※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第三十話 モーブルと氷窟の生贄①

 イングラジア魔導国、カヴェナ北方。

 ダンジョン群『深淵の魔窟(しんえんのまくつ)』に連なる一角――『慟哭の氷窟(どうこくのひょうくつ)』。

 

 そこは、世界から色彩と熱だけを丁寧に削ぎ落としたような蒼白の空間だった。

 

 冷気は刃物だ。

 ひと息吸い込むたび、肺の内側を薄く削られていく。

 吐く息さえ、痛い。

 

 天井から垂れる無数の氷柱は、ここで息絶えた者たちの墓標めいて鋭い。

 床を埋め尽くす氷の結晶は、踏みしめるたびに「キィ、キィ」と鳴った。

 赤子の泣き声に似た、嫌に生々しい軋み。

 

 その氷獄を、異様な一団が進んでいた。

 

 

「へっ。若(わか)、足元にゃご注意を。俺達も初めてこんな場所に来ましたがね、聞いていた以上にここの『泣き氷(なきごおり)』ってやつは性根が曲がってやがる。踏み方ひとつ間違えりゃ、魔獣を呼ぶ"呼び鈴"に早変わりだ。……ま、若ほどの御方なら、どんな魔獣が出ようとも余裕でしょうがね」

 

 

 先頭の男が下卑た笑みで振り返る。

 スチール級冒険者バルド。

 戦士にしては目が妙に狡く、巨大なタワーシールドを玩具のように担いでいた。

 

 

 返事はない。

 隊列の中央を歩く少年、ライオット・ヴァルディスは、ただ小さく頷いただけだった。

 

 漆黒の髪。

 すべてを拒むような灰色の瞳。

 仕立ての良い防寒コートに包まれているのに、顔色は氷壁より青い。

 生気が、抜け落ちている。

 

 

 周囲の景色にも、護衛の言葉にも、少年は反応しない。

 ただ“前へ進む”という命令だけを処理する、精巧な人形のように足を運んでいた。

 

 

 その少年を囲むのは、ひと癖もふた癖もありそうな四人。

 斥候のザズ。

 妨害術師のモルド。

 射手のキルネ。

 剣士のグロム。

 

 いずれもスチール級、ヴァルディス家が金で雇った精鋭――という触れ込みだ。

 

 

 彼らに課された大義名分(ミッション)は、この氷窟の『心臓』に眠るとされる『未回収魔導具(ロスト・アーティファクト)』の回収。

 

 それはかつて、現魔導帝エリザ・フィオレが冒険者時代に踏破し、しかし何らかの理由で持ち帰ることを諦めた――氷の中に時を止めたままの、過去の遺産。

 それを回収することは、名家の跡取りが箔をつけるにはうってつけの、名誉ある高難易度クエストだ。

 

 だが、場に漂う空気は護衛のそれではない。  

 獲物の退路を塞ぎ、絶命を待つ――ハイエナの包囲網。  

 そんな、腐った獣の匂いがした。

 

 

「おい、そこのデブ! 遅れてんじゃねえぞ。若様の足手まといになる気か!」

 

 

 罵声が飛ぶ。  

 汚い言葉の矛先は、最後尾を“のんびり”と歩く男――ジンジ・モーブルへと向けられた。

 

 モーブルは肩をすくめ、荷紐をギュッと締め直す。  

 革がきしむ音が、罵声に対する彼なりの無言の回答だ。  

 背負った背嚢は、それ自体がひとつの『生存圏(ライフライン)』と呼べるほどの質量を誇っていた。

 

 中身は、凍結防止のポーション、特注の耐寒具、そして味気ない旅を彩る調味料まで含めた贅沢な保存食。 

 さらには吹雪を凌ぐための簡易シェルターまで、隙間なく詰め込まれている。  

 

 総重量は、成人男性二人分。  

 だが、これを一グラムでも削るという選択肢は、プロの辞書には存在しない。

 

 

(……ったく。わしはプロの荷運び(ポーター)として雇われたんだ。極道のガキのお守りに来たんじゃないっつーの)

 

 

 万全の準備こそが、商人と冒険者の矜持だ。  

 なのに、あの脳筋どもの口から出るのは、一銭の価値もない追従と罵倒ばかり。

 

 

「若ぁ、さすがっすねぇ。こんな寒さでも涼しい顔だ」

 

「へへっ、違いねぇ。俺らみたいなチンピラとは格が違う。さすがは“組織”の跡取りだ」

 

 

 男たちの媚びへつらう声が、寒風に混じって鼓膜を揺らす。  

 

 ――『若』。  

 

 それが、裏社会の帝王ゼノン・ヴァルディスの跡継ぎに与えられた称号だ。

 

 

(けっ。何が『若』だ。わしは構成員(マフィア)じゃねぇんだぞ)

 

 

 依頼当初、モーブルが少年の名を呼ぼうとした瞬間、護衛どもに喉元へナイフを突きつけられた。

 

 

『あの方は俺たちの“若”だ。部外者が気安く呼ぶんじゃねえ。……舌を切り落とされたくなきゃな』

 

 

 以来、安っぽい不協和音が氷窟に反響し続ける中、ライオットはただ沈黙を守っている。  

 その、他者を寄せ付けぬ冷徹な佇まいだけは、嫌になるほど父親に似ていた。

 

 

(……因果なもんだ。初等魔法学校時代、わしの青春を恐怖と屈辱で塗りつぶし、お遊びの実験台(モルモット)にしてくれた“支配者”ゼノン……あやつの血を引くガキに、“若様”と頭を下げて尻拭いをする羽目になるとはな)

 

 

 モーブルは視線だけで背中を睨みつけ、音もなく舌を打った。  

 かつて自分を見下し、踏みつけにした男の血統。  

 それを今、こうして自分が陰から支えているという皮肉。

 

 

(それにしても、だ。あの筋肉達磨のようなゼノンから、どうやってこんな硝子細工が生まれてくる? 母親似か?)

 

 

 ライオット・ヴァルディス、十一歳。  

 折れそうなほど華奢な肢体に、病的なまでに白い肌。  

 濡羽色の髪に、感情の一切死滅した灰色の瞳。  

 その幼さでいくつもの修羅場(ダンジョン)を踏破したという、正真正銘のゴールド級冒険者。

 

 見た目は深窓の令息――だが、ひとたび雷魔法を放てば災害そのものと化す。  

 そんな物騒な噂だけが先行し、当の本人は周囲の喧騒など雑音ですらないと言わんばかりに、ただ虚無を歩いている。

 

 モーブルはその美しい横顔を背後からねっとりと盗み見て、ごくり、と喉を鳴らした。

 

 

(フン……顔だけなら、わしの好みド真ん中と認めてやろう。その冷ややかで、身分(プライド)の高そうな瞳……実にそそる。だが、どんなに高潔ぶっていても、皮一枚剥げばただの肉だ。その高貴な窄まりを、わしの年季の入った脂ぎった指でこじ開け、グリグリと奥まで抉り回してやれば……どうなる?)

 

 

 脳裏に、冒涜的な光景が鮮明に浮かぶ。  

 冷徹な瞳が涙で濡れ、苦痛と快楽に歪む様。  

 そして、その背後にちらつく父親の影。

 

 

(あいつが手塩にかけて育てた大切な跡取り息子を、あいつが『豚』と呼んで見下していたこのわしが、メチャクチャに食い荒らしてやったと知ったら……あの傲慢な支配者は、一体どんな顔で歪むだろうかねぇ?)

 

 

 ドス黒い愉悦が、モーブルの腹の底から湧き上がる。

 

 

(そうだ、これは復讐だ。かつてわしを全裸にして木に縛り付け、見世物にして笑った報いだ。……今度はお前の息子の番だぞ、ゼノン。お前の最高傑作が、薄汚い商人の股下で全裸にされ、涎と精液に塗れて『もっと犯してください』とあさましく腰を振る……。そうなれば、ヴァルディスの高貴な血も形無しだな。ふひひ……ざまぁみろ!)

 

 

 尊厳ごとドロドロに蕩かし、父親への裏切り行為(セックス)に耽溺させる。  

 それこそが、力で勝てない自分が唯一実行できる、最高に陰湿で甘美な復讐劇。

 

 暗い欲望が鎌首をもたげると同時に、股間の商売道具もズクリと重く脈動し、醜く肥大した。  

 極寒の地でそこだけが熱を帯びる背徳感。

 

 

(……っと、待て待て。妄想が過ぎたわ。ここは死と隣り合わせの深層域。商売道具(イチモツ)を充血させている場合か)

 

 モーブルはさらに身を縮め、隊列の最後尾に貼りついた。    

 ここは雪道じゃない。

 足跡で誤魔化すこともできず、氷床は磨き上げた硝子みたいに滑らかだ。  

 

 己の不注意ひとつで転びでもしたら――荷は散る、隊列は乱れる、そして生存率が一気に目減りする。  

 商人の頭の中で、そんな最悪の決算だけが景気よく膨らんでいく。

 

 だからこそ、モーブルの足運びは完璧だった。  

 重心を極限まで低く保ち、氷のひび割れ一つ見逃さず、音も立てずに滑るように。

 

 ――だが、その「音」は前方から聞こえてきた。

 

 ふいに、静寂を切り裂いて“きゅう”と高く鳴った。

 氷が泣いたみたいな、高くて不吉な音。

 

 

 泣き氷(なきごおり)。

 踏めば鳴る。

 鳴れば寄る。

 音が大きいほど魔獣の索敵が鋭くなる――要するに、踏んだ瞬間から難易度が跳ね上がる“騒音ペナルティ床”だ。

 

 

「……ちっ。今の、誰だよ」

 

「俺じゃねぇ。おい、デブじゃねえの?」

 

「荷物持ち。静かに歩けねぇのか。何のために雇われてんだ」

 

 

 視線が一斉に、最後尾へ突き刺さる。

 

 ――鳴らしたのはモーブルじゃない。

 分かっている。

 分かっていて言っている。

 そういう連中だ。

 

 

(言い返して儲かるならやるがな。損な喧嘩は仕入れない――それが一流の商人ってもんだ)

 

「へいへい。氷が泣くのは、わしの腹が立派すぎるせいですよーだ」

 

 

 わざと軽口で受け流すと、前の男たちが下品に笑った。

 

 

「チッ……これだから『脂身』は使えねえ。ギルドマスターの推薦だか知らねえが、こんな肉達磨がポーターじゃ、いざって時に盾代わりにもなりゃしねえぞ」

 

「違いねえ。おい豚、そのデカい荷物、中身はてめぇの餌だけじゃねえのか?」

 

「ギャハハ! 遭難しました、非常食は僕が全部食べちゃいました、なんてのは勘弁だぜ?」

 

 

 本来、ポーターは冒険における生命線だ。

 スチール級の冒険者なら、その重要性を知らぬはずがない。

 にも関わらず、ここまで露骨に侮り、切り捨てようとする態度――それはつまり、彼らがこの任務をまともな“冒険”だと思っていない証左だ。

 最初から、冒険者としての損得勘定で動いていない。

 

 

(……やれやれ。性格の悪さが、氷より沁みるわい)

 

 

 モーブルは丸々とした顔に卑屈な愛想笑いを貼り付け、「面目ない、面目ない、にへへ」と頭を下げ続けた。

 だが、垂れた瞼の奥――網膜に映る光景は、極めて冷徹だ。

 長年の行商と冒険者としての運び屋稼業で培った「鑑定眼」が、彼らの正体を瞬時に値踏みしていく。

 

 

 ――前衛のバルド。

 盾の持ち方が対魔獣用ではない対人用だ。

 それにあの盾……表面に鈍い光沢を放つ絶縁塗料。

 あれは特注の『対雷魔法仕様』――氷属性の魔獣が住むダンジョンに持ち込むような防具ではない。

 

 ――斥候のザズ。

 さっきから『泣き氷』の安全なルートをわざと外して歩いている。

 音を立てて、魔獣を呼び寄せようとしているのか?

 

 ――術師のモルドに射手のキルネ、そして剣士のグロム。

 こいつらに至っては、周囲の警戒など放棄している。

 視線の先にあるのは、ただ一点――先を行くライオットの無防備な背中のみ。

 

 

 モーブルは、荷物の陰で誰にも気づかれぬよう、密かにスキル『来歴鑑定』を発動した。

 半透明の青いウィンドウがモーブルの網膜だけに展開され、スチール級冒険者たちの隠された情報が滝のように流れ落ちる。

 

 

【鑑定結果:パーティ名 ”マッド・ドッグス(狂犬部隊)”】

 

 ・表の顔:輝かしい討伐記録を誇る精鋭。  

 ・裏の顔:ヴァルディス家直属の掃除屋。  

 ・業務内容:暗殺、誘拐、人身売買――金さえ積まれれば法を跨ぎ、老若男女問わず躊躇なく毒牙にかける。泣く子も黙る、いや、泣く子の首さえ平然とへし折る、悪逆非道の総合商社。

 

 

 さらに、記憶の深層にある帳簿を読み解くと、決定的な情報が浮かび上がった。

 

 

【現行依頼(アクティブ・クエスト)】

 

・依頼主: ダリウス・ヴァルディス

 

・内容: ライオット・ヴァルディスの抹殺。ダンジョン内での事故死に見せかけ処理せよ――

 

 

 

(……なるほどな。ゼノンの愚弟、ダリウスか)

 

 

 合点がいった。  

 あの絶対君主ゼノンが、自身の最高傑作(あとつぎ)に、こんな薄汚いゴロツキを護衛につけるはずがない。  

 これは内部抗争だ。  

 優秀すぎる甥が邪魔になった無能な叔父が、ダンジョンの事故に見せかけて将来の芽を摘む――貴族社会じゃ吐いて捨てるほどよくある、三文芝居だ。

 

 

(真っ黒だな。見てくれ通りの『悪党パーティー』だ。……ゼノンの奴め、大事な跡取り息子が護衛に背中から狙われているなんて、夢にも思わんだろうな)

 

 

 モーブルは、無防備に歩くライオットの華奢な背中と、殺意を隠して笑う男たちを交互に見やった。

 

 

(さあて……トラブルが起きる前に、わしはこの状況をどう切り抜けるか。そろそろ腹を括って、勘定を済ませておくとするか)

 

 

 思考を巡らせていた、その時だ。

 隊列の横で、斥候のザズが氷壁を指先でツツッとなぞった。

 細い目で氷の反射角を確かめ、何かの合図を送るような仕草。

 

 来る。

 商人の勘が、不渡り手形を見たときのような悪寒を告げた。

 

 次の瞬間――洞の奥底から、腹に響く低い唸り声が返ってきた。

 

 氷の共鳴音と混ざり合い、胃の腑へ落ちるような不快な重低音。

 泣き氷の音が、呼んだのだ。

 

 

「――敵影確認。来るぞ! 総員、迎撃態勢ッ!」

 

 

 バルドの怒号が轟く。  

 先ほどの軽薄さは消え、歴戦の冒険者らしい威圧感が場を支配した。

 

 

「チッ、場所が狭いな……。俺が正面で食い止める! テメェらは左右に散開! 横から突っつけ!」

 

「「「おうよ!」」」

 

 

 バルドは巨大なタワーシールドを構え、のっそりと最前線へ躍り出る。  

 その背中で、仲間たちへ歪な笑みを送った。  

 

 ――『散開』。

 それは護衛の言葉ではない。

 ライオットの逃げ場を左右から塞げという、狩人の隠語だ。

 

 

「へいへい、待ちに待った仕事(ショータイム)だぜ……」

 

 

 射手のキルネは素早く氷壁の陰へ滑り込んだ。  

 自分だけ安全圏へ退避し、かつ獲物の退路を断つ配置だ。

 

 直後、白い霧がぶわりと噴き上がった。  

 氷脈の呼吸――周期的に凍気が噴出し、視界を奪いながら肺を凍らせる厄介なギミック。  

 

 だが、そのタイミングを見計らったかのように、後方のモルドが杖を掲げた。

 

 妨害術が発動し、霧を強引に晴らす。  

 まるで、魔獣のために突進コースを「あえて」レッドカーペットのように敷くかのような手際。

 

 晴れた視界の奥から、白い影が複数、弾丸のように飛び込んでくる。  

 氷色の硬質な皮膜をまとった獣、スノーグリズリー。  

 凶悪な牙が、青白く光る。

 

 

「しまっ――数が多い! 俺一人じゃ抑えきれねぇ!」

 

 

 バルドが盾をわずかにずらし、わざとらしく体勢を崩した。  

 熟練のタンクによる、悪意ある「ヘイト逸らし」。

 

 

「若ぁ! 後ろ下がって! スノーグリズリーだ! 三体もいやがる!」

 

「ちっ、若に指一本触れさせるかよ! ……ああっ、間に合わねぇ!」

 

 

 おべっかの声が、急に“命がけの芝居”がかった絶叫に変わる。  

 魔獣の殺意は、完全に無防備な少年へと向けられた。

 

 だが、ライオットは黙っていた。  

 避けもしない。  

 恐れもしない。  

 ただ、邪魔な羽虫でも払うかのように、右手をかざしただけだ。

 

 バチッ。

 

 空気が焦げる音。強烈なオゾン臭。  次の瞬間、ライオットの周囲に紫電が爆ぜた。

 

 

「――『雷よ(フルグル)』」

 

 

 感情の抜け落ちた、短い詠唱。  

 たったそれだけで、黄金色の稲妻が奔流となって迸った。

 

 轟音。  

 そして、視界を焼き尽くす閃光。

 

 三体のスノーグリズリーは、断末魔を上げる暇さえ与えられなかった。  

 雷撃は分厚い毛皮も筋肉も関係なく貫通し、脳髄を一瞬で沸騰させる。  

 ドサリ、ドサリと重い音が連続し、雪の猛獣は瞬く間に黒焦げの肉塊へと成り果てた。  

 傷口から、プスプスと嫌な煙が立ち昇る。

 

 

(……冗談だろ。計算が合わねぇぞ)

 

 

 後方の物陰で、モーブルは喉を鳴らした。  

 相手はB級危険種。  

 本来ならスチール級のパーティが総力を挙げ、死傷者覚悟でようやく一体を狩れるかどうか――そんな領域の猛獣だ。

 

 それを、たった一撃で三体。  

 それも、無詠唱に近い速度で、灰へと変えた。

 

 ライオット・ヴァルディス。

 あの“爆炎の貴公子”ニーシャと並び称され、名門マーリン魔法大学を飛び級で卒業した怪物。

 十一歳という若さでゴールド級に到達した神童。

 

 

 ――『葬送の雷光(フューネラル・ボルト)』。

 

 

 その二つ名の意味を、骨の髄まで理解らされた気分だ。  

 彼が通った後には、雷に焼かれた骸だけが、無言の弔いのように残される。  

 イングラジア有数の雷魔法使いという噂は聞いていた。

 

 だが、ここまでとは。  

 これはもう「魔法」ではない。

 人の形をした「災害」だ。

 

 ライオットは、足元に転がる黒炭の山に一瞥もくれず、また無言で歩き出した。  

 命を奪った感触など、彼の中には一片も残っていないようだ。

 

 一方、護衛たちの反応は劇的だった。  

 彼らの顔に浮かんでいたのは、明白な「恐怖」だ。

 

 

(おい、マジかよ……あんな化物、どうやって殺るんだよ)

 

(話が違うぞ。ありゃあ人間じゃねぇ)

 

 

 目配せと、震える唇の動き。  

 彼らの戦意がポキリと折れる音が聞こえるようだ。  

 当然だ。

 あんな圧倒的な暴力を見せつけられれば、まともな神経なら「暗殺」などという自殺行為は放棄する。

 

 

(……これで計画は中止か? なら、わしの仕事も楽になるが――)

 

 

 だが、モーブルの淡い期待は、リーダーの一瞥で裏切られた。

 

 バルドだ。  

 盾持ちの巨漢は、青ざめる部下たちを見回し、ニヤリと口の端を吊り上げた。  

 そして、己の背負う大盾をトンと叩いてみせる。  

 

 

『策はある。ビビるな』

 

 

 ――そう言わんばかりの、粘着質な笑み。

 

 その不気味な合図ひとつで、動揺していた連中の目に、再びドス黒い光が戻った。  

 勝算があるのか。  

 それとも、引くに引けないのっぴきならない事情があるのか。  

 

 いずれにせよ――『殺害計画』は継続のようだ。

 

 護衛たちは慌てて表情を取り繕い、揉み手をしながら少年の背中を追った。  

 恐怖を塗り隠すための、過剰な媚びへつらい。

 

 

「わ、若ぁ! やっぱ別格っすわ! 痺れました!」

 

「これで功績も積めますねぇ。ゼノン様の後継者として、女帝様の婚約者候補も間違いなしだ!」

 

 

 その言葉が耳に届いた、瞬間。  

 ライオットの頬が、ほんのわずかに強張った――ように見えた。

 

 一瞬だけ、精巧な氷像にピキリと亀裂が走ったかのような、かすかな陰り。  

 だがそれも、氷壁に反射する光が生んだ錯覚だったのかもしれない。  

 

 瞬きの間に、少年は元の無表情な人形へと戻っていた。

 

 それでも、その刹那の揺らぎは、氷細工のようだったライオットに、初めて生々しい「人の体温」を感じさせた。  

 周囲をハイエナめいた悪意に取り囲まれ、何も知らぬまま断頭台(祭壇)へと連れて行かれる――美しき生贄の仔羊。

 

 

(……やれやれ。これじゃあ、商人の勘定は大赤字だ)

 

 

 モーブルは、白く凍る呼気に紛れ、誰にも悟られぬよう小さく嘆息した。  

 基本、他人の破滅には介入しないのが彼の流儀だ。

 落ちるナイフは掴むな、沈む船には乗るな――それが鉄則。

 

 だが、惜しい。あまりにも惜しい。  

 目の前を行くのは、ただの子供ではない。

 造形、雰囲気、才能――すべてが揃った『至高の芸術品(マスターピース)』だ。  

 

 それが、自身の価値も知らぬまま、粗暴な猿どもの手垢で無粋に穢され、壊されようとしている。

 

 それは、目利きのできるプロの商人として――そして何より、三度の飯より美少年を愛でる『数奇者(マニア)』として、あまりに寝覚めが悪い。

 

 だから、ほんの気まぐれ。  

 損得勘定の帳簿を一時閉じて、一言だけ、賽(さい)を投げてやることにした。

 

 

「……若様」

 

 

 モーブルは唇を動かさず、擦れ違う風音に紛れ込ませるような極小の声量で囁いた。  

 誰の耳にも届かないはずの、独り言のような警告。  

 だが、少年の尖った耳は、ピクリとわずかに反応したように見えた。

 

 

「この先、少し『風』の味が変わります。……背後から嫌な腐臭を運んでおりますゆえ、どうかご用心を」

 

 

 それは、ただのポーターを装った、百戦錬磨の商人からの助言。  

 「魔物が出る」という意味ではない。  

 「身内(うしろ)に気をつけろ」という暗喩だ。

 

 だが、ライオットは立ち止まりもせず、振り返りもしなかった。  

 忠告が届いたのかすら分からない。  

 ただ、その陶器のように白い指先が、無意識のように自分の髪を――艶やかな黒髪を一房、くるりと弄っただけだった。

 

 

(……伝わったか? それとも、卑しい商人であるわしなんぞ、若様(・・)の眼中にはないってか)

 

「おい豚! 何ブツブツ言ってやがる! 遅れると餌抜きだぞ、さっさと歩け!」

 

 

 バルドの野太い怒号が飛んでくる。

 モーブルは思考を切り替え、すぐさま卑屈な笑みを顔面に貼り付けた。

 

 

「ひぃっ、はいはい、ただいま! いやぁ、腹が減ると独り言が増える質でしてねぇ! すんません!」

 

 

 道化のように大袈裟におどけて見せ、再び重厚な足取りを演じて歩き出す。  

 その背中で、冷たい汗がツーと流れるのを感じながら。

 

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