TS男子大学生の受難 〜メス堕ちしても、君が好き〜 作:キツネリス
…ところでこの文量でフレーバーテキスト名乗っていいんだろうか?
それはいつもと変わらない非番の1日……のはずだった。
私は今昼食を取りにお気に入りの飲食店を訪れていた。小岩井珈琲店……サンドイッチやスパゲッティなどの軽食も楽しめる喫茶店形式のチェーン店だ。
席に案内され、いつものカフェラテとハムトーストサンドを注文した後、ほっと一息つく。そうした後に、つい先ほど出会った『彼女たち』についてふと思い返す。
「仲良くなってから二年経つ、か……」
ついこの間私が診察したとき、彼は見るからに絶対男に戻るんだと決心しているようだった。それがついさっきたまたま出会ったそのときには、まるで無邪気ないたずらっ子のようなあどけない笑顔をしていて、その満面の笑みは彼自身が女として生きることを肯定した証であるかのように思えた。……そして、実際私の読みは当たっていた。後から彼が性別変更の手続きを済ませてきたことを教えてくれたのだ。
対する彼女の方はというと……見ているのが可笑しくなるくらいにたじたじだった。隣の彼が腕を組んであからさまに距離を詰めたその直後……ぎこちなく引きつったような笑みや、手にしていたバッグを前に構えながらのその腰の引けた体勢が何を意味するのか。それは私や彼女の肉親でもなければ、察することはまず不可能だろう。彼女の自尊心に配慮して、その場は気がつかない振りをしておいた。
積極的な彼と、奥手な彼女。願わくばこの先、二人で幸せな人生を歩んでいってほしいと思う。
二人の幸せを願う一方で、私には医師として彼女たちを別の観点から見なければならない義務のようなものがあった。それは二人から分けてもらったせっかくの幸せな気分を曇らせるものになってしまったが……それでも向き合わないわけにはいかない。
私はハンドバッグからスマートフォンを取り出すと、一つの番号に電話をかけた。店内はほどよく賑やかで、なおかつ私の席の周囲に他の客は無い。盗み聞きされることもないだろう……そんなことを思いながら待つこと少し、数度の呼び出し音を経て相手と繋がる。
「もしもし、私……この前話した患者についての件で一つ報告があって電話したのよ。……今大丈夫かしら?」
ここでの患者とは先ほどの彼のことだ。そしてその彼についての件とはつまり、女体化症候群に関することに他ならない。
「そう、その子……今日たまたま外でその子と出くわしてね。そしたら彼、サクラの子と一緒だったの。それも交流自体は二年前までさかのぼるみたい」
サクラの子とは、隣に居た彼女のことだ。そしてサクラとは、両性具有症を指して関係者の間で用いられる隠語である。そう……実を言えば、両性具有症は現在その存在を秘匿されており、世間一般には未だその存在を公表されていないのだ。ちなみになぜサクラなのか?というと、それは桜という花が、一つの花に雄しべと雌しべをあわせ持つ両性花を咲かせる植物であることに由来する。
「サクラと長く……それも恐らくは最低1年以上交わることで、
その言葉を口にしながら、一方で背筋が寒くなってくるかのような錯覚を覚える。実は女体化症候群は両性具有症患者を媒介として発症する極めて特殊な伝染病である、とする仮説がかねてより検証されており、何を隠そう今日出会った彼女たちにより期せずしてその信憑性がより強まったのだ。
これはある側面から見れば朗報である。当然だ、感染源が分かってしまえば後はその接触を断てばいい。完全に隔離してしまえば、少なくとも世の年若き男児一同に恐怖を与えてしまっているその病を根絶することが可能である……と、この一点にだけ注目すれば誰の目から見ても朗報であることは明らかだろう。だが……。
「…………ええ…………ええ、そうね。もし仮に公表なんてしようものなら……サクラの子たちが受ける迫害が、どれほどのものになるか……」
元々両性具有症の存在が秘匿されているのは、それに罹患してしまった女性たちをいわれなき誹謗中傷などから守るのが目的である。なにせ女性の身でありながらその体に同時に男性器を有してしまっているのだ。心なき一部の人々は彼女たちを指して悪びれもなくこう言うことだろう……性犯罪者予備軍、と。
その上先の仮説を元にした注意喚起が、男性保護という名目を優先して軽々しく行われてしまったとしたらどうなってしまうか。伝染病を振り撒く病原菌……もはや人間としてまともに扱ってもらえるかどうかすら、危ういものがある。
「…………うん…………うん…………そうよね……私たちには元より他の道なんて許されていないんだわ。本当の意味で、彼女たちを救うために……」
両性具有症を発症する原因を突き止め、これを予防し、両性具有症そのものを根絶すること。……理想は果てしなく高く、そして成就の兆しは未だこれっぽっちも見えていない。一寸先は闇……まさにそんな言葉が当てはまる今日この頃だ。
「……このままだと、地獄に落ちるかしらね?私達」
ふと臆病風に吹かれてつい弱音が漏れてしまう。この先結局何の成果も挙げられなかったとしたら。今だって、衆目を浴びることを恐れている女性たちに対して何か救済の道を示せているわけじゃない。出来ることといえば性欲を抑え込む薬をあてがい、後はひたすらに誤魔化し抜いて、ひた隠しにして、日陰者として生きるよう……優しい言葉で欺いて。抑圧に次ぐ抑圧の強制、押し付け。…………これでは偽善者などと言われても仕方ないだろう。
弱気になるあまり、胸の奥をきゅっと締め付けられるような感覚を覚える。
…………けれど、電話の向こうの相手はそんな私の弱音を吹き飛ばすかのようにこう言った。
『やれるだけのことをやり尽くしてそうなるのなら、悔いはないさ……』
低い調子で落ち着いた声色。それでいてどこか力強いその言葉は、自分はまだ諦めるつもりはさらさらない、と言外に言い表しているかのようだった。それを聞いて、私は医師を目指し始めた頃の想いや志、情熱などが胸の内に甦ってくるような気がしていた。
「……ふぅ……なら、地獄がどうとかなんて言ってられないわね。やらなきゃならないことが、まだまだ山積みだもの」
私はいつの間にか泣きそうになっていたのをかろうじて堪えて、鼻をすすり上げて一呼吸置いた後、決意を新たにそう言ってみせた。向こうから、一応こちらの身体を気遣う声が返ってくる。お互い忙しい身の上であると知った上での社交辞令……と評するのは、親しい間柄とはいえさすがに失礼だろうか?
「あ……注文が届いたみたいだからそろそろ切るわね。じゃ……また」
そうこうしているうちに店員が頼んだ品を手にしてやってきたので、私はそこで電話を切り上げた。
今日はいつもと少しだけ違う、非番の1日。ちょっと小洒落た昼食に舌鼓を打った後は、映画を見に行く予定だ。SNS上でやたらと酷評されているらしい問題作……だけどそのボロクソな言われようが逆に私の興味を引いてしまったらしい。
ともあれ……今日は思い切り羽根を伸ばして、明日への英気を養おう。全ては、私を頼りにやって来る人々に寄り添い、少しでも心の支えになるために。そのためならば……私は偽善者と呼ばれようとも構わない。