※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第五十九話 おしゃべりエルフと古代の『問いかけの箱』⑦

 深い森を抜け、無事にヴァーゼルへ帰還した三人が、町の東端にある古い孤児院を訪れたのは、その日の黄昏時だった。

 

 夕日に照らされた石造りの建物は、長年の風雨と深刻な資金難を、何も語らずとも物語っていた。

 外壁には細かな亀裂が網の目のように走り、屋根はところどころ瓦が抜け落ちている。応急処置として打ちつけられた板には、何度も雨に濡れた黒い染みが残っていた。

 質素な中庭では、十人ほどの幼い子供たちが、古布を丸めて紐で縛った手作りのボールを、夢中になって追いかけている。

 着ている服には継ぎ当てが目立つ。

 それでも、子供たちの笑い声だけは、貧しさなど知らぬように明るかった。

 

「おや。お客様でしょうか」

 

 入口で三人を迎えたのは、白髪交じりの髪を後ろで束ねた、穏やかな老婦人だった。

 

「私は、この孤児院の院長を務めております、マルタと申します」

 

「突然の訪問をお許しください。私は、ジョージ・ウィルハルケンです」

 

 ジョージが名乗った瞬間、マルタの細められていた目が、驚きに大きく見開かれた。

 

「ウィルハルケン……様?」

 

「はい。亡き父ジョハンが遺した、ある品を探して、こちらへ参りました」

 

 マルタは、亡き人の面影を探すように、しばらくジョージの顔を見つめていた。

 やがて目元をわずかに緩め、静かに頭を下げる。

 

「……いつか必ず、お越しになると思っておりました」

 

「私がこちらへ来ることを、ご存じだったのですか?」

 

「ええ。先代様から、あなた様がいらしたときにお渡しするよう、大切に預かっている品がございます」

 

 三人は一斉に顔を見合わせた。

 

「第五の歯車ですか!」

 

 ジョージが思わず一歩踏み出す。

 しかし、マルタはすぐには頷かなかった。

 

「ただし、お渡しするための条件も、先代様から厳しく言い渡されております」

 

「条件……ですか?」

 

「はい。まずは、この孤児院の現状をご覧くださいませ」

 

 マルタに案内され、三人は薄暗い建物の中へ足を踏み入れた。

 食堂には、何度も釘を打ち直して補強された古い長机。

 寝室に並ぶ寝台には、すり減って薄くなった毛布が、一枚ずつ置かれている。

 台所の食料庫を覗けば、転がっているのは小ぶりの芋と、袋の底へわずかに残った乾燥豆だけだった。

 育ち盛りの子供たち十人が、冬を越せる量には到底見えない。

 

「……随分と厳しい状況ですな」

 

 モーブルが食料棚の残量を一目で見抜き、低く呟いた。

 

「以前は、もう少しだけ余裕がございました」

 

 マルタが申し訳なさそうに肩を縮める。

 

「先代様が毎月、まとまった額を寄付してくださっていたのです」

 

「父上が、この孤児院へ?」

 

「ええ。ただし、ご自分の名は決して明かすなと、強く言われておりました」

 

 マルタは、懐かしそうに微笑んだ。

 

「『子供たちが、特定の貴族へ恩や負い目を感じる必要はない。誰に助けられたかではなく、自分たちが大切にされるべき存在なのだと知ってくれればよい』と」

 

 ジョージは、棚の中に残されたわずかな食料を痛ましげに見つめた。

 

「ですが、父が亡くなってからは……」

 

「寄付も途絶えました」

 

 マルタは静かに頷いた。

 

「もちろん、ウィルハルケン家が多額の債務を抱え、大変な状況にあることは存じております。決して、あなた様を責めるつもりはございません」

 

「今は、どうやって子供たちを養っているのですか?」

 

「ヴァーゼルの方々が、売れ残った食料や古着を、少しずつ分けてくださっています」

 

 だが、その声は次第に暗くなっていった。

 

「それでも、建物の修繕までは手が回りません。屋根の傷みもひどく、このまま本格的な冬を迎えれば、子供たちが寒さをしのげるかどうか……」

 

 ジョージは反射的に、腰の金貨袋へ手を伸ばした。

 

「それなら、私が――」

 

 袋の口へ指をかける。

 だが、紐を解く寸前で、その手が止まった。

 脳裏へ浮かんだのは、中央市場で交わしたモーブルの言葉だった。

 

 今日の銀貨を得るために、明日から金貨を生む店を潰してはならない。

 そして、西部開拓畑で学んだこと。

 守りたいという感情だけでは、債権者を納得させることも、働く者たちの暮らしを支え続けることもできない。

 

「……違う」

 

 ジョージが、小さく呟いた。

 

「男爵様?」

 

 マルタが不安そうに問いかける。

 モーブルは何も言わず、腕を組んだままジョージを見ていた。

 金貨をすべて差し出すつもりだったことも、それでは問題を先送りするだけだと気づいたことも、すでに見抜いているようだった。

 

「今、私の財布にある金をすべてお渡しすれば、屋根は直せるでしょう。食料も、しばらくは買える」

 

 ジョージは、ゆっくりと金貨袋から手を離した。

 

「ですが、それだけでは来月、また同じように困ることになります」

 

「……はい」

 

「その次の月も、来年の冬も」

 

 ジョージは食料庫を見渡した。

 

「父の寄付が途絶えただけで、これほど苦しくなったということは、この孤児院の暮らしが、父一人の善意へ依存していたということです」

 

 責める口調ではなかった。

 むしろ、父のやり方を無条件に正しいと思い込んでいた自分へ言い聞かせるような声だった。

 

「父上の慈しみは本物だったと思います。ですが、父上がいなくなったあとも続く仕組みまでは、残せなかった」

 

 その言葉に、マルタは寂しそうに目を伏せた。

 

「ならば私は、今ここで金貨を渡して終わるのではなく、この子たちが明日も、その次の日も暮らしていける方法を考えなければならない」

 

 ジョージは、改めて室内を見回した。

 

 食料。

 寝台。

 傷んだ壁。

 何度も修繕された机。

 そして、窓際へ目を向けたとき、いくつもの小さな布袋と、丁寧に編まれた籠が並んでいることに気づいた。

 

「マルタ院長。あれは?」

 

「あちらですか?」

 

 マルタは窓際へ歩み寄り、布袋を一つ手に取った。

 

「年長の子供たちと、近所の女性たちが作ったものです」

 

「子供たちが?」

 

「将来ここを出たあと、働くための技術を一つでも身につけられるよう、裁縫や籠編みを教えております」

 

 ジョージは布袋を受け取り、不慣れな手つきで縫い目を確かめた。

 布そのものは古く、糸も決して上等ではない。

 だが、縫い目はきれいに揃い、底の部分は何重にも補強されている。

 続いて籠を持ち上げる。

 

「軽いのに、しっかりしていますね」

 

「まだ不格好なものも多いのですが、皆、一生懸命に作っております」

 

「これを売ったことは?」

 

「中庭で小さな市を開いたことはございます。ですが、売り先も分からず、材料を買い足す余裕もなく……」

 

「では、作る技術はあるのに、材料と売る場所がないのですね」

 

「はい」

 

 ジョージは布袋と籠を見つめた。

 昨日までなら、それを見ても「かわいそうな子供たちが作った物」としか思わなかったかもしれない。

 だが今は違う。

 市場で、人と品と金が巡る光景を見た。

 果樹園では、良い物を作るだけでなく、それをどう売り、どのような価値を与えるかが重要だと学んだ。

 ジョージは、籠の中へ何かを入れるように、両手で形を確かめる。

 

「……果物」

 

 ジョージの視線が、窓際の籠からモーブルへと動いた。

 その瞳に、はっきりとした熱を帯びた光が宿る。

 

「男爵様?」

 

「西部開拓畑の果物です」

 

 ジョージの表情が、みるみるうちに生気を取り戻していく。

 

「モーブル殿は以前、最上級の果実を『ヴァーゼル産』の特産品として売り出すため、一つずつ丁寧に梱包すると仰っていましたね」

 

 モーブルの太い眉が、ピクリと動いた。

 

「確かに申しましたな」

 

「その果物を入れる籠を、ここで作れないでしょうか」

 

 ジョージは手にした籠を、モーブルの目の前へ差し出した。

 

「最上級の白桃やマスカットを、ただ無骨な木箱へ詰めるのではなく、この手編みの籠へ美しく収める。布袋には、乾燥イチジクや干し葡萄を小分けにして入れるんです」

 

「ん、なるほどぉ!」

 

 ネリオが、パチンと指を鳴らして面白そうに目を細めた。

 

「果物の包装を、孤児院の仕事にするんですねぇ!」

 

「はい。ただし――」

 

 ジョージは、すぐに言葉を続けた。

 

「『孤児が作ったから買ってください』という、哀れみを誘う売り方には絶対にしたくありません」

 

 モーブルの目が、わずかに鋭さを増す。

 

「それは……なぜ、ですかな?」

 

「同情だけで売れた物は、人々の同情が薄れれば途端に売れなくなるからです」

 

 ジョージは、自分の出した答えを確かめるように、一つ一つの言葉を力強く紡ぐ。

 

「それでは、一時しのぎの寄付と何も変わりません。品質のよい果実には、それにふさわしい品質の籠と袋を合わせる。彼らの手仕事そのものに確かな価値を持たせ、一つの『商品』として正当な対価を支払うべきです」

 

「ほう」

 

「果樹園は、果物を傷めずに運び、より美しく見せる入れ物を得る。孤児院には継続的な仕事と収入が入り、子供たちは将来役立つ技術を学べる。そしてモーブル商会には、完成した特産品をカヴェナや帝都へ卸すことで、確かな利益が入る」

 

 モーブルの口角が、ゆっくりと持ち上がった。

 

「つまり、わしへ寄付を頼むのではないと?」

 

「はい」

 

 ジョージは緊張でわずかに拳を握り締めながらも、はっきりと言い放った。

 

「ですからこれは、お願いではありません。ウィルハルケン家当主としての――商談です」

 

 その堂々たる一言に、モーブルの眉が跳ね上がった。

 ネリオが横で、ヒューと小さく口笛を吹く。

 

「モーブル殿。モーブル商会から、裁縫と籠編みに必要な材料を調達していただけませんか」

 

「無償でやれと?」

 

「いいえ。適正な価格で」

 

「ふむ」

 

「最初の材料費は、私が初期投資として負担します。ですがそれ以降は、完成品の売上から次の材料を仕入れられるよう、資金を循環させます」

 

 ジョージは続けた。

 

「製品の大きさや形、強度には厳格な基準を設けます。合格した品だけを果樹園やモーブル商会が買い取る。不合格なら、どこが悪かったのかをきちんと教えて、作り直してもらう」

 

「随分と厳しいですな。相手は孤児ですぞ」

 

「だからこそです」

 

 ジョージに、もはや迷いはなかった。

 

「同情で粗悪な品を買い取ってしまえば、子供たちは『本当に売れる物を作る技術』を一生身につけられません」

 

 マルタ院長が、信じられないものを見るようにジョージを見つめている。

 

「もちろん、幼い子供に無理な労働をさせるつもりはありません。年長の子供が、学びや遊びの時間を損なわない範囲で参加する。近所の女性たちには指導役として、きちんと賃金を支払います」

 

「材料の管理と、完成品の検品は誰がやる?」

 

「孤児院だけに任せず、果樹園側と私の屋敷から一人ずつ担当者を出して確認させます」

 

「果実の収穫が失敗した年はどうする?」

 

 モーブルが、容赦なく次々と実務的な質問を投げつける。

 

「果物の籠だけへ依存しません。同じ規格の籠を、ヴァーゼルのパン屋やカヴェナの菓子店、宿屋にも売り込みます。布袋も乾燥果実用だけでなく、パンや小物入れとして使える汎用的な形にする」

 

「売り先を一つに絞らず、危険を分散するわけですな」

 

「はい。市場で、一つの店や一人の客だけに頼る危うさも見ましたから」

 

 モーブルは黙った。

 太い腕を組み、目の前に立つ若者をじっと見つめている。

 

 ほんの数日前まで、帳簿の数字を読むだけで、その向こうにいる人々の暮らしを想像すらできなかった若者。

 身を削って金を渡すことだけが、誰かを助ける唯一の方法だと思い込んでいた若者。

 その彼が今、自分の頭で品と金と仕事の流れを組み立て、百戦錬磨の商人へ堂々と商談を持ちかけている。

 

「……百点とは言えませんな」

 

 やがて、重い沈黙を破ってモーブルが口を開いた。

 ジョージの肩が、わずかにビクッと跳ねる。

 

「やはり、難しいでしょうか……」

 

「果樹園の事業すら、まだ正確な収支計算が終わっておらん。その包装品へ先に大金を投じるなど、商売の順序が逆です」

 

「では……」

 

「まずは試作品です」

 

 モーブルは、机の上の籠を太い指でコンと叩いた。

 

「籠を二十。布袋を五十。果樹園の商品規格に合わせた最高水準の見本を作る」

 

「はい!」

 

「材料は、わしの商会から仕入れ値に近い価格で卸してやる。ただし、代金はきっちり払っていただきますぞ」

 

「もちろんです」

 

「完成品は、わしと果樹園の者が厳しく品質を確認する。使い物になると判断した品だけを買い取る。さらに、カヴェナのパン屋と菓子店へ見本を持ち込み、実際に注文が取れた分だけ、生産を増やす」

 

「では、この商談を受けていただけるのですか!?」

 

「試験的に、です」

 

 モーブルは、厳しい商人の顔を崩さないまま答えた。

 

「商売になるかどうかは、商品を作り、客へ見せ、実際に金を払わせるまで分かりませんからな」

 

「ありがとうございます、モーブル殿!」

 

「礼を言うのは、利益が出てからにしていただきたい」

 

「ですが、私たちのために力を尽くして――」

 

「違う」

 

 モーブルは即座に遮った。

 

「わしは、己の利益が見込める商談へ乗っただけです」

 

 そして、孤児院の子供たちが作った布袋をそっと手に取る。

 

「この縫製なら、良い材料と正しい指導さえあれば必ず商品になる。わしは、売れる可能性のある極上の原石を見過ごすほど、目の曇った三流商人ではありませんぞ」

 

「あーあ」

 

 ネリオが、わざとらしく深い溜め息をついてみせた。

 

「山ゴリさん、今回は完全に脇役ですねぇ。開拓畑では、偉そうに商売の仕組みを語っていたのに」

 

「偉そうは余計だ!」

 

「男爵様にお株を奪われて、悔しくありません?」

 

「ふん。浅いな」

 

 モーブルは鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。

 

「教えた相手が、自分の頭で儲かる商談を組み立て、こちらへ持ち込むようになったのだぞ。商人として、これほど楽で痛快なことがあるか」

 

「なるほど。男爵様を育てて、放っておいても利益を運んでくる仕組みを作ったと」

 

「そういうことだ」

 

「つまり男爵様は、山ゴリさんの懐へ定期的にネギを届ける、自走式のカモなんですねぇ」

 

「貴様はなぜ、そう人聞きの悪い言葉しか選べんのだ!」

 

「ですが――」

 

 ジョージが、静かに口を挟んだ。

 

「商人として利益を得るのは、当然の権利です。材料の調達、品質管理、輸送、売り先との交渉。そのすべてに、人と時間と金が必要です」

 

 ジョージは、少し誇らしげに微笑んだ。

 

「正当な仕事には、正当な利益を。市場でモーブル殿から学びましたから」

 

「……ふん」

 

 モーブルはたまらないといった様子で、満足そうに豊かな髭を揺らした。

 

「ようやく商売の本質が分かってきたようですな、ご友人」

 

「ただし」

 

 ジョージの表情が、急に当主としての冷徹なものへ切り替わる。

 

「材料費と仲介手数料は、帳簿と市場価格を厳格に確認したうえで決めさせてもらいます」

 

 モーブルの笑みが、ピタリと固まった。

 

「……何?」

 

「孤児院へ、不当に高い値段で材料を卸して搾取することは認めません。これは孤児たちの自立を促すための事業でもあります。商会側の私利私欲だけで食い物にされるわけにはいきませんから」

 

「こ、こらこら! 誰がそのような悪どい真似をすると言った!」

 

「いやぁ、男爵様。見違えるほど成長しましたねぇ!」

 

 ネリオが心底感心したように、うんうんと大きく頷く。

 

「数日前までなら、山ゴリさんの吹っ掛ける言い値を疑いもせず、満面の笑みでそのまま払っていたでしょうに」

 

「今後は、必ず相場と契約内容を隅々まで確認します」

 

「素晴らしい心がけです!」

 

「貴様か! 貴様が、わしの将来有望なカモへ余計な知恵を吹き込んだのか!」

 

「あらあら、やっぱり自分でカモだって認めちゃいましたねぇ」

 

 騒がしくも容赦のない二人の言い争いを背中で聞きながら、ジョージは腰の金貨袋を開いた。

 今度は、中身をすべて逆さに開けようとはしなかった。

 必要な枚数だけを、指先で慎重に数えて取り出す。

 

「マルタ院長。こちらは、屋根の応急修理と、当面の食料を買うために使ってください」

 

「ですが、これほどの金貨を……」

 

「雨風をしのぎ、子供たちが無事に冬を越すために、今すぐ必要な支援です」

 

 ジョージは、マルタのしわがれた手へ金貨を優しく握らせた。

 

「そして残りの金は、材料と道具を揃え、先ほどの仕事を始めるための初期投資へ回します」

 

 一度きりの施しだけではない。

 目の前の危機をしのぐための金と、その先の暮らしを切り拓くための金。

 二つを明確に分けて使う、当主としての決断だった。

 

 マルタは手の中の金貨を見つめたあと、窓際へ並んだ布袋と籠へ視線を移した。

 

「子供たちが自分の手で、明日の食事を得られる道を……作ってくださるのですね」

 

「私一人の力ではありません」

 

 ジョージは静かに首を振った。

 

「孤児院の皆さんと、果樹園の方々と、モーブル商会。それぞれが自分のできる仕事をして、金と品を巡らせる。私は、その最初の一押しをするだけです」

 

 マルタの目に、薄く涙が浮かんだ。

 静寂が下りた食堂へ、彼女の震える声が響く。

 

「先代様は、第五の品をお渡しする条件として、こう仰っておりました。『目の前の子供へ金を与えるだけではなく、その子が明日を生きる道を示した者へ渡せ』と」

 

 ジョージは、息を呑んだ。

 マルタは深く、深く頭を下げる。

 

「ジョージ様。あなた様は、見事にその答えへ辿り着かれました」

 

「私が……答えに?」

 

「ええ」

 

 マルタは顔を上げ、穏やかに微笑んだ。

 

「先代様は、ただ困っている子供へ金貨を差し出すことを、慈しみとは呼ばれませんでした」

 

 その言葉に、ジョージは先ほど自分が伸ばしかけた手を思い出す。

 財布を開き、持っている金をすべて渡そうとした。

 あのまま金貨を差し出していれば、屋根は直っただろう。食料も買えた。

 だが、それだけだ。

 金が尽きれば、子供たちは再び同じ苦しさへ戻ってしまう。

 

「先代様は、よく仰っておりました」

 

 マルタは、窓の外で元気に遊ぶ子供たちへ優しい目を向けた。

 

「『かわいそうだから助けるのではない。この子たちには、自分の力で明日を選び取る権利がある。そのための場所と機会を、大人が守らなければならないのだ』と」

 

「父上が……」

 

「ですから、先代様が遺された問いも、単なる施しを求めるものではなかったのでしょう」

 

 ジョージは、机に並べられた布袋と籠を見つめ直した。

 粗末な材料から、子供たちが懸命に作り上げた品。まだ商品と呼ぶには未熟かもしれない。

 だが、正しい材料と指導、そして売る場所さえあれば、それは確かな『仕事』へと変わる。

 仕事は金を生み、金は食料や毛布、屋根の修繕へ姿を変える。

 そして何より、身につけた技術は、子供たちがこの場所を巣立ったあとも一生の財産として彼らを支え続けるのだ。

 

「慈しむということは……」

 

 ジョージは、ゆっくりと自分自身へ言い聞かせるように言葉を探した。

 

「ただ手を差し伸べることではないのですね」

 

 マルタが静かに耳を傾ける。

 

「その手を離したあとも、相手が自分の足で歩き続けられるようにすること。今日を救うだけではなく、明日も生きていける道を残すこと……」

 

「ええ」

 

 マルタは、深く頷いた。

 

「先代様も、きっと同じようにお答えになったでしょう」

 

「いやぁ、立派になりましたねぇ」

 

 ネリオが、心底感心したように目を細める。

 

「少し前までなら、財布を逆さに振って『足りなければ屋敷の銀食器も売ります!』とか言い出しそうだったのに」

 

「そこまで無計画ではありません!」

 

「本当ですかな?」

 

 モーブルが疑わしそうに片眉を上げる。

 

「先ほどまで、なけなしの金を差し出しかけておったように見えましたが」

 

「それは……一瞬だけ、感情が先走ったのです」

 

「一瞬で財布を空にする者を、世間では無計画と呼ぶのだ」

 

「今は踏みとどまったではありませんか!」

 

「ええ。山ゴリさんに止められる前に、自力でね」

 

 ネリオが愉快そうに笑う。

 

「成長点としては、かなり高得点です!」

 

「人を珍しい魔獣の観察記録みたいに採点しないでください!」

 

 三人の賑やかなやり取りを見て、マルタが小さく吹き出した。

 その笑みは、長く張り詰めていた不安がようやく解けたような、心からの安堵の混じったものだった。

 

「それでは、先代様からお預かりした品をお渡しいたします」

 

 マルタは食堂の奥にある、小さな礼拝室へ三人を案内した。

 そこは孤児院の中でも特に古い部屋らしく、壁には色褪せた聖人画が掛けられ、窓辺には子供たちが摘んだのであろう野花が、小さな瓶へ可愛らしく飾られていた。

 

 祭壇の前で、マルタは静かに膝をつく。

 そして、床板の一枚へ指をかけた。

 

 ――カタン。

 

 古びた板を持ち上げると、その下の暗がりから、小さな鉄製の箱が現れた。

 

「十年前、先代様がご自身でこちらへ運び込まれたものです」

 

 マルタは鉄箱を取り出し、積もった埃を袖で丁寧に拭い去る。

 

「鍵はございません。『正しい答えへ辿り着いたとき、自然に開く』とだけ伺っておりました」

 

 鉄箱の蓋には、ウィルハルケン家の銀鷹と、その翼に優しく抱かれる幼子の意匠が刻まれていた。

 ジョージが手を伸ばす。

 泥とすり傷の残る指先が、銀鷹の紋章へそっと触れた。

 

 その瞬間――。

 淡い乳白色の光が、指先から蓋の表面へ水紋のように広がった。

 刻まれた銀鷹の翼が、内なる光を帯びながらゆっくりと開いていく。

 

 ――カチリ。

 

 静かな音とともに、十年の時を経て鉄箱の錠が外れた。

 ジョージが、息を詰めて慎重に蓋を持ち上げる。

 

 中には、純白の魔石を中央へ嵌め込んだ、五つ目の銀色の歯車が収められていた。

 その表面に深く刻まれている文字は、一つ。

 

『慈』

 

「慈しみ……」

 

 ジョージは、その一文字を噛み締めるように見つめた。

 

「先代様は、この歯車をお預けになるとき、こうも仰っておりました。『哀れみは、目の前の涙を拭う。慈しみは、その者がもう一度泣かずに済む道を作る』と」

 

 ジョージは、純白の魔石が嵌められた歯車を、両手でそっと包み込んだ。

 温かな光が、すり傷だらけの手のひらへ、じんわりと染み込んでくる。

 

「私は今まで、助けるということを、ただ何かを『与えること』だと思い込んでいました」

 

 市場では、金を減らさず正しく巡らせることを知った。

 水源では、誰の目にも触れない地道な仕事が暮らしを支えていることを知った。

 畑では、今日まだ実らないものにも、守り育てるべき価値があることを知った。

 監視塔では、足がすくむほどの恐怖を抱えたまま、それでも誰かの前へ立つ勇気を知った。

 

 そして今――。

 

「本当に守るということは、その人が自分の力で生きていける未来まで残すことなのですね」

 

「そうかもしれませんな」

 

 背後から、モーブルが静かに応じた。

 

「金貨を一枚渡せば、今日の腹は満たせる」

 

 机の上に並べられていた布袋と籠を思い出すように、太い指を一つ曲げる。

 

「だが、金貨を生み出す仕事を残せば、明日以降の腹も満たせる。慈愛とやらも、仕組みとして続かなければただの一時しのぎです」

 

「山ゴリさんが慈愛を語ると、なぜか全部商売の話に聞こえますねぇ」

 

「事実、商売の話をしておるからな」

 

「感動的な雰囲気へ歩み寄る気が一切ない」

 

「あのなぁ! 雰囲気で物事のすべてが解決するなら、わしは今頃、神にでも世界一の商人にでもなっとるっつーの!」

 

「はいはい。正論ゴリラは黙っていてください」

 

「貴様が話を振ったのだろうが!」

 

 狭い礼拝室の静寂をぶち壊し、いつも通りの容赦ない言い争いを始めた二人を見て、ジョージはふっと頬を緩めた。

 口を開けば憎まれ口や銭勘定ばかりだが、この頼もしくも騒がしい仲間たちがいなければ、自分は決してこの答えには辿り着けなかっただろう。

 

 確かな感謝と親愛の情を胸に抱きながら、ジョージは傍らに置いた黒檀の箱へ、白く輝く最後の歯車をゆっくりと近づけた。

 

 歯車は、見えない磁力に引かれたようにジョージの手を離れた。

 ふわりと宙へ浮かび、箱に残された最後の窪みへ向かって、ゆっくりと吸い寄せられていく。

 

 ――カチリ。

 

 五つ目の歯車が、寸分の狂いもなく収まった。

 次の瞬間、箱の表面へ刻まれた五本の魔力回路が、一斉に眩い輝きを放ち始めた。

 

 市場の『巡』。

 水源の『源』。

 畑の『実』。

 監視塔の『盾』。

 孤児院の『慈』。

 

 五色の光が黒檀の表面を縦横無尽に駆け巡り、複雑な幾何学模様を次々と編み上げていく。

 

「これで、五つすべて……!」

 

 ジョージが息を呑む。

 だが、箱の蓋は開かなかった。

 代わりに、嵌め込まれた五つの歯車がゆっくりと回転を始める。

 カチ、カチ、カチ、と精密な機械音が幾重にも重なり、やがて一つの大きな和音となった。

 

 ――ガチャン。

 

 箱の中央に、新たな魔法陣が浮かび上がる。

 

「まだ何かあるんですか?」

 

 ジョージが困惑して眉を寄せた。

 

「五つの歯車を集めれば開くのでは?」

 

「どうやら、最後の仕上げが残っているようですねぇ」

 

 ネリオが単眼鏡を覗き込みながら、楽しそうに口元を吊り上げた。

 

「ほら。文字が出ますよ」

 

 五色の光が箱の上へ集束し、空中に光の文字を形作っていく。

 

『すべての答えを胸に、始まりの場所へ帰れ』

 

 その言葉の下に、一つの幻影が浮かび上がった。

 夕日に染まる、なだらかな丘。

 その頂には、天へ向かって一本の巨大な杖を掲げる、古びた石造りの記念碑が立っていた。

 杖の先端には紫色の結晶が嵌め込まれ、夕日を受けて鈍い光を放っている。

 

 円形の台座へ刻まれているのは、杖を掲げる魔法使いの横顔と、一行の古い碑文。

 

『建国の英雄イングラジア、この丘に杖を立て、ヴァーゼルの民へ永遠の加護を授ける』

 

 それを見たジョージの目が、大きく見開かれた。

 

「ここは……」

 

「ご存じの場所ですか?」

 

「はい。屋敷の裏手にある丘です」

 

 ジョージは、幻影の中に立つ記念碑を食い入るように見つめた。

 

「幼い頃、父上と何度も訪れた場所です」

 

「へえ。英雄イングラジアが立ち寄った由緒ある場所だったんですか?」

 

 ネリオが興味深そうに手帳を取り出そうとする。

 だが、ジョージははっきりと首を振った。

 

「いいえ。イングラジアは、ヴァーゼルを訪れていません」

 

「……はい?」

 

「少なくとも、ウィルハルケン家に残された当時の記録には、そのような事実は一切ありません」

 

 ネリオが、幻影とジョージを交互に見た。

 

「では、あの立派な記念碑は何なんです?」

 

「イングラジアの死後、何百年も経ってから建てられたものです」

 

 ジョージは、少し懐かしそうに目を細めた。

 

「昔、この丘へ落雷があり、大地へ杖のような焼け跡が残ったそうです。それを見た当時の人々が、『英雄イングラジアが杖を突き立て、町を災いから守った跡だ』と考えた。それがいつしか強固な言い伝えとなり、立派な記念碑まで建てられました」

 

「事実より、信仰の方が先に育ってしまったわけですか」

 

「ええ」

 

「男爵様が、随分と詳しくご存じなのは?」

 

「父上から教わったのです」

 

 ジョージは、遠い記憶の底を辿るように穏やかな声で答えた。

 

「子供の頃の私は、碑文に書かれていることを何の疑いもなく信じていました。英雄イングラジアが本当にこの丘へ来て、私たちのヴァーゼルを守ってくれたのだと」

 

 ある日、幼いジョージは父へ尋ねた。

 英雄イングラジアは、この丘からどんな魔法を使ったのか、と。

 父は息子を笑うでもなく、子供の夢を壊すことをためらうでもなく、ただ静かに答えた。

 

『イングラジアは、ここへ来ておらん』

 

 驚く息子を屋敷へ連れ帰ると、父は古い旅程記録や地図、当時の書簡まで、一つずつ机へ並べて見せてくれた。

 

『石へ深く刻まれているからといって、必ずしも真実とは限らん』

『人から聞いた話も、立派な書類に記された数字も同じだ』

『大切なことを決めるときは、自分で調べ、自分の目で確かめよ』

 

「ここは、父上が初めて私へ、『物事を自分の目で確かめることの大切さ』を教えてくれた場所なのです」

 

 その教えを、幼い頃に受けていたはずだった。

 それなのに。

 いつしかジョージは、借金と領地経営の重圧から逃げるように屋敷へ閉じ籠もり、他人が作った報告書だけを読んで、土地と人々の暮らしを分かった気になっていた。

 

「だから、『始まりの場所』……」

 

 ジョージは、五色の光を宿した黒檀の箱へそっと手を置いた。

 父の遺した問いを巡る旅の終着点は、同時に、父から最初の教えを受けた場所でもあったのだ。

 

「行きましょう」

 

 ジョージは箱を小脇に抱え、静かに、けれど力強く立ち上がった。

 その眼差しには、数日前までの頼りなさや迷いは、もう微塵も残っていなかった。

 

「父上が最後に、私へ何を遺したのか」

 

 若き当主は、二人の仲間を振り返り、力強く頷いた。

 

「今度こそ、自分の目で確かめます」

 

 

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