※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第三十三話 モーブルと氷窟の生贄④

 静寂を破ったのは、無音の警告だった。

 

 モーブルは、シェルターの四隅に設置した『警報石(アラート・ストーン)』が、かすかに振動し始めたのを逃さなかった。

 

 

「……チッ、お出ましか」

 

 

 モーブルは音もなく、手元の明かりを絞った。

 隣では、ライオットがまだ泥のように眠っている。

 昨夜は死人のようだった頬に微かに血色が戻り、規則正しい寝息を立てている姿は、深窓の令息そのものだ。

 このあどけない寝顔を、もう少し眺めていたいという欲求が湧くが――現実はそれを許さない。

 

 

「起こすのは忍びないが……悠長に朝寝坊を決め込んでる場合じゃなさそうだな」

 

 

 モーブルはライオットの肩を軽く揺すった。

 

 

「……ん」

 

「若様、起きてください。お客さんだ」

 

 

 耳元で囁く。

 瞬間、ライオットの灰色の瞳がパチリと開いた。

 寝ぼけ眼などない。一瞬、自分がどこにいるのかを確認するように視線を彷徨わせたが、すぐさま現状を理解し、その瞳に冷徹な光を宿す。

 

 

「……魔物?」

 

「ええ。それも、鼻の利く厄介なのが近くを嗅ぎ回ってる」

 

 

 モーブルはシェルターの結界出力を最小限に絞り、外の気配を探った。

 布一枚隔てた向こう側から、複数の足音が聞こえる。

 パサッ、パサッという、新雪を踏みしめる乾いた音。

 そして、鼻孔を刺激する獣臭。

 

 

「スノー・ウルフの群れですな。数は……五、いや六か」

 

「……倒そうか?」

 

「真正面からなら若様の雷撃で消し炭ですがね。ここは狭い袋小路だ。下手に轟音を響かせれば雪崩を呼ぶか、最悪、もっと”ヤバいやつ”を起こしかねん」

 

 

 この第三層『静寂の奈落』において、音は死神を呼ぶ鈴の音だ。

 昨日のような派手な雷撃(花火)は、あくまで最終手段にしておきたい。

 

 

「わしが陽動をかけます。囮を使って引き離し、若様はその隙に……」

 

「いい」

 

 

 ライオットが言葉を遮り、身軽に上体を起こした。

 包帯の巻かれた手をグーパーと開閉し、魔力の通りを確認する。

 

 

「やる。……君の道具(アイテム)を無駄にしたくない」

 

「若様、まだ傷が……」

 

「平気。それに……」

 

 

 ライオットは視線を落とし、少し照れくさそうに、けれどはっきりと呟いた。

 

 

「あの温かいスープ……どんな特級薬(ポーション)よりも、魔法みたいに効いたから」

 

 

 モーブルは数瞬だけきょとんと目を瞬かせ、それから口の端をニヤリと吊り上げた。

 嬉しいことを言ってくれるじゃないか。

 昨日の、今にも砕けそうな硝子細工のような儚さも捨てがたい。

 だが今の少し強気で、意志の火が灯った表情の方が、よほど商人の食指が動く。

 

 

「……分かりました。では、その魔法の効果、とくと拝見するとしましょうか」

 

 

 モーブルはシェルターの支柱を抜き、瞬時に解体して背嚢へと押し込んだ。

 結界という薄皮が剥がれた瞬間、絶対零度の冷気が肌を刺す。

 それと同時に、周囲を取り囲んでいた六つの影が一斉に反応した。

 

 

『グルルルルッ……!』

 

 

 白銀の毛並みを持つ狼たち。

 その目は飢えに血走り、口元から凍った涎を垂らして、極上の餌(ふたり)を見据えている。

 飛びかかろうと後ろ足に力が込められた、その刹那。

 

 

「――『音無き電撃(サイレント・ボルト)』」

 

 

 ライオットが、指揮者のように指先を振るった。

 詠唱破棄。

 動作予備動作なしの、超高速機動。

 

 紫電が走る。

 だが、音がない。

 本来なら大気を引き裂き轟音を伴うはずの雷撃が、まるで真綿で包まれたように静寂を保ったまま、先頭の狼の眉間を貫いた。

 

 ジュッ。

 肉が焼ける微かな音だけを残し、狼が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。

 

 

「ほう……」

 

 

 モーブルは思わず感嘆の声を漏らした。

 音を消して雷を撃つ。

 口で言うのは簡単だが、それは空気の振動を魔力操作で完全に相殺・制御するという、神業に近い技術だ。

 それを、こんな寝起きに、あくびをするような手軽さでやってのけるとは。

 

 仲間が何故死んだのかすら理解できず、狼たちが動揺する。

 その致命的な隙を、天才が見逃すはずもない。

 

 

「ふッ!」

 

 

 指先が舞うように動く。

 二撃、三撃。

 暗闇に走る無音の紫電が、次々と狼たちの心臓を、脳髄を、正確無比に穿っていく。

 断末魔すら上げさせない。

 数秒後には、六頭すべての狼が、ただの物言わぬ肉塊へと変わり果てていた。

 

 

「……終わった」

 

 

 ライオットがふぅ、と白い息を吐く。

 その額にはうっすらと汗が滲んでいたが、表情には涼しい余裕があった。

 

 

「ヒューッ、お見事! いやはや、わしの出番なんて完全に蛇足でしたな」

 

「……君の、看病のおかげだから」

 

 

 ライオットは短く礼を告げると、逃げるように視線を逸らした。

 冷徹な氷の表情が崩れ、透き通るような白い耳が朱に染まっていく。

 無垢な箱入り息子が見せる、初々しい羞恥の露呈。

 それは、モーブルのような擦れた大人の嗜虐心を煽りつつ、同時にどうしようもない庇護欲を掻き立てる猛毒だ。

 

 

(……まったく。泥の中から、とびきりの原石(ダイヤ)を拾っちまったもんだぜ)

 

 

 モーブルが笑みを深めた、その時だ。

 絶命したスノー・ウルフの死体が、さらさらと光の粒子となって崩れ去った。

 ダンジョン特有の死体消滅現象。

 だが、その後に残されたのは、ただの魔石や毛皮ではなかった。

 

 ゴトン。

 重厚な音を立てて、その場に豪奢な装飾の施された『箱』が出現したのだ。

 

 

「……おや?」

 

 

 モーブルは丸い目を皿のように見開き、小走りで駆け寄ると、愛おしそうにその箱を撫で回し始めたのだ。

 

 

「こいつはたまげた! まさか一発目で引くとは!」

 

「……どうしたの」

 

「『宝箱』ですよ! 魔獣が遺す、ダンジョンからの極上のボーナスだ。しかもB級の箱ときた……いやぁ、こいつは幸先がいい!」

 

 

 通常、魔獣を狩って得られるのは皮や牙といった素材のみ。

 だが、ごく稀に魔獣の体内に溜め込まれた魔力が結晶化し、こうして『宝箱』という具現化した富を遺すことがある。

 

 定説では、雑魚ほど箱を落としやすく、強力な上位種になるほど確率は反比例して下がっていく。

 相手はB級危険種のスノー・ウルフ。

 そのドロップ率は百分の一にも満たないはずだ。

 

 

「このランクでお目にかかれるたぁ、運の女神がこっちにウィンクしてる証拠ですな。となりゃ中身も、値札の付け甲斐がある“大当たり”に違いありませんよ」

 

 

 モーブルは商人の顔で、手際よく箱の鍵穴を検分した。

 罠はない。

 

 カチャリ、と解錠の音が響く。

 重い蓋を持ち上げると、そこには薄暗い氷窟の中でもはっきりと分かるほど、神秘的な蒼い輝きが眠っていた。

 

 

(……ほう。こいつは面白いのが出たな)

 

 

 商人の目が、値踏みをするように細められる。

 奈落の底でのサバイバル。

 その開幕にしては、上出来すぎる収穫だった。

 

◆

 

 数時間後。  

 二人は巨大な氷のドーム状になった広間、通称『水晶の広場』に差し掛かっていた。  

 

 ここを抜ければ、第二層への登り階段があるはずだ。

 

 

「……静かすぎる」

 

 

 モーブルが足を止めた。  

 広場には魔獣の気配がない。  

 それどころか、先ほどまで聞こえていた遠くの風音さえも消えている。  

 まるで、世界そのものが恐怖に震え、息を潜めているような不気味な静寂。

 

 

「若様、警戒を。何かがおかしい」

 

「……感じる。肌が粟立つような、嫌な気配」

 

 

 ライオットも表情を硬くし、周囲を見回す。

 

 その時だった。  

 前方の通路から、何かが転がり出るように走ってくるのが見えた。

 

 

「――助けてくれぇぇぇッ!!」

 

 

 野太い悲鳴。  

 聞き覚えのある、不快な声。

 

 現れたのは、バルドだった。  

 かつての威勢の良さは見る影もない。  

 自慢のタワーシールドはひしゃげ、鎧はあちこちが砕け、顔面は恐怖で引きつっている。

 

 

「……バルド?」

 

 

 ライオットが呆然と呟く。  

 自分たちを殺そうとした男が、なぜかボロボロになって逃げてくる。  

 その後ろには、ザズやモルドたちの姿はない。

 

 バルドは二人を見つけると、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐに懇願するように叫んだ。

 

 

「お、おい! 若! 生きてたのか! 頼む、助けてくれ! 後ろから化け物が……!」

 

 

 なりふり構わず駆け寄ってくるバルド。  

 だが、その背後から――『絶望』が迫っていた。

 

 ゴォォォォォォォォ……。

 

 地響きと共に、通路の奥から白い冷気が噴き出す。  

 それはただの冷気ではない。

 触れるもの全てを物質の死へと追いやる、絶対零度の死の吐息だ。

 

 

「ヒッ、あ、あああ……!」

 

 

 バルドが足を止める。  

 逃げられないと悟ったのか、あるいは恐怖で足がすくんだのか。

 腰を抜かし、無様に這いつくばる。

 

 

「――ッ、伏せて!」

 

 

 叫んだのは、ライオットだった。  

 彼は迷いなく踏み出し、裏切り者へ向けて右手を突き出した。

 

 

「若様ッ!? 放っておけ! そいつは敵だぞ!」

 

 

 モーブルが叫ぶ。  

 自らを殺そうとした男だ。因果応報、野垂れ死んで当然のクズだ。  

 だが、少年の高潔な魂は、目の前の「助けを求める手」を見過ごすことができなかった。

 

 

「それでも――!」

 

 

 ライオットの指先から、黄金の障壁が展開される。  

 『雷光盾(ライトニング・シールド)』。  

 物理的な盾ではなく、高密度の魔力で熱量を遮断する防御魔法。  

 それがバルドの背中を覆おうとした、その刹那。

 

 

「嫌だ! 死にたくねぇ! 俺はまだ大金を……ッ!?」

 

 

 言葉は、そこで途切れた。

 

 パキィィィンッ!!

 

 ライオットの展開した雷の盾が、白い霧に触れた瞬間、飴細工のように砕け散ったのだ。  

 魔法すらも凍てつかせる、理不尽なまでの冷気。  

 ライオットの指先が弾かれ、魔力逆流の衝撃に彼はたたらを踏んだ。

 

 

「あ……」

 

 

 障壁を失ったバルドの体を、白い霧が飲み込む。

 

 パキパキパキッ!

 

 一瞬だった。  

 肉体が凍りつく音。  

 恐怖に歪んだ表情のまま、伸ばした手も、涙も、欲望も、すべてが氷の中に封じ込められ――バルドは氷像へと変わった。

 

 そして――霧の中から、その巨体が姿を現した。

 

 全長十メートルを超える、氷の塊。  

 四足歩行の重厚な骨格。  

 全身を覆うのは、ダイヤモンドよりも硬いとされる『永久凍土の装甲(ペルマフロスト・アーマー)』。  

 頭部には二本の巨大な角が生え、青白い瞳が冷酷な光を放っている。

 

 

「……嘘だろ」

 

 

 モーブルが呻いた。  

 知識として知ってはいた。

 だが、実物を見るのは初めてだ。  

 

 第三層の支配者。  

 A級危険種上位、『フロスト・ベヒモス』。

 

 ベヒモスは、目の前の氷像――かつてバルドだったものに興味なさげに鼻を鳴らすと、巨大な前足を無造作に振り上げた。

 

 ドォォォンッ!!

 

 踏みつけられた氷像が、粉々に砕け散る。   

 肉片も血もなく、ただの氷の礫(つぶて)となって四散した。  

 あまりにも呆気ない、裏切り者の最期。  

 ライオットが伸ばしかけた手は、虚空を掴んだまま震えている。

 

 だが、感傷に浸っている暇はない。  

 ベヒモスの発光する青い瞳が、ゆっくりとこちらを捉えたからだ。

 

 

「……逃げましょう、若様! あれは格が違う!」

 

 

 モーブルがライオットの腕を引く。  

 だが、少年は動かない。  

 その視線は、背後の通路に向けられていた。

 

 

「……無理」

 

 

 ライオットが震える声で言った。  

 いつの間にか、唯一の退路となる通路が、分厚い氷壁で塞がれていたのだ。  

 ベヒモスの放つ冷気が、空間そのものを侵食し、凍結させている。

 

 

「閉じ込められた……!? くそっ、狩り場の形成(テリトリー・メイク)か! 知能まで高いとはな!」

 

 

 モーブルは舌打ちをした。  

 逃げ場はない。

 戦うしかない。  

 

 だが、相手は雷魔法と最悪の相性を持つ、氷の怪物だ。

 

 

『グォォォォォォォォッ!!』

 

 

 氷窟の支配者、フロスト・ベヒモスが咆哮する。

 空気がびりびりと震え、天井から無数の氷柱が凶器の雨となって降り注ぐ。

 

 

「来るぞッ!!」

 

 

 モーブルの叫びと同時に、ベヒモスが突進を開始した。

 全長十メートルを超える氷の巨体が、まるで雪崩そのもののような質量と速度で迫り来る。

 明確な殺意を持った災害だ。

 

 

「『雷槍(サンダー・ランス)』!」

 

 

 ライオットが反射的に迎撃魔法を放つ。

 一点集中の貫通魔法。

 鋼鉄さえ容易く貫く紫電の槍が、ベヒモスの鼻先へと吸い込まれる。

 だが――。

 

 バチィッ!

 

 雷の槍は、ベヒモスの装甲に触れた瞬間、水が弾けるように表面で拡散し、無力な火花となって霧散した。

 傷一つ、煤汚れ一つついていない。

 

 

「効かないっ……!?」

 

「ダメだ、若様! 奴の装甲は不純物のない純粋な魔氷だ! 電気を通さず、表面で逃がしちまう!」

 

 

 モーブルの叫びに、ライオットの顔色が蒼白になる。

 自分の最強の武器が通じない。

 その絶望感が、少年の動きをコンマ数秒、鈍らせた。

 

 

「若様、ボサッとするな!」

 

 

 モーブルがライオットの襟首を掴み、強引に横へとダイブする。

 直後、二人がいた場所をベヒモスの巨大な角が薙ぎ払った。

 ゴガァッ! と氷の床が抉れ、爆発したようなクレーターができる。

 

 

「ッ……」

 

「立て! 止まったら死ぬぞ!」

 

 

 モーブルはライオットを引きずり起こし、広場の外周を走った。

 ベヒモスは重戦車のように旋回し、再びこちらへ狙いを定める。

 

 

(どうする? 小手先の魔法じゃ弾かれる。なら――)

 

 

 モーブルは走りながら叫んだ。

 

 

「若様! チマチマ削ってる暇はねぇ! 一撃で奴を消し飛ばすような大技はないんですかッ!」

 

「……第六階梯『雷神の粛清(ヴォルテック・カラミティ)』。それなら……でも、詠唱が長すぎる。最低でも一分は……」

 

 

 一分。

 この暴走する氷の重戦車を相手に、足を止めて一分。

 それは「死んでくれ」と言うに等しい時間だ。

 

 だが、モーブルはニヤリと笑った。

 商談成立の顔だ。

 

 

「契約成立だ。……その一分、わしが稼いでみせましょう」

 

「モーブル……?」

 

「合図を待ってますよ。それまでは――死んでも守り抜く!」

 

 

 ニカッと白い歯を見せ、モーブルは太い親指を突き立てた。

 そして、くるりと踵を返すと、その豊満な腹をポンと叩く。

 

 

「こっちだ、デカブツ! 丸々太った極上の霜降り肉はこっちだぞォッ!」

 

 

 わざとらしく腹の肉を揺らし、「わしは美味いぞ」と全身でアピールする。

 その挑発は効果てきめんだった。

 ベヒモスが飢えた獣の目でモーブルを凝視し、じゅるり、と汚い涎を垂れ流す。

 

 

(よし、釣れた――!)

 

 

 食欲という名の釣り針が掛かった瞬間、モーブルはブーツの踵をカツンと打ち鳴らした。

 埋め込まれた緑色の魔石が、カッと眩い光を放つ。

 

 

「起動! 『疾風のブーツ(ゲイル・ウォーカー)』!!」

 

 

 ヒュオッ!

 モーブルの足元に風の渦が巻いた。

 お値段金貨五枚ぽっきり。

 着用者の脚力を一時的に三倍へ跳ね上げ、風のように戦場を駆ける――これぞ冒険者御用達、モーブル商会自慢の逸品である。

 

 

 ドォォォンッ!

 

 モーブルはライオットから離れる方向へ爆走した。

 その速度は、丸々とした巨体からは想像もつかないほど速い。まるで砲弾だ。

 

 

『グォォォォッ!?』

 

 

 ベヒモスが咆哮する。

 チョロチョロと目障りな、しかし美味そうな獲物に標的を変え、怒涛の勢いで突進を開始した。

 

 ドゴォォォォォォォン!!

 

 殺意の塊のような角が、氷壁を粉砕する。

 だが、そこにはもうモーブルの姿はない。

 

 

「遅ぇ遅ぇ! このままじゃ配達の時間に遅れちまうぞ!」

 

 

 モーブルは氷の床をスケーターのように滑走しながら、右手の『飛竜革の鞭』をしならせた。

 ヒュンッ!

 鞭の先端が、天井から垂れる巨大な氷柱へ蛇のように巻き付く。

 それを支点に、モーブルはターザンのように宙を舞った。

 

 巨体が重力を無視して空を飛び、ベヒモスの頭上を越えて背後へ。

 着地と同時に回転し、遠心力を乗せて背嚢へ手を伸ばす。

 

 

「さぁて、ここからが在庫一掃《クリアランス》セールだ……!」

 

 

 モーブルは冷静に背嚢の在庫(インベントリ)を脳内で展開する。

 

 調味料として持ち込んだ『特級岩塩魔人の濃縮核』。

 ランタン燃料の『粘着性オイル』。

 着火用の『発火石』。

 そして切り札は、先ほどの戦利品――『氷点下の聖水(アンチフリーズ・ホーリーウォーター)』。

 

 

「……式が立った。ロイヤルストレートフラッシュだ」

 

 

 全てのアイテムが、錬金術の知識によって一つの「解」へと収束する。

 

 モーブルは慣れた手つきで聖水の封を切った。

 そこへ岩塩の濃縮核を瓶ごと砕いて放り込み、間髪入れずにオイルをドボドボと注ぎ足す。

 

 ジュワァァァ……ッ!!

 

 瓶の中で猛烈な化学反応が沸き起こる。

 聖水の強力な溶解力が塩を一瞬で飲み込み、オイルが全体をねっとりと抱き込む。

 硝子越しに伝わる異常な熱。

 完成したのは、白濁し、バチバチと静電気を放つ危険なカクテル――即席、『特製・高電導ナパーム液』だ。

 

 

「食らえ! 当店特製、激辛ドレッシングの試供品だ!」

 

 

 ガシャンッ!

 放たれた瓶がベヒモスの背中で炸裂する。

 粘着質な液体が広がり、純白の装甲を汚していく。

 

 

『グガァッ!!』

 

 

 不快感に吼えたベヒモスが、全身から氷の棘を一斉射出した。

 360度、逃げ場のない散弾攻撃。

 

 

「おっとぉ!?」

 

 

 モーブルは風の加護を纏ったまま、地面を舐めるように転がって回避する。

 頬を氷片が裂き、熱い血が飛んだ。

 だが足は止めない。

 止まった瞬間が、己の命日だ。

 

 ライオットは必死に魔力を練り上げながら、その背中を目に焼き付けていた。

 信じられない。

 あの鈍重に見えた商人が、A級魔獣を翻弄している。

 魔法の才など欠片もない凡人が、知恵と道具だけで化け物と渡り合っているのだ。

 

 

「すごい……なんて身のこなし……」

 

「よそ見してんじゃねぇ若様ッ!!」

 

 

 モーブルの怒声が飛ぶ。

 彼はベヒモスの尾による薙ぎ払いを、鞭で近くの岩を引き寄せてガードしながら叫んだ。

 

 

「これは『わしの力』じゃねぇ! 『商品の力』だ!! うちの自慢の在庫は性能がいいんだよ! 金さえありゃあ誰でも英雄になれる、それがモーブル商会の理念(ポリシー)だ!」

 

 

 減らず口を叩きながらも、モーブルは次々とアイテムを投げ続ける。

 二本目、三本目の『ナパーム液』。

 ベヒモスの氷の装甲が、塩と聖水の力でドロドロに溶け、オイルまみれになっていく。

 絶縁体だった氷が、電気を通す「死の導線」へと変えられていく。

 

 

「集中しろ! 納期厳守だ、一秒でも遅れりゃ違約金(ペナルティ)で首が飛ぶぞ!」

 

「……っ、わかった!」

 

 

 ライオットは迷いを捨て、掌に魔力を注ぎ込む。

 大気中の魔素が渦を巻き、先端に黒い雷球が収束していく。

 

 あと、三十秒。

 あと、二十秒。

 

 だが、ベヒモスも馬鹿ではない。

 チョロチョロと逃げ回る小蝿(モーブル)よりも、奥で強大な魔力を練っている少年の方が危険だと本能で悟ったのだ。

 

 

『グォォォォォォォォッ!!』

 

 

 ベヒモスが足を止め、大きく息を吸い込んだ。

 周囲の空気が凍りつく。

 広範囲殲滅攻撃――『絶対零度の咆哮(アブソリュート・ロア)』。

 

 

「させねぇよッ!!」

 

 

 モーブルが真正面から突っ込んだ。

 最後の『ナパーム液』を手に、特攻に近い速度で。

 咆哮が放たれる寸前、その開かれた口の中へ瓶を放り込むために。

 

 だが。

 

 

『――ヂュッ!!』

 

 

 咆哮の方が、早かった。

 口へ放り込む直前、ベヒモスが放った圧縮空気の衝撃波が、モーブルを直撃した。

 

 

「が、はァッ……!?」

 

 

 五エクス金貨のブーツも、衝撃波には無力だった。

 モーブルの巨体が枯葉のように吹き飛ばされる。

 氷壁に激突。

 バキボキッ、と嫌な音が響き、モーブルは血を吐いて地面に崩れ落ちた。

 

 

「モーブルッ!?」

 

「ぐ、ぅ……」

 

 

 動けない。

 全身の骨がきしむ。

 ブーツの魔力光も消えている。

 万事休す。

 

 ベヒモスは邪魔者を排除し、悠々とライオットの方へ向き直ろうとした。

 ――その時だ。

 

 

「……納期、だぜ……」

 

 

 血の泡を吹きながら、モーブルがニヤリと笑った。

 彼の手からこぼれ落ちた最後のアイテム。

 それはナパーム液の瓶ではなく――『発火石』だった。

 

 カチッ。

 

 石が氷床を跳ね、火花を散らす。

 その火花が、あたり一面に撒き散らされたオイルと、ベヒモスの足元に流れる気化ガスに引火した。

 

 ドォッ!!

 

 ベヒモスの巨体が、一瞬にして紅蓮の炎に包まれる。

 

 

『グギャアアアアアッ!?』

 

「熱(ヒート)ショックによる装甲の亀裂! さらに塩害による急速融解! そして聖水が作り出す超伝導の膜!」

 

 

 モーブルが血まみれの口で叫ぶ。

 炎の熱で氷が膨張してヒビが入り、そこへ溶けた高濃度の塩水が染み込む。

 絶縁体だった氷の鎧は、今や熱を帯びた「電気の通り道」へと変質していた。

 そして炎は、ターゲットの位置を明確に示す『標的』となった。

 

 その炎の向こうで。

 詠唱を終えたライオットが、静かに目を開いた。

 

 掌の先には、世界を焼き尽くすほどの高密度な雷が、臨界点で唸りを上げている。

 

 

「――指示を、モーブル!」

 

 

 ライオットが叫ぶ。

 モーブルは霞む視界で炎に包まれる巨獣を見上げ、最後の力を振り絞って指差した。

 

 

「……あいつの口だァッ!! そのドデカい雷を、骨の髄まで叩き込んでやれェェェッ!!」

 

「――『第六階梯魔法・雷神の粛清(ヴォルテック・カラミティ)』ッ!!」

 

 

 解き放たれたのは、槍ではない。

 天から降り注ぐ、神の鉄槌だ。

 

 極太の雷光が、炎の誘導に従い、ベヒモスの開かれた口腔内へと一直線に吸い込まれた。

 

 カッッッ!!!!

 

 視界が白く飛び、音すらも消し飛んだ。

 塩と聖水で「超伝導体」と化したベヒモスの体内を、第六階梯の雷撃が駆け巡る。

 絶縁破壊。

 外部からの攻撃を遮断するはずの鎧が、逆に電流を逃がさない「密閉された電気椅子」と化した。

 

 

『ア、ガ、ガガガガガガッ!?』

 

 

 ベヒモスが痙攣する。

 体内を駆け巡る数億ボルトの電流。

 脳が焼け、神経が焼き切られ、心臓の血液が一瞬で沸騰する。

 内側から溢れ出た蒸気圧力が、ヒビの入った無敵の装甲を次々と爆砕していく。

 

 パァァァァァァァンッ!!

 

 砕け散るダイヤモンドダストの中、巨獣がスローモーションのように崩れ落ちる。

 

 ズズーン……!

 

 地響きを立てて倒れるその姿は、もはや絶対的な捕食者ではなかった。

 黒焦げになり、塩漬けにされた、ただの肉塊だ。

 

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 ライオットが着地と同時に膝をつく。

 魔力切れ(ガス欠)。

 指一本動かせないほどの消耗だが、その瞳は倒れ伏した巨獣をしっかりと見据えていた。

 勝ち誇るように、そして、自分たちが生き残ったことを噛み締めるように。

 

 

「……やった、の?」

 

「ええ、大金星です。ありふれた日用品(アイテム)でも、使い方次第で神殺しの武器になる」

 

 

 モーブルが歩み寄り、少年の華奢な肩を、その分厚い手で叩いた。

 

 

「すごい……まるで、モーブルの魔法だ」

 

「買い被りすぎですよ。これはただの――商人の悪知恵です」

 

 

 モーブルはおどけたように肩をすくめた。

 

 

「安く仕入れて高く売る。敵の力すら利用して、利益を上乗せする。……商売の基本でしょう?」

 

「ふふっ……また、損得勘定?」

 

「それに――」

 

 

 モーブルは言葉を区切り、少年の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「最後の特大の『契約』を成立させたのは、他でもない若様の雷です。あの紫電の一閃……この凍てつく世界で、わしにはどんな金貨よりも輝く『希望の星』に見えました」

 

 

 モーブルは言葉を区切り、愛おしそうに目を細める。

 

 

「生きていてくれて、本当にようございました」

 

「……っ」

 

 

 不意打ちの、あまりに真っ直ぐな感謝。

 ライオットが言葉を失い、頬を染める。

 だが、モーブルはすぐに「おっと!」とわざとらしく手を打ち、いつもの胡散臭い営業スマイルを貼り付けた。

 

 

「ですが、それはそれ! 当然、僕(しもべ)としての働き賃はきっちり請求しますよ? 安心してください、若様への請求書は、羊皮紙が足りなくなるくらい長いのを作っておきますからね!」

 

「君は本当に、骨の髄まで商人なんだね。……うん、お手柔らかに頼むよ」

 

 

 ライオットが呆れたように、けれど心底楽しそうにクスクスと笑う。

 その顔には、出会った頃に張り付いていた氷の仮面はもうない。

 つられてモーブルも、ニカッと白い歯を見せて笑い返した。

 

 静寂を取り戻した氷の広場に、二人の乾いた笑い声が響く。

 

 爆発の余波で、二人は煤と雪まみれ。

 髪も服もぐしゃぐしゃで、そこには貴族も平民も、身分の壁などありはしない。

 あるのは、死線を潜り抜けた「共犯者」としての、確かな絆だけだった。

 

 

「さて……これで邪魔者はいなくなりましたな」

 

 

 モーブルはベヒモスの死骸を見下ろした。  

 主を失った巨体は、ボロボロと崩れ去り、黒い霧となって霧散していく。  

 

 だが、その全てが消え去ったわけではない。    

 霧が晴れたその中心。  

 かつてベヒモスの心臓があったと思われる位置の地面に、それは突き刺さっていた。

 

 

「――若様。あれは……」

 

 

 氷の床に深々と縫い止められた、一本の「杖」。

 

 透き通るような蒼穹色の結晶体。  

 長さは身の丈ほどあり、柄の部分には複雑な幾何学模様が刻まれている。  

 ベヒモスの体内に取り込まれていたのか、あるいはこの杖を守るためにベヒモスが存在していたのか。  

 ただならぬ存在感を放ち、幻想的な燐光を撒き散らしている。

 

 

「……綺麗だ」

 

 

 ライオットが、吸い寄せられるように歩み寄る。  

 魔力切れのふらつく足取りだが、その瞳は杖に釘付けになっていた。

 

 ――あれは、ヤバい代物だ。

 商人の勘が告げている。  

 市場に出せば城が一つ買えるほどの国宝級か、あるいは触れるだけで国が滅ぶ呪物か。  

 桁外れの代物だということだけは、肌を刺すピリピリとした空気で理解できた。

 

 

「若様。分かりますか、あれが何か」

 

 

 モーブルが問うと、ライオットは杖を見つめたまま、夢遊病のように頷いた。

 

 

「……アーティファクトだ。間違いない」

 

 

 確信に満ちた声だった。

 

 

「すごい魔力……。周囲の魔素(マナ)が、全部あそこに吸い込まれてる。まるで、この空間そのものを繋ぎ止める『楔(くさび)』みたいに」

 

「楔、ですか」

 

 

 モーブルは眉をひそめた。

 『慟哭の氷窟(どうこくのひょうくつ)』――常に悲鳴のような音が響く、精神汚染型のダンジョン。

 もしライオットの言う通り、あれが空間を固定する楔なのだとしたら、この杖は狂気を抑え込むための『安全装置(蓋)』ということになる。

 

 これを抜けば、どうなる?

 吉と出るか、凶と出るか。

 最悪の場合、封じられていた本当の地獄が溢れ出すか、ダンジョンそのものが崩壊するか。

 

 

「……モーブル。これ、泣いてる」

 

 

 不意に、ライオットが呟いた。  

 彼は杖に触れようと、震える指先を伸ばしている。

 

 

「泣いてる? 若様には何か聞こえるんですか?」

 

「うん。……悲しい、寂しいって。たくさんの声が、この中に詰まってる」

 

 

 その言葉に、モーブルは警戒レベルを最大まで引き上げた。

 古代の遺物には、感情や記憶といった概念に干渉する厄介な代物が多い。

 感受性の強いライオットには、この杖が集積した“負の感情”が――あるいはダンジョンの悲鳴そのものが、歌のように聞こえているのかもしれない。

 

 

「……抜きますか?」

 

 

 モーブルは試すように尋ねた。

 リスクは計り知れない。だが、この遺物の回収こそが今回の依頼(ミッション)の核心であり、ライオットが冷血な父親に「成果」として認めさせるための唯一の切符だ。

 

 

「……うん。連れて行ってあげないと」

 

 

 ライオットは迷いなく頷くと、両手で杖の柄を掴んだ。

 瞬間、バチィッ! と青白い火花が散り、拒絶の稲妻が少年の腕を駆け巡る。

 

 

「くっ……!」

 

「若様ッ!」

 

「平気……! 拒絶してない……これは、助けを求めてる!」

 

 

 ライオットが歯を食いしばり、細い腕に全身全霊の魔力を込める。

 

 ズズ、ズズズズズ……。

 

 氷の床が悲鳴を上げ、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。

 杖が抜け出るにつれて、周囲に漂っていた「キィ、キィ」という耳障りな共鳴音が、潮が引くように小さくなっていく。

 まるで、長患いの痛みが引いていくように。

 

 

「――んんッ!!」

 

 

 ライオットの気合と共に、カキンッ! という澄んだ音が氷窟に響き渡った。

 永きに渡り、氷獄を縫い止めていた楔が、ついに解き放たれる。

 

 勢い余って尻餅をついたライオットの手には、美しい蒼穹(そうきゅう)の杖――『涙核の楔(るいかくのくさび)』が握られていた。

 

 その、直後。

 

 ドクンッ。

 

 ダンジョンの心臓が脈打つような、重苦しい鼓動が空間を揺らした。

 

 

「……空気が、変わったな」

 

 

 モーブルは肌を刺す冷気の質が、劇的に変質したのを感じ取った。

 先ほどまでの、どこか悲痛な「泣き声」は消え失せた。

 代わりに満ち始めたのは――もっと原初的で、ドロドロとした「殺意」の重圧。

 

 蓋が外れたのだ。

 楔を失ったこのダンジョンは今、タガが外れ、凶悪な次の段階(ステージ)へと進化しようとしている。

 

 

「……モーブル」

 

 

 ライオットが杖を赤子のように抱きしめたまま、不安げに見上げてくる。

 その鋭敏な感性は、深淵で目覚めた“何か”の気配を既に感じ取っていた。

 

 

「長居は無用です。品物は確保した。……我々は英雄らしく、さっさとトンズラ決め込みましょう」

 

 

 モーブルは軽口で笑い飛ばし、ライオットの手を引いて立たせた。

 だが、その目は笑っていない。

 杖が刺さっていた痕跡――その奈落の奥底で、ドス黒い赤光が鼓動を始めたのを、彼は冷静に見据えていた。

 

 

(……やれやれ。こいつは追加料金(オプション)どころか、特別危険手当も請求しなきゃ割に合わんぞ)

 

 

 二人は走り出した。

 静寂は戻ったが、それは嵐の前の静けさに過ぎない。

 より深く、重い闇を孕んだ氷窟を、出口を目指して駆ける。

 

 その背中で、手に入れたばかりのアーティファクトが、微かに、けれど安堵するように脈打っていた。




中レベルのボス戦なので戦闘は軽めです
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