モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
ノエルの意識は、いちど完全に底まで沈んでいた。
どれだけ時間が過ぎたのか、見当もつかない。
痛みも、羞恥も、屈辱も――すべてが溶け合って濁流となり、やがて感覚そのものが剥がれ落ちていった。
残ったのは、ただ重い闇だけだった。
冷たく、静かで、何も考えたくないと思える、安逸にも似た闇。
だが――その闇が、唐突に引き裂かれた。
ガアアアアアッ!!
獣の咆哮が、洞窟の空気を震わせる。
それに重なる、何かが肉ごと裂ける甲高い音。
骨の折れる、嫌な乾いた響き。
そして血が床を叩く、生々しい雨音。
(……また、始まるのか)
朧げな意識の底で、ノエルはそう思った。
もう抵抗する気力は欠片も残っていない。
祈る言葉すら、浮かんでこない。
ただ、次の痛みが訪れるのを待つだけの、無防備な肉体だけがそこにあった。
けれど――。
「起きてください。まだ、終わっていませんよ」
静かな声が、耳元で囁いた。
冷たさの奥に、ほんのわずかな温度が宿った声だった。
まるで、冬の朝に差し込む一片の陽だまりのように。
ノエルは、重い瞼をなんとか持ち上げた。
ぼやけた視界の先で、赤い焔が揺れていた。
――違う。
焚き火じゃない。
もっと白く、鋭く、刃のように研ぎ澄まされた光だ。
その光の前に立つ「何か」の輪郭が、ゆっくりと焦点を結ぶ。
蝶の意匠が刻まれた白い仮面。
仮面の下からこぼれるのは、夜の闇を払うような淡いセピア色の髪。
黒ずんだ血しぶきを浴びても、微塵も乱れない黒の外套。
その佇まいは、まるで戦場に咲いた一輪の花のように――美しく、そして異質だった。
「……誰? 神様の使い……?」
自分の声とは思えないほど掠れた音が、喉の奥から転がり落ちた。
それは冗談でも比喩でもなく、本気でそう思えたからだ。
仮面の女が、ちらりとノエルを見る。
仮面越しでも分かる、濁りのない、澄んだ眼差し。
そこには哀れみも、同情も、侮蔑もなかった。
ただ、淡々とした――任務を遂行する者の、冷静な光だけがあった。
「はじめまして、ノエル君」
――なぜ、自分の名前を。
そう問い返す余裕すらなく、ノエルはただ口を開け閉めするだけだった。
疑問が、感謝が、困惑が、喉の奥で絡まって言葉にならない。
女は短く告げる。
その声は、騒音の残響の中でも、不思議と耳に馴染んだ。
「私は“影の救難士”。ミラ・パピヨン。あなたたちの――今回だけの保護者です」
その足元で、ひときわ大きなオークが崩れ落ちた。
太い首筋から噴き上がった血潮が、白い仮面と黒い外套を染める。
赤い飛沫が、まるで彼女を飾る花びらのように舞い散った。
ミラは一切動じない。
細身の剣を軽くひと振りし、刃から血を払った。
その動作には、無駄がひとつもなかった。
ノエルは、その光景を――
絶望の果てに現れた、一筋の光明を。
ただ、呆然と見つめることしかできなかった。
◆
「――こちらミラ・パピヨン。対象三名、生命反応あり。搬送を開始します」
洞窟の外、嘆きの森の縁に設けられた簡易拠点で、魔導通信の水鏡が静かに波紋を広げた。蒼白い光の中で、鏡面に浮かぶギルド長・グレゴールの顔は、深い疲労とわずかな安堵の入り混じった表情を浮かべている。
ミラは短く状況を伝え、グレゴールの問いを受けた。
『状態はどうだ』
「一名、軽度から中度の外傷。精神への影響は不明。一名、外傷多数。おそらく内出血。最後の一名は――」
ミラは、言葉を選ぶように一瞬だけ間を置いた。その沈黙はわずか数秒だったが、水鏡の向こうのグレゴールには永遠にも等しく感じられた。
「……肉体の損傷は致命的ではありません。ですが、“中身”はこれから決まります」
それは、医師の報告ではなかった。
幾多の傷跡を見届けてきた者の、静かな予告だった。
『そうか』
グレゴールは重く目を閉じた。そのまぶたの裏に、彼が長年見てきた数多の若者たちの末路が、走馬灯のように過ぎ去っていく。
『よくやった。ひとまず全員連れ帰れ』
「了解しました」
通信が途切れる。水鏡の光がゆらりと揺れて、やがて虚空へと溶けた。
ミラ・パピヨンは、三人の少年をそれぞれ魔法陣の中心に横たえた。全身を打ち身と傷痕に覆われた彼らは、意識の浅いところで時折かすかに呻き、ある者は無意識に涙を流していた。
転移石――緊急搬送用の術式が刻まれたその石を起動すれば、拠点からギルド直下の医務室まで一気に跳べる。
淡い金色の光が、三人の身体を優しく包み始めた。
その光の中、ノエルがかすかに目を開けた。
焦点の合わない瞳が、ぼんやりとミラを捉える。
「……あなたは……誰、なんですか」
さっきも口にした同じ問いが、掠れた声で繰り返される。意識が途切れかけて、自分が同じ言葉を発していることにも気づいていない様子だった。
ミラは答えかけて、ほんの一瞬だけ言葉を飲み込んだ。彼女の視界に映るのは、血と泥に塗れ、涙の跡が乾いたままの少年の顔――それでもなお、目の奥にわずかな光を宿している顔だった。
「……“影の救難士”、ミラ・パピヨン。あなたたちの、今回だけの保護者です」
それは、二度目の名乗りだった。
けれども、初めて聞くようにノエルの耳に届いた。
「ミラ……さん……」
その名前を口にした瞬間。
ノエルの瞳から、涙がぼろぼろと溢れ出した。
悔しさ、情けなさ、安堵。助かった喜びよりも先に、自分の無力さへの絶望が込み上げる。それらすべてがいっしょくたになって、涙となって止めどなくこぼれ落ちた。
「ごめんなさい……。僕のせいで……。僕が、もっと強かったら……!」
少年の言葉が、洞窟の静けさの中で痛みを帯びて響く。
「違います」
ミラの声が、鋭く、しかし優しくその言葉を遮った。その声音の刃は、決してノエルに向けられたものではなかった。
「あなたのせいではない。決断し、選び、止めなかった大人たちの責任です。あなたはただ――」
一瞬の間。
「――まだ幼かった。それだけのことです」
――その大人の一人は、私でもある。
その言葉は、白い仮面の内側へと静かに飲み込まれた。
魔法陣の光が、さらに強くなる。ノエルの視界が、少しずつ白で塗りつぶされていく。
「あなたは、生き延びた。それがすべてです」
淡々とした口調の裏に、ほのかな温もりが混じっていたことに、ノエルは気づいただろうか。
「生きていてくれて、ありがとうございます」
それは、ミラの言葉だったのか。
それとも、もう二度と会うことのない誰かの、遠い記憶の残響だったのか。
もう、分からなかった。
それでも、その一言が、ノエルの胸の奥——冷えきって、今にも消えかけていた小さな灯火に、そっと息を吹き込んだ。
凍えそうな闇の中で、ほのかに揺れる。
かすかな、かすかな温もりが、彼の奥底で静かに広がっていく。
次に目を覚ましたとき、自分はどうなっているのだろう。
フェリクスは。
リックは。
それぞれが何を失い、何を知り、どう変わってしまうのか。
それは、まだ誰にも分からない。
ただ一つだけ、確かなことがあるとすれば——
ノエルの人生は、そしてフェリクスとリックの人生も。
彼らの物語は、この暗闇の洞窟で終わるわけではない。
どんなに傷つこうと、どんなに汚されようと。
彼らはまだ、ここから先へと——生きて、進んでいく。
それが、運命なのか業なのかは分からない。
それでも、確かに。
物語は、まだ終わっていないのだ。