【共犯者たちの密談、新たなターゲット】
葛飾区亀有公園前派出所。その日常は、良くも悪くも、常に予測不可能だ。しかし、ここ最近、その混沌とした空気の中に、一つだけ、確かな変化が訪れていた。それは、この派出所に長年勤める問題児、両津勘吉と、才色兼備のスーパーお嬢様警官、秋本・カトリーヌ・麗子の間に流れる、明らかに以前とは異なる、甘く、そしてどこか秘密めいた空気だった。
休憩室。二人きりになった瞬間、彼らは、同僚としての仮面を脱ぎ捨て、互いの身体を自然に寄せ合う。麗子は、大きなソファに深く腰掛けた両津の膝の上に、当然のように座り、その太い首に腕を回していた。両津もまた、満更でもない表情で、彼女の細い腰を抱き、その柔らかな感触を楽しんでいる。数週間前の、あの濃密な「治療」の夜を経て、二人の関係は、単なる恋愛感情を超えた、より深く、複雑で、そして依存的な絆で結ばれていた。
「…ん…両ちゃん、くすぐったい…」
麗子は、首筋に顔をうずめる両津に、甘えた声を出す。その表情は、勤務中のクールビューティーぶりとはまるで別人のように、蕩けていた。
「へへ、可愛いこと言いやがって」
両津は、意地の悪い笑みを浮かべながらも、その声には確かな愛情が籠っている。彼は、麗子という、手に入れることなど不可能だと思っていた存在を、今や完全に自分のものにしているという事実に、深い満足感を覚えていた。
ふと、両津の視線が、休憩室の窓の外、忙しなく動き回る一人の婦警の姿を捉えた。磯鷲 早矢(いそわし さや)。交通課からの応援で来ている、京都出身の、凛とした和風美人。大和撫子という言葉がぴったりの、清楚で、しかしどこか近寄りがたい雰囲気を持つ彼女。
「…なあ、麗子」両津は、顎で窓の外を示しながら、下世話な口調で言った。「あの磯鷲って子、真面目腐ってるけど、よく見りゃ結構いい女だよな。特にあのキュッと上がった尻…一度でいいから、揉んでみてえもんだぜ」
普通の恋人同士であれば、嫉妬や怒りを買うような発言。しかし、麗子の反応は、全く異なっていた。彼女は、くすくすと喉を鳴らして笑うと、両津の耳元で、悪戯っぽく囁いた。
「あら、両ちゃん、早矢さんに興味があるの? 確かに、彼女は綺麗よね。それに、ああ見えて、意外と純情そうだし…落とし甲斐があるかもしれないわね」
その言葉には、嫉妬の色は微塵もなく、むしろ、何か面白い玩具を見つけた子供のような、好奇心と、そして、どこか冷たい計算の色が浮かんでいた。
麗子は考えていたのだ。両津という男の、底なしのエネルギーと欲望。それを自分一人で受け止めるのは、時に、快楽と同時に、負担でもある。そして、自分と同じように、彼に心も身体も委ねる存在が他にいてもいいのではないか、と。それは、共有という名の支配欲か、あるいは、特殊な関係性の中に「仲間」を求める心理なのか。彼女自身にも、その複雑な感情の正体は掴みきれていなかったが、「自分と同じような人を増やしたい」という、漠然とした、しかし確かな願望が、彼女の中に芽生えていたのだ。早矢は、そのための、格好の「候補者」に見えた。真面目で、純粋そうで、そして何より、両津に(おそらく無自覚の)好意を寄せている節がある…。
「でも、早矢さん、ガードが固そうよ。両ちゃんみたいなタイプは、特に警戒するんじゃないかしら」
麗子は、続ける。それは、けしかけているようでもあり、同時に、攻略法を示唆しているようでもあった。
「ふん、だからこそ、燃えるってもんよ」両津は、不敵に笑う。「まあ、見てろって。あの堅物女、俺様の手にかかれば、すぐにメロメロよ」
「あら、頼もしいこと。…ふふ、じゃあ、私が少しだけ、お手伝いしてあげましょうか?」
麗子は、蠱惑的な笑みを浮かべ、両津に顔を寄せた。二人の間に、新たな「共犯関係」が結ばれた瞬間だった。
【女神の囁き、仕掛けられた罠】
麗子の「お膳立て」は、実に巧妙かつ自然に行われた。
まず、彼女は、単独で早矢に接触を図った。女子更衣室で、あるいは休憩時間のお茶の席で、ごく自然な世間話の流れから、両津の話題を、計算された形で持ち出したのだ。
「早矢さん、最近、少しお疲れじゃない? 無理は禁物よ」
優しい先輩としての気遣いを見せながら、麗子は切り出す。
「そういえば、この間、両ちゃんと少し話したんだけど…彼、意外なことに、日本の古い文化とか、伝統的なものに、最近すごく興味を持ち始めたんですって」
「え? あの両津さんが…ですか?」
早矢は、驚いて目を丸くする。普段の彼の言動からは、到底想像もつかないことだった。
「ええ、そうなのよ」麗子は、さも当然のように頷く。「特に、京都の古い神社仏閣の話とか、伝統工芸の話になると、目を輝かせて聞いてくるの。早矢さんは京都のご出身だし、弓道も嗜んでいらっしゃるから、きっと話が合うんじゃないかしら? 彼、早矢さんのこと、そういう意味で、すごく尊敬してるみたいだったわよ」
尊敬。その言葉に、早矢の心が、小さく、しかし確かに、ときめいた。両津の、あの父親に似た声。そして、自分への(尊敬という形での)関心。それは、彼女の心の奥底に眠っていた、彼への淡い、しかし否定しきれない興味を、静かに呼び覚ますのに十分だった。
「そ、そうなんですか…知りませんでした…」
早矢は、頬を染めながら、俯く。
麗子は、その反応を見て、内心でほくそ笑んだ。(ふふ、かかったわね…あとは、タイミングだけ)
【計算された接触、開かれる心の扉】
数日後、麗子は、計画通り、「偶然」を装って、両津と早矢が顔を合わせる状況を作り出した。派出所の休憩室で、早矢が一人でお茶を飲んでいるところに、麗子が両津を伴って入ってきたのだ。
「あら、早矢さん、休憩中? 丁度よかったわ」
麗子は、にこやかに声をかける。
「ねえ、両ちゃん。この間、あなたが興味があるって言ってた、京都の古い弓具の話、早矢さんなら、きっと詳しいと思うわよ?」
「えっ?」
早矢は、突然話を振られ、驚いて顔を上げた。目の前には、少し照れたような(もちろん演技)、しかし真剣な眼差しで自分を見つめる両津の姿があった。
「お、おう! そうなんだよ、磯鷲!」両津は、待ってましたとばかりに、麗子のパスに乗る。「いやー、実はな、親戚から古い弓を譲り受けたんだが、手入れの仕方がさっぱり分からなくてな…麗子さんに聞いたら、『それなら、弓道の名手の磯鷲さんに聞くのが一番だ』って言われてさ。悪いんだが、少し教えてもらえねえか?」
彼は、事前に麗子から仕入れた情報と、付け焼き刃で調べた弓道の知識を織り交ぜながら、いかにも「純粋な興味」と「困っている」という状況を装って、早矢に話しかけた。
早矢は、最初は戸惑い、警戒していた。しかし、両津の口ぶりが、驚くほど真面目であること、質問内容が(付け焼き刃とはいえ)的を射ていること、そして何より、憧れの麗子先輩が、二人の間を取り持ってくれている(ように見える)という安心感から、次第に警戒心を解いていった。
「…古い弓、ですか…? どういう状態なんでしょう? 私で分かることなら…」
彼女は、いつしか、自分の得意分野について語れる嬉しさから、目を輝かせ、熱心に説明を始めていた。弓の種類、材質、手入れの方法、保存の注意点…。専門的な知識を、分かりやすく、そして楽しそうに語る彼女の姿は、普段の堅物なイメージとは全く違う、魅力的なものだった。
両津は、内心(よしよし、食いついてきたぞ…チョロいもんだぜ)と思いながらも、表面上は、感心した表情で、熱心に相槌を打ち続ける。
「へぇー! そうなのか! 知らなかったぜ!」「さすがだな、磯鷲! まるで歩く弓道事典だ!」
彼の、分かりやすいまでの賞賛の言葉に、早矢の頬はますます赤く染まり、彼への好感度は、急速に高まっていった。「この人、見た目によらず、ちゃんと人の話を聞ける人なのね…」「私のこと、本当に尊敬してくれているのかも…」そんな、甘い誤解が、彼女の心を完全に支配し始めていた。
【次の約束、仕掛けられた罠の完成】
会話は、予想以上に弾んだ。弓道の話から、京都の文化、早矢の故郷の話へと、話題は尽きることがない。麗子は、頃合いを見計らって、「あらあら、二人とも、すっかり意気投合しちゃって。私、ちょっと野暮用があるから、先に戻るわね。あとは、ごゆっくり」と、絶妙なタイミングで席を外し、二人きりの空間を作り出した。
二人きりになったことで、早矢は少し緊張したが、両津は、さらに畳み掛ける。
「いやー、磯鷲! お前の話、めちゃくちゃ面白かったぜ! もっと色々聞きたくなっちまったな!」
彼は、名残惜しそうな表情を作りながら、切り出した。
「なあ、今度、改めて時間作ってくれよ! 今日のお礼もしたいしな。美味い飯でも食いながら、ゆっくり話の続きを聞かせてくれよ。どうだ?」
それは、紛れもない、二人きりの食事への誘いだった。
早矢の心臓が、ドキリと大きく跳ねた。両津さんから、食事に誘われるなんて…。しかも、あんなに熱心に話を聞いてくれた後で。これは、もしかしたら…。彼女の心に、淡い期待が膨らむ。
「…え、ええ…! はい! 私でよければ、ぜひ!」
彼女は、頬を染め、上擦った声で、しかし喜びを隠しきれない様子で、即座に快諾した。
「やったぜ! じゃあ、決まりだな! 日時とかは、また後で連絡するぜ!」
両津は、ガッツポーズをしたいのを必死でこらえ、あくまでクールに(?)言った。
早矢は、夢見心地のような気分で、休憩室を後にした。(連絡先、いつ交換したのかしら…?)などと考えながらも、その足取りは、スキップしそうなほど軽かった。憧れの麗子先輩にも後押しされ、気になっていた両津さんとも急接近。これからの展開に、胸をときめかせている。
その彼女の後ろ姿を、休憩室の窓から、両津と、いつの間にか戻ってきた麗子が見送っていた。
「…うまくいったな、両津」
「ええ、順調よ、両ちゃん」
二人は、言葉少なめに、しかし、互いの目の中に、共犯者としての、黒い満足感を映し出しながら、意味ありげに微笑み合った。
両津の「体目的」達成への計画は、麗子という最強の「お膳立て」役を得て、完璧なスタートを切った。早矢は、麗子も知る(と信じている)純粋な興味から始まった交流だと固く信じ、これから始まるであろう、両津との甘い時間に、ただただ純粋な期待を膨らませている。
彼女はまだ知らない。自分が、巧妙に仕掛けられた罠へと、自ら足を踏み入れてしまったことに。そして、その先に待っているのが、彼女の純情を弄び、心も身体も支配しようとする、下心に満ちた男の企みであることにも…。
運命の歯車は、静かに、そして確実に、回り始めていた。