「そんなに急ぎの用はないから、風呂くらいゆっくり入れよ」
彼がそう言いながら私に投げ渡したのは白い店内用のインカム。簡易な操作説明の他にシャワーが終わったら連絡をしろとメッセージを付け加えた。
「…ありがとう。それじゃあ、また後で」
リュックサックの中から替えの服を探す仕草をした私を見て、彼はサッと後ろを向くとすぐに離れて行く。
想定していた最悪のパターン、人の良いふりをして襲い掛かられるというのは避けられたみたいだった。
(まあ、例え襲い掛かられたとしてもタダで負ける気はサラサラなかったけれど)
安心によって緊張が一気に弛緩する。
ここに至るまでギラギラと脳内を常に興奮させていたアドレナリンの波が徐々に引き、落ち着いてくる。
そのせいか、全身にどっと押し寄せてくる家を出てからの二週間で溜まりに溜まった疲労。
早くシャワーを浴びて全て洗い流し…すぐにでも寝てしまいたい。そう思いながら私は自分の服に手を掛けた。
サービスエリアからの逃走して丸一日。ソンビの襲撃を考慮して外では一度もできなかった二日ぶりの着替え。
不潔さからの脱却は想像以上に精神的な安定をもたらしてくれた。
「ん、しょっ……と」
襟のラインと背中、腋の下に濃い汗染みができてしまったタンクトップを脱ぐと、汗でベタついていた布地が肌から離れ、ひんやりとした空気が身体を撫でる。
次にショートパンツを下ろす。すると下半身からむわっと熱気が逃げ、蒸れとともに脱衣所の狭い空間に汗の臭いが充満した。
「はぁ、ひどい臭いだわ…」
ショートパンツを足から抜き取り、洗濯籠に放り投げる。そして、最後に残った下着に手をかけた。
スポーツタイプのグレーのブラジャーを外し、最後にショーツを下ろす。ねちゃっという粘り気のある音を立て、ショーツと私の女性器の間に白い粘液が伝う。
「もうこれ取れないかも…最悪」
私の股間から漂うアンモニア臭と生臭さの混じった酷く酸い臭いが鼻につく。
ショーツのクロッチには一目見ればわかるほどに私の尿とオリモノで作られた、白く黄ばんだラインがこびりついている。
さっきまで一緒にいた彼にはこの臭いがバレなかっただろうか?
できる限り背後に立つか、少し遠くにポジションを取っていたけれど、狭い休憩室の中ではそうはいかなかったし…
言えば、女性ホルモンに含まれるエストロゲンの効果により、女性の汗の臭いは男性にとって「いい匂い」だと感じることが多いと科学的に分析されているらしいけれど、
女の身としてはとても信じられないことだ。
「新品のショーツをどこかから拝借した方が良いかな」なんて考えながら、汚れたショーツも脱衣籠に放り込み…
万が一、誰かにそんなショーツを見られることがないように服で覆い隠した。
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不快感を洗い流すべく風呂場へと駆け込んだ私を待っていたのは、彼が言うに違わず本当に簡素なシャワールームだった。
時代遅れの銀ピカのシャワーヘッドに細く頼りないホース、そして縦回転式のカラン。
今どき学校の設備でももう少し良いものを導入しているだろうと確信を持てるほど旧式仕様のシャワーだ。
「まぁ、使えるならなんでもいいか…」
そんな粗末なシャワーでも、今の私にとってはとてもありがたい。
赤い印が書いてあるカランを上から押し込み回すとキュッと擦れるような音が鳴り、頭上から勢いよく冷たい水が降り注いだ。
「つめたっ…くうっ…!」
夏場なので我慢できないほどの冷たさではなかったが、気を抜きすぎて失敗してしまった。
そして、漸くするとシャワーヘッドから念願の温水が身体に降り注いだ。
「はぁ………」
心地よさに身を委ねるように目を瞑り、長く深い溜息を出す。二週間近く浴びることができなかった暖かいシャワーがとても気持ちいい。
自宅から飛び出して以降も濡れタオルで身体を拭くことで一定の清潔感は得られていたが、やはりシャワーを浴びるというものは違う。
身体に付着した汗や汚れを洗い流すだけでなく、疲れや心も洗い流されるようだ。
ただ、水が流れる先をちらりと見ると、短く黒い髪が散らばっている。
ちゃんとした環境で髪を洗えていなかったが故のダメージと、強いストレスからの脱毛だろう。これが私から抜け落ちた物だとわかると少しだけ気分が悪くなった。
風呂場のポケットに置いていた固形石鹸を取り出し、ハンドタオルに擦りつけながら無言でシャカシャカと泡立てる。
ボディーソープよりもこちらの方が洗浄力が強く、汚れが強くある身体を奇麗に洗い流したい今のような状況にはぴったりだ。
「んっ……」
泡立った石鹸が沁み込んでいるハンドタオルで腋の下を強めに擦り、鼠径部、お尻へと順番に滑らせていく。
一度タオルを洗い流してから、次は股間部にタオルを押し当て…
「うぁっ…はっ…」
優しく撫でていくと女性器に付着していた恥垢が流れ落ち、排水溝に吸い込まれた。
自分がこれまでどれだけ不衛生な環境で過ごして来たかが、嫌でも理解できてしまう。
「これは流石に……ね」
ゴシゴシと股間を手やタオルで執拗にこする。傍から見ればとても情けない行動だろう。
そんなことをしていた最中に、『バンバン』と柔らかいアクリル板を―――風呂の扉をノックする音が室内に反響した
「ひゅいっ………!!!」
素っ頓狂な悲鳴にも近い声をあげながら身を硬くした私に「おい、ちょっといいか?」と扉越しにかかる彼の声。
自分の股間を拭くのに必死で、脱衣所の扉が開く音にも、曇ったアクリル板の先に写っていたであろう彼の姿にも気が付かなかった。
いつからそこに居たのかは不明だけど、曇った扉の先にぼんやりと彼の姿が判るということは、彼の方からもぼんやりと私の姿や、また行為すらも見られていたということだ。
「なっ!…っ何か用かしら?」
できるだけ平静を装いながら返事をしようとするが、少し声が上擦ってしまった。
見られてしまっただろうか?聞かれてしまっただろうか?様々な考えが交錯して私は異常なまでに動揺している。
「もう洗っちまったかもしれないが、一応女性用のシャンプーをいろいろと持ってきたぞ」
「あっ…!ありがとう、髪は、今から、洗うから…助かったわ」
「脱衣所に置いておくからな」
巻き気味にそう言うと彼は意識的に話を素早く切り上げ「じゃあ」と言って早々に立ち去って行った。
バタンと脱衣所の扉が閉まる音に、一人取り残された私はゆっくりとへたり込む。
重く溜息を一つつき、全身をシャワーに再び身を包まれながら心の中で思うのだった。
(変な勘違い…されてないでしょうね?)
いや、軽くシャワーを浴びると言いながら股を擦って無意識に声を漏らしていたのは自分だ。
彼には全て聞こえていたにも関わらず、気遣いで何も言わなかっただけという可能性もある。
もしそれが当たっているのであればもう言い訳のしようがないレベルの失態だった。
彼の足音が聞こえなくなるまで、必要以上にゆっくりと待ってから少しだけ扉を開く。
ドアの隙間から見えたのはドラッグストアの名前が印字された黄色い買い物籠。
その中にはシャンプーやボディーソープなんかが山と詰め込まれていた。
「……思ったより気が利くほうなのね」
私は用意されたシャンプーボトルを手に取ると、気分を落ち着けるためにゆっくりと頭を洗い始めた。
…彼の居た脱衣所に私の汗で濡れた服と汚れたショーツがあったことを思い出し、
目を合わせられないほど恥ずかしさを感じたのはシャワーを終えた後、バスタオルで身体を拭いていた時だった。