モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
風呂から上がった七人が食堂へ戻ると、モーブルは窓際の椅子に腰を下ろし、不機嫌そうに通りを眺めていた。
「ようやく出てきおったか。途中から静かになったと思えば、また盛大に騒ぎおって。貴様らは風呂を借りに行ったのか、湯船で喧嘩をしに行ったのか、どっちなんだ」
「ネリオさんが余計なこと言ったからだっての!」
カイルがまだ湿り気を帯びた赤褐色の髪を手拭いで乱暴にガシガシと擦り、唇を尖らせる。
「おやおや。あたし一人のせいですかねぇ。あたしはただ、真実を追究する正義のジャーナリストとして、湯煙に咲いた美少年たちのあられもない痴態を正しく読者へお届けしようと――」
「ボクたちのプライベートなことにまで、お前の三流ゴシップ紙のネタに使う許可を出した覚えはない。今後天地がひっくり返ろうと、許可を出すことなど未来永劫あり得ないからね」
ニーシャが絶対零度の視線で冷徹に一刀両断すると、ネリオはひらひらと両手を振り、大げさに肩をすくめてみせた。
「あらら。せっかくの部数拡大の絶好のチャンスが――おっと失礼、表現の自由と知る権利を奪う不当な報道圧力反対ですよぉ!」
その横をすり抜け、ラースがパタパタと小走りにモーブルのそばへ駆け寄る。
「だ、旦那さま、お待たせしました! アックスさんも、お風呂へどうぞ! 僕たち、もう身体も拭いて着替えも済ませましたから!」
「んだか。そいつはありがてぇだ」
裏口から戻ってきたアックスが、愛用の
モーブルは立ち上がり、ラースが差し出した手拭いをひったくるように掴むと、忌々しそうに額の脂汗を拭った。
「まったく、わしを差し置いて狭い湯船に特級の美少年が七人も揃い踏みしてからに。一体どんな
「はぁ? 旦那、いきなり何訳わかんねーこと言ってんだよ」
呆れ顔のカイルを一喝し、モーブルは丸太のような腕を振り回して語気を荒らげる。
「そうだな、きっとこうだったに違いない! 若さも性欲も有り余っておる年頃のオスガキどものことだ! 裸の付き合いと称して、つるつるの白肌を寄せ合っては水を掛け合い、抱きつき合ってじゃれ合ったり……果ては湯煙の中で血気盛んに昂ったモノをお互いの手でしごき合い、抱き合いながらカブトを擦り合わせつつ……そのまま石床へ押し倒してくんずほぐれつのあんなことやこんなことまで……シでかしていたに違いないッ!!」
豚のような荒い鼻息とともに、留まることを知らない卑猥な妄想をまくしたてるモーブル。
そのあまりの剣幕と下劣さに、湯上がりの少年たちの顔が一斉に引きつった。
「バカッ! 俺たちがそんなことするわけねーだろ! 旦那も下らねぇ変な妄想してんじゃねーっての!」
「やかましいわ! そもそもだ、なんでわしがこんな泥臭い小男のオッサンと二人きりで風呂に入らねばならんのだ……! 女湯に入るわけでもなし、わしだってお前らと同じただの男だぞ! 美少年たちと極楽の湯を共にして何が悪いというのだ!」
とばっちりで泥臭いオッサン呼ばわりされたアックスが、「お、おらだって好きでオッサンと入りたいわけじゃねぇのに……」と隅の方で悲しそうに肩を落としている。
「え〜、でもモーブル様。僕たちと一緒にお風呂なんか入ったら、絶対にHなことしてくるじゃん。お店にいた時だって、僕とシルヴィと一緒にお風呂入るたびに散々スケベな悪戯してきたくせに〜」
ルチオが唇を尖らせて小悪魔じみたからかいの視線を向けると、モーブルは開き直ったように太鼓腹を突き出した。
「極楽の湯船に美少年を侍らせ、ひとときの甘い幸せを味わうことこそ、過酷なダンジョンを乗り切る活力というものではないか! 全裸の美少年たちに背中を流してもらえば、荷運びの仕事にも百倍精が出るというものだ!」
「モーブル様、落ち着いてください。神様が見ていらっしゃいますよ」
シルヴィオが呆れ顔で静かに宥めようとするが、暴走状態に入ったモーブルの妄想列車はもはや誰にも止められない。
「これが落ち着いていられるかぁ! ただ背中を流してもらうだけで済まない可能性だってあったんだ! わしの裸を見て、中年男性たるわしの大人のダンディな魅力にあてられて、風呂場の美少年たちはきっと大変なことになっておったはずだ!」
「はわわわわ……だ、旦那さまの妄想が止まりません……」
両手で顔を覆って震えるラースを置き去りにして、モーブルは両腕を天に掲げて恍惚の表情を浮かべた。
「きっと『きゃーっ、モーブル様のお背中、逞しくて素敵!』などともてはやされ、湯煙の中で極上のムードになり、美少年たち全員が我先にとわしを取り囲んで求め合い、くんずほぐれつのずっこんばっこんな大乱交に突入してだな……! これぞわしが夢にまで見た美少年ハーレム帝国! その輝かしい第一歩が、今日ここで完成していたかもしれんのだぞ――ッ!」
「お前が仕事の本分を忘れ、そうやって破廉恥極まる真似を目論むから、アックスに見張りを命じたんだろ」
ニーシャが腕を組み、冷ややかな声で深々と突き刺した。
湯船に浸かる無防備な少年たちをこの変態商人が覗き見たり手を出したりしないよう、ニーシャはあらかじめアックスを監視役として脱衣所に貼り付けていたのだ。
見事に図星を突かれたモーブルは、太鼓腹を波打たせて顔を茹でダコのように真っ赤にした。
「ぐぬぬ……! ですが坊っちゃん! わしらは過酷な死線を共にしてきた一蓮托生の仲間ではありませんか! 男同士、裸の付き合いで腹を割って語り合うのも旅情の醍醐味というものでしょう!」
「さっきまで卑劣極まりない
「戦闘力もないか弱き一介の商人でしかないこのわしが、パーティのために命を張り、骨を折って重い荷物をここまで運んできたのだ! その当然の対価として、美少年をこよなく愛するこのわしが少年たちの眩い艶姿を愛でて、一体何が悪いというのですか!」
「ん〜、山ゴリさんが完全に理性をかなぐり捨てて暴走してきましたよぉ。これは『欲情商人の末路』として、おもしろ三面記事の隅っこに掲載しますかねぇ」
ネリオがニヤニヤと手帳を構えて煽り立てる横で、欲求不満を限界まで溜め込んだモーブルの血走った視線が、ギラリと哀れな標的を定めた。
「……ええい、腹立たしい! おいラース、この際貴様でもいい! わしの背中を流しに今すぐ風呂場へ戻れ!」
「ひゃぅうううっ!?♡」
モーブルは丸々とした肉付きのいい腕を伸ばし、まだ湯上がりの余韻でほんのり頬を染めていたラースの敏感な尻尾の根元を、むんずと強引に掴んで引き寄せた。
「はうっ♡ 旦那さまぁっ!? し、尻尾はぁ……っ、弱いんですよぉ……!♡」
「うるさい、さっさと服をもう一度脱いでわしに奉仕しろ! 貴様のその艶やかな褐色肌と締まりのいい尻穴をじっくりと――」
「……調子に乗るな、豚」
ボッ、と低く鋭い魔力の破裂音が食堂に響いた。
ニーシャが指先を軽く弾いた瞬間、モーブルのぶ厚いズボンの尻の割れ目めがけて、小さな火球が着火した。
「ぎゃああああああああっっっ!? あ、熱い熱い熱いッ!! 尻がッ! わしの尻肉が丸焼きになってしまうぅぅぅっ!!」
尻から勢いよく煙と炎を噴き上げたモーブルは、ラースの尻尾を放り出し、太鼓腹を揺らして激しくのたうち回った。
「アックス、さっさとその豚を連れて行け。湯船に沈めて消火するといい」
「へ、へいっ! モーブルの旦那さま、水だ! 風呂場さ走るべ!」
「ひぃぃぃぃっ! 熱いぃぃぃっ!!」
モーブルは煙を吐く尻を両手で必死に叩きながら、脱兎の勢いで裏廊下の浴室へ向かってドタドタと駆け出していった。
アックスが慌ててその背中を追い、廊下の奥から「ざっぱぁぁぁん!」と豪快に湯が跳ね飛ぶ音と、モーブルの悲鳴混じりの安堵の声が聞こえてくる。
「あはは! モーブル様、見事な火の玉になって飛んでいっちゃったね!」
ルチオが無邪気に笑い、シルヴィオも胸の前で手を合わせて「これもヴァルクリアの神の天罰ですね」と涼やかに呟いた。
ラースは腰砕けになりながらほっと胸を撫で下ろし、助けてくれたニーシャへぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございます、ニーシャ様……」
「礼には及ばない。あの守銭奴には適度にお灸を据えておかないと、つけ上がるからね」
ニーシャは杖を手元へ引き寄せ、入口が見える席へ腰を下ろした。
カイルはモーブルがさっきまで座っていた椅子へどっかりと腰を下ろすと、窓の外へ目をやる。
窓の外は、すっかり深い夜の闇に包まれていた。
昼間の青空があったはずの天井には無数の星が瞬き、屋根の向こうには淡い月が本物のように浮かんでいる。
「夜空まであるのかよ」
「よほど地上に似せたいらしいね」
「月があると、ちょっと安心するけどな」
ニーシャは答えず、石畳の通りの向こうを見た。
最後まで開いていた金物屋が戸を閉め、店主らしい男が鍵を確かめている。
男は向かいの仕立屋へ軽く手を振ってから、建物の裏手へ回って消えていった。
今のところ、変わった様子はない。
町は何事もなく、穏やかな夜を迎えようとしていた。
厨房から、湯気を立てる布巾を手にしたルイーズがふわりと顔を出した。
「皆様、お風呂はいかがでした?」
「最高でした!」
カイルが即座に八重歯を覗かせ、満面の笑みで親指を立てた。
「肩までどっぷり浸かれる温かい風呂なんて、久しぶりすぎて生き返りました!」
「それはよかったわ。お連れ様がお上がりになったら、すぐにお夕食にしましょうね」
「夕食は何が出るんですか?」
「鶏肉の香草焼きに、温かい豆のスープです。お昼と少し材料が重なってしまいますけれど」
「全然いいって! 俺、肉なら何でも大好物だし、いくらでも食える!」
「ねぇねぇ、お姉さん! お昼のあの美味しいパンもあったりする?」
ルチオがカウンター越しに身を乗り出して尋ねると、ルイーズは微笑みながら優しく頷いた。
「ええ、もちろん。オーブンで香ばしく焼き直して、熱々のものをお出ししますね」
「わぁい! やったぁ、シルヴィ!」
その返事に、隣のラースまで嬉しそうに黒い尻尾を揺らし、パッと顔を輝かせた。
少年たちの賑やかな歓声を遠くに聞きながら、ニーシャは木製椅子の背へ深く身を預け、ゆっくりと瞼を閉じた。
湯で芯まで温まった身体が、腰を下ろした途端に心地よい重みとなって沈み込んでいく。
迷宮探索の張り詰めた神経が、微睡みの波に呑まれそうになる。
――眠るには、まだ早すぎる。
気力を振り絞って薄く目を開けると、正面の席からカイルがじっとこちらを覗き込んでいた。
「何だい、その間抜けな顔は」
「いや。お前も腹減ってんのかなって思ってさ」
「……なぜそうなる」
「メシの話で盛り上がってる間、一回も嫌味な文句挟んでこなかっただろ」
「黙っていても絡んでくるのか、お前は」
◆
夕食にも、特に不審な点は見当たらなかった。
すっかり火の消えたモーブルと、さっぱりした顔のアックスが戻ると、一行は交代で食事を取った。
カイルとルチオがパンを追加し、アックスは皿に残った肉汁までパンで綺麗に拭って平らげた。
食後、モーブルがルイーズへ保存食を買い足せる店について尋ねたが、教えられたのは昼間に見た通りの乾物屋や食料品店だった。
品を確かめるのは明日の朝にすることになった。
ルイーズが食器を下げている間に、ニーシャは夜の見張りの当番を決めた。
「二人ずつ交代する。片方は二階の廊下、もう片方は一階だ。交代のときは、次の者が完全に起きたのを確かめてから休め」
「わしは最初で構いませんぞ」
モーブルが太った腹をさすりながら言った。
「たらふく食ってすぐ横になると、朝まで胃が重くなりますのでな」
「それなら、あんなにお代わりをしなければよかっただろ」
「美味かったのですから、商人として食い意地が張るのは仕方ありますまい」
「俺と同じこと言ってんじゃん」
「あん? 万年ブロンズ級の貧乏人の貴様と違って、わしは自分の金でちゃーんと宿代と夕食代を払っておるわ」
「は? お、俺だってこのダンジョンを出たら、ギルドの報酬できっちり働いて払うっての!」
ニーシャは二人のくだらない言い合いを切り捨て、淡々と組み合わせを決めていった。
最初の巡番はモーブルとネリオ。
続いて深夜をニーシャとカイルが担当する。
「ネリオ。ボクを起こすときは、普通に声をかけろよ。いきなり肩を掴んだりするな」
「寝ぼけて火球でも飛ばす気か?」
「お前が余計なちょっかいを出さなければ済む話だ。ボクの寝起きを甘く見るなよ」
「はいはい。皆さん、起きているうちから見張りの体力を使い切らないでくださいねぇ」
ネリオが卓を軽く叩いて割って入った。
やがて一同は二階の客室へ上がっていった。
廊下のランプが一つ落とされ、淡い明かりの下でネリオが窓枠に寄りかかり、手帳を開いて万年筆を走らせる。
モーブルは階下へ戻り、入口が見渡せる頑丈な木椅子へどっかりと腰を据えた。
宿が静まり返ると、厨房でルイーズが後片づけをする水音がかすかに響いた。
やがて水音が止み、戸棚が静かに閉まる。
少しして、彼女が白い前掛けを外しながら顔を出した。
一仕事終えた艶やかな胸元が、歩み寄るたびに豊かに揺れる。
「まあ。まだお休みにならないんですか?」
「商売柄、夜中に荷の様子が気になる性分でしてな。どうぞ、お構いなく」
モーブルは視線を胸の谷間から紳士的に外し、柔和な笑みで応じた。
「そうでしたか。ランプの油が足りなくなりましたら、カウンターの下に予備がございますからお使いくださいね」
「ご親切に恐れ入ります」
ルイーズは表扉の掛け金がしっかりと下りているかを確かめ、モーブルへ上品に会釈した。
「では、お先に休ませていただきますね。おやすみなさいませ」
「ええ。おやすみなさい」
彼女は一階奥の、私室へと続く通路へ戻っていった。
やがてパタン、と扉の閉まる小さな音がして、薄暗い食堂にはモーブル一人が残された。
◆
「ニーシャ様。交代ですよぉ」
微かな呼びかけに、ニーシャは静かに目を開けた。
寝台の脇に立つネリオが、眩しくないよう手に持ったランプの灯りをそっと遠ざけてくれる。
「異常はなにかあったか?」
「何もありませんよぉ。通りも気味が悪いほど静かなもんです」
ニーシャは気怠い上体を起こし、ベッドの縁に腰掛けてブーツを履いた。
隣の寝台では、アックスが壁に背を向けて丸まって眠っている。
過酷な迷宮探索で疲れ切っているはずだが、大いびきをかくこともなく、深く規則正しい呼吸音だけが微かに聞こえていた。
「カイルは?」
「今から起こしますよぉ」
「あいつは頭をひっぱたいて起こしてもいい」
「いやぁ、随分と扱いに差がありますねぇ。駄犬扱いのカイル少年が可哀想ですよぉ」
ニーシャは立てかけてあった愛用の杖を手に取り、音を立てずに廊下へ出た。
突き当たりの窓から、裏通りを見下ろす。
灯りの消えた家々と、壁に寄せられた空の荷車。
昼間使われていた桶も箒も、生活感があるはずなのに、今は不気味なほど綺麗に片づけられている。
路地を歩く者の影は一つもない。
きしむ階段を階下へ下りると、見張り番をしていたモーブルが、大きな欠伸を噛み殺して涙目を拭っていた。
「代わるよ」
「おお、坊っちゃん。では、後を頼みますぞ。わしは二階で冷えた足を伸ばさせてもらいますわい」
「何もなかった?」
「ええ。猫の子一匹、ネズミ一匹通りませんでしたな。昼間はあれだけ人がおったというのに、ここの住人は随分と寝付きがいいようで」
薄気味悪さを誤魔化すように、モーブルは凝り固まった太い首と肩をぐるぐると回しながら階段を上がっていった。
その途中で、目をこすりながら下りてきたひどく眠そうなカイルとすれ違う。
「なんだ、その締まりのないゆるみきった顔は。冷水で顔を洗ってこい。そんな
「ふぁあああ……開いてるっての……ちゃんと見えてるし……」
「その間抜けな返事がすでに寝とる証拠だ」
モーブルの小言を右から左へ受け流し、カイルは大口を開けて欠伸をしながら下りてくると、ニーシャの隣へ並んだ。
「ふぁ……俺、一階でいいか?」
「ああ。表の通りだけでなく、裏通りも抜かりなく見ておけ。隙を見せるなよ」
「分かってるって……」
水筒の水をあおり、両手で顔をパンッと叩いて無理やり気合を入れると、カイルは一階の窓際の椅子にどかっと腰掛ける。
それを見届け、ニーシャは再び二階へと上がった。
廊下の窓際に置かれた木椅子へ腰を下ろし、静まり返った外の景色へ青い瞳を向ける。
偽りの空に浮かぶ月明かりが、冷たく石畳に落ちている。
昼間にライオットが見つけたという『灰黒色の筋』は、夜の闇に紛れてしまって、ここからではよく分からなかった。
ニーシャは窓枠へ肘をつき、向かいの屋根を見た。
ここへ来る前に覚えていた第六層は、水路と墓廊が入り組んだ場所だった。
それが今では、三階建ての宿を収め、さらに頭上へ空を映すほどの広さになっている。
壁や通路を動かした程度では済まない。
天井の高さも、水の流れも、階層そのものの造りが変わっている。
ホスティアールが地上から消えたのは三年前だという。
だが、この町が第六層に現れた時期まで、三年前とは限らない。
どこかへ移された町が後からここへ運び込まれたのか、町の名と姿を借りて造られたのか。
今ある情報では、どちらも捨てられなかった。
ニーシャは杖の柄を指で叩きかけ、眠っている仲間を思い出して手を止めた。
考えるべきは、造り方だけではない。
なぜ、こんな町が必要なのか。
第五層では、一行の行く先で道が変わり、罠まで生まれた。
あの変化に意図があるなら、侵入者を止めるか、追い詰めようとしていたはずだ。
その先に、食事も寝床も揃った町がある。
単なる休息場所なのだろうか。
冒険者を長く留めるためなら、よくできている。
実際、自分たちは宿泊を決め、モーブルは補給まで考え始めた。
食料を失った一行にとって、立ち去りがたい場所になっている。
だからといって、食料が燃えたことまで仕組まれていたとは考えられない。
あの炎を放ったのは自分だ。
疲労も空腹も、ここまで潜ってきた者なら抱えていて不思議はない。
そうした冒険者が来ることを見越して、この町が造られている可能性はある。
「……ずいぶん手間のかかる罠だね」
声にしてみても、断定する気にはなれなかった。
住人たちは泊まれと迫ってきたわけではない。
立ち去ろうとする一行を引き留めもしなかった。
階段を見つけられなかったのも、まだ調べていない区画がある以上、意図的に隠されているとは言い切れない。
ニーシャは、石畳の隙間へ目を凝らした。
第五層にも、第六層にも、あの灰黒色の筋があった。
通路の変化と町の維持に、共通の仕組みが使われているのなら――明日は、建物や階段だけでなく、筋の行き先も確かめるべきだ。
あれが魔力を運んでいるのか、それとも別の働きをしているのか。
まずは、そこからだ。
ニーシャは椅子へ座り直し、通りの左右へ鋭い視線を巡らせた。
静寂が鼓膜を圧迫する。
しばらくして――窓の端で、不意に何かが動いた。
「……!」
ニーシャは弾かれたように顔を上げた。
一人の少年が、通りに立っていた。
粗末な外套を深く羽織り、道の真ん中から宿の窓をじっと見上げている。
荷物は持っていない。
足元に灯りもなかった。
まるで、最初からそこに溶け込んでいたかのように、一切の足音を立てずに現れたのだ。
ニーシャが椅子から立ち上がると、少年はニーシャのいる二階の窓の方へ、ゆっくりと歩み寄ってきた。
扉を叩くことはせず、窓の真下で足を止める。
「誰だ?」
ニーシャは警戒を含んだ低い声で尋ねた。
「旅の人?」
「そうだけど。こんな夜更けに何の用だ」
少年は少し黙った。
下から届く声は微かで、ニーシャは窓ガラスへ顔を近づけた。
「……鐘が鳴ったら、町の人に気をつけて」
「……どういう意味だ?」
「呼んでも、分からなくなるから」
「お前、この町について何を知っている?」
ニーシャは杖の柄を強く握り直した。
「待っていろ。今、下へ行く。直接話を――」
「壊す前に、確かめて」
少年が口を挟んだ。
「何を壊すって?」
「何につながっているのか。それを、先に確かめて」
「おい、待て。何の話をしている?」
少年はすでに歩き出していた。
ニーシャの呼びかけにも足を止めず、建物の角へ向かっていく。
ニーシャは窓から身を引き、階下へ声をかけた。
「カイル!」
「ん? どうした?」
すぐに返事があった。
眠気は飛んでいるようだ。
「表に子供がいる。そっちの入口の窓から見えるか?」
階下で椅子を引く音がした。
続いて足音と、窓を開ける音。
「……誰もいねぇぞ。どっちだ?」
「右の角だ。今、そちらへ歩いていった」
ニーシャも外を見直した。
少年の姿は、もうない。
角の先は隣の建物に遮られ、二階からも見えなかった。
「外へ出て確かめるか?」
「いや。追うな」
窓枠を握っていた手を離す。
「わざわざ呼びかけておいて、肝心な質問には答えず立ち去った。闇の中へ誘い出そうとしている罠の可能性もある」
「そいつ、何て言ったんだ?」
「今、下りる。扉は閉めたままにしておけ」
ニーシャは窓を閉じ、重い留め金をカチンと掛けた。
ランプの灯りと杖を持って足早に階段を下りると、カイルが入口の扉の前に立って待っていた。
その片手は、いつでも抜けるよう魔剣の柄に添えられている。
「……『鐘が鳴ったら、町の人に気をつけろ』、だとさ」
「鐘?」
《けっ。夜中に現れて、言いたいことだけ言って消えやがったのか。もったいぶったガキだぜ》
カイルの腰で、魔剣エクセリオンが刀身を揺らして下品に悪態をついた。
《テメーもちっと警戒しすぎじゃねぇのか、魔法小僧。敵が来たら、この俺様でぶった斬りゃ済む話だろうがよぉ》
「敵が来るとは言っていない。町の人に気をつけろ、だ」
《同じことだろ。町の連中でも、牙剥いて襲ってくりゃ敵だろうが》
「事情も確かめずに斬って、後でどうする?」
《斬られた後じゃ、事情も聞けねぇぞ。手遅れになる前に殺れってことだ》
ニーシャが不快げに眉を寄せた。
「持ち主の野良犬に似て、ずいぶん単純な頭をしているね。何でも力任せに斬れば片づくと思っているのか」
ニーシャが氷のように冷たい軽蔑の視線を向けると、エクセリオンは鞘の中で刀身をガタガタと荒々しく震わせた。
《おうおう、俺様にケンカ売ってんのかぁ! 上等だよ! ちょっと気に入らねぇことがあると、すぐブチ切れて火を噴くヒステリックな魔法ガキに言われたかねぇな! 俺様なら、少なくとも大事な飯まで丸焦げにするような大ドジは踏まねぇぞ!》
「は……? ただの鉄くずのくせに生意気な口を叩くな! お前が勝手に口を挟んでややこしくしているんだろ! ボクにはボクの、これ以上ないほど完璧な考えがあるんだよ!」
第五層での食料焼失という、リーダーとして一番痛いところを的確に突かれたニーシャは、白磁のような美しい顔を朱に染め、こめかみに青筋を浮かべてムキになって言い返した。
子供の喧嘩のように本気で睨み合う『一人と一本』を呆れたように見比べ、カイルはやれやれとため息をつきながら、腰の魔剣の柄をポンと軽く叩いて諫めた。
「はいはい、分かったから二人とも声を落とせって。皆、上の部屋で疲れて寝てんだぞ」
《ちっ! 口うるせぇな! ならよぉ、とっとと敵を見つけに行こうぜ、相棒。待ちぼうけなんて俺たちの柄じゃねぇ、こっちから出向いて――》
「出ねぇって。俺たちの今の仕事は、宿と仲間の見張りだろ」
血気盛んな魔剣の誘いをカイルが迷いなくきっぱりと斬り捨てると、ニーシャは意外なものを見るように目を細め、それから静かに頷いた。
「……ふん、当たり前だ。あの得体の知れない子供を追っている間に、手薄になったここで何か起きても困るからね。しばらくはこのまま様子を見る」
カウンターの奥の暗がりで、古い振り子時計が無機質な音を刻んでいた。
カチ、カチ、カチ……。
カイルが文字盤を見上げる。
「……もうすぐ深夜十二時か。どうりで眠いわけだ」
「時刻を確かめて、眠気に納得するな。欠伸をしたら燃やすぞ」
《何なら俺様が子守歌でも歌ってやろうか? 古戦場で鍛えた、腹の底に響くダミ声のやつをよ》
「やめろ、全員起きるだろ。それに、剣のお前のどこに腹があんだよ」
《細けぇことを気にするひよっこ童貞だな》
ニーシャは呆れ果ててランプの灯りを卓へ置いた。
「……ボクは屋根に上がる。通りの先まで広く見渡しておきたい。お前はここに残って、何か異変があったらすぐに皆を起こせ」
「分かった。そっちも何か見つけたら呼べよ」
《おう、任せとけ。ここを通ろうって奴は、俺様が真っ二つに――》
「宿の扉も客も斬るなよ」
《注文が多いんだよ、てめぇは!》
ニーシャは返事をせず、足音を忍ばせて階段へ向かった。
カイルは入口と階段の両方が同時に見える位置へ椅子を引き、どかっと腰を下ろす。
軽い足音が二階へ遠ざかると、エクセリオンが声を落とした。
《……で、本当にここで待つのかよ》
「ああ」
《先に見つけて叩いた方が早ぇぞ》
「何が来るかも分かんねぇんだろ。俺まで出てって、皆が寝てるところに入られたら困るじゃねぇか」
カイルは椅子の上で姿勢を直し、通りを見た。
「ここへ来たら、そのときは頼むぜ」
《へっ。抜き遅れるんじゃねぇぞ、ひよっこ》
カイルは柄に手を置いた。
窓の外に人影はなく、背後では時計の長針が、静かに十二時の目盛りへ近づいていた。