異聞帯『受胎都市トウキョウ』 混沌王・人修羅の罠 作:緑茶わいん
妹がいた。
生意気ではあるものの可愛い妹だった。
少なくとも、喪った今となっては「本心から鬱陶しく思っていたわけではない」とはっきりとわかる。
──事故は突然、かつ一瞬のこと。
他愛ない会話、駆けだした彼女を追おうとした直後に大きな音がした。
横合いから飛び出してきた車と、小さな妹の身体が衝突したのだ。
さっきまで笑顔だった少女は跳ねて、道路に叩きつけられた。
なにが起こったのかわからないままに歩み寄って。
覗き込んだ顔は見るも無残に潰れていた。
広がっていく血だまりはあまりにも強烈に「死」を連想させて。
恐怖と、嫌悪と、絶望でぐちゃぐちゃになったままなにもできなかった。
とっくに過ぎ去ってなお、こうして思い出すと当時の感情が溢れてくる。
むしろ、その意味を理解できる今だからこそ『彼』は叫ばずにはいられなくて──。
「おお、起きたか」
目を覚ますと地下の、あの城にいた。
見慣れた天井を見上げて嘆息すると、同時に髑髏の仮面をつけた人物(?)が目に入る。
悪趣味な仮面と裏腹に美しく蠱惑的な肢体を持ったその女は、魔人マザーハーロット。
人修羅は彼女に膝枕をされたまま眠っていたらしい。
僅かに顔をしかめると──マザーハーロットはどこか愉しげに人修羅を見下ろして、
「もう少し眠っていても良いものを。主役の出番にはまだ間があろう」
人修羅は、いや、と短く答えた。
確かに、幾つもの準備を重ねてきた計画だ。
内通者による情報で敵の戦力も把握できている。
王が力を振るわずとも制圧は容易だろう。
奇跡を起こすとすれば向こうの主だが、そこにも手は打ってある。
あるいは今、この瞬間にも勝負は決しているかもしれない。
せっかくだ、決着の報告は玉座にて受けたい。
彼は身を起こすと、魔人の世話を受けながら身支度を整え始めた。
一方、その頃──。
◆ ◆ ◆
アルトリア・キャスターは目の前の光景が信じられずにいた。
バーゲスト、バーヴァン・シー、モルガン──高い実力を持った英霊たちがなす術もなく、敵の前に倒れ伏している。
見下ろすのは、羽の生えた小さな少女──人修羅の右腕にして唯一無二の相棒である妖精ピクシー。
そして、突然カルデア勢を裏切った妖精騎士メリュジーヌ。
「何故です、何故、貴女が敵に……っ!?」
前兆はなかった。
系統が別でも、そのような術を妖精が用いれば察知できたはず。
加えて言えば、メリュジーヌの表情は僅かな申し訳なさこそ浮かんでいるものの、常の彼女のもの。
単純な操作や洗脳を受けているとは考えにくい。
「悪く思わないでよね?」
「っ!?」
弄ぶような猛攻を必死に捌きながら答えを探して、
「そうか、これは……っ!」
メリュジーヌから繋がる魔力の糸を辿った先に『それ』があった。
全てのサーヴァントと繋がっているマスター、藤丸立香。
彼に対して何らかの魔術的な細工が施されている。
いつから?
いや、そんなことよりも効果だ。
今回の異聞帯にはアルトリアたち英霊と神話的発祥を同じくする者が多数存在している。
敵は、こちらと向こうの「発祥が同一の存在」を繋げて疑似支配しているらしい。
性格、能力、記憶には影響を与えないままに価値観と行動指針だけを入れ換えられている。
──これはアルトリアにもわからないことだが、メリュジーヌに干渉したのは悪魔の一人威霊アルビオン。
アルビオンと繋がったメリュジーヌは混沌王・人修羅をこそ運命の相手と認識している。
言わばこれは、サーヴァントシステムと悪魔合体システムを利用した「簡易的な悪魔合体」。
英霊たちがマスターと繋がっていることを逆手に取られた。
相手は、かなりカルデアについて熟知している。
解除は、少なくとも今は不可能。
せめて、どうにか立香に知らせなければ。
持てる技術の全てを費やし、メッセージを飛ばそうとするアルトリア。
しかし、紡いだ端から魔術は霧散してしまう。
ジャミングか、打消しか、なんらかの手段でそれを成したのは。
「させると思う?」
ピクシー。
厄介な干渉に歯噛みする間もなく、メリュジーヌの猛攻がなおも迫り。
「……駄目です、マスター……っ!」
アルトリアは、地面に倒れ伏しながら強烈な光を見た。
少し離れた場所から立ち上る光の柱。
──新たなる英霊召喚。
藤丸立香が打開策を求めて戦力増強を図ったのだろう。
しかし、分散させられたことまでが敵の狙いならまず間違いなく「その先」の計画がある。
これは罠。
薄れゆく意識の中、伸ばした手が妖精騎士によって踏みにじられた。
そして──。
◆ ◆ ◆
アルトリア・キャスターの危惧を知らない藤丸立香は新しいサーヴァントと対面していた。
召喚できたのは二体。
──青黒い肌に第三の瞳を持つ美女と、南国風の衣装を纏う金髪の豊満な美女。
アーチャー・カーリーとライダー・ケツァルコアトル。
いずれも有名な神だ。
心強い助っ人の来訪に少年はほっと息を吐いて、
「召喚に応じてくれてありがとう。早速で申し訳ないんだけど、事態は切迫しているんだ」
手短に状況を説明。
包囲を突破して他のサーヴァントたちと合流するか、敵の本拠地からマシュ、エリセを救い出したい。
連絡のつかなくなったスカサハも、もしかしたらどこかに潜伏して機を窺っているかもしれない。
そんなふうに行動方針を示したのだが──。
「カーリー? ケツァルコアトル?」
召喚された二人の様子がおかしい。
召喚後に立香を一瞥したきり動かず、口も開いていない。
儀式自体にエラーは出ていないはずなのだが。
……急な呼び出しで気が立っているのだろうか?
クール系とポジティブ系、タイプは違うがいずれも美女である。
数多の英霊と会って美人には慣れているとはいえ黙られると恐縮してしまう。
「ごめん、ちょっと早すぎたね」
召喚時に情報がインストールされるとは言っても共闘には信頼関係が必須。
互いに打ち解けるため「まずは自己紹介でも──」あらためてそう提案したところで。
にこり。
カーリー、ケツァルコアトルが急に笑顔を浮かべた。
「……え?」
呆気に取られた次の瞬間には常人ならざる速度で前進、立香は腕を掴まれてしまう。
振りほどこうとするもびくともせず、魔術による縛めが手足を拘束。
礼装を用いることさえ封じられた立香はケツァルコアトルによってひょい、と抱え上げられた。
そのまま、二人が進み始めるのは敵の警戒がひときわ厳重な方向。
つまりは本拠地。
「いったいどうしたんだ、二人とも!?」
「すまぬな、藤丸立香」
「一緒にあの人に会ってもらいマス!」
カーリーたちは立香の態度に怒ったわけでも、最初から敵だったわけでもない。
契約は正しく結ばれている。
ただ、召喚直後に簡易悪魔合体が行われ、地母神カーリーと竜王ケツアルカトル──人修羅に従う悪魔の影響を受けているだけだ。
当然、地脈から呼びだせる英霊も都合よく操作されていた。
立香が孤立したこと自体、召喚を誘う罠だったのだ。
切り札になるはずのサーヴァントに裏切られた立香は人修羅の元へと運ばれていく。
異聞帯のあちこちではアルトリア・キャスターたちと同じようにカルデア側のサーヴァントが次々と撃破されており、救援を行える者はいない。
──さらに、敵は同時にさらなる攻勢に出る。
人修羅の手勢、主力部隊によるカルデア襲撃である。
◆ ◆ ◆
「ふふっ。なんだか久しぶりな気がしますね」
「古巣にこうして戻ってくると、なんだか変な感じね」
襲撃部隊の先頭に立ったのはマシュ・エンジェル、エリセ・ヤクシニー、そしてスカサハ・スカアハ。
『元』味方としての知識から人員、セキュリティ、通路の構成等を把握している彼女たちは的確に他の手勢を導いていく。
部隊には人修羅に付き従う悪魔たちだけでなく、人修羅側についた英霊の姿まであった。
カルデアの異聞帯攻略部隊が苦戦させられた通り、人修羅側の戦力は強大。
カルデア側もまた拠点防衛であれば多くのサーヴァントを動員できるものの──。
「人修羅様のお力がまだ理解できないんですか?」
「悪いけど、逆らうなら容赦はしないから」
「我らが王のため、邪魔者には消えてもらうとしよう」
カルデア側がかつての仲間に対して矛先を鈍らせる一方、悪魔合体したサーヴァントたちはその力を十二分に発揮。
本来の彼女たちを超えたそのパワーは数多の英霊を葬り、英霊の座へと送り返していく。
形振り構わない一部の英霊が宝具を開帳するも、大楯がそれを阻み。
槍がバターでも切り裂くように鋼の肉体を貫いていく。
一般のカルデア職員に関しては気絶させるなり眠らせるなりで収められたものの。
悲鳴、怒声、罵倒、その一切が無視された。
戦場となった職員たちの『家』には無数の傷が刻まれていき。
冗談のような速度で人類最後の希望から戦力が奪い取られていった。
誰かなんとかできないのか。
誰もがそう思ったが、内通者による手引きに味方の裏切りが重なってはひとたまりもない。
──しかも、今はマスターである藤丸立香がいない。
彼が戦力の何割かを連れて行っていることも痛い。
敵にマシュやエリセ、スカサハがいる以上、最初から計算されていたのかもしれないが。
「私たちをどうしようっていうんだい、マシュ?」
「できればマシュ・エンジェルと呼んでいただけませんか、ダ・ヴィンチちゃん?」
数々の防衛ラインが突破され。
最後となったその場所にて、レオナルド・ダ・ヴィンチとマシュ・エンジェルが静かに対峙した。
睨むダ・ヴィンチに対してマシュは子供のように微笑み、
「人修羅様にいただいた大切な名なんです」
「男に誑かされて悪い女になった、と」
「人修羅様を悪く言わないでください。……というか、今のうちに降服していただけると手間が省けるのですが」
「そんな要求、立場が逆なら聞けないと思わないかい?」
身構え、抵抗するダ・ヴィンチ。
確かに、逆の立場なら『愚かにも』最後まで反抗したかもしれないが。
マシュは「仕方ありませんね」と呟くと、悪魔合体によって新たに獲得したスキルを発揮する。
「洗礼の光を浴びなさい、レオナルド・ダ・ヴィンチ」
彼女は、神の使者であり威光を知らしめる存在──エンジェルと契約した。
加えて、生まれが特殊であるマシュは無垢な脳に情報を注ぎ込まれるプロセスを深く体感している。
結果手に入れたのが、対象をまるで無垢な幼子であるかのように無力化、マシュにとっての主である人修羅の素晴らしさを教え込む洗脳の力。
マシュの放つ輝きを浴びたダ・ヴィンチは「くっ」と呻き、薄れていく抵抗の意思を必死につなぎ留めようとするも。
「無駄なことを」
スカサハの指が単純なルーンを描いただけで意識が一瞬刈り取られ──無防備となった意識に恭順が書き込まれていく。
がっくりと膝をつき抵抗を失ったダ・ヴィンチを、マシュは「よくできました」と撫でて。
「では、人修羅様の元へ来ていただきましょうか」
カルデアは完全に、敵の手に堕ちた。
◆ ◆ ◆
静まり返った玉座の間に、女たちの甘い吐息の音が響く。
玉座に腰かけるのは言わずと知れた混沌王・人修羅。
カルデアという潜在的脅威を先手を打って無力化した彼は、メリュジーヌ、カーリー、ケツァルコアトルによる口淫奉仕を受けている。
まさに妖精めいた容姿の少女──メリュジーヌは王の正面に跪いて大きく口を開き、舌を突き出して亀頭を中心に愛撫。
カーリーは左から、官能的かつ繊細な舌使いで竿の左側や睾丸の片方を弄り、人修羅の射精欲をわかりやすく煽る。
対照的に情熱的な舌使いをするのはケツァルコアトル。むしゃぶりつくように唇を擦り付け、唾液をまぶし、睾丸を舌でたっぷりと転がす。
継続的に簡易悪魔合体を受けている彼女たちは淫欲に支配されており、瞳にハートマークが浮かびそうなほどに蕩けた表情を浮かべている。
マスターである藤丸立香にも晒したことのない乱れた姿。
餌をついばむ小鳥にしては立派すぎる三人ではあるが、それを従える人修羅のモノもまた目をみはるほどに立派で。
左右に控える人修羅の配下たちはその威容にほう、と息を吐く。
女たちは自らの受けた寵愛を思い出し、英霊たちに「いいなあ」と羨望、あるいは嫉妬の眼差しを向けたが──今は王に情けを乞う時間ではない。
玉座の前方──段差の下にはレオナルド・ダ・ヴィンチを含むカルデア職員たちが揃って跪いているのだ。
彼らは、味方だったメリュジーヌたちが敵の王を相手に痴態を晒しても微動だにしない。
人修羅を恐れているから?
戦っても勝ち目がないから?
確かにそれらも理由だが、それだけではない。
一番の理由は「全員、心の底から人修羅に恭順を示しているから」だ。
「どうですか、ダ・ヴィンチちゃん? 今の気分は」
「はい、私たちが間違っていたを痛感しております──マシュ様、そして偉大なる王・人修羅様」
マシュの発した『洗礼の光』の影響である。
たとえスキルの効果から逃れたとしても、彼女らが完全に元の人格に戻ることはない。
人修羅に傅く喜び、それを感じた経験は消えず、確実に行動へと影響を与える。
忠誠が十分に浸透すればいずれはスキルなしに人修羅にすべてを捧げるようになるだろう。
さて。
カーリーとケツァルコアトルによって捕らえられたマスター、藤丸立香もまたこの場にいる。
彼は手足を拘束され、目隠しと猿轡をされた状態で職員たちの前に転がされていた。
ダ・ヴィンチの恍惚とした返答を受け、彼はむーむーと呻き、暴れてみせるも──進み出たエリセが靴の踵で踏みつけ、強制的に黙らせる。
「うるさい。少しは身の程を弁えてくれない、負け犬さん?」
完全な敗北。
手札全てが失われた状況で、いったいいかなる逆転が可能か。
奇跡とは偶然によって引き起こされるものではない、関わる者が持てる力の全てを発揮した末にたどり着く結末である。
よって、ただ待つだけでは奇跡はありえない。
ここで、人修羅が軽く手を持ち上げてエリセに命令。
甘く「はい♡」と答えた少女は立香の猿轡だけを取り払う。
「何か言いたいことがあるなら言いなさい、特別に聞いてくださるそうよ?」
「正気に戻るんだ、みんな! こんな奴らに騙されちゃいけない! こいつはマシュたちを洗脳して操るような──がっ!?」
再び靴が、今度はつま先から少年の腹に突き刺さった。
悲鳴を上げて呻く藤丸。
エリセは心底からつまらなそうにふん、と息を吐いて、
「口を開いたかと思えばそんなこと? 本当にどうしようもないやつ」
「先輩? あなたは人修羅様に歯向かった一番の敵なんですよ? 口の利き方には気をつけてください」
かつては花のような笑顔をくれたマシュでさえ蔑むような視線を向けてくる。
下がったエリセに代わりスカサハが一歩前に出て、
「さて、どうだカルデアの者たちよ。……お前たちはこの藤丸立香と同意見か?」
「当たり前だ! カルデアが異聞帯に屈することはありえない! それは──」
槍が、藤丸のすぐ傍の床に突き刺さった。
もしも当たっていれば少年の身体など軽く肉塊に変わっていただろう。
そんな中、ダ・ヴィンチはカルデア職員を代表して口を開き、
「我々は全員、混沌王・人修羅様に忠誠を捧げ──その下僕として一生を費やすことを誓います」
「なっ!?」
「もちろん、首をもって反抗の罪を償えと仰るのであればそういたします。……この身によるご奉仕で贖うことが許されるのであれば何よりの喜びでございます」
「……嘘だ」
立香の声に絶望の色が混じる。
これでまだ、少年にだけわかるサインでもあれば──屈服は見せかけであり、機を窺っているだけだと言うのであれば希望を持つことができただろうが。
「ならば、誠心誠意人修羅様に仕えるがいい。主はお前たちの有用性にも期待しておられる」
「はっ、ありがたき幸せ」
ことここに至っても声を上げる者がいないことから、本当にそれが総意であることがわかる。
そして、三人の女たちは今なお嬌声と吐息と共に王の槍に奉仕を続けていた。
三人分の唾液でべとべとになった竿を、さらに自分の唾液で塗り替えようとするかのように求め──ようやく訪れた射精の時に「あぁっ♡」と歓声を上げる。
髪を、顔を、べとべとにしながら、女たちはすぐに舌の動きを再開させ、
「はぁっ……♡ 私のご奉仕はいかがでしょうか、人修羅様♡」
「メリュ、ジーヌ」
彼女が立香の窮地になんの反応も示さない。
それは、少年が孤立無援であることをさらにこれでもかと強調して。
「カルデアの諸君。其方らの賛同を好ましく思う。だが……仕える主を変えるのだ、それ相応の『証明』をしてもらわねばならんな」
スカサハが、立香の心中を無視しして──あるいはさらに責めたてるように話を進める。
「どのような行いをもって、我々の忠誠を証明すればよろしいでしょうか」
「それは自分たちで考えよ、レオナルド・ダ・ヴィンチ。かつてのお前たちであれば決して行わなかったこと──カルデアの敗北を決定づけるような行為であれば理想だろう」
敗北もなにも、カルデアは既に負けている。
残っているのは『人』だけだ。
カルデアのシステムを人修羅に譲渡し、彼が自由に使えるようにするか。
あるいは職員たちが命を絶つくらいしかないように思えるが──。
「ならば、人類最後のマスター──藤丸立香の命を人修羅様に捧げましょう」
「あっ……!?」
あった。
最悪にして最高の、敗北宣言。
立香は、自分が目隠しをされていることを初めて嬉しく思った。
ダ・ヴィンチの今の表情を見たくない。
苦渋の表情であるのならまだいい、しかしもし、恍惚の表情でそれを口にしていたら。
スカサハはふっと笑い「起立を許そう」と指示。
多数の人間たちが立ち上がる音を、立香は聞いた。
「ダ・ヴィンチちゃん。……嘘だろ? そんなこと、しないよな? 反撃するならここが最後のチャンスなんだ。それを待っていたからあんなことを言ったんだろ?」
「藤丸立香」
答えるダ・ヴィンチの声は、今まで聞いた中で最も冷え切ったもので。
「今からキミを処刑する。他でもない、我々の手によって」
「あ、あああっ!? あああああああぁぁぁっっ!?」
藤丸立香の精神はとうとう、限界を迎えた。
一人の若者が背負うには重すぎる使命を、辛すぎる戦いを、彼はここまでよく続けてきた。
残酷な決断も、大きな後悔もたくさんした。
それでも戦い続けてきた彼だったが──苦難を共にしてきた仲間から「お前はもういらない」と否定されるのは、彼がここまで歩んできた道のりの全てを、彼の頑張りの全てを否定されたも同然で。
半狂乱になりながら、彼は暴れた。
優しく、時には厳しく、立香を支えて導いてくれた職員たちが頬を張り「大人しくしろ」と命じてくる。
服がはぎ取られ、下着一枚の姿にされ、地面に押し付けられて。
「嫌だ、こんな終わりっ!? 嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ」
最後の最後まで、立香は嗚咽し続けた。
「会いたい。家族に会いたい。父さんに、母さんに──兄さんに」
「会えるさ。世界と共にキミが死ねば、あの世で」
答える言葉でさえどこまでも無慈悲で。
冷たいナイフが首に押し当てられる。
人は、狂信を手にするとここまで残酷になれるのか。
終わりを確信した立香は、とうとう言葉を失って──。
「待て」
ありえないはずの制止が行われた。
──空気が一瞬にして切り替わる。
声を上げたのが、他でもない王その人だったからだ。
一般職員たちはすぐさま跪き、「顔を見せろ」と言う人修羅の要求にダ・ヴィンチが応じる。
目隠しが剥がされ。
藤丸立香は、玉座の間の絶望的状況を初めてはっきりと目にした。
並みいる敵、こちらに視線の一つも向けて来ないメリュジーヌたち。
そして、最後に敵の王を見つめて。
ありえないと、目を見開いた。
初めて会う敵の首魁は、あろうことか知っている人物だった。
「……お兄、ちゃん?」
同時に、人修羅もまた硬直し、
「藤丸立香、お前は──」
◇ ◇ ◇
藤丸立香は、幼少期に事故に遭った。
正確に言えば、彼自身は被害を免れたのだが。
『兄』と二人で外を歩いていた時のこと。
子供故の不注意で道路に飛び出し──気づいた時には横合いから車が迫っていた。
幼い少年にできたのは目をつぶって身をかがめようとすることだけ。
そのままなら、彼はきっと跳ね飛ばされて重傷、あるいは死に至っていただろう。
──助かったのは『兄』のお陰だった。
追いかけてきた兄が咄嗟に立香を突き飛ばし……身代わりとなって車に撥ねられた。
立香が状況を理解したのは、なにかがぶつかる音と地面に転がされた衝撃から逃れた後。
ぼんやりと身を起こし、自分のいた方向を見れば、そこに血だまりがあった。
『……お兄ちゃん?』
幼かったあの頃は「お兄ちゃん」と呼んでいた。
成長後、彼のことを思い出す際には「兄さん」と呼ぶようになったが。
変わり果てた兄の姿は、今なお鮮明に思い出せる。
藤丸立香がカルデアに参加したのには、兄の死も影響している。
自分はあの時に死ぬはずだった。
生かされた命は、誰かを生かすために使わなくちゃいけないと。
立香にとっては、兄こそが生まれて初めて出会った『英雄』で。
彼が、『藤丸シン』がいたからこそ今の藤丸立香がある。
だからこそ、このような形で再会するとは思わなかった。
年齢による差異はある。
肌に浮かぶ模様も当時はなかった。
しかしそれ以外の部分を言えば、混沌王・人修羅は立香の兄──シンにそっくりだった。
「藤丸立香。お前は……お前の、兄の名はなんと言う?」
「シン。……藤丸、シン」
◆ ◆ ◆
人修羅は目を見開いた。
片手を持ち上げ、覆い隠すように顔を当てる彼を見て臣下たちが動揺する。
「人修羅様、どうなさいましたか!?」
「こいつの言ったことが気に障ったの!?」
「藤丸立香。我が主に害をなすくらいならさっさとその命を──」
「止めろ!!」
激高したような声は、他ならぬ王のもの。
はっとしたマシュたちは姿勢を正し、人修羅に対して跪く。
顔から手を離した男は、未だ衝撃を受け流しきれていない表情で、告げた。
「藤丸シン。それは、僕が人間だった頃の名だ」
「!?」
人修羅はかつて普通の人間だった。
この異聞帯には「悪魔」として神話や伝承的なモノたちが存在している。
人修羅──藤丸シンはある時東京にて起こった『東京受胎』に巻き込まれ、半人半魔の存在へと変貌した。
数多の悪魔と戦い、従え、王となったのはその果てにある結果。
立香の兄と人修羅は完全に同一の存在ではない。
現にこうして人修羅は生きている。
彼の生きてきた世界には『藤丸立香』という『少年』は存在しなかった。
しかし、命がけで家族を助けたその行為は、人修羅があの日できなかった行為そのものだ。
──カルデアの情報を得た時から、藤丸という姓に引っ掛かってはいたのだ。
奇しくも同じ姓。
異聞帯(このせかい)を滅ぼそうとする敵の首魁、人修羅を終わらせるとした彼かもしれないと思った。
だからこそ全力を持って罠に嵌め、こうして打ち負かしたのだが。
人修羅の認識はある意味では正解で、ある意味では間違っていた。
縁があるどころの話ではない。
カルデアのマスター、藤丸立香は別の世界の。
「藤丸、立香」
「人修羅──藤丸、シン」
見つめ合った二人は動けない。
藤丸立香処刑の動きはそのために一度、完全に止まってしまった。
◆ ◆ ◆
誰もがこの先の展開を予測できず、凍り付くしかない中。
誰からも注目されない片隅でその様子を見守っていた者がいた。
──魔人マザーハーロット。
彼女は身に着けていた髑髏の仮面を手に取り、外すと笑みを浮かべた。
普段は見せることのない彼女の素顔。
それは、マスター・藤丸立香とも混沌王・人修羅とも似た面影を持っていた。
より正確に言えば、それは人修羅の死んだ『妹』、『藤丸立香』のもの。
彼女は軽く手を持ち上げると、視線の先にいる立香を撫でるようにした。
艶めかしく。
これまで幾度となく立香少年に淫らな夢を見せ、快楽を教えてきた時と同じように。