生きた心地がしない、と言う言葉はまさにこういった状況の時に使うのだろう。
今の私は狼に囲まれたウサギ。周囲にはあらゆる逃げ道を封じられ、鋭い眼光にこの身を貫かれる。もし仮に狼が包囲網を解除したとしても、その先を逃げ切れる自信はない。
囲まれていると言うのは、物理的にでもあるし、比喩的にでもある。
逃げ道などないに等しい。
抗う術なんてない。あったところで例え逆立ちしようとも、勝つことなど敵わない。そんな猛獣達に目をつけられた時点で、松永燕の未来は確定していた。
それを示すように、のしかかってくる重圧が身を縮こませる。
わかっていた。こうなることはわかっていた。
こんな瞬間が来ることを分かった上で、私は今ここにいる。そんなお先真っ暗な状況に置かれ、受け入れた時だ。
運命を変える言葉が聞こえたのは……。
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「生きた心地がしないな〜。みんな何か喋ってよ」
ため息混じりに、燕は両頬に手を置いて呟いた。その顔はげっそりと憔悴し、帰りたいと顔に書いてある。
そろそろ重苦しい空気に堪りかねていた。
しかし、その要望に応える者は誰もいない。
何か言葉を発すれば、それが起爆剤になりかねないと、危機察知能力が最大限機能している。
現に、こんな機能がなくとも今からとんでもないことが起きようとしているのだと、傍から見ただけで分かる。
この場には、それ程のメンバーが揃っていた。
松永燕の視界に映るのは、四人の女。
武神、川神百代。
クローン、葉桜清楚。
九鬼家メイド、李静初とステイシー・コナー。
これから戦でもするのか?そう問いたくなる程の面子だ。武神だけでもオーバーキルだというのに、なんなのだろうかこのメンバーは。
百代は目を細め、怪しげな笑みを浮かべて黙ったまま。
葉桜清楚は、燕に申し訳なさそうにはにかんでいる。
ステイシー・コナーは、おい誰か切り出せよ……と小声で隣の李になにやら催促している。
李静初は目を瞑り、静かにその時を待っているようだった。
燕は、そんな四人を視界に収めて思う。
(どうしてこうなった?)
正直、逃げたいというのが本音だった。
現在、P.M.17:30分。
場所は大通りの喫茶店。
学園の授業を終えたこの時間、本当ならば恋人のユウと手を繋いで放課後デートをする予定だったと言うのに。
どういう訳か、Fクラスの教室から出る前に百代に掴まれ、あれよあれよとこの店へ連れ込まれてしまった。理由を聞く暇もなく座らせられ、そして後から到着した清楚とメイド二人。
そして現在に至り、猛獣に取り囲まれた小動物は、乾いた笑いを溢すことしか出来ずにいた。
勿論、抜け出す策は死ぬ程考えた。脳をフル回転させ、どうやってこの包囲網を抜けて愛しの王子様の元へ辿り着くか。
しかし、こりゃダメだ……。諦めるしかない。あまりにもコンディションと戦力差が悪すぎる。
それでも、燕は気丈に振舞ってみせた。どうして自分は拉致されたのか、大体の理由は分かりきっているからだ。
この四人の共通点。それは、ある一人の男に好意を寄せていると言うこと。
そして、燕はその男の恋人だ。
ならば自ずと答えは見えてくる。
「まさかとは思うけど、別れろっていうんじゃないよねん?」
「まさか、そこまで性根は腐っていないさ」
燕の質問を、百代が笑い飛ばして否定する。
よかった……。燕は内心安堵の息を漏らす。
もしそんなクズな返しをされでもしたら、自分はきっと目の前の猛獣に殴りかかっていたことだ。
実力差なんて度外視して、これまで集めた武神の戦闘データを駆使し、ありとあらゆる手を使って排除に乗り出していただろう。
相手もそれを理解してくれている。
百代は一度咳払いし、机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持って……。
「私達が知りたいのはただ一つ……。どうなんだ?ユウのちんこ」
「ぼふッ⁉︎」
放たれた一言に、燕はミルクティーを噴き出した。甘い飲料が器官に入りむせ返る。
相手の隙をつくというのは自分の十八番だというのに、見事なストレートを喰らってしまった。
単刀直入というのも彼女らしいが、場所と時間を考えてくれと心の中で物申す。ドン引くような質問内容だが、投げかけた百代を筆頭に、その他三人も至って真剣。だからこそ恐ろしい。
百代の眼光は試合でもなかなか見せない本気の色で、燕からの質問の答えを待っている。
「モモちゃんいきなり何⁉︎」
「いやぁ、あいつに想いを寄せる女としてこれだけは気になって仕方がなくてだ……なぁ?」
と、照れくさそうに隣へ同意を求めた。
百代の右隣の席、葉桜清楚は顔を耳まで真っ赤に染めて頷く。続いて左隣に座るステイシーは頬をポリポリとかき、李は相変わらずの無表情……だがさっきから瞬き一つせず、眼球は常に燕を捉えている。
要するに、みんな興味津々なのである。
「だからってこんなところで話す話題〜?」
「いいだろ個室なんだから」
百代の言う通り、今いるのは喫茶店の個室。
かなり値は張るが、人の目はなく、上の階からの景色は客からも好評で人気が高い。だが燕が驚いたのはそこではなく、常に金欠の癖にこんな話題の為に使うなんて……と呆れるばかり。
これが愛のなせる技……いや、愛なのだろうか?
何はもあれ、完全に五人だけの空間となっている。確かにここなら気兼ねなく話せるのだが……。
「で?どうなっだ、ユウのちんぽは⁉︎」
「個室だからって防音設備まであるとは限らないよん、モモちゃん」
目をキラキラ……。というかギラギラさせて詰め寄ってくる武神。彼女を戦い以外でこんなにも夢中にさせるものなど、水城ユウだけであろう。
逃げると言う選択肢も潰されている今、燕は音を上げる。彼氏の個人情報を与えると言うのは少々忍びないが、仕方がない。
観念し、重い口を開くことにした。
しかしいざ言うとなると恥ずかしいもので……。
「いやまぁ、凄い……凄いよ。今でこそ馴染んだけどさ、最初の頃なんて苦戦なんてもんじゃなかったし……。いやホント」
おぉ〜……と、上がる関心の声。
百代は強敵と相対したような笑みを浮かべ、ステイシーと李は顔のニヤケが止まらず、清楚に至っては俯いてばかりだった筈が、瞼をかっ開いて燕の言葉に集中していた。
なんだこの空間?
「あたしら、バカンスの時にお前らのセックス覗き見してたんだけどさぁ……」
「何してるんですか?」
「まぁ聞けって。ありゃ故郷の男共でもそうそういねぇサイズに見えたんだよ。あれ?マジで整形とかじゃねぇよな?薬で増強してるとか」
プライバシーも何もあったもんじゃない。
いつも制御する側だというのに、今回だけは李も何も言わず無言で頷いているのだから。
ああ、これ逃げ道ないやつだ……。適当に流して脱出しようという燕の計画は、見込めるものではなくなった。
燕は諦めて嘆息し、ステイシーの質問に答える。
「純然たる天然物だよん。気で強化とかもない。あれ、なんか気づいた時からああだったらしいよ」
「ロック」
「男として最上級ですね」
それを聞いて、女達は色めき立つ。
男が見惚れ、女なら羨む見目麗しい美女達の瞳が、淫靡なを輝きを帯びていく。
燕の説明をもとに、ユウの陰茎のサイズを妄想しているのだろう。それに犯される自分の姿を。
女なら普通は軽蔑する下世話な話にこの上なく興味を示し、前のめりになって顔を近づけてくる。
そんでそんで?と、催促する迫力には呆れてものも言えない。
「銃で例えるなら?」
「銃じゃないよアレ、火山だね火山。射精も弾っていうより塊を吐き出すって感じでさ……。ノリに乗ってる時はもう……龍?」
「りゅッッッ!!?」
ボフン!頭から煙を出し、清楚は撃沈した。
理性の限界に達してしまったらしい、Sクラスのマドンナは遂に戦闘不能となる。
三年Sクラスの清涼剤、みんなの憧れ文学少女もこう言った下の話には耐性がないようだ。……いや、ここにいる時点で結構なスケベである。
「清楚ちゃんには刺激が強すぎたか?店出る?」
「いや、続けて……!」
「なんで清楚ちゃんまでそのポーズ?」
百代の提案に食い気味に拒否した清楚は、燕に向き直り彼女と同じポーズをとる。
その姿勢はまさに必死。読書をしている時よりも真剣な顔持ちは、イメージ崩壊なんてものじゃない。学園の男達が憧れるその名の通り清楚な彼女は、躊躇なくかなぐり捨てられた。
それほどまでに気になるのだろう……。
薄々思っていたが、葉桜清楚は確実にムッツリスケベだと燕は確信に至る。ユウの息子に興味津々すぎて若干引く。
こんなのファンの男子が知ったら卒倒ものだ。
「抱かれ心地はどうなんだ燕?」
「夜はどっちが攻めなんだよ」
「ピロートークで印象に残っている言葉は?」
「さ、最高記録は計何回なの⁉︎」
次は矢継ぎ早に質問が飛び交う。
ダメだこの女達。勢いは加速していくばかりで、熱が冷める気配は一向に見えない。あまりの興奮に、個室にいるとはいえ声は駄々漏れだ。
って言うか、内容の彼が私の恋人だっていうのはちゃんと理解した上で質問してるんだよね?
……はぁ、もういいや。
ごめんねユウくん。全部ぶちまけるよ。そうじゃないと、この変態の群れから抜け出せそうにないから。
「みんな覚悟してよねん。私とユウくんとの、糖分吐き出すぐらいのイチャイチャエピソードを!」
熱に浮かれたメンバーの胸に、謎の炎が燃え上がった瞬間であった。
後に松永燕はこう語る。恐らく、この時の自分はあの場の空気に飲まれていた……と。
彼と交際してから今日まで、まだそれほど日にちは経っていない。それでも、我ながら聞くも恥ずかし語るも恥ずかしなエピソードは、幾らでも出てくるのだから我ながら恐ろしい。
「何よりユウのちんぽだよねん、大きさも太さも形も長さも全部凄い!しかもカリ高だから、挿入れる時が大変!奥までズッポリ入るから子宮まで届くし……。でもユウ君って優しいから、私のペースに合わせてくれて……」
一度口にしてしまえば、恥ずかしさのリミッターが外れたのか、彼がどれだけ立派なものを備えているかを饒舌に語る。
当然、この話は妄想や盛った内容ではなく、全て事実であり真実だ。
「燕がそう思ってくれるだけで、十分だ……。そう言って、ユウくんは私をギュッて抱きしめてくれたの。強すぎず弱すぎず、全身を優しく包み込む逞しい腕の中で暗くなった私の心は、良くかき混ぜられた納豆のようにネバネバな愛と絡み合い!そして!」
一度語り出したら止まらない。
あの日あの時あの場所で、彼に愛された事実だけで納豆ご飯三杯はいける。
そして語られるエピソードの一つ一つを、女性陣は時に鼻息を荒げ時に頬を赤らめながら、一言一句聞き入った。
そんな彼女らの熱の入った視線に、ちょっと小気味良さを覚えてしまったのは内緒だ。
それからも話は盛り上がり続け、窓から見える景色が昼から夜になろうとも、個室に響く少女の告白は途切れることなく続いたのであった。
やがて……
「もういい〜……もういいぞ燕〜。これ以上は限界だ〜。私達が悪かった〜」
「ブラックコーヒーでも中和できねーよこんなん」
「その時のユウくんの息遣いはどうだったの?荒い?それとも浅め?」
「清楚、スタミナ凄いですね……」
気付いた時には全員、テーブルに項垂れていた。
ノックアウトされたようにしなだれかかり、青ざめた顔色に、虚な目、げっそりと痩せこけた頬。テーブルには空になったコーヒーカップが転がり、淀んだ空気が流れている。
実年齢=彼氏いない女達。実力はあるくせに、こういった経験がないからだろうか。この面子がここまで憔悴するとは、惚気恐るべしと言う他ない。
「何だろう、今のモモちゃんなら倒せる気がする」
「勘弁してくれ。もうそんな気分じゃない」
自他共に認めるバトルジャンキーが、試合を拒否する。普段の川神百代を知る者達からして見れば、あり得ない光景だ。
緩慢な動きで席から立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りで清楚を抱え上げる。
「要するに、お前らは停滞期とは無縁だってことだな。隙の一つや二つあるもんかな〜って思ったんだが、こりゃ期待できそうにないな」
「おりょ?もしかしてそれが目的だった?モモちゃんも策士だねぇ……。で?今のを聞いてユウくんを諦めてくれる?」
「イ・ヤ・だ・ね。ますますあいつは最高の男だと再確認した。新しい恋なんてできないし、ユウよりいい男なんて見つかるとは思えないからな」
上機嫌に語るその表情は、まさに肉食獣。
イチャラブエピソードに一泡吹かせられたのは事実だが、この程度で諦められるほど、長年に渡って灯ってきた情愛は安くはない。
そんな百代の挑戦的な笑みに、燕の目にも闘志が宿る。
私だって同じだ……。彼への想いと愛情では誰にも負けないという自負がある。例え相手が武神だとしても、負けを認める気など毛頭ない。
「せいぜい末長くイチャつけ、親友」
「ありがと。絶対ユウくんは渡さないから、親友」
幼馴染の剣士とは違う、西からやってきたもう一人のライバルに宣戦布告する。その言葉だけを言い残し、個室から立ち去るのであった。
そして、残された二人も。
「んじゃあ、そろそろあたしらも帰るかぁ。拉致ったりして悪かったな、松永燕」
「とても充実した時間を過ごせました。感謝します」
「おめーはあたしに突っ込める立場じゃーぞマジで。ったく、代金は大人に任せな〜」
と、ステイシーは五人分の代金を店員に渡すと、李と共に一足先に店を後にする。
そして、やっと松永燕は個室に一人となる。
自慢話であの四人を撤退させた事実に今となっては感心しつつも、自分も家に帰るべく席を立つ。
と、その前に……。
「ユウくんにライン送っとかなくちゃ」
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ーーーーーー
ーーー
『
ゴメーン!帰宅したらおとんが酔っ払って
家は見るも無惨な姿に!
流石にこれ見せられないわ
だからお家デートは無し!
ごめんね、埋め合わせは後日するから
P.S.大好きだよ❤️
』
「気にしなくてもいいってのに……」
送られてきた恋人からのラインを見て、水城ユウは不満気に小さく息を吐いた。
楽しみにしてたんだけどな……。何だったら、これを機会にお義父さんに挨拶でも、と考えていた。
……いや、やめておこう。雰囲気は大事だし。
ゲロまみれの部屋で、お義父さん!娘さんを僕にください!なんて、イカれた光景にはしたくない。
「挨拶はまたいつかにするか」
暫く考え込んだが、また後日という結論に至りスマホをポケットに突っ込む。
窓から外を見ると、空は完全に夜。
鍛錬も終わったし、もう寝るか……。そう思った不意の隙間、一瞬の気配が夜風と共に頬を撫でた。
この頭目掛けて一直線に飛んでくる風切り音。
咄嗟に首を捻って、飛来物を紙一重で回避する。
頬を通り過ぎていった硬く鋭い鉄塊は、背後の壁に突き刺さり静止した。月光に反射する黒く鋭利な物体を視認して、ユウは思わず目を見開く。
「苦無……?」
飛んできた忍び武器に首を傾げる。それはレプリカなんかではなく、紛れもない本物の凶器だった。
まさか、この川神院に襲撃者!?
身構えるものの、第二撃目はない。どこの誰かは知らないが、一本の苦無をユウに向かって投げて、それっきりだった。
嫌がらせ……な訳がない。
武の総本山である川神院を悪ふざけの相手に選ぶなど、酔っ払ったチンピラでも考えつくまい。
意図がわからない……。首を傾げて、取り敢えず突き刺さった苦無を引き抜いてみる。
……触っただけで分かる。良い鉄と職人の手によって仕上がった精巧な一品。これを使用するのはかなりの使い手と見た。
ユウが知る中で、こんなものを扱えるのは何人かいる。その中で、最初に思い浮かぶのは……。
「李さんの苦無じゃねーか。なんで?」
共に清楚の護衛として知り合った戦友。あの人が、俺の命を狙って……?
いや、無いだろ。有り得ない。仮にあの人が俺を襲うにしたって、理由はなんだ?
参った、ますますわからない。
「まさか九鬼財閥が俺を暗殺に……だったりして。はは、そんなわけ———」
馬鹿馬鹿しい。そう思って口にした自分の言葉に、まるで静電気が巡ったように震えた。
ふと、言葉に詰まる。
あの人は俺を襲撃なんてするような人じゃない。
彼女を雇っている九鬼財閥とも何も因縁もない……。たった一つの要素以外。
まさかとは思うが、本当にそうだとしたら。
これは、警告。
李静初は、ナニかを伝えにきた。
考えすぎ、こんなのただの妄想に近い憶測だ。
だけど……。
「あら?ユウ先輩、こんな夜中にどこ行くの?」
「ちょいと野暮用。あ、真剣借りたって総代に伝えといてくれ」
「ええ⁉︎何でそんなの持っていくのよぉ‼︎」
ただの妄想なら、それでいい。
なのに、刀を握る手は異様なぐらい、これ以上ないほどに強かった。
ここから終盤になります