」

 

「は、はいっ!」

 

「遅い! もっと早く支援しろ、この役立たず!」

 

 怒鳴られながらも、ノエルは必死で補助魔法を重ねる。

 足を滑らせかけたリックの身体をわずかに支え、フェリクスの詠唱の隙を埋める。

 

 やがて、二体目のオークもまた、洞窟口の岩肌を揺らす重い音とともに倒れ伏した。

 

 静寂。

 

「……はぁ、はぁ……や、やった……のか……?」

 

 リックが息を切らしながら、信じられないものを見るように呟いた。

 

「ははっ……はははっ! やったぞ! オーク二体だ! 俺たちだけでオーク二体を仕留めたんだぞ!」

 

 勝利に酔った声が森に響く。

 

「当然の結果だ」

 

 フェリクスも息こそ乱れていたが、その顔にはすでに勝者の笑みが戻っていた。

 

「見たか、ノエル。これが貴様と俺様の“格”の違いだ。後ろで障壁を一枚張った程度で、さも自分も戦いましたみたいな顔をするなよ?」

 

「そーだそーだ! 俺たちが命張ってる間、お前は後ろで震えてただけじゃねえか!」

 

 リックが血のついた口元を歪めて笑う。

 

「ちょっと光らせたくらいで役に立った気になるなよ、この腰抜け聖職者!」

 

 嘲笑が、ノエルの胸の奥へ深く突き刺さる。

 

(僕がいなければ、今の一撃でリックは……)

 

 “死んでいた”。

 その言葉が喉元まで込み上げる。だが、飲み込んだ。

 口にしたところで、もっと醜く踏みにじられるだけだと分かっていたから。

 

 ――その時だった。

 

 ガサッ。

 ミシミシッ。

 ズン、ズン、ズン……。

 

 洞窟とは別の方角。

 鬱蒼と茂る木々の奥から、複数の重い足音が迫ってくる。

 

 枝が折れる。

 土が踏み潰される。

 数が多い。しかも、嫌なほど規則的だ。

 

「……は?」

 

 三人が一斉にそちらを向いた。

 

 木々の隙間から、ぬらり、と影が現れる。

 一体。

 また一体。

 さらに、もう一体。

 

 次々に。

 止まらない。

 十体では利かない。

 

 全身にひどい火傷を負い、皮膚は爛れ、血と膿をにじませながら、それでも歩みを止めないオークたち。

 濁った瞳の奥には、同胞を焼き殺した侵入者への、澄み切った殺意だけが燃えていた。

 

 洞窟には、別の出口があったのだ。

 

「……う、そだろ……」

 

 リックの顔から、さぁっと血の気が引いた。

 

「ひっ……! に、逃げろォォッ!」

 

 さっきまでの尊大さは跡形もない。

 フェリクスの声は裏返り、悲鳴に変わっていた。

 

 三人は我先にと踵を返し、森の奥へ向かって駆け出す。

 だが、子供の脚が、怒り狂ったオークの群れから逃げ切れるはずがない。

 

 背後から迫る地響き。

 枝がへし折れ、土が抉れ、獣臭と血の臭いが一気に追いついてくる。

 

 最初に捕まったのはリックだった。

 

 投げつけられた石に足を取られ、盛大に転がったその瞬間、巨大な手が首根っこを鷲掴みにする。

 

「ぎゃあああああっ! た、助け――」

 

 言い終わるより早く、リックの身体は宙へ持ち上げられた。

 

「リック!?」

 

 フェリクスが振り返る。

 だが、その隙が命取りだった。

 

 背後から振り下ろされた棍棒が、彼の肩口を叩き潰す。

 

「がっ――!?」

 

 フェリクスは悲鳴を上げる間もなく、泥濘へ顔から叩きつけられた。

 

 ノエルは、そのすべてを見ていた。

 時間だけが異様に引き延ばされたように、鮮明に。

 

 助けなければ。

 逃げなければ。

 何かしなければ。

 

 そう思うのに、恐怖で足が地面に縫いつけられたように動かない。

 膝が砕けるように折れる。

 

 迫りくる巨大な影。

 同胞を焼き殺された怒りで、濁りなく燃える瞳。

 

 その光景を最後に――ノエルの意識は、深い闇の底へ沈んだ。

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