持続可能な安全の確保
今から一か月前、東京は崩壊が始まった。
大都会のど真ん中に突如発生したゾンビ。それは多くの人間に混乱をもたらし、人が住処を追いやられるまでにそう時間はかからなかった。
今や街中では、焼けたアスファルトの上をソンビが血を吹き散らかしながら駆け回る風景が日常になっている。
事の起こりは昼休憩がもうすぐという時間。俺がショッピングモールの警備員としてモニタールームで監視カメラの映像を眺めていると、モニター越しにカートを押していた黄色い服の女性が突然崩れるように勢いよく膝をついたのだ。
どう見ても危ない倒れ方で地に頭を打ち付けた女性にザワつきをみせる周囲の客たち。やがて一人の男性が近づき、倒れた女性に声をかけると…
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
次の瞬間、とても人のものとは思えない唸り声を発しながら首を激しく振り乱した女性に足首を強く嚙みつかれ、近づいた男性は地に転がった。
飛び散る赤色の液体、逃げ回る人々の中で筋肉が露出している足の痛みも厭わずに奇怪な動きをしながら立ち上がる男性、そして人を貪るゾンビ。
そこからなんとか逃げ延びた人々を店の前で暴走した車が轢き潰す。警備用モニターにはただただ地獄が映し出されていた。
「な、なんだよこれ…」
俺がそう呟いて呆然としている間にも、刻一刻と事態は深刻化していく。
ゾンビパニックから逃れるため館内からは水を引くように人々が逃げ出していき、ゾンビ共もそれにつられるように飛び出していく。
やがて十数分もした頃、館内にはボロボロになった死体と足を失い動けないゾンビだけがとどまり、人に見えるものは完全に消え失せていた。
これに至ってやっと俺は石のように固まりながらモニターを眺めることを止め、館内に向かって駆け出したのだった。
ショッピングモールにある全ての侵入口のシャッターを下ろしていく。入口の閉鎖が終わると次は各階にある防火扉で廊下を塞ぐ。これで籠城の体制は整った。
そして万一の感染対策に備えてゴム手袋とマスク、エプロンなんかで身を守った俺はぐちぐちゃ踏み荒らされた死体を窓から投げ捨てる。
侵入に対して対策できても、中で俺がゾンビになってしまっては意味がない。
ここまでしても、どこまでこの籠城が持ちこたえられるかわからない、だが生きるためには束の間でも安全圏を築かなければならない。
生存本能に突き動かされるままに、俺はひたすら自衛のために守りを固めていった。
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「本日も、快晴なり」
ショッピングモールに立てこもりから始めてから一か月が経過した。
窓越しに見える終わった世界は相変わらずだ。男、女、犬に猫、果ては鳥まで。どいつもこいつも血を垂らしボロボロになりながらも動いている。まあ元気なことだ。
「ここがダメになる前にはこいつら全部死んでると楽なんだけど、無理だろうなぁ」
そう悲観してみるが、この一か月で間違いなく近辺に見えるゾンビの量は減っている。
生存者が東京から疎開し増えるゾンビがいなくなったことも大きいだろうが、ゾンビが共食いしていることも理由の一つだろう。
人と人など、同じ種類のゾンビが共食いしている姿を見たことはないが、鳥や犬が人間を襲う、またその逆もよく見る光景だ。
今後もゾンビが生産されることのない今の状況が続けば、捕食して数を減らしていくだけのゾンビは何れ尽きるだろう。
しかし局所的になんとかなったとしても、新たな感染者が出ないように原因から根絶し復興がなされない限り、人が住みやすい世界には戻らない。
ヒマな日常からくる悲観思考を振り払うように、俺は大きな欠伸をした。
「くぁ~あ……ん?今、なにか…」
一瞬幻聴かとも思ったが…気のせいではない、遠くから自転車のチェーンの擦れる音が聞こえてくる。
自然には鳴らない音だ。音の出所が気になった俺は近くの窓を開け放し、そこから身を乗り出す。
西側から猛スピードで走ってくるマウンテンバイクに乗った女の姿。しかも大量のゾンビを引き連れているみたいだ。
(生存者か…良心は助けろと言っているが、助けると面倒事にも巻き込まれるかもしれない…どうする?)
頭ではそう思いながらも良心は体を動かす。俺は備え付けの防災用避難梯子を取り出すと、フックの部分を窓枠に嵌め下に向かって梯子を投げだした。
「おい!そこの自転車女!早く掴まれ!!」
「…!!」
俺の声と、移動ルートの先に下ろされた避難梯子に気が付いた女は、飛び降りるような勢いでマウンテンバイクを歩道に乗り捨てる。
そして窓から垂れさがった梯子に素早く掴まった。
「ふんっ……!ぐぁっ!!」
彼女が掴まったのを見ると、俺は力の限り素早く梯子を引き上げた。
小柄な女が掴まっているだけが、梯子の重量も合わさってかなり重い!だが自己の安全だ、文句も言っていられない。
今日まで観察を続けてきて奴らにそこまでの知能がないのは分かっているが、念のためだ。
ゾンビが中途半端に梯子を登ってきたりすれば、梯子を失う可能性もあるし厄介極まりない。
結局、追いかけて来た亡者の群れはその場で届かない梯子に向けて上に手を伸ばし。地上から懸命に空を掴んでいる。
それを見た女は焦ることなく、転落しない事を優先した慎重な動きで揺れる不安定な梯子を登ってくる。
窓までたどり着いたところで、俺は女の背中に手を回し一息に中に引き入れると、梯子を手早く引き戻してバタンと窓を閉めた。
「ハァ…ハァ…ありがとう、た、助かったわ」
「ふぅ…気にすんな。ここらで生存者を見たのは久しぶりだが、どこで生活してたんだ?」
「…高速に乗ってサービスエリアまで抜けたんだけど…いろいろあって、戻ってきたのよ」
そうやらそのサービスエリアは既に過激な連中によって支配されており、そこで何らかのトラブルに見舞われたらしい。
ショッピングモールを占拠している俺がその過激な連中の事をあまりとやかく言えた義理ではないだろうが。
「私が引き連れてきてしまったせいで下にかなりの数のゾンビがいるけど、大丈夫かしら?」
「入口は全て閉め切ってある。ここには一か月以上侵入されてないからシャッター破りでもされない限りは大丈夫だと思うぞ」
女はようやく得た安堵からか胸を撫で下ろすように息をつき、更に言葉を続けた。
「助けて貰った身でこんなことを言うのも余計なお世話でしょうけれど、あなたに何のベネフィットがあって私を助けたの?」
「べね………?なんだ?意味がわからん」
「ハァ…利益って意味よ。私を助けることであなたに利益はあるのかしら?」
ジト目でこっちを睨みながらため息までつきやがった。助けない方がよかったかな?
「余りにも暇だったのと、ここから動くにしても人手がある方が良かったってだけだ。俺だってこんな状況で積極的に集団行動したいとは思わねぇよ」
「結構現実的なのね、嫌いじゃない考え」
息を整えながらそう返してくる、いちいち偉そうな女だ。
「ということは、ここにはあなた以外の避難者はいないのかしら」
「ああ、一か月以上立てこもってるが、ここは初めから俺しかいねぇよ」
「…私以外にもこうやってトラブルに巻き込まれて来た人はいなかったの?」
「う~ん……少なくとも俺が見張っていた時や、気が付く範囲で来た奴はいなかったな」
事実として今回彼女に出会うまでは、数週間ほど生きた人間をこの付近で見ることはなかった。
もう東京に生きた人間は俺しかいないのではと考えていたほどだ。
「一緒に避難してる奴と問題になったら面倒だし、せっかくの守りを内側から破られても困るからな」
ゾンビものと言えばショッピングモールの立てこもりが定番だ。
そしてそれが馬鹿な人間との集団行動により、身勝手な理由で内側から破られてしまうまでがテンプレートである。
犬が逃げたとか、家に帰りたいだとか、そういう感情的な理由でゾンビを引き入れられてはたまったものではない。
まあその例はあくまでも映画やゲームの中での話だが、避けられる危険ならば避けたい。
「ふぅん…チープなゾンビ映画にありがちな問題行動の発生原因を消したわけね」
「まぁ物資調達がしたいなら他にいくらでもガラ空きの店があるしな。わざわざシャッターを破る危険を冒してまで入ろうとする奴はいないだろ」
ゾンビは目も見えているようだが、何より音に敏感だ。大音量で金属音を響かせながらシャッターなんて破っていれば、たちまち奴らに囲まれてしまうだろう。
一応シャッターが破れても、その内側にバリケードは作り二段構えにしてあるが。
「それもそうね……」
「あと人込みとか嫌いだしな」
「なにそれ……まぁ、わからなくもないけれど」
彼女は自分の中で納得を付けたのか、この件についてそれ以上聞いてくることはしなかった。
「ところであなた、名前は?私は……閑。三日月閑よ。シズカって呼んで頂戴」
「俺はここの警備員をしてたーーーーだ、まぁこれからよろしくな」
そう言って俺たちは軽く握手を交わした。