先生×イロハ
※リョナ描写あり
※堕胎描写あり
※pixivにも投稿ずみ

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第1話

 

 

 

「堕ろせよ、ソレ」

 

 浮ついていた気持ちが、ぷつりと糸が切れた様に落ちていく音がした。

 

「――……ぇ、ぁ、え……? な、え……」

「うわぁ~~~……まさか、なぁ。ある程度サボりだどうだって言ってたから、ある程度は割り切ってくれるもんだと思ってたんだけどなぁ……は? うそでしょ? ねぇちょっと待ってよ。今までもピルとか飲んでこなかったわけ?」

 

 ぱちぱちと目を開かせながら、目の前で呆然としている自分を置いてけぼりにして言葉が綴られていく。

 

 妊娠したんだ、そうなんだ、うれしいな。責任は絶対に取るから……そんな夢見心地な頭を抱えていた少女は、捉え方を変えれば相手への責任を背負わせるような言葉をどこか期待していたのを否定できない。仮に、それで拒絶されようとも何かあれば背負うのは自分だけでいいし、それで彼に対して重い責任を背負わせないように配慮するつもりだった。

 

 それでも、心のどこかでは思っていた。なし崩し的に、彼が隣にいてくれる選択をしてくれるのだと。責任感がある大人だからこそ、きっと自分と寄り添って生きてくれるかもしれないと、淡い気持ちが彼女の中にあったのだと。

 

「……はぁ、ふざけないでよ。もしかしてソレのために話を持ち掛けてきたわけ? ただのセフレごときが?」

「は、ぇ……あぇ……っ、せ、せんせ……」

 

 頭を掻きながら「仕方ないなぁ」と呟いて、どこか見て取れる気だるげな空気を纏っているソレは、まぎれもなくずっと隣にいてくれて、そして、何度も同じ夜を過ごしてきた彼の姿。どこか頼りなくて、いつもくたびれるまで目の前の仕事に打ち込んでいるような、そんな放っておけない大人の人。

 

 それが、今だけは違う。目元も表情も変わっていないのに、その声色はどこまでも冷たく無機質。目の前にいる小さな赤髪の少女を視界に映しながらも、何一つとして興味を抱く素振りを見せず、厄介な物を持ち込みやがってと言いたげな視線しか向けてこない。

 

 体の芯が冷える気持ちだった。慌てるような顔を見せてきた彼が、この時ばかりは自分の知らない誰かにしか思えなかった。

 

「じゃ、イロハ。病院行こうか」

 

 肩に触れる手が、そっと乗せられただけで背中が俗吏と震えた。

 

 ここで拒まなければ、今お腹の中にある『子』がどうなるのかなんて、馬鹿でもわかり切っている。振るえた体が、のどを乾かせながら彼に拒むように言葉を繋げた。

 

「私の仕事のつながりでさ、こういうの表立って話が出ないように内々で処理してくれるのがいるのね。腹の中のそれなんて異物みたいなもんだし、パパっと処理しちゃおうよ」

「……い、いくって、なんでですか。あの、もしかして責任がどうとかの話ですか……? べ、別にっ……取らなくていいですよ。育てるなら、私だけが」

「そうじゃなくってさ。そういう話じゃないんだよ。こっちが話してることはさぁ」

 

 吐き捨てるように舌打ちをしながら、淡々とした言葉の中にいら立ちが混じり始めた。

 

 お腹の中の子についての責任ならば、背負わせるつもりはないし、何があっても自分が育てるからそれでいい。先生はシャーレの先生として自分の仕事を全うしてくれればいいし、彼にもシャーレという組織にも何ら負担をかけるつもりはない。

 

 つっかえながら彼にどうにかこうにか伝えきり、腹の中の子共々適当に理由をつけて自分だけが抱えていく。考えられるだけのプランを彼に提示し、考え付く限りのアイディアを出し切り、先生に伝え終えることが出来た。

 

 それでも、彼の考えは変わらないのだろう。首を横に振る姿を見せられて、イロハの顔に深い影が落とされた。

 

「っ……わ、わかりました……そう、ですよね。私も軽率でした。簡単には当たらないだろうと……タカをくくってました。その、お腹の中の子については……先生にお任せします……」

 

 冷えた頭が、取るべき選択肢を間違えずないことが、今のイロハの最善。彼の言葉に従い、自分が選ぶべき物を選ぶことが、イロハは出来た。

 

 お腹の中に宿った命には、確かに想いを寄せていた。彼との逢瀬によって結ばれた命がイロハの中で期待と共に重くなり、一緒に育てていきたいという気持が育ってしまっていた。未成年でありながら母親気取りの表情を浮かべていたのは、冷静な判断が出来ていない証拠だと、イロハの口元が強く引き結ばれた。

 

 自分の行動を戒めて、このようなことが起きないように自分も気を付けなければならない。このことは、しっかりと二人の間で忘れない物として覚え続けなければならないだろう。

 

「……先生、その……これを先に言うべきでした。私のほうが軽率だったのに、先生の心の負担になるようなことをしてしまって……本当に申し訳ありません」

 

 殊勝な気持ちが上を向き始め、沈んだ表情と共に視線は下を向いたまま。当たり前の話だろう。自分の中にある重い命の選択を、よりにもよって自分を受け入れてくれた彼に、わずかでもその重みを持ってよりかかってしまったのだから。

 

 沈んだ表情を浮かべているイロハを、先生はずっと見下ろしたままだった。彼女の言葉だけを、その耳で拾っていた。

 

「……しばらくは、ここに来るのも控えます。私としても、サボりの時間を当てるためにここに来ていましたが……さすがに、これからは顔を出しづらくなるでしょうし……あ、ただ当番の時は任せてください。また、変わらないままに接してくれても大丈夫ですから」

 

 硬い笑顔のまま、じっと自分に視線を向けてくれる彼を見つめ返した。いらぬ負担を強いてしまった彼に謝罪するために、それでも彼に対する気持ちを向けたいがために。

 

 それでも、彼に対する想いが変わらないゆえに――

 

 

「いや、そうじゃなくてさ。私、結婚するからさ。もうイロハと付き合うつもりはないんだよね」

 

 

 ぴくりと、頭の中が固まった。

 

 耳の中に入った言葉が、まるで異様な異物が入ってしまったようにして取れない。耳から入った情報はしっかりと頭の中が記憶しているのに、脳内で咀嚼している情報が上手くかみ砕くことが出来なかった。

 

 それが、ようやくになって理解に至ったとき、沈んでいた表情の目元が強く開かれた。

 

「――……ぁ、えぁ……?? ぁう、え、えぇ……?? な、へ……?」

「あ、そうなんですか? って言わないでよね? だってさ、言う必要ないでしょ。相手は昔からの知り合いで、キミは仕事の合間に付き合っているだけのセフレ。ねぇ、サボり相手のセフレになんでこんな話をする必要があるの?」

「は、え……し、知り合い……? けっこ、ん……?」

 

 いまだ呑み込めていない内容に、今度こそ口が回らなくなってきた。舌と喉がひりひりと乾いて、彼の言う言葉が何一つ理解できず、脳が情報の嚥下を拒み、嘔吐のごとく嗚咽の言葉が喉から出ていく。

 

 ふらふらと小さな体が、歩みを進めながら彼に触れようとする。ビスクドールのように華奢な片手が、彼のシャツに触れようとした瞬間――イロハの細い肢体が、くの字に曲がりながら後ろへと飛んだ。

 

「ンぅ゛っ!? ん、うぇ゛……!? なっ゛う゛ぇえ゛っ゛……!?」

 

 突然、吹き飛ぶような衝撃と共に背後に倒れこむ。強い衝撃を全身に受けて、ぴくぴくと全身を駆け巡る痛みにイロハの声が震えた。

 

 受け身を取ることなく打ち付けられた背中の痛み、クッションもなく倒れこむことでモロに受けた後頭部への衝撃。

 

 そして、しっかりと感じられた腹部への鋭い痛み。自分の中に響く痛みの正体が、触れようとした彼に腹を思いっきり蹴り飛ばされたことによるものだと気づいた瞬間、ぽろぽろとイロハの目元からこぼれた。

 

「は、はあ゛っ゛……!! な、ぇ、あ……!! な、んでぇ……!?」

「……いや、なんでって……さっ」

 

 痛みに震えた涙があふれて、倒れ伏したまま自分を見下ろす彼を見つめる。体が頑丈だからとはいえ、無防備な腹に、それもお腹に命を宿しているのであれば痛い物は痛い。痛みに悶えたイロハには、自分の腹にめがけて足を振り上げた彼を視界で捉えることしかできなかった。

 

 どずんっ゛っ゛……重くのしかかる足の先が、ずしりとプレスを仕掛けるようにケリ潰そうとしてくる。悪意と敵意のこもった痛みが、ずしりとイロハの腹部にのしかかった。

 

「ん゛ぅ゛ううぅっ゛!? ひっ゛、や、止めっ゛……! な、けらっ゛な、ぁあ゛っでぇ、っえ゛!」

 

 続けざまに振り上げられた足の先が、迷うことなく細い腹部に鋭い蹴りを見舞った。

 

 しなやかな肢体に青年の足が無遠慮に叩き込まれ、無機質な肉叩きの音が仮眠室に鳴る。ずしりと力をかけてくる青年の足には、それまでに自分の精を注いできた胎に対し、何ら気遣うことなく蹴りを叩き込んだ。

 

 苦悶の声を上げながら「んぎぅ゛! んぎぃいぅ゛!!」と奇声を発し、悶えるイロハ。ずっと自分を慈しむように抱いてくれた彼が、何の感情もなく腹の中の命を踏みつぶそうと、その殺意を隠すことなく自分に襲い掛かっている。その事実に、理解が全く追いつかない。

 

「……あのさ、言ったでしょイロハ。自分とサボりませんかって。あれさぁ、聞いた時に私さぁ」

 

 蹴りを叩き込みながら、淡々と彼は言葉を綴っている。何ら気持ちのこもっていないことをイロハに伝えるようにしてくるが、

 

「思ったんだよね。ふざけんじゃねぇよクソガキがよ……ってさ」

 

 痛みに震えながら腹をかばうようにして転がっている彼女に、ぶるりと心が揺るがされてしまった。

 

「ぁ゛……ぇあっ……? ぁ、へぇ……??」

「こっちは仕事でいろいろ忙しいってのにさ、体に鞭叩いてでも集中しなきゃいけないワケ。それをさ、ガキの身分でアドバイスのつもりでアレを言ってきたのさぁ、だーいぶ苛ついたワケ……私」

 

 叩き込んでくる鋭い蹴りは勢いを緩めない。痛みを伴う行為から身をかばおうとして、両手で隠そうとしても腕の上から踏みつぶそうと鈍いストンプ音が何度も踏み鳴らされていく。

 

 体の中から嫌な音が聞こえてくる。力をかけられた暴力行為は、キヴォトスの生徒由来の頑丈な体ゆえに微弱なダメージしか与えない物の、加えられている心の痛みだけは耐えられやしない。

 

 だって、ずっと聞こえてくる。冷たい言葉と共に、これまでに重ねてきた体と時間には、なんら意味がないモノだったのだとばかりに。

 

「それでさ、なんでこっちがキミの相手をしてあげたと思う? 変にへそを曲げられると面倒だし、いい顔してなきゃいろいろと角が立つでしょ? それでも相手をしてあげたのってさ、なんだかんだでお前の方でも少しは適切な距離感でやってくれるだろうなぁ……って期待してたんだよ」

 

 叩きつける蹴りの雨がやっと終わり、片足をグッと乗せながら体重をかけるように踏みしめようとしてくる。

 

 ぎりぎりと体の上から、成人男性の重みがみっしりと潰しにかかろうとしていた。

 

「それがさぁ……ある程度はキミのほうも何かあれば対処してくれると思っていたらさ……腹にガキを抱えて、チラチラこっちのことをうかがいながらさぁ。割り切るどころかいっちょ前に女の顔をして接してきやがって……世間の知らないガキがまぁ色気づきやがってさぁ」

 

 みしみしと軋むような音は、腹の中にあるモノなのか、自分の骨が踏まれているのかわからなくなってきていた。

 

 痛みに付随する衝撃が、体に伝わって心を震わせてくる。ただ、それが痛みによるものではなく、突き放してくる彼の本心が、実は何一つとして自分に寄り添っていなかったものだと。自分が心を思わせられていた物は、ただの幻なのだと、体に締め付けてくる痛みと共に踏みしめられていく。

 

 苦悶の声を上げようとも、もう彼には届かない。いや、『もう』ではないだろう。最初から届いてなんていなかったのだから。

 

「ぁ゛、ぅあ゛っ……た、しっ……わ、たしっ……っ゛」

「というか言ってたでしょ。サボりましょうよって。そんなサボり相手としか思ってない女にさ……入れ込むと思うわけ?」

 

 仕事として詰めた時間の中で、空いた時間を一緒に過ごす。同じように仕事に押し迫られて、隙間を縫うように滑り込ませながら多忙に流れていく時の中をゆるりと休めていた。

 

 あの日、あの時の時間は――ただただ、彼にとって、

 

「だからさ、今の擦り寄るような言葉――」

 

 なんら意味のないモノだった。

 

 呆れた声色と飽きたような意図を含んだ言葉には、何の感慨もなく寝ころんだままだったイロハの顔を加減なく蹴り抜き、彼女の顔が痛みで爆ぜた。

 

「だーいぶ、イラっと来てたんだよね」

「ッぷ゛ぅぅ゛ッ!! ん、゛うぅぅぅっ゛!!」

 

 ぱんっ、と。年ごろの少女の柔い肌に対する無防備な顔面へのサッカーボールキックは、顔の穴の数だけ噴き出る体液をまき散らしながら、ぴくりと上を向いたまま悶えた。

 

 鼻の奥がツンとして、砂利の混じる口の中がざらざらして苦みが広がる。鉄を含んだ味わいで舌が濡れていたのは、口から鼻のどちらかにぼたぼたと血が溢れているのを嫌でも噛みしめて理解させられた。

 

 視界が明滅する。うまく瞼が開かない。もしかしたら眼球に傷でもついてしまったのだろうか。苦悶の声を口の隙間からふぅふぅと溢れさせても、痛みが逃げることはない。もちろん、少女を見下ろしている男の気持ちが変わることも。

 

「お、鼻血ブーブー垂れてる。顔面モロにいったか。まぁ、目なんか潰れてはいないから……大丈夫でしょ」

 

 仕方のないガキを言い聞かせるようにして、呆れた視線をジッと落としながら血と涙で顔を濡らしながら横たわったままのイロハ。

 

 彼女の体はもう、一つも動かせやしなかった。体の痛みは、生来の頑丈さがあればどうにでもなった。だけど、踏みにじられた心までは癒すことは出来なかった。これまでに過ごしてきた時間も空間も、その気持ちすらも真剣な気持ちなんて何一つない、ただの自分の独り相撲であり、押し付けていただけであることに気づいてしまったら、もう何も気持ちを動かせない。

 

 横たわったままのイロハに足先でつつく様に蹴って反応を確かめる。拗ねたガキのように悲しみに暮れる姿を見せられて、募る苛立ちと共に、床に流れるようにして広がる赤い毛髪に唾を吐き捨てながら扉の方へと向かっていった。

 

「ま、そういうわけでさ。床の鼻血を拭いたらとっとと出かけるからね。こっちのほうで病院のほうに連絡は取ってあるからさ」

 

 

※

 

 それからのことは、イロハ自身あまり覚えていなかった。

 

 顔の汚れを拭い、先生の後についていって専門の病院へと足を運び、腹の中の命は何ら遮られることなく、まるで作業のようにあっさりとこの世から消えてなくなってしまった。

 

 顔と体の傷に関しては、「自分で治すことくらいできるよね?」と言われて、そのまま追い返されてしまった。

 

 さすがにこの顔のままでは道行く人たちに何を思われるかわからない。近くの公衆トイレで顔を洗い、服の汚れもサッと拭ってからゲヘナへと戻った。

 

 シャーレでの登板も終わり、ゲヘナに戻ってからも自分の意識がどこか曖昧なままだった。何も感じられなくなった空虚な心を抱えていたイロハ。彼の結婚式が来るまでずっと虚ろな瞳を浮かべ、自分が成すべき仕事や作業を終えることだけは、からっぽな頭のままでも何とかやりこなすことは出来た。

 

 その間の周囲の反応は、特に変わらなかった。

 

 イロハ自身が出来る限り表に出さないように努め、自分が負ったケガも転んだものだと誤魔化し、出来る限り先生を庇うようにしてきた。例え、それが未練がましい行為と自嘲気味に笑っても、踏みにじられた心は今でも彼に対して想いを寄せていた。

 

 そして、結婚式当日。

 

 この日、イロハは先生の結婚式に出席することはなかった。積もるように時間を埋めてくる仕事を並べるだけ並べて、大事な恩師の大事な日であろうとも、時間を空けることなんて出来ないのだと、周囲にも自分にも言い聞かせるかのように。

 

 それから数日後、結婚式に出席したイブキが、式で撮った写真を見せてくれた。

 

 自分は別にみるつもりはないと言っていたのだが、お仕事で忙しかったんだし、イロハ先輩に見せたくて……と。そんな彼女の言葉を拒むことが出来ず、苦い物を噛むようにしながら一枚の写真に目を通した。

 

「……これが、結婚式での写真……」

 

 目線が見上げるような感じになっていて、おそらくイブキが撮ってくれたものなのだろう。子供が大人を見上げるような目線で撮られた物の先には、幸せそうに並び立つ二人の大人が笑顔を向けてくれていた。

 

 式場で着飾られた大人の男の人。その隣にいるウェディングドレスの女性が、話に聞いていたずっと昔からの知り合いで、彼の結婚相手なのだろう。

 

 見た感じ、穏やかな気風をした優し気な顔をしている。嫌味や邪といったものを感じさせず、誠実さを絵にかいたような笑顔は、心からの幸せを掴んだ者にしか見せられない顔をしていた。

 

「――……らない……こんな、顔……しらな、ぃ……」

 

 ぽつぽつと呟く様に漏れ出た言葉を、隣で聞いているイブキが「?」といった様子で拾っていた。

 

 不審に思われるかもしれないし、何か思わせぶりなことを言ってイブキを困らせてしまうかもしれない。そんな気持ちが湧き上がっているのに、せき止めていた言葉が止まらない。

 

 彼女と隣り合っている先生の顔は、とても穏やかだ。いつも見ている彼の顔は、どこか困っている様子だったり、何か意を決したかのような表情を浮かべては、緊張した面持ちで生徒たちと向き合っていた。

 

 そんな彼が、今までにない穏やかな笑顔を、隣にいる白衣装の花嫁に隠すことなく、開く様にして向けていた。

 

「こんな、顔……今まで見せてもらったこと、無い……」

 

 思わず、口から出てしまった。心からの本心だった。

 

 仕事の時も、サボりの時も、体を重ねていたその時だって。こんな表情、自分には向けてくれなかった。呆れたようにして受け身になりながら自分を受け入れてくれた時も、どこか困ったような表情を浮かべては、なし崩しに受け入れてくれたのとは全く違う顔だった。

 

 見たこともないようなものを見せつけられて、だけど、それがどうして自分には向けられていなかったのかなんて、もうわかり切っていた。

 

 自分はサボり相手だった――なんて、とんだ自惚れだ。

 

(ぁあ、そっか。私って、ただのサボり相手ですらなかったんだ)

 

 もしも、サボりを受け入れているつもりだったのならば、イロハに対して拒絶していた先生が抱くわけがない。

 

 仕事をサボるために時間を空けていたというのならば、彼は休めていたはずだった。自分が見ていた時の熱く頬を赤らめていた時の顔も、必死に腰を振ってくれていた時のあの顔も。あれこそが、自分に心と体を許してくれていたのだと思っていたが……それが、ただの勘違いであったのならば?

 

 自分は、サボるどころか、今の今まで負担を強いてきただけでしかなかった。ただ、それだけだった。

 

 力のこもらない笑顔が、緩んだ口元から溢れてきた。くたびれたような頬が、深いため息と一緒に零れていくように流れて止まらない。

 

 

 

 

※

 

「でさぁ、どういうつもり?」

 

 シャーレのオフィス内にて。

 

 この日はイロハが当番の日であった。以前の出来事があろうとなかろうと、彼は何も変わることなく結婚生活とシャーレの先生としての仕事を続けるし、イロハは彼になんら傷を負わせることなく、先生と生徒として接していく。そんな日常が、戻りつつあった。

 

 そんな中で、イロハは持ち掛けたのだ。再び、体を重ねる時間を過ごそうと。共に、サボろうと。

 

「こっちはさ、新婚旅行終わりにさぁ仕事復帰だって所でさ。それでそっちのほうから抱いてくれって何なのホント」

 

 以前のこともあってか、怒りよりも先に心底見下げ果てたとばかりに落胆の色を示す表情だった。

 

 仕事をそつなくこなして、合間合間に気を緩ませるようにして休憩するのが、イロハの器用なところだと思っていたのだろう。それが、女の部分から目を逸らすことが出来ず、いつもの淡々とした様子で話しかけながら内心は寄りすがろうとしているのが見え見えで、そんな彼女の姿がどこまでも惨めで見るに堪えなかった。

 

 さっさと話を切り上げて、彼女をシャーレから追い出してからほかの子を当番にしよう。そう思ってシッテムの箱を手にする直前、

 

「私、去勢手術受けてきたんです」

 

 ぴたりと、先生の指が止まった。

 

「先生、まずはご結婚おめでとうございます。新婚旅行から帰って来て早々ですが、もしも暇な時間やお疲れの際には私を呼び出してください。私、もう妊娠できませんから」

「……奥さんのこと、聞きました。妊娠、するんですよね。絶対に。だったら、もしもそうなったらしばらくは抱けなくなりますよね」

「サボりたいときに、いつでも私を使ってください。先生としても、夫としても、父親としてもサボりたいときは、私が奥さんの代わりにタダで使える性器を差し出しますから」

 

「いっしょに――サボってください」

 

※

 

――ばっぢゅっ゛♡ ばっぢゅぅ゛♡ ばっぢゅっ゛♡ ばっぢゅっ゛♡♡

 

「はぁ~~~~っ……いや、実のところを言うとさ。結構惜しいなぁって思ってたんだよね。イロハのナカって、結構いい具合だからさ」

 

 静かなオフィスの中で、淫らに緩んだ肉の擦り合う音がにゅぢにゅぢ゛♡と響いた。椅子の上に腰を掛けて足を広げたままの男の股間の上で、赤髪の少女が熱い汗を流しながら盛大に腰を振っている。

 

 男の方は椅子に腰をかけながら、背もたれに体を預けたままリラックスしていた。自分から動くことはなく、そそり立った陰茎をそのままにさせて、ソレにめがけて上下に腰を振る生徒の肉穴のよがりに任せ、少女の膣穴で浸らせていた。

 

 少女は自分のことを抱いてくれる男に対し、背中を向けたまま腰を上下に振っている。顔を見ながらヤるのは気分が乗らないという先生からの要望だった。これを吞まなければ、抱く気はないと言われてしまったので、イロハは承諾した。

 

 必死に腰を振っているイロハの方は、どこか苦しそうだった。彼女自身、キヴォトスの生徒特有の頑丈さはちゃんとあるのだが、それでも同年代の少女たちと比べて体力筋力共にそれほどのものではない。そして、何よりも、

 

「ぞ、ぞう、ですかっ……!! それなら、よかった、っ……ですっ……!!」

「うんうん。あ、でさぁ」

 

 必死に腰を振っている少女の背中に何の気持ちも籠ってない瞳で見つめる教師。

 

 退屈そうにしながら足を開き、馬鹿みたいに体を上下に揺らす彼女の背中を見つめながら、手に持った煙草に口を付けながら香りを楽しんでいる。

 

 一時のリラックスタイム。空いた時間に過ごすサボり。気持ちを緩めるための行為ゆえに、これは性行為ではなくイロハというオナホを利用した性処理。だから、煙草の匂いや相手に嫌悪感を与えるかもという気持ちは微塵もない。

 

 先生に会ったのは、自分の肉棒を舐めるように膣を擦り付けてくれる殊勝な女が、ちゃんとチンポを擦ってくれるかどうかが心配だった。

 

 だから、必死に腰を振っている中で、抽送の疲れが見えだした途端、手に持った煙草の先端を、

 

「んぎっ゛、んぃいい゛っ゛!!」

 

 汗の滲んだ肌に、白く上下する背中にじっくりと押し当てる。じゅっ、と肉を焼く音がイロハの体に響き、ぶるりと少女の細い肢体を震わせた。

 

「腰の動き緩んでるよー。ほら、こっちは腰も動かしたくないんだからさ。ちゃんとすっきりさせられるようにしてよ」

「ず、ずいまぜっ゛……!! う、ごき、ますっ……!!」

 

 焼き付ける苦悶の痛みを歯噛みしながら、性玩具としての使命を全うできていないことを叱り飛ばす。雌穴を捧げるだけの馬鹿な女なぞ、この程度の扱いで充分であった。

 

 押し当てられた煙草の痛みを抱えながら、玉のような汗が肌に滲ませて、ぷるぷると目の端から涙をこぼす。痛みを受けた涙であることは間違いないが、それ以上にイロハの気持ちを満たしていたのは、自分に向けられている先生の感情。

 

(むいているっ、今だけはっ……!! いまっだけはっ……!! 奥さんじゃ、なくてっ……私にっ……!!)

 

 愛情の一かけらもない性欲処理として、ただただイロハという人間性も人生も踏みつぶすような使用用途。

 

 彼女の腹の中は、もう命を育むための機能を失ってしまっている。これで得た物は否認などせずとも、遠慮なく精を流し込めることくらいしかなく、これから先一生、女の体として得られるはずだった幸せの代わりに得た物としては、あまりにも惨めでちっぽけなものだった。

 

 しかし、そんな刹那的な逢瀬であろうとも、先生として、夫として、父親として、真面目に生きていくであろう彼が、今この時だけイロハという少女を見てくれるのはこの瞬間だけにしかない。

 

 歯を食いしばりながら幾度も腰を振り続け、膣穴でぎゅっぽりと慣れ親しんだものを、もうこれからは自分以外の女性を孕ませるための肉棒に奉仕するために、暇つぶしのサボり用性玩具は自分の役目を果たそうと必死になっていった。

 

「はぁ~……壮観だなぁ、その背中。火傷だらけできったねぇし、見るにたえないね」

「っ゛……そ、ぅですねっ゛……! ほんと、にっ゛……そのっ、とおりですっ゛……!!」

 

 イロハの背中は、あまりにも無惨だった。白くきれいな柔肌は、すでにいくつもの点のような火傷痕がいくつも残っていてただれている。火傷痕であるならば、水で冷やして消毒しなければいけない所、男の性欲処理を優先している以上は、イロハにやめる権利はない。もっとも、あったところで彼女もやめるつもりはないだろうが。

 

 自分の意思を、その尊厳を尊重しないような男。これだけの傷を残されても、彼に対する憎悪はまったくない。

 

 あるのは、今この場で時間を共有してくれる嬉しさの方が上回っている。背中の傷跡を残され、子供を産めない体になったことを嘲笑され、それでもなお空いた時間で陰茎を慰めるための性玩具になれたことの勝っているから。

 

 膣の肉穴が物欲しげにうねって、真下にある肉物に必死になって舐っていく。彼の物を咥えこむたびに、中の粒ひだがうねって歓びを上げる。子供を産めないから、どれだけたくさん精を流していいよと肉穴をきゅっ♡と引き締めた。

 

――ぶびゅるるるるるっ゛♡♡ びゅっ゛♡ びゅ~~~~~~っ゛……♡♡

 

「くっ゛、ふぅ゛っ……!! んっ゛ んぅ~~~~~~っ゛……!!」

 

 絶頂。びくりと震えた肉棒から、轟くように熱い精が流れていく。

 

 繋がれたポンプのように、どぽどぽと溢れんばかりの精が結合された先の奥へ奥へと掻き進んでいった。彼女の腹の中にしっかりと根を張るように着床されようと、精の本能が最奥へと押し寄せていった。

 

 しかし、その種が結ぶことは決してない。一人の男のために、腹の中に命を宿すことを拒んだのは、ほかでもないイロハなのだから。

 

「……はぁ~~~……あー、スッキリした。ありがとね、イロハ。こうやってパパっと処理できるなら、また相手してあげてもいいかな」

 

 放精した余韻もなしに、悦楽に浸った頭を抱えたままの彼女をその場で放り捨てる。くたびれた人形のように倒れこんだままのイロハの体が、オフィスの床にその場で横たわっていた。

 

 肩で息をしながら、ジッと先生の方に視線を移す。床の上で焼けた円状の傷跡を浮かべた背中に汗が滴る物の、痛々しい彼女の姿の姿は、すでに先生の視界に入ることはなかった。

 

 体を交じり合わせたピロートークなんてものがあるはずがない。溜め込んだものを排出するための道具を利用しているだけに過ぎないし、使い終われば後は勝手に自分で体を洗って帰っていくのだから。気にかける必要性なんて、なかった。

 

 リラックスも終わり、サボる時間は終わりを迎えた。あとは、仕事に向き合うためだけの時間だ。イロハにかかわっている暇はない。

 

 いそいそと、彼に向き合うことなく脱ぎ散らかしていた衣服に手を伸ばす。オフィスを出ようとした瞬間、「あ、ちょっとまって」と声をかけられて、振り向いた。

 

「連絡したらさ、ちゃんと来てね。きっと彼女もさ、今年中に妊娠すると思うし……身重になったら抱けないでしょ?」

 

 家庭がある男の言葉であり、だからこそ定期的に精を放出するための処理を手伝えという言葉。

 

 その言葉には、もちろんイロハに対する恋情も想いもない。あるのは、彼女の言っていたサボりという言葉通りに、単なる息抜きに使わせろという気持ちしかない。

 

 きっと彼は、生徒としては見てくれるのだろう。だけど、もうそこに『女』としても、ましてや『恋人』として映ることは一生あり得ない。それでも、たったひと時の『サボり相手』ならば、彼は見てくれた。

 

「……先生。また呼んでくださいね」

 

 呟くような一言を残して、イロハはシャーレを後にした。

 

 

 


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