モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~ 作:とけそうだら
西日が埃っぽく差し込む、うら寂しい昼下がり。
モーブル商会の古びた扉が――ギィィ……と、断末魔みたいな悲鳴を上げて開いた。
「…………」
立っていたのは、ブロンズ級の冒険者、カイル・バイロード。
だが、いつもの能天気さは影も形もない。
魂を抜かれた干物みたいな足取りで、床の染みでも数えているのか、顔を上げる気配すらなかった。
全身から立ち上るのは「人生、完全に詰みました」とでも言いたげな、濃厚すぎる絶望である。
カウンターの奥。
帳簿の山という名の砦に籠城していたモーブルは、その気配を嗅ぎ取った。インクと羊皮紙の匂いに混じって漂う金にならない面倒事の臭い。
長年の経験で鍛え上げた『面倒事センサー』が、耳元でけたたましく警報を鳴らす。
「……なんだ、カイルか。有り金全部スッた
「モーブルの旦那ぁ……」
蚊の鳴くような声でそう呼ぶと、カイルはいきなり――ゴツンッ!
小気味いい音を立ててカウンターに額をぶつけた。
衝撃でインク瓶がカタカタと震え、迷惑そうに鳴る。
「もう……ダメだ……。俺の冒険者人生、完全に詰んだ……」
ペンを走らせていた手を止め、モーブルは商人特有の値踏みするような目で少年を眇めた。
「ふむ。もはや何度目になるか忘れたが、一応聞いてやる。今度は一体なにをやらかした?」
「聞いてくれよ旦那ぁ。俺はもう、おしまいなんだ……」
カウンターに突っ伏したまま、カイルはモゴモゴと呻いた。
「俺……一緒にパーティーを組んでくれる仲間が、誰も、いなくなっちまったんだ……ッ!」
「ほう。腕は三流、元気と愛嬌だけが取り柄のお前が、ついに見捨てられたか。どうせ、食い意地が張りすぎて仲間の非常食まで食い尽くした……とか、そんなところだろ」
「ひでぇ言われようだ! 俺をそんな食い意地の化身みたいに思ってたのかよ! ちげーって!」
「金がないと我が家で当たり前のように晩飯をたかるお前が言うか。……まあいい。じゃあ原因はなんだ?」
「それがさ……俺にもよく分かんねぇんだ。昨日まで『カイルくん、いつも頑張ってるね!』って微笑んでくれた神官の子が、今日はまるでゴブリンの死骸を見るような目で俺を……」
(……ああ、女がらみか。そういやこいつ、胸のデカい女には見境なく発情する、分かりやすいスケベガキだったな)
モーブルは内心で深々とため息をつき、興味を失くしたように帳簿の整理に戻る。
そんな店主の態度にお構いなしに、カイルはぽつり、ぽつりと事の経緯を語り始めた。
そのあまりに救いようのない内容に、ペンを走らせるモーブルの眉間に、深い谷が刻まれていく。
「……はぁ。要するに、ダンジョンのモンスターより、パーティーメンバーの女の尻を追いかけるのに夢中だった、と。そういう寸法か」
「ち、ちが……っ、いや、ちがくは……ない……けど……!」
原因は、聞くまでもなかった。
カイルは女性冒険者と組むたび、秒で惚れる。いや、惚れた“つもり”になる。
ゴブリンの群れを前に「君の瞳はエメラルドの輝き!」と口説き、
落とし穴の真上で「俺が君を一生支える!」とプロポーズ。
当然、戦闘どころじゃない。
その奇行の数々は、やがて二つ名とセットでギルド中に拡散された。
『歩く万年発情猿』。
そして――『ダンジョン・ストーカー』。
「自業自得、因果応報、身から出た錆。好きな言葉を選べ。……だが、本題に入ろうか。仲間もいない貴様が、どうやってわしへの借金を返すつもりだ?」
その一言は、カイルの心臓に冷酷な氷の杭を打ち込んだ。
金もない。仲間もいない。未来もない。
完全に八方塞がりとなったカイルは、次の瞬間、閃いたとばかりに顔を上げ、やけっぱちに叫んだ。
「……そうだ! こうなったら、ラースをパーティーに誘う!」
店の隅で黙々とポーション棚を磨いていた魔族の少年――ラースの、すらりと伸びた黒い尻尾が、びくんっと跳ね上がった。
「ふぇっ!? ぼ、僕が!? む、む、無理だよカイルくん! 絶対に無理! 僕、戦いなんて……そこらのスライム見ただけで腰、抜けちゃうよぉ……!」
「ふん。そいつは奇遇だな。こっちはスライムに喰われかける剣士で、そっちはスライム見て気絶する魔族か。見事なまでの最弱コンビじゃないか」
モーブルは、心底面白そうに鼻で笑った。
だが、カイルは笑っていられなかった。
カウンターに両手をつき、身を乗り出して必死にすがる。
「モーブルの旦那! このままじゃ俺、マジでギルドから冒険者資格を剥奪されちまう! そしたら故郷のアレクスティアに強制送還だ! 半人前のまま帰ったら、あのクソ頑固な親父に『我が家の恥め!』って叩き出されて、国中の笑い者になる!」
そして、ガバッと音を立ててその場で土下座した。
「だから一生のお願いだ! この通り! どうか、どうか俺に協力してくれッ!」
その瞳に宿るのは冗談の光じゃない。
正気と狂気の境目が溶けた、崖っぷちの光だった。
モーブルは一呼吸置く。
土下座の頭――カウンターの隅で固まるラース――そして帳簿へと、視線を順に滑らせた。
(……ふむ。資格剥奪で強制送還、か。困るな。こいつが、じゃない。――むしろ、わしが)
やり手商人の脳が、高速で損得勘定を弾き出す。
(ダンジョン探索か……ちょうどいい。ラースにもそろそろ冒険者登録をさせて、“店の外で稼ぐ術”を教える頃合いだ。薬草の一本でも採ってこれりゃ、雑用係から“戦力”に格上げできる。わしの監視下なら、死ぬようなヘマはさせん。こいつはまだ大事な
そこで、モーブルの視線が土下座の頭に突き刺さる。
(だが、それ以上に――最重要案件は、この、ひよっこ冒険者の“焦げ付いた借金”だ! 踏み倒しだけは断じて許さん! 銅貨一枚たりとも回収できずに逃げられるなど――商人モーブル、末代までの恥……!)
「……フン。仕方あるまい」
計算を終えたモーブルは、これみよがしに大きなため息をついてみせた。
「貴様のっぴきならない事情も分からんでもない。一度くらいは、その珍獣見本市のようなパーティーでダンジョンに潜ってやってもいいだろう」
「えっ……えぇええええ!? だ、旦那様、ご冗談ですよね!? 僕なんて入った瞬間、最初に出会うゴブリンの晩ご飯です! 主菜です! 骨付きです!」
「うおおおおっしゃあああ! さすがはモーブルの旦那! 話が分かるぜ! 借金の恩人!」
絶望の悲鳴を上げるラースと、床に額をゴリゴリと擦り付けんばかりに喜ぶカイル。
実に対照的な二人を前に、モーブルは氷のように冷たい声で最後の釘を刺した。
「ただし、条件がある。このラースにかすり傷一つでも負わせてみろ。その時は――貴様の借金を、綺麗さっぱり十倍にしてやる。覚えとけ」
「じゅ、十倍……マジかよ。……それだけあったら、『愛の皿亭』の特製シチューと焼き立てパンのセット、何杯食えるんだ……」
どうやら借金の恐怖より、まだ見ぬ晩飯の計算が勝ったらしい。
こうして――崖っぷちの剣士と、臆病すぎる魔族。
そして彼らを監視する、強欲な商人。
後にギルドの七不思議のひとつに数えられる(かもしれない)史上いちばん頼りなさそうなパーティーが、ひっそりと産声を上げたのである。
◆
三人が向かったのは、低級ダンジョン『
その名の通り、洞内は常に湿った空気に満ち、壁一面に自生する月光苔が、洞窟全体を青白い幻想的な光で満たしている。
天井から滴る水滴が鍾乳石で反響し、まるで
「うおー! すっげぇ! ここが『水底の冥域』か! 青くてキラキラしてんじゃん! なあラース、これぞ冒険って感じでワクワクしねぇか!?」
カイルは両腕を広げ、子どもみたいに目を輝かせる。
「うん……綺麗で涼しいけど……」
ラースは顔色を失い、壁の奥へ耳を澄ませた。
「でも、カイルくん……今、『ぐぅぅ…』って……。あれ、きっと僕らを丸呑みにするモンスターの唸り声だよぉ……!」
「ハッハッハ! 大丈夫だって! 俺の愛剣『
根拠のない自信で胸を張る剣士。
人生初の迷宮に、魂ごと震えている魔族。
その背後で、モーブルだけが淡々と冷めた目をしていた。
「浮かれるな、ひよっこども。ここは街の遊戯場じゃない。初級だろうが、半人前が油断すりゃ――頭からかじられる」
しかし、モーブルにとってこのダンジョンは、勝手知ったる庭も同然だった。
店の商品の素材を集めるために月に数度は訪れる、いわば彼のプライベートな仕入れルート。
出現するモンスターも、せいぜい大型の蛙か毒を持つだけの小魚程度。
(リスクは限りなくゼロ。それでいて借金の
「おい、坊主ども。働け。これは今日の貴様らの売上目標だ」
モーブルは、二人に不格好に大きな革のリュックを押し付けると、さっさと洞窟の奥へと進んでいく。
「しっかりついてこいよ、ラース。途中で迷子になっても捜索願は出さん。一日経ったら死亡扱いにして、貴様の持ち物はすべてわしが没収するからな」
「ひぃっ!? は、はいぃぃっ!」
冗談めかしているのに、冗談に聞こえない。
ラースは青ざめたまま、必死にモーブルの背を追った。
ダンジョン内は薄暗く湿っぽいが、壁のあちこちに淡い光を放つ鉱石や、発光する珍しいキノコが自生している。
モーブルは、それらを見つけるたびに、手慣れた様子で採取し、リュックに放り込んでいった。
「おいカイル、そこの光るキノコだ。根こそぎ採れ。ラース、お前は壁の青い鉱石を削って袋に詰めろ。それが金になる」
「おいおい旦那! 人使いが荒すぎるぜ! 今回のクエストは
「やかましい。債務者は債権者の言うことを黙って聞くのがこの世のルールだ。それともなんだ? 利子の延滞金を今ここで請求されたいのか?」
「ぐっ……! わかったよ! やりゃいいんだろ、やりゃあ! 借金借金って旦那は本当にうるせぇなぁ!」
カイルは悪態をつきつつも、言われた通りにキノコをむしり取っていく。
「だ、旦那様ぁ。この鉱石、硬くてなかなか削れません……僕の非力な腕がもうプルプルしてますぅ……」
「泣き言を言うな。動けなくなるまで削れ。でなければ今夜の夕食は抜きだ」
「ひぃぃぃぃ! そ、それだけはご勘弁をぉ!」
リュックがずしりと重くなるたび、モーブルは口の端を吊り上げた。
「これが“商売”ってもんだ。覚えとけ、坊主ども。――冒険なんぞ、所詮は金儲けの手段にすぎん」
モーブルの容赦ない一言が、カイルとラースの純粋な冒険心に、ひりつくような現実の重みを突き刺した。
三人が黙々と手を動かしていた、その時だった。
洞窟の奥、澱んだ湖の水面が、不自然に大きく波立った。
――ばしゃん!
その音に、三人の動きがぴたりと止まる。
「な、なんですか……今の音っ」
ラースが、モーブルの外套の裾を掴んで震える。
「ラース、俺の後ろに下がってろ。……来るぞ!」
カイルは剣の柄に手をかけ、モーブルは値踏みするように音のした方角を睨みつけた。
次の瞬間、湖面が爆ぜ、小山のような巨体がぬらりとその姿を現した。
牛ほどもある巨軀、粘液に覆われた毒々しい緑色の皮膚、そして濁った黄色の目が、獲物を見定めるように三人を捉える。
「へっ、クエスト対象の緑蛙のお出ましだな! ラース、見てろよ! 俺の一撃で仕留めてやる!」
「ほう、威勢だけはゴールド級だな。だが、そいつの皮をその安物の剣で斬れるかな?」
「うっせぇ! 旦那はそこで指でもくわえて見てな!」
カイルはモーブルの挑発に発奮し、床を蹴った。
水しぶきを上げながら一直線に肉薄し、渾身の力を込めて緑蛙に斬りかかる。
だが―――
『ゲコッ』
カイルをあざ笑うかのように、巨体は軽々と跳躍し、その一撃をかわす。
「くそっ、図体の割にすばしっこい……!」
着地の隙を狙い、今度こそカイルの剣が怪物の脇腹を捉えた。
「もらったぁ!」
しかし、手応えがおかしい。
分厚い脂肪の塊に剣がめり込み、しかしその奥の強靭な筋肉に阻まれ、ぬるり、と押し返される。
「なっ……なんだよこれ!? 剣が通らねぇ!」
斬っているのに、斬れていない!
焦りが浮かぶカイルを意にも介さず、緑蛙は余裕の表情で低く喉を鳴らしている。
その背後では、ラースが腰を抜かしてへたり込み、絶対的な脅威を前にただ震えることしかできなかった。
「おい、ひよっこ! 無駄だ、剣を振るのをやめろ!」
モーブルの鋭い声が飛んだ。
彼はいつの間にか、腰の鞭の先端に手頃な大きさの石を巻き付けている。
「なっ、なんだよ旦那! 今いいところ……」
「いいから黙って言うことを聞け! 今すぐ、何も考えずにまっすぐこっちへ走ってこい!」
有無を言わせぬ気迫に、カイルは一瞬戸惑う。
だが、次の瞬間には「くそっ!」と悪態をつきながらも、緑蛙に背を向けてモーブルたちの方へと駆け出した。
『ゲゲッ!』
緑蛙の濁った黄色の目が、逃げるカイルの背中だけに釘付けになる。
モーブルやラースの存在など、とうに忘れたかのように、ただ一つの獲物を追いかけ、巨体を揺らして突進を始めた。
「そうだ、それでいい……」
モーブルの口元に、冷徹な利益追求者の笑みが浮かぶ。
緑蛙がカイルとの距離を詰め、その巨大な口を開けた瞬間――モーブルはしなやかな鞭を大きくしならせた。
ひゅん、と空気を裂く鋭い音。
最小限の動きから放たれた石は、鞭の遠心力で弾丸のように加速し、緑蛙の、がら空きの眉間へと吸い込まれていった。
ゴッ、という頭蓋骨が砕けるような鈍い音が響き渡る。
あれほど猛威を振るっていた巨体は、前のめりに倒れ込み、ぐしゃり、と崩れ落ちてぴくりとも動かなくなった。
「えっ……?」
カイルは、己の剣が弾かれた相手があっけなく沈黙したという現実を、まったく理解できずに立ち尽くす。
ラースもまた、恐怖を忘れて大きく目を見開いていた。
「旦那……どうやって……?」
モーブルは、さも当然といった風に肩をすくめた。
「緑蛙には、動くものを執拗に追いかける習性がある。そして、一度獲物に集中すると、周りが一切見えなくなる。……貴様が注意を引きつけてくれたおかげで、わしの石ころが弱点の眉間に綺麗に当たったというわけだ。これも立派な“
そして、呆然とする二人を尻目に、モーブルは続ける。
「力ずくで斬り結ぶなど、三流のやることだ。知識こそが、金も時間も使わん、最強の武器だ」
その言葉に、カイルは己の未熟さを、ラースは絶対的な強さを、モーブルの背中に見ていた。
だが、当の本人はそんな尊敬と畏怖の視線など一瞥もくれず、まるで道端の薬草を摘むかのような手つきで、手際よくモンスターの解体を始めている。
肉、皮、そして魔石。金になる素材を、無駄なく魔法の保存袋へと詰めていく。
「ぐふふふふ……こいつのモモ肉は、街のレストランに卸せばいい値になる。皮もなめせばそこそこの……ん?」
モーブルが最後の素材を袋に詰めた、その時だった。
小山のようなグリーンフロッグの死骸が、青白い光の粒子となって霧散し始める。
そして、それが完全に消え去った後には――ポンッ、と間の抜けた音と共に、鈍い銀の装飾が施された古めかしい木箱が一つ、鎮座していた。
「うおぉっ!? なんだ今の!?」
「た、宝箱……です! きっと、モンスターを倒したご褒美ですよ!」
ラースが怯えを忘れて声を弾ませる。
「ヒャッホウ! やっぱ冒険って言ったらこれだよな!」
カイルは欲望丸出しの顔で宝箱に駆け寄り、その重そうな蓋に手をかけた。
だが、その指が触れる寸前――。
「――待て、このど阿呆がッ!」
モーブルの怒声と共に伸びてきた腕が、カイルの首根っこを鷲掴みにして引き戻した。
「ぐえっ! な、何すんだよ旦那! お宝が逃げるわけでもねぇのに!」
「逃げはせんが、お前の命が逃げるわ。……貴様、本気でそれに触るつもりだったのか? グリーンフロッグ産の宝箱が、なぜ“
「へっ? し、新人殺し……?」
カイルの勢いが、ぴたりと止まる。
「ああ。貴様のような、欲に目が眩んだひよっこを仕留めるための、古典的な罠だ。大抵は――身体を丸焼きにする
そう言うとモーブルは、先ほど解体した緑蛙の足の肉塊を掴み、宝箱に向かって放り投げた。
ぽすん、と軽い音を立てて肉塊が宝箱の上に落ちる。
「……な、なんだよ……脅かしやがって。何も起きねぇじゃんか……」
カイルが安堵と苛立ちの混じった声で言いかけた、次の瞬間だった。
バチバチバチチチッ!!!
空間が白く染まるほどの閃光。
鼓膜を突き破るような放電音。
宝箱から迸った青白い電光が肉塊を貫き、オゾンと肉の焼ける鼻を突く異臭を撒き散らした。
肉塊は一瞬で黒炭と化し、じゅう、と嫌な音を立てて脂の煙を上げている。
「ひっ……ぁ……!」
「う、そだろ……」
血の気の引いた顔で後ずさるカイルとラース。
もしモーブルが止めなければ、あの黒炭は自分の身体だった。
その想像が、背筋を氷のように凍らせた。
「……ふん。やはり空っぽのハズレ箱か」
モーブルは冷ややかな目で二人を見据えると、静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で続けた。
「いいか、カイル。貴様の命はな、わしへの借金を完済するまで、わしの“資産”だ。それを己の欲望一つで無価値な黒焦げ肉に変えようなどと、許しがたい愚行だぞ。そのスカスカの脳みそに刻んでおけ。次に同じ轍を踏んだら、その命ごと差し押さえるからな」
「…………うっせぇ! わ、わかってたっつーの! ちょっと罠かどうか確認しようとしただけだ! いちいちひよっこ扱いすんじゃねぇよ!」
カイルは顔を真っ赤にしてそっぽを向き、見え透いた嘘で悪態をつく。
だが、その声は震え、握りしめた拳は白くなっていた。
「フン……。さて、次だ。こんなくだらん
モーブルの号令が、ダンジョンの湿った闇に突き刺さった。
それはもはや、冒険の引率者の声ではなかった。
ビジネス講座の実技教官の、厳しくも頼もしい声だった。
♦
「……ふぅ。これでノルマの五匹は達成か。リュックの中身も上々……今日の“営業”は黒字だな」
モーブルは革のリュックを軽く叩き、満足げに口の端を吊り上げた。
カンテラの灯りを出口へと向け、この薄暗い洞窟での仕事を切り上げようとした、その時だった。
「だ、旦那様っ、カイルくん! こ、こっちの壁……! なんだか、光が……それに、ひんやりした風が……!」
最後の最後まで素材を取りこぼすまいと、壁の苔を健気に検めていたラースが、怯えと発見の喜びがない交ぜになったような裏返った声を上げた。
その震える指が差した先へ、カイルが駆け寄る。
「光ぃ? そんなもん……うおっ!?」
カイルがためらいなく苔をひっぺがすと、その下から現れたのは、自然の洞窟にはありえない、人の手で組まれた石の継ぎ目だった。
隙間からは、まるで数千年の眠りから覚めた遺跡が初めて吐き出す溜息のように、淡い魔力の燐光と、肌を粟立たせるような墓所の空気が漏れ出している。
「……フン」
モーブルは短く鼻を鳴らすと、カンテラの光をかざし、鑑定士が呪われた骨董品を検めるかのような慎重さで周囲を検分する。
やがて、岩肌に巧妙に偽装されたわずかな窪みを見つけ出すと、そこに指を掛け、力を込めた。
ゴゴゴゴゴ……ッ!
地の底から響くような重い石の摩擦音と共に、壁の一部が沈み込んでいく。
開いたのは、人一人がようやく通れるほどの、光すら吸い込んで二度と返さぬような漆黒の竪穴だった。
「隠し通路、か……そういやお前、店でもよく失せ物を見つけてたよな。その妙な勘の良さ、磨けば冒険者稼業でとんでもない武器になるかもしれんぞ」
「ひゃっ!? ち、違います、そんな大したことじゃ……! ぼ、僕はただ、蛍みたいな小さな光が、壁の奥にすぅーって……吸い込まれていくのが見えただけで……その……」
獲物を見定めるようなモーブルの視線に射抜かれ、ラースは怯えた小動物のように縮こまった。
「光の玉ねぇ。またおとぎ話みたいなこと言ってやがる。さては腹が減りすぎて、ついに幻でも見始めたかぁ?」
カイルはラースの頭をわしわしと撫でながら、屈託なく笑った。
「ほう……ラースよ。もう一度、その“蛍みたいな光”を出せるか? 今度は偶然じゃない。意図して、だ」
「む、無理ですよぉ……! あれはたまたま見えただけで……」
「できるかどうかは、やってから決めろ。命令だ。やれ」
「うぅ……わ、わかりました……」
ラースは震える両手を胸の前へ持ってきて、ぎこちなく指を組む。
祈りの形――自分でも可笑しいほど頼りない。
「ひ、光……暗いの、こわい……。だから……来て……」
情けない声だった。詠唱でもない。格好いい言葉でもない。
ただ、怖いから来てほしいと、正直に願っただけ。
すると――
ふっ、と。
指の隙間に、針の先ほどの白い灯が生まれた。
「……え?」
灯は消えない。息を吸うたび、鼓動みたいにかすかに脈打って明滅し――米粒ほどに膨らんだ。
次の瞬間、光は丸くまとまり、ふわりと掌を離れて宙へ浮く。
「うわっ、出た!」
カイルが目を丸くする。
「なんだそれ! ラース、お前そんな芸持ってたのかよ!」
光の玉は、くるりと一回転してから、ラースの額の前まで寄ってきた。
まるで「やっと呼んだね」と言いたげに、柔らかく揺れる。
「ひゃっ……! こ、こっち見てる……!」
ラースが一歩退くと、玉も同じだけ距離を取って、ふわふわとついてくる。
逃げない。
襲わない。
ただ、暗闇が嫌いなのか、竪穴の縁から先には近づこうとしない。
モーブルは息を呑むでもなく、値踏みする目でその光を観察していた。
そして、商人というより学者みたいな声で、ぽつりと結論を落とす。
「……やはりな。ラース、その玉は魔法じゃない。もっと根源に近い」
杖代わりみたいに指を立て、光の軌道をなぞる。
「光の精霊だ。人が作る光ではなく――“光そのものの小さな意思”。そういう類だ」
「せ、精霊……?」
ラースの声が裏返る。
「おとぎ話じゃねえか」
カイルが半笑いで言いかけ――モーブルの視線に刺されて、喉の奥で言葉が潰れた。
「精霊は契約書に判を押して従う相手じゃない。怖がらせれば消える。欲を出して掴もうとすれば逃げる」
モーブルは光の玉から目を離さず、淡々と続ける。
「……だが今は、ラースに寄っている。お前の“願い”に反応したんだろう」
ラースは恐る恐る、指先を光へ近づけた。
触れた瞬間――熱くも冷たくもないのに、胸の奥だけがふっと軽くなる。怖さが薄まる。
光の玉が、嬉しそうに――見えないはずの口元で笑ったみたいに揺れた。
「……僕、こんなの……できるなんて……」
「できたんだ。なら“使える”。いいか、ラース。その精霊は、お前に懐いている間だけの戦力だ。大声を出すな。乱暴に扱うな」
言葉を切り、最後を釘みたいに打ち込んだ。
「――そして、むやみに他人に見せるな」
「え、なんでだよ?」とカイル。
モーブルは渋い顔のまま吐き捨てる。
「精霊が絡むと面倒が十倍になる。まして“精霊を扱える魔族”なんぞが知られたら――国も、ギルドも、研究者も、軍も動く」
「ひっ……!? く、国が……ですか?」
「わしは“商売”がしたいのであって、国と喧嘩がしたいわけではない」
光の玉は竪穴の闇をちらりと覗き、またラースのそばへ戻った。
「……わかりました。気をつけます……」
ラースがそっと撫でると、光の玉はすうっと壁の奥へ溶けるように消えていった。
(なるほどな……“魔族の血は嘘をつかん”、か)
モーブルは眉間に深い谷を刻む。
(まあいい。問題はそこじゃない。この通路が、どこへ続いているか――だ)
「これは……ギルドも把握していない“未発見”の区画かもしれんな……」
「マジかよ! ってことは、俺たちが第一発見者!? ヒャッホウ! こいつをギルドに報告すりゃ、報奨金と名誉は俺たちのモンだぜ!」
カイルの瞳が、剥き出しの欲望にギラリと輝いた。
(だが、腑に落ちん。ここはイングラジア最古参の初級ダンジョンだ。ネズミ一匹が巣穴にするような隙間まで、とうに探索され尽くしたはず。なぜ、今になってこんな大物が……?)
カイルの呑気な歓声を聞き流し、モーブルの灰色の脳細胞は、冷徹な計算の末に一つの解を弾き出す。
(……そうか。ギルドの記録では、ここの“主”は未だ討伐報告なし。答えは単純だ。この先に進んだ冒険者は、誰一人として生きて帰らなかった。だから、“未発見”であり続けたのだ。生存率ゼロの墓穴――それが、この穴の正体か)
「旦那! ぐずぐずしてると誰かに先を越されちまう! はやく行こうぜ!」
その熱狂に、真冬の氷水を浴びせるように、モーブルが冷ややかに言い放つ。
「やめておけ。その先に待っているのは名誉ではない。無駄死にだ」
「なっ……!? チャンスを目の前にして、水差すようなこと言うなよ! 金に汚い旦那らしくもねぇ!」
「リターンに見合わんリスクは、ただの“損失”だ。どれだけ見返りが大きく見えようと、破滅の可能性がある場所に
カンテラの光が、モーブルの冷え切った横顔を照らし出す。
その言葉は、揺るぎない彼の哲学そのものだった。
「…………だよ」
「ん?」
「――上等じゃねぇかよ、博打でッ!!」
カイルは、床を蹴るように一歩踏み出し、モーブルを真っ向から睨みつけて叫んだ。
「アンタには分かんねぇだろうな! いつでもソロバン勘定で、損しない安全な答えしか出さない旦那には! でも俺には! これくらいのリスクに賭けなきゃ、掴めねぇモンがあんだよ! ここを突破すりゃ、俺を半人前だって笑ったギルドの連中を見返せるかもしれねぇ! だったら、行くしかねぇだろうがッ!!」
その瞳に宿るのは、功名心という名の、あまりにも純粋で、あまりにも危うい熱。
彼はもはや、誰の言葉も耳に入らない。
「待て、この単細胞がッ!」
モーブルが伸ばした腕を荒々しく振り払い、カイルは炎に魅入られた夏の虫のように、迷いなく竪穴へとその身を躍らせた。
振り払われたモーブルの腕が、空しく宙を切る。
カイルの姿は、彼の絶叫の残響と共に、あっという間に暗がりの奈落へと飲み込まれていった。
「……あのクソガキが……ッ! 己の命にすら値札を付けられんとは、三流商人以下だ! これだからひよっこは手が焼ける……!」
モーブルは忌々しげに吐き捨てると、隣で顔を真っ青にしてわなわなと震えているラースに気づき、荒々しく舌打ちした。
「ど、どうするんですか、旦那様……? か、カイルくんを、このまま見捨てるん、ですか……?」
ラースの怯えきった問いに、モーブルは天を仰いで一つ、この世のすべての不条理を飲み込むかのような、深いため息をついた。
「……モーブル商会『商人の心得
その表情は、この上なく面倒な
「……チッ。行くぞ、ラース。あの馬鹿を放っておけば、我が店の貴重な“資産”が焦げ付く」
「は、はいぃぃぃ……っ!」
モーブルは集めた素材のリュックをその場に置くと、まるで新たな戦場へ向かうかのように一度だけ靴紐をきつく結び直し、漆黒の穴へと続く石段に、うんざりした足取りで最初の一歩を踏み出した。