※この作品はR-18です。

真剣で肉欲に溺れなさい!S  燕ルート【完結】   作:寝坊助

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夜、祭りは二人っきりで 前篇

 

 

 

 

 夏の醍醐味といえば、何を思い浮かべるだろう。

 それは人によってそれは十人十色だ。

 海で泳ぐのもよし。

 山に登るのもよし。

 冒険してイメチェンするのもよし。

 新たな挑戦に挑むのもよし。

 恋人との甘いひと時を過ごすのもよし。

 季節なんて関係ない、いつも通り過ごすのもよし。

 中でもこう言ったイベントごとには、恋人と一緒に過ごしたいと思うのは、きっと男も女も同じだろう。

 

「ホント、ここってイベントごとには事欠かさないよね〜」

 

 まぁ西も似たようものだけど、と。納豆をかけたたこ焼きを頬張る。外側はパリッと、内はトロトロ。中に入ったタコに、ソースと鰹節の風味。なにより納豆のネバネバがアクセントになり非常に美味。

 やはり、納豆は何にでも合う。そう確信を持って松永燕は頷くのだった。

 

「次はイカ焼きにしよっかな〜。綿飴もいいな〜、それかクレープもいっちゃおうか〜」

 

 練り歩いているのは、屋台が立ち並ぶ大通り。

 今日は年に一度の政、夏祭りだ。

 立ち並ぶ屋台はよりどりみどり。

 定番の焼きそばや焼きとうもろこし、お好み焼きなどはもちろんのこと、金魚すくいやヨーヨー釣りなどの縁日らしい出店も立ち並んでいる。

 浴衣を着た男女が仲良く肩を組みながら、または手を繋ぎながら歩く姿が目立つ。

 また、射的屋では子供たちが銃型の水鉄砲で景品を落とそうと奮闘している。

 そんな様子を燕は微笑ましく思いながらも、表情には微細な影が落ちていた。

 腹は満たされているのに、心は満たされない。それはきっと、この夏祭りに一人で来ているからだろう。

 隣にいる筈の彼がいない。

 

「仕方ないって、行事で駆り出されてるなら」

 

 そう口に出して、自分自身に言い聞かせる。

 この場にいない恋人は今、川神祭の運営スタッフとして駆り出されていた。

 この祭は毎年、川神院が取り仕切っている。

 ただでさえ面倒ごとの多い川神のイベント。

 祭りにおける運営だけでなく、起きたトラブルの対処も必要となる。門下生の一人である水城ユウも、自動的に運営側に参加するのは必然であろう。

 その事は燕も知っていたからこそ、今日の夏祭りを一緒に回ろうと約束はしていなかった。

 それにユウとは学校でいつでも会える。今日という日を無理して一緒に過ごす必要はないと。

 だが……。やっぱり、寂しいな〜。両手を合わせて、何度も頭を下げる彼氏の姿が頭をよぎる。

 駄々をこねるわけにはいかない。しかし、頭ではわかっていても心は納得しないのが乙女心である。

 

(……もうっ)

 

 燕は心の中で愚痴る。

 せっかくのお祭りなのだ。しかも恋人と過ごす初めてのお祭りだっていうのに、なんで自分は一人寂しくたこ焼きを食べているのか。

 本当は不満でいっぱいだが、こればかりは仕方ない。無理矢理にでも飲み込んで、祭りを楽しもう。

 と、そんな時だ。

 

「おいあれ、あそこにいるのあの娘じゃね?ほら、納豆小町の」

 

「ホントだ!大会に出てた娘じゃん!」

 

「うっわ、リアルで見たらマジで美人!ねぇ君一人?よかったら俺らと一緒に祭り回らね?」

 

 お祭りというのも、ただ楽しいばかりではない。空気に当てられて、こういったハメを外した連中も出てくるものだ。

 髪を染め、ピアスなどのアクセサリーを貼り付けた、見るからにガラの悪そうな男の集団。

 チャラ男達は軽薄そうな笑みを浮かべて燕を取り囲み、値踏みするように彼女の身体を舐め回すように見る。

 バレない程度に、小さなため息を吐く燕。

 名を売っていたのはこんな事のためでは決してないのだが、やはり有名になればこういった輩が近づいきてしまうもの。

 実際に、これまでもこういう事はよくあった。

 ただのファンとはかけ離れた存在だが、穏便に済ませようと、燕はその顔に営業スマイルを貼り付けた。

 

「すみません、私彼氏いるんで」

 

「え〜?どこよそいつ?君みたいな可愛い女の子一人にして、最低じゃない?どーせどっかで浮気とかてるんでしょ?」

 

 ……頭の中で小さなヒビが入る音が聞こえた。

 

「……彼は今、用事なんです」

 

「そっかぁ、じゃあ今はフリーってこと?ちょうどいいから彼氏来るまで俺達と遊ぼうよ、決定!」

 

 何が丁度いいのか。何が決定なのか。

 強引に話を進めてケラケラと笑い出す男達に、いい加減実力行使も視野に入れた……その時だった。

 

「悪い燕、遅くなった」

 

 が、その思考は文字通り一刀両断される。

 割り込むように放たれた声。人混みの中であってもスーッと耳に通るその言葉は、燕の胸のモヤを一瞬で晴らした。

 背後から現れた手が、燕の肩を抱き寄せる。驚いて振り返ると、そこには心から待ち望んでいた人物の姿があった。

 

「ユウくん⁉︎仕事はどうしたの?」

 

「爆速でノルマ終わらせてきた!」

 

 そう言って笑う青年の顔はぎこちなく、疲労の色が見え隠れしていた。

 無理して仕事を片付けたのが分かる。

 それでも彼女は嬉しかった。彼が、自分と一緒に過ごす時間を作るために無理してくれた事が、何より嬉しかったのだ。

 思わず緩んでしまう表情をキリッと引き締め、燕は青年の手をギュッと握った。

 

「もう夜で殆ど時間ねぇけど、デート行くぞデート」

 

「うん!」

 

「ちょっとちょっと!割り込んどいてなに勝手な事してるわけ?女を掻っ攫うとか、じょーしきないんですか〜?」

 

 残った時間を楽しもう。そう祭りの中へ駆け出そうとした二人の行手をチャラ男の集団が塞いだ。

 見ての通り彼氏が来たというのに、往生際の悪くユウを邪魔者と捉えて絡んでくる。

 大人数で威嚇してくるも、ユウは全く動じない。彼らを見るその目の奥には、まっさらな無感情が映っていた。

 そりゃそうだ。水城ユウは、こんなチンピラとは比べ物にならない程の修羅場を潜ってきたのだから。

 今更こんな小物でビビるわけがない。

 そんな無反応な態度が気に食わないらしい。男達は不快に顔を歪めていく。

 上玉を独り占めする野郎の顔を、品定めするようにジロジロと……。すると、何かに気づいたかのようにその目は大きく開いた。

 

「あれ?お前、アレじゃん」

 

 そう、松永燕と同じように水城ユウも有名人だ。世界にその顔と名前を轟かせ、川神なら尚更知らない人間はいない。

 その内容が内容なために、気づいた瞬間に青ざめて立ち退くだろう……。少なくとも、この時点までの燕はそう思っていた。

 しかし予想に反して、男はニヤリと笑った。

 驚くのでもなく、慄くのでもない。

 鼻で笑い、嘲笑を孕んだ嫌な笑みだ。リーダー格の男が、水城ユウに人差し指を突きつけた。

 

「お前、負け犬剣士じゃん!」

 

 嫌なぐらい大声で……。いや、多分わざとだ。

 大口を開けて、この場にいる人間全てに聞こえるぐらいの声量で笑い出す。

 取り巻きの男達も同様に、この侮蔑が出来るだけ大勢の人間に浸透するように。

 効果は的面、周囲の人々がざわめき出す。

 何事かと注目し、こだまする声に耳を傾ける。そうなってくると当然の反応は……。多くの視線が一人の青年に向けられる。

 それを分かった上で、男は続ける。

 

「君さぁ、男の見る目ないよ〜。こんな“セコイ奴”が彼氏とかやめた方がいいって!」

 

「……セコイ奴って、どういう事ですか?」

 

 聞き返す。

 だが、言葉の意味を燕は既に理解していた。

 ああ、わかった。こいつは“あのタイプ”だ。

 武神の敗北。世界に轟いたビッグニュースに、反応を示す者は沢山いた。その全てが賞賛と言うわけではない。

 学園の川神百代ファンクラブのように、崇拝のあまり彼女の敗北は認めないと言う輩もいる。

 中にはこういう、

 

「だってあれ———“ヤラセ”でしょ?」

 

 悪質な部類も。

 安い挑発で揚げ足を取り、バカにして笑いものにする。そんな奴らが確かにいるのだ。

 他の男達も、ニタニタと悪感情を包み隠さぬ笑みを浮かべながらそれに同調する。

 対するユウは何も喋らない。怒りを表すことなく、ただ真顔で彼らの耳障りな声を聞いて佇んでいるだけ。それをいい事に、彼らの勢いは増すばかり。

 

「みんな大はしゃぎしてるけど、俺の目は誤魔化せないよ?あんなパチモンな芝居打ってさ、やっすい御涙頂戴展開とかベタすぎで萎えるわ」

 

「わかるわかる。俺のダチにさぁ、番組関係で働いてる奴いンだよね。そいつに聞いたら、視聴率とか話題性っつーの?アホ共の興味釣る為のプロパガンダって言ってたぜ?」

 

「茶番だよね〜。いつもの武神が勝って、はい終わり!じゃなくてドラマが欲しいってのは分かるよ?でも展開がベタ過ぎだって」

 

「プロフェッショナルの俺達はすぐ分かったよ。脚本書くならもっとマシな展開考えろって。それでワーワー言ってる連中も、痛々しいったらありゃしねぇ」

 

「で?九鬼から幾ら金積まれたんだ?教えろよ」

 

 ……拳を握る。気を込めて、棒立ちでも即座に放てるぐらいの威力が出せる体勢で。

 こういう者達が一番悪質だと、燕は知っている。人の努力も想いも、足跡も。何もかもを己の主観的に評価して、踏み躙っていく。

 実際、声が大きいことはバカにならない。

 綺麗だろうが、汚かろうが、強い色というのはそれだけ人の目を惹きつけるのだから。

 ほら、今もこうして。

 

「え、そうなの?ヤラセって」

 

「分かんないけど……。よく噂になってるよね」

 

「SNSでめっちゃ考察出てたよ。ずっと負け続けてた奴が、あの大舞台で勝つのは不自然だって」

 

「まぁ、確かに都合良すぎない?漫画やアニメじゃないんだからさぁ」

 

 色を出す側も、簡単に色に染まる側も、時と場合によっては本当にタチが悪い。

 ざわめく人々、周囲から疑心に晒される彼、それを見て勝ち誇った顔で胸を張る男達。

 燕は知っている。彼の事を何も知らずに、さも知ったように語る無知による悪意。

 この場にいる全員は、何も知らないのだ。彼がこれまでどのような気持ちで歩いて来たか。その軌跡の途中で、どれだけの試練を乗り越えて来たか。

 心がギシギシと音を立てる。

 せっかくお祭りデートを台無しにされたことなんてどうでもいい。それ以上に大切なものを踏み躙られて、気分は最悪なんてもんじゃない。

 せっかく、恋人が急いで用事を済ませて来てくれたのに……。

 人の目なんて関係ない。この分からず屋に制裁を加えるべく、前に出ようとした、その時だった。

 

「行こうぜ、燕」

 

 憎たらしい顔面目掛けて、突き出そうとしたその手は掴まれる。

 ユウが燕を引き留めた。

 振り返ると、彼は相変わらずの無反応。心底下らないと、真顔から一切の表情筋が動いていない。

 あまりの無反応ぶりに、少し怖い。

 長年の努力の果てに手にした夢を侮辱されて、多くの人が結果に納得してくれず、挙げ句の果てにはヤラセだと言われた。

 それなのに、水城ユウの心にはまるで響く事なく、掴んだ手を引っ張って燕を連れて祭りから去っていくのだった。

 背後からそんな彼を嘲笑う声が聞こえてくる。

 聞こえないフリをして、燕はぎゅっと下唇を噛んだ。

 ……悔しい、悔しくて悔しくて。でも一番不可解なのは、何も言わない彼の方だ。

 

「悪いな、俺のせいで。最悪な祭りになっちまった」

 

「いいよ別に、ユウくんのせいじゃないし……。ねぇ、あんなこと言われても気にならないの?」

 

「ああ、どうでもいい。別に他人に評価されたくて、百代に挑んでるわけじゃねぇし」

 

 そう、君はそう言う人。

 他人からの評価なんて気にしない。

 侮辱の目もどうでもいい。 

 嘲笑だって、耳に入らない。

 

「俺が戦ってきたのは、百代に負けて悔しいから……。ただの自己満足ってやつだ。言いたい奴らには言わせときゃいい。知り合いでもなんでもねぇんだから」

 

「君はよくても、私は嫌だよ」

 

 君が侮辱されるのが、悔しくて堪らない。

 君の事を何も知らない人に、何も知らないまま貶められているようで……。そんな理不尽に、私は耐えられそうにない。

 

「そりゃあ、何年も見てきたって訳じゃないけど……。私だって、武人の端くれだよ?人が努力して、勝ち取った勝利をあんな言われ方されるのは……嫌だよ」

 

 しかもそれが、恋人となると。

 手を引っ張るユウの足が止まる。

 祭りの会場から抜けて、二人が今いる場所は夜の街灯が照らす閑散とした公園。

 人の影がなくなったことを確認すると、ユウは振り返り、燕と向き合う。じっと恋人を見つめるその眼差しには、呆れの色が見えた。

 

「知ってるよな?百代が精神修行にも精を出し始めたって話。あいつはもっと強くなる気でいる、ライバルとして俺も負けられない。そこに他人の評価なんて必要あるか?」

 

「……ないよ」

 

「だろ?たったの一勝、俺はそれっぽっちじゃ満足できねぇ。実力も、下手したら直ぐに追い抜かれちまう。だから、あんな奴らに構っていられる暇ないんだよ。無視無視」

 

 ぽん、と頭を撫でられる。

 それに、と続けて諭す声色は、それはとても優しい響きだったと思う。

 

「燕がそう思ってくれるだけで十分だ」

 

 ……ズルい、私の彼氏は本当にズル過ぎる。

 そんなこと言われたら、もう何も言えない。

 それでも、このモヤモヤは晴れない。脳裏張り付いたあの男達の笑い声が消えてくれない。

 ベッタリと胸に張り付いてしまった悪感情の色、これを消すにはもっと強い色で塗り潰してもらうしかない。

 

「ユウくん、ぎゅーってして」

 

「ああ、なんなら今日はずっとこうしているか?」

 

「……バカ」

 

 呟き、大好きな人の胸に抱きつく。

 ギューっと力を込めるも、相手はよろめきもしない。壊れ物を触るように丁寧に、繊細に、彼女の細い肩を優しく抱いてくれた。

 薄い布を挟んで触れ合う肌と肌が温かい。

 互いの体温に身を委ねて目を閉じると、より鮮明に彼の存在を認識できるようになった。抱き締め返す腕は優しく、松永燕の全てを包み込んでくれる。

 ああ、もうあんな奴らどうでもいい。

 こうして大好きな人と触れ合える時間を過ごすのに、無意味なことに思い悩むのは実に無駄なことだ。

 

「ユウくん、キスして」

 

「ったく、わがままだな燕は」

 

 困ったように、だけど満更でもない緩んだ頬。

 二人の口がゆっくりと近づき、そのまま距離がゼロになる。

 唇が触れ合うだけのキス。それを数回繰り返した後、見つめ合い、そして再び、どちらからともなく唇を深く重ねた。

 甘く痺れるような快感が身体を駆け巡り、溶け合うような幸福感に満たされる。今度は長く深いキスだ。舌と舌を絡め合い、唾液を交換して互いの味を堪能する。

 もっと味わいたくて、貪るように相手を求め続けた先に、胸に灯る熱を確かに実感した。

 更に求め、欲する衝動が止むことはない。燕の手がユウの背中に回され、強く抱き締める。ユウもまた彼女の身体を抱きしめ、そして離さないように強く力を込める。

 燕の柔らかい胸がユウの胸板に押し潰され、その形を変える。強く求め合う二人の接吻の激しさは増していくばかりだ。

 

「んっ……はぁ……んちゅ……」

 

「はむ……ん……」

 

 息継ぎのために一度口を離し、またすぐに重ねてを繰り返し、たっぷりと時間をかけて好きな味を吟味する。

 なんて甘美な時間だろう。このまま時が止まってしまえば良いのにと、本気で思ったくらいに。

 しかし時間は止まらないし、世界も変わらない。

 やがて名残惜しくも唇を離すと、粘ついた唾液が糸を引く。荒い呼吸を繰り返しながら、潤んだ瞳で燕は優しく微笑んだ。

 

「お祭り、終わっちゃったかな?」

 

「多分な……。燕の家、言っていいか?」

 

「うん。あ……でも、昨日の残り物しかない」

 

「お前の手料理なら屋台よりずっといい」

 

「もう、褒めても納豆しか出ないよ?」

 

「納豆と?他には……?」

 

「……ユウくんのエッチ」

 

 なんて、他愛のない会話をしながら帰路を歩く。

 こうして好きな人と触れ合っている時間こそが、松永燕が求める最高の色なのだ。

 その色は何よりも明るくて、鮮やかで……。いつまでも浸っていたくなるものなんだ。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

ーーーーーー

 

 

ーーー

 

 

「チッ、ここでヤらねぇのかよ。つまんねーな」

 

 悪意の目がつまらなさそうに歪む。

 スマホに取り付けられた写真機が、物陰の暗闇から二人の愛し合う姿を捉えた。

 掲げている男は、心底くだらなさそう唾とともに吐き捨てる。

 

「なぁ、流石にこれやばくね?」

 

「バカ言えよ。あんな上玉諦め切れるか。これであいつらの情事撮って、脅してやるんだよ」

 

 流石に、これは……。という抗議も、リーダーと取り巻きの声によって塗り潰される。

 男の持つスマホの画面には、先程の燕とユウが熱い口付けを交わした写真が映されていた。

 相手に夢中でなんて無防備なのだろうか。武人と言っても、所詮は盛りのついた男女でしかない。

 だが、これだけでは脅す材料になり得ない。

 もっと恥ずかしい、誰にも見られたくない姿を写真に収めることで、それを脅しにあの美少女を従わせる。

 これから行う淫靡な未来を頭に思い浮かべ、男は舌なめずりをした。

 

「武士娘つっても、所詮は女だろ。一度気持ちいい想いを体験させてやれば、すぐに向こうから腰を振るさ」

 

「あんな奴の雑魚チンで満足できるわけねぇからなぁ。俺らが最高の快楽を味わわせてやろうぜぇ」

 

「どーせなら、あいつ縛って見せつけるかぁ⁉︎」

 

「セコイ手で武神に勝ったことになってるやつだしなぁ。実力もちんこも大したことねぇよ」

 

「そうかい。大したもんだな、お前ら」

 

 ヒソヒソと、悪意の限りを吐き散らして語っていた男達。その中に、突如としてメンバーとは異なる声が割って入った。

 まるで刃のように鋭利で、氷の如く冷めきった低い声。そのたった一言は、世界を一変させた。

 笑いが止まる。

 夏場だと言うのに、肌寒さに鳥肌が立つ。それはまるで、心臓を鷲掴みにされるような氷冷の殺意。

 彼らは武道家ではない。背後から感じるナニモノかの存在は、男達のそんな矮小な本能であろうとも感じ取り、警鐘を鳴らす程に強大だった。

 危機感に踊らされ、一斉に振り返る。

 網膜がその姿を捉え、脳が認識し、思考が理解した瞬間、この場にいる全員が声を失った。

 この男が誰かなど、名乗られなくとも分かる。

 なぜここに?そんな疑問すら浮かんでくることなく、重厚な恐怖が心を支配する。

 さっきまで話のネタにして嘲笑っていた男———水城ユウが目の前にいた。

 

「夜にはしゃぐのも大概にしろよ。祭りだからってハメを外しすぎだ。近所迷惑だろ」

 

 近くに燕の姿はない。恐らく、この場にいるのは彼一人だけなのだろう。

 二人の逢瀬を写真に収めて、脅しのネタにしてやろうと企んだ訳だが……。全てお見通しだったらしい。

 こうして出向いたユウは、今の男達にとっては、自分達の罪を裁く執行人の言葉に聞こえていた。

 心拍数が上がる。呼吸が乱れる。全身の体温が急速に下がっていくような気さえする。冷たい汗が全身から吹き出て、喉奥で言葉がつっかえる。

 祭りであれだけ嘲笑されても言い換えそうともしなかった情けない負け犬剣士とは、まるで別人。

 顔も声も変わらないというのに、纏っている空気だけで同一人物なのか疑わしい。

 コイツはヤバい。暴力で捩じ伏せるなんて生温い話ではない。これは……どうしようもない、理解が及ばない存在の恐怖だ。

 どうにかしなくてはならない。その一心でリーダー格の男は咄嗟に一歩前に出た。

 

「は、ハメを外すって……何のことかさっぱりだなぁ。俺達は別に、ここら辺でたむろしてただけだぜ?なぁ?」

 

 同意を求める。話を合わせろ、という視線に取り巻きの男達は、その意を汲み取りすぐに頷くが……。ユウの眼光に射抜かれて、再び口を閉ざす事となる。

 しかしリーダーだけは違った。

 この恐怖に抗おうと、必死に言葉を並べていく。

 

「まあまあ、そんな怖い顔すんなよ!今日は祭りだぜ?ちょっとぐらいはしゃいだっていいだろ?あ!もしかして、さっきのこと根に持ってる?バッカだなぁ。あんなのジョーダンだって、ジョーダン。ちょっと盛り上げようとしただけさぁ〜。それを周りの奴らは本気にして……お前もお前だって、な?小さいこと気にしてたら、可愛い彼女にいつか愛想尽かされちまうぜ?心を広く、余裕を持ってさぁ〜」

 

「…………………………………………」

 

 必死に、必死に、言葉を並べていく。

 しかしユウは眉一つ動かさない。何も喋らない。

 それが逆に不気味で……。まるで機械のように、ただそこに佇んでいるだけなのに、まるで体温が上がる兆しが見えない。恐怖を誤魔化すように、ヘラヘラと笑い続けるが、それも限界だったようで……。

 

「……なんか言えよ。何か用があって来たんだろ?彼女ほっぽってさぁ……あんなに可愛い彼女をさぁ」

 

 隣に周り込み、馴れ馴れしく肩に手を乗せた。

 ……その時だった。

 

「だからさぁ…………その顔やめろっつっでだろ‼︎」

 

 肩に手を乗せたことで狙いを固定、そこへ忌々しい顔面目掛けてアッパーカットを振り上げた。

 その拳は頬へと吸い込まれるように向かい……的確に顎を捉えた。

 静寂が支配する空間に響く鈍い音。……それは間違いなくユウの顔付近から発せられたものだ。

 確信した勝利の二文字に陶酔しする。肉が潰れ、骨が砕けた、間違いなく人体破壊の証明が小気味良く鼓膜を撫でる。

 決まった———直撃の快感に身を委ねる。

 どれだけ強かろうと、所詮は人間の域を出ない。顎を打ちながら、脳を揺さぶられれば、如何な強者であろうとも無事で済む筈もない。

 長年のストリートファイトで培った経験からくる必勝パターン。喰らえば、例え武神であろうともタダでは済まない自負している。

 ザマァ見ろ負け犬剣士が!これでお前は本当の意味で負け犬だ!なす術なく、無様に地面に這いつくばる……筈だった。

 薄らと瞼を閉じ、染み渡る脳内麻薬は酒やタバコよりも甘美……それを塗り潰す激痛に見舞われた。

 

「あ?……ぁ……………ぁぁ…………?」

 

 痛み、そして熱。顎を打ち抜いた拳から感じる確かな手応え。……なのに、今感じ取れるのは痛みと熱だけ?訳が分からず、男は瞼をゆっくりと開いた。

 

 ———夢が砕ける。勝利の美酒に酔って分泌されていたアドレナリンが、スーッと消えて行く。 

 理想と異なる違和感。ある筈のない感触に疑問を抱き、刮目した先には———砕けた自分の拳があった。

 

「ぁ……え?……て?…………手、なんで、俺の手……」

 

 ———夢が砕ける。殴った側……何事もない様子で立っている水城ユウの顔面が、変わらない無表情で見つめている。

 あれだけの威力を込めた拳が直撃したというのに、まるで堪えていない様子に唖然となる。

 理想とあまりにも乖離した現実は、彼の脳機能を停止させた。瞬き一つせず、開いた眼球はジッと自分の手“だった”ものを凝視する。

 原型すら無くなった肉の塊は筋肉繊維が剥き出しとなり、内部から僅かに白いナニカがはみ出ていた。

 ポタ、ポタ……。滴り落ちる赤い液体は熱く、それが体外へと流れ出て行くに連れて、指の感覚がなくなって行くのが今になってわかった。

 冷たい……ただ冷たい。夜とはいえまだ真夏。だというのに、手首から肘、肩へと体温が奪われて行く。

 そこで漸く、彼は現実に帰ってきた。夢は砕け、今の自分の状態を脳が理解した瞬間、人体は痛みというものを認識した。

 余裕の表情が途端に青ざめる。死人のように血の気が引いた顔面は別人のように歪み、喉を震わせた。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛——————ん゛ッッッ!?」

 

「うるせぇよ、近所迷惑考えろっつったろ」

 

 激通、絶叫。

 喉が潰れる程の悲鳴は、顎を掴まれることによって強引に止められた。

 声にならない声を上げながら、必死になってユウの腕を外そうと暴れるも、ビクともしない。まるで万力で固定でもされているかのようで……。ミシミシと頭蓋骨が音を立て、鼓膜を揺らした。

 下顎が悲鳴を上げる。パキパキとナニカが折れ、握力に圧迫された小さな破片が歯茎の肉へと食い込んでいく。

 人体破壊の証明をその身で味わう。失神するのに十分な痛みの中で、彼の意識はそれよりも、目の前の負け犬剣士に向けられていた。

 今まさに、自分の顎を掴んで無理矢理黙らせた男。向けられる目の色は、無だった。

 文字通り生殺与奪の権を握っているにも関わらず、そこには一切の感情も持ち合わせていない。

 虫を潰す感覚……よりも浅い感情。手に取った卵を割る変わらないか、寸止めの状態を維持していた。

 黙らせ、激痛を味わせ、意識が飛ばない程度の絶妙な力加減によって、チンピラは気絶することさえも許されない。

 ほんの僅か指に力を込めれば……。明確に体感した絶命の未来に、自信は矮小な存在であることを理解させられた。

 こいつの気分次第で、俺の運命が決まる。

 もはや先刻まで抱いていた優劣感も、負け犬剣士に対する偏見も無い。あるのは、慈悲だけだった。

 

 それは、他のメンバーにも同じこと。

 この中で最も喧嘩の強いリーダーが、まるで子供扱いにもならない。アッパーカットが決まった時は浮き足だったが、それも一瞬の儚い夢。

 反応は虫にたかられた程度の無傷。殴った方の拳が砕け、アイアンクローで股間から湿り気が漏れている。

 自分らが見ていた世界が百八十度反転した現実に、取り巻き達は言葉を失い……ただ呆然とするだけ。

 踏んではならない虎の尾を踏んでしまった。そう実感してしまっても、もう後の祭りだった。

 走馬灯が脳裏に過ぎる。

 祭りの中でこのお方に対して行なってしまった侮辱の数々。公衆の面前で展開された嘲笑は、どうあっても解消できるものでは無い。

 それでも、卑しく希望を捨てきれない奴がいた。

 

「ごめんなさい!」

 

 輪の中から、一人が飛び出す。

 謝罪の言葉と共に水城ユウの真下に滑り込み、額をアスファルトへ何度も何度も打ち付ける。

 負け犬剣士からの慈悲を懇願し、

 

「先程は本当に申し訳ありませんでした!僕は何度もやめようって注意したんです!けどこいつらヒートアップしちゃって……僕一人じゃ止められなくてぇ‼︎」

 

 生贄を差し出した。

 自分だけが助かりたいが為の尻尾切り。事実を捏造してでも制裁から免れようとする裏切り者に、メンバーは絶句した。

 当然、黙って見ているはずがなく。何食わぬ顔で仲間を生贄に差し出した、裏切り者の言葉に取り巻き達からの非難が集中する。

 

「テメェふざけんじゃねぇぞ!仲間売る気かよ!」

 

「そもそもヤラセの言い出しっぺお前だろッ!!!」

 

「違うんですよ水城さん!全部こいつが悪いんだ!」

 

「そうだよ!リーダーだからって偉そうに命令して!俺ら強要された被害者なんですよ!」

 

「制裁しちゃってくださいよ、この自惚れたバカ‼︎」

 

(て、テメェら……‼︎)

 

 遂にはメンバーは一致団結して、全てを罪を掴まれているリーダーへとなすりつけるときた。

 言い訳を重ね、自己保身へと走る情けない姿には軽蔑を超えて呆れさえ感じてしまう。

 そんな男達を冷静に……いや、冷淡に眺めながら水城ユウは漸く、その硬く閉じられていた口を開いた。

 

「許す」

 

 たった一言、そう答えた。

 何よりも聞きたかった、言って欲しかった言葉はあまりにも予想外。驚愕に、あれだけやかましかった夜が静寂に包まれる。

 リーダーもそれは同じようで、鳩に豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべていた。

 そんな彼らの反応など気に留めず、ユウは顎から手を離すと、続ける。

 

「お前らが俺のことを負け犬剣士って呼んでるのも。許す」

 

 だって、負け続けたのは事実だし。

 

「俺と百代の試合も、ヤラセと言ったのも。許す」

 

 そういう奴も出てくるって、分かってたから。

 

「祭りで俺を嗤ったのも。許す」

 

 その程度、別に怒る程でもないから。

 そう……それは、あまりにも寛大な処置だ。

 あれだけの仕打ちをされておきながら、この負け犬剣士は男達に慈悲を与えた。いや、そもそも怒ってすらいなかったのかもしれないが……それでもだ。

 彼らにとって、救いである事には変わりない。安堵に緊張がほぐれていく。首の皮一枚繋がった事実に力が抜けたのか、地面に膝をつくと大粒の涙を溢れさせた。

 誰もが思っただろう。これで終わった……と。

 

「だがな———」

 

 なのに、放たれる威圧感はまるで収まらない。

 それは慈悲や優しさとはまた違う、また別の感情によるもの。怒りでもなく侮蔑でもない……。何かが底無しに深い闇のような感情の渦巻きが宿る目だった。

 

「燕にやろうとした事は、別だ」

 

 

 …………………………ぁ。

 

 声にならない、掠れた吐息が漏れた。

 絶望が再燃する。……それはまるで、底無し沼に沈んでいくような底のない圧力。

 彼らは見た。水城ユウの背後に佇む鬼の姿を。

 それは人でもなければ動物でもない。あるいは神や仏でもなければ悪霊でもない。

 もっとおどろおどろしい、真っ黒で巨大な影のようなナニカが渦巻き、恋人にたかろうとした害虫を見下ろしていた。

 動けない。目を逸らせない。助けを求めたいのに声が出ない。顎も強張ってしまって……もう何もかもが限界だ。

 口をパクパクと動かすことしかできないチンピラ共を見て、ユウはその手に力を込めていく。

 

「俺のことをどう思おうが興味ない。だがな、俺の燕に手を出すってんなら……」

 

 それだけは、話が違ってくる。

 

「奇妙な感じだな。本当なら怒る場面なのに、今俺は怒ってない。百代に何度かキレたことはあったけど……それとは違う」

 

 そのまま、ユウはチンピラ共と向き合った。恐怖で体が強張るも、もう逃げるという選択は残されていない。

 ……いや違う。逃げたいのに逃げ出せないのだ。それは彼の背後に佇む鬼のせいではなく……ただ単純に“怖い”からだ。この負け犬剣士が放つ得体の知れないナニカが、恐怖で寿命をすり減らす。

 

「殺してもいいや、って……本気でそう思ってる」

 

「ま、まっ……ごめんなさ———」

 

「まぁ、実際殺しはしねぇけど……な」

 

 今夜の水城ユウは、少しだけ自分を抑えられそうになかった。

 

 

 

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