※この作品はR-18です。

モブおじ精液でレベルアップ!? ~でも好みのショタっ子しか手助けしません!!~   作:とけそうだら

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※2025.12.28 誤字脱字を修正し、一部改稿しました。


第九話 ひよっこ冒険者といっしょに冒険②

 竪穴の先は、滑らかな石の階段が、奈落の底へと誘うように螺旋状に続いていた。

 先に飛び降りたカイルのがむしゃらな足音はとっくに闇に吸いこまれ、今はモーブルとラースの、焦燥に駆られた足音だけが壁に反響している。

 

「まったく、あの単細胞……。この先に待ち受けるのが、そこらのゴブリンと同レベルだとでも思っているのか」

 

 カンテラの光を頼りに、モーブルは壁の石材や建築様式を値踏みするように観察しながら毒づく。

 空気の質が違う。

 上層の湿った土の匂いとは異なり、ここはひどく乾燥し、石化した時間そのものとでも言うべき埃っぽさと、微かな魔力の残り香が混じり合った、独特の匂いが肺を満たした。

 まるで、数千年もの間、誰にも開かれなかった巨大な棺の内側を進んでいるかのようだ。

 

「だ、旦那様……。壁の絵が……なんだか、僕たちのことを見て、囁いているみたいで……」

 

 ふと立ち止まったラースが、震える指で壁を指さす。

 そこには月光苔の青白い光に照らされて、かすれた線刻画が古代の悪夢のように浮かび上がっていた。

 異形の怪物を崇める人々の姿。星の運行を示すかのような、冒涜的なまでに複雑な幾何学模様。

 明らかに、このダンジョンを単なる初級モンスターの狩場として利用していた冒険者たちとは異なる、古代文明の痕跡だった。

 

「古代祭祀場……いや、生贄の祭壇か。ギルドの記録にないはずだ。完全に忘れ去られた区画だな」

 

 モーブルの商人としての勘が、最大級の警鐘を鳴らす。

 未知の遺跡。

 未発見の財宝。

 それはすなわち、莫大な利益(リターン)の可能性を意味する。

 

 しかし、その価値を計る天秤の反対側には、常に同等か、それ以上の『“リスク”という名の死』が乗っているものだ。

 ダンジョンで幾度となく死線を乗り越えてきた彼は骨身に染みて知っていた。

 

「急ぐぞ、ラース! あの馬鹿が“授業料”を払わされる前に取り押さえる!」

 

「は、はいぃ、旦那様!」

 

♦

 

 どれほど下っただろうか。

 やがて螺旋階段は、まるで世界の裏側へと通じるかのように、彼らを一つの広大な空間へと吐き出した。

 

 そこに広がっていたのは、音という概念そのものが死に絶えたかのような、絶対的な静寂に支配された領域だった。

 

 広大な地底湖。

 磨き上げられた黒曜石の水面は、天井から下がる鍾乳石の影を寸分違わず映し込み、奈落そのものを覗き込む巨大な冥府の鏡と化している。

 その完璧すぎる静寂と美しさは、まるで防腐処理を施された神の死体のように、背筋を凍らせるほどの荘厳さを湛えていた。

 

 冷徹なモーブルですら、その光景に一瞬、息を呑む。

 だが、その場の異常な圧力を最初に感じ取ったのは、魔族の血を引くラースだった。

 

「あ……う……っ、圧が、すごい……です……! ここ……なにか、とてつもなく恐ろしい『なにか』が……眠って……!」

 

 ラースは喉を締め上げられたように喘ぎ、恐怖で逆立った黒い尻尾を震わせながら主人の外套にすがりつく。

 その視線の先で、モーブルはこの空間の心臓部――その“異常”の源を捉えた。

 彼は、乾いた唇を無意識に舐めた。

 

「……なるほどな。ここが、ギルドも知らぬ真の最下層……『水底(みなぞこ)の冥域(めいいき)』か」

 

 湖の中心に、ぽつんと直径五十メートルほどの小島が一つ浮かび、島に向かって一本の石畳の道がかかっている。

 そして、島の中央には、古の巨大魚の骨を組み上げたかのような冒涜的な玉座が、永劫の時を主の帰りを待つように鎮座していた。

 さらに、玉座を取り囲むように、まるで贄の代わりに捧げられたかのように、金銀で飾られたいくつもの宝箱が無造作に、しかしあまりにも蠱惑的に転がっている。

 

 モーブルの顔から、いつもの余裕と皮肉の色が消え失せる。

 

(――罠だ。これ見よがしに置かれた財宝。欲に目が眩んだ愚かな魚を釣るための、甘美すぎる“餌”だ。ここはダンジョンの主が仕掛けた、侵入者をまとめて始末するための“狩り場”……いや、“祭壇”と呼ぶべきか!)

 

「旦那さまっ! あそこにカイルくんがいます!」

 

 引き攣った声を上げたラースが指さす。

 その荘厳な死の空間のど真ん中で、一足先にたどり着いていたカイルが、一際大きな宝箱に抱きつき、よだれでも垂らしそうなだらしない顔でほくそ笑んでいた。

 

「……ひひっ、ひひひっ! すげぇ……! これ全部、手付かずのお宝じゃねぇか……! この中に伝説の剣でも入ってりゃ、借金返済どころか、ギルド中の女が俺に惚れる! まさに一発逆転だぜ……!」

 

 無邪気な声が、墓場のような静寂に響く。

 その声の主の元へ、息を切らしたモーブルが駆け寄った。

 彼の目には、輝く財宝ではなく、カイルの足元で口を開ける巨大な顎が見えていた。

 

「ふぅー、ふぅー……こ、この歩く不良債権めがッ! その欲まみれの手を今すぐどけんか!」

 

「うおっ、なんだよ旦那、血相変えちゃって。……ははーん、さてはここの宝を独り占めする気だな? ずっりぃぜ、発見者優先ってのが冒険者のルールだろ!」

 

「貴様の命(わしの資産)の心配をしておるんだ! それは罠だ! 貴様のような、欲望に脳みそまで喰われたひよっこを釣り上げるための、見え透いた“餌”なんだよ!」

 

「へ? 罠じゃなくて宝箱だろ、これ。……旦那、もしかして最近、目ぇ悪くなったのか?」

 

 カイルは心底不思議そうに小首を傾げる。聞く耳を持たないどころか、そもそも会話が成立していない。

 その純粋すぎる瞳に、モーブルの血管がブチリと音を立てた。

 

「この……オスガキがぁあああっ!」

 

 大人としての体面もかなぐり捨て、モーブルはカイルの襟首に爪を立てる勢いで掴みかかる。

 渾身の力で引き剥がそうとするが、宝箱という名の楽園に手をかけたカイルの身体は、まるでその場に根を生やしたかのようにびくともしない。

 

「離せぇッ!」

 

「離すかぁッ!」

 

「罠だと言っておる!」

 

「宝だっつーの!」

 

 子供の喧嘩じみた綱引き。

 業を煮やしたモーブルが、さらに足を踏ん張って全体重をかけた、その瞬間だった。

 カイルが「おっと!」と宝箱ごと体勢をずらしたことで、モーブルは力の均衡を完全に失う。

 運の尽きか。

 彼の踵が捉えたのは、ダンジョンの湿った床に転がっていた、ただの小石一つ。

 

「――ぐへえっ!?」

 

 およそ歴戦の商人とは思えぬ蛙が潰れたような悲鳴。

 モーブルの身体は無様に後ろへともつれ、ゴツンッ!と、ダンジョンの静寂に虚しく響き渡る音を立てて、後頭部を強打した。

 

「だ、旦那様! しっかりしてください!」

 

 ラースが駆け寄り、ぐらつくモーブルの身体を必死に支える。

 世界がぐにゃりと歪み、耳の奥で不快な音が鳴り響いていた。

 

「へっへーん! 旦那ぁ。さっき教えてくれたよなぁ! 『冒険なんぞ、金儲けの手段にすぎん』! まさに今のことだよな!」

 

「ぐ……っ、違う、そうじゃない……!」

 

 モーブルはラースの手を振り払い、ガンガンと割れるような頭痛に耐えながら叫ぶ。

 

「それは、リスクを見極めた“投資”の話だ! 貴様のように、目の前の餌に脊髄反射で飛びつくのは“商売”ですらない! “破産”を通り越した“自殺行為”だ、この単細胞が!」

 

 朦朧とする意識の中、必死に紡いだ言葉。

 だが、勝利を確信したカイルには、もはや馬の耳に念仏だった。

 

「まあまあ、そんな難しい顔すんなって! 財宝を持ち帰れば、借金は即日完済! 俺はギルドの英雄になって、あの受付嬢リシアさんのデカいおっぱいも、これからは俺のもんだ!! そんで旦那は帝都に蔵を建てて毎日、金勘定! ラースは念願だった自分の店だ! ほら、悪い話は一つもねぇ! どうだ、完璧な人生設計だろ!」

 

 カイルは、まるで世界を救った英雄のような口ぶりで、己の欲望をぶちまけた。

 

「それによぉ……この宝箱の中から声が聞こえるんだ。伝説の剣を手に取れって! これさえあれば、もう怖いもんなしの一流冒険者様よ! 依頼は選び放題! 飯は毎日、愛の皿亭の特製シチューだ! もちろん肉マシマシでな! 可愛い女の子たちが『カイル様、素敵!』って群がってくるんだぜ!?」

 

「はわわわわ、カイルくんの目が……ギラギラしてて、いつものカイルくんじゃないみたいです……!」

 

 その狂気にも似た熱量に、ラースはモーブルの外套の裾を握りしめ、怯えきった声で震えた。

 

「よーく見とけよ、二人とも! 今日この瞬間が、この俺、カイル様の伝説の始まりになるんだからなぁあああ!」

 

「やめろ……頼むから、やめてくれぇええええッ!」

 

 もはや怒りではない。

 破滅を目の前にした商人の、ただの悲鳴だった。

 その絶叫が、まるで祝福のファンファーレであるかのように、カイルは宝箱の重い蓋を、輝かしい未来への扉を開くかのようにこじ開けた。

 

 その、瞬間だった。

 

 ゴゴゴゴゴゴッ……!

 

 ダンジョンそのものが断末魔を上げたかのような激震。

 空気がびりびりと震え、足元の小島が、そして背後へと続く唯一の退路が、木の葉のように揺れる。

 

「なっ!?」

 

 振り返ったモーブルたちの目に、信じがたい光景が映った。

 今まで彼らが渡ってきた石畳の道が、地響きと共にゆっくりと、しかし確実に水面下へと沈んでいく。道の両脇からせり上がった水が壁となり、彼らの退路を轟音と共に跡形もなく飲み込んでいく。

 

 数秒後、揺れが収まった時には、そこに道があったことすら幻だったかのように、静かで完璧な水面が広がっているだけだった。

 完全なる閉鎖空間。

 漆黒の水が、三人を外界から完全に隔絶していた。

 

「あ……あぁ……」

 

 モーブルの顔から血の気が失せ、ラースは今や水際となった小島の縁にへたり込み、「ひっ、ひっ」と過呼吸を起こしている。

 

 ただ一人、この絶望的状況を引き起こした張本人、カイルだけが。

 まったく意に介さず、宝箱から取り出した、鍔(つば)の中央に青い玉が嵌められた『儀礼用の剣(なまくら)』を高々と掲げ、恍惚の表情を浮かべていた。

 

「すっげえええ! 見ろよ旦那! これが伝説の聖剣エクスカリバーだ!」

 

 その純粋すぎる勘違いと満面の笑みが、モーブルのかろうじて繋ぎ止めていた理性の糸を、ぷつりと音を立てて断ち切った。

 

「この……クソガキがああああああ!!」

 

 ゴッ!と、肉と骨がぶつかる鈍い音。モーブルの怒りを込めた鉄拳が、カイルの頭にクリーンヒットした。

 

「ぐふっ……てぇえええ! な、何すんだよ旦那! 親父にもぶたれたことないのに!」

 

「貴様の親父に代わって、世の中の厳しさを教えてやっているんだ! 状況を理解しろ! 貴様のその軽率な欲望のせいで、我々はここに閉じ込められたんだぞ!」

 

「えー? でも、こういうのって大体どこかに隠しスイッチがあって、別の出口が開くお約束じゃねぇの?」

 

「あのなぁ……! 全てのダンジョンには“主(あるじ)”がいるとギルドの初級講習で習っただろうが! “主”の寝床を荒らし、脱出路を断たれた場合、どうなるか!?」

 

「んー……なんか居眠りしてる間にそんな話も聞いたような……。腹減ってたから、晩飯のこと考えてたかも」

 

「かも、ではないッ!!」

 

 モーブルは血管が切れそうなほど絶叫した。

 

「“主”を倒すか! あるいは“主”が気まぐれな慈悲で見逃してくれん限り! ここから出ることは絶対にできんのだ! どうするつもりだ! 貴様のような最低ランク『ブロンズ』のひよっこが、ダンジョンの“主”を倒せるとでも言うのか!」

 

「ま、そんときはそんときでなんとかなるって! 助け合いの精神ってやつだ! 冒険者パーティで一番大事なのは、仲間を信じる心だろ! 旦那!」

 

 カイルは、まるで反省する様子もなく、にかっと笑ってみせた。

 

(……ああ、神よ。こいつは本当に、何一つ分かっておらん……!)

 

 モーブルは頭を抱え、獣のように唸った。

 絶望的な状況。腹立たしいほどの無知と浅慮。

 だというのに――なぜだ。

 この心臓を締め付ける衝動は。この腕で抱き潰してでも守ってやりたいと、魂が叫ぶのは。

 

(そうだ、わしは……いつから狂っていた?)

 

 すべてを赦したくなるような屈託のない笑顔。上気する血色の良い頬。汗の筋が光るうなじ。

 そこから背中にかけて走る、しなやかで若々しい筋肉の隆起。

 その一つ一つが、乾ききった支配欲という名の器に、毒のように、蜜のように、満ちていく。

 

(そうだ、あの夜も……。引き締まった尻肉の奥。まだわし以外の何者にも穢されていないと知れた秘孔の、あの吸い付くような熱と締め付け……! 『儀式のアルバイト』などという陳腐な嘘でその処女を奪った半年前の記憶が、今、蘇る……!)

 

 この瞳だ。微塵も曇ることのない、愚かなまでに真っ直ぐな輝き。

 どうしようもなく愚かで、どうしようもなく愛おしく、そして……骨の髄まで、欲しくてたまらない。この生き物が。

 

(ああ、もう、我慢ならん……! 今すぐに! このしなやかな四肢を冷たい石畳に縫い付け、抵抗に喘ぐ唇をこじ開けて蹂躙したい! 鍛え上げられた腹筋が快楽に震え、快活な声が啼き濡れた嬌声へと変わる様を聞きたい! この蕾をずぶずぶにこじ開けて、わしの灼熱を根元まで突き立て、骨の一片、肉の一筋に至るまで、わしが“主”であることを刻み付けてやりたいッ!)

 

 それは、彼の商人としての哲学の、完全にして決定的な敗北だった。

 損得勘定という天秤で世界を仕分けしてきた男が、計算外の“損失”であり“至上の利益”である美少年に、魂ごと屈服させられた瞬間だった。

 

 ――ニーシャの悪戯っぽい笑みに心乱された、あの日から。

 ――ラースの怯えた、しかし一点の曇りもない信頼をその瞳に受けた、あの時から。

 ――シルヴィオとルチオ、あの双子の美貌が持つ、抗いがたい神聖さに眩んだ瞬間から。

 

 彼らは、モーブルが築き上げてきた鉄壁の信条を、いとも容易く、甘美に破壊してきたのだ。

 

 だからこそ、狂おしいほどに愛おしい。

 損得という乾いた砂漠に生きる彼にとって、その理不尽なまでの輝きは、魂を潤す唯一のオアシスだったのだから。

 

 鑑定できないのならば、その身に直接、所有の刻印を刻み込むまで。

 帳簿に記せぬのならば、その肉体の記憶に、己が主であることを教え込むまで。

 

 業火のごとき独占欲が思考を焼き尽くし、その熱は下腹部へ突き刺さる。

 モーブルの内なる獣が覚醒の咆哮を上げた――その時だった。

 

「ひっ……あ、旦那様ぁ……! な、なにかが……玉座から……“生まれます”……っ!」

 

 へたり込んでいたラースが、ガタガタと震える指で湖の中央を指さす。

 その指先に、呪われた磁石のように三人の視線が吸い寄せられた。

 

 視線の先、何もないはずの玉座。

 空間が、夏の陽炎のようにぐにゃりと歪む。

 ごぽり、と粘つく水音が響き、歪みの中心をこじ開けて“それ”は姿を現した。

 

 最初に現れたのは、黒曜石の如き光沢を放つ巨大な巻貝の殻。

 玉座そのものを侵食し、一体化するように鎮座したそれは、見る者の正気を螺旋状に削り取っていくような、冒涜的な幾何学模様を描いている。

 

 そして、殻の下からぬらり、ぬるりと――悪夢そのものが這い出てきた。

 

 トロールの如き巨軀を持つ、異形の“何か”。

 深海の闇を圧縮したかのような、青黒い体表。そこに浮かぶ無数の斑点が、死んだ宇宙に浮かぶ呪われた星々のように、不気味な燐光を明滅させている。

 胴の下からは大樹の根のような極太の触腕が何本も蠢き、大人一人を容易く丸呑みにできそうな巨大な吸盤が、生命を嘲笑うように開閉を繰り返していた。

 

 それは、古代の神殿を背負い、永劫の眠りから呼び覚まされた巨大な軟体生物。

 人の理が及ばぬ、絶対的な質量と存在感。

 そして、その異形の貌の奥――溶岩のように揺らめく双眸には、冷徹で残忍な知性が宿っていた。

 

 ――神性の怪物。

 

 ぞわり、と全身の皮膚が粟立つ。

 モーブルの脳裏で、長年培ってきた商人としての危険察知能力が、もはや警鐘などという生易しいものではなく、断末魔の悲鳴を上げていた。

 損得勘定ではない。

 生存本能そのものが、脳幹の奥で絶叫している。

 

 ここが“底”だ、と。

 人智の及ばぬ神域――すなわち、冥域である、と。

 

「……小僧ども、動くな」

 

 喉から絞り出した声は、乾いた木が軋むようだった。

 それはもはや商人のものではない。

 幾多の修羅場を金と知恵で潜り抜けてきた、一人の生存者(サバイバー)の声だった。

 

 ……ドクリ、と。

 湖全体が巨大な心臓のように一度だけ脈打った。

 水面が不気味に逆巻き、そして、“それ”の双眸が、灼熱の溶岩を注ぎ込んだかのように真紅の光を灯す。

 その瞳に宿るのは、純粋な喜び。

 己の神域へ、自ら命を捧げにやってきた矮小な侵入者たちへの、絶対的な捕食者の悦楽。

 その歪んだ歓喜が、肌を刺す極低温のプレッシャーとなって三人に襲いかかった。

 

「――ッ、《レベル鑑定》!」

 

 モーブルは瞳を細め、震える唇でスキルを起動した。

 網膜に焼き付く絶望的な文字列に、息が凍りつく。

 

 

――――――――――――

 

【水底の主・ネプトゥーヌス】

 

【LV:62】

 

属性:水・闇

 

HP28,000

MP5,800

力480

魔力650

知力320

素早さ85

器用さ180

防御580

魔法防御520

 

【権能:水域支配/無窮の触腕/眷属連結召喚/水嵐(メイルストロム)】

 

――――――――――――

 

 

「ろく、じゅう……にぃ!? A級どころか……S級危険指定種、災害レベル(カラミティ)じゃないか……!? ゴールドランクのパーティですら全滅必至の規格外(イレギュラー)……! ふざけるな、ふざけるなッ!」

 

 もはや損得勘定など思考の彼方。

 己の“至宝”たる小僧たちを守り、生き残る。

 純粋な生存本能が、モーブルを突き動かした。

 懐から虎の子の家宝――緊急脱出用の転移石(アーティファクト)をひったくるように取り出す。

 

「くそっ……! これを使えば、わしの店の一ヶ月分の純利益が泡と消えるが……背に腹は代えられん! おい、二人とも、わしのそばを離れるな!」

 

 モーブルはカイルとラースを呼び寄せると、祈るように、縋るように、石を天に掲げた。

 

「――帰還転移(リターン)!!」

 

 だが――。

 

 眩い光と共に三人を地上へと送り出すはずの魔道具は、ただ冷たい石ころとして、その主の絶望を映すかのように沈黙を守るだけだった。

 魔力は発動しない。光すら灯らない。

 

「……え……なんで……? なぜ魔法が、発動せん……!? おい、どうした! わしのひと月分の純利益が詰まっとるんだぞ! いったい、どういうことだ……!?」

 

 何度、石を振ろうとも、叩こうとも、ただの綺麗な石ころと何ら変わりない。

 その瞬間、モーブルの背筋に氷柱が突き刺さる。

 故障ではない。

 この空間そのものが、転移魔法という“逃げ道”を拒絶しているのだ。

 

「まさか、転移阻害結界だと……! そ、そんな……馬鹿な……おい、動け! 働け! この役立たずのクソ石があぁっ!!」

 

 モーブルが無様に転移石を振り回していた、その時。

 濡れた足元の石に踵が滑り、その巨体は、まるで計算され尽くした喜劇のように、見事なまでに後方へ倒れ込んだ。

 

「ぎゃふんッ!?」

 

 ゴツン、と間の抜けた音が響く。

 それは、致命的な一撃だった。

 モーブルは、この世の全ての理不尽を呪うかのように白目を剥き、カエルが潰れたような呻きを一つ漏らすと、あっけなく意識を手放した。

 

「モ、モーブルの旦那!?」

 

「旦那様!! しっかりしてください!」

 

 二人の悲痛な叫びは、しかし、湖の主が上げた異質の咆哮に赤子の産声のように掻き消された。

 溶岩を宿した双眸が、矮小な獲物を嘲笑うかのように、すっと細められる。

 直後、地底湖の水面が意思を持った。

 天と地を繋ぐ巨大な水の壁となって炸裂し、神の鉄槌となって二人へと迫った――。

 

「ラース、伏せろ!」

 

 絶叫と共に、カイルは反射的にラースの痩身を背にかばい、二振りの剣を十字に構えた。

 右手には長年連れ添った相棒の『晩餐(ディナー)』。

 左手には、宝箱から手に入れた、いまだその真価を秘めた『儀礼用の剣』。

 

 だが、覚悟した衝撃は訪れない。

 ザアァァ……と、天を衝いた水の壁は、まるで幻だったかのように力を失い、ただの飛沫となって降り注ぐ。

 びしょ濡れになった二人の耳に届くのは、鍾乳石から滴る水の音と、自分たちの荒い呼吸、そして心臓の鼓動だけ。

 あまりにも静かだ。

 静かすぎて、耳の奥が痛い。

 

『ウボボボボ……』

 

 水底の主は、その異形の貌に表情らしきものを浮かべぬまま、まるで「落ち着きたまえ」とでも言いたげに、ぬらりとした触腕の一本を、ゆっくりと左右に振った。

 まるで人間が、怯える小動物をなだめるかのような、ひどく滑稽で、ひどく冒涜的な仕草だった。

 主はただ、じっと、値踏みするように少年たちを見つめている。

 

「……攻撃……してこない、のか……?」

 

 カイルは十字に構えた剣を解かぬまま、警戒に満ちた声で呟く。

 

「……そ、そうなのかな? もしかして……僕たちみたいな弱虫、相手にするのも馬鹿らしいって……見逃してくれるとか……」

 

 ラースが、祈るような、縋るような声で言う。

 その言葉に、カイルの脳裏で意識を失う直前のモーブルの叫びが蘇る。

 

 ――“主”を倒すか! あるいは“主”が気まぐれな慈悲で見逃してくれん限り! ここから出ることは絶対にできんのだ!

 

(気まぐれな、慈悲……? これが、それなのか……?)

 

 その時だった。

 主は、まるでカイルの迷いを見透かしたかのように、もう一本の触腕を、今度は愉快そうにふりふりと揺らし、こちらへ来るようにと手招きをした。

 

「……意外と……話が通じるタイプ、なのか……? 見た目はこんなんだが……」

 

 カイルは剣を握りしめたまま、一歩、また一歩と、恐る恐る距離を詰めようとする。

 その愚直なまでの希望に賭けようとした、その瞬間。

 

「っ!? カ、カイルくん! だめ、止まってッ!」

 

 背後から、ラースの絶叫が突き刺さる。

 彼の魔族としての鋭敏な感覚が、大気の震えから、凝縮されていく殺意の波動を正確に感じ取っていたのだ。

 

 ラースの言葉が号令だったかのように、怪物は、指先で鬱陶しい虫を払うかのような、あまりにも無造作な仕草で、虚空から水を一掴み、握り潰した。

 咄嗟に身を捻った瞬間、蒼白い燐光を放つ一本の水の槍が生まれ、カイルの頬を掠めて飛んだ。

 

 ビュンッ! という鋭い飛翔音と、頬を走る冷たい痛み。

 遅れて、背後の湖で水柱が上がる。

 

「あ……あぶね……今の一撃……よけなきゃ死んでた……?」

 

 カイルが冷や汗を流すのを、怪物は心底楽しそうに身体を揺らした。

 そして、今度は見せつけるように、ゆっくりと、三本の水の槍を虚空に練り上げる。

 

「水槍(ウォーターランス)!? 第四階梯魔法じゃねーか! シルバーランクの魔術師が切り札にする必殺の一撃を、詠唱もなしに……三本もか!?」

 

「や、やっぱり……! 僕たちを……弄んで……試してただけなんだ……!」

 

 ラースの震える声が、この遊戯の終わりと、一方的な処刑の始まりを告げていた。

 

 

(俺が受けきれるか……第四階梯を……)

 

 さっきは運よく躱すことができたが……

 冒険者ランク最底辺であるブロンズ級の自分では、本来、躱すこともできない死の奔流だ。

 

「カイルくん……」

 

 背後でモーブルを抱きかかえるラースの、怯えながらも自分を信じる瞳が突き刺さる。

 弱音など、吐いている暇はない。

 

(……受けきれるか、じゃねえ。受けきるしか、ねえんだよ!)

 

 カイルは奥歯を噛みしめ、全身の魔力と闘志を沸騰させた。

 眼前に浮かぶは三本の必殺の槍。

 背後には、震えながらも彼を信じる仲間がいる。

 退くという選択肢は、初めから存在しなかった。

 

 刹那、三条の死線が放たれた。

 音を置き去りにする速度で迫る、一点の輝き。

 思考ではない、生存本能が絶叫する。

 全神経を両手の剣に収束させ、迫りくる死の軌道を見極めた。

 

 ――ガキィンッ!

 

 甲高い金属音が、静寂な空間を引き裂いた。

 一本目を、渾身の力で弾き上げる。

 だが、その衝撃はカイルの想像を絶していた。

 それはもはやただの水塊ではなかった。

 鉛を凝縮したかのような質量。

 鋼鉄を凌駕する鋭さ。

 そして、魂ごと凍てつかせる絶対零度の殺意。

 

「ぐっ……ぅおおッ!」

 

 弾いた右腕が、肘から砕け散ったかのように悲鳴を上げる。

 痺れと激痛で、剣を取り落とさなかったのが奇跡だった。

 だが、感傷に浸る暇はない。

 二本目が、がら空きになった胴体を狙って殺到する。

 

(――速えッ!)

 

 咄嗟に身体を捻って回避。

 槍が脇腹の鎧を抉り、激しい衝撃と共に血飛沫が舞う。

 そして、三本目。

 それはまるで、彼の覚悟を嘲笑うかのように、ゆっくりと、しかし確実に心臓へと向かってきていた。

 

(……ここまで、か……)

 

 諦観が脳裏をよぎった、その瞬間。

 魔法が放たれた後の、ほんの一瞬。

 主の巨体に生じた、僅かな魔力の揺らぎ。

 

 ――好機!

 

「……折れるかよ……ッ!」

 

 カイルは最後の気力を振り絞った。

 三本目の槍を、左手の『儀礼用の剣』で横薙ぎに叩き落とす!

 

「てめぇみたいな化け物に……アレクスティアの剣は、折れねえんだよ!」

 

 がら空きになった敵の懐へ、弾かれた体の反転を利用して、その勢いのまま肉薄する。

 右腕に、残った全ての力を込めて。

 

「うぉおおおおおおお!! ――《渾身撃(ハード・ストライク)》!!」

 

 それは、今のカイルが持つ最強の剣技。

 体重の全てを乗せた、重い、重い一撃。

 分厚い脂肪の層を突き破り、その刃は確かに水底の主の巨軀を捉えた―――そうカイルは思った。

 

 しかし―――

 

『……ブボ?』

 

 主の反応は、それだけだった。

 まるで、鬱陶しい羽虫が肌に止まったかのような。

 あるいは、霧雨の一滴が体に当たったかのような。

 そんな、取るに足らない不快感。

 

 カイルの瞳から、光が消えた。

 手応えが、ない。

 渾身の一撃が、まるで厚いゴムの塊を殴ったかのように、ぬるりと押し返される。

 通用していない。掠り傷一つ、与えられていない。

 

 その、心が砕ける音を聞き逃すほど、深淵の主は甘くはなかった。

 この矮小な生贄は、もはや脅威に値しない、と。

 ただの玩具にすぎない、と。

 そう判断したのだろう。

 

『ウボボボ……』

 

 愉快そうに巨躯を揺らし、まるで道端の石ころでも蹴り飛ばすかのように、パァン、と。

 極太の触腕が、カイルの身体を軽く、薙ぎ払った。

 

「が、はっ……!?」

 

 まるで巨人に打ち飛ばされたかのような衝撃。

 カイルの身体は「く」の字に折れ曲がり、為す術もなく石畳の上を数度跳ねて、動かなくなった。

 口の中に鉄の味が広がり、視界が明滅する。

 

『ウボボボボボボ』

 

 耳鳴りの奥で、冒涜的な音が響いた。

 霞む視界が捉えたのは、虚空に浮かぶ十本の、蒼白い死の輝き。

 

(……十本、だと……ッ!? くそ……避けなきゃ……でも……身体が、動かねぇ……)

 

 全身を襲う激痛と脱力感。

 必死に手足を動かそうとするが、まるで自分のものではないかのように、ぴくりともしない。

 頭がくらくらする。

 思考が、冷たい水の中に沈んでいくようだ。

 

(もう、終わりなのか……こんな、ところで……)

 

 カイルの思考が、諦観と絶望に染まる。

 そして、無慈悲な十本の水槍が、彼を串刺しにせんと一斉に飛来した。

 

 死を覚悟し、カイルが固く目を閉じた――その、瞬間。

 

 シュンッ!

 

 彼の眼前で、空間が陽炎のようにわずかに揺らめいた。

 十本の水槍は、まるで見えない壁に弾かれたかのように、ミリ単位でその軌道を変え、カイルの身体を避けて背後の湖に着弾。

 凄まじい水柱を上げた。

 

「……え……?」

 

 何が起きたのか分からない。

 死の魔法が、自分を避けていった。

 そのありえない事実に、カイルはただ呆然とする。

 だが次の瞬間、耳元で、震えるような、しかし必死な囁き声がした。

 

「か、カイルくん……! 大丈夫……!? 動かないで、声も出しちゃだめだよ……!」

 

 聞き慣れた声。

 振り返ろうとするが、首さえも動かせない。

 声の主は、カイルの困惑を察したように続けた。

 

「ごめん、今ね、”森妖精の粉”っていうアイテムを使ってるんだ。だから、僕たちの姿も音も、あの怪物には見えてない……はずだから」

 

 姿は見えない。

 だが、小さな手がカイルの腕を掴む感触があった。

 

「旦那様も、移動させたから……。早く、あっちの岩陰に行こ……!」

 

 見えないラースに手を引かれ、カイルはされるがままに身体を引きずられる。

 その視線の先では、必殺の一撃が外れたことに首を傾げ、獲物を見失って苛立たしげに周囲を見回す、水底の主の姿があった。

 

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