モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
「道、動いた」
ライオットの一言に、一行の足が止まった。
「……またか?」
振り返ったカイルに、返事はなかった。
ライオットは分厚い眼鏡の奥で視線を動かし、通路の壁を辿っている。
ゴゴゴゴ……。
足の裏に、低い振動が伝わってきた。
ニーシャが杖を持ち上げる。
「壁から離れろ!」
ラースが慌ててモーブルの傍らへ寄った、その直後だった。
ガゴンッ!
後方の通路へ、左右から壁がせり出した。
「はわっ!?」
つい先ほどまで見えていた第四層への石段が、みるみる狭まっていく。
カイルが半歩踏み出しかけ、舌打ちして足を止めた。
駆け込んだところで、通り抜ける前に挟まれる。
「おいおい……本当に動いてやがる」
石を噛み砕くような音が通路を満たした。
二枚の壁がぶつかり、最後に残っていた隙間が消える。
衝撃が収まるより早く、ルチオが叫んだ。
「うそっ!? 今度は前だよっ!」
ルチオが叫ぶ。
これから進もうとしていた正面の通路にも、左右から肉腫のような灰黒色の壁が迫ってくる。
「全員、中央へ集まれ!」
カイルとルチオが飛び退いた。
そのすぐ前で壁が閉じ、押し出された空気と埃が一行に吹きつける。
地響きが収まった。
前にも、後ろにも、壁があった。
残された短い通路に、一行は荷物ごと押し込められていた。モーブルが身体の向きを変えると、背負子が壁に擦れた。
カイルは剣の柄に手を置いたまま、来た道のあった場所を見た。
「……マジかよ。閉じ込められたぞ」
ニーシャが後方の壁へ近づく。
杖先で表面を辿ったが、二枚の壁が合わさったはずの場所には、継ぎ目さえ残っていなかった。
「ネリオ。地図を」
「はいはい、こちらですよぉ」
差し出された手帳には、第四層から降りてきた階段と、そこから続く一本道が記されていた。
「あたしたちは、まだ最初の分岐にも着いていません。道を取り違える余地はありませんねぇ」
「だろうね」
ニーシャは地図から顔を上げた。
「どういう仕組みかは分からない。でも、ボクたちが通路に入ってから、入口も出口も塞がれた。偶然にしては、ずいぶん都合がいいね」
「すごいね……道ごと動くんだ」
ルチオが壁を見上げた。
怖がるより先に、興味が湧いたらしい。
「これじゃ地図を書いても変わっちゃうじゃん」
「ルチオ。壁には触らないでください」
シルヴィオが、その肩を引き寄せる。
「次にどこが動くか分かりません」
「あ、そっか。はーい」
ルチオは素直に下がったが、目はまだ壁の動いた場所を追っていた。
「坊っちゃん。何か分かりますかな」
モーブルが尋ねる。
ニーシャは杖を壁から離した。
「魔力は感じる。でも、どこを動力にしているのか分からない。壁の奥まで探ろうとしても、うまく通らないんだ」
カイルがふと腰元へ目を落とした。
魔剣の柄へ顔を寄せ、小声で呼びかける。
「なあ、エクセリオン。お前なら壁を抜けて、向こうを見てこられるんじゃねぇか?」
《あ? 俺様をパシリに使う気か、テメー》
「そう言うなって。帰ったら、ピッカピカに磨いてやるからさ。な?」
《手入れくらい普段からしろや。それを駄賃にしようって根性が気に食わねぇ》
「じゃあ、何ならいいんだよ」
《何を積まれても無理だな。ここの壁は、俺様でも抜けられねぇ》
「……は? いつも平気ですり抜けてるだろ?」
《普通の壁ならな。ダンジョンの壁は別だ》
カイルが灰黒色の壁を見た。
《抜けられるんだったら、俺様が千年もダンジョンに閉じ込められてるわけねぇだろうが》
「あー……そりゃそうか」
《分かったら、テメーの足で出口を探せ。もう千年居残りなんざ、俺様は御免だからな》
カイルは顔をしかめ、柄から手を離した。
ニーシャへ向き直る。
「あのさ。だったら、これ、魔法でぶっ壊せねぇのか?」
「厚さも分からない壁に、いきなり撃てるか。ここで爆風が戻ってきたらどうする」
「……そりゃ、逃げ場ねぇけどよ」
「まず、ほかに動いている場所がないか調べる。これだけ壁を動かせるなら、道が開くこともあるはずだ」
「じゃあ、しばらく待てばいいんじゃねぇの?」
「馬鹿。次は左右の壁が迫ってきたらどうするんだ」
「……マジかよ」
カイルは横の壁から半歩離れた。
頭上まで続く灰黒色の表面を、汗の滲んだ顔で見上げる。
「野良犬の当てずっぽうに命を賭ける気はないよ。仕掛けを見つければ、こっちから動かせるかもしれないんだ。お前も手伝え」
「……分かったよ。床、調べりゃいいか?」
「不自然な継ぎ目や、音の違う場所がないか確かめて。何か見つけても、勝手に押すなよ」
「そこまで馬鹿じゃねぇっての!」
カイルは屈み、剣の鞘尻で床を叩いた。
少しずつ場所を変える。同じ鈍い音が、狭い通路に続いた。
その傍らで、モーブルが懐から小さな魔石を取り出した。
掌の上に覗いた青紫色に、ニーシャが目を留める。
「何だ、それは」
「緊急脱出用の転移石です。使わずに持ち帰れれば、それが一番だったのですがね」
モーブルは青紫色の魔石を握り込んだ。
「――《
一行が身構える。
だが、景色は変わらなかった。
淡い光を放つはずの魔石は、モーブルの手の中で沈黙している。
「……反応せん」
「壊れてるのか?」
ニーシャが覗き込む。
モーブルは掌を開き、魔石を確かめた。
「いえ。出発前には確かに使えましたし、魔力も残っております。以前、別のダンジョンでも同じことがありましてな」
指先で石を転がす。
その顔から、次第に余裕が消えていった。
「外への転移を封じられているのでしょう。第五層全体に結界が張られているのかもしれません」
「転移封鎖か……」
ニーシャが舌打ちした。
モーブルはもう一度だけ石を握ったが、やはり変化はなかった。
諦めて懐へ戻し、塞がれた通路を振り返る。
「戻れず、進めず、転移もできん。……これは困りましたな。水も食料も余分に積んではおります。ですが、出口がなければ、いくら備えても尽きる日は来ますぞ」
「だ、旦那さま……ほかに出る方法はないんですか?」
ラースが尋ねる。
「それを今から探す。この石が使えん以上、道を見つけるしかない」
「もし、見つからなかったら……」
「わしら全員、ここで干からびるということだ」
ラースの顔から血の気が引いた。
「そ、そりゃ困るだよ……」
アックスが背負い紐を握り締めた。
「田舎で嫁と子供が待ってるだ。こんなとこに閉じ込められたら、仕送りもできねぇだよ」
「……アックスさん、この状況で仕送りの心配かよ?」
カイルが顔を向けると、アックスは眉を下げた。
「そりゃするだよ。おらが帰らねぇ、金も届かねぇじゃ、あいつら明日からどうやって暮らすだ」
カイルは口をつぐみ、もう一度、壁へ目を向けた。
「……だな。何とかして出ねぇと」
モーブルは天井にも目を向けた。
「空気がどこから通っておるかも分からん。何日も座り込んで、誰かが助けに来るのを待てる場所ではないぞ」
「縁起でもないことを言うな!」
ニーシャが声を張った。
「まだ、ずっと閉じたままだと決まったわけじゃないだろ!」
「ええ。開いてくれれば結構です。ですが、開かなかった場合も考えておきませんとな」
「今、考えてる!」
「まあまあ、お二人とも、その辺で」
ネリオが壁を調べる手を止め、振り返った。
「こういうときこそ、見落としを探すんですよぉ。塞がれた道ばかり睨んでいると、別の抜け道に気づかないものですからねぇ」
そう言って、モーブルへ目を向ける。
「山ゴリさんも、あまりニーシャ様を追い詰めないでくださいよぉ。腹いせに爆炎でも撃ち込まれたら、あたしたちまで丸焼きですから」
「撃たないって、さっき言っただろ!」
「ええ、念のためですよぉ。ニーシャ様の火力では、骨も残りませんし……何より、この手帳まで灰になってしまいます」
ネリオは手帳を掲げ、大事そうに表紙の埃を払った。
「せめて何があったかくらい、後世に残したいじゃありませんかぁ。『天才魔法使い、遺物に目がくらんで未踏の迷宮へ。判断を誤り、仲間もろとも帰らぬ人に』。ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことですねぇ。貴重な教訓ですよぉ」
「まだ失敗してないし、勝手にボクを教訓にするな!」
ニーシャの怒声が、狭い通路に響き返った。
ネリオがまた口を開きかけた、そのときだった。
「……開く」
ライオットが呟いた。
「何?」
ニーシャが振り向く。
ライオットは左前方の壁を見ていた。
「そこ」
「何がだよ?」
カイルが視線を辿る。
「道」
ゴゴゴゴ……。
足元から振動が伝わった。
一行が壁から離れると、その中央に細い亀裂が生じた。
亀裂は上下へ伸び、天井と床に届いた。
そこから分厚い壁が左右へ引いていく。
石の擦れる音とともに隙間が広がり、奥から冷たい空気が流れ出した。
通路だった。
明かりの届く先まで道が延び、その向こうは闇に沈んでいる。
誰も、すぐには踏み出さなかった。
モーブルが背後を確かめる。
第四層へ戻る道は、塞がれたままだった。
「ほ、ほらな!」
ニーシャが声を上げた。
「だから言っただろ。またどこかが開くって!」
額に張りついた前髪を払い、胸を張る。
カイルの視線が、その額で止まった。
「……何だよ」
「いや。お前でも、そんなにほっとした顔するんだな」
「予想が正しかったと確認できただけだ」
「さっきまで汗だくだったじゃねぇか」
「暑かったんだ!」
「俺、さっきから肌寒いんだけど」
「お前の体感なんか聞いてない!」
モーブルは小さく息を吐き、背負子を担ぎ直した。
「ともあれ、干からびる心配はひとまず先送りですな」
「たまたま助かったみたいに言うな! ボクはちゃんと、こうなる可能性を考えていたんだ!」
「ええ。その可能性が当たって、わしも胸を撫で下ろしております」
「……絶対、馬鹿にしてるだろ」
ネリオはやり取りを離れ、新しい通路の入口に屈んでいた。
床を調べ、動きを止めた壁の縁へ目を走らせる。
「それにしても、露骨ですねぇ」
「なになに? ネリオちゃん、それってどういうこと?」
ルチオが隣から覗き込んだ。
「帰り道は塞いだまま、こちらにだけ道を開ける。転移で逃げることも許さない」
ネリオは閉ざされた退路を指し、それから闇の奥へ指を向けた。
「『戻るな。もっと奥へ来い』。そう言われているようじゃありませんかぁ」
「気持ち悪ぃこと言うなよ、ネリオさん」
カイルが顔をしかめる。
「それじゃ、俺たちが困ってんのを見てから開けたみてぇじゃねぇか」
「さて。見ていたんですかねぇ」
ネリオは笑みを浮かべたまま、闇の奥を窺った。
足はまだ、通路の手前に置いている。
ニーシャも新しい道を見つめていた。
やがて顔を横へ向け、ライオットをじっと見る。
壁が動く前に気づいた。
開く場所まで言い当てた。
問いかけようと口を開くより先に、ライオットが首を傾げた。
「……掃除?」
「ボクはまだ何も言ってないよ」
「顔が聞いてた」
「お前はもう黙ってろ!」
「……うん。分かった」
ライオットは静かに頷き、口を真一文字に結んだ。
◆
ネリオが先行し、一行は新たな通路へ入った。
前衛はカイルとルチオ。シルヴィオがその後ろにつき、荷を背負うアックスたちを中央へ置く。
ニーシャは前方を狙える位置を保ちながら、壁や天井の変化にも目を配った。
ほどなく、ネリオが戻ってきた。
「この先、三十歩ほどで二手に分かれていますよぉ」
「魔獣は?」
「見える範囲にはいません。分岐までの床にも、仕掛けは見つかりませんでしたねぇ」
「分かった。進もう」
左右の通路は、よく似ていた。
どちらも灰黒色の壁に囲まれ、表面に走る黒い筋が、ときおり紫色に明滅している。
ニーシャは両方へ杖を向けた。
「……ここからじゃ、違いは分からないね」
「あたしも同じです。風の通り方にも、大きな差はありませんよぉ」
「まず左を調べて。ボクたちから見える範囲までだ。異変があったら戻れ」
「はいはい。では、少々お待ちを」
ネリオが左へ入った。
床を確かめ、探査針の先で壁の継ぎ目をなぞる。
天井にも目を走らせ、足を置く場所を選んで進んでいった。
五歩、十歩。
本隊も分岐から、その動きを見守る。
ニーシャは杖を下ろさず、カイルはいつでも飛び出せるよう足を開いていた。
十五歩ほど進んだところで、ネリオが止まった。
前方の床を調べ終え、横の壁へ顔を向ける。
カチッ。
すぐ耳元で、小さな音がした。
ネリオは床を蹴った。
バゴンッ!
今しがた調べた壁が内側から破れ、巨大な顎が突き出してきた。
仰け反った顔のすぐ前で、牙が噛み合う。
硬い音とともに、眼鏡も帽子もない剥き出しの頬を、牙の先が掠めた。
「っ……!」
ネリオは片手を床につき、身体を捻って距離を取った。
壁から這い出してきたのは、黒い甲殻に覆われた四足の魔獣だった。
低く伏せた胴から太い前脚が伸び、その先で鉤爪が石を掻いている。
頭部の半分以上を占める口には、反り返った牙が幾重にも並んでいた。
甲殻の模様が、壁の黒い筋と繋がって見えた。
動き出した今でさえ、身体の輪郭を見失いそうになる。
「ネリオさん!」
カイルが剣を抜いた。
「そこにいろ! 射線を空けて!」
ニーシャが杖を突き出す。
魔獣が後脚を縮めた。
ネリオが立て直すより早く、石床を蹴って飛びかかる。
「伏せろ!」
ネリオは即座に身を投げた。
「《
杖先から撃ち出された炎が、伏せた背の上を走った。
魔獣の開いた口へ直撃する。
巨体が跳ね上がり、通路の奥へ押し戻されたところで、炎が弾けた。
轟音が耳を打った。
黒く焼けた甲殻が壁にぶつかり、砕け散る。
ニーシャはすぐに杖を引いた。
「ネリオ、戻れ!」
「ええ、今――」
床が揺れた。
通路の奥で、壁がせり出す。
その手前でも、さらに手前でも、左右の壁が動き始めた。
ガゴン、ガゴンッ!
ネリオへ向かって、道が潰れていく。
「ちょっと、息をつく暇くらい――!」
言いながら、ネリオはもう駆け出していた。
背後で壁がぶつかるたび、石片が背中を打った。
分岐の縁で、カイルが手を伸ばす。
「こっちだ!」
ネリオは最後の数歩を跳んだ。
カイルが腕を掴み、その腰をルチオが支える。
二人がかりで分岐へ引き込んだ直後、靴底すれすれで壁が閉じた。
ガゴォンッ!
靴底を掠めるほどの近さで、壁が閉じた。
カイルたちは折り重なるように床へ転がった。
舞い上がった埃の中で、ネリオが咳き込む。
「……助かりましたよぉ」
「ネリオちゃん、脚、大丈夫?」
ルチオが足元を覗いた。
「ええ、二本ともあります。できれば今後も揃えておきたいですねぇ」
「なら、しばらくそこで休んでろ。立ち上がって転ぶなよ」
カイルが息を吐き、壁を見上げた。
もう、通路はなかった。
魔獣の出てきた横穴も、焼けた跡も、継ぎ目のない壁の向こうへ消えていた。
「やれやれ。危うくあたしのほうが明日の一面になるところでしたねぇ」
ネリオが仰向けのまま言った。
「『カヴェナ通信名物記者、罠の危険性を身をもって証明!』……説得力は抜群ですが、続報は他人任せですねぇ。『無謀な取材が命取りに』なんて書かれたら、訂正を求めに化けて出なければなりませんよぉ」
「死んだあとの記事より、死ぬこと自体を心配しろよ!」
「ネリオさん。お話はそのくらいにして、傷を見せてください」
シルヴィオが傍らに屈んだ。
「頬を少々ですよぉ。あとは肝が冷えたくらいで」
「では、まず頬から。顔を動かさないでくださいね」
ネリオがようやく口を閉じた。
シルヴィオは顎に手を添え、頬を走る傷を確かめる。
手当てが始まったのを見届けてから、ニーシャは閉じた壁へ向かった。
つい先ほどまで、ここに通路があった。
今は隙間どころか、壁同士が合わさった跡さえ見つからない。
ニーシャが杖先をかざす。
薄い光が、灰黒色の壁をゆっくりと滑った。
「……術式がない」
「消されたのですかな?」
モーブルが尋ねる。
「消しても、魔力の乱れは残る。これだけの壁を動かしたなら、なおさらだ」
ニーシャは杖先を横へずらし、床との境まで探った。
「それなのに、どこも同じだ。壁そのものの魔力しか返ってこない」
「魔獣が出てきた場所は、襲われる直前に調べましたよぉ」
手当てを終えたネリオが立ち上がった。
「空洞の気配も、隠し扉の継ぎ目もありませんでした。あれだけ大きな魔獣が潜む穴なら、何かしら手掛かりがあるはずなんですがねぇ」
「穴ごと隠してたんじゃねぇのか? あの化け物、壁とそっくりだったぞ」
カイルが言うと、ニーシャは壁へ目を戻した。
「身体は紛れていた。でも、ネリオが調べたときには、出てくる穴がなかった」
足元へ視線を落とす。
壁を這う黒い筋は、石床の隙間にも入り込んでいた。
「……罠を見落としたんじゃないのかもしれない」
「どういうこと?」
ルチオが首を傾げる。
「調べたあとで、仕掛けを作られたんだとしたら?」
服の埃を払っていたネリオの手が止まった。
「……なるほど。それなら、何も見つからなかったはずですねぇ」
「何もなかった壁に通路を開けることは、もうやっている。魔獣のいる場所へ穴を繋ぐことだって、できるのかもしれない。襲わせたあとで道ごと潰せば、逃げ場もなくせる」
「では、ネリオさんが左へ進んだことに反応したのでしょうか」
シルヴィオが塞がれた道を見た。
「進ませたくない場所へ入った者を、排除するために」
「その可能性はある」
「道を間違えたら、食い殺すか押し潰すかってか?」
カイルが顔をしかめた。
「引き返すくらいさせろよ」
「ええ。こちらも、行き止まりなら素直に戻るんですがねぇ」
ネリオが手帳を開き、左の道へ印をつける。
「下見に入った途端、道の方から片づけられては困りますよぉ。苦情を言う窓口はないんですかねぇ」
「お前、さっきは本当に死にかけたんだぞ。少しは真面目に――」
「真面目ですよぉ」
ネリオはペンを止め、ニーシャを見た。
「皆さんが入る前に、危ない場所を調べる。それがスカウトの仕事ですからねぇ。今回は、あたし一人が入ったところで仕掛けが動いた。全員で踏み込まずに済んだのは、何よりでした」
「だからって、お前が死んでもいいわけじゃないだろ」
「もちろん、死ぬつもりで先を歩いているわけではありませんよぉ。ただ、死ぬかもしれないから誰かに代わってくれとは言えません。承知のうえで引き受けた仕事です」
ネリオは手帳へ目を戻した。
魔獣が現れた場所と、壁が閉じた順番を書き添える。最後に右の通路を確かめ、手帳をしまった。
「それに、今回はニーシャ様が助けてくださいました。ありがとうございます」
ニーシャはしばらく、その顔を見ていた。
やがて小さく息を吐き、右の通路へ向き直る。
「……分かった。先は任せる。でも、慎重にやれ。今までの調べ方が通じないなら、なおさらだ」
「ええ。次は壁が変わる兆しも見ておきますよぉ」
「偵察の距離も縮める。何かあったら、調べ切ろうとせずに戻れ。そこから一緒に考える」
「承知しました」
ネリオが頷くと、ニーシャは後ろの一行を振り返った。
「全員、前の奴を見失うな。床だけじゃなく、壁と天井も見ておけ。ネリオ一人に全部任せるなよ。何か変わったら、すぐに知らせろ」
◆
右の通路へ入って、ほどなく。
頭上の黒い筋が膨れた。
「上です!」
ネリオの声に、一行が顔を上げる。
天井から粘りのある液体が垂れ、その重みで膨らみが裂けた。
「《
ニーシャが杖を振り上げた。
巻き起こった風が落下する塊を攫い、誰もいない通路の先へ叩きつける。
石床が音を立てて泡立った。
立ち上る煙に鼻を刺され、ラースが口元を覆う。
「さ、酸……!」
「濡れた場所を踏むな! 壁にも飛んでるぞ!」
ニーシャが杖先で通れる場所を示した。
一行は身を寄せ合い、飛沫を避けて進む。その背後で、天井から垂れる酸が石畳を削っていった。
ようやく頭上の膨らみが見えなくなったところで、ルチオの足が沈んだ。
「わっ!?」
カイルが腕を掴む。
引き上げようと踏ん張った足の下まで、石床が泥のように波打った。
「二人とも、そのまま!」
ニーシャが床へ杖を向ける。
「《
白い霜が二人の足元を走った。
崩れかけた床を氷が覆い、厚みを増しながら沈み込みを押し留める。
「戻れ!」
カイルがルチオを引き寄せた。
二人は凍った足場を蹴り、ネリオの示す硬い床へ飛び移る。
「助かった!」
「まだ下がれ! 氷の下が動いてる!」
凍った表面に亀裂が走った。
一行が離れると、足場の端が音を立てて折れ、濁った床へ呑まれていった。
さらに先の曲がり角で、正面の壁が裂けた。
骨の腕が突き出す。
腐肉のこびりついた頭が続き、その肩越しに、別の手が石床を掴んだ。
「今度はこいつらかよ!」
カイルが先頭の首を斬り落とした。
ルチオは横へ回り、倒れかけた身体ごと後続を押し戻す。
だが、裂け目は広がり続けた。
倒れた個体を踏み越え、アンデッドが次々と這い出してくる。
カイルが腕を斬り払ったそばから、別の腕が伸びてきた。
「二人とも、右へ寄れ!」
ニーシャの声に、前衛が退く。
「《
炎が群れを貫き、裂け目の奥で炸裂した。
押し返されたアンデッドが後続へぶつかり、まとめて炎に包まれる。
熱風が通路を吹き抜けた。
一行が顔を庇った、その脇で、アックスの荷包みに火が走る。
「ああっ!? 食い物が燃えてるだ!」
「外の包みを落とせ! 背負子ごと下ろすな!」
モーブルが指示を飛ばした。
アックスが留め紐を引き解き、燃えた包みを床へ落とす。
ラースが外套を被せ、シルヴィオとともに火を叩き消した。
「ほかには移っておりません!」
「なら、それは置いていけ!」
裂け目の奥で、焼け残った腕が動いていた。
カイルが斬り払い、全員が曲がり角へ逃れるまで、その場を守った。
◆
二つ先の角を越えたところで、一行はようやく足を緩めた。
「……右も、正解じゃなかったみたいだね」
ルチオが息を弾ませて言った。
ニーシャは壁へ手をつきかけ、途中で引っ込めた。
代わりに杖を床につき、呼吸を整える。
「たぶん……道を間違えたからじゃない」
背後へ目を向ける。
遠くで、また壁の動く音がした。
「どこを通っても、ボクたちが入ってから仕掛けてくるんだ」
先へ進めば襲われる。
引き返そうにも、通ってきた道は塞がれる。
安全な道を探し直そうとするたび、その選択肢を奪われていた。
「奥へは来てほしいが、無事には通したくない、と」
ネリオが言った。
「ずいぶん注文の多い案内役ですねぇ」
ニーシャは返事をせず、杖を握り直した。
汗で指が滑り、袖で掌を拭う。
「おい。魔力、大丈夫か?」
カイルが声を落とした。
「……まだ使える」
「使えるのは見りゃ分かる。あと、どれくらいもつんだよ」
「次に何が来るかも分からないのに……答えられるわけないだろ」
言葉の途中で息が切れた。
ニーシャは苛立たしげに唇を結び、鼻から息を吸った。
並の魔獣なら前衛に任せられる。
だが、降ってくる酸を剣で防ぐことはできない。
足元が崩れれば、カイルたちも敵を押し留めるどころではなくなる。
ネリオの警告から、仕掛けが動くまでの猶予は僅かだった。
炎か、風か、氷か。味方の位置を確かめ、必要な範囲へ魔法を放つ。
防ぎ終えて杖を下ろす頃には、もう別の場所で何かが動いていた。
ニーシャが息を吐いたところへ、小瓶が差し出された。
「坊っちゃん、こちらを。「上級の魔力回復ポーションです。立っていられるうちに飲んでください」
「まだ完全に切れたわけじゃない」
「切れてからでは、次に間に合いませんぞ」
ニーシャはモーブルを睨んだが、反論はしなかった。
瓶を受け取り、一息に飲み干す。
「……苦っ」
顔をしかめたところへ、二本目が差し出された。
「まだ飲むの?」
「ええ」
「もう少し味をどうにかできないわけ?」
「味のよいものがありましたら、次までに仕入れておきます。今日はそちらで」
「……ふん」
ニーシャが渋々受け取る。
その横でモーブルは空瓶をラースへ渡した。
「ラース。残りの魔力ポーションは、すぐ取り出せる場所へ移せ。包みも解いておけ」
「は、はい、旦那さま!」
「次に必要になったとき、荷物をひっくり返して探す暇はないからな」
「分かりました!」
ラースが背負子へ回る間に、モーブルは三本目を取り出した。
ニーシャはそれを見て眉を寄せたが、今度は黙って受け取った。
苦味を飲み下し、長く息を吐く。
魔力は戻ってきた。
それでも、空瓶を下ろす腕は重く、指先には杖を握り続けた強張りが残っていた。
「……なあ」
カイルがエクセリオンを握り直した。
「次から魔獣が出たら、そっちは俺たちで潰すからさ。床とか天井とか、俺らじゃどうしようもねぇ方を頼む」
「どうだかね」
ニーシャが鼻を鳴らす。
「今のところ、ボクが魔獣までまとめて片づけてるんだけど」
「そ、それは……倒しても倒しても出てきたんだよ。こっちだって必死に戦ってただろ」
「結果が伴ってないね」
「お前なぁ!」
「まあ、無理して怪我されるよりはいいよ。敵の始末にお前たちの救助まで加わったら、たまらないからね」
「……それ、心配してくれてんの?」
「これ以上ボクの仕事を増やすなって言ってるんだ」
「ちっ。もう少し仲間をいたわる言い方があるだろ」
ネリオは先の通路へ目を向けていた。
壁の筋を確かめ、探査針を持ち直す。
「では、行きましょうか。ここで長居して、また道を減らされても困りますからねぇ」
◆
そこから先は、曲がり角を一つ越えるだけでも時間がかかった。
ネリオは床の継ぎ目に加え、壁の筋が膨らむ兆しや、紫の光が強まる場所を追った。
警告が飛ぶと前衛が足を止め、荷を運ぶ者たちが中央へ寄る。
カイルとルチオは、魔獣を通路の奥まで追わなかった。
近づくものを倒し、残りを押し返す。
その間に後続が追いつき、シルヴィオが傷を確かめてから、また進んだ。
そうして備えても、床は沈み、壁は迫った。
ニーシャは杖を振るい続けた。
氷で足場を繋ぎ、風で落下物を逸らす。
前衛が押し切られそうになると、二人を退かせて炎を撃った。
モーブルから渡されるポーションは、少しずつ残りを減らしていった。
ある角を越えたところで、ニーシャの足が止まった。
杖をつき、俯いたまま息を吐く。
カイルが振り返ると、ニーシャは先に顔を上げた。
「止まるな。行ける」
声が掠れていた。
カイルは通路の先を確かめ、歩調を少し落とした。
やがて、ネリオが手を上げた。
一行が止まる。
ニーシャは杖を構え、頭上へ目を走らせた。
「……階段です」
ネリオが指した先で、灰黒色の壁が途切れていた。
その向こうに、下へ続く石段が見える。
「少しお待ちを。入口を確かめますよぉ」
ネリオは周囲を調べ、階段の縁へ屈んだ。
最初の段に探査針を当て、それから足を置く。
壁も床も動かなかった。
二段、三段と降り、頭上を確かめて振り返る。
「今のところ、異常はありません。壁の材質も、ここから変わっていますねぇ」
一行はまとまって階段へ向かった。
カイルとルチオが入口の脇に立ち、荷を背負った者たちを先に通す。
ニーシャは境目で足を止め、通路を振り返った。
杖先は、まだ上げていた。
灰黒色の壁を紫の光が走る。
新たな裂け目も、膨らみも生じなかった。
「ニーシャ。みんな入ったぞ」
カイルに呼ばれ、ようやく杖を下ろす。
「……分かってる」
石段へ足を置いた。
次の一歩で、膝から力が抜けた。
カイルが咄嗟に腕を掴む。
ニーシャはその手を借り、段の端へ腰を下ろした。
「……ちょっと、休むだけだ」
「まだ何も言ってねぇよ」
カイルはニーシャが座り直すまで腕を支えてから、手を離した。
モーブルが背負子を下ろし、ラースへ水を出すよう指示する。
ネリオは階段の先を確かめ、ルチオは上の通路を見張っていた。アックスの荷には焦げ跡が残り、皆の服が埃と煤で汚れている。
ニーシャは差し出された水を少しずつ飲んだ。
喉の痛みが和らいでから顔を上げ、仲間を数える。
全員、いる。
「……第六層への階段だね」
誰にともなく言い、下へ目を向けた。
長い石段が暗がりへ続いていた。
ニーシャは水筒を返し、膝の上に杖を置いた。
握り続けていた指を一本ずつ開く。
掌には、杖の跡が深く残っていた。