Meine Ehre heißt Treue ~遠坂家の使用人~ 作:彼処舐ノ助嗅過
凛様と一緒に病院にいた僕は、冬木市で大火災が起きたと聞き、言峰さんの安否や遠坂邸の状況を調べるために聖杯戦争終結の夜に冬木市に向かっていた。
現場は酷い状況だった。とてもじゃないが遠坂邸を確認しに行くことも、言峰さんの安否を確認することもできなかった。
目の前で広がる火災と、焼かれた者の死体、建物に潰された者の死体……。
この世の地獄のような光景が広がっていた。思わずあの大戦を思い出す……。
それから程なくして聖杯戦争は終わった。
聖杯戦争の勝者は誰だったのか……。
言峰さんはセイバーのマスターによって、聖杯が破壊されたため勝者はいないと言っていたが……。
奥様は無事に退院されたが、間桐雁夜の手で強く首を絞められたことで酸素欠乏症で少し運動機能に少し障害が残った。
そのせいで走ったり、早く歩いたりすることができなくなってしまった。
そしてなにより時臣様を喪い、さらに彼を殺害したのが幼馴染である間桐雁夜であるという事実が彼女の心に深い傷を残してしまった。
医者の話では僕が人工呼吸等の応急処置を施したことで、脳への障害やもっと酷い運動機能の低下は避けられたのだそうだ。もしもあのまま放置していれば最悪の場合死に至り、仮に生き延びたとしても、幻覚や健忘といった症状に悩まされ、歩くこともできなくなっていただろうとのことだった。
だけど今の奥様を見ていると、その不幸中の幸いすら受け入れがたいことだと思ってしまう。
奥様の退院からわずか数日後、時臣様の葬儀が執り行われた。
奥様が喪主であったが、やはり本調子ではなく、娘の凛様が代わりに挨拶などを務める場面もあった。
凛様だって悲しいだろうに、幼さを感じさせないほどに立派な立ち居振る舞いをされていた。
時臣様から引き継いだ遠坂家を守っていく覚悟がすでにできているのだろう。
その一方で、僕はまだ時臣様の死を受け入れられないでいた。
葬儀の間中ずっと現実感がなく、まるで夢の中にいるような感覚だった。
「奥様は、まだ休まれた方がよいかと……。心中お察しいたいします。……凛、新たな当主の初舞台としてまずは十分な働きだ。お父様もさぞや鼻が高いことだろう。ご苦労だった」
それから凛様、奥様、言峰さんは何か話をしているようだった。
「またしばらく、私は日本を留守にするが。今後について何か、不安はあるかね?」
「無いわよ、アンタに頼ることなんて何も!」
言峰さんの問いに凛様が怒りをぶつけるに言う。
最後に言峰さんは凛様に、時臣様からいただいたというアゾット剣を贈っていた。それにはさすがの凛様も涙を堪えられなかったようだ。
僕はそっとその場を離れ、時臣様のお墓を再び訪れていた。
「時臣様……。貴方の死を受け入れられない自分がいます……。どうして貴方が……」
涙が溢れてくる。今はただ、悲しみと喪失感に押し潰されそうだった。
時臣様がいなかったら僕は……きっと何もかも変わったドイツに馴染めずに命を落としていたか、犯罪者になっていたかもしれないのだから。
感謝してもしきれない。
「スヴェン」
そんな僕に背後から声がかかる。振り返るとそこには言峰さんがいた。
「言峰さん……」
「……師もまさかこんなことになるとは思わなかっただろう。私がもっとしっかりしていればこんなことには……」
「いえ、言峰さんも力を尽くしたと思います。ただ、聖杯戦争というのは何が起こるかわからないのですね……」
僕は時臣様ほどの優れた魔術師が、あれだけ万全に準備していても命を落としてしまうのだということを改めて痛感させられる。
「ああ、本当に……。本当に聖杯戦争とは何が起こるかわからない・・・・・・・・・・・ものだ……。さて、凛に話しているのを聞いていたかもしれんが……私はしばらく日本を離れるが、君はどうする?」
言峰さんの問いに対する僕の答えは決まっていた。
「僕は……しばらくは遠坂家に残るつもりです。奥様のことも心配ですし、凛様もああ見えて無理をしているはずですから」
僕の答えを聞いた言峰さんは、フッと笑みを浮かべるとうなずいた。
「キミならばそう言うと思っていたよ。これで私も安心して日本を離れられるというものだ」
「はい、お任せください」
僕の言葉を聞いた言峰さんは僕に背を向けて歩き出したが、少し歩いて振り返る。
「そうだ。一つ伝え忘れたことがある」
「はい、なんでしょうか?」
言峰さんの表情は今まで以上に真剣だった。
「師は私に凛の後見人になるように遺言書を書いた。そして遺言書には書かれていなかったが、もしも自分に何かあった時、君に伝えて欲しいことがあると言われていたのだよ。彼は君にこう伝えてくれと言っていた」
『私が亡き後、凛は綺礼くんに後見人になってもらう。スヴェン……君には私の妻である葵のことを頼みたい。いなくなってしまった私の代わりに彼女を、できるだけ幸せにしてやって欲しい。君ならそれができるし、やってくれると信じている』
僕はその言葉を聞いて驚きを隠せない。
「ど、どういう……ことですか?」
「おそらくはそのままの意味だろう。君に奥様を託すと言っているのだよ、スヴェン。……だが、どう受け止めるかは君次第だろう。では、そろそろ行くとするよ」
今度こそ歩き去って行く言峰さんを見ながら、心の中で時臣様の言葉を思い返す。
僕に奥様を託す……。奥様を、できるだけ幸せにしてやって欲しい……。僕にとって奥様は、文字通り命の恩人であり尊敬できる女性であり……そして……。
かなり前から時臣様と同じくらいに、奥様のことを愛しく想っていたんだ。いや……愛してる。
時臣様は、僕のそんな奥様に対する恋心に気付いていて、自分が亡くなった場合は僕に奥様を支えてもらうようにと考えたのだろうか。
僕自身が遠坂家にこれからも仕えることを望み、時臣様もそう仰られたのなら、僕は少しでも奥様が幸せに過ごせるように全力を尽くすだけだ!
「奥様……僕は……」
そう、僕のこの想いはきっと許されるものではないだろう。
それでも僕は、時臣様や奥様への恩に報いたい。
そして何より、愛する人に幸せになってもらいたいんだ。だから、僕は遠坂家に仕える。
「時臣様、奥様のことは命をかけてお守りします! 凛様も言峰さんが立派な当主に育てます。ですから、どうか天国から見守ってください!」
僕は、時臣様と奥様の墓石の前で誓いを立てるのだった。
「ふっ、夫である時臣氏の許しが欲しかったのだろう、スヴェン。悪く思わないでいただきたい、わが師よ。これで夫後任というわけだ。これで少しは、日本に帰って来る時の楽しみが増えるというものだ。次に来た時には、早くもスヴェンと遠坂葵の関係が変化しているかもしれんな」
言峰綺礼は、墓地を背に歩きながら不敵にほくそ笑む。
「スヴェン、私はこれでも期待しているのだ。恩や忠義などというくだらないものを見せてくれるなよ? お前の欲望を見せてくれ。亡き恩人の妻を寝取り、屈服させる。お前の汚らわしい欲望、そしてその果ての愉悦を、私に見せてくれ」
言峰綺礼は笑いを堪えられないのか、口元を歪めながらさらに言葉を紡ぐ。
「ふっ、楽しみは多い方がいい……。その時が訪れんことを……」
時臣様の葬儀が終わってから、1週間が経過していた。
奥様は葬儀から数日の間は、悲しみに暮れてほとんど何も手につかない様子だった。
しかし、凛様が気丈にも当主としての務めを果たす姿を見て、少しずつではあるものの元気を取り戻していった。
聖杯戦争の時と変わらず3人で過ごす日々。1つ違うのは、時臣様はもう戻って来ないということだ。それを考える度に、どうしても暗い気持ちになってしまう。
それでもお2人は、なんとか立ち直ろうと頑張っている。
(僕も頑張らないと……)
「大丈夫よ、スヴェンくん。1人で上れるから……」
奥様は階段の手すりを掴みながらゆっくりと階段を上ろうとするも、やはり後遺症で運動機能が低下してしまっており、思うように上れない。
僕は奥様の体を支え、階段を上るのを手伝う。
「奥様、手をお貸ししますよ」
奥様の体に優しく触れながら、ゆっくりと階段を上らせる。
「ごめんなさいね……毎回毎回……」
「いいえ、お気になさらず。僕は奥様のためなら何でもしますから……」
その言葉に嘘はなかった。
この方の笑顔を曇らせるような真似は、もう絶対にさせないと決めているのだから。
「ありがとう、スヴェンくん」
そう言って奥様は微笑む。その笑顔はまだ悲しみを纏っていたけど、やはりとても美しかった。
(この笑顔がいつか心からの笑顔に戻すんだ。……そして今度こそ必ず守ってみせる!)
心の中で改めて決意を固める僕だった。
それから奥様は自室に戻ると、すぐにベッドに横になる。
「スヴェンくん……ごめんね? もう少しだけ1人にさせてね」
僕はそんな奥様に一礼をして部屋を出ると、凛様の部屋に向かう。
ノックをすると中から返事があった。
中に入ると、凛様は机に向かって勉強をしているところだった。僕が入ってきたことに気付くと、ペンを置いてこちらを振り返る。
「どうしたのよ?」
「いえ、特に用事があるわけではないのですが……紅茶とお菓子をお持ちしました。少し休憩されては? 根を詰めすぎても体に障ります」
凛様は時計を見ると、確かにもう3時になっていた。
「そうね。じゃあ少し休憩させてもらうわ」
そう言うと凛様は椅子の背もたれに体を預けて伸びをする。そんな姿を見ていると自然と笑みが溢れてきた。
「……何よ?」
僕の視線に気付いたのか、凛様が訝しげに聞いてくる。
「いえ……。ただ、こうして凛様とお話しできるのが嬉しいのです」
「全くもう……。スヴェンって昔から急に変なこと言うわよね」
そう言いながらも凛様も笑顔で返してくれる。
やはりまだ悲しみを拭い去ることはできないみたいだけど、少しでも元気になってくれてよかったと思う。
それからしばらくの間、凛様と何気ない会話を楽しんだ。
そしてそろそろお暇しようとした時、ふと凛様から質問される。
「ねぇ……スヴェンはさ、お母様のことどう思ってるの?」
突然の質問に少し驚いたけど、素直に答えることにする。
「もちろん敬愛していますよ。奥様がいなければ僕はここにいなかったでしょうし……」
「そっか……。あのね、お母様にとってもスヴェンは大切な人よ。お母様を支えてあげてね」
凛様の言葉に、僕は力強くうなずいた。
「はい、必ず!」
そして今度こそ部屋を後にしようとした時、再び呼び止められる。
「ねぇ……スヴェン……」
振り返ると、凛様は何か迷っているような様子だった。一体どうしたんだろう?
「どうしました?」
と聞くと、彼女は少し躊躇しながらも口を開いた。
「お母様のこと愛してるんでしょ? 私はもう大丈夫だけど、お母様はきっと1人だと立ち直れないから。スヴェンが側にいてあげて。お母様を……助けてあげて」
凛様の言葉には、時臣様の死によって孤独になってしまった奥様への心配と不安が込められていた。
僕はそんな気持ちを感じ取り、力強く答える。
「はい、お任せください! 僕が必ず奥様を支えてみせます!」
その言葉に安心したのか、凛様はようやく笑顔を見せてくれるのだった。
「お父様の葬儀から1年経ったら、お母様とスヴェンは別の場所に移り住むのはどうかしら? ここにいると、いろいろと思い出しちゃうだろうし。……お母様にこれ以上、辛い思いをさせたくないのよ」
突然の提案に驚く僕。
「で、ですが……。それでは凛様が!? 奥様も反対されると思います!」
「大丈夫。……あ、スヴェンとお母様とで一緒に遠坂家の資産は維持管理して欲しいんだけど、それ以外のことは私1人でなんとかするわ。なんてったって私は遠坂家の当主なんだから!」
「しかし……」
「……お願い! ……これ以上、お母様の悲しい顔を見たくないのよ……! ……それに、私は私で魔術の鍛錬に集中できるから」
凛様は目に涙を溜めながらも訴えるように言う。
彼女の決意は固く、その後もなんどか一緒に暮らすことを説得したが、頑として譲らなかった。
口には出さないが、おそらく次の聖杯戦争を見据えているのだろう。父、時臣様が果たせなかった悲願を果たすために。
「……わかりました。それでは凛様のお言葉に甘えさせていただきます。奥様にも話してみましょう」
「ありがとう、スヴェン。……お母様のことよろしくね?」
彼女は涙を拭いながら礼を言うのだった。
僕はその後、奥様の部屋に戻るとすぐにそのことを話したのだが、案の定かなり戸惑われていた。
それでも凛様からの説得もあって最終的に納得していただき、こうして奥様と僕の生活は、1年後に大きく変わることになるのだった……。