※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第三十一話 モーブルと氷窟の生贄②

 一行は、第一層『霜泣きの前庭(しもなきのぜんてい)』を抜け、第二層――『哭氷の回廊(こくひょうのかいろう)』へと足を踏み入れていた。

 

 境界を跨いだ瞬間、肌を刺す空気の“質”が変わる。

 

 ただ冷たいだけではない。

 凍てついた大気に、錆びた鉄のような金属臭が混じりはじめた。

 濃密な魔素が氷壁に反射し続け、逃げ場を失って淀んでいる匂いだ。吸い込むだけで肺が重くなる。

 

 視界を埋め尽くすのは、鏡のように磨き上げられた『反射氷壁(はんしゃひょうへき)』。

 

 松明のわずかな灯りでさえ無数に乱反射し、網膜を白く灼く。

 光が増えるほど世界は白飛びしていくのに、肝心の距離感だけが狂っていく白い迷宮。

 

 

 ここは魔法使いにとっての鬼門……いや、処刑場だ。

 

 放った術式が予期せぬ角度へ跳ね回り、味方の背を撃ち抜く事故が絶えない。

 それどころか、術者自身の喉元へ刃となって返ってくる――“魔導士殺し(ウィザード・キラー)”の難所だ。

 

 

「若、ここからは一層慎重に参りましょう。魔法の使用は極力お控えくだせぇ」

 

 

 妨害術師モルドが、卑屈な揉み手をしながらへらへらとすり寄ると、すかさず剣士のグロムが大袈裟に声を荒らげる。

 

「おいおい、何言ってんだモルドぉ! 若ほどの天才なら、数千の氷壁の反射角を瞬時に演算し、自在に雷を操ることなど、息をするより容易いことだろうが! 失礼だぞ!」

 

「おっと、そうでしたなぁ。こりゃ失礼! 凡人の要らぬ心配でしたな!」

 

 

 白々しい寸劇。

 それに間髪入れず、盾持ちのバルドが分厚い胸板をドンと叩いて割り込んだ。

 

 

「へへっ、違いねぇ! ですが若、たまには俺らにも見せ場をくださいよ。俺のこの『絶対防御』の大盾があれば、どんな魔獣だろうが若の指一本触れさせませんぜ!」

 

「そうだそうだ! 若様は未来の魔導王なんだ、こんな薄汚い氷窟ごときで、その高貴なお手を汚す必要はありませんよぉ!」

 

 

 射手のキルネまでもが、猫撫で声で調子を合わせる。

 口々に飛び交う、甘ったるい忠誠の言葉。

 だがその本質は、綺麗に整えられた鎖だ。

 要するに、お前は何もするな、無防備でいろ――それだけの、狡猾な誘導。

 

 

「……問題ない」

 

 

 ライオットが、その場の粘りつくような空気を断ち切るように言った。

 氷の結晶同士が触れ合うような、硬質で透き通った声で。

 

 

「私は魔法を使わない。……ここからは、すべて君たちに任せる」

 

 

 護衛に対する全幅の信頼――表面的には、そう受け取られて然るべき言葉だった。

 だが、そのあまりにあっさりとした譲歩に、モーブルは心中で盛大に舌打ちした。

 

 

(……おいおい、正気か? お前はあの冷酷非道な支配者、ゼノン・ヴァルディスの息子だろうが!)

 

 

 親父譲りの冷徹な合理主義者なら、こんな見え透いた誘導尋問に乗るはずがない。

 「反射角の演算など容易い」と鼻で笑い、力づくで氷壁ごとねじ伏せて進む――それこそが、傲慢の血族ヴァルディスの流儀のはずだ。

 

 それを、こうも簡単に最強の武器(カード)を捨てるだと?

 

 何か別の意図があるのか。

 それとも――噂は所詮噂に過ぎず、中身はただの世間知らずな箱入りのお坊ちゃんだというのか。

 

 バルドたちの反応は雄弁だった。

 一瞬だけ驚きに目を丸くし、次の瞬間には互いに目配せをして、嗜虐的な笑みを噛み殺したのだ。

 

 ――『かかった』。

 彼らの背中が、そう語っていた。

 

 

「へへっ、ありがてえ。天才様の手を煩わせるまでもねえってこった。俺らがきっちり露払いしますんで、若は特等席で高みの見物といきましょうや」

 

 

 戦士バルドが巨大な塔盾《タワー・シールド》を玩具みたいに揺らし、軽い調子で請け合う。

 その声色には、獲物が自ら檻に入ったことを喜ぶ狩人の余裕が滲んでいた。

 

 

(……はぁ。ダメだったか)

 

 

 モーブルは胸の奥で、深く、重く失望のため息を吐き捨てた。

 忠告という名の賽は投げた。

 だが、目は最悪の『凶』に転んだらしい。

 

 ライオットは“信頼する”と言ってしまった――その言葉が、自らの細い首に掛かる絞首縄になるとも知らずに。

 

 もしやと期待したが、こいつはおだてられれば木に登り、お山の大将を気取るだけの、ただの薄っぺらいボンボンだったか。

 いかに神童と謳われた天才魔導士といえども、悪意渦巻く盤上では赤子同然。

 相手の術中にまんまと嵌り、自ら盤面を不利にするようでは……翼をもがれた小鳥も同然だ。

 

 

(これで“詰み”だな)

 

 

 ここから先は、情け無用の商談(ビジネス)。

 もし連中の狙いがライオットの命で、その企てが成ったなら――目撃者である「ただの運び屋」を生かしておく慈悲など、彼らには一欠片もない。

 口封じに消されるのは、火を見るより明らかな確定事項だ。

 

 相手は歴戦のスチール級戦闘職が五人。

 対するこちらは、戦闘職ですらないアイアン級のソロ・ポーター。

 正面からやり合えば、三秒で挽肉にされて氷の肥料になるのがオチだ。

 

 モーブルの商売人としての脳が、高速で損得勘定を弾き出し、そして冷徹な結論を叩き出した。

 

 ――『損切り』だ。

 

 モーブルの決断は早かった。

 これ以上、沈みかけた泥船に関わる義理はない。

 

 

(……悪いな、ライオット。お前のその美貌は惜しいが、所詮はあのゼノンの血族だ。わしがお前のために心中してやる義理はない。恨むなら親父を恨めよ。わしは逃げる準備(・・・・・)だけは、万全にさせてもらうからな)

 

 

 モーブルは誰にも気づかれぬよう、背負った巨大な背嚢の隠しポケットに手を伸ばし、アイテムの感触を指先で確かめた。

 背嚢の中身――煙玉、発火性オイル、各種戦闘用ポーション。

 使えるものは全部使う。

 

 万が一の瞬間は、ライオットを餌にしてでも自分だけは生き延びる。

 

 

「……こっちだ。地図によると、こっちのルートのほうが早い」

 

 

 斥候のザズが案内したのは、氷の反射角が最もきつく、かつ右手が底なしの断崖絶壁になった最悪の難所だった。

 

 横幅は十メートルほど。

 広いようで、乱戦になれば逃げるには狭すぎる。

 大技は封じられ、退路も薄い――あつらえたような処刑台だ。

 

 

(……間違いない。ここが『狩り場』だ)

 

 

 モーブルの背筋に、冷たい汗がツーと流れる。

 こんな場所で囲まれたら、もう逃げ場はない。

 

 だが、ライオットは断崖の底に広がる暗黒を見ても、眉一つ動かさない。

 ただ歩く。前へ進めと言われたから歩く。

 その足取りは、糸の切れる最期の時を静かに待つ、哀れな操り人形のように空虚だった。

 

 

(くそっ……本当に何も気づいておらんのか!? このままじゃ袋の鼠だぞ!)

 

 

 そのときだ。

 

 ――パキィィィィィィンッ!!

 

 鼓膜を劈(つんざ)く硬質な高音が、回廊中に爆発的に響き渡った。

 

 泣き氷。

 踏めば鳴る。鳴れば寄る。

 音が大きければ大きいほど、より強力な魔獣の殺意を呼ぶ――この氷窟最悪の“死の呼び鈴”。

 

 しかも今のは、不注意で踏み抜いたような生易しい音じゃない。

 砕いた音だ。

 鉄板の入ったブーツの踵で、一点を狙って踏み砕き、意図的に最大限まで共鳴させた音。

 

 

(――始まったッ!)

 

「おっと、すまねえ! 足が滑っちまった!」

 

 

 ザズが白々しく叫ぶ。

 声の張り方が妙に整いすぎていて、芝居の台詞みたいに耳へ届いた。

 

 その瞬間――通路の奥と、断崖の底。

 二つの暗がりから、重なる唸りが湧き上がる。

 氷壁がそれを反響させ、音だけが増殖していく。

 

 

「――敵襲ッ!」

 

 

 バルドの咆哮より早く、右手の氷壁が内側から砕け散った。

 飛沫を上げて踊り出たのは、全身が水晶めいた半透明の甲殻に覆われた四足獣――『アイス・リザード』の群れ。

 

 一体や二体じゃない。十、二十……。

 鏡のような氷壁に映った“像”が本体と溶け合い、数は百にも見えた。

 

 

「ちっ、お出ましだ! 野郎ども、構えろ! ……仕事の時間だぜ!」

 

 

 バルドが号令をかける。

 だが、その陣形が――妙だった。

 

 本来ならライオットを包むように組むはずの前衛が、左右へ大きく開く。

 中央だけが、綺麗に空いていく。

 まるで――若様だけを正面に“差し出す”ための通路だ。

 

 

「若! ここは反射壁に囲まれている! 下手に魔法を撃てば俺達にも当たる! 動かないでください、俺達でなんとかします!」

 

 

 射手キルネが弓を引き絞り、矢を敵に放つ――“ふり”をした。

 狙いは魔獣じゃない。

 ライオットの足元、わずか数センチ手前。

 シュッと空を切り、矢が氷床に突き刺さる。

 瞬間、霜の花がパッと広がり、足場が鏡のように滑りやすくなった。

 

 ライオットの灰色の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。

 わずかな動揺。

 だが、それを隠そうと唇を固く結んだ。

 

 剣士グロムは前へ出る。

 だが立つ角度が悪い。守るための角度じゃない。

 受け止めず、押し返さず、突進の軌道だけを微妙にずらす――ライオットへ寄せるために。

 

 モルドは呪文を唱えはじめた。

 敵を拘束するための補助術のはずなのに、詠唱が丁寧すぎる。

 丁寧すぎて、遅い。

 遅すぎて――間に合わない。

 

 

(……わざとだ)

 

 

 モーブルの胃の底が、氷水を流し込まれたみたいに冷えた。

 

 アイス・リザードの群れが、障害物の消えたライオットめがけて殺到する。

 距離、十メートル。

 咆哮。振り上がる爪。青白い刃が、少年の華奢な身体を裂きに来る。

 

 だが――ライオットは、動かなかった。

 

 避けない。構えない。詠唱もしない。

 

 ただ、灰色の瞳で迫る死を見つめている。

 

 

『……問題ない。私は魔法を使わない。……ここからは、すべて君たちに任せる』

 

 

 少し前の言葉が、呪いのようにモーブルの頭をよぎる。

 

 信頼だと?

 本気で信じているのか?

 こんなあからさまな殺意の包囲網の中で、まだこいつらを仲間だと思っているのか?

 

 無垢なのか、それとも救いようのない馬鹿なのか。

 あまりのおめでたさに、もはや呆れを通り越して殺意すら覚える。

 

 

(……阿呆がっ! 目を覚ませ! ……貴様もゴールド級なら、何度も修羅場を潜り抜けてきたはずだろう! 今がどういう状況なのか、その目で見て判断しろこのっ!)

 

 

 喉の奥で悪態が形になりかける。

 なのに足が動かない。

 ――動けない、じゃない。

 動かない。

 

 脳裏に、ゼノンの顔が浮かぶ。

 昔の屈辱が、舌の裏に苦く蘇る。

 

 

(そうだ、わしが知ったことか……助ける義理なんぞ、あるか。あのクソ野郎の血だ。わしは逃げる。乱戦に乗じて――)

 

 

 次の瞬間、バルドが大盾を構えて突っ込んだ。

 盾で“受ける”のではない。盾で魔獣の肩を弾き、勢いを殺さず横へ流す。

 流した先は――ライオットの真横。

 

 

「おっとぉ! 若ァ、危ねえ!」

 

 

 わざとらしい叫び。

 爪がコートを裂く。

 血は出ない。

 だが、ビリッと布が裂ける音だけで胸が縮む。

 

 直後、モルドの術が完成した。

 氷壁に刻まれた紋様が脈打ち、透明な氷鎖がライオットの両足首を絡めとる。

 逃げるためのものじゃない――逃がさないための枷。

 

 

「……っ」

 

 

 ライオットが小さく息を呑む。

 わずかに肩が震えた。

 だが、抵抗はしない。

 解呪の素振りすら見せない。

 

 

(……抵抗すれば、お前なら術者ごと焼き切れるだろうに)

 

 

 魔獣が間近に迫る。

 グロムが剣で斬りつける――浅い。

 怒らせるだけの傷。

 激昂した群れは、真っ直ぐライオットへ突進する。

 

 

「若! やっぱり俺達じゃ止めきれねえ! 雷で焼いてくれ! ここは俺らじゃ無理そうだ――!」

 

 

 バルドの声が、妙に急(せ)いていた。

 “撃て”と背中を押すというより、“今すぐ撃て”と命じる声色だ。

 

 反射氷壁。

 狭い回廊。

 そしてライオットの周りには――味方の顔をした“壁”が立っている。

 

 

「っ! ……わかった」

 

 

 ライオットが、わずかに早口で短く応じた。

 その声には、悲愴な決意が滲んでいる。

 この状況で、味方を巻き込まずに広範囲の雷撃を放つ。

 それは針の穴を通すような精密さが求められる至難の業だ。

 だが、今の彼は無茶に挑戦しようとしている。

 

 

「待て、焦るな! ここは冷静に――!」

 

 

 モーブルが慌てて声を上げた。

 だが、その制止は一歩、遅かった。

 

 

「――『雷よ(フルグル)』」

 

 

 白い右手が、すっと突き出される。

 その瞬間、バルドたちの配置が変わった。

 それまで散開していた四人が、まるで示し合わせたかのように一斉に後退し、巨大な塔盾の背後へ滑り込む。

 

 

(……あの盾。まさか――)

 

 

 モーブルの視線が、塔盾の表面に塗られた鈍い光沢を捉えた。

 対雷魔法用の絶縁コーティング。

 こいつらは最初から、この瞬間(タイミング)を待っていたのだ。

 

 

 ――刹那。

 黄金の雷光が回廊を満たした。

 

 

 轟音。

 ライオットの指先から放たれた稲妻は、正確無比に先頭の魔獣を貫き、その背後に連なる群れを鎖のようになぎ払う。

 肉が焼け、骨が弾ける嫌な音。

 味方の影を一切かすめない、寸分違わぬ軌道制御――神業としか呼べないコントロールだった。

 

 

 ――だが、この回廊には、もう一つの“敵”がいた。

 

 バチィッ!!

 

 魔獣を貫いた余剰の雷が、背後の『反射氷壁』に突き刺さる。

 本来なら拡散して消えるはずの雷撃。

 だが、鏡のように磨かれた氷壁は、それをほとんど減衰させないまま、鋭い角度で弾き返した。

 

 予測不能の乱反射。

 光の矢と化した紫電が、幾度も折れ曲がりながら、逃げ場のない回廊を疾走する。

 

 その切っ先が向かった先は――絶縁された盾の陰に身を潜めるバルドたちではなかった。

 唯一、何の遮蔽物も持たず、無防備に立つ術者ただ一人。

 

 

「あ……」

 

 

 ライオットの灰色の瞳が、大きく見開かれる。

 

 ドォォォォンッ!!

 

 次の瞬間、己の放った雷が、己の華奢な身体を直撃した。

 紫電が白い肌を焼き焦がし、衝撃が小さな体を容易く宙へと跳ね飛ばす。

 防寒コートが爆ぜるように裂け、黒く焦げた布切れとなって舞った。

 

 

「ぐぅっ……!」

 

 

 苦悶の声と共に、ライオットが氷の床に叩きつけられた。

 焦げ臭い煙が上がる。

 白磁の頬に煤がつき、端正な顔が苦痛に歪んでいた。

 

 静寂。

 魔獣の群れは、最初の一撃で全滅していた。

 黒焦げの死骸と、傷ついた少年だけが残された回廊。

 

 そこへ、盾の影からバルドたちがぬっと顔を出した。

 傷ひとつない顔で。

 ニヤニヤと、嗜虐的な笑みを隠そうともせずに。

 

 

「おぉ〜! すげぇすげぇ! 一発で全滅だ!」

 

 

 バルドが大袈裟に手を叩き、わざとらしい喝采を送る。

 それに合わせて、ザズも、モルドも、口笛を吹いて囃し立てた。

 

 

「さっすが若! 慌てて撃った魔法のはずなのに、あの精度! やっぱ天才は違うねぇ!」

 

「いやぁ、俺達なんて完全に足手まといでしたな! 自分の身を削ってまで魔獣を倒すとは、これぞ騎士道精神! いやあ、感服しました!」

 

「あ……ケガ……薬、を……」

 

 

 ライオットが掠れた声で助けを求める。

 だが、返ってきたのは――冷ややかな称賛と拍手だけだった。

 

 誰も駆け寄らない。

 誰も手を差し伸べない。

 地面に伏して肩で息をする、黒焦げの少年。

 彼らはその姿を、まるでサーカスの見世物でも楽しむかのような、嗜虐的な瞳で見下ろしているだけだ。

 

 

「おーし、若。魔獣も片付いたことだし……そろそろ俺達の“本業”をさせてもらいますよ」

 

「……本、業?」

 

 

 ライオットが掠れた声で問い返す。

 

 

「おや、言ってませんでしたっけ? あー、こりゃ失礼」

 

 

 バルドたちは、わざとらしく肩をすくめた。

 そして、獲物をいたぶる子供のような邪悪な笑みで“答え合わせ”を始める。

 

 

「実はね、俺達、若の護衛じゃなくて……本当は若を始末するように依頼されてたんですよ。まー、ゴールド級の天才様を相手に、俺達みてぇなスチール級で殺れるか心配だったんですがねぇ」

 

 

 バルドが絶縁塗料を塗った盾をコツコツと叩く。

 

 

「いやぁ、若が俺達みたいなゴミを信用してくれたおかげで、随分と楽させてもらいましたよ! 本当にありがとうございます!」

 

「若の魔法が怖くて、こんな高ぇ対雷盾まで用意してビビってたのが馬鹿みてぇだ! ま、おかげでこの仕事が終われば、遊んで暮らせるだけの大金が入る! ありがてぇこってですわ!」

 

「金が入ったら俺たちゃ、この国を出てヴァルクリア神聖国にでも高飛びしますわ! あそこは美女の宝庫って有名ですからねぇ、ビーチで白肌の姉ちゃんたちと酒池肉林、一生安泰ってワケですよ!」

 

 

 ゲラゲラと、下卑た笑いが氷窟に反響する。

 自分の命が、彼らにとって酒や女を買うための「小銭」に換えられた事実。

 信じていた者たちからの――あまりに無慈悲で軽薄な死刑宣告。

 

 

「……というわけなんで、安心して死んでくださいね、若」

 

「う、うぅ……」

 

 

 ライオットが震える手で床をつき、身を起こそうとする。

 焦げた服の隙間から覗く肌は痛々しく、息をするたび肩が小さく跳ねた。

 

 ふらつく視線が泳いで――最後尾に影のように控えていたモーブルと合う。

 灰色の瞳が、声にならない何かを訴えて揺れていた。

 

 

(……チッ。見るなよ、そんな目で)

 

 

 終わりだ。

 この猿芝居も、ライオットという少年の命運も。

 あとは連中が“処理”するだけで、自分はその隙に――。

 

 モーブルは背嚢のベルトに手をかけ、逃走ルートを探した。

 だが、どうしても目が離れない。

 焼け焦げた皮膚と、その奥に沈んだ絶望の色が、視線を釘づけにする。

 

 

 ――脳裏に、先ほどの光景が蘇る。

 

 あの雷撃は、無謀な自爆じゃない。

 異常な精度で制御されていた。

 バルドたちだけじゃない。

 最後尾の自分にさえ、余波ひとつ届かないように。

 反射壁に跳ね返る予測不能な力を、己の身を犠牲にして収束させ、味方を守り抜いたのだ。

 

 

(……馬鹿か、お前は)

 

 

 胸の奥で、何かが軋んだ。

 父親《ゼノン》に似ても似つかない、自己犠牲の塊みたいな魔法を使いやがって。

 

 

「さて、若。ほんとーに名残惜しいですが……」

 

 

 バルドが、乱暴にライオットの胸ぐらを掴み上げる。

 布が軋み、少年の喉が小さく鳴った。

 

 

「そろそろ仕上げといきましょうか」

 

 

 抵抗する体力はもうない。

 ライオットは中身の抜けた人形みたいに、崖の縁へ引きずられていく。

 

 バルドは腰から短剣を抜いた。刃が氷の光をはねる。

 

 

「グサッと刺して――そのまま崖の下に捨てりゃ、おしまいだ」

 

 

 軽い。

 命の重さを知らない声だ。

 

 短剣の切っ先が、ライオットの胸元へ吸い寄せられる。

 その瞬間。

 

 ――スローモーションみたいに時間が伸びた。

 

 ライオットの視線が、もう一度だけモーブルを捉える。

 唇が動く。

 パク、パク、と。

 

 声は風に消えた。

 だが形だけは残酷なほど明瞭だった。

 

 

 ――『ニ、ゲ、ロ』。

 

 

 死ぬ間際に、助けを乞うでもなく。

 呪詛を吐くでもなく。

 ただの見物人である薄汚い荷運びの身を案じていた。

 

 

(……あ?)

 

 

 思考が、白く塗りつぶされる。

 

 その瞬間、モーブルは理解した。

 

 今、目の前で殺されようとしているのは、憎き宿敵ゼノン・ヴァルディスじゃない。

 親の罪も、家の業も関係ない。

 

 ただ一人の――愚直で、不器用で、優しい少年だということを。

 

 

「ッ――!!」

 

 

 ブチリ。

 モーブルの中で、理性の弦《商人の勘定》が焼き切れる音がした。

 

 気がつけば、地面を蹴っていた。

 逃げるためじゃない。破滅の淵へ向かって。

 

 

「どけぇぇぇッ!!」

 

 

 モーブルの巨体が砲弾のように突進する。  

 意表を突かれたバルドが「あァ!?」と間抜けな声を上げる隙に、モーブルは振り下ろされようとしている刃と少年の間に割って入った。

 

 

「ぐ、ぅッ……!」

 

 

 ズブリ、と重く湿った感触が左肩に走る。  

 ライオットへ振り下ろされた刃を、モーブルは自らの分厚い肉を盾にして受け止めたのだ。  

 焼けるような熱さが脳を灼く。

 

 だが、足は止めない。  

 モーブルは肩にナイフを生やしたまま、ライオットの細い体を強引に抱きすくめると、その巨体の質量全てを乗せて崖の縁を蹴り抜いた。

 

 

「なっ、てめぇ正気か!?」

 

 

 バルドの驚愕の声が遠ざかる。  

 中空へ躍り出た瞬間、重力が二人を捕らえた。

 

 

「――っ、しっかり捕まってろ、クソガキッ!!」

 

 

 二人の体は一つの塊となり、底知れぬ氷窟の奈落へと吸い込まれていった。

 

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