移住してから半年が経過し、辺りに見える山の頂が白い衣を被るすっかり寒い季節となった。
ビルの外で育ってきた俺からすれば、吹きすさぶ風が凍えるほどに冷たい。
この別荘地はしっかりと雪の積もる地域だったようで、本格的に寒くなり雪が降り始めて以降はゾンビの襲撃を阻んでくれている。
それだけ積もったとしても俺たちが住んでいる家は高床式になっているので、吹雪でも起こらない限りは扉が雪に閉ざされることはない。
だが、外にも生活スペースを確保しておきたいので積雪との戦いに日々追われる毎日ではある。
半年の間に起こった大きなことと言えば、嬉しい事にラジオが放送を再開し始めたのだ。
まだガザガザとノイズ混じりで災害緊急情報チャンネルからの避難指示放送くらいしか流れないが明確な進歩だ。
ここに住み始めてから両手の指で数え足りる程度にゾンビによる襲撃はあったが、明確に危機的状況に陥ったことはなく
比較的平和な毎日を送れていることもその考えを後押ししていた。
もしかすると人類がゾンビから生存圏を奪い返す日もそう遠くないのかもしれない。
「こんだけ積もってりゃ雪が解けると冷凍ゾンビがわんさか出てくるかもしれねぇな」
そう冗談を言ったのが近くで雪かきをしていたシズカの耳に入ったようで、シャベルでかき上げた新雪をぶつけられてしまう。
「はぁ…馬鹿なこと言ってないで作業に集中して、処理が遅れると雪が固まって面倒なの」
「……へいへい」
反射的に「掃除時間の小学生女子かよ」と言い返しそうになった口をグッと噤んだ。変に文句を言い返せば次は口撃が飛んで来るのが容易に想像できる。正に口は災いの元だ。
雪をぶつけられる程度ならばまだマシだと思い直した俺は、黙って目の前の重労働に専念することにした。
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そんな風にして日々を雪に追われる生活を過ごす俺にも目下の楽しみがある。
「よっこらせっと」
湖畔に座り込んで湖面に広がった氷の床に少し穴を開け、釣り糸を垂らす。皆様ご存じのワカサギ釣りだ。
家のすぐそばにある小さな湖は人が乗れるほどの厚い氷では覆われていない。だが、陸地から氷の隙間に糸を垂らすだけでも雰囲気は味わうことができる。
釣り自体は楽しいと思うが、別段趣味というわけでもなかった俺がこうして寒空の下でせっせと釣りに勤しんでいるのは
シズカの笑顔が見たいからというのが最大の理由だったりする。
この気持ちの発生原因は夏に釣れた鮎を焚火で塩焼きにしてやった時までさかのぼる。
手渡した串刺しの鮎の背にワイルドに齧りついて「おいしいっ!」と子どものように笑顔を爆発させたシズカのとても可愛い表情は今でも鮮明に思いだせる。
男のロマンとして作り方もわからないのに作ろうとして大失敗してしまった魚の燻製については苦々しい記憶も付いて回るのだが…
失敗も経験、夢の実現というものは得てして茨の道なのだ。
思い出に浸っていると湖面が僅かに揺れ、垂らしている竿に少しだけ強めの引きがかかった。
「おっ!来やがったか」
軽く力を込めて湖面から釣り竿を引き上げると、中空にぶら下がりながらピチピチと跳ねまわる魚の口を針から外し、冷たい湖水を入れたバケツの中に投げ入れた。
「いち、に、さんっと。爆釣だな」
シズカの話では水族館に避難した際に感染した魚に追い回されたらしいが、この半年間観察した結果
この湖の魚にそういった兆候は見られなかった。外からの流入がほぼない小さな湖なので、環境が守られているのかもしれない。
そうして釣りを続けていると、ジャクジャクと雪を踏みしめる音が背後から聞こえてくる。音の主はシズカしかいないだろう。
「釣れてるの?」
「まぁ、ぼちぼちだよ」
初めてこの家に来たときに見つけたクリーム色のダッフルコートを羽織り、若干モコモコしているシズカが魚を入れた青バケツの中を覗き込む。
今日の釣果は一時間でワカサギ12匹、そこまで大きくない湖なのでこれでも上等な釣果であることに間違いはない。
さっと見る限りでもなんかちょっと模様の違う奴が二匹ほど混じってはいるが、俺にとっては全部ワカサギだ。
「へぇ、ワカサギってもう少し小さいイメージだったけど」
「それは10月くらいに釣れるやつだろうな、でも、俺はこのくらいのサイズの方が脂がのっててうまいと思うぜ」
大きいワカサギを天ぷらにして食うといかに美味いかを語ると、シズカは興味深そうに相槌をうつ。
この半年でわかったことだが、シズカは自分が経験していないことや未知のモノには強い関心を示す傾向があるようだ。
「そうね……じゃあ今夜はワカサギの天ぷらをためしてみようかしら、当然あなたも手伝ってくれるわよね?」
「おう」
短くそう答えると、俺たちは釣り竿とバケツを引き上げて家の中へと戻っていった。
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食事を終えた俺たちは、一階にあるコタツに身を寄せ合いながら足を突っ込んでいた。
コタツの電気はショッピングモールから持ち込んだバッテリーを代用して問題なく稼働しているため、暖かくなってはいるのだが
それでもわざわざ隣り合って座っているのは「単純にこの方が温かいから効率がいい」とシズカから言質を摂れた賜物だ。
密着できる機会が合法的に増えるというおいしい提案を下心込み込みの俺が断るはずがない。
こうして身を寄せながら暖をとっている間、シズカはいつも黙々と読書をしている。
すっかり物置と化したこの家の書斎には自然の中で暮らしたかった元の住人の趣味なのか、サバイバルに役立つような実用書が数多く蔵書されていた。
だからと言ってあまり詳しいわけではなかったらしく、『季節の野草・山菜100選図鑑』『初心者でもわかるキノコの見分け方』『自宅で庭園ビオトープ』『米軍サバイバル読本』などなど
本のラインナップはどれも初心者向けのわかりやすいものになっていた。…サバイバル読本に関しては少し主旨がズレている気がしないでもない。
シズカはこの冬の間に山菜の見分け方や簡易な魚の養殖、緊急時のサバイバル方法を完璧に勉強、可能な限りの食料自給を達成すると息巻いている。
本人の性格からして危ないキノコなどに手を出したりはしないだろうからここは放任だ。
そんなこんなで本に目を通しながらぶつぶつと呟いてノートを書いているシズカの太ももを数分前から撫でまわしているのだが、彼女は何の反応も返してくれない。
「セリとドクゼリはほぼ見分けがつかない、パス。ギョウジャニンニクとイヌサフランは……でも、花が咲いている時期であれば区別できる」
「…………」
太ももでは反応を見せないので、今度は服の上から胸を揉んでみる。厚着の上からでもわかるほど自己主張の激しい胸を手のひら全体を包み込むと
ふにゅっと柔らかく形を変えながら柔軟に指先を受け入れてくれる。最高の揉み心地だ……が、これにも反応しない。
「ニリンソウは低毒性だけど食べることはできる…ってトリカブトと似てるじゃない。そこまで冒険する必要はないわね」
「…………」
最終手段とばかりに彼女の耳に顔を近づけ、息を吹きかけてやった。
「ニラとスイセンは他に比べるとまだわかりやすそう…あ、でもハナニラってあうんっ♡♡♡」
「俺の勝ちだ……!」
浅い溜息を吐くと、シズカは読んでいた本をバタンと閉じてジト目でこちらを睨んだ。
「昨夜もあれだけさせてあげたでしょ?初めてした日からほとんど毎日毎日……あなたは自慰行為を覚えた中学生なのかしら」
「お前が可愛い上にエロいから悪いんだろうが」
開き直って下心を隠すことなく堂々とそう告げると、シズカは無言になってうつむいてしまった。ちょっとやりすぎて怒らせたか?
急に不安になってきたのでご機嫌取りの方法を考えながら彼女の顔を窺おうとすると、突然唇に柔らかいものが押し付けられる。
「ふふっ、私の勝ちよ」
顔を離したシズカはこれ見よがしに勝ち誇った笑みを向けると
驚く俺を置き去りにしてコタツから立ち上がるとスタスタと二階に上がって行ってしまった。
離れていく彼女の後ろ姿を見送りながら俺は自分の唇をそっとなぞる。
「こんな生き方も悪くないよな、贅沢なくらいだ」
ゾンビにならないためにちょっとだけ頑張るけど世界を救わず、ヒーローにはならない。
合理性一辺倒の俺たちが考え抜いた最適解は、こんな世界で自給自足の生活を楽しむという選択だった。
この雪が解ける日が来れば、きっと俺たちは新しい一歩を踏み出すことができるのだから。
短いですが完結です。
感想をいただけるとありがたいです。
以降は外伝的なおまけストーリーになります。