※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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第六十話 おしゃべりエルフと古代の『問いかけの箱』⑧

 丘の頂には、ジョージの記憶とほとんど変わらぬ姿で、古い石造りの記念碑がそびえ立っていた。

 

 天へ向かって高々と掲げられた、巨大な石の杖。

 先端に嵌め込まれた紫色の結晶は、長い歳月と風雨によって曇りながらも、沈みゆく夕日を受けて静かな光を返している。

 

 円形の台座には、杖を掲げる建国の英雄イングラジアの横顔が刻まれていた。

 苔と風化によって輪郭は崩れ、今ではどこか、訪れる者を穏やかに見守って微笑んでいるようにも見える。

 

「思っていたより、ずいぶんと大きいですねぇ」

 

 ネリオが首を反らし、石杖の先端を見上げた。

 

「これだけ立派なものが建っていれば、知らない者は本当に英雄が遺した杖だと思ってしまいそうです」

 

「実際、そう信じている者は少なくありません」

 

「男爵様は、真実を公表しないんです? この記念碑が、本物の英雄の遺物ではないこと」

 

 ジョージは、台座へ刻まれた古い碑文を指先でそっとなぞった。

 

「そして、長い年月、多くの人々がここを訪れ、町の平穏を願って祈りを捧げてきたこと。それは、分けて考えるべきだと父上は言っていました」

 

「嘘から始まったものでも、そこで積み重なった人々の思いまでは嘘ではない、と?」

 

「はい。誤った歴史は正すべきです。ですが、何も知らずに信じた人々の祈りまで、愚かだと嘲笑ってよいわけではありません」

 

「なるほどなるほど」

 

 ネリオは感心したように頷いた。

 

「少しは、事実と感情を分けて考えられるようになりましたねぇ」

 

「『少し』は余計です」

 

 かつて、この丘で父と二人、何度も昼食を取った。

 家業や外部との交渉に追われていた父が、わずかな時間を見つけては、幼いジョージをここへ連れてきてくれたのだ。

 

 ジョージは父の膝へ座り、英雄の石杖を見上げながら、飽きることなく問い続けた。

 

『この杖から、本当に魔法が出るの?』

『どうして、先っぽの石は紫色なの?』

『英雄様は、ここからどこへ行ったの?』

 

 父は、どれほど忙しいときでも、嫌な顔一つしなかった。

 知っていることは丁寧に教えてくれた。

 分からないことは、分からないと正直に答えた。

 記録に残されていないことを、息子を喜ばせるためだけに作り上げるような真似もしなかった。

 

 そして最後には、いつも決まって同じ言葉を口にした。

 

『知りたければ、自分で調べ、自分の目で確かめてみるとよい』

 

 あの頃のジョージは、丘から見渡す町と土地の広さを、ただ誇らしく感じていた。

 あの活気ある市場も。

 遠くに見える畑も。

 森を走る街道も。

 すべてが父の大切にしている場所なのだと聞かされ、自分もいつかここを守るのだと、何の疑いもなく信じていた。

 

 だが、いつからだろう。

 眼下に広がる土地の大きさが、誇りではなく、背負いきれないほどの重荷に見えるようになったのは。

 

 自分には無理だ。父のようにはなれない。失敗すれば、すべてを壊してしまう。

 そう恐れるあまり、ジョージは次第に屋敷の中へ閉じ籠もり、人々が持ち込む報告書だけを頼りに、土地と家業を「知ったつもり」になっていった。

 父もまた、年を追うごとに忙殺され、二人でこの丘を訪れることはなくなっていった。

 

 ――カチリ。

 

 ジョージの腕の中で、黒檀の箱から小さな音が響いた。

 組み込まれた五つの歯車が、かすかに回転している。

 

「反応していますね」

 

 ネリオが箱を受け取り、光の強さを確かめながらゆっくりと記念碑の周囲を歩き始めた。

 台座の正面。

 右側面。

 左側面。

 そして、町を望む側とは反対にあたる『裏手』へ回った瞬間、五つの歯車が放つ光が一段と強さを増した。

 

「この辺りです」

 

 ネリオはしゃがみ込み、苔に覆われた台座を調べ始める。

 指の関節で、一枚ずつ石板を叩いていく。

 

 ゴンゴン。

 どの石も、低く重い音を返した。

 だが、一枚だけ――コン、と。わずかに軽く、奥へ抜ける音が響いた。

 

「ここだけ、内部が空洞になっていますねぇ」

 

 ネリオが苔と泥を丁寧に払い落とす。

 すると、石板の隅から、小さな銀鷹の紋章が姿を現した。

 

「ウィルハルケン家の印……」

 

「この記念碑が建てられた当時、ここへウィルハルケン家の紋章を刻む理由はなかったはずです。後から先代男爵が、隠し場所として細工したのでしょうねぇ」

 

 ネリオは腰の道具袋から細い金属具を取り出し、石板の縁へ差し込んだ。

 モーブルも隣へ立ち、石板へ太い指をかける。

 

「男爵様もそっちを掴んでくれ。このまま持ち上げるぞ!」

 

 三人で石板へ力を込める。

 重い石が鈍い音を立てて軋みながら、ゆっくりと手前へ傾いた。

 

 その奥には、人の頭が一つ入るほどの小さな空洞が設けられていた。

 中に収められていたのは、一切の装飾を持たない金属製の小箱だった。

 ジョージは両手を差し入れ、それを慎重に取り出す。

 長い間、石の中へ隠されていたにもかかわらず、箱の表面には錆一つ浮かんでいなかった。

 蓋の中央には、ウィルハルケン家の銀鷹が静かに翼を広げている。

 

「これが、父上の遺した……」

 

 ジョージは緊張で冷たくなった指で、留め金へ触れた。

 

 ――カタン。

 

 小さな箱の中へ収められていたのは、一本の古びた真鍮の鍵だった。

 豪華な宝石もなければ、複雑な魔導回路も刻まれていない。

 どこにでもありそうな、簡素な鍵。

 だがジョージには、それが金貨の詰まった袋よりもずっと重く、価値のあるものに感じられた。

 

「これが……最後の鍵」

 

 震える手で、冷たい真鍮を握り締める。

 三人は英雄イングラジアの石杖を背に、黒檀の箱を台座の前へ置いた。

 

 五つの歯車が、一斉に回転を始める。

 

 カチ、カチ、カチ――。

 

 精密な音を立てて互いに深く噛み合い、黒檀の内部へ魔力が脈打つように巡っていく。

 これまで継ぎ目一つ見えなかった箱の表面に、細い光の線が走った。それは、隠されていた蓋の境目だった。

 続いて、正面の幾何学的な象嵌が左右へ滑り、中央に小さな鍵穴が現れる。

 

「男爵様」

 

 ネリオが一歩下がり、道を譲った。

 

「最後は、あなたの役目です」

 

 ジョージは大きく息を吸った。

 真鍮の鍵を鍵穴へ差し込み、ゆっくりと右へ回す。

 

 ――カチリ。

 

 とても小さな音だった。

 だがジョージには、それが自分の心と、ウィルハルケン家の未来を閉ざしていた最後の錠が、ようやく外れた音のように聞こえた。

 

 長い眠りから目覚めるように、箱がかすかな吐息を漏らす。

 黒檀の蓋が、音もなく滑らかに開いていった。

 

 しかし――。

 中に、眩い金貨や宝石の山はなかった。

 収められていたのは、一枚の薄い水晶板と、ウィルハルケン家の封蝋が押された数通の書類、そして錆びかけた黒鉄の指輪だけだった。

 

「……おい」

 

 箱の中を覗き込んだモーブルの声が、地の底から響くように低くなった。

 

「財宝は、どこだ?」

 

 次の瞬間、濁った目を血走らせ、黒檀の箱へ巨体ごと乗り出す。

 

「金貨は!? 宝石は!? 古代文明の秘宝はどうした! 国宝級の魔導具の一つや二つ、入っておらんのか!」

 

「山ゴリさん、落ち着いてください」

 

 ネリオが、モーブルの外套を後ろから引っ張った。

 

「欲望だけが、先に箱の中へ飛び込んでいますよ」

 

「これが落ち着いておられるかぁっ! わしは山へ登り! 泥へ這いつくばり! 凶悪な魔物に襲われ! 果樹園の流通計画まで立ててやったのだぞ!」

 

「最後のは、自分の商会で商品を扱うためでしょうが」

 

「それでも骨身を削って働いたことに変わりはない! わしの報酬はどこだぁ!」

 

 騒ぐ二人をよそに、ジョージは箱の中からそっと水晶板を取り出した。

 恐る恐る、その表面へ指先を触れる。

 

 ふわりと、淡い光が広がった。

 無数の光の粒が水晶板から舞い上がり、夕暮れの空中へと集まっていく。

 やがてその光は、一人の男の姿を形作った。

 五十代ほどの、厳しい顔立ちの男性。

 だが、その目元には、ジョージの記憶と何一つ変わらぬ、深い穏やかさが宿っている。

 

「父上……」

 

 亡きジョハン・ウィルハルケン男爵だった。

 光の中の父は、まるで目の前に成長した息子が立っているのを喜ぶかのように、ゆっくりと口を開いた。

 

『ジョージよ』

 

 懐かしく、温かな声が夕暮れの丘へ響き渡る。

 

『お前がこの箱を開いたということは、五つの場所を、己の足で巡ったのだろう』

 

 その声を聞いた瞬間、ジョージの目に堪えきれない涙が浮かんだ。

 

『市場では、人と品と金が巡っている。その巡りが止まれば、町の暮らしもまた止まる』

『水源では、誰の目にも触れぬ仕事が、多くの命を支えている。見えぬからといって、価値がないわけではない』

『畑では、今日流した汗が、何年も先の実りを育てている。今すぐ成果が出ぬものを、無価値と切り捨ててはならない』

『監視塔では、誰かが危険の前へ立たなければ、人々の平穏は守れない』

『そして孤児院には、我々が決して見捨ててはならぬ、小さな未来がある』

 

 父は、誇らしげに目を細めた。

 

『私が守りたかった、ウィルハルケン家の本当の財産は、冷たい金庫の中にはない』

 

『活気ある市場』

『清らかな水』

『実りを待つ畑』

『人々が安心して歩ける道』

『そして、子供たちの笑顔』

 

『広大な土地だけを所有していても、そこに人々の営みがなければ、何の価値も生まれない。土地を生かす人々と、その人々から寄せられる信頼。それこそが、我が家の真の財産だ』

 

 ジョージは唇を強く噛み締め、ボロボロとこぼれ落ちる涙を堪えようとした。

 

「父上……っ」

 

『お前は、優しい子だ。だが、優しいだけでは、この土地と家業を預かる当主は務まらぬ』

 

 父の瞳に、当主としてのわずかな厳しさが宿る。

 

『知らぬことを恥じるな。知らぬまま、物事を決めることを恥じよ』

『恐れることを恥じるな。恐れを理由に、守るべき者を置いて逃げることを恥じよ』

 

『人の上に立とうとするな。――守ると決めた者たちの、前に立て。ジョージ』

 

 夕暮れの風が丘を渡り、足元の草を柔らかく揺らした。

 光の中の父は、最後にほんの少しだけ、昔のように悪戯っぽく笑った。

 

『――とはいえ、誇りだけでは莫大な借金を返せぬことくらい、私も承知している』

 

 しんみりとした空気を切り裂くように、傍らで黙り込んでいたモーブルの目が、ぎらりと現金な光を放った。

 

「来たぞ! ここからがいよいよお宝の話だ!」

 

「だからぁ! せっかくの感動的な雰囲気が台無しですって、この欲張りゴリラ! あとで極上のバナナ買ってあげますから、今はちょっと静かにしててください!!」

 

 ネリオが慌ててモーブルの口を塞ぐが、巨体を前のめりにした商人の耳には、もはや金の匂いしか届いていないようだった。

 

 そんな二人の騒々しいやり取りなど知る由もなく、光の中の父は、あくまで穏やかな声で決定的な言葉を続けた。

 

『箱に同封した書類は、我が遠戚であるルブルース公爵家へ内密に預けていた、ウィルハルケン家再建基金の証書だ』

 

 ジョージは、箱の中からウィルハルケン家の封蝋が押された真新しい書類を取り出した。

 

『元金は、エクス金貨三万枚』

『お前が受け取る頃には、運用益を加え、もう少し増えているはずだ』

『それでも、家の債務をすべて返すには到底足りぬかもしれん』

 

『だが、腕の立つ商人を雇い、この資金と今後の事業計画を示して債権者と交渉すれば、差し押さえを止め、再建へ踏み出すための猶予は得られる』

『私がお前に遺せるのは、すべてを一瞬で解決する魔法のような奇跡ではない』

 

『自らの足で立ち直るための資金と、わずかな時間だけだ』

 

『その先の未来は、お前自身の手で、この土地の人々とともに築け』

 

 光の中の父が、ジョージへ向かって静かに手を伸ばした。

 

『良き当主になれ、ジョージ』

『父は、お前なら必ずなれると信じている』

 

 映像が、かすかな雑音とともに揺らいだ。

 

「父上!」

 

 ジョージは思わず、その手へ向かって腕を伸ばした。

 だが、指先が触れる直前――。

 父の姿は無数の光の粒へと弾け、夕暮れの風に乗って空へと溶けていった。

 

 丘の上に、深い静寂が戻る。

 ジョージは、しばらく動けなかった。光を失った水晶板を両手で胸に抱き、ただ俯いている。

 やがて、頬を伝った涙が一滴、水晶板の上で小さく弾けた。

 

 ジョージが涙を乱暴に拭い、静かに顔を上げる。

 それを見届けたモーブルは、差し出された証書を受け取ると、いっさいの私情を排した「商人」の目へ戻り、記載された内容を素早く確認し始めた。

 

「元金は金貨三万枚。これに運用益を加えた額を受け取れると記されているが……現在の正確な総額までは、この証書だけでは分からんな」

 

 モーブルは証書の文面を鋭い目で追いながら、低い声で唸った。

 

「ウィルハルケン家が抱えている借金は、金貨十万枚です」

 

 ジョージは、乾いた唇を舐めた。

 

「今月末までに返済できなければ、担保となっている土地や家の資産が、順次差し押さえられます」

 

「全額返済には、到底足りん」

 

 モーブルは、証書の金額を見た瞬間に言い切った。

 

「ルブルース公爵家とやらが、どれほど優秀な運用をしていたとしても、たかだか数年で三万枚が十万枚へ化けるような都合のよい魔法はない。運用益を加えたところで、借金を帳消しにするには届かんよ」

 

 奇跡の逆転劇など起こらない。

 

 最後の希望だと思っていた父の基金さえ、十万枚もの借金を消し去るには遠く及ばない。

 

 冷徹な現実を突きつけられ、ジョージの表情がわずかに曇った。

 

「……では、やはり」

 

 父の遺した証書へ目を落とす。

 

「今月末までに返済の目処を立てられなければ、私の男爵位も剥奪されますね」

 

 その声は、不思議なほど静かだった。

 

 初めて知った事実ではない。

 

 何度も頭の中で思い描き、そのたびに目を逸らしてきた結末だった。

 

 多額の債務を返済できず、家業を維持する能力も失った下級貴族は、爵位を保持する資格なしと見なされる。

 

 ネリオもモーブルも、イングラジア魔導国のその法を知っていた。

 

 強大な魔法の才や国家へ示せるほどの武勲があれば、例外が認められることもある。

 

 だが、ジョージには、そのどちらもない。

 

 学院で嘲笑われ続けた、小さな《局所障壁》。

 

 確かに先ほど、ネリオの命を守ることはできた。

 

 しかし、たった一度の働きで国の法が覆るわけではない。

 

「土地も、屋敷も、家業も……」

 

 ネリオの細い目から、いつもの軽薄な笑みが消えていた。

 

「ウィルハルケンの名まで失うことになりますね」

 

「はい」

 

 ジョージは、夕日に染まるヴァーゼルを見下ろした。

 

「父上から受け継いだものを、私は何一つ守れないまま終わることになります」

 

「勝手に終わらせるな」

 

 低く鋭い声が、ジョージの諦めを断ち切った。

 

 顔を上げると、モーブルが険しい表情で彼を睨んでいた。

 

「ですが、モーブル殿。三万枚では、十万枚の借金には――」

 

「足りん。そんなことは、今しがたわしが言った」

 

 モーブルは、ジョージが抱える証書を太い指で叩いた。

 

「だが、全額返済に足りないことと、爵位剥奪が決まったことは、まったく別の話だ」

 

「別の話……?」

 

「まだ今月末にはなっておらん。差し押さえも、返済不能の認定も、爵位剥奪も始まってはいない」

 

 モーブルの濁った瞳に、鋭い商人の光が宿る。

 

「諦めるのは、使える札をすべて切り、債権者どもから一人残らず断られてからにしろ」

 

「しかし、残された時間は、もうほとんど……」

 

「だから急ぐのだ」

 

 モーブルは鼻を鳴らした。

 

「先代が遺したこの基金は、借金をすべて消すには足りん。だが、決して無意味な額ではない」

 

 証書を取り上げ、記された金額を太い指でなぞる。

 

「正確な運用益がいくらであろうと、最低でも元金三万枚に相当する資産が存在する。この事実は大きい」

 

「借金の返済へ充てるのですね」

 

「一部はな」

 

「一部?」

 

「この三万枚をすべて返済へ突っ込めば、残る債務は七万枚。確かに元本は減る」

 

 モーブルの声が、一段と厳しくなる。

 

「だが、その代わり、再建へ使える金が一枚も残らん」

 

 太い指を折りながら、今後必要になる支出を一つずつ数え上げていく。

 

「市場の修繕。道と水路の維持。果樹園の加工設備。商品の保管庫と輸送手段。宿泊施設や工房を誘致するための整備費。そして、実際に働く者たちへ支払う賃金」

 

 どれも後回しにはできないものばかりだった。

 

「借金だけを減らしても、金を生み出す仕組みがなければ、いずれまた行き詰まる。喉が渇いたからと、来年蒔く種まで煮て食うようなものだ」

 

「では、この基金をどのように使うのですか?」

 

「債権者へ入れる頭金と、再建事業のための運転資金へ分ける」

 

 モーブルは証書をジョージへ返した。

 

「ただし、今ここで配分を決めるつもりはない。債権者の人数、各々が貸している額、利率、返済期限、担保の優先順位。そのすべてを調べてからだ」

 

「三万枚のうち、どれだけ返せばよいかも、相手によって変わるのですね」

 

「そうだ。少額の債権者なら、全額返済して口を塞げるかもしれん。逆に、大口の債権者には、まとまった頭金を見せて交渉の席へ着かせる必要がある」

 

「交渉の席へ……」

 

「今月末までに十万枚を全額返すことはできん。だが、三万枚以上の資金を確保し、その一部を即座に返済へ入れる用意があると示せば、連中も無視はできん」

 

 モーブルは、夕日に透ける証書を鋭く見つめた。

 

「この金を見せ札にして、まずは今月末の差し押さえを止める。その間に返済期限と支払い条件を組み替える」

 

「爵位の剥奪も、避けられるでしょうか」

 

「返済期限を延ばし、債務不履行そのものを回避できれば、即座に爵位を奪われることはない」

 

 だが、モーブルは安易な希望を与えなかった。

 

「ただし、どれほどの猶予を引き出せるかは分からん。そもそも債権者どもが素直に話を聞く保証もない」

 

「モーブル殿でも、分からないのですか?」

 

「当然だ。相手の持つ札も知らずに、勝てると断言する者は商人ではない。ただの詐欺師だ」

 

 モーブルは、ジョージを真っ直ぐに見据えた。

 

「だが、最低でも三万枚の資金がある。それを動かせる状況で、こちらから爵位も土地も差し出してやる必要はない」

 

「爵位を守れるかどうかは……」

 

「これからの交渉と、男爵様の働き次第ですな」

 

 あえて厳しく言い切り、獲物を前にした商人のような笑みを浮かべる。

 

「まだ諦める段階ではない」

 

 ジョージは、父の遺した証書を胸元へ抱き直した。

 

「ですが、仮に返済期限を延ばせたとしても……それだけでは、問題を先送りしたにすぎません」

 

「そのとおりだ」

 

 モーブルは、あっさりと認めた。

 

「猶予を得ても、家業が今までと同じなら、次の返済期限に同じことを繰り返すだけだ」

 

「では、やはり必要なのは……」

 

「金を生み出す仕組みだ」

 

 モーブルは、眼下に広がるヴァーゼルを見渡した。

 

「中央市場から入る場所代。農地の賃料。西部開拓畑で育てた高級果実と、その加工品。孤児院で作る籠や布袋」

 

 現在見込める収益を一つずつ挙げていく。

 

「どれも大切な収入源だ。だが、それだけで十万枚もの借金を返そうとすれば、何十年かかるか分からん」

 

「やはり、果物と民芸品だけでは……」

 

「足りん」

 

 モーブルは容赦なく断言した。

 

「高級果実が売れ、孤児院の商品へ注文が入ったとしても、それは再建の『種』にすぎん」

 

 丘の下へ広がる農地と町並みを、値踏みするように眺める。

 

「借金を返しながら、建物を直し、水路や道を維持し、働く者へ賃金を払い、次の事業へ投資する必要もある」

 

 稼いだ金が、そのまま返済へ消えていくわけではない。

 

 人々の暮らしを守り、家業を自立させるためにも、金は必要なのだ。

 

「つまり、この街には――」

 

 ジョージは、眼下に広がるヴァーゼルを見つめた。

 

「今までになかった、新しい収入の柱が必要なのですね」

 

「ようやく分かったか」

 

「しかし、何を始めればよいのでしょう」

 

「果物や民芸品を、外へ運んで売るだけではない」

 

 モーブルの目が、獰猛な商人のものへ変わる。

 

「それらを入り口にして、人がヴァーゼルそのものへ足を運ぶ理由を作るのだ」

 

「人が、ヴァーゼルへ?」

 

「商人、職人、旅人、冒険者。金を使う者が町へ来なければ、大きな商いは生まれん」

 

 太い指が、町の中心部を示す。

 

「中央市場を立て直し、定期的に大市を開く。果樹園では収穫祭を催し、ヴァーゼル産の果実と加工品を直接売る。空いている建物には、宿屋や食堂、工房を誘致する」

 

「旧監視塔も使えるんじゃないですかぁ?」

 

 それまで黙って聞いていたネリオが、横から口を挟んだ。

 

「あそこを安全に整備して見晴らし台にすれば、森と町を一望できますよぉ」

 

 ネリオは手帳を開きながら続ける。

 

「魔力を含んだ虹色の霧が、森の谷間を川のように流れる景色なんて、ほかではそう簡単に見られません。途中の道も補修すれば、旅人が訪れる立派な理由になります」

 

「英雄イングラジアの記念碑もあります」

 

 ジョージが、丘にそびえる巨大な石杖を見上げた。

 

「英雄本人がヴァーゼルを訪れたという伝承は、事実ではありません。ですが、その伝承が生まれ、人々が長い間この丘で祈りを捧げてきた歴史は残っています」

 

「偽物の聖地として売り出すつもりですかな?」

 

「いいえ」

 

 ジョージは、はっきりと首を振った。

 

「伝承と史実の両方を伝える場所にします。誤った話を本物だと偽るのではなく、なぜそのような物語が生まれ、町の人々へ受け継がれてきたのかを知ってもらうのです」

 

 ネリオの細い目が、面白そうに光った。

 

「ん〜、なるほど。『英雄が来なかった英雄の丘』ですか」

 

「その言い方では、少し身も蓋もありませんが……」

 

「でも、記事の見出しとしては強いですよぉ」

 

 早くも羽ペンを走らせる。

 

「伝承の真相。魔物に占拠されていた古い監視塔。十年もの歳月をかけて育てられた果樹園。そして、昔ながらの素朴な中央市場」

 

 細い指が、眼下に広がるヴァーゼルの各所を順番に示していく。

 

「一つ一つでは小さな話でも、すべてを一本の物語として結びつければ、立派な売り物になります」

 

「一つの物語……」

 

「そうですねぇ。たとえば――」

 

 ネリオは一度言葉を切り、芝居がかった仕草で丘から町を見渡した。

 

「『消えかけた辺境の町が、忘れられた歴史と未来の果実で生まれ変わる』」

 

 そして、満足そうに口元を緩める。

 

「どうです? ちょっと訪れてみたくなるでしょう?」

 

「さすがに、広告のプロだけあって、人の興味を引く言葉の作り方は心得ておるな」

 

 モーブルも顎へ手を当て、提案を吟味する。

 

「中央市場で品を買い、果樹園で果実を味わう。監視塔から虹色の霧に包まれた森を眺め、最後にこの丘でヴァーゼルに残された伝承へ触れる」

 

「それだけではありません」

 

 ジョージも、自分の中で少しずつ形になり始めた構想を口にする。

 

「訪れた人が町へ泊まれば、宿屋や食堂にも金が落ちます。荷馬車や旅装を修理する職人も必要になるでしょう」

 

 中央市場の周囲に、人々の姿が増えていく光景を思い描く。

 

「人が増えれば、新しい店を開こうと考える商人も現れるかもしれません。働き口が生まれれば、外へ出ていった若者が戻ってくる可能性もあります」

 

「町へ人が来る。金が落ちる。仕事が増える。その仕事を求めて、新たな商人と職人が集まる」

 

 モーブルは満足そうに、深く頷いた。

 

「ようやく、金貨十万枚の借金と戦うための話になってきましたな」

 

「この計画があれば、債権者を説得できるでしょうか」

 

 ジョージが尋ねると、モーブルの表情から満足げな色が消えた。

 

「分かりません」

 

「えっ」

 

「計画を口にしただけで、債権者どもが期限を延ばしてくれるほど世の中は甘くない」

 

 モーブルは太い腕を組んだ。

 

「連中の中には、すでに担保の売却先と話を進めている者もいるかもしれん。金貨を返してもらうより、土地を安く手に入れたい者もいるだろう」

 

 ジョージの顔から血の気が引いた。

 

「そんな……」

 

「債権者は慈善家ではない。目的はウィルハルケン家を助けることではなく、貸した金を回収することだ」

 

 モーブルは容赦なく言い切った。

 

「だからこそ、三万枚の基金、即座に入れられる頭金、現在の収益、そして今後の再建計画を並べる」

 

 一つずつ、交渉に使える札を並べていく。

 

「この家を今すぐ潰し、土地を切り売りするより、家業を存続させて長期的に返済させた方が儲かる。そう認めさせるのだ」

 

「認めさせられれば、返済期限を延ばせるのですね」

 

「可能性はある」

 

「どれほどの猶予を?」

 

「それは、実際に債権者どもと向き合ってみなければ分からん」

 

 モーブルは、軽々しく期間を口にはしなかった。

 

「まとまった猶予を一度に取りつけられるかもしれん。まず短い凍結期間だけを確保し、その間に本格的な返済条件を詰めることになるかもしれん」

 

「では、今の私たちが最初に目指すのは……」

 

「今月末で閉じようとしている扉を、閉じさせんことだ」

 

 モーブルの言葉が、丘の空気を重く震わせた。

 

「差し押さえと爵位剥奪を止め、その間に計画を実績へ変える。客が増えた。売上が伸びた。新しい店が開いた。継続して返済できるだけの利益が生まれた」

 

 濁った瞳に、鋭い光が宿る。

 

「その数字を積み上げ、より現実的な分割返済の条件を引き出すのだ」

 

「一度の交渉ですべてを解決するのではないのですね」

 

「当たり前だ。十万枚の借金を、一度の話し合いだけで都合よく処理できるなら、商人など必要ない」

 

 ジョージは、父の遺した証書を強く握り直した。

 

「……平坦な道ではありませんね」

 

「当然だ」

 

 モーブルの声は、どこまでも厳しく、現実的だった。

 

「新聞へ記事を出しただけで、翌日から旅人が列を作るわけではない。街道の補修、宿泊施設の整備、商人や職人の誘致。どれも金と時間がかかる」

 

「はい」

 

「最初の催しが失敗すれば、客は二度と来ん。果物の品質を維持できなければ、ヴァーゼルの名そのものへ傷がつく」

 

 森の中に立つ古い監視塔へ視線を向ける。

 

「監視塔で事故でも起きれば、安全な観光地どころか、客を危険へ晒す無責任な町として悪評が広まるだろう」

 

「はい」

 

「基金の使い方を一つ誤れば、新事業が始まるより先に資金が尽きる。たとえ猶予を得ても、次の返済日までに成果を出せなければ、今度こそ債権者どもは待ってくれん」

 

 成功の保証など、どこにもなかった。

 そもそも、今月末の期限を延ばせるかどうかさえ、まだ分からない。

 記事で名が知られても、客が定着するとは限らない。

 店を誘致できても、商売が続くとは限らない。

 すべてが失敗に終わり、父が守ってきた土地も、家業も、爵位も失う未来は、今なお目の前にある。

 

「それでも、やります」

 

 ジョージは、眼下に広がる町から目を逸らさなかった。

 果物や民芸品を売るだけでは、父の遺した土地と家業を守り抜くことはできない。

 その声には、まだ経験の浅い若者特有の硬さが残っていた。

 だが、以前のような、何も知らないまま口にする根拠のない理想論ではない。

 

 市場。

 水源。

 畑。

 監視塔。

 孤児院。

 

 自分の足で歩き、自分の手で触れ、自分の目で、そこで暮らす人々を見てきた。

 その経験から芽吹いた決意だった。

 

「まずは、今月末を越えます」

 

 ジョージは、証書を胸元へ抱いた。

 

「その先に、どれほどの時間を得られるかは分かりません」

 

 一語ずつ、自分自身へ刻み込むように言葉を紡ぐ。

 

「ですが、与えられた時間を無駄にはしません。人が訪れ、働き、商いを始めたいと思える町を作ります」

 

 ネリオの細い目が、わずかに見開かれた。

 モーブルも、しばらく何も言わず、若き男爵の横顔を見つめていた。

 つい数日前まで、ジョージは屋敷の中で書類を眺めながら、誰かが差し出す答えを待っていた。

 今は違う。

 正解が用意されていない道へ、自分の意思で踏み出そうとしている。

 

「ネリオ殿」

 

 ジョージは、小柄なエルフへ向き直った。

 

「あなたの力を、貸していただけますか?」

 

「もちろんですとも」

 

「プロのジャーナリストとして、記事の力でヴァーゼルの名を広めてほしいのです」

 

「ええ。お任せください!」

 

 ネリオは胸へ手を当て、芝居がかった動作で大げさに頭を下げた。

 

「知性と美貌を兼ね備えた、正義に燃えるジャーナリスト――ネリオ・フォックスライドが、ヴァーゼルの魅力を大陸中へ知らしめてみせましょう!」

 

「自称を三つも重ねるな」

 

 モーブルが即座に切り捨てる。

 

「では、『銀級探索者にして広告業界の寵児』も加えます?」

 

「増やすなと言っておる!」

 

「で、山ゴリさんはどうします?」

 

 モーブルは、ふんと鼻を鳴らした。

 

「決まっておる」

 

 証書を折り目に沿って丁寧に畳み、ジョージへ返す。

 

「まずはルブルース公爵家へ照会し、基金の正確な総額と、引き出せる時期を確認する」

 

 次いで、太い指を一本立てた。

 

「同時に、すべての債権者、借入額、利率、返済期限、担保の内容を洗い出す」

 

 二本目。

 

「そのうえで基金を交渉材料にし、今月末の差し押さえと返済不能の認定を凍結させる」

 

「猶予を、得られるでしょうか」

 

「得られると約束はせん」

 

 モーブルは厳しい表情を崩さなかった。

 

「だが、このわしが交渉の席へ着く以上、簡単に土地と爵位を持っていかせるつもりもない」

 

 そして、ジョージを真っ直ぐに見据えた。

 

「債権者どもが納得するまで、金と計画と利益を並べてやる。どれほど延ばせるかは相手次第だが――取れる猶予は、一日残らずもぎ取る」

 

「モーブル殿……」

 

「勘違いするな。成功を保証しておるのではない」

 

 モーブルの声は、あくまで厳しかった。

 

「基金の証書が、すぐに換金できるとは限らん。債権者どもが再建計画を絵空事と切り捨てる可能性もある」

 

 それでも。

 モーブルは、丸太のように太い腕で分厚い胸を堂々と叩いた。

 

「だが、このわしが引き受けた以上、半端な交渉はせん」

 

 夕日を背に、低く力強い声が丘へ響く。

 

「モーブル商会の看板にかけて、債権者どもへ分からせてやる。この町は、今すぐ切り売りするより、生かして金を産ませた方が遥かに儲かるとな」

 

 ジョージは、しばらく言葉を失った。

 モーブルは強欲で、口が悪く、報酬の話を一瞬たりとも忘れない男だ。

 だが、商人として看板をかけて口にした約束だけは、決して軽く扱わない男でもあった。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言うのは、債権者どもの署名が入った猶予契約を手にしてからにしていただきたい」

 

「取材記事の第一弾なら、すぐに書けますよぉ」

 

 ネリオが、夕焼けに染まる空を見上げながら言った。

 

「父君の言葉は書きません。あれは父親が息子へ遺した、私的な言葉です。あたしが勝手に記事へして売り飛ばしてよいものではありませんから」

 

 ジョージは驚いたように、ネリオを見つめた。

 

「ネリオ殿……」

 

「代わりに、『若き男爵の家業再建記』を連載します」

 

「結局、記事にはするのですね」

 

「市場の不当な料金改定を止めたこと。水路を直したこと。十年かけた果樹園を守ると決めたこと。魔物の巣になった監視塔へ挑んだこと。孤児院へ継続的な仕事を生む仕組みを考えたこと」

 

 ネリオは、生粋のジャーナリストらしい不敵な笑みを浮かべた。

 

「そして、返済期限目前の若き男爵が、辺境の街を立て直すために立ち上がった」

 

「借金額と返済期限は、具体的に書かないでください」

 

「ええっ。一番、読者の不安を煽れるところなのに?」

 

「絶対に書かないでください!」

 

「まあ、記事で知名度を上げること自体は悪くない」

 

 モーブルが口を挟んだ。

 

「まずは、ヴァーゼルという名をカヴェナの商人と住民の頭へ叩き込む。最初は記事を読んだ物好きでも構わん」

 

 にやりと、商人らしい笑みを浮かべる。

 

「訪れた者へ存分に金を使わせ、満足させ、次の客を連れてこさせる。記事を一度きりの宣伝で終わらせず、継続的な商いへつなげるのだ」

 

「では、モーブル殿も記事には賛成なのですね」

 

「内容を事前に確認できるならな」

 

 ネリオの笑顔が、ぴたりと固まった。

 

「……事前に?」

 

「当然です」

 

 ジョージが、すかさず言葉を継いだ。

 

「取材を受ける側には、掲載前に内容を確認する権利があると聞きました」

 

「誰からです?」

 

「モーブル殿です。契約書や記事は、世に出る前に一字一句確認しろと」

 

「また山ゴリさんの教育が裏目に!」

 

「裏目ではない。正しく役立っておるわ!」

 

 モーブルは自信満々に胸を反らした。

 

「では改めて。基金の確認、債権者との交渉、担保価値の再算定、返済計画の策定、新規事業の収支予測、商人や職人の誘致」

 

 太い指を、一本ずつ立てていく。

 

「そのすべてを、このモーブル商会へお任せください」

 

「費用は?」

 

「差し押さえの凍結と返済条件の変更が成立した際の成功報酬として、再建基金総額の一割を――」

 

「高すぎます」

 

 ジョージは、間髪を容れずに切り捨てた。

 モーブルの目が、限界まで大きく見開かれる。

 

「な……」

 

「元金だけでも一割なら三千枚です。再建事業へ回すべき大切な資金を、それほど多く手数料には使えません」

 

「男爵様が……このわしの提示額へ、異議を唱えた……?」

 

「市場で学びました。提示された金額を鵜呑みにせず、業務内容と相場を確かめてから決めるべきだと」

 

「貴様、余計なところばかり異常な速度で成長しおって!」

 

 ネリオが腹を抱えて吹き出した。

 

「いやぁ、山ゴリさん! 立派に育てましたねぇ!」

 

「わしは、自分の報酬を値切るような可愛げのない客を育てた覚えはない!」

 

「では、譲って八分だ!」

 

「五分です」

 

「七分!」

 

「五分です」

 

「六分だ! これ以上は、商人として絶対に譲れん!」

 

「成功報酬は五分」

 

 ジョージは、血走ったモーブルの目を真っ直ぐに見返した。

 

「その代わり、西部開拓畑の果実と加工品、孤児院の商品、そして今後ヴァーゼルで始める新事業について、モーブル商会を優先取引先とします」

 

 モーブルの目が、すっと細くなった。

 

「ただし、価格と契約条件は市場相場に照らし、毎年厳格に見直します」

 

 モーブルが、ぴたりと口を閉ざした。

 濁った瞳が凄まじい速度で動く。

 頭の中で、猛烈な勢いで算盤を弾いているのだ。

 

 高品質な果実と加工品。

 孤児院で作られる実用品。

 再整備された中央市場。

 新たに誘致される宿屋、食堂、工房。

 旅人が増えれば、運送、修理、食料、案内、護衛など、いくつもの商いが派生する。

 ヴァーゼルの再建が軌道に乗れば、単発の成功報酬など比較にもならないほどの取引が、何年にもわたって続く。

 

「……六分」

 

「五分です」

 

「この強情な坊ちゃんめ!」

 

「商談では、絶対に譲れない線をあらかじめ決めておくべきなのでしょう?」

 

「それも、わしが教えたようなものではないか!」

 

「ええ。ありがとうございます、ご友人どの」

 

「満面の笑みで友人面するな! 腹が立つ!」

 

「ほらほら。五分で手を打ちなさいよ、山ゴリさん」

 

 ネリオが笑いながら、モーブルの広い背中をばんばんと叩いた。

 

「男爵様が破産したら、成功報酬どころか一銭も取れませんよ」

 

「言われずとも分かっておるわ!」

 

 モーブルはしばらく唸っていたが、やがて乱暴に右手を差し出した。

 その顔には悔しさだけでなく、自分と正面から渡り合った若者への、隠しきれない満足感が浮かんでいる。

 

「……五分だ。ただし、債権者との交渉窓口と、新事業の資金管理は、すべてわしへ一任していただく」

 

「資金管理までですか?」

 

「男爵様だけへ任せたら、困っている者を見つけるたびに、情にほだされて予算を全部配りかねんからな」

 

「私も、そこまで無計画ではありません!」

 

「数日前までなら、間違いなくやっていましたよぉ」

 

「ネリオ殿まで!」

 

「では、帳簿は男爵様にも常時開示する。大きな支出には、双方の承認を必要とする。それでどうだ」

 

 ジョージは少し考え、力強く頷いた。

 

「承知しました」

 

 差し出された太い手を取り、しっかりと握り返す。

 契約成立だった。

 

「では、あたしの専属取材契約も」

 

 ネリオが横から、小さな手を二人の上へ重ねてくる。

 

「誰も貴様とは契約しておらんわ!」

 

「『カヴェナ通信』で、ヴァーゼルを大々的に宣伝してあげるんですよ?」

 

「掲載前の記事確認権が認められるなら、前向きに検討します」

 

「そこは即答で承諾してくださいよ!」

 

 三人の騒がしくも温かな声が、夕暮れの丘へ響き渡った。

 

 箱の中に、十万枚もの借金を消し去る黄金はなかった。

 手に入ったのは、最低でも金貨三万枚に相当する再建基金と、差し押さえや爵位剥奪を食い止めるための交渉材料。

 そして、ヴァーゼルへ新たな価値を生み出す、芽吹いたばかりの計画だけだ。

 

 債権者が交渉に応じる保証はない。

 たとえ猶予を得ても、その時間を成果へ変えられなければ、次こそすべてを失う。

 

 道のりは、決して平坦ではなかった。

 それでも、ジョージ・ウィルハルケンは、もう数日前までの彼ではない。

 

 市場で人々の暮らしを見て、水源で仕事の重みを知り、畑で未来を育てる意味を学んだ。

 監視塔では恐れながら前へ立つ勇気を得て、孤児院では明日まで守る責任に触れた。

 

 今の彼には、現実を見つめ、自ら考え、自ら決断する力がある。

 そして、ともに考え、戦ってくれる仲間たちもいた。

 

「モーブル殿。ネリオ殿」

 

 ジョージは、二人を真っ直ぐに見た。

 

「改めて、お願いします」

 

 そして、眼下に広がる町と土地を見渡した。

 

「私とともに、ウィルハルケン家の家業と、この土地で受け継がれてきた人々の営みを、立て直してください」

 

 モーブルは、完璧な商売人の笑顔を浮かべた。

 

「もちろんですとも。正当な報酬が支払われる限り、地獄の底までお供いたしますぞ」

 

「感動的な場面なのに、銭勘定を隠そうともしませんね」

 

「無償で働くなどと見え透いた嘘をつくより、よほど誠実だ」

 

「それは確かに」

 

 ネリオは笑い、愛用の手帳をぱちんと開いた。

 

「では、ヴァーゼル再建計画を世間へ知らしめる、連載第一回の見出しを決めましょう」

 

「何です?」

 

「『没落寸前の世間知らず男爵、山ゴリラと小妖精に拾われる』」

 

「私が路地裏へ捨てられていたように書かないでください!」

 

「では――『借金十万枚! 泥まみれ男爵の波乱万丈・家業再建生活』」

 

「借金額を大見出しにしないでください!」

 

「よいではないか。人々の関心を煽らなければ、ヴァーゼルへ客は来んぞ」

 

「モーブル殿まで面白がらないでください!」

 

「では副題に、『爵位剥奪まで、あとわずか』も加えましょう」

 

「煽りすぎです!」

 

「実際、今月末なのでしょう?」

 

「具体的に言わないでください!」

 

「売れますよぉ」

 

「うむ、売れるな」

 

「二人とも売ろうとするな!」

 

 ジョージの悲鳴に、ネリオの明るい笑い声と、モーブルの底意地の悪い笑いが重なった。

 眼下には、夕日に染まるヴァーゼルの町と、ウィルハルケン家が所有する広大な土地が広がっている。

 金貨だけでは買えない、父が遺した本当の財産。

 若き当主が、これから自らの手で守り、育て、新たな価値を生み出していかなければならない場所。

 

 五つの歯車を巡る宝探しは、ここで終わった。

 だが、ジョージ・ウィルハルケンと仲間たちによる、ヴァーゼル再建の物語は――。

 ようやく今、その困難で希望に満ちた第一歩を踏み出したばかりだった。

 

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