勉強会で騒がしい五つ子達。 そんな賑やかな夜の裏で、少しずつ変わり始める関係。
“母親”として頑張り続けてきた零奈が、 弱っているからこそ見せる一面を書いてみました。
タイトル通り、 “熱”に浮かされた夜を楽しんでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします!
「……今日は、少しだけ甘えてもいいですか?」
静かな声だった。
けれど。
熱を帯びた頬と、揺れる瞳のせいで。
その一言だけが、妙に胸へ残る。
「……別に、構いませんけど」
そう返すと、零奈さんは少しだけ安心したように笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔は、いつもの母親としてのものより、ずっと弱々しく見えた。
部屋には静かな空気が流れている。
時計の音だけが、やけにはっきり聞こえた。
「薬、持ってきます」
立ち上がろうとした、その時だった。
「……っ」
不意に、服の裾が引かれる。
振り向く。
すると零奈さんが、シーツを握る代わりに、僕の服をそっと掴んでいた。
「あ……」
自分でも無意識だったのだろう。
零奈さんは少しだけ困ったように目を伏せる。
「すみません……」
「……いや」
責められる訳がない。
むしろ。
そんなふうに引き止められた事に、妙に胸がざわついてしまっていた。
「……すぐ戻ります」
優しく言うと、零奈さんは小さく頷いた。
けれど。
服を掴む指だけは、なかなか離れない。
「……零奈さん」
「……少しだけ」
小さな声。
「本当に、少しだけですから」
弱ると人は甘えたくなる。
頭では分かっている。
分かっている、はずなのに。
今の零奈さんは、どこか危うかった。
「……はぁ」
小さく息を吐いて、僕は再び椅子へ座り直す。
すると零奈さんは、ほんの少しだけ安心したように力を抜いた。
「……すみません」
「だから謝らなくていいですって」
そう返すと、零奈さんは静かに目を細める。
「和真さんは、本当に昔から変わりませんね」
「そうですか?」
「ええ」
懐かしそうに笑う。
「小さい頃から、困っている人を見ると放っておけない子でした」
「そんな大層なものじゃないですよ」
苦笑しながら返す。
すると零奈さんは、ゆっくり首を横へ振った。
「そんな事ありません」
その声は、とても優しかった。
「だから……救われたんです」
「……え?」
思わず聞き返す。
すると零奈さんは、一瞬だけ迷うように視線を落としてから──
「火事の後」
ぽつりと呟いた。
「正直、怖かったんです」
静かな夜だった。
だからこそ、その声はやけにはっきり聞こえた。
「娘達は気丈に振る舞っていましたけど……本当は、私が一番不安だったのかもしれません」
細い指が、シーツをぎゅっと握る。
「全部なくなってしまって。帰る場所もなくて。これからどうなるのかも分からなくて」
そこで、零奈さんは小さく笑った。
「……母親なのに、情けないですよね」
「そんな事ないです」
気づけば、即座に言葉が出ていた。
「怖くて当たり前でしょ」
零奈さんが、ゆっくりこちらを見る。
「でも、あの時」
僕は少しだけ笑った。
「うちに来ればいいって言った時、零奈さん泣きそうでしたよ」
「っ……」
零奈さんの肩が、小さく震える。
「……覚えてたんですか」
「そりゃ覚えてますよ」
あの日から、全部が変わったのだから。
「……和真さん」
零奈さんが、小さく僕の名前を呼ぶ。
その瞳は、熱のせいだけじゃない熱を帯びていた。
「私は……」
そこまで言って、零奈さんは言葉を止める。
代わりに。
そっと手が伸びてきた。
頬へ触れる、少し熱い指先。
「……大きくなりましたね」
ぽつりと落ちた声。
その言葉に、胸の奥が妙にざわつく。
近い。
近すぎる。
なのに。
離れようとは思えなかった。
「……零奈さん」
名前を呼ぶ。
すると零奈さんは、はっとしたように我へ返った。
「っ……ご、ごめんなさい」
慌てて手を離す。
「熱のせいで、変な事を……」
「いや……」
否定しようとして、言葉が止まる。
変なのは、多分僕も同じだった。
静かな部屋。
近い距離。
弱った零奈さん。
そして。
触れられた場所だけが、やけに熱かった。
「……薬、取ってきます」
それだけ言って立ち上がる。
逃げるみたいに。
そんな僕の背中へ向けて──
「……ふふ」
小さな笑い声が聞こえた。
振り返ると。
零奈さんは、どこか困ったように。
でも少しだけ嬉しそうに笑っていた。
その表情が。
なぜだか、頭から離れなかった。
薬と水を持って部屋へ戻る。
「失礼します」
静かに扉を開けると──
「……」
零奈さんは、ベッドへ横になっていた。
そして。
普段のスーツ姿とは違う格好に、一瞬だけ視線が止まる。
薄いクリーム色のネグリジェ。
柔らかな生地が身体のラインをぼんやりと浮かばせていて、熱のせいか少し乱れた髪と相まって、いつもよりずっと年相応の女性らしさが強く見えた。
「……和真さん?」
ぼんやりした声。
「あ、すみません。起こしました?」
「いえ……」
零奈さんはゆっくり身体を起こそうとして──
「っ……」
少しだけ顔をしかめる。
「無理しないでください」
慌てて近づき、背中を支える。
その瞬間。
ふわり、と甘い香りが鼻を掠めた。
近い。
思っていた以上に。
熱を持った身体と、柔らかな髪が触れそうな距離に、妙に鼓動が速くなる。
「……ありがとうございます」
零奈さんは、小さく笑った。
けれど、その頬はまだ赤い。
「薬、飲めます?」
「はい……」
コップを受け取る指先は、少しだけ熱かった。
薬を飲み終えると、零奈さんはほっと息を吐いて再びベッドへ身体を預ける。
「……すみません」
「だから謝りすぎですって」
苦笑しながら返す。
すると零奈さんは、少しだけ困ったように笑った。
「でも、迷惑をかけているので」
「迷惑だなんて思ってませんよ」
即答だった。
その言葉に、零奈さんの目が少しだけ揺れる。
「……和真さんは、ずるいですね」
「え?」
「そんなふうに優しくされたら……甘えたくなってしまいます」
熱のせいだろうか。
いつもより声が弱い。
だからこそ、その一言が妙に胸へ残った。
静かな沈黙。
時計の音だけが、部屋へ小さく響いている。
「……もう遅いですし」
僕は立ち上がる。
「今日はゆっくり休んでください」
「……」
すると。
「……和真さん」
また、小さく名前を呼ばれた。
振り返る。
零奈さんは少し迷うように視線を揺らしてから──
「……もし、よかったら」
そっとシーツを握る。
「少しだけ……隣にいてくれませんか?」
「……っ」
一瞬、息が止まりそうになる。
弱っているからだ。
不安なのだろう。
頭では分かっている。
分かっている、はずなのに。
ネグリジェ姿の零奈さんが、熱で潤んだ瞳でそんな事を言うものだから、妙に意識してしまう。
「……少しだけですよ」
そう返すと、零奈さんは安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます」
零奈さんの横へと布団に入る。
すると零奈さんは、まるで無意識みたいに、そっとこちらへ寄ってきた。
「……あたたかい」
ぽつり、と零奈さんが呟く。
その声は、どこか安心しきっていた。
肩が触れる。
腕が触れる。
柔らかな熱が、じわじわと伝わってくる。
近い。
けれど、不思議と嫌じゃなかった。
「……和真さん」
「はい?」
「もう少しだけ……近くてもいいですか?」
小さな声。
拒絶されるのを怖がるみたいな聞き方だった。
「……はい」
答えた瞬間。
零奈さんは安心したように、小さく息を吐いた。
そして。
そっと僕の肩へ頭を預けてくる。
「……っ」
心臓が跳ねる。
柔らかな髪が首元へ触れた。
甘い香り。
熱を持った吐息。
全部が近すぎる。
なのに──
「……安心します」
零奈さんが、小さく呟く。
その声は、どこか眠たそうだった。
「最近、ずっと気を張っていたのでしょうね………頑張りすぎなんですよ」
「ふふ……そうかもしれません」
零奈さんは静かに笑う。
そして。
「……和真さん」
「はい」
「ありがとうございます」
その言葉を最後に。
零奈さんの呼吸が、少しずつ穏やかになっていった。
眠ったのだろう。
僕の肩へ頭を預けたまま、零奈さんは安心したように小さく寝息を立て始める。
「……」
静かな夜だった。
けれど。
僕の心臓だけは、全然静かじゃなかった。
近すぎる距離。
柔らかな体温。
そして。
無防備に眠る、大人の女性。
「……寝れるかこんなの」
小さく呟く。
けれど。
そんな事を思いながらも。
零奈さんを起こさないように、そっと肩を支える自分がいた。
その温もりが。
なぜだか、ずっと離れなかった。
気づけば、窓の外はすっかり静かになっていた。
時計を見る。
時刻は、もう深夜一時を回っている。
「……」
それでも。
僕の肩へ頭を預けたまま、零奈さんは穏やかな寝息を立て続けていた。
普段なら、こんな無防備な姿は絶対に見せない人だ。
秘書として働いている時の零奈さんは、母さんですら圧倒されるほど完璧で。
家では五つ子達を支え続ける母親で。
弱音なんてほとんど吐かない。
だからこそ──
今こうして、自分へ寄りかかって眠っている姿が妙に現実感を失わせていた。
「……ん……」
小さな寝息。
その拍子に、零奈さんの身体が少しだけこちらへ寄る。
大きくて柔らかな乳房の感触が腕へ触れた瞬間、思わず息が止まりそうになる。
近い。
本当に近い。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
駄目だ。
意識するなと言う方が無理だった。
ネグリジェ越しに伝わる体温。
髪から香る柔らかな匂い。
そして、時折触れる吐息。
全部が、妙に理性を揺らしてくる。
「……和真さん」
不意に、小さな声。
「っ……起きてたんですか?」
慌てて視線を向ける。
すると零奈さんは、まだ少し眠そうな目でこちらを見上げていた。
「……すみません」
「いや、別に謝らなくていいですって」
そう返すと、零奈さんは小さく笑う。
「ふふ……本当に優しいですね」
熱のせいか。
その声は、いつもよりずっと甘く聞こえた。
「……寝れないんですか?」
「少しだけ……」
零奈さんはゆっくり目を閉じる。
「安心すると、逆に眠れなくなる時ってあるんですね」
その言葉に、少しだけ苦笑する。
「それ、僕も今同じです」
「……ふふ」
零奈さんが、小さく笑った。
そのまま。
そっとこちらを見上げてくる。
距離が近い。
暗い部屋の中。
互いの呼吸だけが静かに重なっている。
「……和真さん」
「はい」
「大きくなりましたね」
また、その言葉だった。
「昔は、こんなに小さかったのに」
そう言いながら、零奈さんはそっと僕の手へ触れる。
細くて、少し熱い指先。
「気づけば……私よりずっと頼もしくなっていて」
静かな声。
でも。
その瞳はどこか揺れていた。
「……和真さんがいなかったら」
ぽつり、と零奈さんが呟く。
「今の私は、きっとここにいませんでした」
「そんな事──」
「あります」
はっきりと言い切られる。
「だから、私は……」
そこまで言って。
零奈さんは、少しだけ困ったように笑った。
「……駄目ですね」
「え?」
「弱っていると、余計な事ばかり考えてしまいます」
そう言って目を伏せる。
けれど。
僕の服を掴む指だけは、離れない。
「……零奈さん」
名前を呼ぶ。
すると零奈さんは、ゆっくりこちらを見る。
近い。
少し動けば、触れてしまいそうな距離。
「……今だけですからね」
零奈さんが、小さく笑った。
「少しくらい、甘えても」
その声は。
どこか寂しくて。
どこか切なくて。
そして──
妙に、綺麗だった。
気づけば僕は、そっと零奈さんの頭へ手を置いていた。
「……和真さん?」
「ちゃんと甘えてください」
優しく撫でる。
すると零奈さんは、一瞬だけ目を見開いて──
やがて。
安心したみたいに、小さく目を細めた。
「……ずるいですね」
「何がです?」
「そんな事されたら……」
そこで言葉が止まる。
代わりに。
零奈さんは、そっと僕の胸元へ額を預けてきた。
「……離れたくなくなります」
か細い声。
けれど、その一言だけで。 胸の奥が、ひどく熱くなった。
静かな夜だった。
でも。二人の間に流れる空気だけは、少しずつ変わり始めていた。
「……零奈さん」
小さく名前を呼ぶ。
すると零奈さんは、僕の胸元へ額を預けたまま、静かに目を細めた。
「はい……?」
熱を含んだ吐息が、服越しにじんわり伝わる。
近い。
近すぎる。
なのに、不思議と離れたいとは思わなかった。
「……本当に、無理しすぎなんですよ」
ぽつりと呟く。
「五つ子の事も、仕事の事も……全部、一人で抱え込みすぎです」
「……母親ですから」
零奈さんは、小さく笑った。
「私が頑張らないと、あの子達が安心出来ません」
「でも、零奈さんが倒れたら意味ないでしょ」
そう返すと。 零奈さんは、少しだけ驚いたようにこちらを見る。
「……怒ってます?」
「少しだけ」
苦笑混じりに言う。
「もっと頼ってくださいよ」
「……頼っていますよ?」
零奈さんは、どこか困ったように笑う。
「こうして、隣にいてもらってますから」
「それは……」
言葉に詰まる。
そんなふうに真っ直ぐ言われると、調子が狂う。
すると零奈さんは、くすっと小さく笑った。
「和真さん、昔からこうですよね」
「何がです?」
「照れると、すぐ目を逸らすところ」
図星だった。
思わず視線を逸らすと、零奈さんの笑みが少しだけ深くなる。
「……本当に、大きくなりましたね」
「またそれ言う」
「だって、本当ですから」
零奈さんは優しく目を細める。
「昔は、私の後ろをついて歩いてばかりだったのに」
「それは小さい頃の話でしょ」
「ふふ……そうですね」
懐かしそうに笑う横顔。
その表情が、妙に綺麗だった。
窓の外では、風が静かに木々を揺らしている。
部屋の中は薄暗くて。 互いの体温だけが、やけにはっきり感じられた。
「……和真さん」
「はい?」
「少しだけ、手……握ってもいいですか?」
遠慮がちな声だった。
「……そんな聞き方しなくても」
苦笑しながら、自分からそっと手を重ねる。
すると零奈さんは、一瞬だけ目を見開いて── やがて、安心したように力を抜いた。
「……あたたかい」
ぽつり、と零奈さんが呟く。
その細い指が、そっとこちらの手を握り返してくる。 熱を持った掌。
けれど、不思議と嫌な熱じゃなかった。
「こうしてると……安心します」
「子供みたいな事言ってますよ」
「病人は、少しくらい許されるんです」
珍しく少し拗ねたような言い方。
その姿が、いつもの“しっかりした母親”とは違いすぎて。
思わず小さく笑ってしまう。
「……笑いましたね?」
「いや、ちょっと新鮮で」
「もう……」
零奈さんは恥ずかしそうに目を伏せる。 けれど。 繋いだ手だけは、離れなかった。
しばらく、静かな時間が流れる。
時計の音。
穏やかな呼吸。
時折聞こえる、夜風の音。
その全部が、不思議なくらい心地良かった。
「……和真さん」
「はい」
「ありがとうございます」
また、その言葉だった。
「今日、隣にいてくれて」
「……当然です」
そう返すと。
零奈さんは、少しだけ目を潤ませながら笑った。
「やっぱり、優しいですね」
「だから普通ですって」
「その“普通”に、何度も救われてるんですよ」
静かな声だった。
けれど。 その言葉は、まっすぐ胸へ落ちてくる。
「……だから」
零奈さんは、ゆっくり瞳を閉じる。
「もう少しだけ……こうしていてください」
その声音は、どこか眠たそうで。 でも、とても安心した響きをしていた。
「……分かりました」
小さく答える。
すると零奈さんは、満足そうに微笑んで。
今度こそ、本当に安心したように僕の肩へ身体を預けてきた。
やがて。 穏やかな寝息が聞こえ始める。
「……寝たか」
小さく呟く。
握られたままの手。
肩へ預けられた体温。
そして、柔らかな髪の香り。
全部が近すぎて、心臓には悪い。
それなのに。
「……離せないな」
苦笑混じりに呟きながら。
僕は起こさないよう、そっと零奈さんの頭を支え直す。
窓の外では、静かな夜が続いていた。
けれど。
その夜はきっと。 僕にとって、忘れられない夜になっていた。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
今回は、零奈の弱さを中心に描いてみました。
特に零奈は、 普段しっかりしている人ほど、弱った時に誰かへ甘えたくなる──そんなイメージで書いています。
だからこそ今回の距離感は、 “恋愛”というより、 安心感や温もりへ縋ってしまう夜に近いのかもしれません。
ただ、その安心感が少しずつ特別なものへ変わっていく。 そんな危うさも感じてもらえていたら嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!