風が止み、夜が深まる森の中。
火霊使いヒータは、赤く燃える魔力をその身にまといながら、静かに立っていた。
その眼差しは、目の前に佇む一人の少女――地霊使いアウスへと、まっすぐに向けられていた。
「アウス。あんた、また逃げようとしたでしょ」
アウスは小さく瞬き、けれど何も言わなかった。
言葉を返す代わりに、地の魔力が微かにその足元に波紋のように広がる。
「逃げるなって言ってるのに…私の魔力、ちゃんと感じてるくせに」
ヒータの声が震える。怒りじゃない。焦りでもない。
その火の魔力は、アウスの冷静な魔力とは違う、まるで触れるだけで火傷しそうな――欲求に近いものだった。
アウスは静かに息を吸うと、ゆっくりと近づいた。
その距離、指一本分。
「感じてるわ、ヒータの熱。……でも、私の中の地が、それを飲み込んでしまいそうで怖いの」
「飲み込んでいいよ。私の火、あんたの中で燃えたいの」
アウスの瞳が揺れた。
ヒータの手が、彼女の頬にそっと触れる。
魔力が弾けた。
熱と冷気、動と静。ふたつの異なる力が、境界でせめぎ合いながら、次第に溶け合っていく。
アウスの指先がヒータの腰に触れた瞬間、
ヒータの身体から迸るように魔力が走り、彼女の地の力とぶつかり、そして…絡まった。
「――あっ……!」
声が漏れる。
どちらのものか、もうわからなかった。
魔力の波は二人を飲み込み、足元の地が震え、周囲の空気が熱で揺らぐ。
アウスの冷たい吐息と、ヒータの熱い息が交錯し、霊使いとしての枷が一つ、また一つと崩れていく。
互いの属性が、相反するはずの力が――
いまは最も深く、強く、混ざり合っていた。
「ん……アウス、やば……今の、魔力……」
ヒータの声が震えていた。
まるで火の舌が揺れるような、甘くも焦げるような声色。
それを耳元で聞いたアウスの魔力が、一気に脈打った。
「まだ……抑えてたんだね。そんなに、熱かったなんて……」
アウスの手がヒータの背にまわり、地の魔力がふたたび波のように彼女を包む。
今度は、もっと深く、もっと確かに。
「アウス……すごい、こんなに柔らかく、あったかいなんて……っ」
「ヒータの魔力が、どんどん私の奥に入ってくる。ねぇ……もう、全部混ぜて。私の中で、燃えて」
火と地が混ざる音がするかのように、
魔力が全身を満たし、二人の肌と肌の間を流れていく。
「ねぇ、アウス……好きだよ。魔力だけじゃなくて……あんたの、全部が、欲しい」
「……私も。ずっと怖かった。でも……今なら、全部あげられる。私の……魔力も、気持ちも」
その瞬間、魔力の波が弾けた。
ヒータの指先が、アウスの腰をなぞる。
アウスの魔力が、ヒータの背中に沿って螺旋を描く。
「アウス……っ、そこ……魔力、集まってる……もっと……!」
「感じてるの……? じゃあ……このまま……溶けていこう……ふたりで」
二人の身体から漏れ出る魔力が、夜の空気を濡らすように漂い始めた。
もう空も星も関係ない。ただここにあるのは――
触れる魔力。触れる気持ち。触れる心音。
「……アウス……ああ、すごい……もう、魔力が……!」
「わたしも、もう……止められない……」
重ね合う手と手、視線と息、
そして魔力と魂が、境界を越えて混ざり合っていく。
二人の魔力が同調し、いま――
最高潮に、達する。
【夜明けと寄り添うふたり】
静寂が戻った森に、ようやく風が戻ってきた。
魔力がすべて交わり、燃え尽きた後の空気は、ひどく穏やかで――
そして、どこかやさしかった。
地面に横たわるアウスとヒータ。
肩が触れるくらいの距離で、互いに呼吸を整えていた。
夜空は、すでに藍から薄紅へと変わりつつある。
「……朝だね」
ぽつりと、ヒータが呟いた。
いつものような元気な声じゃなかった。
熱をすべて吐き出したあとの、まるで焚き火の残り火のような、
ほのかに残る温度と余韻を持った声だった。
アウスはそれに答えず、静かに目を閉じたまま頷いた。
森の木々が風に揺れ、枝が優しく音を立てる。
それを子守歌のように聞きながら、ヒータが少しだけ身を寄せた。
「……アウス。あたし、今すごく静か。こんなの、初めてかも」
「……魔力、全部出しちゃったから。きっと、私たち……完全に同調したんだと思う」
ヒータは笑った。
小さくて、でも心からの、安心したような笑みだった。
「ねぇ、アウス。今までさ……あたし、熱くなりすぎるのが怖くて、ちゃんと誰かと向き合えなかったんだ」
アウスは、静かに瞳を開けた。
まだ少し潤んだままの瞳で、ヒータの横顔を見つめた。
「わたしは……逆だった。冷たくなりすぎるのが怖くて、誰ともちゃんと繋がれなかった」
沈黙が落ちた。
けれど、その沈黙は不安や戸惑いではなく――
ただ互いを包む、心地よい無音だった。
ヒータがふと、アウスの手を取った。
指先はまだ、かすかに魔力を帯びていて、あたたかい。
「……あんたと一緒でよかった」
「私も……ヒータでよかった」
ふたりはもう、言葉を交わさなくてもよかった。
身体の奥にまだ残っている、相手の魔力の“名残”が、
まるで息をするように、お互いの存在を確かめてくれていた。
夜明けの光が、葉の隙間から差し込み、
ふたりの髪に、肌に、静かに降り注いだ。
地と火――正反対だったふたりは、
今、静かにひとつの風景の中で、
まるで最初から、ひとつの属性だったように寄り添っていた。
【朝の霊使いたちと、ちょっとバレバレなふたり】
森の中にある小さな霊使いの共同棲み家。
その縁側で、風霊使いウィンが、パンをかじりながら伸びをしていた。
「ふあ〜あ。朝〜……ん? あれ、あれあれ?」
彼女の視線が、森の奥から歩いてくる二人の影に向いた。
ヒータとアウス。
どちらも髪がわずかに乱れていて、
アウスの頬はほんのりと赤く、ヒータはなんだか……機嫌が良すぎた。
ウィンの口元がにやりと持ち上がる。
「おっはよ〜! ふたりとも……えっらい朝帰りじゃ〜ん?♡」
ヒータがぴたりと止まった。
「……な、なにその言い方。別に、そんな――!」
エリアがすっと現れて、横から静かに言葉を挟んだ。
「ヒータの魔力、半日分くらい抜けてた。地面にも痕跡があったわ」
「ちょ、エリア!? そんなとこまで見てんの!?」
「私は別に見てたわけじゃなくて。感じただけ」
アウスは顔を伏せて、ヒータの後ろに隠れるように小さくなる。
ウィンはパンをもぐもぐしながら、
わざとらしく目を細めた。
「ふ〜ん……ふたりで“夜の属性交差”ごっこしてたんだぁ……?♡」
「違っ……! ち、違くはないけど! でもそんな軽いノリじゃなくて!」
「……魔力、二回分ぶつかってるから。しかも深めに」
「エリアーっっ!! お願いだからもう黙ってぇ!!///」
アウスはついに耐えきれず、袖で顔を覆った。
ウィンはくすくすと笑いながら、アウスの肩を軽くポンと叩いた。
「ま、ヒータに火傷させられなかっただけ、上出来だねっ。ね、アウス?」
「……うん。でも、ちょっとだけ溶けたかも……///」
ヒータが振り返り、アウスを見つめる。
その視線に、昨夜と同じ熱が――一瞬、よぎる。
ウィンとエリアが一斉に「おっ?」という顔をした。
「え、ちょ、やめなさいやめなさい、また始まるから!!」
ヒータが慌てて手を振り、アウスの腕を引いて逃げ出す。
ウィンが大声で笑いながら手を振った。
「はーい、お幸せに〜! お昼にはちゃんと戻ってきてね〜!!」
エリアは最後に、無表情のままぽつりと一言。
「今夜は、静かにしてほしい。水が熱を持つのは好ましくない」
「エリアまでぇぇえ!!///」
こうして――
アウスとヒータの距離は、ほんの少し近づいたまま。
からかいと笑い声の中で、霊使いたちの日常は、静かに続いていった。