異種恋花譚 作:洩矢廻戦
腐れ縁、なんて言葉を軽率に使いたくはない。
金、交友、それから権力。あるいはこの世のあらゆる事象全てに言えることだが、何事も中立が一番良いに決まっている。
どちらか一方に肩入れすれば、必ずもう一方からの反立を生む。
過度に愛せば、失った時の痛みに狂い、過度に憎めば己の身を焼き尽くす。
何事にも深入りせず、適度な距離を保ち、風が吹けば揺れる柳のように身をかわす。それが因幡てゐの持論であり、同時にこの果て無き時を平穏に長生きし続ける為の在り方だった。
現にこうして、太古の昔から幾多の波乱を越えて生き続けている自分という証拠がある。
この長寿こそが、自身の思想の正しさを何よりも雄弁に物語る。
『特別』なんて、これ以上何も欲しくもない。
特別という言葉は、一見すれば魅惑的な甘い響きを帯びている。
だが、実際は世の中で特別な存在になった者たちは決まって何かの嫉妬や恐れを買い、最後に命を落としていく。そんなものをてゐは数え切れない程に見てきた。
だからこそ深入りし過ぎず、野次馬として目先で繰り広げる激動を安全に見物する。
これが一番楽で、一番賢い選択だ。
ダイコク様からの祝福。自分にはそれだけでも充分すぎる程だ。
これ以上の『特別』を望む行為は、己が身を滅ぼす事に他ならない。
いつの時代もそうだった。
だから、自分は身の程を知り、誰よりも賢く在ってみせる。
欲張ったりしない、賢く生きる。
これからも、ずっと、永遠にその考えが変わることはない筈だった。
筈だったのに――。
「今……」
静寂が支配する社殿の中で、てゐは乾いた喉から絞り出すように思わず問う。
「…………今なんて?」
一度深呼吸をして、てゐは自分の置かれた現状を再確認してみる。
今の自分がどの立ち位置にいるのかと誰かに問われれば、その答えはどこをどう切り取っても『特別』という言葉以外で表すことなどできないだろう。
普段は竹林に籠り、静かな隠遁生活を送っているはずの自分が、どうして今は遠く離れたこの『諏訪大国』の社殿の中にいるのか。
どうして、どう考えても途方もない面倒事と災厄をまとめて引っ提げてくるに違いない、目の前で美しいまでの作法で土下座をしている『彼女』と、こうして同じ空間で膝を突き合わせていることを選んでしまったのか。
今更になって、そんな身も蓋もない疑問が頭の中に次々と浮かんでは消えていった。
「…………………………」
無言。
てゐにとっての数少ない友人であり、そして他の誰でもなく、この広大な大国を統べるれっきとした『王』たる存在、絶対的な祭神である彼女は。
今もなお、いっそ美しさすら覚えてしまう程に見事な『土下座』を披露したまま、沈黙を貫き通していた。
彼女の名は洩矢諏訪子。
この諏訪の地を統べる絶対神であり、数多の祟り神や土着神を従える偉大な存在。
そんな、本来はとてつもない威厳を持つ存在が、今は一匹の妖怪兎である『因幡の白兎』相手に、額を床に擦り付けんばかりの体勢で土下座をしているのだ。
もしも彼女を熱狂的に崇拝する信徒たちがこの光景を目撃すれば、己の目を疑うどころか狂乱するに違いない。
そんな、天地がひっくり返ったかのようにあり得ない光景を築き上げている諏訪子は、おずおずと消え入りそうな声で口を開いた。
「……その、さ。最近うちで『巫女』を正式に置いたじゃん?」
「あぁ、うん。それは風の便りで聞いてるけど。さっさとその巫女に、自分の神格や血を残せって命令すればいいだけの話だったろ」
今の時代、いつどこから戦火や人外の侵攻が及ぶか分からない荒れたご時世だ。
巫女の純潔や格式に過剰に拘る文化など、とっくに風化しかけていると言ってもよく、国であろうと人間であろうと、この乱世を生きる人々はより強い『信仰』と、より目に見える強力な『縁起』を喉から手が出るほど欲しがっている。
『巫女』と『祭神』。
神威をこの地に永劫に繋ぎ止める為に、より神聖な血を残す。
となれば、選ぶべき手段は最初から一つしかない。
「それがさぁ……神の血が混じった子が欲しいよねって、うちの従者が何気なく零しやがってね……それを巫女の娘もバッチリ聞いちゃってさ……」
「……」
諏訪子は気まずそうに目線を泳がせながら、更に言葉を続ける。
「……その巫女が、ね?『なら私が貴方様と』っていきなり真面目な顔で名乗りを上げて……」
「……………」
「でも私、『この身体』でどうやって子を残せばいいのかサッパリ分からないし……てかそもそも
「……………」
絶句。
てゐの頭の中で、カチリと何かが音を立てて冷えていく。
「……で?」
あまりの頭の痛さに、てゐはこめかみを指で押さえた。
自分は確かに、過去のいくつかの出来事からなし崩し的に彼女と交友関係を持ち、今の今までズルズルとそれを続けてきた。
それは紛れもない事実だし、否定するつもりもない。
だがだからと言って、別に自分はこの『諏訪』の勢力にどっぷりと肩入れしたつもりなんてサラサラなかった。
あくまでも、自分たちは対等な友人関係であり、国の政策や政治には一切関与しないというつもりだった。
「その時はさ、上手い具合に『まだ時期尚早だ』とか言って誤魔化してね……」
諏訪子は上目遣いでこちらの様子を窺いながら、更に言葉を重ねる。
「なんとかその場は乗り切ったんだけど……でもやっぱり、その……」
「……………もう一度聞くけど」
別に。
ようやくこの諏訪の地に正式な『巫女』が生まれたということ自体、てゐからすれば心底どうでもいい他人事だ。
ただその報告と世間話のために呼び出されただけなら、てゐが今こうして、怒りと困惑で思考を麻痺させているはずがない。
信じたくない。
このまま何も聞かなかったことにして迷いの竹林へ逃げ帰りたい。
そんな切実な思いを全力で声に乗せて、てゐはもう一度、低く静かに尋ねた。
「さっき、なんて言った……?」
本当に。
本っ当に、てゐはその出鱈目な言葉が自分に向けられたものだと心底認めたくなかった。
何かの聞き間違いであって欲しい、己の難聴による欺瞞であって欲しいと、意味のない希望を必死に手繰り寄せる。
そして、その儚い希望を完膚なきまでに打ち砕くように、諏訪子はふたたび悪びれもせずに言った。
「……子供の作り方教えて!練習させて!」
「馬鹿!!」
次の瞬間、ズドン! と鉄が押し潰されるような鈍く重い打撃音が社殿内に響き渡った。
静まり返った社殿の中には、頭に巨大なタンコブを作り激痛で床を転げまわる諏訪子と、拳を握りしめたまま頬を朱に染めるてゐ。二人が奇妙な静寂を作り出していた。
神だろうと、妖怪だろうと、そこには当然のように『欲』が存在する。
あらゆる生物は本能的に自らの種を繁栄させ、増やすことを目的としている。
遺伝子の深い場所に刻み込まれた『手順』。子を成すとは、即ちそれを実行するという事であり。
身も蓋もない言い方をすれば、やり方を教えなくとも勝手に身体が動くのだ。
故に、理解が追いつかない。
「………なんで」
ポツリと、小さく言葉が漏れた。
自分はただ、少しばかり他者を幸運にする異能を持った妖怪兎に過ぎない。
結局その運の力も、ダイコク様から気まぐれに賜った恩恵なのだ。自分自身の本質は、どこにでもいるただの『イナバ』でしかない。
土着神の頂点という、決して同じ価値観や対等な目線で括ることなど不可能な、あまりにも巨大で偉大な存在がどうして。
この広大な諏訪の国を統べる王だというのに。
どうして、自分のように半端な存在を見るのだろう。
「なんで私なのさ」
そして何故。
自分は今まで、彼女が当然のようにこちらへ向けてきた惜しみない『友愛』や特別扱いを、本気で拒絶することもなく受け入れ続けてきてしまったのか。
長らく見ない振りをし、思考の奥底へと追いやっていた自分自身の本当の感情。
それが胸の奥へとせり上がり、そして激しく主張し始める。
――駄目だ、それ以上欲張るな。
理性の底で、何かが甲高い警報のように警告を発している。
てゐは諏訪子を、諏訪子はてゐを。
互いは相手の瞳を覗き込むように、じっと視線をぶつけ合う。
「…………こんなこと、君にしか言えないじゃん」
諏訪子は転がるのをやめて膝立ちになると、両手の人差し指同士を合わせながら、今にも消え入りそうな声で呟いた。
「それに」
諏訪子は更に言葉を重ね、伏せられていた大きな瞳をゆっくりと持ち上げる。
「……………私はさ、君なら、いいよ?」
その無防備な姿を目にして、てゐは言葉を失ったまま佇んでいた。
世界中の他に誰も知らない、自分だけにしか見せない、土着神の頂点の姿。
その、いじらしく愛くるしい姿。
それをこの世で今、自分だけが独占しているという事実。
考えるより先に、身体は確固たる意思を持って行動を開始する。
「…………………………絶対」
ゆっくりと。
一歩、また一歩と前へ踏み出すごとに、より一層大きく重くなっていく己の心音。
だが、てゐのその足取りには、一切の迷いや躊躇いの色はなかった。
長年押し殺してきた理性の堤防が決壊し、代わりに溢れ出してくる圧倒的な独占欲。
それは、ずっと危険だと知りながらも目を逸らし続けてきた、己が欲望の中で最も純粋で醜悪なもの。
手を伸ばし、彼女の柔らかい頬をそっと包み込む。
黄金に輝く、稲穂のように滑らかで美しい髪。
それが指先に触れて滑り落ちていく感触にさえ、眩いほどの美しさと愛おしさを感じてしまう。
「他のやつらには、絶対言うな」
てゐはおもむろに顔を近づけ、彼女の小さな桃色の唇へ、己の唇を強く重ね合わせた。
一瞬、諏訪子の華奢な身体がビクリと強張ったのは、自身の身体から発せられる尋常ではない熱量に驚いたからなのだと、てゐは確信していた。
いつも不敵に、楽しそうに意悪く笑っている諏訪子。
その顔が一瞬にして鮮やかな朱に染まり、か細く艶っぽい声が唇の隙間から零れ落ちる。
「…………っ、ぁ」
ぬるりと、身体の表面の温度とは比べものにならないほどの熱を孕んだ舌が動く。
口内へと容赦なく侵入してくる異物に対し、諏訪子の身体は無意識のうちに拒絶の動きを見せようとした。
――させない。絶対に逃がさない。
だが、てゐはより一層強い力で彼女の華奢な肩と腰を抱き寄せ、押し潰すようにしてその身体を固く抑え込んだ。
数多の祟り神を従え、数多の強敵を蹂躙し殺戮してきた絶対的な神を、たった一匹の妖怪兎に過ぎない自分が、まるで獲物を喰らい尽くす肉食獣のように口を重ねて貪る。
そんな正気の沙汰とは思えない今の己を客観視して、てゐは更に興奮を深め、心拍数を限界まで跳ね上げさせた。
息継ぎのために、一度だけ名残惜しそうに唇を遠ざける。
互いの濡れた唇と唇の間に、透明な唾液の糸が細く尾を引いて伸び、儚く弾ける。
「ふぅ……っ。ちょ、てゐ――」
「うるさい……!」
諏訪子が何かを言いかけるより早く、再び粗暴にその唇を塞いだ。
脳が痺れて蕩けてしまいそうな、おそろしくも背徳的な心地だった。
教えるだの練習だの、そんなものは最初から建前にすらなっていない。
彼女の小さな口内、繊細な舌から歯茎の隅々に至るまで、自分自身の舌で容赦なく蹂躙し、互いの濃厚な蜜を力任せに交換し合っていく。
そこには『神』という存在が持つべき神聖さはどこにもない。
しかし『妖怪』が撒き散らすような、暴力的な破壊衝動もない。
それはただひたすらに、互いの肉体を強く求め合う、『人間』という愚かな種族が貪り合うような。
醜くも美しい、純粋な情欲だけがそこにある。
「いいから……ッ――黙って、動くな」
まともに言葉を紡ぐことすらできないくらい、顔が熱くて仕方がなかった。
軟体動物のように相手の全てを貪り尽くす濃密な口吸いから一転して。
今度はまるで、捕らえた獲物を少しずつ味わい尽くす鳥類のような繊細で細やかな動きへと移行していく。
「ん…………っ」
諏訪子の口から漏れ出た小さな吐息。
肌に微かな刺激を与えるだけの些細な触れ合いに相応しい、可憐で愛くるしい喘ぎ声。
それはくすぐったさと未知の情欲に対する戸惑いが混ざり合った、てゐが心の底から渇望していた声そのものだった。
首筋、華奢な鎖骨へと、てゐの唇が彼女の柔らかい肌を食んでいく位置は、少しずつ対象を下へと移していく。
同時に、左手で彼女が纏う壺装束に似た特徴的な服の帯を、手探りで焦るように解いていく。
対する右手は、するりと衣類の隙間から滑り込み、彼女のすべすべとした素肌の感触を噛み締めるように味わっていく。
(柔らかい…………)
そして、温かい。
てゐの手の中にあるものは、生きている人間と何ら変わりない、柔らかく優しい生の感触。
そうして広げた右手で彼女の腹の真ん中を触る。
そこは自分にも同じく存在する、将来的に子を宿すことになる滑らかな場所。てゐはそこを慈しむように、そして誇示するようにじっくりと撫で回す。
そして、その間も休むことなく、彼女の口内を己の舌で荒々しく蹂躙しては、一度口を離して荒い深呼吸を挟み。
再び、熱い舌を奥深くへと割り込ませていく動作を何度も繰り返す。
「ぷはっ! ま、待っ……」
消え入りそうな諏訪子の制止の声が、熱を帯びた静寂に弱々しく溶けていく。
だが、てゐはその声を聞き流しながらも一切手を止める気配を見せない。それどころか、まるで諏訪子の拒絶すら甘やかな承諾であるかのように受け止め、その動きをより確実なものとして継続させていく。
てゐの右手が、諏訪子の滑らかな腹部を撫で回していた位置から、服の隙間をくぐるようにして、少しずつ上へと移動する。
指先が触れるたび、諏訪子の小さな身体が跳ねるように微かに震える。
神としての威厳など、この掌の下では露ほども感じられない。
今目の前にいるのは、ただの熱に浮かされた可憐な少女だ。
やがて、てゐの右手が肋骨の美しい描線を超えて更にその上――柔らかな膨らみの下端へと差し掛かった、その瞬間。
「ひゃっ……」
あまりにも可愛らしい、不意を突かれたような小さな悲鳴が諏訪子の口端から溢れ出た。
その声に、てゐは思わずゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。
耳の奥で、己の鼓動がドクンと大きく波打つのが分かった。
てゐの右手がついに目的地である胸へと到達し、そしてその柔らかな感触を確かめるように、指先をゆっくりと、滑らかに動かし始めた。
爪の先で突くでもなく、かといって強く押し潰すでもない、ただ相手の反応を楽しむようにじっくりと弄り倒す。
「なに? そんな無防備な声をあげていいの?」
てゐは顔をわずかに離し、至近距離で呼吸を荒げる諏訪子の顔をじっと見つめながら、揶揄うような言葉を落とした。
「子供を作る『練習』なんだから、ほら。ちゃんと私の動きを目で見て、身体で感じて覚えなさいよ」
「う……あ、ぁ……っ」
諏訪子は真っ赤に顔を染め上げ、潤んだ瞳でてゐを睨み返そうとする。
だが、てゐの指先が容赦なく与えてくる刺激を前に威圧感など生まれる筈もなかった。
唇を震わせ、何か言い返そうと口を何度も開閉させるものの、喉からは吐息混じりの情けない声しか漏れ聞こえてこない。
「言葉が出ない? いつもみたいに軽口でも叩いてみせなって」
更に挑発を重ね、てゐは指先の力を僅かに強め、胸の突起を優しくつまみ上げるように弄る。
「んッ……! っ、てゐの馬鹿……っ!」
絞り出せたのは、それだけの弱々しい罵倒。
まだ本格的な行為の前戯の半分すら終わっていないというのに。
諏訪子は呼吸を乱し、肩を大きく上下させ、潤んだ瞳でこちらに『期待』と『欲情』の両方が混ざり合った視線を投げかけてくる。
そんな彼女の姿を至近距離で見下ろし、てゐは歪んだ笑みを漏らした。
「……はは」
自分がまさか、これほどまでに浅ましく度し難い欲を秘めていたとは。
たった一度のきっかけと甘い誘惑を前に、ここまで我慢の利かない脆弱な理性しか持っていなかったとは。
何より、こうして息を荒げて朱に染まっている彼女の姿を見て。
罪悪感どころか、最初よりも遥かに深く激しく興奮している自分に気づいて――。
「…………ごめん――」
それは、超えてはならない『友人』という一線を完全に越えてしまったことへの免罪符か。
それとも、これからの情事に対して無防備に身体を開き、期待で身を震わせている彼女を焦らし、待たせてしまっていることに対する形ばかりの謝罪か。
自問自答の答えが出るよりも前に、てゐはもう一度、激しい執着を込めて彼女の唇を貪り尽くした。
エッチなのはダメ! 有罪! 没収! 死刑!