【第一幕:母の影、娘の企み】
初夏の爽やかな風が、都心にそびえ立つ超高級マンションの最上階、秋本・カトリーヌ・麗子のペントハウスの窓を吹き抜ける。リビングルームは、彼女の趣味の良さを反映した、モダンで洗練された調度品で統一され、大きな窓からは、広大な東京の街並みが一望できた。しかし、その完璧な空間に、今日は、いつもとは違う、どこか張り詰めたような、それでいて微かな期待感が漂っていた。
ソファに深く腰掛けていたのは、この部屋の主である麗子と、そして、彼女の母、フランソワーズ・アキモトだった。フランソワーズは、世界的デザイナー「マリィ・ローラン」として、そして年商7兆円を超える巨大複合企業のトップとして、その名を世界に轟かせる、まさに現代の女帝。年齢を感じさせない、彫刻のように整った顔立ち、一切の無駄のない、しかし女性らしい曲線美を保った肢体、そして、鋭い知性と揺るぎない自信を湛えた青い瞳。その全身からは、近づく者全てを圧倒するような、絶対的なオーラが放たれていた。しかし、その完璧な仮面の下に、長年のビジネスと社交界で摩耗した精神の疲れや、あるいは、巨大すぎる成功の裏にある、満たされない個人的な渇望のようなものが、注意深い観察者には見て取れたかもしれない。彼女は、多忙なスケジュールの合間を縫って、娘である麗子に会うため、そして日本のビジネスパートナーとの会談のために、数日間の予定で来日していたのだ。
「…それで、麗子。日本での仕事はどう? 貴女が、わざわざこんな極東の島国の、それも『ポリス』などという、我々の一族には到底考えられないような職業を選んだこと、未だに私には理解できないのだけれど」
フランソワーズは、完璧なフランス語で、娘に問いかけた。その声は、美しく澄んでいるが、どこかビジネスライクな響きを伴う。
「ええ、ママン。大変なこともありますけど、やりがいがあって、充実していますわ」
麗子は、流暢なフランス語で、穏やかに答える。母の前では、彼女は「亀有公園前派出所のスーパーお嬢様婦警」ではなく、「秋本家の令嬢」としての顔に戻る。二人の会話は、表面的には穏やかだが、そこには、互いの生き方や価値観に対する、微妙な距離感も存在していた。
麗子は、母との会話の中で、確信を深めていた。母は、成功し、全てを手に入れたように見えるが、その魂は、どこか乾いている。日常に、刺激を、情熱を、求めているのだ、と。そして、麗子の頭の中には、ある大胆な、そして倒錯した計画が、ゆっくりと形を結び始めていた。
(ママンも、きっと、両ちゃんなら…あの人の、型破りで、荒々しいけど、どうしようもなく人を惹きつける、あのエネルギーに触れたら…きっと、何かを感じるはず。そして…もし、ママンも、私と同じ『世界』を知ることができたら…それは、きっと、彼女にとっても、私にとっても、そして、両ちゃんにとっても…新しい扉を開くことになるかもしれない…)
それは、「仲間を増やしたい」という、以前から彼女の中にあった歪んだ願望であり、同時に、母に対する、娘としての複雑な感情(反発、同情、そして、自分と同じ悦びを与えたいという倒錯した親孝行?)の現れでもあったのかもしれない。あるいは、自分と両津の、あまりにも特殊な関係性を、最も身近な存在である母にだけは、理解してほしい、共有してほしい、という叫びだったのかもしれない。
その日の午後、麗子は、派出所の休憩室で、両津に、何気ない口調で告げた。
「ねえ、両ちゃん。今、母が日本に来ているのよ」
「へえ、お前のオフクロさんがか。どんな人なんだ?」
両津は、特に興味もなさそうに、競馬新聞から顔も上げずに答える。
「ふふ、とても綺麗で、素敵な人よ。…ただ、少し、退屈しているみたいだけど」
麗子は、意味ありげな笑みを浮かべた。
「…もしかしたら、両ちゃんみたいな、面白い人に会ったら、少しは気分転換になるかもしれないわね?」
その言葉に含まれた、微かな誘いの響き。両津の、野生の勘ともいえるセンサーが、ピクリと反応した。麗子のオフクロ…? あの秋本家のマダム…? しかも、美人…?
「…ほう? そいつは、面白そうじゃねえか」
両津の目に、下心と好奇心の光が宿った。麗子は、その反応を見て、計画の第一歩が成功したことを確信した。
【第三幕:仕組まれた出会い、女神と野獣】
数日後、麗子は、フランソワーズを伴って、都内の高級ホテルのラウンジでお茶をしていた。そこへ、「偶然」を装って、両津勘吉が現れたのだ。もちろん、これは麗子が事前に両津に時間を伝え、仕組んだ出会いだった。
「おや、麗子じゃないか! 奇遇だな!」
両津は、わざとらしく大きな声を上げながら、二人のテーブルへと近づいてきた。その格好は、いつものサンダル履きにTシャツではなく、麗子に「母に会わせるなら、最低限これくらいは着なさい!」と厳命されて用意させられた、少しだけマシなジャケットスタイルだったが、それでも、彼の持つ粗野な雰囲気は隠しきれない。
「あら、両ちゃん。奇遇ね」
麗子は、完璧な笑顔で応じ、隣に座る母に、フランス語で紹介した。
「ママン、こちら、先日お話しした、私の同僚の両津勘吉さんよ。ちょっと変わってるけど、とても…エネルギッシュで、面白い人なの」
彼女は、「エネルギッシュ」「面白い」という言葉に、 subtly な(しかし、フランソワーズには魅力的に聞こえるかもしれない)ニュアンスを込めた。
フランソワーズは、値踏みするように、ゆっくりと両津に視線を向けた。娘の同僚にしては、随分と…規格外な男。しかし、その瞳の奥にある、ギラギラとした、生命力そのもののような輝きと、妙に自信に満ちた態度。それは、彼女が普段接している、洗練されているがどこか生気のない男たちとは、明らかに異質だった。彼女は、一瞬だけ、その青い瞳に、好奇心の色を浮かべた。
「…Bonjour, Monsieur Kankichi. Enchantée.」
(こんにちは、勘吉さん。はじめまして)
彼女は、優雅に微笑み、軽く会釈した。
「ぼ、ぼんじゅーる…? ま、マダム!」両津は、目の前の、年齢不詳の、しかし神々しいまでの美貌とオーラに、完全に圧倒されていた。写真で見るより、遥かに美しい。そして、何よりも、その全身から放たれる、絶対的な女王のような存在感。彼の征服欲は、瞬時に、最高レベルまで掻き立てられた。(こ、こいつは…! 落とし甲斐がありすぎる…! なんとしても、この女帝を、俺様のものにしてやる…!)
【第四幕:言葉の壁、共犯者の巧みな「通訳」】
早速、両津はフランソワーズに話しかけようとするが、当然、言葉が通じない。
「いやー、マダム! お噂はかねがね! いやー、しかし、本当にベッピンさんですな! 旦那さんが羨ましいぜ!」
身振り手振りを交え、日本語で捲し立てる両津。フランソワーズは、困惑したような、しかしどこか面白そうな表情で、麗子に視線を送る。
「ママン、彼は『貴女のような素晴らしい女性にお会いできて光栄です。ご主人は、本当に幸せな方ですね』と言っていますわ」
麗子は、にこやかに、しかし、その内容は完全に脚色された「通訳」をする。
「Oh, c'est très gentil. Dites-lui que je suis également ravie de faire sa connaissance.」
(あら、ご親切にどうも。私もお会いできて嬉しいと伝えてちょうだい)
フランソワーズは、儀礼的に答える。
「『貴方のような、正直で、情熱的な方とお話できて、私も嬉しいですわ』ですって、両ちゃん。ママン、あなたのこと、すごく気に入ったみたいよ?」
麗子は、両津に向かって、さらに話を盛って伝える。
「な、なにぃ!? 本当か!?」
両津は、単純なため、麗子の言葉を完全に信じ込み、有頂天になる。彼は、さらに調子に乗って、自分の武勇伝(ほとんどが嘘か誇張)や、下町の面白い話などを、熱弁し始めた。もちろん、フランソワーズには、その内容は全く伝わらない。ただ、身振り手振りを交えて、エネルギッシュに、そして自信満々に語り続ける男の姿が、そこにあるだけだ。
しかし、麗子の「魔法の通訳」によって、その姿は、フランソワーズの目には、全く違って映っていた。
両津の自慢話は、「彼の、数々の困難を乗り越えてきた、たくましい生き様」。
下品なジョークは、「日本の庶民的な、エスプリの効いたユーモア」。
時には無神経に見える態度は、「純粋で、裏表のない、正直な人柄」。
麗子は、巧みな言葉選びと、絶妙なニュアンスの付加によって、両津勘吉という素材を、フランソワーズにとって、非常に魅力的で、興味深い「キャラクター」へと、見事に創り上げていったのだ。
フランソワーズは、最初は半信半疑だったものの、娘がこれほどまでに「彼を理解し、評価している」様子を見て、そして、目の前の男から発せられる、言葉を超えた、ある種の強烈な「生」のエネルギーを感じるうちに、次第に、その「創られたイメージ」に、惹かれ始めていた。普段、彼女の周りにいるのは、計算高く、洗練されているが、どこか予測可能で、退屈な男たちばかりだ。この、粗野で、予測不可能で、しかし、生命力に溢れた男は、彼女の、満たされなかった心の隙間に、強い刺激を与え始めていた。言葉が通じないというもどかしさすら、今は、ミステリアスな魅力の一部のように感じられ始めていた。
【第五幕:興味の種まき、次なる舞台への布石】
楽しい(ように演出された)時間はあっという間に過ぎ、別れの時が来た。
「じゃあ、マダム! また近いうちに、ぜひ!」
両津は、名残惜しそうに、しかし自信に満ちた笑顔で、フランソワーズに手を振った。
「Au revoir, Monsieur Kankichi. C'était… intéressant.」
(さようなら、勘吉さん。…興味深い時間でしたわ)
フランソワーズは、どこか考え込むような表情で、静かに返した。
二人が去った後、麗子は、ホテルのスイートルームに戻った母に、追い打ちをかけるように、両津の「素晴らしさ」を語った。
「ねえ、ママン。両ちゃんて、面白かったでしょう?」
「…ええ、まあ。貴女の同僚にしては、随分と…個性的ね」
フランソワーズは、まだ少し戸惑いを隠せない様子だ。
「ふふ、彼はね、見た目はああだけど、本当に情熱的で、いざという時には、すごく頼りになるのよ。自分の信念を貫く強さがあって…まるで、古き良き日本の『サムライ』みたいじゃない?」
麗子は、母の心に響きそうな言葉を選び、囁きかける。
「それに、彼は、とても…なんていうのかしら…『本物』なのよ。計算とか、体面とか、そういうものに縛られていない、自由な魂を持っているわ。ママンも、たまには、そういう『本物』に触れてみるのも、悪くないんじゃないかしら?」
その言葉は、フランソワーズの心の、最も柔らかい部分を、的確に突いていたのかもしれない。「本物」への渇望。日常からの逸脱願望。娘が認める、型破りな男への好奇心。様々な感情が、彼女の中で複雑に絡み合い始めていた。
第1話は、ここで終わる。両津、麗子、フランソワーズ。三人の出会いは果たされた。両津は、麗子という最強の「共犯者」を得て、フランソワーズ攻略への決意を固める。麗子は、自らの企みのための舞台を整え、母と両津の間に、偽りの、しかし効果的な興味の種を蒔くことに成功した。そしてフランソワーズは、娘の同僚である、粗野で、しかし妙に魅力的な男に、ほんの少しの、しかし無視できない好奇心を抱き始めた。言葉の壁と、娘の意図的な仲介が、これから、どのような歪んだ関係性を生み出していくのか…。それは、まだ始まったばかりの、秘密の物語の序章に過ぎなかった。