混沌とした戦場に似つかわしくない、幼い鈴の音のような声がこだました。
両者の間に割って入るように飛び込んだ小さな影。突如現れた少女が、戦闘の継続を阻んだ。
透き通るような銀色の髪が揺れ、紫水の瞳が静かに煌めく。まだ幼子と言える華奢な身体からは想像できない程の強い意志が、その声と瞳から伝わってくる。
その少女の名を、あずみが叫んだ。
「紋様!?何故ここへ!」
予想だにしていなかった乱入者。現れた主人・九鬼紋白に、ヒュームまでもが動揺を隠しきれない。
瞬く間に場の空気を一変させた疑問に答えるようにまた一人、勇ましい凛とした声が戦場に響き渡る。
「我が連れてきたのだ」
月明かりに照らされた、気高き獅子の如き銀の長髪が揺れる。髪型に瞳の色彩。その堂々とした佇まいから、紋白と同じ血を引いているとわかる女性。
紋白の後に続いて、その姉である九鬼揚羽の降臨は、周囲に二度目の衝撃を齎した。
九鬼家長女・揚羽の参戦により、場は更なる混沌と化す。
「たわけめ。貴様らが戦うとなれば、誰でも気づくわ。何事かと駆けつけるのは当然であろう」
「揚羽様」
「全ては紋から聞いたぞ。全く、最近様子が妙だと思えば……。このようなことを画策していたとはな」
百代に勝るとも劣らない眼光、それをほんの少しだけタレさせて、真下にいる妹を見やる。
叱るというより、呆れの感情が大きい。どうやら、川神百代討伐の計画には揚羽は関わっていないようだ。
そりゃそうだ。誰かに依頼するぐらいなら自分で鍛えてリベンジするような人だと、ユウは知っている。
ならばあの口ぶりから鑑みて、燕に討伐を依頼した人物は……。視線の先にいる、萎縮し目を伏せた少女。
「申し訳ありません、姉上。我は……」
「構わん。可愛い妹の想いだ。咎めはせぬ」
わっはっはっは!と豪快な高笑いを上げて、妹の頭を優しく撫でる姉。
なんと毒気の抜ける光景であろうか。
ユウとヒュームは共に構えを崩さず、武を交える勢いではいたが、この仲裁により互いに戦意を収めるのだった。
すると、伏せていた紋白の瞳がユウを視界に収めた。
ハッとした表情を浮かべたと思ったら、ちょこちょことその小さな手足を懸命に動かして、足元まで近寄ってきた。
「水城ユウ。直接話すのは、初めてであるな。何度か声をかけようと思ってはいたのだが……」
「ああ。……君が燕の依頼主?」
膝を折り曲げて、視線を紋白に合わせる。
いったい誰があのような馬鹿げた計画を企てたのかと思えば、こんな年端も行かぬ子供だったとは。
すっかり呆れも怒りも吹き飛んだ。
うむ、と九鬼の少女は小さく頷いた。
「我が松永燕に川神百代の討伐を依頼した、九鬼紋白である。水城ユウよ、貴様には感謝している。お前のおかげで、武神の無敗を破ることができた」
「はぁ……」
曖昧な返事を返すユウ。
感謝されても、イマイチ実感が湧かない。
誰かの評価や感謝が欲しいからではなく、個人的な理由で百代に勝ちたかっただけなのだから。
そんなリアクションが気に入らないのか、背後から無言の殺意が降りかかる。その殺気の源であるヒュームの肩に、どおどおと手を置く揚羽。
重傷を負っていようと、問題なく戦闘を続行できる老執事はあの人に任せて、ユウは紋白の方へ意識を向けた。
その様は九鬼の姫として威厳と風格に溢れたものではなく、年相応の少女そのものだった。
「我は、あやつをどうしでも倒したかったのだ……」
「お姉さんのために?」
視線だけを揚羽に向けると、彼女は肩をすくめた。
紋白が何を思い、何を考え、何を目的としてこの計画を画策したのか。それを理解するには十分な反応だった。
要するに、敵討ちというわけだ。
なんとまぁ美しい姉妹愛であろうか。
だが、それにはユウの中で一つの疑問が生じる。
「それはちょっとおかしいんじゃないか?」
「?……どういう意味だ?」
「百代が負け知らずなのが気に入らないなら、自分で戦えばいいじゃないか。敵討ちがしたいんなら、君自身の手でやりなよ」
「だが、我はまだ幼く……」
「強くなって挑めばいいだけの話だろ?」
その一言は、この場にいる従者達の怒りを買うことを承知の上で、怯むことなく淡々と口にする。
「倒したい相手がいるんなら、自分で鍛えて自分で挑め。何年何十年かかったって、それこそ何百回負けたって、自分で鍛えて、立って、拳握って戦わなきゃダメだ」
小さい子にこう言うの酷なんだけどさ……。
「他人に任せた時点で、それは敵討ちじゃない」
悔しい、勝ちたい、倒したい……。その気持ちを他人に委ねて勝利したところで、満足した結果が得られるとは思えない。
その自論は酷く傲慢で、強い者の道理を体現する生き方に聞こえるだろう。
ある者にとっては、弱者の気持ちも知らないくせに……。と言った声が返ってくるだろう。
だが紋白は、水城ユウの言葉に何も言い返すことができないでいた。
紋白だけではない。ヒュームやクラウディオ、揚羽も同意したのか、ただ静かに事の成り行きを見守っている。
「第一、そんな方法で君のお姉さんが納得するとも思えないしな」
「我に……。できるだろうか」
「できるできないじゃない、やるんだ。百代をぶちのめしたいって気があるなら、その気持ちが枯れるまで戦るべきだ」
紋白の言うように、川神百代の理不尽さに思うところがある人間は存在するのだろう。その鬱憤を戦いで晴らせるものなら、それも良いだろう。
だが紋白がやろうとしていることは、戦いでもなければ、勝負ですらなかった。
勝負の土俵にすら上がれない者が、何を言ったところで外野の言い訳にしかならない。
見ただけで分かる。目の前のこの小さな少女にだって、才能が備わっているとを。奥底に宿ったポテンシャルを引き出せば、彼女の願いが叶う可能性は大いにある。
「そのための環境も、手伝ってくれる人達も周りに沢山いるってのに、勿体ねぇよ。無関係の人間に頼むより先に、自分でどうにかしようって……。そうするべきなんじゃないのか?」
ほら、周りを見れば。
最強の執事がいる。
どんな要望にも応えるメイドがいる。
成長を見守ってくれる家族がいる。
優秀なコーチもいれば、成功体験を与えてくれる先輩だってすぐ近くにいる。
あと必要なものは自分自身、どれだけ泥に塗れようとやり遂げる覚悟があるかどうかだ。
紋白はユウの言葉を聞き終えると、ゆっくりと顔を上げた。
「紋様……」
「……ヒューム、我は決めたぞ。誰かに成し遂げてもらおうとしたのが間違いであった。やはり姉上の仇は我が討たねばならない」
その決意に迷いはない。
ヒュームもそれ以上何も言うことなく、静かに頭を下げた。
「それじゃあ、俺達はこれから打倒川神百代を目指すライバルだな」
「ライバル?武神はお前が倒したであろう?」
「たった一勝な。あんなので満足できねぇよ。負け分取り戻すまで挑むつもりだ。あいつと戦うなら、それぐらいの気持ちでやれってこと」
「そうか……。水城ユウ、お前が武神に勝利した理由が……分かった気がするぞ」
「ですが、契約の話はどういたしましょう?」
これで一件落着となるほど、事は単純ではなかった。終わりを見せた空気は、クラウディオの一言によって引き戻される。
そうだ。そもそもの話、このような事態になったのは燕が契約違反をしたのが原因だ。
「契約は契約。これで解決とはいきますまい」
試合の内容に口を挟むなというユウ。
契約を違反したからには、制裁を加える九鬼。
二つの主張がぶつかり合い、この話の着地はまだついていない。たとえ依頼主の紋白の認識が変わったとしても、既に決められた契約を反故にはできない。
「なら!九鬼で働きます!」
「燕ッ⁉︎」
まだやろうってんなら受けて立つ。そんな気概を見せるユウを押し除けたのは、松永燕だった。
脱線していた議題を元に戻し、事態を収集するべく皆の視線を集める。
「契約を破ったのは事実ですし、その分……。いや、その倍の利益を出して解消します!」
「いやでもお前……」
「大丈夫」
一蹴される彼氏。燕は此方の口を封じるかのように、人差し指を唇にあてて笑った。
ヒュームにやられた傷も相待って、何よりその目。絶対に上手くいく、そう確信した光を宿した瞳に、何も言えなくなる。
燕は九鬼家一同に向き直った。
「働くだけではなく、対武神の情報提供と練習相手というのはどうでしょうか?私が集めた全ての情報を、九鬼紋白様にお譲りします。……ただし戦闘のだけ。プライベートまで喋ったら、殺されかねないしねん」
今後の九鬼紋白が歩む道のメリットを提示する。制裁ではなく、協力という形を持ってして失態を償うという。
その提案に答えを出すのは、燕の依頼主である九鬼紋白だ。その表情は、喜色に染まっていた。
「そうか……。ならば今回の件は解決、李とステイシーの行動も含めて不問とする!皆の者、撤収だ!契約の方はまた後日、破壊してしまった家の修繕費も九鬼が負担をする。クラウディオ!帰ったら早速、我に稽古を!」
「承知致いたしました紋様」
九鬼家従者部隊一同が一礼する。
そして紋白は、最後にもう一度だけユウ達に微笑み掛け、優雅に踵を返して去って行くのだった。
その背中は、ほんの少し広く見えた。
「はっはっは!妹も一皮剥けたようで何より。して、大丈夫かヒューム?」
「この程度、かすり傷にもなりません」
何事もなかったかのように歩き出すヒューム。その言葉通り、さっきまでの大量の出血は既に止まっていた。
流石というべきか。致命傷の一つや二つ受けたところで、この老人にとっては然程の事態になり得ない。
その傷を付けた張本人はというと、「でしょうね」と遠ざかっていく背に呆れ声を投げた。声色は実に不満げで、半開きの目は挑発的にヒュームを睨みつけている。
「次やる時は、全力出させますんで」
「ふん、その前にお前は沈黙というものを覚えろ」
事態は収集した。なのに、未だ互いの戦闘意欲は枯れるどころか、火花を散らしている。
しかしこれ以上は無駄と判断してか、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす老執事は此方を一瞥し、主人と共にこの場から消え去った。
「すまんな、あれでも褒めているのだ」
最後に残った揚羽は、肩に手を置いて心底呆れた様子で肩をすくめた。
彼女の赤い瞳がユウ達から、戦闘によって半壊した松永家への移動する。ヒュームの一撃によって原型を無くした一軒家は、明らかに一朝一夕で修繕が効かないほど致命的な損傷を受けている。
一夜を過ごすには、いささか家としての機能は心許ない。
そんな松永家を目にし、
「暫くは、九鬼のビジネスホテルに泊まるがいい。詫びとして無料サービスだ。ではな」
相変わらず豪快にして太っ腹。気前の良さを見せつけて、揚羽もヒュームの後を追って、この場から去って行く。
その背が見えなくなるのを見届けて、ようやくユウ達も緊張から解放される。
こうして、世界一の財閥との嵐のようないざこざは幕を閉じるのだった。
「やっぱ、武神に勝ったぐらいで満足なんてできねぇな。広いわ世界」
「そうだね。あんなのを相手にしてさ、私がどれだけヒヤヒヤしたか分かってる?」
暢気に呟く青年、その傍らで身の毛がよだつ女の声がこだまする。
冷気を孕んだ気配が背筋を撫でる。気づいて視線を下ろすせば、ニッコリと満面の笑みで恋人が顔を覗き込んでいた。
可愛らしい笑顔とは裏腹に、身に纏う剣呑な覇気は並ではない。ヒューム・ヘルシングとはまた違った迫力に思わず身構えた、その時だった。
「ユウくんのバカ!」
今にも泣きだしそうな叫びが耳をつんざいた。
九鬼家従者部隊序列零位。川神鉄心のライバルとして肩を並べ、川神百代をも凌駕しうる最強との戦いを見ていた燕は、押し込めていた感情を濁流のように吐き出す。
「あれは私がやらかした問題なんだよ⁉︎なんで君が出張って来ちゃうかなぁ!」
「だってムカついたし……。契約だのなんだので、俺とお前の試合にチャチャ入れられたくなかったんだよ」
「だからって……。もぉ〜!ずるい!ずるいずるいよ!そんなの気にしなくていいのにぃ!君っては本当におバカァ!」
先ほどまでの剣呑な覇気はどこへやら。
ふぇー、と情けない声を上げる燕。とうとうその瞳から涙を流しながら、縋るように恋人の腕を掴んだ。
本当は嬉しかった。
この件は、自分一人でケジメをつけるべきだと覚悟を決めていたはずなのに……。彼はそんな燕の気も知らず、あっさりと飛び込んできてしまった。
それでも、恋人があの場に来てくれた時は、感極まったなんてものじゃない。
だが、そのせいでこんなにも傷だらけの姿にしてしまった。何度、ヒュームとの戦いに加勢しようとしたことか。
割って入らなかったのは、一対一の勝負に拘る水城ユウの信念を尊重したからに他ならない。一度切って落とされた火蓋に、たとえ誰であろうと乱入者など認めないのがこの男だ。
嬉しいやら悲しいやらで、もう感情の制御が利かない。
涙で顔をくしゃくしゃにする、ユウは泣きじゃくる燕の頭を優しく撫でてやった。
「ごめんな、燕……。心配かけさせて」
申し訳なさはある。
けれど、ユウもこればかりは譲れなかった。
我儘なのはわかっているつもりだ。だけど、大事な試合だからこそ譲れないものがある。
そして何より……。燕が制裁なんてくだらない理由で傷つくのは見たくない。
それが一番嫌だった。
「水城くん……」
そんな抱きしめ合う二人に、久信がおずおずと声をかける。
げっそりと、焦燥し切っていた表情に立つのもやっとだ。相手の判断一つで首が飛ぶ。そんなプレッシャーの中に晒されて、あまりにも異次元すぎる超人の攻防を目の当たりにし、精神的疲労は隠し切れない。
寧ろ、武人でない割によく保った方だ。
本格的に顔を合わせるのはこれが初めて。
ユウは恋人の父親に、深く頭を下げた。
「どうもお義父さん。娘さんとお付き合いをしていただいてる、水城ユウです」
「はは、燕ちゃんから話は聞いてたし、あの試合はテレビで見てたよ。僕の傑作をスクラップにしくれちゃって、結構傷ついたな〜」
「すいません。俺も勝つために出場したんで」
「ごめんねおとん。私が勝手なことして」
「あははは……はぁ……。一時はどうなることかと思ったよ。っていうか、九鬼で働くって話しいいの?」
久信は力なく笑いながらも、やはり娘の選択に対しては慎重な姿勢を崩さない。
心配する父に、燕はうんと頷いた。
「依頼のミーティングとかで、私のスキルも売り込んでるからねん。人材が欲しい九鬼財閥からしてみれば、結構高評価重ねてると思うよん」
相変わらず抜け目のない……。我が彼女、娘ながらに天晴れなり。感心と同時に呆れ、そんな燕を見つめる二人の眼差しは柔らかい。
「そっか……。でもさぁ、そういうことなら事前に僕に教えたり、それかもう少し早く提案してほしかったな……」
「いや〜、この案はいくつかの候補としては上がってたんだけどねん。最初の時点じゃ難しかったと思う」
自分を売り込むにしても、契約違反した燕では信頼が足りず却下される恐れがあった。
しかも、相手はヒュームとクラウディオだ。何が地雷となるか分かりかね、切り出すタイミングが中々掴めずにいた。
そこへ現れたのが救世主・水城ユウだ。
依頼主である紋白に、川神百代は自分で倒す!そう意識を改変してくれた。燕はそのチャンスを逃さなかった。
「ユウくんが紋ちゃんの意識を変えてくれたから、なんとか行けたって感じかな」
「そうなのか?」
「ユウくんはさぁ……。無自覚に色んな人に影響与えてるって、気づいた方がいいよん。あと、おとんに言わなかったのは顔に出てバレるかもって思ったから」
「そういうところは、ミサゴさんに似てるなぁ〜」
とほほ〜、と肩を落とす久信。そんな父の肩をポンと叩き、娘は改めてユウに向き直った。
何はともあれ、これにて一件落着。今後は九鬼財閥と幾らか話し合って、身の振り方を考えて行く。
この結果に着地するのに、多くのトラブルと困難に見舞われた。しかしほんの少しだが、確かにいい方向へと向かっている気がする。
「ありがとう、ユウくん」
燕は笑い、その想いを伝えるため、大好きな男の子の頬にキスをしたのだった。
Q.破壊された家や街の修繕費はどこから出るんですか?
A.執事「俺の自腹だ」