どれだけ凄まじい攻防を繰り広げようと、結果のわかりきっている勝敗程つまらないものはない。このエキシビジョンは、まさにそうだった。
ましてやこれは、川神に住まう住人にとって日常茶飯事で行われるものだからだ。
もしも、エキシビジョンの相手が平蜘蛛を携えた松永燕だったのなら、物珍しさ故に会場は大盛り上がりだっただろう。
しかし、こうも変わり映えしない試合内容を見せられると、自然と熱も下がると言うもの。
誰も彼に期待していない。
「あれ?京どこいくの?」
「帰る。結果なんて分かりきってるから」
「ンなこと言うなよぉ。もしかしたら、今回はもしかするかもしれねぇだろ?」
「それ、何度目?毎回同じこと言って、結局負けてるじゃん。今回も同じでしょ?しょーもない」
誰も彼に期待していない。
「松永燕が敗れたか……。しかも、決勝で平蜘蛛まで使用するとは」
「申し訳ございません、紋様。どうやら我々は、川神に住まう強者を侮っていたようですね」
「ううむ、だがあやつは武神のライバル……というやつなのであろう?」
「そうではありますが……。あまり期待はなさらない方がよろしいかと……」
誰も彼に期待していない。
「なぁ、どう思うよジジイ」
「これ釈迦堂。しっかり結界を張らんか」
「わーってるよ、ちょっと話振ってるだけだろ?なぁ、正直のところ勝てると思うか?」
「勝敗など……関係ないわい。あの二人にはの」
「ケッ、その答えは逃げだぜ」
……そう、誰も彼に期待していない。
それはどうしてなのか。どーせ今回も川神百代が勝つ。その前提的思考が、誰しもの頭の中を占めているからだ。
どんな試合内容であろうと、いつも通りの分かりきった結果が待っている。途中まではいい勝負をして、最後には負ける。そんな変わり映えのない決着を、この二人は繰り返してきたのだから。
ほら、見ての通り。
平坦だった試合に変化が訪れる。
百代が瞬間回復を二十七回目の使用を行使した、その時点で水城ユウの体力の限界が迫る。
いつものパターンだ。最高記録の二十八回、その先にどうしても行くことはない。
負ける流れに突入し、誰もが確信する。最後には、またしても気のゴリ押して敗れ去るのだろうと。
その中で例外といえば、
「ふふふ、やはり最高だな。お前との勝負は!」
いつもと同じ相手、いつもと同じ試合運び。それでも飽きずに水城ユウとの勝負に心躍らせるのは、彼が唯一の挑戦者だからだ。
黄色い声援を上げる女達。
俺には無理だと、諦める男達。
大人も乾いた笑みを浮かべて、目を背ける。
そんな男女問わず草食動物の群れの中で唯一、この自分に牙を向いてくれる獣の異性。
戦いとは異なる熱き血潮に身が火照り、獰猛でありながらも情の色に染まった瞳を向ける。
視線の先にいるのはライバルであり、恋慕の感情を抱く雄の姿。
拳で殴られ、氷漬けにされ、火で炙られ、踵落としを脳天に受け、気弾を死ぬほど喰らわされ、極太のレーザーに全身を覆われ、至近距離からの爆発に包まれた。
たった一つでも並の武人ならタダでは済まない技の数々を受けながらも、一本の刀を携えて幾度も肉薄してくる。
並外れた肉体とスタミナ。川神百代を倒す、その一点のみに研ぎ澄ましてきた剣技は、確かに武神の身体を捉えていた。
全力を込めた鋭い一閃は、致命傷に近いダメージを与えるまでに至る。しかし、雨霰の攻撃を受けながらも漸く叩き込んだ決死の一撃は、理不尽にも無に帰すのであった。
これで———二十八回目の瞬間回復。
攻撃が触れた瞬間、百代の全身に気が巡ることにより、これまで喰らわせた痛みもダメージも瞬時に完治されてしまう。
それを、水城ユウは二十八回も繰り返していた。
一回使わせるだけでも難易度が高いと言うのに、それを二十回以上もの使用を切らせるのだから、武神のライバルと呼ばれて然るべき。
だがもう、終わりは近い。
彼だって人間だ。しかも瞬間回復や平蜘蛛の機能のような回復手段の類も備わっていない。
自前の体力は、そろそろ底を尽き掛けていた。
「ふっ、そろそろ決着だな。ユウ」
「はぁ、はぁ……んだよ、もう勝った気か?」
朦朧とする意識に、霞む視界。耳鳴りの鳴り止まない鼓膜に、一人の女の声が聞こえる。
勝利を確信し、その先にある“お楽しみ”に胸を躍らせている。とても機嫌のいい声だ。
「悪い悪い。ただ、約束は忘れてないだろうな〜、って思ってだな」
「あぁ?……ああ、約束ね」
この試合が始まる前、二人はある約束を交わしていた。
———この戦いに勝ったら、相手に一つ命令することができる。どんな命令でも、敗者に拒否権はない。
負けるつもりのないユウは二つ返事で了承した。
また、訳のわからないわがままを押し付けてきたと呆れながら。この女がいったいどのような意図で、その心中に恐ろしい計画を立てているかも知らずに。
どんな条件で来ようと、勝てばいい。いつだって剣士は、その意気込みで剣を振るってきたのだから。
負ける前提で挑んだことなど一度もない。
そんなユウが最も嫌うこと。それは……
「だからさぁ……勝った気になるなって……」
戦う前から、
決着する前から、
結果を分かりきったふうに言う奴の発言だった。
「言ってんだろがぁッ‼︎」
吠える。歯を食いしばり、握りしめた手に万力を籠め、勝利への渇望を刃に乗せる。
一挙手一投足、限界を超えた肉体への酷使に次ぐ酷使。一滴残らず体力を絞り出して撃ち放つ一撃。
それは死に体ながらも強く、疾く、鋭い。刃に想いの丈を込めた、一閃が武神に向かって奔る。
狙うは人体の急所の一つ、鳩尾。
この女にチマチマした攻撃は無意味。幾ら重ねても回復され、無駄に此方が体力を消費するだけ。
ならば強烈な一撃を喰らわせて、その度に瞬間回復を使わせれば、確実に相手の気の総量は大幅に減る。
チートじみた技だが万能というわけではない。気が減れば体力も減るし、気を用いた技の威力だって落ちる。
長年戦ってきたが故の戦法だ。
だが、
「そう来ると思った……!」
だからこそ、百代自身もその狙いを熟知していた。
鋒が制空権内に侵入した寸前、白刃取りの要領で豪剣を挟み込む。
通常の人間離れした早業を、更に上回る反応速度によって捕える。膨大な気だけが全てではない。これこそ、武神と呼ばれるが所以。
弾丸のような突きは、両の手で挟まれた瞬間にピタリと突進を静止させられた。
これ以上、進むことも退くことも不可能となった瞬間、百代の全身から気が溢れ出る。得物を掴まれて微動だにできない剣士に、この戦いの決着をつける終末の一撃。
「川神流・星殺し———‼︎」
極限まで凝縮された光は、星の一撃。
地上から宇宙までに達する光の柱。
防御という概念そのものを許さなぬ究極の一撃が、剣士の身体を焼き尽くす。
轟く爆音と、巻き起こる爆風と砂煙。
地球の裏側にいようとも察知できる世界を揺らす衝撃が、川神の空に巨大な雲を呼び起こした。
またいつもの、ありふれた。
変わり映えのしない決着だ。
だがまぁ、よく頑張ったと讃えよう。
———いつもそうだ、あと一歩が足りない。
———百代の瞬間回復の限界回数は三十回。
———毎度二十回以上は使わせることができるが、そこから先は肉体の限界が来る。
———それはまるで大きな壁のように、最後まで戦い抜くことができない。
———何が足りない?体力?スタミナ?
———そんなの昔から重点的に鍛えてる。
———技の威力?は、十分ある。
———気持ちなら誰にも負けてない。
———修行だって、一日たりともサボったこともない。
———あと二回、たった二回なんだ。
———あと一歩が、身体が動いてくれない。
———俺に、何が……
「……、…………!……‼︎」
———?、なんだ……声が聞こえる。
———誰の声だ?聞き覚えのある。
———百代……のじゃない。
———遠くで聞き取りづらい。でも、その声は俺の耳に確かに届いていた。
———遠くてもあいつを感じられる。
———そう、同じ目標に向かって隣を歩く同志。その存在を感じられるだけで、俺は……。
「そうだ、この胸に刻んだはずだろ……。あいつの、
一閃。
それが、自身の身に食い込んだことを実感したのは、振り下ろされた鋼の軌跡が過ぎ去った後のことだった。
遅れてゆっくりとやってくる、意識を刈り取る程の激痛。徐々に身体の制御が不能になり、両膝から力が抜けていく。
そう。今、川神百代は倒れかけていた。
「お姉様‼︎」
「ッ‼︎」
驚愕の衝撃に途絶えかけた意識は、観客席から届いた妹の声によって辛うじて保たれる。
踏みとどまり、崩れかけた膝を持ち直す。
だが何より驚いたのは、妹の声色だった。
いつも明るくて元気な、姉の勝利を信じて疑わない一子の声が……。恐ろしいものを見たかのように、震えていたのだ。
私が負ける……?そう見えたっていうのか!?
勝利を確信したが故の油断。
誰もが思った終末を叩き切るように振るわれた一刀が、百代に敗北という二文字を予感させた。
「防御が疎か……瞬間回復に、頼り過ぎだ……!」
どういうことだ?本当なら星砕きの時点で勝っていた。それなのに、いつもと何かが違う……!そう気づいた時には、次なる一撃が既に首筋にまで迫って来ていた。
一刀目と異なる軌道を描く、二振り目の恐刃。
今度は横薙ぎだ。
防御は間に合わない、ならば迎え撃つ。
武神に後退の文字はないのだから。
「ッ、く……‼︎」
「焦り出すの遅えよスロースターター。体力のペース配分ミスったな?スタミナ切れなんて経験なかったろ?」
この瞬間までは!
振り払われる斬撃に、迎え撃つ拳が衝突する。
それはほぼ同時に見えるが、ほんの僅かに百代の拳の方が遅かった。
完璧なフォームで繰り出された攻撃と、咄嗟に繰り出された攻撃。どちらに軍配が上がるかというと、言わずもがな。
疲労困憊の身でありながら、その剣技に一点の鈍りもない。絶えず続けてきた研鑽は、肉体に刻まれているのだから。
拳の負け。防御姿勢も取れず、まともに直撃を喰らった百代は斬撃の勢いのまま吹き飛ばされる。
先刻の一撃も合わさって、意識を刈り取る直撃が火花を散らす。
まずい瞬間回復を……!
いや待て、こいつはその瞬間を狙ってまた一撃を叩き込んでくる。……ならば!
激痛、油断、敗北の予感、朦朧とする意識、自分の名を呼ぶ仲間達の声……。それら全てを、今は頭の中から取っ払う。
戦い以外の情報を脳の片隅に追いやり、クリーンとなった思考の中で方程式を組み立てていく。
冷静に冷徹に的確に効率よく、勝利の道を。
気の総量から見て、使えるのはあと二回か。
よし、その分のエネルギーを攻撃に回そう。
瞬間回復はもう使わない。
気のペース配分を見直しだ。
気弾や術系の技も全ての使用不可を己に課す。
追い詰められて消耗が激しい今、全てを効率的に肉体強化へ施す。
肉体の損傷を確認。
ダメージが蓄積されている箇所は極力動かさず、必要最小限の動きで急所を的確に狙い撃つ。
修正完了、これで勝つ。
そう、だから彼女は武神と呼ばれるのだろう。
「川神流、蠍撃ちッ」
攻防の天秤が傾く。
時さえも追い抜く状況の変化は、この場にいる全ての人間の意識さえも置き去りにした。
コンマ数秒の内にシフトチェンジされた肉弾戦主体のバトルスタイル。あたかも対戦相手が交代したかのように、その動きの変化に挑戦者の対応が遅れる。
斬撃の隙間を縫うように、懐に飛び込むことで正拳を内臓の位置する人体の一部に打ち込む。
貫通されていないにも関わらず、貫かれたかのような異物感と激痛が過ぎ去っていく。
闘気が飛び散り、喰らった相手の顔が衝撃に歪む。このまま押し切らんとした猛攻が止まり、戦いの戦況の大きく反転した。
怯み体勢が崩れたユウを、横一文字に蹴り飛ばす一閃———川神流・地の剣。
間髪入れず、受け身を取りながらも即座に体勢を整えた相手の鳩尾に跳び蹴り———川神流・空衾。
防御をすり抜けて突き刺さった追撃は止まらない。百代からしてみれば、戯れ程度の認識だった筈の小技の数々だ。
これらより強力な技はいくらでもある。
だが今、かつてない窮地、無視しようのないダメージ、無尽蔵だと思われていた気の消耗。
なにより、天賦の武の才能。
いくつもの歯車が噛み合うかの如く、川神百代という最強の存在に新たな境地を開拓させた。
弱点をつかれたからなんだというのか。
———ま、だからなんだって話だよ。それでも最強無敗の武神なんだからさ。
「っぱ、すげぇなお前……」
ゴミのように宙を舞い、床に打ち捨てられる剣士は笑う。……もう、笑うしかないのだ。
どれだけ追い詰めても、やっと追いついたと思っても、更に上から押し潰して来やがるのだから。
(マジやってらんねぇ……こいつ。この土壇場でまた強くなりやがった……!)
気の底は見えたが、その才能の上限はまるで見えてこない。限界を超えるどころか、この女に限界などないのだろう。
敗色濃厚。そんなのいつものことだ。
確実に、次の一手で全てが終わる。
だからこそ……。二人の眼差しが交差する。
「川神流」
知ってた……。最後はそれでくることは。
「無双」
最初に俺を下した技。
この長い挑戦の火蓋を切った一撃。
「正拳」
シンプル、故にお前のお気に入り。
ここぞという時に使う瞬間を、
「突き—————————ッッッ!!!」
「————————————————待っていた」
拳を突き出した武神の目が、大きく見開く。
全ての気を凝縮した渾身は、空という無の空間を突き抜け、次の瞬間、武神の腹部に鉄の感触が添えられていた。
川神百代の癖———それを熟知しているからこそ、この刹那の読み合いを制した究極の一手。
あの日から始まった、挑戦も。
血の滲む、努力も。
かつての同志達からの、裏切りも。
周囲からの、哀れみも。
心無い者達からの、嘲笑も。
新しい同志との、出会いも。
全てはこの瞬間の為に……。
この、瞬間の為に……俺は———
この日、大勢の人間が後悔をした。
分かりきった結末故に、先に帰った者。
闘技場に意識を半分だけ向けている者。
今度はどんな負け方をするか会話をしている者。
スマホを弄りながら観戦する者。
確かに、真剣に見届けている者もいた。
だがそれは、川神百代の華麗なる勝利を見たいが為。負けるにしても、水城ユウの見事な剣技を参考にする為。
誰もが、この試合の勝者が誰なのかを決めつけた前提で観戦していたのだ。
故に、誰もが後悔することとなる。
もっと、真剣に見ておけばよかった……!
歴史が変わる瞬間を……!
長年の努力が身を結ぶ瞬間を……!
血が滲む研鑽の先にある景色を……!
栄光を手にした者の、偉大な勇姿を……!
ああ……なんてことだ!
自分達は、なんて勿体無いことを!!!
当然この瞬間はしっかりとカメラに記録されている。しかし録画した映像を見るのと、肉眼で見るのとでは、その感動はまるで違う。
そこに立つは一人の勝者。
あらゆる予想を覆し、最強を下した挑戦者。
バカにされようが、孤独になろうが、その歩みを止めなかった負け犬剣士。
闘技場の中心で今にも崩れそうなその姿は、この場にいる誰よりも醜く、誰よりも輝いていたことだろう。
喝采も賞賛もない。
ただ驚愕と、後悔だけがそこにあった。
この一歩は、何によるものだったのか……。
精神力?覚醒?奇跡?そんなもので片付けられる程、この勝利は安いものではない。
今までの敗北の中で、俺に足りなかったものがつけ足された。それが、この一歩を踏み出させてくれた。
その実感を感じたのは、確かに耳にしたあの声。
一瞬の隙が敗北に繋がる百代との勝負。
戦い以外の情報は全て排除した極限の集中状態の中で、あいつの声がしっかりと頭の中に響いていたのだ。
たかが声一つ、それが勝利の鍵だった?
違う。声を出した、この存在だ。
あいつが見ている、あいつがいる。
離れていても、まるで隣にいるかのような。
それを理解した時、刀を握る手に力が入った。
だとするなら、水城ユウはとんだロマンチストだ。
だが、そうとしか考えられない。それ程までにあいつの存在は俺にとって大きなものであると、俺自身が今実感している。
そうか、そう言うことか。
ようやく理解した。
「……かっこ悪い姿、見せたくなかったのか」
もしも、この感情に名前をつけるのなら。
それは……。
好きな女の子に自分の負ける姿なんて見せたくない
そんな勝ち方があってもいいじゃないか