モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
「見えてきたぞ」
砂丘を一つ越えた先。
黒々とした岩山の麓に、巨大な石造りの入口がぽっかりと口を開けていた。
第四層の砂漠とは明らかに異質な、人工的に切り拓かれた洞門。
その奥には、地下深くへと続く長い石段が伸びている。
「ようやく第五層か……」
カイルが額に浮いた汗を腕で拭った。
「ここから先は、また普通のダンジョンに戻るんだよな?」
「ああ。この先は第四層みたいに馬鹿みたいに広くないし、罠の数も多少は減る」
「おお。それなら、あたしもちょっとは楽できそうですねぇ!」
ネリオが嬉しそうに笑う。
「ふん。楽だとは言ってないだろ」
ニーシャはすぐさま訂正した。
「問題は魔獣だ。第五層から先は、出てくる連中の格が一段上がる。A級に分類される魔獣やアンデッドだって、普通に徘徊しているからね」
「全然楽じゃねぇじゃねぇか……」
カイルがげんなりと肩を落とす。
「だから、このダンジョンを知り尽くしているボクがいるんだろう」
ニーシャはさも当然のように言い放つと、先頭に立って洞門へ足を踏み入れた。
「いいか。ここから先は、今まで以上に勝手な行動をするな。必ずボクの指示に従え」
「…………」
カイルから返事はない。
「さっきの戦闘で分かっただろ。一人では大したことができない奴でも、適切な場所に置き、適切な役割を与えれば、十分な戦力になる」
肩越しに一行を振り返る。
「誰が何に向いているのか。どこへ配置し、どう動かせば一番力を発揮できるのか。それを見極めるのが指揮官の仕事だ」
そこで、ちらりとカイルを見る。
「つまり――お前みたいに勝手に突っ走る野良犬でも、ボクが正しく使ってやれば役に立つってことさ」
「……はいはい」
カイルが気のない返事をする。
「その返事は何だ」
「聞いてるっての」
「ならもっと真面目に――」
「だから聞いてるって言ってんだろ」
いつもより低い声だった。
ニーシャが足を止める。
カイルも立ち止まり、少しだけ目を細めながら、その背中を見つめた。
「あのさ、天才サマよぉ」
「何だ?」
「さっきも言ったけどな」
カイルはエクセリオンを肩へ担ぐ。
「あんまり自分が全部正しいって思い込んでると、そのうち足元すくわれるぞ」
「…………」
「お前だって、絶対に間違えねぇわけじゃないだろ」
ニーシャの眉がぴくりと動いた。
「ボクの判断が信用できないと?」
「そこまで言ってねぇよ」
「同じことだろ」
「ほら、そういうとこだよ」
「何?」
「カイルさん」
シルヴィオの静かな声が割って入った。
「今は先へ進みましょう」
「……ちっ」
カイルが先に顔を逸らす。
ニーシャもしばらくカイルを睨んでいたが、やがて小さく鼻を鳴らした。
「……勝手にしろ。ただし、次に命令を無視したら本当に置いていくからな」
「へいへい」
「その返事が――」
今度はネリオが苦笑しながら二人の間へ割って入る。
「まあまあ、ニーシャ様。こんなことでいつまでも言い争っていても仕方ありませんよぉ。あたしたちは同じ攻略隊なんですから」
ひらひらと片手を振った。
「締めるところは締める。休めるところでは休む。楽しめるときは楽しむ。それくらい肩の力を抜かないと、こんな地下深くまで精神が持ちませんって」
「お前はちょっと抜きすぎだろ」
「辛辣!」
ニーシャは不機嫌そうに前を向いた。
一行はそのまま、長い石段を下っていく。
一段。
また一段。
背後から差し込んでいた第四層の淡い橙色の光が、少しずつ遠ざかっていった。
肌へまとわりついていた熱気も薄れていく。
乾いた砂を踏む感触もなくなり、やがて靴底へ返ってくるのは、冷たく硬い石の感触だけとなった。
「もうすぐだ。この階段を下りた先が第五層だ」
ニーシャは説明を始める。
「正面に大きな回廊が一本。その左右に二本ずつ細い通路が延びている。入口には双翼獅子の石像が二体あって、その先に――」
最後の一段を下りる。
「…………」
ニーシャの足が止まった。
「おっと」
すぐ後ろを歩いていたカイルが、危うくその背中へぶつかりかける。
「おい、急に止まんなよ」
「…………」
「ニーシャ? どうした?」
返事がない。
カイルが横から顔を覗き込み――。
そこで初めて気づいた。
ニーシャの表情から、先ほどまであった自信が完全に消えていた。
ただ呆然と、目の前に広がる光景を見つめている。
「……違う」
「は?」
「違う……」
今度は、はっきりと口にした。
「何が違うんだよ」
ニーシャがゆっくりと杖を下ろす。
「全部だ」
「……全部?」
ニーシャは一歩だけ前へ出た。
だが。
その足取りには、第四層まで見せていた迷いのなさがなかった。
「回廊がない。壁の位置も違う。天井の高さも……こんな造りじゃなかった」
ニーシャの視線が忙しなく左右へ動く。
「……どういうことだ」
「ここは――ボクの知っている第五層じゃない」
その声が、薄暗い空間へ静かに落ちた。
「……は? それってどういう意味だよ」
ニーシャは答えず、そのまま周囲を見回した。
本来ならば、ここには長方形の巨大な石造回廊があり、そこを中心として左右へ無数の玄室が枝分かれしているはずだった。
一定間隔で並ぶ白い石柱。
天井には古代魔法文明の照明石。
白と黒の石板を交互に敷き詰めた床。
ニーシャは覚えている。
どこに罠があり。
どの通路を選べば最短で先へ進めるのか。
どこに魔獣が巣を作っているのか。
そのすべてを。
ところが――。
「はわわわわ……な、なんですか、ここ……」
ラースが怯えたように声を漏らした。
目の前に広がっていたのは、灰黒色に染まった奇妙な回廊だった。
壁は生物の体内を思わせるほど滑らかに湾曲し、どこにも継ぎ目らしいものがない。
天井を支える柱すら存在しない。
代わりに、壁や床には黒い筋が血管のように無数に這い回り、その奥から淡い紫色の光が脈打つように明滅している。
一本道かと思えば、途中から細い通路が不規則に枝分かれし、その先は深い闇に呑まれている。
どこへ続いているのか、まるで見当もつかない。
「ねえ」
ルチオが壁を見上げる。
「前は本当にこんなんじゃなかったの?」
「まったく違う」
ニーシャは即答した。
「この階段を下りた正面には大広間があった。その左右には二本の回廊。それから入口には、双翼獅子の石像が二体――」
「んん〜?」
ネリオが何かに気づいた。
「ニーシャ様。もしかして……あれでは?」
「何?」
指さした先。
灰黒色の壁から、何かが半分だけ突き出している。
「……!」
ニーシャが駆け寄った。
石造りの翼。
獅子の頭部。
太い前脚。
確かに石像だった。
だが――。
「埋まってる……?」
ルチオが呟いた。
双翼獅子の石像は、その大半を灰黒色の壁の中へ呑み込まれていた。
まるで。
後から生えてきた異質な壁が、もともとそこにあった石像を、そのまま取り込んでしまったかのように。
「双翼獅子……」
ニーシャが石像へ手を触れる。
「間違いない。前回も、確かにここにあった石像だ」
「でしたら」
シルヴィオが周囲を見渡した。
「場所そのものは、第五層で間違いないのですね」
「ああ」
ニーシャは険しい表情のまま頷く。
「ここが第五層なのは間違いない」
「場所は合ってる。でも、中身だけがまるっきり変わっちまった、と」
カイルが灰黒色の壁を見上げる。
「ずいぶん派手な改装だな」
「…………」
「なんだよ」
「軽く言うな」
「他に言いようがねぇだろ」
ニーシャはカイルを一睨みすると、それ以上は相手にせず杖を掲げた。
「《
足元に青白い魔法陣が展開される。
そこから幾本もの細い光が伸び、灰黒色の壁へと走った。
光は壁の表面をなぞり、やがて染み込むように内部へ浸透していく。
その奥を流れる魔力。
複雑に絡み合った術式。
ニーシャは一つずつ拾い上げるように解析していった。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………」
やがて。
その眉間に、深い皺が刻まれる。
「……なんだ、これは」
ネリオが横からひょいと覗き込んだ。
「おやおや? もしかして、魔導国でも指折りの知恵者と名高いニーシャ様でも、この術式の原理はご存じないと?」
「分からないとは言ってない!」
ニーシャが苛立たしげに言い返す。
さらに魔力を注ぎ込み、解析を続ける。
青白い光が幾度も枝分かれし、壁の奥に潜む術式を追っていく。
しばらくして――。
「……そういうことか」
ニーシャがようやく杖を下ろした。
「分かったのか?」
カイルが尋ねる。
「全部じゃない」
「珍しく素直じゃねぇか」
「黙れ」
ぴしゃりと言い返し、ニーシャは改めて灰黒色の壁を見上げた。
「少なくとも、この壁を維持している術式は、第一層から第四層まで使われていたものとは系統が違う」
「つまり?」
「最初からここにあったものじゃない可能性が高い」
「ええっ!?」
ラースが目を丸くした。
「じゃ、じゃあ誰かが後から作ったってことですか!? ダンジョンの中に、別のダンジョンを!?」
「その可能性はある」
「そんなことできるんですか?」
「普通はできない」
「その普通じゃねぇもんが、目の前にあるけどな」
カイルが言った。
「…………」
ニーシャが鋭く睨む。
だが、今度は反論しなかった。
代わりに――。
「……ライ」
不意に振り返る。
「?」
ライが首を傾げた。
「昨日、お前が言っていたな」
「何を?」
「道が動いている、と」
「……うん」
その言葉に、一行が静まり返った。
ニーシャの視線が鋭くなる。
「壁が閉じて、別の場所が開いている。確か、そう言っていたな」
「言った」
「…………」
ニーシャはもう一度、目の前に広がる異様な第五層を見渡した。
灰黒色の壁へ呑み込まれた双翼獅子。
以前とはまったく異なる通路。
そして、前回は存在しなかった異質な構造物。
「……まさか」
ニーシャの口から、小さな呟きが漏れる。
「本当に……階層そのものが動いているのか?」
「だから言った」
ライが淡々と答える。
「道、動いてるって」
「…………」
ニーシャの眉がぴくぴくと引きつる。
「いや、それはもう分かった! ボクが聞いているのは、どうしてお前にそれが分かったのかってことだ!」
「掃除」
「また掃除か!」
「じゃあ、家事」
「言い換えればいいって話じゃない!」
「坊っちゃん!」
即座にモーブルが二人の間へ割って入った。
「今はライくんの家事能力の謎を追及している場合ではございませんぞ!」
「お前まで家事で済ませるな! どう考えても普通の掃除や家事で分かることじゃないだろ!」
「まあまあ、そんな細かいこと気にしたら坊っちゃんの胃が持ちませんぞ!」
カイルは呆れながら、そのやり取りを眺めていた。
だが。
ふと、ニーシャへ視線を向ける。
――あんまり自分が全部正しいって思い込んでると、そのうち足元すくわれるぞ。
つい先ほど、自分が口にした言葉だった。
「…………」
喉元まで、言葉が出かかる。
――ほら見ろ。
そう言おうと思えば言えた。
けれど。
カイルは口を閉ざした。
今ここでそんなことを言ったところで、何の役にも立たない。
それくらいは、カイルにだって分かっていた。
そんな中。
「……それより、坊っちゃん」
先ほどまでライの言い訳に内心冷や汗を流していたモーブルが、ふいに声の調子を落とした。
「……何だ?」
「ここはいったん退きましょう」
一瞬。
場の空気が変わった。
「…………」
ニーシャがゆっくりとモーブルを見る。
「退く?」
「ええ」
モーブルは迷いなく頷いた。
そこに、いつもの金勘定ばかりしている胡散臭い商人の顔はない。
何度も危険な遺跡へ潜り、引き際を誤った冒険者がどうなるのかを知る――ベテラン冒険者の顔だった。
「ここまでと、話が違いすぎます」
モーブルは灰黒色の回廊へ目を向ける。
「第五層の構造が完全に変わっている。坊っちゃんが持っていた地図も、罠の位置も、魔獣の縄張りも、もはや当てにならん」
「…………」
「しかも、ここから先にはA級の魔獣まで出るのでしょう?」
「ああ」
「ならば、なおさらです」
モーブルは即答した。
「知らぬ道へ突っ込むのと、知った道を攻略するのとでは、危険度がまるで違う。これまで坊っちゃんの情報があったから用意できた装備や物資も、ここから先では適切か分かりません」
そこで背後の荷物へ視線を向ける。
「食料、薬、武器、防具、魔導具。未知の環境ならば、必要なものから見直すべきです」
「山ゴリさんにしては、ずいぶん真面目な意見ですねぇ」
ネリオが珍しく茶化しきれない顔で言った。
「小妖精。わしだって命がかかっておれば真面目にもなるわい」
「へぇ。あたしはてっきり、『命より金のほうが大事じゃ!』とか言い出すものかと思ってました」
「わしを何だと思っとる!」
モーブルは咳払いして、再びニーシャへ向き直った。
「坊っちゃん。撤退は敗北ではありませんぞ」
「…………」
「一度戻る。分かった情報を整理する。装備を整え直す。できるなら第五層の変化について古い資料も洗う」
そして、異様な回廊を指した。
「その上で、改めて挑めばいい」
カイルも今度ばかりは茶化さなかった。
「俺も、今回はモーブルの旦那に賛成だな」
その横でネリオも顎へ指を当てた。
「まあ、撤退案そのものは妥当ですねぇ。これまでの地図が使えないとなれば、斥候としても話はまるで変わってきます」
「おらもそう思うだ」
アックスも頷いた。
「知らねぇ場所に荷物背負って入るなら、何を持っていくかから考え直した方がいいべ。薬も食料も、足りなくなってからじゃ遅ぇだ」
「私も……今回は、一度退くべきだと思います」
シルヴィオが静かに口を開いた。
「神に仕える者として、必要以上に命を危険へ晒すことを勧めるわけにはいきません。進む勇気と、退く勇気は別のものですから」
「僕も兄さんに賛成」
ルチオも珍しく真面目な顔で頷いた。
「知らない場所で全滅したら、攻略どころじゃないもんね」
一人。
また一人。
撤退へ意見が傾いていく。
ニーシャは黙ったまま、それを聞いていた。
「…………」
やがて。
「……嫌だ」
ぽつりと言った。
「坊っちゃん」
「ボクは戻らない」
モーブルの眉がわずかに動いた。
カイルも目を細める。
「また意地張ってんのか?」
「違う」
ニーシャは即座に否定した。
「じゃあ何だよ」
しばしの沈黙。
ニーシャは灰黒色の回廊を見つめる。
そして。
「……このダンジョンの最深部には、古代魔法文明の秘宝が眠っている」
唐突な言葉に、一同が黙った。
「秘宝?」
カイルが聞き返す。
「ああ」
ニーシャは杖を握り直す。
「まだ誰も手にしたことのない、最深部の秘宝だ」
「それがどうしたんです?」
ネリオが首を傾げる。
「それが必要なんだ」
今度は、はっきりと言った。
「ボクはこのカタコンベを踏破する。そして最深部に眠る秘宝を持ち帰る」
青い瞳に、先ほどまでの動揺とは別の光が宿る。
「それをもって――ボクこそが、イングラジア最高の魔法使いであると証明する」
「…………」
静寂。
カイルが眉をひそめた。
「最高の魔法使い……?」
「ああ」
ニーシャは胸を張った。
「誰も踏破していない未踏のダンジョンを攻略し、誰も手にしたことのない秘宝を持ち帰る。それ以上に分かりやすい証明があるか?」
「お前……」
カイルが少し呆れたように眉をひそめる。
「そのために、こんな危ねぇところまで来たのか?」
「『そのため』とは何だ」
ニーシャの声がわずかに低くなった。
「ボクにとっては重要なことだ」
「…………」
「ボクは、この国で一番の魔法使いになる」
ニーシャは迷いなく言い切った。
「いや――違うな。なるんじゃない」
青い瞳が、薄暗い迷宮の奥をまっすぐ見据える。
「ボクが一番だと、証明するんだ」
「…………」
誰も、すぐには口を開かなかった。
ルチオも。
シルヴィオも。
いつもならすぐに茶々を入れるネリオでさえ、今だけは黙っている。
モーブルもまた、何も言わなかった。
ただ、いつものような商人じみた笑みを消し、ニーシャの横顔を静かに見つめている。
その沈黙を破ったのは、カイルだった。
「……なあ」
「何だ?」
「そこまでして、一番だって証明しなきゃならねぇのか?」
ニーシャの視線がカイルへ向く。
「何が言いたい」
「いや」
カイルは頭を掻いた。
「命懸けで未踏のダンジョンに潜って、秘宝まで持ち帰って……そこまでしなきゃならねぇ理由が、俺にはよく分かんねぇってだけだ」
「ある」
ニーシャは即答した。
「ボクには、その証明が必要なんだ」
「だから、なんで――」
「それ以上は、お前たちには関係ない」
「…………」
ぴしゃりと遮られ、カイルの眉がわずかに動く。
「……そうかよ」
それ以上は聞かなかった。
ニーシャも答えようとはしない。
ただ一人。
モーブルだけは、そんなニーシャを見つめながら、何かを口にすることもなく静かに目を細めていた。
「とにかく」
ニーシャが話を戻す。
「ボクはここで引き返すつもりはない」
「ですが、坊っちゃん」
「もちろん、何も考えずに突っ込むつもりもない」
モーブルの言葉を遮り、ニーシャは続けた。
「お前の言っていることは正しい。状況が変わった以上、今までと同じ作戦は使えない」
「…………」
「だから、作戦を変える」
ニーシャは灰黒色の回廊へ目を向けた。
「第五層から先は、ボクの過去の記憶を前提に進むつもりだった。だが、その前提はもう捨てる」
「お?」
カイルが少し意外そうに眉を上げる。
「ここから先は、未知のダンジョンとして扱う。以前の記憶に固執すれば、むしろ判断を誤る」
ニーシャはさらに続けた。
「それに、もし本当に階層そのものが動いているのなら――一度地上へ戻ったところで、次に来たとき同じ構造になっている保証もない」
「……なるほど。今日作った地図が、明日には紙くずになっている可能性もあるわけですか」
ネリオが目を細める。
モーブルは太い腕を組んだ。
「だからといって、無理に進む理由にはなりませんぞ」
「分かっている」
ニーシャも、そこは否定しなかった。
「進む。ただし、これまで以上に慎重にだ」
「…………」
「少しでも攻略続行が不可能だと判断したら、その時点で撤退する。それでどうだ?」
モーブルは黙ってニーシャを見つめた。
自分の忠告を聞かず、ただ意地を張っているだけなのか。
それとも。
危険を理解した上で、それでも先へ進むと決めているのか。
しばし見つめ合い――。
「……分かりました」
やがてモーブルが、大きく息を吐いた。
「そこまでお考えの上で決めたのでしたら、わしもお供いたしましょう」
「最初からそのつもりだろ」
「ただし!」
モーブルは太い人差し指を一本立てた。
「無理だと判断したら、今度こそ退きますぞ。坊っちゃんが何を言おうが、首根っこを掴んででも連れて帰ります」
「へぇ」
ニーシャが片眉を上げた。
「ずいぶん大きく出たじゃないか。オブライエン家のボクに対して、そんなことをしてただで済むと思ってるの?」
「うっ……」
一瞬だけ、モーブルの頬が引きつる。
だが、それでも引かなかった。
「お、お叱りなら地上へ戻ってから、いくらでも受けますぞ!」
「ふーん?」
「わしにも商人として――いや、冒険者として譲れぬ一線があります。客を生きて帰すのも、わしの仕事ですからな!」
「んん〜、いいですねぇ」
ネリオがすかさず手帳へ手を伸ばす。
「『天才貴公子、生まれて十二年にして初めての挫折! そして平民のふとっちょ商人に首根っこを掴まれ、涙の強制帰還!』――いやぁ、攻略に失敗しても、これはこれで実においしいネタになりそうですねぇ!」
「人の挫折を飯の種にするな!」
ネリオの軽口に、何人かが苦笑を漏らした。
ニーシャは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ネリオの手帳を取り上げようとしている。
そんなやり取りを横目に、カイルだけはニーシャの横顔をじっと見ていた。
――ボクが一番だと、証明する。
それが、こいつがここまで危険を冒して進む理由。
けれど――。
本当に、それだけなのか?
なぜか、カイルにはそう思えなかった。
ニーシャが「証明」という言葉にこだわる理由。
その奥には、まだ何か隠しているものがあるような気がした。
「ネリオ」
不意にニーシャが呼びかけた。
「ここからはお前が先行しろ。罠、魔獣、通路の状態をその都度確認する。ただし、単独で遠くまで行くな。異常を見つけたら必ず戻って報告しろ」
「はいはい。死なない程度に、ほどほどに頑張りますよぉ」
「ほどほどで済ませるな」
「無茶しろと言ったり、するなと言ったり。注文の多いお坊っちゃんですこと」
「それからカイルとルチオはその後ろ。二人だけで先走るな。シルヴィオは中央。アックス、モーブル、ラース、ライは隊列を崩すな」
「うん、分かった!」
ルチオが元気よく返事をする。
「それと――カイル」
「あ?」
「今度こそ勝手に突っ込むなよ」
「……またそれかよ」
「ここに来てから、何度ボクの命令を無視したと思っている」
「さっきのは、俺たちの判断だって悪くなかっただろ」
「結果が良かったからそう言えるだけだ」
「でも、実際うまくいったじゃねぇか」
「だから、結果だけで――」
「お二人とも」
シルヴィオの穏やかな声が、二人の間へ割って入った。
「今度こそ、本当に先へ進みませんか」
「…………」
「…………」
しばし睨み合い。
先にカイルが顔を逸らした。
「へいへい」
ニーシャも不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……出発する」
ネリオが先頭へ出る。
その後ろをカイルとルチオ。
続いてシルヴィオ。
さらにモーブルたちが続いていく。
ニーシャも歩き出そうとして――。
ふと、足を止めた。
「…………」
もう一度だけ、灰黒色の壁へ振り返る。
自分が知っていた第五層。
その名残である双翼獅子の石像は、半身を異質な壁へ呑み込まれたまま、虚ろな石の瞳でこちらを見つめていた。
――お前だって、絶対に間違えねぇわけじゃないだろ。
先ほどのカイルの言葉が。
なぜか今になって、耳の奥へ蘇る。
「……ふん」
ニーシャは小さく鼻を鳴らし、その言葉を振り払うように前を向いた。
その直後。
ゴゴ……。
「……?」
足元から、ごく微かな振動が伝わった。
ほんの一瞬。
一行のほとんどが気づかないほどの小さな揺れ。
だが――。
ライだけが、ぴたりと足を止めた。
「どうしたの?」
隣を歩いていたラースが尋ねる。
「……また」
「え?」
ライはゆっくりと、後方の闇を振り返った。
「道が動いた」
ゴゴゴゴ……。
遥か奥。
誰の目にも届かない迷宮の深部で。
石と石が擦れ合うような低い音が響き――。
巨大な何かが。
再び、ゆっくりと動き始めていた。