Meine Ehre heißt Treue ~遠坂家の使用人~ 作:彼処舐ノ助嗅過
「奥様、朝食の準備が整いました。……奥様? 」
僕は庭で空を見上げている奥様に声をかけるが反応が無いので、心配になって駆け寄る。見れば、どうやらボーっとしてしまっているようだった。
「どうされましたか? お体の具合でも悪いのですか?」
僕がそう尋ねるとようやく我に返り、僕の顔を見る。そして少し慌てた様子で僕に言った。
「な、なんでもないわ、スヴェンくん。 ちょっと考え事してただけだから」
「そうですか。体調が悪いようでしたらすぐにお申し付けくださいね」
僕はそう言うと、朝食の準備ができていることを再度告げてテーブルに向かう。
「奥様、僕は朝食を食べたら凛様と買い物に行ってまいります。何か必要な物があれば教えてくださいね!」
「ありがとう、スヴェンくん。凛、スヴェンくんにあまりおねだりしちゃダメよ?」
凛様はギクッとしたような表情をする。これはこっそり何か欲しいものでもあるんだな。
彼女は慌てて首を振る。
「だ、大丈夫! スヴェンにおねだりなんてしないから!」
そんな凛様の様子に、僕と奥様は顔を見合わせて笑うのだった。
「それじゃあ奥様、凛様と一緒に買い物に行ってまいりますね」
禅城邸を出て、僕は凛様と2人で歩き出す。
「さて、凛様。今日は僕が奥様に内緒で、何か欲しいものを1つ買ってあげましょう」
「本当に!?」
凛様が嬉しそうに目を輝かせる。やっぱりおねだりするつもりだったんだな。
「ええ、何かリクエストはありますか? お菓子でもお洋服やアクセリーでも、何でも大丈夫ですよ」
僕がそう言うと、凛様はしばらく考え込むと、やがて口を開いた。
「じゃあ、新しいお洋服が欲しいかな?」
「わかりました。それでは買いに行きましょう」
僕は凛様の手を引いて、街へ繰り出すのだった。
その頃、禅城邸では。
「凛もスヴェンくんもいない……。今しか……ない」
葵は自室のベッドに座ると、ポケットから朝手に取った、洗濯前のスヴェンの下着を鼻に押し当てる。
「はぁ……スヴェンくんの匂い……あぁ……」
(2人が帰ってくるまでもう少し時間があるわよね……)
葵はそう考えながら、下着を嗅ぐ。
葵にとっては、第二子である桜が生まれてからこういった行為自体と縁遠いものになっていた。万が一にも新たな命が宿るのを避けるために、時臣は葵が桜を出産後には頑なに性交渉を拒んだ。
凛と桜の2人の時点でどちらか1人を後継者に選ばなければならず、もう1人は落伍者になってしまうのは必然だった。これ以上、不幸になる子供が生まれる可能性がある行為は避けるべきだ、と。
それ以降は葵もまだ若い女性ながら、時臣の方針に従ってそういった欲求を抑え込んできた。
もちろん時臣以外にそういった感情を抱くことはこれまで無かったが、愛する人に求められないという事実は彼女が気付かないうちに、彼女を傷つけ、苦しめていた。
しかし、時臣が弟子として身寄りのないスヴェンを自宅に引き取ったことにより、その環境は変わった。
今まで家族以外の人間とほとんど交流する機会がなかった葵だったが、スヴェンはすぐに遠坂家に馴染んだ。
葵は息子や弟のようにスヴェンに接していたが、異性として考えたことはこれまでなかった。それは彼女が、時臣を心から愛していたことや、現状の生活を受け入れていたからだった。
しかし異性としては意識していないものの、元々精神的な支えになっていた彼がこの聖杯戦争での日々の中で、より大きな存在になりつつあったのだ。
聖杯戦争の勝負の行方も、今後のことも不安で仕方がない中、昨日の夜にスヴェンとお酒を飲んだ時間は彼女の心を救っていた。
もっと話をしたい、もっと一緒にお酒を飲んでいたい、不安な自分をそっと抱きしめて欲しい。
そんなふうに思っていたが、立場上、葵はそのようなことは決して口に出せなかった。
そして今朝、洗濯の時に偶然スヴェンの濡れた下着を発見した葵は、これまで数年間溜まっていた欲望、聖杯戦争の結果や今後の人生に対する不安、スヴェンに対する親愛の情、現状から目を背けたい想い、そして新たに芽生えた、スヴェンに対する異性としての欲望。それらの感情が一気に爆発して、理性では抑えきれなくなってしまったのだ。
「あぁ……、ダメよ私……」
(こんなことしちゃいけないのに……)
そうは思いつつも、葵は下着から漂うオスの匂いにすっかり夢中になっていた。彼女は無意識のうちに自らの手を下半身へと伸ばしていく。
「……んっ」
葵は自分の秘所に触れると思わず声が出てしまう。
そのまま指を動かし始めると、彼女の体はビクンっと反応するのだった。
「んっ……あ……」
葵はスヴェンの下着に顔をうずめながら指を動かし続ける。
彼女は自分のしていることがとても悪いことだとは分かっているものの、どうしても止めることができなかった。それは溜まりに溜まったものが表出した結果だった。
(スヴェンくん、あなた、ごめんなさい……)
そう思いながらも葵は手を動かし続ける。そしてついに絶頂を迎えた。
「はぁ……はぁ……私ったら……」
絶頂に達した後、冷静になった葵は自己嫌悪するのだった。
だが、一度火が付いた体はそう簡単には収まらなかった。彼女は再び下着を鼻に押し当てる。
するとすぐに彼女の体は反応し始めてしまうのだ。
(夫が命を懸けて戦っているのに、私は最低な妻だわ。……でも、ごめんなさい。止まらないの)
「スヴェンくん……、スヴェンくん……」
そう呟きながら、葵は欲望に身を任せてしまう。数年ぶりに解放された淑女の欲望は、もう止まりそうになかった。
「はぁ……はぁ……」
「買い物から戻りました」
「ただいま~!」
僕は凛様と2人で必要な買い物を済ませ、奥様と凛様が大好きなケーキを買って帰宅した。凜様に可愛いお洋服を買ってあげたのは内緒だ。すぐにバレちゃうだろうけど。
「お、お帰りなさい……」
2人は僕らを出迎えてくれるが、どこか様子がおかしいように感じる。……主に奥様だが。なんだか顔が赤いような?
「どうかされたのですか?」
「え、えぇ……ちょっと体調が優れなくて……。申し訳ないけど、お昼を食べたら少し横になるわね」
奥様はそう言うと、リビングのソファーに座る。
「奥様、きっと心労によるものもあるのでしょう。ゆっくりお休みください」
僕はそう言って、買ってきたケーキを冷蔵庫に入れる。
「お母様を休ませてあげないとね。スヴェン、お部屋で遊びましょ」
凛様はそう言うと僕の手を引いて部屋に連れ出そうとする。奥様の体調が気になるところだが、少し横になるだけだから心配いらない、と言われてしまった。
凛様と遊んだら、15時ころに一度様子を見に行こう。
僕は凛様と一緒にケーキを食べ、一緒に絵本を読んだりおままごとをしたりして遊んだ。
奥様の体調は大丈夫だろうか? しばらくして様子を見に行くと、やはり奥様はベッドで横になっていて、どこか苦しそうだった。
「奥様、大丈夫ですか?」
僕がそう声をかけると奥様は僕を見る。そして少し驚いたような顔をした。
「スヴェンくん……。ええ、ちょっと熱っぽくて……」
「そうですか。何か僕にできることがあったら言ってください」
「……ありがとう、寝ていればきっと治ると思うわ」
「わかりました。何かあればすぐにお呼びくださいね」
僕はそう言うと部屋から出るのだった。
「スヴェン、お母様の具合はどうなの?」
2人でリビングに戻ると、凛様は心配そうに僕に尋ねる。
「少し熱があるようでしたけど、寝ていれば治るとおっしゃっていましたよ。顔色は赤かったのですが、声はいつも通りのようでした」
僕がそう答えると、凛様はホッとした表情を見せる。
「……良かったぁ。きっと、お父様のことを心配してるんだわ……」
「ねぇ、スヴェンくん」
凛様とリビングで遊んだあと、夕食の準備のためにキッチンに向かうと奥様に声をかけられた。
「あ、奥様。今ちょうどおかゆを作ろうと思っていたんですが、もう大丈夫なのですか? まだ顔が赤いようですが」
僕がそう言うと、奥様はうなずく。
「ええ、もう大丈夫。心配をかけてごめんなさいね。夕飯、一緒に作りましょうか?」
「本当にもう大丈夫なのですか……? お熱があるようなので、まだお休みになられた方がいいかと……」
しかし奥様は大丈夫だから、の一点張りだ。まぁ奥様がそう言うなら……。
今日のメニューは、奥様のためのおかゆと、鰻の蒲焼き、ほうれん草のおひたしなどだ。
栄養をたくさんとって早く元気になってほしいという思いを込めて、奥様の好物を中心に作った。
「スヴェンくん……あぁ……スヴェンくん。ありがとう……」
奥様の様子がいつもと少し違う気がするけど、あまり気にしても仕方がない。あまり長いこと視線を合わせていると、奥様の優しい瞳が僕を狂わせる。
「はい、どうぞ。召し上がってください」
奥様はおかゆを食べるが、どこか物足りなさそうな表情だ。
「あれ? お口に合わなかったですか……?」
すると奥様は首を振る。そして突然僕に抱き着いてきた。僕は思わずバランスを崩しそうになるがなんとか堪えた。
「あの……奥様?」
しかし彼女は何も言わないまま僕の胸に顔をうずめている。その様子はまるで子供のようだった。
少し戸惑ったものの、僕もそっと彼女の肩に手を置く。すると彼女はビクッと体を震わせたあと、また強く抱きしめてきた。
「お願い……少しだけ、このままでいさせて……」
僕は彼女の不安や恐怖を察して、そっと抱きしめ返す。しばらくの間、そのまま抱き合っていた。
翌日の夕刻、時臣様と言峰さんが禅城邸にやって来た。
言峰さんはいつもと変わらずだったが、時臣様の表情を見て、聖杯戦争があまり思わしく進んでいないことが感じ取れた。
「やぁ、スヴェン、葵。変わりないかな?」
時臣様の声を聞いた奥様は、思わず彼の胸に飛び込む。
「……君たちにも凛にも気苦労をかけてすまない。聖杯戦争は、私が想像していた以上に苛烈な戦いだった」
そこから時臣様は、聖杯戦争での戦いについて教えてくれた。キャスターが神秘の秘匿を無視して大暴れしたこと、監督役である教会の神父、言峰璃正氏が何者かに殺害されたことなど、想定とは大きく異なってしまっているのだという。
絶望的ではないにしても、あまり思わしくない展開なのだろう。
僕と奥様には、どうしてこのタイミングでここに顔を出したのかが、わかってしまう。
時臣様は万が一について、真剣に考えているのかもしれない。だからこそ、奥様と凛様に会いに来た。特に遠坂家の跡継ぎとなられる凛様に、伝えておきたいことがあるのだろう。
「スヴェン、少し葵と2人にさせてもらえるかな?」
「かしこまりました。僕は、言峰さんと話していますので、どうぞごゆっくり」
僕は時臣様に一礼して、言峰さんと共に彼の車に乗り込む。
「言峰さんも聖杯戦争での戦い、本当にお疲れさまです。言峰さんもアサシンのサーヴァントを失い、お父上も亡くなられたと」
助手席に座る僕は、言峰さんに話しかける。
「ああ、手痛い損失だった。まさかライダーがあの場であれほどの宝具を使用するとは、完全に想定外だった。それに……父のことは悔しくてならない」
言峰さんの表情はいつものように落ち着いているが、心の中ではお父上の死を悲しんでいることだろう。
「まぁ、この聖杯戦争における私の役割は終わったということかもしれんな。……それよりもスヴェン……」
そこまで言って言峰さんは沈黙してしまう。
「……どうされました?」
僕が尋ねると、彼はこちらに視線を向ける。
「……奥様のことをどう思っている?」
「はい?」
僕は言峰さんの意図が読めず、思わず聞き返してしまう。
「もう一度問う。奥様のことをどう思っている? 今は車に2人きりだから遠慮せずに教えてくれないか?」
「あの……奥様のことは好きです。僕を遠坂家の使用人として迎えていただいて、感謝しています」
僕の回答が気に入らなかったのか、言峰さんはふぅとため息をつく。
「それで……。本当にそれだけか?」
「それだけ……? もちろんです」
僕の返答に言峰さんは再びため息をつく。その様子は、まるで失望しているかのようだ。
「まぁいい……私に言いたくないと言うのならな。今の質問は、気にしないでくれ。君ならば、私以上に持ち合わせていると思っていたのだよ」
言峰さんが言った、"持ち合わせている"というのはなんのことかはわからないけど、彼は僕の奥様への恋心や欲を見抜いているのだろう。
だけど、いくら兄弟子の言峰さんにといえども、僕の奥様への気持ちを公言するわけにはいかない。
そんなことを考えながら、車の中から時臣様と凛様が話している姿を見ていた。
時臣様は目線を凛様に合わせ、彼女の髪を撫でている。
こちら側からは凛様の表情しか見えないが、きっと時臣様は優しい顔をしているのだろう。
凛様が時臣様から、本を託されていた。
僕にだってわかる。時臣様は万が一自分が戻らない可能性を考えて、凛様に魔術師として伝えるべき言葉を遺されているのだ、と。僕の胸にも迫るものがあった。
隣を見ると言峰さんは、いつもよりも遠い目をして何かを考えているようだった。
「では、スヴェン。このあとのこともよろしく頼むよ。君は遠坂に必要な男だ」
時臣様は僕の肩に手を乗せ、そう言うと言峰さんの車に乗り込む。
時臣様の言葉を聞いた瞬間、僕は思わず涙が込み上げそうになったが、堪えて力強くうなずく。
「いってらっしゃいませ、時臣様。言峰さん」
僕はお辞儀をして車を見送った。
(大丈夫、時臣様ならきっとどんな局面でも乗り切ってくれるはず。どんな時でも余裕を持って優雅たれ……それが遠坂の家訓であり、時臣様は常にその生き方を大事にされてきた)
僕は2人を乗せた車が消えるまで見送っていた。
葵は時臣の表情や話の内容から、自らの死を覚悟していることを強く感じ取った。
『大丈夫、帰ってくるつもりだ。だが、凛や君に伝えるべきことは伝えておこうと思ってね』
時臣の言葉と顔を思い出す葵。
葵自身も覚悟を決めていたにも関わらず、揺らいでしまう。そして、最近の自分の情けない行動を思い出して、時臣に対する罪悪感で押し潰されそうになっていた。
最後に送り出すときも「愛しています」という言葉を言えなかった。
いつもなら伝えていたが、喉元まで出かかったものの、言葉にして伝えることができなかった。
死をも覚悟しながら戦っていた夫を心配しながらも、自らはスヴェンに対する欲望に支配され、その欲に身を任せていたのだから。
その言葉を言う資格も、彼に言ってもらう資格もない、と葵は自分が夫を裏切ったことに強い罪悪感を抱いていた。
実際にスヴェンとなにかしたわけではないが、スヴェンの匂いを感じ、彼との情事を妄想して欲の解放に耽った。自分は最低な人間だ、と。
(妻として、人としてあるまじき行為よ……本当にごめんなさい、あなた……。でも……どうか、どうか生きて帰って来て……)