モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
祭具室の中央には、かつて祭具を並べるために使われていた古い石台が残されていた。
礼拝堂での戦闘を終えた一行は、休む間もなく野営の準備へ取りかかっている。
アックスは入口へ板材と木箱を積み、万が一、墓道から何かが侵入してきても時間を稼げるよう、簡易的な防壁を組み上げていく。
ネリオは壁際や天井に罠が残されていないか念入りに調べ、シルヴィオは杖を掲げて床へ簡単な清めを施す。
カイルとルチオは見張りに適した位置を確認し、モーブルは巨大な背負子から食料や毛布を取り出していた。
ラースとライオットも、その傍らで荷解きを手伝っている。
誰も、余計な口を開かなかった。
つい先ほど、礼拝堂で交わされた言葉が、まだ全員の胸に重く残っている。
――必要でなくなれば、置いていく。
ニーシャとしては、攻略隊を率いる者として当然のことを言ったつもりだった。
役割を果たせない者を抱えたまま、危険な深層へ進むことはできない。
それは感情ではなく、単純な判断だ。
少なくともニーシャ本人は、そう考えている。
ただ――。
言われた側が、その言葉をどう受け取ったのか。
そこまで考えが及んでいる様子はなかった。
「…………」
ニーシャは黙々と作業する一同を眺めたあと、祭具室をひととおり見回した。
罠の反応なし。
魔物の気配もない。
入口の防壁も、もうすぐ完成する。
ひとまず安全は確保されたと判断し、ようやく杖を下ろした。
「少し疲れた。休む」
「かしこまりました!」
「ラース!」
「は、はい!」
その一言を待ち構えていたかのように、モーブルとラースが同時に動いた。
「……?」
カイルが嫌な予感を覚えて振り返る。
そして数秒後。
「……なんだよ、それ」
思わず呟いた。
背負子の奥から次々と取り出されていくのは、未踏ダンジョンの攻略には到底似つかわしくない品ばかりだった。
折り畳み式の椅子。
柔らかなクッション。
小さな机。
銀製の杯。
冷却魔法を施した容器に入った果汁水。
そして、蜂蜜をたっぷり練り込んだ焼き菓子。
「ニ、ニーシャ様! こちらへどうぞ!」
ラースは慌ただしく椅子を広げ、その上へ柔らかな布を敷く。
さらに背もたれへクッションを置き、一歩下がって眺めた。
「……もう少し右でしょうか」
クッションを右へずらす。
「いや、左の方が……」
今度は左へ戻す。
「ラース」
「は、はい!」
「どちらでもいい」
「あっ、はい!」
ようやく位置が決まったらしい。
ニーシャは当然のように腰を下ろし、クッションへ背中を預けた。
すると今度は、ラースが外套へ付着した埃を丁寧に払い始める。
さらに温めた布まで取り出し、ニーシャの杖の柄を丹念に拭いていった。
「…………」
板材を抱えていたカイルの手が止まる。
「本当に全部持ってきたのかよ……」
「ふん。当たり前だ」
モーブルは誇らしげに胸を張った。
「たとえ過酷なダンジョンの中であろうとも、ニーシャ坊っちゃんには貴族らしく、何不自由なくお過ごしいただく……。これこそ、有象無象の
「ボクは別に、そこまで要求した覚えはないけどね」
そう言いながらも、ニーシャはクッションの位置を少し直し、さらに深く背中を預けた。
「十分くつろいでんじゃねぇか」
カイルがぼそりと呟く。
そして椅子を羨ましそうに眺めた。
「……なあ、旦那。予備のクッションとかねぇの?」
「あるぞ」
「あるのか!」
カイルの顔が明るくなった。
モーブルは指を三本立てる。
「一回金貨一枚だ」
「高ぇよ!」
「地下三層まで人力で運んできたクッションだぞ。運搬費込みなら良心的価格だ」
「座るだけで金貨一枚取る気かよ!」
「嫌なら床が空いておる。無料だぞ」
モーブルが石床を指差す。
「くそっ……!」
カイルは悔しそうに床へ視線を落とした。
「ニーシャ様、こちらを!」
今度はラースが、果汁水を銀の杯へ注ぐ。
こぼさないよう両手で慎重に持ち、ニーシャへ差し出した。
「ど、どうぞ!」
「うん」
ニーシャは杯を受け取り、一口飲んだ。
よく冷えた果汁が喉を通る。
満足そうに、わずかに目を細める。
「冷え具合は悪くない」
「あ、ありがとうございます!」
「焼き菓子」
「はい!」
すぐさま皿が差し出された。
ニーシャは蜂蜜菓子を一つ摘まみ、形を崩さないよう上品にかじる。
「…………」
カイルが、また見ている。
「なんだよ、その顔は」
「いや……」
カイルは自分の手にある水袋を見た。
中身は、すっかりぬるくなった水。
それからニーシャを見る。
冷たい果汁水。
柔らかな椅子。
ふかふかのクッション。
蜂蜜菓子。
「……旦那」
「なんだ」
「その果汁水、俺にも一杯くれよ」
「金貨一枚だ」
「金取るのかよ!」
「当然だ」
モーブルは即答した。
「冷却魔石で朝から温度を維持しておる。冷却費、容器代、運搬費を含めればむしろ安い」
「ただの一杯だぞ!?」
「ならぬるい水を飲め。そちらは貴様が自分で持ってきた無料商品だ」
「商品ですらねぇよ!」
カイルが水袋を握り締める。
ニーシャはそんな彼の目の前で、わざとらしくもう一口飲んだ。
「……あー、冷たさが喉に染みるね」
「くっそぉ……!」
さらにニーシャが蜂蜜菓子をかじる。
甘い香りが漂った。
「……その菓子は?」
「一個金貨二枚」
モーブルの返答は早かった。
「高すぎるだろ!? ここは帝都の高級菓子屋かよ!?」
「深層価格ってやつだな」
「なんだよ深層価格って! 足元見すぎだろ!」
「うるさい! 足元どころか地下三層まで見ておるわ!」
「うまいこと言ったつもりか!」
ニーシャは二人のやり取りなど気にも留めず、焼き菓子をもう一つ摘まんだ。
「さっきまで同じ墓場を歩いてた人間とは思えねぇな……」
「だから?」
「ダンジョンの中で菓子食って、冷たい果汁水飲んで、柔らかい椅子に座って……」
カイルが呆れ顔で指を折っていく。
「次は何だ? うちわで扇がせるのか?」
「…………」
ニーシャは何も答えなかった。
ただ。
すっ。
ラースへ片手を差し出す。
「おい」
「は、はい!」
ラースは待っていましたとばかりに荷物へ飛びついた。
ごそごそと探り――。
小さなうちわを取り出した。
「本当にあるのかよ!?」
カイルの声が祭具室へ響いた。
シルヴィオが、ちらりと振り返る。
「カイルさん、声が大きいです。それに手が止まってますよ」
「あ……悪い」
カイルはすぐさま声を落とした。
どうやら第二層から多少は学習したらしい。
「あの、ニーシャ様。少し暑くありませんか?」
ラースが尋ねる。
「そうだね。少し」
「では!」
ぱたぱた。
ニーシャへ涼しい風が送られる。
「…………」
カイルは何とも言えない顔になった。
「本当に扇がせるのかよ……」
「火照った身体を冷ますことも、疲労回復には必要だ」
ニーシャは焼き菓子を一口かじった。
「……旦那」
「今度はなんだ」
「俺もちょっと扇いでくれよ。防壁作って暑いんだよ」
「特別価格だ。十秒につき銀貨一枚」
「秒単位で金取るのかよ!?」
「長時間利用なら十分につき金貨三枚の割引料金もあるぞ」
「いらねぇよ!」
「では黙って働け」
「この守銭奴!」
「商人にとって最高の誉め言葉だ」
モーブルはふんぞり返った。
「つーか、なんでニーシャは全部タダなんだよ!」
「タダではない」
「え?」
「坊っちゃんには後ほどまとめて請求する」
モーブルは胸元から小さな帳簿を取り出す。
「椅子、クッション、果汁水、菓子、給仕、うちわ。すべて『高位貴族向け深層攻略快適支援プラン』へ計上済みだ」
「金取る気満々なのかよ!」
カイルの叫びを無視し、モーブルは帳簿をしまった。
ニーシャも料金のことなど気にしていないらしい。
「特に今日は、予定外に魔力を使わされたからね」
「……」
「誰かさんたちのおかげで」
ぴくっ。
カイルの眉が動いた。
せっかく少し和らぎかけていた空気が、またわずかに張り詰める。
「……悪かったな」
ぽつり。
予想外の言葉に、今度はニーシャの手が止まった。
「……何?」
「だから、さっきは悪かったって言ってんだよ」
カイルはニーシャを見ないまま、抱えていた板材を壁際へ立てかけた。
「勝手に前へ出て、呪い食らって、陣形まで崩した。あれは俺が悪かった」
「…………」
ニーシャは少しだけ目を見開いた。
てっきり、いつものように噛みついてくると思っていたのだろう。
「なんだ。今日はずいぶん素直じゃないか」
「俺だって反省くらいするっての」
「だったら次は指示どおりに動け」
「……分かってるよ」
カイルは板材へ視線を戻した。
「次は絶対、足引っ張らねぇ」
「どうだかね」
カイルの肩が、ぴくりと動く。
その瞬間。
「ニーシャ様」
シルヴィオの静かな声が飛んだ。
「……何」
「それ以上は、今言わなくてもよろしいのでは?」
「…………」
ニーシャは一瞬だけ不満そうに眉を寄せた。
だが。
「……ふん」
それ以上、追い打ちはかけなかった。
代わりに、空になった杯を軽く持ち上げる。
「あっ!」
ラースは片手にうちわ。
もう片方には焼き菓子の皿。
慌てて両方を置こうとした、その時だった。
「先輩。私がやる」
近くで荷物を整理していたライが、果汁水の容器を持ち上げた。
「えっ? あ、ありがとうございます、ライさん!」
とくとくとく――。
澄んだ果汁水が銀の杯へ注がれていく。
ニーシャが横目でライを見る。
ぴたり。
ニーシャが飲みたかったくらいの、ちょうどよいところで止まった。
「ふーん。ぼんやりした顔をしてる割には、気が利くじゃないか」
「そう?」
「一応、褒めてるんだよ。これが終わったらうちの屋敷で雇ってやってもいいよ」
「……それはいい」
それだけだった。
本人たちは特に気にした様子もない。
だが。
「…………」
モーブルだけが、なんとも言えない顔でその光景を見つめていた。
「モーブル」
「な、なんですかなっ!?」
「なんだ、その顔は」
「い、いえ! なんでもございませんぞ!」
モーブルは慌てて首を振った。
(坊っちゃん……! その方こそ、貴方が勝手に恋敵認定しておられるライオット若様ご本人ですぞぉぉぉ……!)
モーブルは、喉まで出かかった叫びを必死に飲み込んだ。
ニーシャが一方的に恋の好敵手と見なし、何かにつけて対抗心を燃やしている相手――ライオット・ヴァルディス。
その本人が今は分厚い黒縁眼鏡をかけ、平民の少年『ライ』として、何食わぬ顔でニーシャの杯へ果汁水を注いでいる。
しかもニーシャは、その正体にまるで気づいていない。
自分を今回のカタコンベ攻略へ駆り立てた張本人を目の前にして、
「気が利くじゃないか。うちで雇ってやってもいい」
とまで言ってしまったのである。
(知らぬとは、なんと恐ろしい……!)
事情を知るモーブルだけが、冷や汗をだらだらと流していた。
そんな店主の内心など知る由もなく、ニーシャはカイルへちらりと視線を向けると、ライオットが注いだばかりの果汁水を悠然と口へ運んだ。
「……うん。やっぱり冷たい方がおいしいね」
「くっ……!」
完全に当てつけだった。
カイルが板材を担ぎながら振り返った。
「こっちは野営の準備してんだぞ! 一人だけ椅子に座って菓子食って、果汁水飲んで、挙げ句にうちわで扇がせて……! ずいぶんいいご身分だな!」
「ああ。そのとおりだよ」
「……あ?」
ニーシャは足を組んだ。
そして、悠然と杯を傾ける。
「ボクは、いいご身分だからね。万年ブロンズ級の貧乏冒険者と違ってね」
にこり。
「こいつ……!」
カイルの額へ青筋が浮かぶ。
「カイルさん」
すかさずシルヴィオの声が飛んだ。
「防壁がまだ完成していませんよ」
「分かってるよ!」
「声大きいです」
「…………分かってる」
カイルは歯を食いしばりながら、再び板材を持ち上げた。
その背後では。
ぱたぱた。
ラースが懸命にうちわを動かしている。
「もう少し右から」
「は、はい!」
「もう少し上」
「こうですか?」
「うん。それくらい」
「分かりました!」
「焼き菓子も、もう一つ」
「はいぃぃ!」
「お前さぁ……」
カイルが呆れ切った顔で振り返る。
「ここがダンジョンだってこと、本当に忘れてねぇか?」
「忘れていないよ」
ニーシャは平然と答えた。
そして、新しい焼き菓子を一つ摘まむ。
「だからこそ、休める時に休んでいるんじゃないか」
「限度ってもんがあるだろ!」
「休息に?」
「貴族っぷりにだよ!」
「なら、お前も休めばいいだろ」
「え?」
予想外の返答に、カイルが瞬く。
ニーシャが空いている場所を顎で示した。
「休憩時間なんだから、座るなり飲むなり好きにすればいい」
「……おお」
カイルの顔が少し明るくなる。
だが、その横から。
「もちろん、有料だ」
モーブルが割り込んだ。
「旦那が決めるのかよ!」
「商品は全部わしの物だからな」
モーブルが指を折る。
「クッション金貨一枚。冷却果汁水一杯金貨一枚。蜂蜜菓子一個金貨二枚。うちわ十秒銀貨一枚」
「…………」
「全部まとめた『庶民向け簡易貴族体験コース』なら、特別価格で金貨三枚におまけしてやろう」
「誰が払うかぁぁぁぁぁ!」
カイルの怒声が祭具室へ響いた。
◆
野営の準備が整うと、一行は簡素な夕食を取った。
硬いパンと、干し肉や豆を煮込んだ温かなスープ。
長期のダンジョン攻略を考えれば十分な食事ではある。
ただし――。
「……おい」
カイルが半眼になった。
ニーシャの前にだけは、柔らかな白パン、上等な燻製肉、瑞々しい果実まで並べられている。
「休憩だけじゃなくて、飯まで特別扱いかよ……」
「当たり前だ」
モーブルは、さも当然のように答えた。
「坊っちゃんは、われわれを雇った依頼主だ。しかもオブライエン伯爵家のご子息。身分と契約内容にふさわしい待遇を用意するのも、モーブル商会の仕事だからな」
「俺のパンなんか、武器に使えそうなくらい硬ぇぞ」
「柔らかい白パンもあるぞ」
「本当か!?」
「一個金貨一枚」
「もういい!」
カイルは硬いパンへ乱暴にかじりついた。
ガリッ。
「……かってぇ!」
「だから金を払えと言っただろう」
「パン一個に金貨払えるか!」
その横では、ルチオがスープを何度もおかわりし、アックスは早くも空になった鍋を名残惜しそうに覗き込んでいる。
ネリオはそんな一同を眺めながら、楽しそうに手帳へ何かを書き込んでいた。
「貴様、何を書いておる」
「『モーブル商会、地下三層で暴利を貪る』と」
「小妖精! 事実を悪意たっぷりに切り取るな!」
そんな騒がしい夕食も終わり。
全員が食器を片づけ始めたところで、モーブルが満足げに立ち上がった。
「さて」
巨大な腹をぽん、と叩く。
「次は、坊っちゃんのご入浴の準備だな」
「…………は?」
カイルの手から、空になった木椀が滑り落ちた。
カラン。
乾いた音が祭具室へ響く。
「旦那……今、なんて言った?」
「若いくせに耳が遠いのか。入浴だと言ったんだ」
「ここ、ダンジョンだぞ?」
「知っておる」
「しかも地下三層だぞ?」
「それも知っておる」
「風呂なんか、どこにあるんだよ!」
「なければ用意すればいい」
モーブルが指を鳴らした。
「ラース!」
「はい!」
ラースはすぐさま巨大な背負子の奥へ手を伸ばした。
まず取り出したのは、折り畳まれた厚手の布。
次に金属製の枠。
そして――。
どん。
底の深い、組み立て式の浴槽。
「…………」
カイルはしばらく無言でそれを見つめた。
やがて両手で頭を抱える。
「信じられねぇ……浴槽まで持ってきてたのかよ、このおっさん……」
ネリオが興味津々といった様子で浴槽の周囲を歩き回る。
「いやはや、これはまたひとつ面白いネタができましたねぇ! 『未踏遺跡の地下三層に突如出現した、移動式貴族生活空間!』――冷たい果汁水に椅子、菓子、うちわ、果ては浴槽まで! 山ゴリさんとアックスさんの荷物が異様に多かった理由にも納得です!」
「おら……これまでお貴族様の風呂まで背負って歩いてただか……? どうりで重かっただ……」
実際に巨大な荷物を担いでいたアックスが愕然とする。
モーブルとラースは慣れた手つきで金属枠を組み上げ、その周囲へ厚手の布を張っていく。
ほどなくして即席の仕切りが完成し、その中央へ浴槽が据えられた。
続いてモーブルが取り出したのは、青色と赤色に輝く二つの魔石だった。
「まずは、これだ」
青い魔石を浴槽の底へ置き、表面を軽く叩く。
途端に――。
シュウウウ……。
魔石から澄んだ水が湧き出した。
細かった水流は次第に勢いを増し、浴槽をみるみる満たしていく。
ニーシャが横目を向けた。
「水生成用の魔石か。かなり上等な品だね。不純物がほとんど混じっていない」
「さすが坊っちゃん、お目が高い! 坊っちゃんがお使いになる水ですからな。当然、最上級品を用意しておりますぞ!」
十分な水が溜まったところで、モーブルは赤い魔石を沈めた。
ぼんやりと赤い光が水中へ広がり、やがて冷たかった水面から白い湯気が立ち始める。
シルヴィオが感心したように眺めた。
「加熱用の魔石まで……火を焚かずに湯を沸かせるなら、煙や匂いで周囲の魔獣を刺激する危険も少なくなりますね」
「そうだろう!」
モーブルが胸を張る。
「一見すれば贅沢! しかし実際には衛生、疲労回復、安全性まで考え抜いた実用品! 快適さと生存率を両立してこそ、モーブル商会の商品なのだ!」
「まあ、山ゴリさんの金儲けに対する執念だけは認めますけどねぇ」
ネリオが肩をすくめる。
「ポーターの仕事は必要な物資を効率よく運ぶことですから。快適さを追求するあまり荷物を増やして、浴槽そのものを地下まで担いでくるのは、さすがに本末転倒な気もしますけど?」
「野暮なツッコミはいらん、小妖精!」
さらにモーブルは、小さな陶器の壺を取り出した。
蓋を開けた瞬間。
ふわり。
甘く爽やかな香りが祭具室へ広がった。
花と柑橘。
その奥に、わずかな薬草の香り。
「これは?」
「最高級の薬湯剤だ」
モーブルは壺から粉末をすくい、湯へ溶かす。
一杯。
二杯。
三杯。
湯が淡い青色へ変わっていく。
「おいおい。さすがに入れすぎじゃねぇか?」
カイルが口を挟む。
「坊っちゃんは香りが濃い方を好まれるからな。疲労回復に加え、魔力循環を整える作用まである上等品だ」
「もう十分だ」
なおも壺を傾けようとするモーブルをニーシャが止める。
「ラース。湯加減を見てくれ」
「はい!」
ラースは慎重に湯へ指先を入れた。
しばらく真剣な顔で確かめ――。
「ちょうどよろしいと思います!」
「そうか。じゃあ、入ろうかな」
ニーシャが椅子から立ち上がった、その瞬間。
「待て待て待て!」
カイルが勢いよく割り込んだ。
「なんだよ」
「まさか、お前一人だけ風呂に入って終わりじゃねぇだろうな?」
カイルは浴槽を指差す。
「こっちだって朝からずっと墓場を歩き回ってんだぞ! 汗もかいてるし、埃まみれだ! 風呂くらい入らせろよ!」
「なんだと。貴様も入りたいと言うのか?」
モーブルが、にやりと笑った。
「入りたいに決まってんだろ!」
「じゃあ金貨五枚だ」
「また金かよ!」
「水生成魔石、加熱魔石、薬湯剤、浴槽、仕切り。設営から片づけ、排水処理まで込みで金貨五枚。未踏ダンジョンでの出張入浴サービスとしては、むしろ良心的な価格だぞ」
「どこが良心的だ! 風呂一回で金貨五枚も取る奴があるか!」
「ならば濡らした布でも貸してやる。身体くらい拭けるぞ」
「それはいくらだよ」
「銀貨十枚」
「布まで金取るのかよ!」
「必要な者へ適正価格で提供する。良心的な商人だ」
即答だった。
「くそっ……!」
カイルは拳を握り締め、湯気の立つ浴槽を恨めしそうに見つめる。
「金さえあれば……俺だって熱い風呂に入って、柔らかい椅子に座って、菓子食って、冷たい果汁水飲んでやるのに……!」
その隣で。
「いいなぁ……僕もお風呂入りたいなぁ」
ルチオが浴槽を羨ましそうに覗き込んでいた。
その声を聞きニーシャが振り返った。
「……入りたいのか?」
「うん!」
「…………」
ニーシャは少しだけ考える。
「なら、ボクが上がったあとに使っていいよ」
「えっ、本当に!? ありがとう、ニーシャくん!」
ルチオの顔がぱっと明るくなる。
しかし、すぐに仲間たちを振り返った。
「でも……僕だけ入るのも悪いなぁ。シルヴィも、ネリオさんも、アックスさんも、ずっと歩いて疲れてるし。ラースくんたちだって同じでしょ?」
「……」
ニーシャも一同を見る。
シルヴィオ。
ネリオ。
アックス。
ラース。
ライ。
そして――。
期待に満ちた目で自分を見ているカイル。
「……仕方ないね」
ニーシャが小さく息を吐いた。
「希望する者は、順番に使っていいよ」
「本当ですか?」
シルヴィオが意外そうに目を瞬く。
「ああ。湯や薬湯剤が足りなくなったら追加すればいい。費用はボクが払う」
「おおっ! さすが坊っちゃん! なんと慈悲深い! 追加分も最高級品をご用意いたしますぞ!」
モーブルの目が金貨のように輝いた。
「ありがとう、ニーシャくん! 思ってたより優しいところもあるんだね!」
「思っていたより、は余計だ」
ネリオも口元を緩める。
「これは記事になりますねぇ。『傲慢貴公子、地下三層で仲間へ湯を振る舞う! 意外すぎる慈悲深さに一同感激!』――ただでさえ人気のニーシャ様、さらに好感度が上がりそうです!」
「好きに書け」
ニーシャは興味なさそうに返した。
シルヴィオも穏やかに微笑む。
「ありがとうございます、ニーシャ様」
「礼はいらないよ」
ニーシャはそっぽを向いた。
「明日も歩くんだ。疲労を残されて足手まといになられる方が困る」
相変わらず言い方は可愛げがない。
それでも。
先ほどまで祭具室に残っていた張り詰めた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
「よっしゃ! それなら俺は三番風呂だな!」
すかさずカイルが勢いよく手を上げる。
「お前は駄目だ」
ニーシャは即答した。
「なんでだよ!」
「野良犬が入れば、せっかくの湯が汚れる。ボクの美意識が許さない」
「おい、誰が汚いって!?」
カイルの抗議を聞き流し、ニーシャは涼しい顔で外套をラースへ預けた。
「さぁ、みんな外へ出てくれ。ラースは中に残って、着替えを持っていろ」
「はい! しっかりと務めさせていただきます!」
なおも不満そうなカイルを含め、全員が仕切りの外へ出る。
ニーシャはラースを伴って中へ入り、厚手の布をぴたりと閉じた。
ほどなくして――。
ちゃぷん。
湯へ身体を沈める音が、仕切りの向こうから聞こえてくる。
「ふぅ……」
心底満足そうな吐息が漏れた。