※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第五十話 紫雷の貴公子のアルバイト研修と、小さな先輩の熱血指導①

 カヴェナの街の冒険者通りに店を構える『モーブル商会』。

 開店直後の店内には、まだ朝のひんやりした空気がかすかに残っていた。

 

「ふんふふーん♪」

 

 先輩店員である少年ラースが、機嫌よく鼻歌を歌いながら竹箒(たけぼうき)で床を掃いている。

 その姿を、新入りアルバイトの『ライ』はじっと見つめていた。

 

 サイズの合わない平民服に身を包み、顔の半分を覆うほど分厚い黒縁メガネをかけた黒髪の少年。 

 ――その正体は、イングラジア魔導国の上級貴族、ヴァルディス伯爵家の御曹司ライオット・ヴァルディスその人である。

 

 ゴールド級冒険者としてギルドから舞い込む依頼をこなしながら、伯爵家の後継者として父から課された執務にも追われる多忙な日々。

 前回のアルバイトからしばらく間が空いてしまったが、今日はようやく二度目の出勤日だった。

 

 早くモーちゃんのお店で働きたい――。

 

 そんな思いを募らせていたライオットは、朝からやる気に満ちあふれていた。

 彼はくるりと向きを変えると、カウンターの奥で帳簿をめくる店主モーブルの元へ、足早に歩み寄った。

 

「……モーちゃん。私にも、あれをやらせてほしい」

 

「ぶふぉっ!? あ、あれとは……?」

 

「……お掃除。私、ここで働くって決めたから。お店のお仕事、したい」

 

「ヒィッ!? 滅相もございません! 若様――いや、ライくんにあんな下賤な肉体労働をさせるわけにはッ」

 

「……だめ?」

 

 上目遣いで、少しだけしゅんとした顔を見せるライオット。

 その純粋無垢な瞳の圧倒的破壊力に、モーブルの商人の理性は一瞬で撃沈した。

 

「ま、まぁ……ちょっと箒(ほうき)を使うくらいなら大丈夫かもしれませんな。ラ、ラース! その箒をライくんに渡せ! 貴様は奥の倉庫整理をしてからポーション一式を持ってこい!」

 

「えっ? は、はい。ど、どうぞです、ライさん……」

 

 かくして、ライオットは自ら志願して箒を手にしたのだが――。

 

 バサッ……バサァッ……ッ。

 

 現在、店内に響き渡っているのは、床を掃くというにはあまりにも殺意の高い、不穏な打撃音であった。

 

「……埃(ターゲット)、発見。排除する」

 

 ライは無表情に呟いた。

 その目は、戦場に立つ兵士のように鋭い。

 もっとも、並々ならぬ気迫とは裏腹に、その箒さばきは壊滅的だった。

 

 無理もない。

 雷魔法を得意とする天才である彼にとって、箒とは『飛行魔法で空を飛ぶ際に跨がる道具』であり、床を掃くものでは断じてない。

 おまけに家事はすべて優秀な使用人たちがこなしてきた生粋の箱入りお坊ちゃんなのだから、人生で一度も掃除などしたことがないのだ。

 

 その結果、箒を魔法杖のように妙な角度で構えては力任せに埃を舞い上げ、壁際に追い詰めたと思えば次の一撃で華々しく四散させてしまう。

 もはや掃除というより、埃との局地戦である。

 しかも今のところ、ライオット側が劣勢だった。

 

「……むぅ、きりがない。……それなら――『音無き電撃(サイレント・ボルト)』」

 

 ジュッ、チリリッ。

 

 ライオットの指先から放たれた極小の雷魔法が、空中を舞う埃の群れを一瞬にして精密に狙い撃ち、チリチリと燃やし尽くしていく。

 

「わ、若様ダメですぅ!? この店で魔法は厳禁ですよぉ!」

 

 モーブルが慌てて小声で制止し、客の方へ顔を向ける。

 

(よ、よかった。見られてない……)

 

 幸いにして客足はまばらで、今の光景に気づいた者は誰もいなかった。

 このイングラジア魔導国において、『魔法が使えること』はすなわち『貴族であること』を意味する。

 もし魔法を見られれば、身分を偽っていることが一発でバレてしまう。

 そこから万が一、上級貴族の御曹司を平民の店で泥臭く働かせていることなど露見しようものなら、間違いなく国家反逆罪レベルで裁かれてしまうのだ。

 そんな規格外の新人バイトの奮闘を見守るモーブルの胃袋は、今にも限界を迎えて破裂しようとしていた。

 

(あ、あああああ……しかし若様……! 上級貴族ヴァルディス家の御曹司が……! なんでお貴族様が、自ら進んで平民の店で泥臭く働きたがるんですかなぁ!?)

 

 モーブルはカウンターの陰で膝をガクガク震わせながら、滝のように流れる冷や汗をハンカチで拭った。

 その時だった。

 

「……ん?」

 

 ふいにライオットが箒を持つ手を止める。

 そして、右手の指先をじっと見つめた。

 モーブルの心臓が止まった。

 

「ひっ」

 

 短い悲鳴が漏れる。

 ライオットは小さく眉を寄せながら、指先を親指でさすった。

 

「……少し、痛い」

 

「いっだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 モーブルは叫んだ。

 なぜか本人ではなくモーブルが叫んだ。

 

「どどどどどどどどどこですかな!? お怪我ですかな!? 出血は!? 指ですか!? 指は無事ですかな!? 最高級の治癒ポーションを! いや足りん! 今すぐギルドへ連絡を――いや待て、この国の治癒術師では話に用ならん! ヴァルクリア神聖国からゴールド級の聖魔法士を緊急招集して――!」

 

「……?」

 

 ライオットは不思議そうな顔で首を傾げる。

 そして指先を見つめ、

 

「……あ」

 

「な、なんですかな!?」

 

「……箒を強く握りすぎてただけだった」

 

「そうですかぁぁぁぁぁ……」

 

 モーブルはその場にへたり込んだ。

 どうやら傷ひとつないらしい。

 だが安心したのも束の間だった。

 

(駄目だ……やはり駄目だ……!)

 

 モーブルは確信した。

 そもそも最初の見立てが甘かったのだ。

 

 正直に言えば、ライオットがアルバイトを始めたいと言い出した時、モーブルは「貴族様の気まぐれ」だと思っていた。

 平民の暮らしに興味を持ったのだろう。

 少し働いてみて満足すれば、そのうち飽きて屋敷へ帰る。

 だからこそモーブルは考えたのだ。

 若様にもできるような簡単な仕事だけを任せよう、と。

 

 掃除。

 品出し。

 商品の整理。

 

 誰でもできる単純作業ばかりだ。

 退屈させず、それでいて負担もない。

 そうして適当に時間を潰してもらっているうちに、いずれ本人の方から「もう満足した」と言い出すだろう。

 そう思っていた。

 だが――甘かった。

 よく考えれば、どんな仕事にも危険は潜んでいる。

 

 掃除なら箒のささくれ。

 品出しなら荷物の角。

 商品の整理なら棚への打撲。

 

 ほんの些細な事故であっても、若様の身に何かあれば終わりなのだ。

 この方は働かせるだけでモーブルの寿命を削る災害である。

 だが問題は、正体発覚の危険だけではない。

 本当に恐ろしいのは、その先だ。

 ライオットを働かせること自体が、モーブルの寿命をゴリゴリ削る致命的リスクなのである。

 

 ――ライオットの父、ゼノン・ヴァルディス。

 

 泣く子も黙り、黙った子も失神すると噂される魔導騎士団の頂点。

 そしてイングラジア裏社会の支配者。

 

 もし。万が一。億が一。

 若様が握る竹箒の柄にささくれでもあり、その白魚のような指先に小さなトゲでも刺さろうものなら――翌日には『モーブル商会』が更地になっているであろう。

 

 いや、更地で済めばまだ温情だ。

 ジンジ・モーブルという商人の戸籍、財産、人生設計、将来の夢、さらには存在意義に至るまで、怒り狂ったゼノンの超高位魔法によって跡形もなく蒸発しているだろう。

 たぶん墓標すら残らない。

 

(いかん、いかんぞ! こんな心臓に悪い光景、一秒たりとも見ていられるか! 偽名で誤魔化そうが中身は本物の雲の上のお方! その一挙手一投足が――尊すぎる労働意欲が――わしの命と毛根に悪すぎる!)

 

 モーブルは決意した。

 作戦変更だ。

 当初の計画は、簡単な仕事だけを任せて飽きてもらうことだった。

 

 だが、それは失敗。

 簡単な仕事であろうと、若様が手を動かすだけで危険が発生する。

 

 ならば――。

 何もさせない。

 これしかない。

 もちろん、露骨に「働くな」と言えば機嫌を損ねる可能性がある。

 そこは商人の腕の見せ所だ。

 

 褒める。

 持ち上げる。

 快適な環境を用意する。

 

 そして。

「ここにいるだけで十分役に立っている」と思っていただく。

 そのうち自然と満足し、屋敷へ戻ってくださるはずだ。

 

(若様には申し訳ないですが……これも、若様の身を守るため! そして何より、わしの胃と毛根と人生を守るためですぞぉぉ!!)

 

 冷や汗を拭いながら、モーブルは決死の覚悟でカウンターから飛び出した。

 

 分厚い腹肉を揺らし、全力疾走でライオットのもとへ向かう。

 

「ら、ライくん! お疲れ様ですぞ! 本日の清掃業務はそこまでで完璧に大丈夫ですから! ささ、その……ええと、扱いが非常に難しい『上級者向け庶民用箒』はわしにお任せください! ライくんは奥のVIP用ソファで、ふかふかのクッションに包まれながら特級ハーブティーでもお飲みになっていてくだされェェ!」

 

 揉み手全開で、モーブルはライオットの手から箒を回収しようとする。

 だが、ライオットはこて、と首を傾げると、箒を胸にぎゅっと抱き込んだ。

 

「……だめ。まだ、こっちの隅に残党がいる」

 

「残党!?」

 

「……埃の群れ。壁際に潜伏してる」

 

「ただの隅の埃ですよぉ!」

 

 モーブルは半泣きで叫んだ。

 

「そんなもの見なかったことにすればこの世に存在しないのと同じです! むしろ見なければ平和! 平和こそ正義! それにライくんはうちの『看板息子』なんですから、レジ横でニコニコ座っていてくれるだけで十分すぎるほど店に貢献してるんですよ!」

 

「……看板息子?」

 

「そうですとも! そこにいるだけで人を呼ぶ、生きた『宝招きのカーバンクル』! 歩く『豊穣の精霊』! 光り輝く『伝説の聖遺物』! 我が商会に降臨せし『美少年神』! つまり、こんな下々の肉体労働なんて君の綺麗なお手々でしなくていいのです!」

 

 必死の訴えにも、ライオットは灰色の瞳でじっとモーブルを見つめたまま、静かに、しかし断固として首を横に振った。

 

「……モーちゃん。私、飾りになりたくてここに来たんじゃないよ」

 

「えっ」

 

「……『慟哭の氷窟(どうこくのひょうくつ)』で、モーちゃんは私を助けてくれた」

 

 その一言に、ライオットの脳裏へ、あの色のない氷の地獄がよみがえる。

 味方を信じ、裏切られ、奈落に落ちたあの日。

 何の義理もないただの商人が、血を流しながら自分を庇い、温かいスープを差し出してくれた。

 打算を超えた、底抜けのお人好し。

 その不器用なぬくもりを、ライオットは今も決して忘れていない。

 

「……背中を刺されて血を流してたのに、私を助けてくれて、あったかいスープをくれた。……私、あれ、ちゃんと覚えてる」

 

 淡々とした声だった。

 だが、その言葉だけは不思議なくらいまっすぐで、熱があった。

 

「……まだ恩返し、できてない。だから、モーちゃんの役に立ちたい。モーちゃんのお店のために、私、ちゃんと働きたい」

 

 純度百パーセントの善意。

 打算も裏も欠片もない、真っ白な感謝の言葉。

 

「――わ、若様ぁ……あなたってお方はぁ……ッ」

 

 モーブルの胸の奥で、何かがメリメリと音を立てて崩壊した。

 泥水をすすって生きてきた銭ゲバ商人のドス黒い心臓に、その圧倒的ピュアネスが致死量の劇薬として直撃したのだ。

 

(な、なんだこのピュアネスの塊はァァ!? 顔よし性格よし義理堅い! わしのドス黒い商売魂が浄化されて成仏しそうなんですが!? どっかの金髪高飛車坊っちゃんにも、この若様の爪の垢を特濃で煎じて樽ごと飲ませてやりたいですわ!!)

 

 モーブルは目頭を熱くし、思わず両手で顔を覆った。

 しかし――感動は感動、保身は保身である。

 ここで絆されて本当に働かせ、その尊い指先にささくれの一つでもできようものなら、待っているのは感動の余韻ではなく、あの悪魔のような男、ゼノンによる物理的蒸発(消し炭)だ。

 

「うっ、うぅ……その尊すぎるお言葉だけで、わしはもう一生分の恩返しを受け取った気分ですぞ、ライくん! ですが! やはり怪我の危険が伴う業務は、断じて、絶対にお任せできません! これは、わしの命の危――ごほんっ! 『従業員の安全第一』をモットーとする、我が商会が誇る絶対にして揺るがぬ超絶ホワイト経営方針なのです!」

 

「……なぜ? 私、なんでもするよ。お掃除も、荷運びも、接客も……全部、頑張る」

 

(やる気に満ち溢れているのは涙が出るほどありがたいんですがね!? こっちは冗談抜きで命がかかってるんですよぉ!? つーか、なんで雲の上の大貴族様が、こんな下々の泥臭い労働に全力で前のめりなんですかなぁ!?)

 

 モーブルが心の中で大絶叫していると、店の奥から「よっこらせ」という小さな声とともに、ラースが戻ってきた。

 

「ふぃ……旦那様、倉庫の整理終わりました。在庫のポーション、店頭に補充しておきますね」

 

 ラースは自分の背丈の半分ほどもある木箱を抱え、てきぱきと棚へ向かった。

 瓶のラベルを一瞥し、迷いなく定位置へ並べていく。

 小柄な体に似合わぬ見事な手際。

 どう見ても重労働に慣れきっている。

 

 すると、さっきまで涙ぐんでいたモーブルの態度が、一瞬にしてひるがえった。

 

「おっそいぞラース!! 息を吸う暇があるなら手を動かせ! たとえ過労で死んでも幽霊になって品出しをしろ!」

 

「ヒィッ!?」

 

「おい、それはお前の命よりよっぽど高い特級ポーションだぞ! 万が一にも落として割ったりしたら、お前の向こう三ヶ月の晩飯は『便所の裏の雑草汁』だからな!!」

 

「は、はいぃぃっ! 気をつけてやります!」

 

「……」

 

 先ほどの『従業員の安全第一』という言葉の余韻すら吹き飛ばす、息を吐くようなブラック発言。

 ライオットは無表情のまま、スッとモーブルに顔を向けた。

 

「あ」

 

 モーブルはハッとして自分の口を両手で塞いだが、時すでに遅し。

 ライオットの静かな、それでいて射抜くような視線がモーブルに突き刺さる。

 

「……なるほど。これが『超絶ホワイト』……」

 

「ち、違いますぞライくん!? 今のはその、そう! 彼への高度な愛の鞭というか! 商売人としてのメンタルをオリハルコン並みに鍛え上げるための、当商会独自の特別な教育プログラムなんですよぉッ!」

 

「……教育プログラム?」

 

 ライオットが胡乱(うろん)げに首を傾げたその時。棚に向かっていたラースがパァッと顔を輝かせて振り返った。

 

「はい! 僕、先月も『便所の裏の雑草汁』だけで三日間生き延びたおかげで、ちょっとやそっとの傷んだ飯じゃ絶対にお腹を壊さなくなりました! 旦那様の教育プログラム、ほんとにすごいです!」

 

 健気な100点満点の笑顔で、ラースが最悪の裏付け(アシスト)をしてくる。

 過酷なブラック労働に脳髄まで染まりきった、悲しき社畜の輝きであった。

 しかし――ここで予想外の反応を示したのが、実戦や魔法の英才教育を受けてきた武闘派貴族の跡取りであるライオットだ。

 彼は真剣な顔つきで、小さく「ほう」と感嘆の息を漏らした。

 

「……便所の裏の雑草という極限状態を利用し、後天的に強固な毒耐性を獲得させる。……すごい。実戦を想定した、極めて合理的なサバイバル訓練……」

 

(余計なことを言うな阿呆ラースがぁあああ!!)

 

 モーブルは心の中で血の涙を流しながら大絶叫した。

 滝のような冷や汗で顔をテカテカに光らせながら、限界突破寸前の胃を抱えて必死に話題をねじ曲げにかかる。

 

「そ、そう! そうなんです! ですから、超絶有望な新人であるライくんにも! 本日から我がモーブル商会が誇る『独自の特別教育プログラム』を受講してもらいますぞ!」

 

 先ほどの悪魔のような叱咤から一転。

 モーブルはでれぇっと顔の脂肪をだらしなく緩ませると、まるで神仏でも崇めるかのように恭しく両手を広げた。

 

「ライくんはまだ二回目の出勤ですからな! 今日は何一つせずに、ただそこにあるふかふかの椅子に座って、優雅にお茶をすすりながら店の様子をじっくりと見つめる……名付けて、最高難易度の『完全見学』に徹してください!」

 

「……見学? でも、私、働きた――」

 

「いえいえいえ!」

 

 ライオットの純粋な労働意欲を、モーブルは食い気味に遮った。

 

「見て学ぶ! 座って学ぶ! 微動だにせず学ぶ! ええ、これぞ我が商会が誇る最先端教育です!」

 

(頼むから大人しくオブジェのように座っていてくだされぇぇ! 下手に動いて指先に擦り傷でも作ろうものなら、あなたの親父殿の魔法でわしの首がちょんちょんぱっぱーにされちゃうんですからぁぁ!)

 

 内心の血を吐くような絶叫を、分厚く胡散臭い満面の笑みで塗り潰し、モーブルはレジ横のVIP用チェアを恭しく引いた。

 そして、クルッと首だけを回し、ラースに向けてドスの効いた声を飛ばす。

 

「おい、ラース! わしはちょいと往生際の悪い債務者どもから、未回収の売掛金を回収してくる! くれぐれも、お客様に粗相のないようにしっかり店番をしとけよ! あとライくんには、棚の一番上にある特級の高級茶を淹れて差し上げるんだぞ! いいな!」

 

 そう言い残すと、モーブルはくるりと身を翻し、またすぐライに向き直った。

 

「ではライくん、行ってまいります! くれぐれも、『何かお手伝いしよう』などという尊すぎる発想は絶対に封印してくださいねぇ! ふひひっ!」

 

 揉み手とともに深々と一礼し、モーブルは嵐のような勢いで店を飛び出していった。

 バタンッ、という派手な音を立てて木製のドアが閉まり、ドアベルがカランカランとけたたましく鳴り響く。

 その余韻が消え去ると、店内には急にぽっかりと穴が空いたような、奇妙な静寂が訪れた。

 残されたのは、竹箒を抱えたまま立ち尽くすライオットと、重い木箱を抱えたラースの二人だけである。

 

「…………えと……僕たち、二人きりになっちゃいましたね……」

 

 店主の背中を見送りながら、ラースが所在なさげに呟く。

 

「……うん」

 

「えと、あの……」

 

 分厚いメガネの奥の灰色の瞳が、じっとラースを見つめてくる。

 

(……な、なんだろう……この空気)

 

 突然雇われた謎の新人、ライ。

 

 確かに、モーブルが好みそうな整った顔立ちをしている。

 けれど態度は控えめで、大人しく、どこにでもいそうな少年にしか見えない。

 

 ――なのに。

 

 あの旦那様が、ただのアルバイト相手に異常なほど気を遣っている。

 それもまるで、平民が決して触れることのできない雲の上の存在を相手にしているかのように。

 

(……絶対に、普通の人じゃない)

 

 長年モーブル商会で働いてきたラースの勘が、そう告げていた。

 何者なのかは分からない。

 けれど、少なくとも簡単に踏み込んでいい相手ではない。

 そんな相手と二人きりにされたことに、ラースの背中をじわりと冷たい汗が伝った。

 

 ――それでも。

 

 ラースは小さく息を吐いた。

 自分は、この店を任された店員だ。

 奴隷として扱われていた自分を引き取り、商人見習いとして育ててくれたのはモーブルだった。

 あの日からずっと、旦那様は自分をただの道具ではなく、一人の人間として扱ってくれた。

 

 だからこそ。

 ここで怯えて何もできない姿を見せるわけにはいかない。

 それは、拾ってくれた恩人の顔に泥を塗ることと同じだ。

 

(……大丈夫。僕はモーブル商会の店員なんだから)

 

 ラースは両手で自分の頬をパンッと叩いた。

 気持ちを切り替え、ぐっと胸を張る。

 

「あの……ライさん」

 

「……?」

 

「旦那様がおっしゃった通り、今日はそこの椅子に座っていてくださいね」

 

 ラースはできるだけ笑顔を作った。

 

「お仕事は僕がやりますから。今日は、その……見学ということで」

 

「……うん」

 

 相槌は素直だった。

 だが、分厚いメガネの奥にある灰色の瞳はひどく静かで、何を考えているのかまったく読めない。

 見つめられるプレッシャーに耐えかねたラースは、ペコリと小さく頭を下げると、逃げるようにそそくさと自分の作業へと戻っていった。

 

 奇妙な静寂が落ちた店内で、ライオットは言われた通りふかふかの椅子に腰掛けた。

 聞こえてくるのは、店内を忙しなく動き回るラースの小さな足音と、色とりどりのポーション瓶が触れ合う「カチャ、カチャ」という小気味よい音だけ。

 ライオットは両手を膝の上でぴしりと行儀よく揃えたまま、微動だにしない。ただひたすらに、ラースの仕事ぶりを穴が開くほど食い入るように見つめ続けていた。

 

(……迷いがない。流れるような動線。ガラス瓶を扱う手つきの繊細さ。棚の空きと在庫を同時に把握する視野の広さ……)

 

 貴族として育ち、整えられた環境で何不自由なく暮らしてきたライオットにとって、それは未知の技術だった。

 過酷な魔法の鍛錬ならいくらでも積んできたし、魔獣との命のやり取りも経験してきた。

 だが、自ら汗を流して店を回す『働く技術』は、彼の知らない別種の実戦だったのである。

 

 やがてライオットはすっと立ち上がると、とてとてとラースの横へ歩み寄り、ぴたりと直立不動で並んだ。

 

「……」

 

「……えっ、と……ライさん?」

 

 突然すぐ横に立たれ、ラースはびくりと肩を震わせた。

 穏やかな少年に見える。

 けれど、どこか底が見えない。

 あの旦那様があれほど気を遣う相手なのだ。

 絶対に普通ではない。

 

(な、何か失礼なことをした……?)

 

 そんな不安が胸をよぎった、その瞬間。

 

「……すごい」

 

「え?」

 

「ただ瓶を並べているだけに見える。でも、そこには理由がある」

 

 ライオットの灰色の瞳は、真剣そのものだった。

 

「取り出しやすい位置。残量の確認。次に必要になる商品の予測……全部が無駄なく繋がっている」

 

「い、いえ……そんな大したことじゃ……」

 

 ラースは困ったように笑う。

 

「ただ、毎日やっていることを繰り返しているだけですから……」

 

「……それが、すごい」

 

 即答だった。

 

「毎日同じことを、同じ精度で続ける。それは簡単なことじゃない」

 

 その言葉に、ラースは言葉を失う。

 そんな風に、自分の仕事を見てくれた人は今までいなかった。

 

 次の瞬間。

 ライオットはラースの小さな手を、両手でそっと包み込んだ。

 

「ひゃっ!?」

 

「……ラース先輩」

 

 真っ直ぐな灰色の瞳が、至近距離からラースを射抜く。

 

「……私に、お店のお仕事教えて……ください。私、モーちゃんの役に立ちたい……。先輩みたいに、強くて無駄のない立派な店員になりたい……」

 

「せ、先輩!?」

 

 ラースの目がまん丸になる。

 物心ついた頃から奴隷として生きてきた彼にとって、誰かから敬意を込めて『先輩』と呼ばれるなど、これまでの人生で一度たりともなかった出来事だ。

 

「あ、あの、僕なんかがお仕事を教えるなんて、そんな……恐れ多すぎます……っ。それに……勝手なことをしたら旦那様に怒られちゃいますし……」

 

「……だめ?」

 

 こてん、と。

 ライオットが無表情のまま首を傾げた。その分厚いメガネの奥の瞳が、かすかに、しかし確かに潤んでいるように見えた。

 ――その破壊力は、雨の日に捨てられた子犬の完全上位互換だった。

 

「うぐっ……!」

 

 ラースは思わず胸を押さえた。

 こんな真っ直ぐで純粋な眼差しを向けられて、心優しい少年に断れるはずがない。

 

「……わ、わかりました。僕でよければ……精一杯教えます。ただ、旦那様には内緒ですよ? 危ないことは絶対にさせませんから」

 

「……うん」

 

 ライオットの表情は相変わらず薄い。

 けれど。

 

「よろしくお願いします。ラース先輩」

 

 その声には、確かな喜びがあった。

 灰色の瞳が、わずかに輝く。

 その純粋な反応に、ラースも思わず頬を緩めた。

 

「僕が……先輩かぁ……えへへ……」

 

「……?」

 

「はっ!? す、すみません! それじゃあまずは、基本中の基本……商品の見分け方からですね!」

 

 すっかり『先輩』という響きに心をくすぐられたラースは、照れくさそうにしながらも、どこか嬉しそうに小さな胸を張った。

 

 そして――。

 騒がしい店主が一時退避した店内で。

 小さな先輩ラースによる、規格外の新人ライへの『はじめてのアルバイト研修』が静かに始まった。

 

「ライさん、まずポーションは色で効果が分かれているんです」

 

 ラースは棚から一本ずつ瓶を取り出して説明する。

 

「青は体力回復。紫は魔力回復。緑は解毒です。間違えて渡してしまうと、冒険者さんの命に関わることもありますから……ここは特に注意してください」

 

「……青が体力。紫が魔力。緑が解毒」

 

 ライオットは一度だけ頷く。

 そして、恐ろしく真剣な顔になった。

 

「これは……戦場で仲間の生死を左右する、重要な判断だということ」

 

「え、ええと……」

 

 ラースは苦笑する。

 

「そ、そこまで大げさなものじゃないですよ……! でも、旦那様も僕も、来てくださったお客様に安心してお買い物をしてもらえるお店にしたいって思っているんです。だから、この街で頼ってもらえる『モーブル商会』の名前に恥じないように、毎日のひとつひとつの仕事を大切にしています」

 

「……理解した」

 

 ライオットは受け取った青いポーションを、光に透かして眺める。

 

「……綺麗」

 

 しばらく観察したあと、ふと尋ねた。

 

「これ……ラース先輩が全部管理しているの?」

 

「はい」

 

 ラースは頷いた。

 

「魔法使いの方から仕入れたり、旦那様が錬金術で作ったものを、僕が毎日確認して整理しています」

 

「……」

 

 ライオットは棚を見る。

 整然と並んだ瓶。

 隙間なく管理された在庫。

 必要なものが、必要な場所にある。

 

「……ラース先輩」

 

「はい?」

 

「この店の守護神みたい」

 

「しゅ、守護神!?」

 

 突然の大役を任命され、ラースの顔が一気に赤くなる。

 

「そ、そんな大げさなものじゃないですよ!? でも……お店の仕事って、毎日の家事と似ているんです」

 

 ラースは少し照れながら説明した。

 

「店を綺麗にして、道具を整理して、足りないものを確認して……。とにかく当たり前のことを毎日しっかり続けることが大事なんです」

 

「……家事」

 

 ライオットは静かに呟く。

 

「つまり、この陣地(お店)を維持するための、最も重要な兵站(へいたん)」

 

「えっ」

 

「家事……恐るべし」

 

「いや、急に物騒な方向へ行かないでください!?」

 

 ラースは慌てて手を振った。

 

「ええと……次は、お客様がいない時間の仕事ですね」

 

 気を取り直して説明を続ける。

 

「暇な時間は商品の確認や整理整頓、それから清掃をします」

 

「……待機中に戦力を整え、戦場を維持する……」

 

「(やっぱり分かってない……!)」

 

 ラースは心の中で呟いた。

 

「よ、よし! 次はカウンターの拭き掃除です!」

 

 布巾を手渡す。

 

「ただし、絞り方が大事ですよ。水気が残っていると木が傷んでしまうので、しっかり硬く絞ってください」

 

「……硬く絞る」

 

 ライオットは布巾を受け取る。

 

「理解した」

 

 ライは神妙な顔で頷くと、濡れた布巾を両手で受け取った。

 その灰色の瞳には、先ほど埃の残党と死闘を繰り広げていた時と同じ、妙に張り詰めた光が宿っている。

 

 だが――当然ながら、彼は雑巾の絞り方など知らない。

 

 ライオットにとって布巾とは、せいぜい使用人が優雅に机を拭いているのを遠目に見たことがある程度の代物であり、自分で扱う道具ではなかった。

 ゆえに彼はまず、布巾を横にぴんと張って構えた。

 なぜか少し腰まで落としている。

 完全に戦闘態勢である。

 

「……やる」

 

「えっ」

 

 次の瞬間、ライは布巾を握る両腕にぐぐっと力を込めた。

 

「……んっ!」

 

 にゅううううう……ッ!

 

 気合は凄まじかった。

 しかし力の入れ方が根本的におかしい。

 

 両手でただ左右に引っ張っているだけなので、布巾はぎちぎちに張るばかりで、ほとんど水が落ちない。

 しかも途中から「これでは足りない」と判断したのか、今度は片方だけを無理やり捻り始めたせいで、布巾がぐにゃりと歪み、溜まっていた水がぴしゃっとライの頬に飛んだ。

 

「……っ!?」

 

「ら、ライさん!? 大丈夫ですか!?」

 

 ライは無表情のまま、頬についた水滴をすっと指でぬぐった。

 そして布巾を見つめ、静かに分析する。

 

「……強い。これ、かなり手強い」

 

「雑巾に感想を言ってる場合じゃないですよぉ!」

 

 それでも諦めないライは、今度は布巾を棒でもねじ切るように、手首だけで無理やり回そうとした。

 だが、細い腕ではうまく力が噛み合わず、布巾はふにゃふにゃと情けなく潰れるばかりである。

 先ほどまでたっぷり含んでいたはずの水も、ぽた……ぽた……と、敗残兵のようにわずかに落ちるだけだった。

 

「……おかしい。手応えはあるのに、制圧できない」

 

「制圧ってなんですか……!」

 

 ラースは思わずつっこんでから、はっとしたように咳払いをした。

 そして少しだけ得意げに胸を張ると、先輩らしく布巾を受け取る。

 

「ライさん、そんなに力いっぱいじゃなくていいんですよ。布巾は横じゃなくて、縦に持つんです」

 

「……縦」

 

「はい。こうやって、地面に対してまっすぐ立てる感じで持って、右手と左手を『順手』と『逆手』で握って……こうです!」

 

 キュッ、ギュギュッ。

 

 ラースが軽く手首を返しただけで、布巾の奥に溜まっていた水がするすると流れ落ちる。

 力任せではない、無駄のない鮮やかな手本だった。

 

 その瞬間、ライの目が雷に打たれたように見開かれる。

 

「……力任せにねじ伏せるのではなく、力の流れそのものを制御している……!」

 

 ライは衝撃に打たれた顔で、ラースの手元を凝視した。

 

「……最小の力で最大の脱水効果。無理に圧殺するのではなく、内部に滞留した水分の逃げ道を作っている……。なんという洗練された技術……これは、高位魔法の魔力操作とまったく同じ理屈……!」

 

「だ、だからお掃除はそんな大層なものじゃないですってば!」

 

 ラースの的確なツッコミもどこ吹く風。

 ライは尊敬の眼差しで布巾と先輩を交互に見つめると、こくりと重々しく頷いた。

 

「……雑巾絞り、奥が深い」

 

 その声は、未知の秘術に出会った探究者そのものだった。

 

 

◆

 

 そんな和やかな研修が続いていた、昼下がりのことである。

 

 カランコロン、とドアベルが鳴った。

 背丈ほどもある荷袋を背負った小男が、にこにこしながら店に入ってくる。

 

「こんにちはだ! 頼まれてた素材、どっさり持ってきましただ!」

 

「アックスさん! お疲れ様です!」

 

 モーブル商会お抱えの荷運び人、アックスの顔を見て、ラースはぱっと表情を明るくした。

 

「今回はあの双子の天使様たちが、すっごく頑張って大量に集めてくれただよ! 早く旦那様に見せて、たまげさせたいだなぁ」

 

「ふふっ、それは見応えがありそうですね。でも旦那様は今お出かけ中なんです。素材の検品は僕がやりますから、そのまま倉庫へお願いします」

 

「なんだ、いないのかぁ。わかっただ!」

 

 ラースはアックスを連れて倉庫へ向かいかけたが、ふと振り返ってライに言った。

 

「あ、ライさん! 僕、すぐ戻りますから! もしお客様が来ても、本当に『何もせず』に待ってもらってくださいね! いいですか、見学ですからね!」

 

 そう念押しし、二人は倉庫へ消えた。

 

 ――そして、そのほんのわずかな隙だった。

 

 カランコロン、と再びベルが鳴る。

 今度は着古した革鎧に刃こぼれした剣を下げた青年が入ってきた。

 首元にはブロンズクラスを示す冒険者プレートが下がっている。

 モーブル商会にも何度か買い物に訪れている顔馴染みの一人だ。

 

「す、すいません! いい剣、ありますか? 明日、ゴブリン討伐に行くんですけど、今回は初めて『東の森』のクエストを受けることになって……。今の剣じゃちょっと不安で」

 

(……モーちゃんも、ラース先輩もいない。後方支援はゼロ……)

 

 ライはぴんと背筋を伸ばした。

 いま、この前線を預かっているのは自分だけ。

 先輩が戻るまで、この防衛線は自分が守らねばならない。

 

「……いらっしゃいませ」

 

 ライはメガネの位置をくいっと直し、無表情のまま、しかし内心の闘志に燃えながら青年の前に立った。

 記念すべき、初めての『実戦(接客)』である。

 

「あ、えっと見たことない顔だけど……君、新人かな? 店主のモーブルさんはいる?」

 

「……モーちゃん、いまいない。集金という名の、血を洗う戦いに出掛けてる……」

 

「そ、そっか……いつもモーブルさんにいい武器を見繕ってもらってたんだけど……仕方ない、別の店で探すか……」

 

(――お客様が、帰る)

 

 ライの脳内に警報が鳴り響いた。

 利益の損失。戦果の逸失。

 これは陣地を預かる身として、断じて看過できない事態である。

 

「……待って。お客様」

 

「ん?」

 

「……私、選び、ます。お客様の、剣」

 

「新人の君が? 武器のこと、わかるのか?」

 

「……うん。私、魔導具の目利きには、少し自信ある」

 

 それは「少し」などという可愛らしい謙遜では済まされない。

 

 カヴェナの冒険者たちを畏怖させる『葬送の雷光(フューネラル・ボルト)』の異名を持つゴールド級の冒険者にして、最高峰たるマーリン魔法大学を飛び級で――あのニーシャ・オブライエンに次ぐ次席で卒業を果たした、規格外の天才。

 魔導具の鑑定にも、当然のように卓越した能力を有しているのである。

 

 だが、当然ながら目の前のブロンズ冒険者に、そんなバケモノじみた経歴など知る由もない。

 青年は、伊達メガネの奥から放たれる少年の底知れない凄みにわずかに気圧されたように頭を掻くと、やれやれと苦笑交じりにため息をついた。

 

「魔導具に詳しい新人ねぇ……ま、いっか。じゃあ、魔力補正がついてるコスパのいい剣を見繕ってくれ。モノはそうだな……明日、大量のゴブリン相手に『確実に無双できる』やつがいいんだが……」

 

 青年はそこで言い淀み、情けなさそうに懐の小袋をチャリッと鳴らした。

 

「……申し訳ないが、予算は『銀貨二十枚』が限界で……」

 

 極小の予算と、都合の良すぎる過大な要望。

 それを聞いたライは、無表情のまま脳内の戦術知識をフル回転させた。

 

 大量の敵。確実な勝利。絶対の無双。

 それは、名門ヴァルディス家の英才教育で骨の髄まで叩き込まれた『戦場での絶対法則』に他ならない。

 

「……少々、お待ち、ください」

 

 ライはスタスタと店の一角にある、厳重なガラスケースの前に向かった。

 それは、一般客には到底手が届かない、モーブルが店の威信を懸けた『見せ球』として飾っている特級品コーナーである。

 ライはケースの裏側に施されていた強固な魔力錠に手をかざすと、指先からパチッと小さな雷魔法を流し込んであっさりと解錠し、ためらいもなく一本の剣を引き抜いて戻ってきた。

 

「……これ、おすすめ。確実に、無双できる」

 

「おおっ!? な、なんだその剣! 鞘から抜いてないのに、隙間から青白い雷がバチバチ鳴って漏れ出てるぞ!?」

 

 青年が腰を抜かさんばかりに驚くのも無理はない。

 ライが真顔で差し出したのは、かの伝説のハイエルフ、セシル・エンデヴィールが鍛え上げた刀身に、古代の雷の魔法陣を刻み込んだ特級の一振り――『雷竜の牙剣』だった。

 

「……これ、軽く振るだけで、雷の刃が飛ぶ」

 

「へえっ、そいつはすげえ! 相手に近づかなくても遠当てができるってことだろ? 安全に攻略ができていいな!」

 

「……うん。射程も長い。ゴブリンの群れごと丸焼きにできる」

 

「そいつはすげえな! でもブロンズの俺にそれ扱えるかな」

 

「…………問題ない。その気になれば――この森ごと、ゴブリンの巣を地図から消せる」

 

「森ごとぉ!?」

 

「……ごめんなさい。少し、大げさに言った」

 

「だ、だよな! ははっ、びっくりさせやがって……」

 

「……魔力のないお客様の場合、森の半分を灰にするのが精一杯だった」

 

「そういう問題じゃねえよ!! なんだよその物騒すぎる代物は!?」

 

 新人店員の真面目かつ物騒極まりない訂正に、駆け出し冒険者の顔はドン引きの恐怖で引きつっていた。

 

「あ、あの……ちなみに、おいくらで……?」

 

「……かなり安い。金貨五百枚」

 

「どこが安いんだよ!? 俺の予算、銀貨二十枚だぞ!? 五千倍も離れてんじゃねーか!?」

 

「……うん。でも大丈夫」

 

 ライは無表情のまま、平民服のポケットから分厚い小切手帳を取り出した。

 

「……足りない分、私が出す」

 

「見ず知らずの店員が、なんで代金の99.9%以上を肩代わりしようとしてんだよ!?」

 

「ラ、らららららライさぁぁぁぁん!! ストォォォップですぅううう!!」

 

 青年が渾身のツッコミを入れたまさにその瞬間、地下の倉庫から悲鳴を上げて飛んできたラースが、見事なスライディング土下座の勢いで二人の間に割って入った。

 

「ライさぁん!? お客様に自腹で商品を買ってあげる店員がどこにいるんですか!? というかその剣、ゴブリン退治に使ったらオーバースペックすぎて、討伐証明の耳どころか森の生態系ごと消し炭になっちゃいますよぉ!」

 

 息を切らしながらも、ラースはすぐさま客の前にすっと立ち直り、深く頭を下げた。

 

「申し訳ありません! この子、まだ新人でして! ええと、明日東の森ですね。あそこは湿気が多いので、安物だとすぐ錆びます。でしたらこちらの『油焼きの鉄剣』はいかがでしょうか。銀貨十六枚です。刃こぼれしにくく、扱いやすいですよ」

 

 さらにラースは下級ポーションを二本差し出した。

 

「残りの銀貨四枚で、これを買っておけば怪我をしても立て直せます。初めての討伐で大事なのは、無双することより、生きて帰ることですから」

 

 青年の顔がぱっと明るくなる。

 

「おお……! 確かにそうだ! ありがとう、そのセットで頼むよ!」

 

 銀貨二十枚が手渡され、剣とポーションが収まり、客は満足げに去っていった。

 綺麗に完結した、完璧な商いだった。

 その一部始終を横で見ていたライは、手の中の魔剣を握ったまま、彫像のように固まっていた。

 

「………………」

 

「はっ!? ラ、ライさん、ごめんなさい! せっかく初めての接客だったのに、僕が横から出しゃばっちゃって……!」

 

 慌てて謝るラースに、ライは静かに首を振った。

 そして、メガネの奥の瞳をこれまでにない熱量で輝かせる。

 

「……ラース先輩」

 

「ひゃいっ!?」

 

「……すごい。火力による殲滅ではなく、限られた予算で生存率を最大化する完璧な戦術……。これが、本物の『商人』……!」

 

「ええっ!? た、ただの見習いの提案ですよ!」

 

 ライは熱っぽい吐息を漏らし、ラースの小さな手を両手でぎゅっと握った。

 

「……私、先輩の背中を見て学びたい。陣地を維持するお掃除も、完璧な兵站を生み出す整理整頓も……そして、あらゆる死地をくぐり抜ける『家事』もぜんぶ。私、いつか先輩みたいに、一人で最前線を支える『最強の店員』になりたい」

 

「だ、だから僕はそんな大層な歴戦の勇者じゃないですからぁ! ただ毎日雑用してるだけの下っ端ですからぁ!」

 

 顔を羊の角の根元まで真っ赤にして困惑する、心優しい魔族の少年。

 そして彼を『究極の仕事人』だと本気で勘違いし、純度100%の尊敬を向ける一級の魔法使い。

 

 奇妙で、ちぐはぐで、けれど不思議とひだまりのように温かいその師弟関係は、カヴェナの小さな商店の片隅で、いま静かに産声を上げたのだった。

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